晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大往生 7/15

2022-07-15 | 雨読

2022.7.15(金)雨

「大往生」永六輔著 岩波新書 古書
 
 店の書棚(丹州行ってき文庫)を整理していると、本書が出て来た。見ると古書のようだが、いつどうして購入したか記憶に無い。新聞の書評かなんかで紹介されていて、買ったものらしい。読んでみると実に面白い、一気に読んでしまった。庶民の言葉で生老病死の四苦を笑い飛ばそうという趣旨かと思いきやそれだけでは無さそうだ。
 気に入ったフレーズを一部紹介。 
「歳をとったら女房の悪口を言っちゃいけません。ひたすら感謝する、これは愛情じゃありません、生きる知恵です」
「老人を預けに来た家族が週休二日制でさ、その老人を世話している俺たちが、なんで休みがとれないんだよ!他人に親を押しつけやがって、面会に来て孝行面をするんじゃねエよ」(ママ)
これはわたしが実際に聞いた言葉「えっ母の日だって、今日働いてるのはみんな母親だよ」
 「癌の確立は四人に一人とかいいますけどね。当人にとって見ればゼロか百なんですよね。」(ママ)
 「医者は危ない手術はしません。下手をして訴えられたりするよりは、様子を見ましょうといってる方が楽ですからね」
 「寝ているところを起こして、時間ですからって睡眠剤を飲ませるんだぞ。凄い病院だろう」
 「お釈迦様は安らかに大往生ですよね。大勢の弟子や、動物にも囲まれて、、、。釈迦涅槃図って、あの絵はおだやかでいい絵です。あんな死に方、いいなと思います。比べちゃいけませんけどね、キリストの死に方は痛そうでねエ」
「集中治療室のデータをコンピューター処理したら、異常なしという結果が出たんだけど、その時、すでに患者は死んでいました。その場合、生きているのが異常だったというんですけどね」
 「当人が死んじゃったということに気がついてないのが、大往生だろうね」
 「ご主人が亡くなって、未亡人がそこにいるのに、お参りに来て、未亡人より泣く、女っていうのがいるのよね。アレ、とても失礼だと思う。私だったら怒っちゃうわ」
とまあキリが無いのだが、これだけ見たら読んでみたいと言う気になるだろう。だが先に述べたように本書の目的は生老病死にまつわる庶民の声を集めただけではない。本書の一番始めに「この本は、亡き父、永忠順に捧げる」とある。浄土真宗の寺に生まれ育って坊主になりそこなった私は、それなりに「死」を身近に考えてはきた。という永氏が父親を看取り、周囲の親友を亡くして、「私なりに死をまとめてみよう」というのが本書の意図である。修証義(道元)の「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」わたしの最も大切にしている一文なのだが、まさに永氏なりの明らめ方が本書にうかがえる。若い時分には決して見つけられなかっただろう生死に対する思いが、この歳になって気づく一冊である。合掌。

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雨読 若返り革命 1/9

2022-01-09 | 雨読

2022.1.9(日)晴れ

「常識がくつがえる 若返り革命」
了徳寺健二著 株式会社アスコム 2021年9月発行

もう一冊の「直立歩行」もタイトルは魅力的だが、読みにくい本で読了できなかった。
 タイトルに絆されて図書館にリクエストしたら、揃えて下さった。ところがどうも中身がしっくりこないので申し訳ない気がしている。
 ストレスフリー器という温熱の器具を使い、老眼、緑内障、シミ、白髪、前立腺、高血圧、冷え性、静脈瘤などなど老化にともなう病気や症状が治るというものだが、難病パーキンソン病まで治るそうだ。著者が「信じられないかもしれませんが、これは実際に起きている事実です。」と言っておられる。そのとおり、わたしには信じられない。ただ、患者さんの中には治った人があることは事実だと思っている。サプリメントのコマーシャルのように、「治った、良くなった、、、」という例が並んでおり、もちろん治らなかった、悪くなったと言うような話は一切出てこない、当然のことだけど。
 ストレスフリー療法とは左足裏F点、左足の三里、右N点、左P点に48℃未満の温熱刺激を与えると言うもので、それによって血中のストレスホルモン(コルチゾール)が減少し、血流が2~4倍増幅し、成長ホルモンの分泌亢進がなされると言うものだ。これ等が本当に誰にでも起きれば、あらゆる病気が良くなることは理解できる。鍼灸で耳のツボを刺激するだけで、カイロプラテックで首をポキンといわすだけで歩けないほど弱っていた人が即座に回復することを聞かされた。わたしもやってみたがなにひとつ効かなかった。そういうことなのだろう。ツボにはまった人だけが、治るわけだ。
 N点という治療点には興味がある。常々「笑い」の効用については書いてきたが、「作り笑いでもいい、、、」というところに笑顔のどこかに物理的な効果があるのではないかと考えていた。笑顔を作って顔のどこが緊張しているかを考えたとき、実にこのN点なのだ。著者は成長ホルモン分泌亢進のツボと言っておられる。成長ホルモンは免疫力とも大きく関係している。N点を刺激することと笑顔を作ることは実は同じ事なのではないかと思っている。

