晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

西国三十三所徒歩巡礼始める-3 9/21

2023-09-21 | 徒歩巡礼

西国三十三所徒歩巡礼初日2023.9.15(金)晴れ 松尾寺
 前回の地図は大変わかりにくかった、新たな地図を照会したいが時間が無いので後日と言うことで勘弁いただきたい。
 さていよいよ待望の松尾寺に近づいてきた。松尾寺(まつのおでら)は西国第廿九番札所で真言宗醍醐寺派の寺院である。青葉山の中腹にあり、本尊は馬頭観音菩薩である。西国巡礼も徒歩でまわるとその日にお寺にたどり着けない場合がある。一番から二番の間は190Km余りありとてもたどり着けない。そういうときは何かを目標にして歩まなければならないが、やはり目標に札所があるのは心強い。”札所は心と身体のオアシス”というのは誰かが言ってるかもしれないが、わたしが思いついた言葉である、我ながら名言だと気に入っている。
 見上げるような石段が目に入ってきた、「やっと着いたなー」っと腰を下ろす。心空さんは徒歩巡礼のトレーニングに三十三段の石段を15回往復し、本堂の廻り100mを20周、その間に腕立て伏せを15回と20回されていたという。「この石段ですか?」と聞くと「それはすぐ上の石段、歩きにくい方です」ということ。自然石の石段が続いていた。トレーニングの最中に飲んでおられたという石清水を一杯戴き、灯明と線香をお供えする。本堂が改修中なので大師堂でお参りする。わたしはいつも心経だけで省略なのだが津田さんは開経偈(かいきょうげ)、懺悔文(さんげもん)、心経、延命十句観音経、御本尊真言、回向文と勤行次第に沿って読経される。心経を憶えるだけでも大変だったのに、まあ頑張ろう。
 改修なった仁王門  これから参拝

 朱印を戴くために納経所に行くと、辻本さんという方が番をしておられ、聞くと海自の教育隊におられたということである。亡くなられた橋立さんや頑張ってる松田夫婦の話などをしていると、辻本さんもかつて舞鶴デュアスロンに出場されていたとのこと。10回大会まで全て関わっていたので、どこかでお合いしているねなんて話が弾んだ。
 納経朱印第一号
 住職象空さんも周空さんも不在だったが、心空さんの奥さんがいらっしゃるということで、津田さんに紹介してもらった。心空さんの徒歩巡礼に何度も同行されているのを本で読んで是非合いたいと思っていたところである。巡礼の苦労話や逸話など面白い話を沢山聞かせて戴き、楽しい時間を過ごす事が出来た。冷たいお茶を戴き、お礼を言って失礼すると、丁度住職象空さんが帰ってこられ、ご挨拶をして松尾寺をあとにする。
 高浜か青郷まで行くつもりだったが、どうも電車の時間に間に合いそうにない。やむなく元来た道を松尾寺駅まで戻ることにする。今度は国道から戻り、行きがけに興味のあった岩室稲荷に寄ってみる。
 岩室稲荷のいわれは本殿の裏にあるこの岩室か?
 小浜線に乗るのは初めてだが、歩いてきた道のりを電車で帰るのはなんとも嬉しい感がする。東舞鶴で京都行きに乗り換えるとすぐに、「おはらさん!」と声がかかる。なんと舞鶴に勤めている四方さんだ、四方さんは以前に京都トライアスロン協会の役員をお願いして、何かと手伝ってもらっていた女性である。巡礼スタイルなのですぐにわかったのだろう、西舞鶴までいろんなお話をする。なんと出会いの多い巡礼だったことか。大満足で帰途につく。
 追記 この巡礼では本当に沢山の出会いがあり、縁ということをつくづく感じた。もうひとつブログでは公表できないが大切な出会いがあった。永年願っていた出会いである。なにか気になる方はじょんのびにお越し戴ければお話しする所存である。この項終わり 合掌

