晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

原爆の脅威 3/29

2007-03-30 | 旅行記

 2007.3.29(木)曇り 26度
                      
 7:00 起床 
 9:00 長崎カトリックセンターYH発~長崎原爆資料館~長崎原爆死没者追悼平和記念館~長崎市歴史民俗資料館~長崎医科大学門柱~山王神社一本鳥居~聖徳寺下原爆柳~県立歴史文化博物館~日本二十六聖人殉教の地~原爆落下中心地~浦上天主堂~
16:15 長崎カトリックセンターYH着

 怪しげな空模様なので、行きたいところから先に行く。先年広島の資料館は一日掛けてじっくり訪問したので、今回の旅で行かないかも知れない。それで長崎はまづ訪れてみようと、いの一番に訪ねる。真っ黒に焼けこげた死体、既に骨となっている死体、全身のケロイド、手足や首の吹き飛んだ写真など、この世のものとは思えない地獄絵図が展示されている。合わせて鉄骨や階段、橋の銘板、火鉢や洗面器などの日用品に至まで被災時のあらゆる物が展示されている。あらゆる方面から原爆投下の影響を分析展示してある。そして現在の核の現状、問題点、私たちが何をすべきか提起しているのは長崎ならではの発想か。長崎に投下された原爆はファットマン「ふとっちょ」のニックネームのごとく天上まで届く大きなものだが、現在の核兵器は格段に破壊能力は優れていて、プラモデルのように数十センチの大きさなのだ。非核保有国であっても手にすることができる。世界中の核兵器で地球を十数回破壊することができるということである。愚かしい事ではないか。
自らを滅ぼすことは無いとして、人間の叡智に対し期待する考えもあるが、私は期待しない。人間にそんな叡智があれば、長崎のような悲劇も無かったであろうし、巨大な軍事費の影で大部分の人間が飢えているという現状は出てこないだろう。人類はその愚かさでもって自らを滅ぼしてしまうものだと私は思う。Img_3665
Img_3664
原爆資料館と歴史民俗資料館



 資料館は当然撮影禁止なので、市内に残る原爆の遺物を探すこととする。一部はガイドブックにも載っているが、自転車でぐるぐる回っていればあちらこちらにあるものだ。大切に保存していただきたい。市立、県立歴史資料館は長崎の南蛮貿易などが主流で、私にとってはあまり興味のあるものではなかった。
 医大正門、一本鳥居、浦上天主堂のドームなど一見して原爆の脅威を感じることができるが、やはり爆心地のモニュメントは強烈である。傍らに浦上天主堂の遺壁もあり、爆発のすごさを思い知らされる。Img_3666 Img_3669 Img_3688










左:長崎医大正門  中:山王神社一本鳥居  右:浦上天主堂遺壁
 
 近年、アメリカの資料から、原爆を投下しなくても日本は降伏していただろうという見方が出てきている。資料館でも科学者、軍関係者からそのような意見や論文が存在したことを展示しているが、ではなぜ大統領は原爆投下に踏み切ったのか。朝鮮戦争や東西冷戦の将来を見越しての実験だったのか、いづれ明らかにされなければならない。大統領は「米国の青年を何万と殺すわけにはいかない」として原爆投下を決意したということである。
 爆心地で帰り支度をしているとき、右翼団体の宣伝車から大きな音の喧伝が聞こえてきた。平和の街に彼らの声は似合わない。Img_3689

