日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています
平城京遷都で
飛鳥の地から
平城の地へと
移った折
法興寺は
元興寺へと改名した
ススキが穂を伸ばすころ
本堂前の
石仏も
夏が去る憂いに揺れていた
東大寺
興福寺に匹敵する
大寺院であったが
中世以降は衰退し
今日では
ならまちの一角にその姿を留めるのみである
金光明四天王護国之寺
詔が発せられたのは
天平15年
大仏の鋳造が始まったのは
天平19年
国力を尽くしての造営
大仏開眼会が挙行されたのが
天平勝宝4年というから
鋳造開始から
5年の歳月を費やしたことになる
幾度かの兵火で
大仏も大仏殿も焼失し
荒廃と復元を繰り返している
日本伝統美の風景が此処にあった
十一面観音を本尊とする仏堂
修二会
日本の仏教寺院で行われる
法会のひとつ
別名、修二月会
そこから
二月堂の名前が付いた
かつて
旧暦2月1日から15日までの期間
行われた行事
練行衆と呼ばれる
精進潔斎した行者
自ら
過去の罪障を
懺悔
そして得られる
興隆仏法
天下泰安
万民豊楽
五穀豊穣
営々と続けられる行事を
同じくその昔から取り囲むように
同居し続ける鹿たちは
どう見ているのだろう
中臣氏の氏神を祀る神社
全国に1,000社はあるという
春日神社の総本山
武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされ
鹿を神使とするため
境内には鹿が
自由気ままに生息している
お辞儀をする鹿
訪れる観光客が
鹿のえさを与える姿が
あちこちで見られる
藤原不比等が
氏神である鹿島神を
春日の御蓋山に遷して祀り
春日神と称したのに始まる
ユネスコの世界遺産
訪れる価値はある
別名
高畑サロン
白樺派の文豪
志賀直哉の旧居である
暗夜行路は
ここで執筆された
数寄屋風の造りの屋敷
しかし
建物の一部には
洋風の様式も取り入れられており
当時としては
斬新的で画期的な屋敷だった
転居好きだった志賀直哉
その彼が
9年の月日を過ごしたのが
この高畑サロンだ
華厳宗の寺院
奈良時代に
南都十大寺の1つに数えられた
由緒ある寺院
奈良時代の十二神将像が有名
東大寺要録には
光明皇后が
夫聖武天皇の病気平癒のため
この寺院を建立したと記載がある
薬師如来の住まう寺院
そして
眷属である十二神将が
この寺院を守る
薄く暗い本堂で
神々に拝謁する魅惑
ぜひとも訪れて欲しい寺院である
元は
平城京の外宮
かつては
寺社が建ち並んだ一角
奈良町都市景観形成地
ふらりと
目的無く彷徨う
寺内町の様相
自然との協和
この町は
いつまでもこのままで
あってほしいものである
ここは
役行者よって開かれた
修験道場
時代は
飛鳥
かの天才空海もここで修行したと伝えれており
当時は
都史陀山
大聖無動寺と呼ばれていた
その後はかなり寂れたようで
正式に
こちらに寺院を設けたのは
先の記事にあった
江戸期のこと
商売の神として
大阪商人の信仰を集めたそうだ
かつては
登山の様相で訪れた寺院も
今日ではケーブルカーで容易に訪れることが出来る
標高600mを超える
大阪府と
奈良県を隔てる
丘陵性の山脈
その山麓に
真言律宗大本山の寺院がある
湛海律師
1678年の開基
本尊は不動明王
独特の景観
境内には
線香の煙が立ち込める
続く
通称
生駒ケーブル
鋼索線とは
ケーブル線の意
宝山寺線と
山上線の二区間に分かれている
総延長約2km
ケーブル線としては大変珍しく
住宅街を通過するため
途中に踏切がある
そしてケーブル線としては
ほかにあまり例のない
起終点駅を含め5駅ある
中間の宝山寺駅まで
生駒山上駅までは
乗り換えとなる
山上線は未だ乗車したことは無いが
宝山寺線と比べ
傾斜ははげしく
乗車意欲に駆られる
生駒ケーブル
梅屋敷駅
山頂までの直行便は通過する駅を
下車して徒歩1分ほど
見えてくるのが
この風景
先の記事でも
伝えたが
元々この周辺は
修験道場
宝山寺は寺になったが
山腹には
未だ
修験の風景が残されている
こちらは
観光地ではなく
今でも現役の修験道場
入口の無料休憩所で
白衣に着替え
滝行を準備する人の姿も伺える
独特の風景を
ほんのわずかの時間で撮影
さて
余所者は去るとしよう
生駒山の
修験道場
その当時は
都史陀山 大聖無動寺と呼ばれていたらしい
宝山寺と称されるようになったのは
江戸時代
延宝年間のころ
歓喜天を祀り
湛海律師が再興したことで
この寺の歴史は始まる
寺であるのに
山門前には
立派な鳥居もある
不思議な寺である
商売の神様として
浪速の商人に信仰され
今日でも
年間3百万人の参拝がある
時折小雨の降る中
奥の院まで
もとは修験道場のこちら
小雨の下の風景が
とても似合うと
そう感じた
近鉄生駒駅から
徒歩2分ほど
生駒ケーブル
鳥居前駅
ここから
生駒山上駅までの区間
正式には
生駒鋼索線と呼ばれるケーブル線がある
ケーブル路線なのに
踏切のある独特の路線
鳥居前駅から
宝山寺駅間の
約0.9㎞を利用
宝山寺駅から
生駒山上駅までの区間は
山上線と呼ばれ
乗換となる
初詣ともなれば
多くの人で賑わうのだろうが
この日は閑散としていた
停車する
車両もどこか悲しげ
この駅から宝山寺まで向かうのだが
その行程で
梅屋敷駅を徒歩で訪れた
なんとも言えない
独特の雰囲気の駅であった
先に紹介した
依水園と
吉城川を挟んで隣接する吉城園
元は
興福寺塔頭
摩尼珠院があったとされる場所に
この庭はある
摩尼珠院は荒廃したようで
明治時代には
この庭園一帯の地域を
実業家が邸宅として購入
屋敷や庭園は
その実業家が造作したと伝えられる
苔に覆われ
木々に空を囲われた
緑の空間
茅葺の茶室が
良いアクセント
奈良公園周辺を訪れるのなら
先に紹介した
依水園とこちら吉城園は
訪れてみるといい
京とは少し違う
自然との融和を見ることができる
奈良東大寺のひざ元の地に
国の名勝に指定された
池泉回遊式庭園がある
依水園と呼ばれる庭園がそれだ
こちら
前庭と後庭とに分かれているが
そのどちらもが
寺院庭園ではない
前庭は
晒職人であった
清須美道清が作庭した庭園であり
後庭は
明治時代の実業家
関藤次郎が造作させた庭園である
この二つの庭園を
1939年
海運業者である中村家が買い取り
整備したのが今日の姿
1969年には
寧楽美術館を併設
中村家の所蔵美術品を展示している
若草山
東大寺南大門などを借景にした風景は
如何にも奈良らしい雰囲気を醸し出してくれる