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西国三十三所徒歩巡礼始める-2 9/19

2023-09-18 | 徒歩巡礼

西舞鶴~松尾寺 2023.9.15(晴れ)


 わたしが使ってる5万図、PCで2万5千図に書き込んだ方がわかりやすいだろうが時間がなく失礼
 東舞鶴駅からは少し上がって朝日通(白糸浜中学と新舞鶴小の間)を東進する。小浜線の線路を越え市場通りを進む。この辺りだったろうか、「まつのおさん参りですか」と声をかけられる。巡礼スタイルにしてから良く声をかけられるのだが、大抵年配の人だ。若い人にはただの奇妙なおっさんにしか映らないのだろうか。挨拶されたり声をかけられると嬉しいもので、なにか大変いいことをしているように思ってしまう。やがて国道の高架をくぐり、遊歩道を歩く。街道は国道を東に進み、コメリのある辺りで北の小道に入るようだが国道は歩く気がしない。巡礼では昔の街道を丹念に歩こうと決めていたのだが、車の多い歩きにくい道は避けて、歩きやすい気持ちの良い道を選んで照会することが後人のためかなと思い始めた。津田さんも賛同して下さったのでそういう歩きをしたい。
 そんなわけで、田んぼの中の小道を泉源寺のお寺目指して歩く。適当に東に向かい、東舞鶴高校のそばを通って田中町に入る。12時を過ぎお腹も空いてきたので、心地よさそうなところを探していたら、鈴鹿神社という社があり昼食とする。食事も行の一部と心得ているので、弁当は梅干しのおむすびとして自作することとしている。梅干しも例年漬けている。今回ご飯が余ったので津田さんに一個あげたが、お返しに梨をいただいた。暑いときにみずみずしい梨は実に美味しかった。水は1リットルの水筒に麦茶と梅干し一個を入れたものだが、昼食時にほとんど無くなった。20分ほどで出発、長く休むと足が動かなくなる。
 田中、安岡、吉坂と車の少ない気持ちのよい道を行く。周囲は新しい住宅から古いお屋敷そして樹林帯と変わっていく。やがて本道は左に線路を越えるが、松尾寺駅(まつのおてらえき)につづく右の道を行く。線路脇を歩くようになると松尾寺駅が近い。かつては日本板硝子の引き込み線が来ていて、随分賑わったそうだ。
 レトロ感たっぷり 抹茶の氷、超美味
 駅舎は大正年間の建物を改修して残したもので、木造でレトロ感が素晴らしい。中にはお茶を扱う流々亭(るるてい)というお店があり、日本茶の他にアイスクリームやスイーツなども提供されている。我が家では毎年末にお正月の大福茶を予約して、いただいている。今日はもちろん抹茶の氷をいただいた。本物の抹茶でこしらえた氷の美味いこと、これは暑さだけのものではなさそうだ。すっかり空になった水筒に、冷たい水をたっぷり入れてもらって出発。
 駅からは志楽川に沿ってしばらく行き、左に小浜線のガードをくぐる。くぐったところに三本の立派な赤い鳥居が立っており、岩室稲荷と書いてある。東に歩を進めるとやがて道は三つ股となり、真ん中のダート道を行く。道は草道だが歩きやすくサンダルのまま進む。しばらくで、国道から松尾寺に向かう車道に出る。志楽川を渡る橋が滅罪橋(めっさいばし)で何かいわれがあるのだろうが、字の通り懺悔をして罪を無くするところなのだろう。
 滅罪橋  真っ直ぐ行った先が旧道入り口
 道が大きく左に曲がり上っていくところが、旧道の入り口だ。津田さんは雪の時に一度歩いたことがあると言うことだが、心空さんは「久しぶりに通る旧道もひどい荒れようで、古道巡礼を礼賛する我が身の「脚下照顧」こそ肝要と自戒の念を深くする。」と書いておられる。この他に古道があるがこれも随分荒れているようだ。わたしたちの手で改修できるものか、草の勢いが終わった時期に一度歩いてみたい。さて新道に戻って、これからが今日一番の登りだ。黙々と歩むが全身汗だらけになり、あごの下から汗がしたたり落ちる。右手崖の下に人工の段が見える。「あれが旧道ですよ、この先で新道に出合うのですが、危険なので人が入らないように草が残してあり解らないようになってます。」「なるほどきれいにしたら入りますもんね。」
 駐車場が出てきたりしてお寺が近いことを匂わせる。右手に芭蕉が数本植えられている、よくみんながバナナと言ってるあの大きな植物だ。上林や山家のお寺にも植わっており、いったい何のために植えられているのだろう。琵琶のように薬効があるのか、銀杏のように防火に役立つのか、繊維がとれることは確かだが、、、。つづく

