晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(4) 8/16

2013-08-17 | 上林地名考

2013.8.16(金)快晴 八木町日置-3

 大送神社の摂末社については事前に調べていなかったので、帰宅後調べたのだが前述の通りで、大送大明神というのは無い。ひょっとするとこれが元々の大送神社なのかもしれない。もしそうだとすると大送神社が春分秋分に飯盛山に落ちる夕日を観測したり、祭祀を行った場所であるという仮説が成り立つこととなる。
 それではこの大送大明神から飯盛山は見えるのだろうか、磐座を背にして西の方向を覗いてみる。丁度鳥居の左の窓辺りが真西になるのだが、山影は社務所の屋根が邪魔をして望めない。
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大送大明神から真西を望むとこうなる。黒い影は鳥居、屋根は社務所の屋根。

 結局境内から飯盛山を望むことはできないのである。
周囲に建物や樹木が無ければ当然望めるはずなのだが、と思いつつ境内を出て日置の集落の少し高台にゆくとしっかりと見えるが電線や電柱が目障りである。
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日置の集落から飯盛山。

 ふと後ろの山を見ると、新しい道路が登っている。神吉に至る道路のようだ。丁度西向きの斜面に道路が走っているので、その道路上に西光寺、大送神社を結ぶラインが走っているはずである。その地点から飯盛山を望めば高度は少し変わるが、大送神社から望むのと同様の飯盛山が見えると思う。こうなったら行ってみるしかない。その地点が確定できたら、そこから春分秋分の日に飯盛山に落ちる落日を見ることが出来る。
 ところが道路は新しいのだが道路幅に余裕が無く、通行量もそこそこあるので、東西ライン地点をうまく探せない。駐車できる場所が無いのだ。次の機会に譲って、飯盛山の写真を撮って下る。
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真東より少し北に振った位置からになるが、左のコルが飯盛山のコルだろう。

 次に西光寺に向かう。明治記念碑の鏡がどの方向を向いているか、西光寺阿弥陀堂がどの方向を向いているか調べるためだ。

 まず通い慣れた道を明治記念館に向かう。磁石は軍隊用のコンパスグラスを借りてきた、詳しい方向を測るためだ。結果、鏡は南南東150度の方向を向いていることがわかった。未だ地図にプロットしていないので鏡がどこを指しているのかわからないのだけれど、愛宕山でも御所でも老の坂でもない、もう少し南の方向のようである。塔の中段からの視界は育った植林に遮られ、鏡の方向だが一部のみ窓のように開いている。集落が見えているが一体それが何処なのかわからない。
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木の間からでは何処が見えているのかわからない。

 いずれにしても明治記念碑の鏡が
角度を意識して建てられたという気はしないのである。
 また西光寺阿弥陀堂も東南135度の方向で、日置を意識した方角ではないようだ。阿弥陀堂からの視界も樹木で遮られており、庫裡の辺りまで下りてこないと見えない。そこで見えるのはミルク工場の建物と筏森の南端付近の山である。つまり阿弥陀堂の向きそのままの景色である。
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庫裡の辺りまで下りてくると視界が開ける。右手の白いのがミルク工場、山稜は筏森山の山稜。

結局明治記念碑、西光寺阿弥陀堂とも日置に対面はしていないということがわかった。このことは少し残念だが、予想していたことでもあり、次に日置と西光寺を結ぶライン上にある筏森の山塊に向かう。つづく

【今日のじょん】最近何処にも連れてってないので、ホノホノさんとイルマンさんに行くことにする。そういえば昨晩福知山の花火会場で悲惨な事故があり、現場の様子なども見られるだろう。音無瀬橋など車の通行は普段通りだったが、堤防付近にはパラボナアンテナを搭載した報道車が勢揃いで、現場は警察や消防の検証中で夕べの事故そのままの状態で残されていた。プレートタムラでお好み焼きを食べて、イルマンさんに行く。噂どおりの大きなペットショップでグッズも豊富でもっと早く来れば良かった。看板犬の光秀くんとじょんによく似たハナちゃんが居て楽しい。
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光秀がこーやって迎えてくれる。
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ハナコさん、ちょっと似てるでしょ。

コメント
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