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70歳が老化の分かれ道 10/27

2021-10-27 | 雨読

2021.10.27(水) 曇り

 70歳が老化の分かれ道 和田秀樹著 詩想社新書2021年6月発行
 
 新聞書評で見つけたこの本を綾部市図書館が用意して下さった。借りてみると何と予約希望者が2名おられる。わたくし同様70歳になったひとには気になるタイトルなのだろう。老後や健康について考えたことの無い人には大変ためになる内容だが、学習されている方にはありきたりの内容で物足りないと思う。ただ老人を専門とした精神科医の論だけにドクターとは違った見方のものがある。
 「脳の老化を防ぐのは生活の中の変化」「インプットからアウトプットに行動を変える効果」「70代になったら人づき合いを見直そう」「定年後の喪失感をどう克服するか」「介護を生きがいにしない」など魅力的なタイトルが並んでいる。また老人性のうつについてもその対処法が詳しく述べられており、参考になる。
 和田先生は近藤誠先生の信奉者らしく、わたしの場合と断っているが70歳になったらがんの手術はしないと言っておられるが、これは賛同しかねる。がんの種類や部位によっては手術や治療を施せば放っておくよりも長生きできることもあろうかと考えるからだ。健康診断についても近藤先生と同様に無意味だと切り捨てておられるが、検査の数値に一喜一憂し投薬、治療されている御仁ならいざ知らず、自分の身体の数値を知り健康に活かすのであれば、健康診断も有効な手段だと考える。早期のがんが見つかり、手術して治癒した例もある。もし先生の言うように、健康診断も受けず、見つかったがんも手術しなかったら、今頃亡くなっておられるかもしれない。  
 「いま飲んでいる薬を見直してみよう」という項で安易な薬の投与に警鐘を鳴らしておられるが、自らの現場ではうつの治療に抗うつ剤や男性ホルモンを使用されている様子が窺われ(安易ではなさそうだ、、)少し矛盾を感じる。最終章で「歳をとってやさしくなることが、幸せへの近道」として、他者のためにやさしくするということを述べておられる。きれい事と言ってしまえばそれまでだが、老人の幸せとはそんなところにあるのかも知れない。おわり

 【今日の”のびちゃん”】NO. 58 鍋犬のび
 かみさんが「入ってくれるかな~」と心配していたが、即刻鍋犬になって朝まで寝ていた。


 

 

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ヒトはなぜ病み、老いるのか-2 9/9

2021-09-09 | 雨読

2021.9.9(木)曇り
 本書の中にも疑問に感じる部分がいくつかある。例えば、「ヒトの通年生殖がガンを産んだ」(第1章ー病気と進化)男子が一回に射精する精子が2億匹といわれ、おびただしい細胞分裂がなされる。分裂のたびにいくつかの異常がおきてそれがガン発生の原因というのは定説だが、それだとガンは男性に圧倒的ということとなる。卵子の場合はそう分裂回数は多くないだろうからだ。氏はその証拠としてチンパンジーとヒトの遺伝子の違いを出しておられる。ヒトとチンパンジーとでもっとも違っている遺伝子を50個とりあげて比べたら、50個のうち11個の遺伝子が精子を作り出す遺伝子だったという。発情期のあるチンパンジーと通年生殖のヒトの違いがこういうことになるのだろうが、そのことがガンが多くなったことの証拠となるのだろうか。ヒトも年一回の発情期だけにセックスしていればガンは少なかったかもしれないが、地球上の王者として君臨することはなかっただろうし、とっくに絶滅していたかもしれない。

老化、病気、遺伝子、死、進化に関する本。他に図書館で借りた本、雑誌やパンフレット、新聞記事など読むがなかなか理解納得出来ない。「生を明らめ死を明らむるは、」むずかしい。
 遺伝子については遺伝情報の乗っていないイントロンについて、「いわば意味の無い配列で、ゲノムDNAにはこのように要らない配列がはさまっているが、なぜこんなことになっているのかはよくわかっていない」と書かれている。これはジャンクとまでいわれたいわゆる非コード領域DNAのことと理解しているのだが、近年多くの発見がなされ、要らないどころか大変重要な役割を果たしていることがわかってきている。新しい本なのに(2017年刊)変だなあと思っていたら、続いて遺伝子発現の時期と量を決めていることと(一体何のことか解らないのだが、、)mRNAがたんぱく質を造る際に多様な蛋白を造ることに働いているという事が書かれている。共によくわからない事なのだが、この非コード領域DNAは多様性と変異の有用性という意味において、進化に多大の貢献をしていると考えるのである。我々はこの無意味と言われたゲノムDNAのおかげで人類として存在し、絶滅することなく今日を迎えているのだろう。
 さて話が横にそれたが、老化とは何かというところでテロメア、酸化、変異蓄積、サーチュイン遺伝子、早期老化遺伝子様々な要素を説明されている。どれももっともらしい説で、あらゆる薬品やサプリメントが出現しているのだが、完全に納得出来るものは無い様だ。氏はほとんど全ての著者たち同様、老化は避けて通れないものとされている。
 では老化と寿命の関係はどうなのだろう。ヒトの寿命の要因としてテロメア、酸化、免疫、サーチュイン、分子修復、再生、性格(心理的因)を挙げておられる。

 桶の側板がそれらの要素であり、その長さがヒトの極限寿命120歳とすれば、桶に水を入れたときに短い側板が一つでもあればそこまでで水は漏れてしまう、それが寿命だという説明はわかりやすい。これはよくビタミンや栄養のあり方などに使われる手法だ。では老化との関係はというと、これらの要因全てが(性格は?だが)老化と関係しているので老化の先に死があるという従来の考え方に合致している。
 これらの従来の考え方に真っ向から反している説がある。「LIFE SPAN」(2021.1.27参照)である。実は今3度目の読書中である。なかなか理解しにくいのだが、少しは解ってきた様だ。おわり