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西国三十三所徒歩巡礼始める-1 9/15

2023-09-16 | 徒歩巡礼

2023.9.15(金)曇~晴れ

 西舞鶴駅出発  7:40
 二ツ橋     8:20  休憩10分(福来の灯籠)
 白鳥峠下    9:20  
 峠出る     9:55
 大森神社   10:40  休憩10分
 鈴鹿神社(志楽)12:10 昼食20分 安岡付近休憩10分
 JR松尾寺   13:30  休憩30分
 松尾寺山門下 14:50  参拝45分
 JR松尾寺   17:15  吉坂バス停休憩20分 岩室稲荷休憩10分

 松尾寺出発までの歩行時間 8:02
 歩行距離 25.95Km  速度 3.2Km/h
 歩数   31,287歩 上昇 350m

 経費 2,538円
    交通費990円(車代750円、電車賃240円)
    食費 648円(抹茶氷)
    参拝 900円(賽銭100円、朱印300円、手ぬぐい500円)
 
 津田さんは上林にある宝珠院に泊まって松尾寺のお世話をされている。従前からじょんのびのお客様で、わたしが綾部西国や丹波西国の徒歩巡礼をしているお話をしていたら、ある日「西国三十三所古道徒歩巡礼地図」なる150頁になる立派な本を持ってこられ、「差し上げますから参考にして下さい」と言うことで有り難く戴いた。2万5千の地理院地図に朱線でルートが引かれ、随所に案内やトイレの位置など書かれていて、道しるべや灯籠、石仏などの参考になる写真も添えられている。
   