爆心地

 走行距離13Km 累計 7、823Km  経費3,755円

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葵の御紋は誰のもの 3/28

2007-03-30 | 旅行記

 2007.3.28(水)快晴 20度
                      
 7:00 起床 
 8:45 島原YH発~本光寺常磐資料館~グリーンロード~R251~R34~
16:00 長崎カトリックセンターYH着

 朝食をとり、ゆっくり朝刊を読んでいると島原鉄道の記事が載っている。同宿の鉄道マニア君の言うとおり、九州運輸局に島原南線(島原外港~加津佐)の廃止を提出したということだ。従って1年以内に廃線の可能性が高いということだ。開業から100年、諫早水害や普賢岳の噴火に耐え、住民や観光客の足を守っていた路線が無くなると言うことだ。
普賢岳災害の時に存続がどうのというニュースが流れていたことを思い出す。見事に復興したのに10年で廃線の危機とは、厳しい話である。こうしてやがては日本中の地方路線が姿を消すのだろうか。
 YHのおじさんおばさんに礼を言って出発すると、目の前に飲泉場があるではないか。あまりに熱そうなので、水で薄めてボトルに入れる。とにかくどこでもお湯が出ているようだ。Img_3643 Img_3641

島原YHと向かいの飲泉場


 昨日の福知山藩の葵の御紋の確認と比叡山から福知山城、島原城と移ってきた如意輪観音を是非見てみたいとの思いから本光寺の常磐資料館に寄ることとする。藩主の菩提寺というのは藩換えがあるたびに一緒に移転するものだそうだ。当然と言えば当然だが、大変なことである。本光寺も三河の深溝(ふこうず)から福知山、島原と転居してきたそうである。さて、葵の御紋だが残念ながら違っていた、扇二つの紋であった。すると福知山音頭の葵の御紋はどなたのものなのか、福知山在住の方是非調べていただきたい。もう一つの課題、如意輪観音は本光寺の脇本尊ということで本堂内にあり、撮影は禁止なので、この目にしっかりと焼き付けてきた。本当に柔和なお顔で、この話が本当なら織田信長というのは何とも無粋で、明智光秀は粋な武将であったということである。その他世界最古の地図とか信じられないような作者の壁画や襖とかがあって驚きである。福知山藩領地図なんてのもあって、我がふるさとの古地図もある。なんでも松平の殿様が福知山を出る際に文化遺産を(当時は文化遺産でなく、単に家財であったのだろうが)すっかり島原に運んだということである。従って現在福知山には何も残っていないということだ。あのみっともない福知山城を再建するより、こういった文化財を収集整理した方がいいんじゃないの。
その他三の丸の蟄居切腹の間とか、隠し部屋のある御殿とか様々な遺産もあり、この資料館は民間の資料館であるが、凄い値打ちのある資料館である。Img_3645 Img_3609

観音堂と山門、如意輪観音さまは撮影不可




 グリーンロードは広域農道だが、海沿いの国道より走りやすいためか交通量が多い。大型トラックがほとんどで、本来の農業用車両は極少ない。春霞なのか黄砂なのか、段々霞んできて、平成新山もほとんど見えなくなってきた。平成新山と眉山、垂木台地の位置関係がよく解るので、ビニールハウス越しに写真を撮っておく。Img_3651 Img_3653Img_3655 水晶観音駅跡と有料支払い箱



やがて左側に海が見え出すと、有料道路の標示が出てくる、しまった自転車は通れないのかと心配するが、歩道は続いている。料金所に行くと、軽車両10円の表示があり、歩道脇に料金箱が備えてある。8,000Km走ってきたが自転車の有料は初めてだ。有料だけに綺麗な道が続き、10円なら納得と思いつつ走り続けると、矢上大橋を過ぎ、すぐに有料部分は終わった。橋だけのものだったのだ。長岡京市にある一文橋のようなものか。人を雇って100円や10円の通行料をとって一体どうするのだろう。
 しばらく行くと、日見腹切り坂という物騒な名の標識がある。ちょっとした公園になっていて、三基の墓標がある。細川公の家臣がこの地で一手申し込み、町民に負けてしまい
面目が立たず切腹したということだ。武士とはつらいものである。その先に日見坂の案内がある。かつては西の箱根峠と言われた難所であるらしい。地図で山越は解っていたが、それほどの坂とはと腹をくくって登り始める。ところが箱根どころか東山よりも簡単に越えてしまって、あっけないやら、ほっとするやら、、、、。どうもバイパスの新トンネルのおかげらしい。トンネルを過ぎると長崎の市街で、下り一方だ。桜町郵便局で郵便物を出す。手紙を朝から用意していたのだが、島原からここまで一軒も郵便局が無かったのだ。Img_3658