【今日の”のびちゃん”】NO. 57
暑いのとコロナでどこも連れて行けなかったのだが、府内ならいいかと10日に天橋立に連れて行く。凄く喜んでお出かけは嬉しいみたいだ。
 

橋立と成相山の展望台。
 

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ヒトはなぜ病み老いるのか 9/5

2021-09-05 | 雨読

2021.9.5(日)晴れ

 Sさんが、「農協の役員を降りたら血糖値が正常になった」とおっしゃっていた。かみさんが、「ストレスが無くなったからですね」と応えていた。これは当を得ていると思ったが、ストレスが無くなるとどうして血糖値が下がるのだろうか。
 その答えは本書に全て書かれている。
「ヒトはなぜ病み老いるのか」若原正己著 新日本出版社2017年初版

左の本は次回紹介
 著者の若原氏は理学博士で専門は両生類の実験発生学とある。医者でないところがミソで、われわれ素人には病気や老化といった複雑な問題が実に素直に理解できる様に書かれている。特に老化、寿命に関しては自分の説を持った医者の書いた本をあれこれ読むと、一体本当のことは何なんだと疑心暗鬼に陥ってしまう。そこのところを高所対処にたって、わかりやすく書いてもらえると大変理解しやすい。病気、老化、寿命に関する関する書物をいやと言うほど読んできたが、特に老化に関しては様々な説があって、訳が分からなくなっていた。本書ではそれらの説に異を唱えるのではなく、見事にまとめておられる。おそらく数多くの書籍や論文を読んで、自分なりに考えられた結果ではないかと思うのである。病気や治療法については具体的に書かれているのでわかりやすく納得がいく。
 例えば上記血糖値の問題について、そもそも人間は血糖値を上げる様に進化してきたと説く。ヒトはその発生から200万年もの間常に飢えてきたし、今日においても飽食の時代などと言っているのは一部であることだ。人間の身体は血糖値を上げることに躍起になっており、血糖値を下げることは必要がないという風になっているのだ。血糖値を上げる方法は、グルカゴン、アドレナリン、糖質コルチコイド、成長ホルモン、チロキシンなどのホルモンが膵臓や甲状腺など各器官から分泌されるが、血糖値を下げるのは膵臓のインスリンただ一つと言うことだ。Sさんの場合、役員遂行の精神的肉体的ストレスで、交感神経優位になり血糖値や血圧をあげて戦闘態勢となったのだろう。そしてそのストレスが無くなったとき、副交感神経とのバランスがとれインスリンが分泌されたのだろう。つづく

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雨読 いま子供たちの足の裏が危ない 8/12

2021-08-12 | 雨読

2021.8.12(木)雨
 新聞の半面広告でよく見かける足の筋トレマシーンの広告に登場する先生の本で他に「足力」という本を書いておられるのだが府内の図書館に無く、古書でも高価なので本書を読むことにする。対象が子供でも大人でも言わんとすることは同じだろう。
 「いま子供たちの足の裏が危ない」阿久根英昭著 主婦の友社 府立図書館借本

 足裏を鍛えて土踏まずの形成をはかることが、健康によいという趣旨で極常識的な話であるが、実はこれらのことが世の人びとも、小さなお子さんを持つ親御さんも解っていないと言うことかもしれない。
 足裏を鍛えるには裸足で過ごすことが唯一無二の方法なんだが、一般にはなかなか難しい。ところが子供であると幼稚園や保育園では可能である。その方法と効果が詳しく書かれている。
 足裏を鍛える効果を目次で追ってみると
.運動能力が向上する
.平衡能力が向上する
.骨折、ねんざを予防する
.成人病を予防する
.姿勢がよくなり性格も明るくなった
.こころが健全になる
.脳の働きが向上する
.血液の流れがよくなる
.自律神経の調整をする
.子供の自主性が養われる
.ぜんそく、腎臓病が治った
.集中力が高まり、情緒安定、勉強にも効果
とまあ、いいことずくめなんだが、詳しい観察記録や研究者のデータなどで示され納得がいく。
子供たちについては遊び方や暮らし方で実行できるもので、その方法が具体的に書かれている。特にヘルスローラーを使った体操が写真入りで紹介してあり、実践している幼稚園の報告がある。大変効果的な物と思うが、ネットで調べても同様の商品が見つからない。自作も出来そうだが、ちょっと面倒そう。
 こういう使い方をする、青竹踏みの丸いようなもの。
 足に関する本によく登場するのが陸上短距離やラグビーの選手は扁平足でアーチの低下が多いという話題だ。本書にも登場し、扁平足は走るときの一歩一歩の衝撃が強烈なため、足裏の土踏まずのアーチがくずれたことことと、足底筋の発達によって足が変形してしまったせいであろう、と書かれている。扁平足、アーチのくずれを問題にしながら、一流選手のそれらを認めるという矛盾に疑問を感じていたのだが、先日NHKスペシャルの放送でウサイン・ボルトの足を分析したものがあった。見た目には見事な扁平足だったのだが、それは足底の筋肉の強烈な発達で、内部の骨は見事なアーチを形成しているのだ。実は予告編で見たもので、実際の放送はその部分を見過ごしたのだが、いずれアイカーブスで確認したい。
これで納得したわけだが、これまでの先生方は選手のレントゲン写真を撮られなかったのだろうか。足プリントだけで判断されたのだろうか、という疑問がわいてくる。足プリントだけで判断する愚は「人の足」水野祥太郎著で80年以上前に提唱されているところである。
 素足、裸足で過ごす。草履下駄履きのすすめ。傾斜、凸凹のところを歩く。青竹踏みなど先生の薦められている健康法がわたしの寿命延(じょんのび)ウオーキングと同様であることが嬉しい。
 足裏を鍛えることが脳の働きを高める、自律神経の働きを調整する、知能指数があがる、集中力が養われ情緒も安定するというような身体のみならず精神的な心の問題にも効果があることが言われているが、先生の宣伝推奨されるEMS(筋電気刺激)の器具で得られるものかどうか甚だ疑問である。
 