  これだけでも充分参考になるのだが、序文に発行者の松尾心空氏の「西国札所古道巡礼」という本が紹介されていた。昭和32年に徒歩による三十三所の法灯リレーを開始されその後何回も巡礼されているのだが、その紀行文である。入手して読んでみるとこれが随分と面白い。巡礼道の説明だけでなく、周囲の様子や一行の苦労話、古文書の紹介、伝説や歴史的な話、当時の社会的な提言や俳句、詩歌、仏教のお話しなど満載で、これほど楽しい紀行文はない。連日読み返して、是非心空さんに逢ってお話ししたいと思い、津田さんにその旨伝えると、心空さんは亡くなられて、もうすぐ三回忌という事だった。7月はじめの頃だったと思う。もう少し早く知っていればと残念がっていたときに、津田さんと心空さんの孫さんにあたる周空さんがじょんのびに来られた。お話をしている間に、両人と一緒に西国を巡礼できないかという話になった。わたしにとっては夢のような話である。しかも今行っているように日帰りで歩き繋いで回りたいということだ。勿論二つ返事で了解し、今回の西国三十三所巡礼が始まった。後日、あやべ温泉でばったりご両人に合い将に裸のつきあいができたとともに、縁ということを深く感じたものである。
 さて今回の打ち始めは周空さんが所用で津田さんと二人になったのだが、将に縁のある巡礼となった。
 7:00にじょんのびスタートの約束なんだが、津田さんは20分も早く到着、バタバタと準備する。といっても前回の反省で準備は全てできており、弁当とお茶の用意、服を着るだけだが、とにかく夜は興奮してよく眠れなかった。不安は何もないのだが、レース前夜のように何度も目が覚めた。
 行程は西舞鶴を出発して、松尾寺から青郷、高浜、本郷と行けるところまで行こうというもの。
西舞鶴市営駐車場に駐車し、西に歩き始める。高野川沿いに北上し、本町通りまで行く。遠回りだがこの辺りを起点にしたいと津田さんの言。次回成相寺から来た際に中継点になるという。丁度藤井豆腐店の辺りだ。
藤井豆腐店
 藤井さんは永年上林に豆腐を販売に来られていて、我が家も毎週購入していた。昔ながらの豆腐の味で嬉しかったのだが、数年前に上林の販売は中止になった。店長は気さくな方で、出発直後だったので寄らなかったが、寄れば良かったと思っている。道は城北中学校の先を南進し、白鳥街道に出る。伊佐津川を渡るのが二ツ橋で橋の西南に「左松の道」というなんとも風情のある道しるべがある。
二ツ橋西南の道しるべ
橋を渡ってそのまま白鳥街道を東進、車も多く工事のため歩道が使えなくて歩きにくい。保健所のあたりで左の旧街道に入る。灯籠やお地蔵さんが出てきて街道らしい。気持ちよくどんどん歩くと大きな灯籠と地蔵さんある辻に出る。ここで給水のため休憩、気温はだんだん上がってきて蒸し暑い。
 石碑、石碑(何も書かれていない)灯籠、地蔵堂のある辻から白鳥街道を渡る。
旧街道は白鳥街道の南側に移るので、この辺で府道を渡って住宅街を進む。心空さん一行は白鳥街道を歩いたようだが、福来から天台の山沿いに街道は走っているようだ。一本府道寄りの道を歩くが住宅街の新しい道で面白くもなんともない。あっという間に天台に着いて、線路沿いの小道を行く。街道は府道沿いに走っていたのだろうが、この小道は2021年11月昭和台から逃げ出した保護犬ふくちゃんを探して歩いた道だ。山道になるので地下足袋に履き替え、トンネルの上をゆく。捜索の時は秋だったので草も少なく歩きやすかったが今回は堪らない。その上倒竹も増えていて歩行困難なので府道に逃げる。白鳥トンネルの右に林道が上っており、これが白鳥峠への道だ。情報通り、「トンネル工事のため通行止め」の看板があるが、歩行は可能と判断して進む。白鳥峠は重要な峠で、お地蔵さんぐらいは有ってもいいはずだが、何の変哲も無いただの切り通しだ。やがて工事の柵が現れ、眼下では新しいトンネルが掘られている。隙間を通って竹林の中を進むと府道から派生した舗装道路に出る。東舞鶴の市街に向かうこの道は歩道も無く通行量も多くて歩くのは苦労する。線路寄りの住宅街の中が本来の街道で、所々に地蔵さまがある。西舞鶴から多くの地蔵さまに出会ったが、どれもきれいにしてあって、生花も供えられている。信仰心厚く大切に祀られているものと感心するが世代が代わったらどうなるのだろうかと不安になる。
 やがて正面に森が見えてくる、彌加宜神社(大森神社) の森だ。森に向かってどんどん歩くと、神社に至る。お参りをして、休憩。本殿の下から霊水(延齢泉)が湧き出ていて、冷たくて美味しい。
            「ひだりまつを」の道標、本殿参拝、延齢泉は冷たくて美味しい
 神社を出ると街道は東に走り、府道51号線を北に行くようだが、わたし達はJR東舞鶴駅の北にある某所に向かう。津田さんの言によると、心空さんが健在の時、このサロンで毎月正坐会というのを開いておられ、座禅や正坐で瞑想し、講話もされていたそうだ。終了後は持ち寄った酒や肴で和気藹々と楽しい催しであったとのこと。心空さんはユーモアのある方で講話と言っても冗談交じりで、皆を引きつけるお話だったということである。さてわたしが奇遇だなあと思ったのは、そのサロンのビルが2年前に偶然見つけた「みつる食堂のシューマイ」を売っているところだったのだ。ふくちゃん捜索の帰り道に看板を見つけ、シューマイを買って帰ったわけ。社長は不在だったが奥さんが帰ってこられ、サロンを案内していただいた。心空さんのお話、聞きたかったなあ。つづく
   今もシューマイは販売中、このサロンで正座会が行われていた。


