晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(16) 8/30 

2013-08-31 | 上林地名考

2013.8.30(金)曇り、雨 暗中模索-1

 日置という地名は、地形地名ではないようだ。なんでも地形、しかも崩壊地形にしてしまう楠原佑介編古代地名語源辞典でさえも、品部である日置部に由来する地名かとある。
 上林には日置、弓削、草壁(日下部)のように部民に由来するだろう地名がある。ところが一体どのような人物が何をしていたのかというと、何もわからない。大体部民制って何なのかよくわかっていない自分に気づく。まずそこから学んでいかなければ始まらないなと感じている。
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氏は日下(くさか)という姓も日置に関わりありと言っておられる。(?)
草壁は一番向こうに見える集落。


日置については日置部、日置氏に所以のある地だとは考えられるが、では実際にその地で何が行われていたか、人々はどうして暮らしていたかなどとなると明確に答えられる人は誰も居ないと思う。
 日置部の職能はなにかというと、これまた諸説があるわけだが、暦法、卜占とする説が一般的なようで、そのための天体観測、測量といった具体的な作業が予想される。
 上林の日置を解明しようと思ったら、ここで天体観測などが行われていただろう証拠を探し出さなければならない。しかしこれは相当どころか絶対に不可能なことである。観測や測量などという行為は物を残さない、遺物が発見できるという正確のものではないのだ。当然証拠と言っても情況証拠になるわけだ。
 岩田朱美女史が飯盛山は測量の基準点だという説を掲げて全国を回っておられる。しかし飯盛山を基点に何千という二等辺三角形を描かれてもその証拠にはならない。その三角形、あるいはその三角形が作る円を使って、日本地図を作られて初めて直接ではないけれど証拠が現れたと言うことだろう。女史に問うと、「作ります、ライフワークです」とおっしゃっていた。なんと胸躍る人生だろう。
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八木町日置から飯盛山を望む。春分秋分の落陽はこの山に沈む。

  日置で太陽観測をして暦を作り上げたら一つの情況証拠になるかも知れない。日置の解明こそがライフワークだというならそれもできよう。しかしそんな情況ではないし、今それをやってみようという気は無い。
 とにかく暗中模索の状態なのだが、とりあえず近隣5ヶ所の日置を巡って、その共通点を洗い出そうとしている。
 毎日地図と地名事典を眺めていると、一つの共通点が出てきた。つづく

【作業日誌 8/30】
薪拾い
山内に伐採された雑木があるというので了解を得ていただくこととなった。薪といっても大きいのは50cm近いのもあって大変だ。休みの日だけの作業で10月いっぱいぐらいはかかりそうだ。
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コメント
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