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雨読 80歳、歩いて日本縦断 8/6

2021-08-06 | 雨読

2021.8.6(金)曇り

 長い間ブログを休み、ご心配をかけた。決して健康を害していたわけではなく、考えるところがあってのことでお許し願いたい。少しずつ再開したいと思うのでまたおつきあい願いたい。
 「80歳、歩いて日本縦断」 石川文洋著 新日本出版社 2021.2.25初版 綾部市図書館借本

 京都新聞の書評でこの本を見つけ、すぐに読みたいと思ったが、2、500円の定価はちょっとつらい。市の図書館にリクエストしたら、在庫はなかったが買っていただいた様だ。70歳になって今後の人生の目標を考えたとき、80歳になったら日本一周の歩き旅に出ようという思いがあった。そんな時に本書を見つけたわけだから、何が何でも読んでみたかった。北海道の宗谷岬から沖縄の那覇まで2018年7月9日から2019年6月8日までの11ヶ月の歩き旅の記録だ。石川文洋氏は報道カメラマンで、ベトナム戦争をはじめとする戦場カメラマンとしても著名である。ところが65歳の時に日本縦断歩き旅をなされておられ、四国八十八ヶ所遍路などもなされている。いずれも岩波新書などで発行されているのでいずれ読んでみたい。
 さて80歳の歩き旅とは如何なるものかと読み進めたが、有名人でもあり多くのサポートがあることに気づいた。車で迎えに来てもらったり、宿を取ってもらったり、うらやましい反面がっかりしたりしたが、氏が2006年に心筋梗塞を患い、身体障害者手帳をもっておられることを知り、納得するとともに敬意を持つに至った。
 北海道から沖縄まで2006~2007年のわたしの自転車旅と重なる地域がいくつかありとても懐かしく感慨深いものがある。名所旧跡やミュージアムなども同様で、焼津の歴史民俗資料館の第五福龍丸や小倉の松本清張記念館など写真もあって嬉しい。氏の歩き旅が素晴らしいのは反戦と弱い者の立場に立つというポリシーに貫かれていることだ。従って訪問先も各地の米軍基地や地震や津波、水害の被災地が多く、その都度自らの主張を述べておられる。観光地を巡り、美味しいものを食べるだけの旅行記でなくて値打ちがある。そういえばわたしの自転車旅のあと大災害が起きたようだ。わたしの時は、東北の海岸沿いも熊本の街並みも倉敷の周辺も実に穏やかだった。辺野古の海だって、きれいな珊瑚礁が見えていた。(辺野古は天災ではないが、、、)(2007.2.26参照)唯一災害の痕といえば2004年の新潟中越地震の傷跡を小千谷周辺でみつけたぐらいである。(2006.8.26参照)わたしが通過したとき、山古志村からの道路が完全に開通したと聞いた。
 天災とは言っても苦しむのはその地の被災者であって、氏はカメラとペンで被災者の声を表現しておられる。歩き旅に無縁の人も是非読んで頂きたい一冊だ。
  

【今日の”のびちゃん”】NO. 56
 オープンしていた福井県の海水浴場がコロナ対策のためクローズとなってしまった。写真は6月25日の和田浜で、オープンに向けて清掃など準備をしておられた頃で、コロナもこんなにひどくなるとは思ってなかった。


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笑いの免疫学 3/13

2021-03-13 | 雨読

2021.3.13(土)雨
 本書は2006年の初版であり、大阪国際がんセンターの実証実験についても記載があった様に思うので2018年の新聞記事以前にもこのような実験は行われていたのだろう。多くのドクターによる実証実験も紹介されており、笑いのメカニズムについても書かれている。今後はあらゆる病気の治療に笑いが使われてくることだろう。そして嬉しいことに、笑いは作り笑いでも同じ効果があると言うことだ。嬉しいことがあると笑いは出てくるが日常生活ではそういつもいつも嬉しいことはない。落語や漫才を聞く機会もそうあるものではない。やはり常は作り笑いが主流となる。そういう意味では歩いていても誰にも会わない田舎は都合がいい。何もないのに笑っているのを他人が見たらちょっと気持ちが悪いだろう。家庭や職場では笑顔でよい、これはむしろ喜ばれることになり好結果となる。
 笑いの効果は免疫力を上げることだけでなく、鎮痛効果、ストレス軽減効果など健康に対する効果があり、今後病気の治療や健康維持に活かされ、研究も進むことだろう。
 わたしはウオーキング中だけでなく、朝起きたら鏡の前で声を出さずに思い切り笑うことにしている。そして舌の体操、顔のマッサージをしている。そしてウオーキング中、一人で運転中は大声で笑っている。はっはっはと笑うことが、一番酸素を取り込めるそうだ。そしてイライラしたとき、怒りがこみ上げてきたとき笑うとこれが見事におさまるから不思議だ。周囲に人が居るときは口と頬で笑顔を作るだけで充分である。アンガーマネージメントは様々な方法があり、本なども沢山でているが、ちょっと笑顔を作るだけで怒りもイライラもおさまるのでお勧めである。
 数年前高校野球の京都予選で無名の高校がベストエイトかベストフォーまで勝ち進んだことがある。ナインがみんなニコニコ笑っているのである。特にピッチャーはどんな苦境に立ってもニコニコ笑っているのである。観ている側も気味悪い感じがするのだから、相手の選手たちにとっては不気味だろうなあと思っていた。最後には負けてしまったがその時監督は「私ども弱小チームではメンタルトレーナーを雇う資金もなく、代わりに選手たちに笑顔でプレーするよう指導しました」とおっしゃっていた。笑顔でメンタル的に強くなってそこまで勝ち進んだのである。今笑顔をスポーツに取り入れている例は数多くある。ゴルフの渋野選手など典型である。
 笑い、笑顔は誰でも出来る、お金のかからない恰好の健康法である。
 コロナ禍でストレスが多い今日、笑いと笑顔で乗り切ろうという記事を見つけた。日本笑い学会の鳶野さんと健康笑い塾の中井さんの新聞記事である。(2020.6.14 京都新聞)わたしのやってる笑顔体操も載っている。アップにして参考にして。
 