 





































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































 














































































































































































 
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丹波西国道中記・初打-2

2023-09-08 | 徒歩巡礼

2023.6.20(火)晴れ  丹波西国三十三所打ち始め いきなりの逆打ち

 若宮酒造前スタート 9:20         9:40着 二番 正暦寺 9:55発
 あやべ市民新聞社 10:45~11:40 取材を受ける
 福田神社昼食15分  小滝先生宅訪問30分 13:00着 一番 観音寺13:50発
 高津コミセンバス停着14:00
 歩行 10.9Km   バス代800円 朱印500円 計1,300円

 一番は福知山市の観音寺なんだが、綾部市を起点とするとすこぶる効率が悪い。綾部福知山間を往復することとなる。時間的制約の多いわたしの巡礼では、二番の正曆寺からスタートすることにする。綾バスで大宮から若宮酒造前まで行く。白衣に白ズボン(空手の道衣)サンダル(草鞋の代用)錫杖を片手に皆地笠を背負ったスタイルは目を惹いて気恥ずかしくもあるのだが、最近では慣れてきた。綾部駅を出発としないで、若宮酒造前を起点としたのは、綾部三十三所一番の正暦寺にお参りしたとき、裏口からお参りしたので今回は山門からお参り出来るよう、新綾部大橋(R173)経緯で行ったものである。
 丹波茶屋ゆらりの手前から踏切を渡って見上げる山門は風情があって、桜の季節はまた訪れてみたい。あいにく本堂は屋根の工事中で、お寺の方も取り込んでおられるようで心経を読んで後にする。
 あやバス若宮酒造前出発  正暦寺参道
 正暦寺本堂は屋根工事中
 あやべ市民新聞で取材してもらうことになっているので、鳥ヶ坪の社屋に急ぐ。一時間近く取材を受けるが、その中で「綾部33所巡礼でつらかったこと、苦しかったことは何ですか?」という質問に考え込んでしまった。雨の中や寒い中を素足で歩き通したが、つらいと思うことは無かったからだ。日帰り巡礼では歩く距離も十数キロで足腰が痛くなることもない。楽しいばかりでつらいことはなかった。
 朝倉記者にお礼を言い、炎天下の街に出る。府道の南を走る疎水沿いの道はおそらく昔の街道だろう。道標だとかお地蔵さんとか無いかなと思いながら歩くが、見つからない。大島町で左手に神社を見つけ昼食とする。大きな神社で、福田神社という。
 高津の辺りで一度府道に出、また一本南の旧街道を歩く。福知山市との境に郡界を表す石柱に出会う。何鹿郡と天田郡の郡境だ、やはりこれが街道だったのだと嬉しくなる。
 旧街道を西に歩むと  郡界の石柱に出会う