腹切り坂

 必要の無いときは嫌というほどある郵便局が、70Km程の間に見つからないとは、信じられないことである。
 カトリックセンターYHは浦上天主堂の真ん前にあり、ユースホステルのお手本のようなユースホステルである。寝具や洗面所、トイレ、風呂など清潔なのが第一で、トイレなどぴかぴかである。夕食は無いのだが朝食がサービスなのも嬉しい。

 走行距離72Km 累計 7、810Km  経費8,349円

★長崎カトリックセンターYH 朝食サービス付2,700円 設備は今まで泊まったYHで最高、例えばタオル、バスタオル付、コーヒー、お茶サービス、インターネット無料、
朝食はおにぎり、みそ汁、漬け物、コーヒー付きで美味しい。Img_3696

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おめく ちんぐ 3/27

2007-03-30 | 旅行記

 2007.3.27(火)雨
                      
 7:00 起床 
13:45 島原YH発~島原鉄道島原駅~島原城~武家屋敷~耳洗公園~桶川洗い場
~白土湖~島原鉄道本社前駅~
17:30 島原YH着

 タイトルは島原の方言だが、一体どういう意味か。答えは今日の最後に有り、全部読んでから見てね。
 明け方から強烈な雨が降っている。そのうち止むかなと思うが、ちっとも止まない。昼過ぎに諦めて、電車で出かけることとする。島原鉄道はYHの真ん前を走っており、観光用にトロッコ列車も何本か走っている。噴火の際に大変な被害を受け、廃線かという危機もあったが、みんなの応援もありなんとか再開したようである。ところが被災から10余年たった今、島原外港から南の部分について廃線の届けを九州運輸局に提出したそうである。従って一年以内に廃線となる公算が強いという昨日の同宿者の言である。雨も止まず、今の内に乗っておくかという気もあって、歩いて出かける。島原外港駅では切符も自販機ではなく、懐かしい厚紙の切符である。Img_3610 Img_3611_1 Img_3612






廃線となりそうな島原南線

島原駅で降りてお城まで雨の中を歩く、堀端は桜の街路樹でちらほら咲きというところか。あと3日で満開だろう、よくぞこの雨が咲く前に降ったことか。
 咲く前に 吹き降りつくせ 春嵐     うとく

 島原城は松倉氏の築城となるが、島原の乱、島原大変にも耐えた名城ではある。島原大変とは、1792年に普賢岳が大爆発しその前衛峰である眉山が崩壊し島原湾になだれ落ち大津波が起きて対岸の熊本にも何万の死者を出した大災害なのである。「島原大変肥後迷惑」というのがこのときのフレーズなのである。
 島原城には歴史的な資料が多く保存され、特にキリシタン関係、島原の乱関係は充実している。教科書では島原の乱など憶えているが、では実際どういうものであったのかなどはよく解らない。現地に来て、現物の資料を見たときに初めて解るものだ。島原の乱は単にキリスト教弾圧に対する一揆ではなく様々の要素がからんで起こったものである。徳川幕府に対する反抗としては規模的にも最大であるし、犠牲者もまた最大である。Img_3613
 さて島原は我がふるさと福知山市と深い関わりがあるのである。勿論そのことはここに来て解ったわけであるが、、、。福地山音頭に「福知山さん葵の御紋、いかな殿様でもかなわせぬ~」などという歌詞がある。寛文9年当時福知山城主であった松平忠房が国替えで島原藩に来たということである。松平だから葵の御紋かと、いまさらながら思っているわけだけれど、福知山市と島原市が姉妹都市だって事、福知山の市民だって知らないのじゃないか。もう一つ福知山と島原のつながりを案内しよう。昨日訪れた本光寺の観音堂に如意輪観音菩薩という鎌倉時代の仏像があるのだが、実は織田信長の比叡山焼き討ちの際、明智光秀が秘かに持ち出し、福知山城に祭っていたところ、松平氏の島原国替えの際、一緒に島原に来たという逸話の仏像である。遠く離れた両市であるが、なんなりと結びつきのあるものなのである。
 さてその本光寺の資料館なのだが、今日は訪れる予定をしていたのだが、時間的に困難となり残念ながら諦めることとした。その代わり時間的に無理のない武家屋敷や島原湧水群を見ることとする。
 武家屋敷はお城の北西にある、かつての武家屋敷の一部を保存しているものだが、ほとんどの敷地には現在在住されているもので、数軒が昔のままの姿で公開されている。
その特徴は通りの真ん中に一直線に用水が通っており、往時は生活用水として利用されていたものである。用水が通っているのは珍しくはないが、通りの真ん中を貫通しているのは日本でもここだけでは無かろうか。屋敷は通りによって少し広さが変わるようだが、このあたり一帯は90坪に統一されており、仕様は少しづつ違うが似たり寄ったりと言うところである。Img_3617 Img_3623
通路の真ん中を水路が走る。武家屋敷は総て90坪。


