2013.8.17(土)晴れ 八木町日置-4
飯盛山西光寺は文覚(もんがく)上人得度の地と伝えられている。北面の武士であった際に横恋慕から相手を殺害してしまい、この地で得度してからは修業に励み、神護寺中興の祖とも言われている。船井神社の南にある文覚池は灌漑用に開鑿されたもので、文覚公園として整備されている。
文覚池は文覚ふれあい公園として整備されている。
西光寺と大送神社を結ぶラインは文覚池から山を登っていったところのジヤトコという自動車関連の大規模な工場の上を走っている。取り付け道路がラインを横切って登っているので、その地点で西光寺、大送神社ともに目視できればよし、できなければ頼み込んで工場の屋上にでも上がらせてもらおうと敷地内に乗り込む。取り付け道路からは日置方面はよく見えるが、西光寺方面は工場の建物でまるで見えない。若い門衛さんに車を止められ、「日置の大送神社から西光寺の飯盛山に春分と秋分に太陽が沈み、、、、」なんて説明してもちっとも要領を得ない。もっとも要領を得たところで工場の敷地内には入れてもらえないだろう。将来両地点を望む必要が出てきたら、会社の然るべき部署にアポイントを取って建物に入れてもらおう。取り付け道路から日置の写真を撮って帰ることにする。
ジヤトコの工場取り付け道路から東西を見たところ。
工場の上に飯盛山の山稜が見えるが、全容がわからない。日置は真正面によく見える、集落の右上の山が竜王ヶ岳(498m)、気になる山である。
日置の大送神社で西の山稜に沈む夕日を観測し、飯盛山のとある地点に沈む日を春分、秋分と決めていたという証拠をつかむことはできなかった。しかし現在のように建物が無い時代なら充分に観測はできたであろうし、大送大明神の磐座と棒状の祠が太陽観測の祭祀を表しているようにも思えるし、大送神社の元々の祭神は大送大明神ではないだろうかという疑問が大きく膨らんでいる。大送大明神は将に西の方向、飯盛山西光寺の方向を向いているのである。
九月には再度訪問予定である、いくつかの疑問をどうやって解決するか思案六法である。
【今日のじょん】マーブルの追悼の意味でマーブル登場の写真を探している。5年間といえども何千枚からの抽出なので大変である。少しづつ紹介して行きたい。
三兄妹に始めて会ったのは2008.5.23、里親さんちのベッドの下。手前がマーブル、寝てるのがじょん(アポロ)、奥がくるみちゃん(ミント)。マーブルだけがその時の名前のまま。