晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続・歯痛の不思議 2/28

2018-02-28 | 引地考

2018.2.28(水)曇り

 ここまでの治療、数年前と同じなわけ。あのときはそれでも治らないので南丹病院に転医したのである。石膏状の滲み止めのおかげで滲みるのは穏やかになったが、3日もすればぽろっと取れて元の強烈な滲みが襲ってきた。それでも冷たいものの飲み方食べ方が上手くなったせいか、あまり滲みなくなってきた。3回目の治療、「少しずつ良くなっているようには感じるのですが、、」「そうですか、隣の歯を少し調整して滲み止めを塗っておきます。これで治療は終わります、どうしても痛くなったら来て下さい」
 えっなんか突き放されたような気がして不安なんだけど、まあいいか。それから5日、今日は一度も滲みていない。試しに冷たい水でうがいをしてみる。大丈夫だ。これで冷たいビールも一気に飲めるというもんだ、嬉しいねえ。でもこれって一体何なのだろう?噛み合わせ調整だけであの痛みが治るものなんだろうか?正月から徐々に進んできた歯痛だぜ、でもひょっとすると腰痛同様心理的要素が関係するのだろうか。腰痛に心理的要素が関係するのは、腰痛に対する不安や恐怖が大きいからである。そういう意味では歯痛だって充分に恐怖だし不安である。心理的要素があることを知って、簡単な治療で安心を与えてくださったとしたら、しまむら先生、こりゃあ名医だぜ。
【今日のじょん】ユキちゃんどーしてるかなーなんてかみさんが言うものだから写真撮ってきてあげた。相当な歳だと思うのだが、なんとも若くて元気だ。メーは相変わらずのんきな顔をしているぞ。

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続・丹後震災90年 4/14

2017-04-14 | 引地考

2017.4.14(金)快晴

 3月19日の「歩いてたどる丹後震災の記憶」(峰山町)に続いて丹後古代の里資料館(丹後町)の企画展示を見に行く。丹後震災90年の行事もこの展示(16日まで)で終了する。この間、郷村断層の見学を含め三度丹後を訪れたが、今日が熊本地震の一周年というのもなにか因縁めいたものを感じる。
 大宮まで縦貫道が開通し、丹後はすごく近くなった。天気もよく、桜も満開なので丹後王国食のみやこで昼食をとる。贅沢な食事をしようと思ったら、ドッグカフェがあるので、じょんも一緒に行く。園内もペット可なのだが、ドッグカフェにはドッグランが併設されている。とにかくじょんはワンコの匂いがいっぱいで大喜びだ。

 たっぷり遊んだ後丹後古代の里資料館に向かう。琴引浜からの海岸沿いの景色は絶好の天気とあって、春の海が最高だ。資料館は神明山古墳のすぐ側にあって、古代丹後の一つの中心地と言っていい場所だ。いつか遺跡巡りもしてみたいのだが、今回の目的は丹後震災である。震災の展示というのは難しい。震災に関する公的文書や断層に関する論文集、震災誌などが展示されているが、そのものをガラス越しに見たって何の意味も無い。その内容を説明した資料がほしいわけだ。
 写真や絵は臨場感があり、震災の悲惨さを伝えている。時代が時代だけに地震断層や地形変化の写真や資料は多くない。天然記念物として指定された郷村断層の三カ所がよくぞ残されたと思う。

 配布されたパンフレットは上手にできていて地震の内容とか被害の状況、写真や記録も多く掲載されていてわかりやすい。(写真右)

 帰りにお気に入りの宇川温泉よし野の湯に入る。お湯の質がよく(アルカリ性単純泉)日本海が一望の広い湯船に浸かって海を眺めていると、渡来人が小舟に乗ってやってくような雰囲気がしてくる。
 こんなすてきな温泉なんだが、かみさんが出てくるなり、「もう二度とこーへんで」と怒っている。何でも女湯は殺風景な庭しか望めないつまらない浴室だそうだ。男女毎日入れ替わっているそうだが、もう三回訪れているがいつも同じ浴室である。わたしの運がよほどいいのか、彼女の運が悪いのか、次は浴室を確認してから来てみよう。


 
こんな風景が望めるのだが、、、、

*地震関連の記事が「引地考」に含まれているのは間違いではなく、「引地考」の連載が始まればわかることなので、お楽しみに。
 

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丹後震災90年 3/19

2017-03-19 | 引地考

2017.3.19(日)快晴

 北丹後地震(推定M7.3)は1927年(昭和2年)3月7日18:27に起こった。今年で90年となるので丹後では様々な催しが行われている。多くのイベントが既に終了しているが、最も興味があったのが今日の「歩いて辿る丹後震災の記憶」である。日曜日の企画で参加しにくいこともあったのだが、午前中で終わること、縦貫道の開通で1時間あまりで峰山まで行けるというので参加した。峰山高校の地学研究部が震災の資料などを探し出すなど熱心に活動されたそうで、今回有志の高校生4名と顧問の先生とで案内していただくこととなった。

全性寺で挨拶をしてスタート、震災記念館はヘルメット着用

 手作りの「歩いてたどる丹後震災街歩きマップ」には当時の写真や絵画、気象データや被害状況表など大変参考になる資料が揃っている。
 北丹後地震は地震の規模としては兵庫県南部地震(1995年M7.2)と同等で、峰山での死者は1103名、丹後全体では2925名と言われているから峰山に人口が集中していたことがわかる。峰山での家屋の倒壊率は98.8%ということだから、街は壊滅状態である。
 辿った先は、全勝寺、丹後震災記念館、呉服町、古殿町、峰山小学校で、震災直後の写真で確認できるところである。90年前ここでとんでもない震災があったということが実感できる場所である。峰山高校の生徒さんたちが丁寧に説明してくれて、震災復興歌なども披露していただいた。

峰山高校の皆さんに感謝
 高台にある丹後震災記念館は現在耐震の関係で入館できないのだが、特別にヘルメットを着用して入館させていただいた。5枚の絵画が残るばかりだが、当時の惨状を伝える貴重な資料である。
 京丹後市立図書館の震災関係図書の展示や丹後古代の里資料館の企画展示「丹後震災90年」はまだ引き続いて開催されているので、再度丹後を訪れてみたい。


【今日のじょん】今日愉快なワン客が来じょんした。マルチーズとダックスのミックス、1才の師匠、シーズー6ヶ月の弟子。どっちも女の子だって、、、え゛~

走り回っていっぺんに入らないのよね。

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