 武家屋敷から南に歩いてゆくと、日本名水100選の島原湧水群の名所が現れてくる。
まず耳洗公園(じせんこうえん)で豊富な水が湧いており、水飲み場も用意されている。
次は樋川洗い場でここも豊富な水が湧き出て流れており、かつては野菜を洗ったり洗濯物を洗ったりと利用されていたに違いない。今でも地元の許可を受ければ利用できる。湧水の最大のものは白土湖(しらちこ)でこれは島原大変(1792年)の際にできた湖で、毎日4トンもの水が湧き出ているそうだ。当時はあふれ出て洪水となるために、急遽水を逃がす水路を造ったそうで、それが現在の音無川だそうだ。Img_3633 Img_3635 Img_3637





島原湧水群、左から耳洗公園、桶川洗い場、白土湖

 白土湖に 白鳥のこえ 寒椿    うとく

 水の湧き出ている箇所は市内にいくつでもあり、いつでも美味しい水を飲むことができる。同じように温泉も湧き出ていて、飲泉場、足湯などの施設があちこちにある。島原鉄道本社前の飲泉場で一口頂いたが、なかなか上質の味であった。火山災害は大変だけど、水と温泉はそれゆえの賜である、大切にしていただきたい。Img_3638

 さてクイズの答え、ドキドキしていた御仁もあろうかと思うが正解は、おめく(叫ぶ)
ちんぐ(親友)である。ばってん方言ば無くなりますけん、つこうてください。

 走行距離0Km 累計 7、738Km  経費5,435円

★島原YH 島原外港駅のすぐそばにあり、便利至極。1泊2食4、260円 笑顔のおばちゃんが人気者
★島原温泉YHの湯 市から供給を受けている温泉で、成分表はないが市中に湧き出ている飲泉と同一ならNa,Mg炭酸水素塩泉である。 ほぼ透明で無臭の温泉で、ツルッとする。

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恐ろしき噴火 3/26

2007-03-30 | 旅行記

 2007.3.26(月)晴れ
                      
 8:00 起床 
 9:55 東横イン熊本新市街発~R3~県道15号線~熊本港12:25~島原港13:30着~
13:40 島原YH着~眉山ロード~平成新山ネイチャーセンター~本光寺~
17:30 島原YH着