【今日の”のびちゃん”】NO. 55
 2月26日のおおい町に行ったきり出かけていない、のびもストレス溜まっているかな?

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笑いの免疫学 3/6

2021-03-06 | 雨読

2021.3.6(土)雨
 「笑いの免疫学」船瀬俊介著 花伝社2006年初版 借本


 慢性腰痛をなんとかして治したいと思って、病院、鍼灸院を巡り、あらゆる本やテレビ番組をあさっていたとき、タイムリーに「脳で治す」「こころで治す」といった治療法が世に出てきた。認知行動療法というものなんだが、30年来の腰痛が実に見事に完治しもう5年になろうとしている。東大の松平先生や福島県立医科大の紺野先生、信州大の谷川先生などがこの分野で活躍されているのだが、誰だったろうかテレビ番組で「慢性腰痛にはため息と作り笑いが効果的」とおっしゃっていた。意外な発言で驚いたが、ため息は酸素をしっかり取り込むため、作り笑いは鎮痛効果のあるセロトニンを分泌するためと納得し実践してみる。ため息は自分のためにはよくても周囲には悪い影響を及ぼす、深呼吸や腹式呼吸なら効果は同様と考え、丹田呼吸法を実践することにする。
 痛みというのは腰痛に限らず身体の異常を知らせる重要なシグナルである。ところがどんな微細な痛みも情報として脳に送られるものだから、脳で整理されるのだがこの機能がうまく作動しないとなんでも痛みとして感じてしまうというものだ。作り笑いがこの機能に効果があると聴いてウオーキングと作り笑いをドッキングさせる。じょんのびウォーキングのモットーを「笑外(生涯)歩く」としたのもそのためである。歩きながら自分の身体に集中するといろんな痛みがあることに気づく。そこで作り笑いをして歩くとやがて痛みは消えてしまう。ところがいつまでたっても消えない痛みもある、これは対処しなければいけない痛みである。歯の痛み、肩の痛みで実際に体験した。笑いは不要な痛みを解消してくれるのだ。笑いは脳やこころが原因の腰痛を完治させる事が出来るのだ。
 そのほかに、怒りを静める、緊張を解く、人間関係をよくする、肉体的な苦痛を取り除くなどの効果を実体験した。トレーニングをしていて苦しくなったら誰もがしかめっ面になる、ところがそこで笑顔にすると随分と楽になるのだ。これはいつでも誰でもすぐに体験できる。
 2018.5.31讀賣新聞に「お笑いがんに効果あり?」という小さな記事が掲載された。大阪国際がんセンターががん患者に落語や漫才を鑑賞させて免疫のNK細胞がどう変化するかという実証実験である。そしてその検証結果の一部が6.29讀賣新聞に掲載された。落語などを鑑賞した患者のNK細胞を活性化させるたんぱく質を造る能力が、鑑賞しなかった患者の1.3倍上がったということである。笑いに免疫力を高める効果があるということが実証されたわけだが、こういった笑いの効果を書いているのが本書である。
 つづく

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がん-4000年の歴史(上下) 8/11

2020-08-11 | 雨読

2020.8.11(火)快晴
がん-4000年の歴史-(上) シッダールタ・ムカジー著
 早川書房2016年6月発行 八幡市立図書館借本
 2013年「病の皇帝「がん」に挑む 人類4000年の苦闘」を解題し、文庫本として発行されたものである。ピュリッツアー賞などを受賞している。この本を読むきっかけは、愛読している「ひと・健康・未来」という冊子の中に「(できるだけ)がんにならない暮らし がんは運である?」(仲野徹)という記事があり、「養生訓」、「死すべき定め」と本書が紹介されていたためである。筆者の仲野氏は阪大大学院の病理学教授だが、本書下巻に解説として「大いなる未完」と題して執筆されている。

