松尾寺を創建した舎人親王
天皇にならなかった実力者
父は天武天皇
母は新田部皇女
天武天皇の子としては他に
草壁皇子
弓削皇子
長親王
大津皇子
高市皇子
などの子が居た
草壁皇子、弓削皇子は早世
長親王は、後継争いから脱落し、40代で薨去
大津皇子は、天武天皇が崩御すると、川島皇子の密告で「謀反」を疑われ死を賜っている
高市皇子は、持統天皇の治世に太政大臣にまで登り詰めている
舎人親王は、右大臣藤原不比等薨去に伴い知太政官事に就任、右大臣(後、左大臣)の長屋王とともに皇親政権を樹立する
有名な事件としては
天平1年2月
長屋王の変での事
新田部親王と共に長屋王を糾問、自害させた事件が歴史的にも有名
彼はまた、日本書紀の編纂者としても知られています
天武天皇の皇子の中で
長寿を全うした人物で
終焉は、平城京
天然痘が蔓延する平城京で60歳の生涯を終えている
最終官位は太政大臣
また、大炊王が淳仁天皇として即位の折
天皇の父として崇道尽敬皇帝との追号を受けている
舎人親王の歴史と共に
散策した松尾寺でした
天皇にならなかった実力者
父は天武天皇
母は新田部皇女
天武天皇の子としては他に
草壁皇子
弓削皇子
長親王
大津皇子
高市皇子
などの子が居た
草壁皇子、弓削皇子は早世
長親王は、後継争いから脱落し、40代で薨去
大津皇子は、天武天皇が崩御すると、川島皇子の密告で「謀反」を疑われ死を賜っている
高市皇子は、持統天皇の治世に太政大臣にまで登り詰めている
舎人親王は、右大臣藤原不比等薨去に伴い知太政官事に就任、右大臣(後、左大臣)の長屋王とともに皇親政権を樹立する
有名な事件としては
天平1年2月
長屋王の変での事
新田部親王と共に長屋王を糾問、自害させた事件が歴史的にも有名
彼はまた、日本書紀の編纂者としても知られています
天武天皇の皇子の中で
長寿を全うした人物で
終焉は、平城京
天然痘が蔓延する平城京で60歳の生涯を終えている
最終官位は太政大臣
また、大炊王が淳仁天皇として即位の折
天皇の父として崇道尽敬皇帝との追号を受けている
舎人親王の歴史と共に
散策した松尾寺でした
落ち着いた良いところですね。
遠い昔の世界が身近に感じられるから不思議
です。
静かで良い所ですね。
明治時代に再建と言う三重塔が目を引いて素敵です。
際立ちますね。
思わずハッとしてしまいます。
それにしても、いかにも山中の寺院、といった趣ですね。
2枚目の緑に埋もれた石造りの鳥居、
鳥居の向こう側は、違う世界に繋がっていそうな雰囲気ですね。
十分な威厳と存在感。
なんだかすごいですね。
名所が散在しているのが難点でして
一度に何箇所も巡るのが難しいです
ここ松尾寺も周囲には法隆寺とかいろいろとあるのですが
勿論徒歩で移動するにはちと距離がありすぎます
何度かに小分けして散策しています
他力本願寺さんの所からだと比較的郡山周辺は近いですね
一度散策されてみては如何でしょうか
意外と生活の近くにも存在している事が多いですね
何気に歴史的場所を歩いていることもあります
少し知って周りを見渡すと
見えなかったものが見えてくるような気分になり
訪れる楽しみを倍増させてくれます
この寺院
地元の老人達が集まる場所で
ハイキングを楽しむ人達の休憩場所にもなっているようです
三重塔
まだ新しい(?)ので色彩が豊か
竹林と杉に囲まれ艶やかな色彩が鮮やかにみえました
とても対照的な色合いなので
引き立って三重塔の存在感を引き立たせていました
背後の山を含めて広い敷地の寺院
とても見所が多い寺院でしたよ
寺院の裏の山を登ると
奥に神社がありました
山道を登った先に見えた鳥居
被い茂る木々の間から見えてきた鳥居に
思わず感動しました
違う世界の扉
そんなイメージでしたよ
境内散策自由
とってもリーズナブルな寺院でした
このまま山伝いに矢田寺まで北上できるそうです
昔は修験者たちが歩いた山道だったのしょうね
寺までの道を考えると意外なほどの広さを誇る松尾寺
随分と満足できました