 本当は昼頃まで眠っていたいのだけれど、チェックアウトがあるのでそうもいかない。
天気は上々、船の便は沢山あるので適当に熊本港へ走る。県道15号線は熊本の南の郊外で、まだ田んぼも多く残っている。北に昨日登った金峰山が見え、のんびりしたところだ。
ここで田んぼの中にレンゲを見つける。ピンクの絨毯とはいかないけれど、うっすらと咲いている。よく見ないと解らないぐらいだ。なぜレンゲが無くなってしまったのか、先日小埜種苗店に寄ったとき聞いたのだ。それはコンバインで稲刈りをするかららしい。コンバインで稲を刈ると藁がそのまま田んぼを覆ってしまって、レンゲが発芽しないのだそうだ。レンゲはマメ科の植物で根粒細菌による土壌の肥沃化や通気性の確保など様々な効用がある。困っているのは養蜂家ということで、種を買ってレンゲを育てているそうである。Img_3568 Img_3569

ささやかなレンゲと昨日登った金峰山

 島原へ行くフェリーも桜島フェリー同様効果的な航路で、陸地を行けば200Kmもあろうかというところを高速フェリーなら30分でつないでいる。島原に近づくと街の後方に急な火山が控えている。これが雲仙か、思ったより小さいな、それにしても緑化が進んでいるなと思ったら、それは眉山(まゆやま)といって昔に噴火した、前衛峰と言ったところの山である。この山のおかげで島原の街は火砕流の被害から避けられたのだろう。
市街を南に行くと平成新山が姿を現す。いやはや凄い迫力で、噴火当時映像で見た山容がよみがえってくる。眉山ロードを登ってゆくと大火砕流で報道陣や消防団の死者を出した上木場地区のあたりが見えてくる。当時村があったあたりはすっかり土砂で埋まり、とてつもなく大きな堰堤がいくつも築かれている。自然の威力というものは恐ろしいものだ。Img_3570 Img_3572

眉山と平成新山


 眉山ロードの最高点、垂木台地にネイチャーセンターがある。雲仙の自然や噴火の様子などを展示している。大火砕流はこの台地をも越えて、千本木地区を襲ったのである。その様子は眉山ロードの下りに小公園があり、そこに写真で展示してある。現実の千本木地区を目の前にして愕然としてしまう。ここも土砂の中に村が埋まっているのだ。かつては牧場を営んでいたのだろう、堀畜産という門標が荒れ地の中に残っている。何とも痛ましい光景だ。Img_3578 Img_3581
Img_3588





左:上部の噴火物は手つかずだ。  中:垂木台地のネイチャーセンター   右:千本木地区の惨状

 眉山ロードを下りきると「がまだすロード」という自動車専用道が出合う。がまだすとは、元気を出すと言う意味で、いろんなところに使われている。きっと被災後の復興に元気を出して取り組もうという気持が込められているのだろう。
 がまだすロード入口をを左に見て下ってゆくと、資料館入り口という看板が目に付く。
何かと思って行ってみると本光寺という禅寺があって、藩主松平家の墓所があり、山門や十六羅漢、首無し地蔵、丸尾城跡などの見所が沢山ある。資料館は時間がないので明日見るこことし、境内を見て回る。首無し地蔵は昨日の五百羅漢同様あちこちで見かけるが、これほどまで見事に首の無いのは珍しい。しかもこの首は廃仏毀釈が原因でなく、島原の乱の際にキリシタンによって切られたとのことである。多くの僧侶も首をはねられたそうであるが、愛を説くはずの宗教が戦となると残虐非道になってしまうのは、現在の中東における宗教戦争も同様である。宗教が悪いというのではなく、人間が如何に愚かしいかということである。
 石段を登って行くと松平家の御廟があり、その中に十六羅漢がある。中国風の円い石門
があり、その中に鎮座されているが、なぜ羅漢さんは首をはねられ無かったのだろう。
 このお寺の山門は赤門で切り妻流れ屋根造りという格調の高いものである。島原城の天守とこの山門の敷居が同じ高さで、天守の上に御廟を築いた言われている。その他貴重な仏像など多くの歴史的遺産があるお寺なのに観光案内やガイドブックには載っていない。Img_3593 Img_3597

