もとは大徳院と称した寺院
相国寺の塔頭寺院である
大徳院として創建されたが
足利義政の塔所影堂となったことで
足利義政の法号がそのまま寺院名となった
桂離宮「古書院」と
同じ材や建築法で造られたと云われる書院が残されている
これは
当院第七世
仏性本源国師と
桂宮初代智仁親王
とが親密な関係であったらしく
寛永6年に桂宮が当院境内にて
御学問所を建て
同9年に下賜された、からだと云う
現在の書院
棲碧軒がそれだ
こちらにはまた
宗旦好みの席
と、伝えられる茶室がある
この茶室
なんでも
茶人・千宗旦に化け
客人を持成した狐に
遅参した千宗旦がお礼を述べたという
なんとも微笑ましい逸話が残されている
相国寺の塔頭寺院である
大徳院として創建されたが
足利義政の塔所影堂となったことで
足利義政の法号がそのまま寺院名となった
桂離宮「古書院」と
同じ材や建築法で造られたと云われる書院が残されている
これは
当院第七世
仏性本源国師と
桂宮初代智仁親王
とが親密な関係であったらしく
寛永6年に桂宮が当院境内にて
御学問所を建て
同9年に下賜された、からだと云う
現在の書院
棲碧軒がそれだ
こちらにはまた
宗旦好みの席
と、伝えられる茶室がある
この茶室
なんでも
茶人・千宗旦に化け
客人を持成した狐に
遅参した千宗旦がお礼を述べたという
なんとも微笑ましい逸話が残されている