「ひと・健康・未来」は年に数回発行されるが、シンポジウムとともに楽しみにしている。
 若いとき、がんなんてどこか別世界のことと思っていた。周囲にがん患者なんて居なかったし、がんで亡くなる人も居なかった。ただがんとは不治の病で、罹患したらお終いという恐怖感は持ち合わせていた。それが60才を超えたらどうだ、周囲にはがんがあふれ、あっけなく亡くなる人も出てきた。これは何なんだ、情報も治療法も格段に向上しているはずなのに、死者は増え続け、遂に死亡原因のトップに躍り出た。がんが二人に一人といわれる70才を目前にして、もしがんになったらどうするか、その時になって変更してもいいから決めておくべきと考えた。そのためにはがんのなんたるかしっかり見極めることが必要だ。この本を読み始めた理由はこういうところにもある。
 紀元前2500年のパピルス写本に「乳房の隆起するしこり」に関する記述があると言う。エジプト人医師イムホテプの教えを書き写したものだそうだが、この症例に対しては「治療法なし」というのが衝撃的だ。もっとも他の症例についてもいかがわしいものばかりなのだが、兎に角治療法が書いてあるのだ。 2000年前のエジプトのミイラから骨盤に浸潤した腫瘍が見つかっている。また200万年前の顎の骨にリンパ腫の痕跡があると言うことも書かれている。がんは最古の病気ということも言えそうだが、腫瘍というのが痕跡として残りやすいということかもしれない。古代から中世におけるがんの治療というのがいかに悲惨であるかは想像に難くないが、それはインチキというものではなく非科学的と言うべきで、当然なことである。四体液説の黒胆汁ががんの原因だというのも長く信じられていた。ただこの時代のがん患者というのは極希であったと思われる。それはがんが老化に関係した病気だということであり、寿命が40,50の頃にはがんができるまでに死亡しているという訳だ。

上下巻で800ページを超える大作だが、興味深く読み進められる。
 上巻では古代から中世のがんの様子も書かれているが主に一九世紀二〇世紀の治療の様子が書かれている。原因もわからず、確たる治療法もない中で患者は増え続け、医者たちは試行錯誤するのだがそれは戦争と呼ぶに等しい状況であった。最も古い治療法はやはり切って捨てるという手術療法だろう。特に乳がんに対しては古くから行われており、日本でも華岡青洲の手術など有名である。乳房切除してもその周辺から再発を繰り返すため小胸筋から大胸筋まで切除する「根治的乳房切除術」が行われる。それでも再発があり鎖骨、
リンパ節にまでおよび、体の形が変わってしまうまで切除するのだが、それでも完治しないことがあるのだ。次に現れるのが化学療法で、最初の化学薬品は染料から始まった。もちろん抗微生物剤として登場したのだが、最終の目的としてがんに使用され始めた。白血病に対して葉酸を投与したら白血病が進行してしまった、それならばと葉酸拮抗薬を投与すると白血病が寛解し始めた。やがては再発するのだが、このようにありとあらゆる化学薬品を試験的に投与する状況が続いた。あるものは寛解を促したがまるっきり効かないものもあった。寛解となったものもやがては再発し、完全に治癒することはなかった。化学療法も手術と同様に超大量化学療法となるのであるが、常に副作用との戦いに明け暮れることとなる。つづく

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般若心経二冊-7 7/25

2020-07-25 | 雨読

2020.7.25(土)曇り

 般若心経の目的は空になることだと思うのだが、空になることとは如何なる事か、「般若心経のこころ」に次の文章がある。

「自我は空だ」ということを、みなさん自身で自覚体験してほしいと思う。そこで、私(秋月龍珉氏)は私の本師山田無文老師の体験談を次に紹介して、解説に代えたいと思う。老師は、青年時代に結核になって、医者に見放されて自宅で療養していた。ある朝、縁側で涼しい風に吹かれた。そのときに、「風とは何だったのかなあ」と考えた。「そうだ、風は空気だ」と思った。そのとき、自分は十何年かずっと忘れていたけれども、空気というものがあって、私を生かしてくれていた、ということに気づいた。自分はこれまで自分で生きてきたと思ってきたけれども、私は「生かされ生きて」いたのだということに気づいた。「生きよ、生きよ」と私を生かしてくれている天地の生命があった。私は結核なんかで死なないぞと思ったとたん、元気が湧いてきて、それがきっかけで病気を克服した。
 話は続くのだが、これが「色即是空」ということのようだ。しかし氏はその前に、「般若波羅蜜多」を行じてみなければ「空」の悟りは開けてこない、とおっしゃっているのだ。「般若波羅蜜多」の行とはずばり「座禅」つまり「禅定」である。山田無文老師は療養中に縁側で涼しい風に吹かれておられて、「空」を悟られた。その時座禅をしておられたとは書いてない。などとひねくれた思いをしていたら、「南禅寺の管長に田中寛洲氏が、、、」という新聞記事が眼に入った。

京都新聞(2020.7.7)
 自身が最も深い禅定に入った時のことは今も鮮明に今も鮮明に覚えている。40歳を少し過ぎた頃、岡山の寺で四六時中「無、無」と一心に励んでいたと一心に励んでいた。風邪をひいて咳が止まらない状態でも心は非常に安定して座り続けていたら、ある時「咳をしている自分がない」ことに気付いた。「自己を空じたすがすがしさは、その体験のある人でないと分からない」
 なるほどこの場合は禅定によって空の悟りを体験されたと言うことだ。ただ前者の場合も「座禅こそが私達に真に「無我」の実践的体得を可能にする近道だからである。」とある。近道であって決して座禅でなくてもいいというものらしい。田中氏は続けて、「だが、その境地は常人が至ることのできないものでは決して無いという。雑念なしに目の前のことに一心不乱になることが大切」と説いておられる。
 わたしが、禅を組んでもその時は無になって清々しく感じても、禅が終わって家や社会に帰れば元の木阿弥になると書いてきたが、そうではなくて日々の生活の一齣一齣を一心不乱に大切に生きることが空の悟りに近づくことではないかと思えるのである。おわり

【今日の”のびちゃん”】NO. 35
 三年寝た子で感情表現の少ないのびをなんとか喜ばせてあげようと、おおいの芝生広場に連れて行く。上林では仲間のいない環境だが、芝生広場ならいっぱいワンコが来ているはずだ。当日はいなかったが予想通り匂いプンプンでおおはしゃぎ!