 郡境から西に行く道が街道のように見えるが、実は南に直角に曲がってぐるっと回って小滝先生宅の辺りに出るのが本来だそうだ。(先生談)古地図で調べるとその通りで、ぐるっと回る理由は解らない。
 西に真っ直ぐ行くと、地学の小滝先生のお宅がある。先生には老富のサンドラ岩の探検や上林の地形探究ですっかりお世話になった。実は大栗峠の地蔵の石室について調べたいことがあり、訪ねたいものと考えていたところだ。先生のお宅の前に来たとき、偶然表に出てこられた。不思議な縁があるものだ、早速玄関で話し込む。いつか大栗峠に同行されることを約してお宅をあとにする。
 一番札所観音寺はすぐ近くだ、折からのあじさいの季節で参道も駐車場も賑わっている。小藪住職は福知山高校の同学年のOBで、受付でその旨告げると、快く呼んで下さった。ところが当日は住職の講話が行われる日で、多忙を極めておられた様子で恐縮する。しばし受け付け横の休憩所で歓談する。巡礼を始めるというとたいそう喜んでいただき、お寺の一覧や地図などの資料をコピーしていただいた。
  観音寺はあじさい真っ盛り
 関東から新幹線、JRを乗り継いでお参りに来られた女性の話をされたが、「なんでこんな遠いところまでお参りに来られるのですか?」と住職が訪ねたところ、「(巡礼で)お参りすると疲れた心が安まるのです。」という返事だったそうだ。女性は公務員で、仕事上かなりストレスがあると言うことだった。月並みな話だが、巡礼の原点かもしれないなといたく感動した。巡礼をしていて思うようになったことだが、「お寺はこころのオアシス」特に歩いてたどり着くお寺は格別のオアシスである。
 朱印
 多忙な時間を割いていただいた住職にお礼を述べ、お参りをして帰路につく。合掌

 

  

 

コメント (6)
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丹波西国道中記・初打ー1

2023-09-03 | 徒歩巡礼

2023.6.20(火)晴れ 丹波西国三十三所徒歩巡礼始める

 昨年12月16日、光明寺をもって綾部西国三十三所観音巡礼を結願した。続いて丹波西国徒歩巡礼に取りかかるべく予定だったのだが、その前に水源の里トレイルラン出場の大仕事が控えていた。残念なことにDNSとなり、傷心の日々を過ごすこととなった。2ヶ月あまりで心も体も回復し、いよいよ丹波西国に旅立つこととなった。綾部西国同様だが次のことを原則として取りかかることとする。

 1.札所間は必ず徒歩とし、行き帰りはできる限り公共交通機関を利用する。ただし、時間的制約が    ある場合、バイク 自家用車あるいは便乗など利用することもある。 

 2.仕事や日常生活を脅かさない。つまり休み、手すきを利用してまわるため、日帰りが基なるなる 

 3.往時の巡礼者が歩いただろう古道を歩く。廃道であったり危険と思われる場合は迂回路をとる。

 4.巡礼は修行と心得ているが、心身の解放でもある。道中で名所旧跡を訪ねたり、旧知に逢ったり                                         名物を食することは厭わない。

 5.計画した日程は、警報が発令される場合以外雨天、降雪でも実行する。ただし交通機関の運休等                                           の場合はこの限りではない。
 6.経費は節約を旨とする。必要以上に浪費すること無く、昼食は弁当持参を原則とする。

 ちっと厳しいようだが、この間巡礼に対する心境の変化が芽生えてきた。即ち「感謝、素直」などという今までなら信じられないような事柄が身についてきたようなのだ。感謝、素直なんてのは封建領主が領民を搾取するため、現代では経営者が労働者を体よく働かせるために使ってきた言葉だと考えてきた。PHPがやたらと素直だ感謝だとかき立てるのも、うさんくさく考えてきた。歳をとったせいなのか解らないが、今こうして元気に生活ができることに感謝の気持ちが湧いてくるし、何でも斜に構えていたのが素直にとれるようになってきた。感謝の気持ちが湧いてくると、「唯足るを知る」という心境になり、精神的にとても楽になってきたし、日々が実に充実してしている。信心深いわけでもないわたしが巡礼を重ねることでこのように変化してきたのなら、往古の人々が命を賭してまで巡礼に出かけた理由の一端が解るような気もする。

 

2023.6.20 一番札所 補陀洛山観音寺 このスタイルも当初は気恥ずかしかったが、猛暑の中実に涼しいのだ。

  

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