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晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(11) 高浜町日置 8/23

2013-08-24 | 上林地名考

2013.8.23(金)曇り、雨 高浜町日置訪問

 夏のレクリエーションで例年高浜を訪れている。一昨年までは三松海岸、昨年は難波江(なばえ)、今年は城山公園に向かった。
 目的はじょんの散歩なので、城山公園の広い芝生や明鏡洞(めいきょうどう)の湾の美しさにみんな大満足。滋賀県からというミックスの小太郎君とも遊べてじょんは大喜び、お弁当食べて帰路につく。
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 還りは舞鶴を経由する予定だったので、日置と日置神社に寄って帰ることにする。
国道27号線から三松駅の手前を山側に入る。すぐに左手に鳥居が見える。車を置いて登って行くと、それは日枝神社であった。そういえば難波江に行ったときも日枝神社があったなあと思い出す。
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日枝神社は高浜に3社あり(難波江、東三松、山中)ちと気になるところである。

 再度西に車を走らすと、すぐに左手にちいさな祠が見える。坂を登って行くと左に鳥居があり、本殿と摂社が2社ある。何処にも何も書いてないので解らないのだが、日置神社には間違いなさそうだ。
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参道入り口の摂社、祭神不明だが弓矢の飾り物は何を表すのだろう。

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本殿、摂社、鳥居とも何も書かれていない。 

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参道を下りてくると青葉山が目に付く。
 



帰宅後調べたところ、主祭神は應神天皇、聖武天皇の時代には三松との境付近に鎮座、永享年中(1429~41年)に日引邑(現高浜町日引か)に遷り、宝徳元年(1449年)に神託があり、現在地に遷されたという。
 太陽観測や祭祀に関係があるとすれば創建当時のことだろうから、現在地はそれらに無縁だろう。現在地は山の麓の谷間にあり、木々が無かったとしても北面以外の展望もきかず、観測には不向きな地形である。ただ青葉山の偉容が正面やや左に展望できる。参道入り口の摂社には竹で作った弓矢と思われるものが飾られている。海人族の祭祀を受け継ぐものだろうか。
 市道を更に西に行くと日置川に出合い、日置神社から連なる山稜に伝説の牧山が見える。その山稜の先には日置川のツメである、日置峠(宝尾峠)がある。
 更に西に進むと、大成寺の立派な山門が見えてくる。
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右手が日置川、牧山の山稜を右方向に辿ると日置峠となる。(写真では見えない)
 

 大成寺(だいじょうじ)は観応2年(1351年)創建の臨済宗建仁寺派の寺院である。元は日引の瑞泉寺というから、日置神社共々よくよく日引と縁があるようだ。
弥仙山於成社のナルが太陽を意味するという説があり、大成寺も関連あるかなと思いきや、応永元年(1394年)の移転に貢献した小浜藩主大高重成の大と成をとって大成寺としたそうで、太陽祭祀には無縁である。
 それよりも、日置のすぐ近くに難波江があり、宮津の日置の隣に難波野があるのが大変気になる地名である。つづく
P1020538



難波江から大島を望む。(2012.8)

【今日のじょん】本文に登場のためお休み。
 
 
 

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日置のこと(10) 8/22

2013-08-24 | 上林地名考

2013.8.22(木)晴れ 「西丹波秘境の旅」-5 

 本書の表紙の裏に「綾部(上林)・三和要図」として地図が載っており、若丹国境の尼来峠から君尾山の南を通り、弥仙山のすぐ南を通過する線が引かれ、(於成平?)と線上に書かれている。頭巾山(ときんさん 871m)のトキが日の出を表し、於成平のナルが太陽を表すと着眼されているのは達観だと思う。
 於成平については、前述の釜師なる方からの教示であって、於与岐の人々も於与岐八幡の宮司さんをしても存在が分からないという場所なのだが、何ページも費やして太陽計測信仰に恰好の見晴らし台と考えてよいと結論づけておられる。(P117)
 文脈を精査すると、釜師さんなる方は於成平の位置を於成社の上方と言っておられ、その位置を知っておられるようだ。多分平成5年の於与岐訪問の際に於成平の存在を聞かされて大喜びされている。「これだ、これだと。苦労して探しあてた甲斐があったというものである。」(P112)
 こういう気持ちは地名の研究をするものにとって本当によくわかる。自分が予想していた地名や遺物が出てきたときほど嬉しいものは無い。澤氏はその後津守派海人や久米島のウティダ石など様々な話を登場させて於成平の重要性を説くのである。
 ところが現実には氏は弥仙山に登られた様子もないし、於成社まで行かれた様子も無い、そして釜師なる人物に聞けばわかるはずの於成平の位置さえも確認されず、例の(於成平?)という地図が出来上がるのだ。健康上の理由、時間的な事由があるのかもしれないが、研究者としては実に杜撰な態度だと思えるのだ。
 「京都北山を歩く、全三巻」で自分の足で歩き、見聞きして素晴らしい文章を書いておられる澤氏がここに来て、フィールドワークの伴わない稚拙な調査に終わっておられることが残念でならない。
 於成平の位置が不明な以上、現地に行って調べてみたいが、釜師さんなる方もご存命ではないだろう。角川日本地名大辞典に於与岐町の小字として、ナル坂、上ナル、下ナル、ヲナルの4個所があげられている。調べればわかることだが、ヲナルと言うところが弥仙山中で気になる。ただ、予想では於成社のあるところかもしれない。
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於成社は北向きの山間にあり、太陽を礼拝するという様な場所では無い。

 さて本日、住宅地図で於与岐の付近を見てきたのだが、将に弥仙山の登り口の下に2軒の鍋師さん宅が描かれてあった。釜師さんというのはどうも怪しいと思う。
つづく

【作業日誌 8/22】
夏野菜片付け、ブロッコリー植え付け準備

【今日のじょん】追悼マーブル写真集
じょんのびに来ても大暴れ、マーブルの家でもプロレスごっこ。どちらも胸肉ジャーキーがでー好き。
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体型も柄も似てないけど、この顔はじょんとよく似ている。(2008.12.2)
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プロレスごっこの後は並んでジャーキーをもらう。(2009.4.5)
 


 

 

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