 昼は先週見つけたレストランRondoに行ったんだけど、初めてのところでも怖じけることもなく随分よい子で大正解。17日オープンのこの店で、ワンコ来店はのびが第一号だって、また連れてってやろーぜ。

建物の中でも食事のテーブルの下でもよいこちゃんでした。


 

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般若心経二冊-6

2020-07-22 | 雨読

2020.7.22(水)晴れ
 宗教とは生きている人のためにあるものであって、苦しみを和らげ心の安らぎをもたらすものであるというわたしの思いに段々近づいてきた。例えば健康や長寿などについて考えるとき、運動や食べ物ばかりを考えがちだが、心の平安ということが大きく影響することが言われはじめた。特にストレス軽減法としてのマインドフルネスが企業や学校で取り入れられるようになってきた。非宗教的な瞑想と言われているが、元々は仏教あるいは禅であるようだ。
 禅の簡易版のようなもので、椅子などに座って目をつぶり、余計なことを考えないで今ある自分、例えば呼吸に意識を集中するというもので、数分で良いというのだからこれでストレスが軽減されれば素晴らしいことだ。かみさんに教えると早速実践してかなりなるが効果の程は定かでない。わたしは座ってやるのはやっていないが、歩いて呼吸に集中する方法を実践している。最近は特に般若心経を唱えながら歩いているので、そのことだけに集中できる。これは確かにすがすがしさをおぼえて効果がある。ところが本編2(6.14)でも書いたように、効果はその時だけで日常に戻ると苦しみやイライラが蘇ってくるのである。
 昨年2月にマインドフルネスに関するシンポジウムが京都で行われ、参加したのだが(2019.2.16参照)その時はあまり深い考えもなく、内容についてもさほど興味深いものでもなかった。特に曹洞宗国際センター所長の藤田一照氏については、変に横文字なんぞ使って、面白くもない公演だなあと思っていた。(失礼)ところが今仏教や般若心経、心の平安について考え始めて、改めて講演内容をその後発行された冊子でみると、禅の立場から実に適格な生きる指針を語っておられるかがわかった。

ひと・健康・未来のシンポジウムは後日冊子で発行される。
 Doing mindfulnessではなくてBeing mindfulであれというのがそのひとつである。つまり「さあやるぞと思わないとマインドフルになれないようなレベルだと、いざというときに何の役にも立たない」「日常当たり前に行われている行為の一つ一つが、マインドフルネスというクオリティで行われているということが大事になってくるのです。」ということなのだ。
Being mindfulで生活するにはどうするかということなんだが、それこそが禅の教えである。禅の生活を少しでもやってみた方は御存じだと思うが、座禅はもちろん寝起きから掃除、食事、入浴や用便まで全て作法があって、そのひとつひとつに集中して行うのである。その意味が今にして解ってきた次第であるが、毎日を惰性で生きるのではなく、今日という日は過去にも未来にもない唯一の時間だと認識して生活のあらゆる場面を大切にし集中することである。そうすることによって常にマインドフルであって、「度一切苦厄」ということになるのではないだろうか。ようやく般若心経と生きるための仏教というのが結びついてきた。つづく 

【今日の”のびちゃん”】NO. 34
ストライキのびが少しずつ言うことを聞くようになってきた。それでも頑固さはあって、行きたいところは頑としてきかない。

薄暗い山みちが大好き、隣の家も興味津々。 

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般若心経二冊-5 7/19

2020-07-19 | 雨読

2020.7.19(日)晴れ 
 「訳なんぞ解らなくても兎に角手を合わせて拝んであげる事です」というお話で、姉はお経の本を手に仏壇の前で仮名を頼りに唱えている。取りようによっては「衆々にはお経の意味など解りもしないのだから、兎に角詠んでいれば良いのだ」というふうに僻んでとれるが、考えてみればこの歳になるまでお経の意味など考えもしないで詠んでいたし、親たちにしても周囲の人たちもその意味など考えもしないで唱えていた。実はここのところにお経の本質があるのではないかという思いがしてきた。心経の後半に咒(しゅう)というのが出てくる。呪の異体字で、のろい、まじないを意味する。そして心経の最後には、即説咒日(すなわち咒を説いて曰く)羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶(ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼうじそわか)般若心経となるのだが、その意味は「往った、往った、彼岸に往った、彼岸に完全に往った、悟りよ、めでたし!」(般若心経のこころ)ということなんだがマントラとか真言といわれるが、まさにおまじないといっていいのではないだろうか。
 般若心経を座って唱えたのは一度きりでいつもは歩きながら唱えている。心経全体にそうだが二拍子のリズムが実に歩行にマッチするのだ。速歩の場合は行者さんのように早口で唱えるとよい。特に羯諦羯諦のところは行進曲のようによく歩数に合い、気持ちよく歩けるのである。四国のお遍路さんはこの部分を唱えてまわられるそうだ。このおまじないは、三蔵法師が唐からインドに旅する際に、助けた病気の僧に教えてもらったおまじないで常に唱えながらインドに渡ったということである。
 なんだおまじないかと思われるだろうが、おまじないはわたしたちの心の安定に大きな影響を与えていると思う。例えば正月になると日本人の大多数が初詣に出かけ、敬虔な気持ちで手を合わせている、決して神さまの存在を信じているわけでもなく、その願いが叶うことを信じているわけでもなさそうだ。しかし心が落ち着いて、清々しい気持ちになるのは間違いないだろう。これこそがおまじないの効果ではないだろうか。
 ヒマラヤのポーター達が危険箇所を通過する際に「オンマニペメフム」と唱える、日本人なら「ナムアミダブツ」だ。これって信仰心のあるなしでもなく、科学的とか非科学的という問題ではない。こころの安定という人間にとって大切な状態を作るのがおまじないであり、ぎゃていぎゃていだけでなく般若心経全体がそのような効果をもたらすおまじないなのではないだろうか。とここまで考えが及んだとき、今日話題になっているマインドフルネスのことに気づいた。つづく