首無し地蔵と十六羅漢


 走行距離40Km 累計 7、738Km  経費7,619円

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金峰山に登る 3/25

2007-03-30 | 旅行記

 2007.3.25(日)曇りのち晴れ
                      
 6:50 起床 
 9:00 県青年会館ユースパルYH発~味噌天神~熊本中央郵便局~クシサイクル
11:00 クシサイクル発~峠の茶屋12:00~金峰山12:53着~霊厳洞~
16:30 東横イン熊本新市街着

 ホイールは昨日できあがっていたのだが、あの強烈な雨では取りに行くことが出来ない。
今日の午前中に取りに行くこととして、中央郵便局に局留め郵便物を取りに行ったり、溜まりに溜まったブログを更新したりしたいので、熊本にもう一泊することとした。
 宿の近くに味噌天神という変わった名の天神さんがあるので寄ってみる。全国で唯一の味噌の神様ということで、味噌の製造業者の寄進も見られる。この神社の笹が味噌の味を良くしたという言い伝えもあるようだ。Img_3542

味噌天神

 中央郵便局で郵便物を受け取る。その内容はボトルのキャップが壊れ、換えを送ってもらったのだ。長旅になるといろんなものが消耗する。浜田氏の本などを送り返す。中央郵便局から坪井川沿いに北上してクシサイクルに向かう。川沿いのプロムナードコースは清正公の銅像があったり、有名な長塀があったりで楽しめるコースだ。熊本市は城下町だから、道路が複雑である。直角に交差する道はほとんど無い。それでも私の天才的な方向感覚で、地図を見ることなく道を尋ねることなくクシサイクルに着くことができた。Img_3545 Img_3546

加藤清正公の像と長塀


日曜日とあってショップのイベントでみんな出かけ、ご主人が一人店番をしておられる。旅先だからといって何かと便宜を図っていただき、ありがたいことである。ご主人は早稲田時代、野球部で阪神の岡田監督と同期生ということである。地元高校野球の解説員もやっておられるそうである。自転車は、と聞くと「口で乗ってるんです」と面白いお答え、こういうサイクルショップのおやじさんも珍しい。
 天気も良くなってきたので郊外の金峰山(きんぼうざん)に行くこととする。金峰山は熊本市の西方にあり、雲仙や阿蘇の眺望もよろしく市民に親しまれている山だそうだ。サイクルショップで道を教えてもらい、適当に漕ぎ進む。すぐのところに夏目漱石の居住跡というのがある。Img_3548
八校教授時代に何でも6回引っ越ししたとか、なかなかしゃれた建物で、館内には資料もあるようだが、有料でもあるので外からの写真だけにしておく。小泉八雲も八校に教授で来ており、記念館だかがある。金峰山への道は段々登りが急になり、峠の茶屋では汗びっしょりとなっている。峠の茶屋で昼弁当を買い、漕ぎ始める。車でも頂上直下まで行けるので結構多くの人出がある。標高は665mなのだが、ほぼ0mあたりから登って行くので、登りがいがある。峠から一時間弱で頂上に着く。そこには金峰山権現が祭ってあり、高所とあって各社のテレビ塔が競って建てられている。期待した展望は、春霞のためさっぱりで、熊本市街がようやくと言ったところである。Img_3551 Img_3554

金峰山権現と熊本市の眺望、本来なら阿蘇の景色がみえるのがだ。


弁当を食べて霊厳洞(れいがんどう)に向かう。ここは宮本武蔵が立てこもって五輪書を書き上げたと言うところで、霊気漂う、いわゆるらしいところである。そこに至間に五百羅漢があり、1779年から24年間かかって奉納されたものである。自然崩壊したものや廃仏毀釈で壊されたものなどで半数に減っているとのことだが、何とも凄い風景ではある。この中に首無しの羅漢さんが沢山ある。明治初期の廃仏毀釈時に首をはねられたのだろうが、国の政策とはいえ、それまで信仰篤く手を合わせていた仏様の首をはねるという行為が理解できない。それは日本人の無宗教性とは違った何かが原因だと思う。Img_3557 Img_3561