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雨読 般若心経二冊-4 7/14

2020-07-14 | 雨読

2020.7.14(火)雨

 苦から逃れるにはひたすら禅に取り組み(禅定)身も心も空になれという心経の教えは最も救われるべき凡人庶民には到底不可能なことと思われる。では一体誰のために書かれたものだろう、人々を救わんとする僧のための教科書なのだろうか。とすると多くの庶民がそのわけも解らず唱え親しまれていることの説明がつかない。
 ところで今、妙なことに気付いた。どのような俗人凡人でも、悟りに至らない僧であっても簡単に即座に身も心も空になることができる方法に気付いたのだ。それは死ぬことである。死ねば誰だって身も心も空になり、苦から逃れることもできる。しかも即座に仏となる事ができるのだ。即身成仏や補陀落渡海など理解しがたい行動も根底にこのような考えがあるのだとしたらわかりやすい。しかし死んでも成仏できない地獄の思想というのも無視できない。(2010.7.30参照)地獄って実はこの世のことではないかと書いたことがあるが、あの世の地獄がこの世のことであって、この世の生き方を追求する心経(仏教)があの世のことであったとしたらこれはパラドックスである。
 死ねば全てが空になり、苦もなくなるという考えは生きている間は苦しくても我慢して生きろという権力者、為政者にとっては都合のいい思想になる。中世、近世の仏教、宗教にはそのような一面があったのではないだろうか。仏陀をはじめとして仏教を広めた僧たちはもちろんそのようなつもりは毛頭ないとしても、権力者、封建領主たちはうまく宗教を利用したに違いない。それは古代においてでもしかりで、蘇我氏と物部氏の宗教戦争も聖武天皇の盧舎那仏や寺院の建立もそれが信仰心に基づくものとは考えられない。マルクスが宗教は民衆のアヘンであると言ったのも少しはそういうことが考えられたからだろうか。
 昨年亡くなられた義兄の位牌の前で般若心経をあげた。初めて人前で経を詠んだので行きつ戻りつ、飛ばしたり詰まったりで情けない経詠みだったが、一丁前に「この部分はこういう意味、、、」などと説法まがいのことをしていたら、姉がポツリと言った。「意味は解らんけど、和尚さんはとにかく詠んであげることと言うたはったで」
 ここではたと気づいた、心経の本質はここにあるのではないだろうか。つづく

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般若心経二冊ー3 7/9

2020-07-09 | 雨読

2020.7.9(木)曇り
 般若心経について続きが書けていないのは多忙であったためもあるが、一体何のために書かれたものだろう、一体何を伝えたいのだろうと素人なりに考えていたためである。勿論そんなことが解明できるのは何年も禅の修行を行ってはじめて出来ることなんだろうが、凡人の戯言として聞いて頂きたい。
 この間、連日唱えてなんとか憶えることが出来たが、水上さん同様悟りの境地に近づくこともできない。世の熱心な仏教徒の方も、偉いお坊さんも果たして悟りを開いておられるのだろうかといぶかしく思えてきた。空になるなんてことが生身の人間にはとても無理なことじゃないかと思っていたら、松原泰道氏の「色即是空」の教えとは何かという節の中に「空」には消極的な「空」と積極的な「空」があって、前者はあくまでゼロと考えるが後者はすべてのものは単独では存在しえない、ありえないというもので、「無我」という言葉が近いと言われる。一体どういうことか解らないと思うが、続いて「「無我」とは孤立自尊の事ではなく「他と相互に関わり合い依存し合って初めて存在できる事実を深く認識することなのです」とある。平たく言うと「空」とはゼロではなく人と人、物と物が相互に関わり合って成り立っているということらしい。自分の周囲の人や物に感謝して、相互に依存し合って生きていくというなら生きていく人々を応援する仏の教えとして充分に納得いくのだが、あくまで松原氏の解釈であって、般若心経を直訳して果たしてそのような事が書かれているとは思えないのである。
 偉いお坊さんが解釈して諭してくれるのだから、凡人のわたくしどもは黙って従っていればよいのかもしれないが、般若心経が一体何のために誰によって書かれたものなのかなどと考えると、迷宮に入り込んでしまうのだ。つづく

 【今日の”のびちゃん”】NO. 33


おりこうさんでお座りしてるように見えるでしょ。ところがこれ押しても引いても動かない困った行動なのだ。散歩の途中で頑として動かなくなる妙な行動である。自己主張するようになってきたのかな?

”うかれめのストライキ、さりとはつらいね

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