五百羅漢と霊巌洞


 霊巌禅寺で先程金峰山でであった夫婦連れに出逢う。熊本市内から来ているということなので、昨日から疑問に思っていたことを聞いてみる。「熊本の市民は熊本城や加藤清正は誇りに思っているでしょうが、その後明治まで続いた細川氏についてはあまり良くは思ってないのじゃないですか」「よくわかりましたね、実はそうです。やはり熊本人は清正公ですよ、細川氏は一体何をしたのだかわかりません」これが熊本市民全体の気持だとは思わないが、その一端であることは間違いない。
 ホテルに帰り、ブログを更新する。夜中の3時までかかってしまった。

 走行距離57Km 累計 7、698Km  経費17,714円

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彫刻に再会 3/24

2007-03-26 | 旅行記

 2007.3.24(土)雨

 6:50 起床 
10:00 熊本城~県立美術館~熊本市博物館~
17:30 県青年会館ユースパルYH着

 同宿のライダーのI君は雨の中を長崎に行くという。日程が決まっているのでと言っているが雨の走行はつらそうだ。おじさんは連泊でゆっくりする、申し訳ない。市電に揺られて、熊本城前まで行く、雨の中を多くの人出だ。ぞろぞろと行列となって城内へ入って行く。
 なにか違和感を感じて、聞き耳を立てると韓国語のような中国語のような、そうなんだ外国人が多いのだ。アジアの人は見ただけでは解らない。「うにゃうにゃシャッターうにゃうにゃスミダ」と言われ、シャッターを切ってあげる。案内看板も日本語、英語、ハングル文字となっている。これからはアジアの言葉も勉強しなければならない時代かも知れない。
 お城というのは封建時代の権力の象徴ということであまり興味もなかったのだが、じっくり見てみるとなかなか奥の深いものがある。特に熊本城のように実戦本位の機能的な城はそれなりの魅力がある。天下の名将加藤清正の手になる城と言うことで、戦うこと、守ることを主眼に築城されている。装飾と言ったものは無いのだが、戦闘的な機能美が随所に見られる。この城の魅力は鉄筋で再建された本丸よりも、戦闘の前線となるべき櫓にあるのではないか。これらも総て解放してあるので見て歩くのは飽きない。鉄砲狭間、武者走り、石落とし、武者返しなどの清正の知恵の結晶がこの城に凝縮しているのだが、この城が本格的な戦闘をするのは明治が明けてからの西南戦争というのだから、歴史というのは皮肉なものかと思う。それでも圧倒的な薩軍が落とすことが出来なかったのは、この城故の結果なのか。ただ、この戦闘で宇戸櫓を除くほとんどが消失したのだから、もったいない気はする。ところが本丸炎上は薩軍到着の2日前と言うから、不思議なことはあるもんだ。失火なのか、間者が居たのか、鎮西軍の作戦なのか、理由はわからないそうである。Img_3510 Img_3511

宇戸櫓とご存じ天守



 ところで巷に言われている「烏城」というのは松本城などを言うのであって、熊本城は別名「銀杏城」と言うそうである。多くの銀杏が植えてあり、それは備蓄食糧の意味もあったそうだが、本丸横の大銀杏は雄木で実は生らないそうである。Img_3526

二様の石垣、左は細川時代で算木組で傾斜が急、右は清正時代で重ね積みで傾斜が緩い。



  さて今日は昨年9月山形県酒田以来の再会がある。酒田の本多美術館で見た浜田智明(はまだちめい)氏の作品のふるさとが熊本なのである。県立美術館に行けば再会できるかなと思いわくわくしながら城内を歩く。本丸周辺を一歩離れれば静かなプロムナードコースで雨でなければもっと気分いいのだが、もう随分濡れている。フロントで、「浜田氏の作品は有りますか」と聞くと特別展で版画の数点と常設のコーナーがあるということだ。私の好きな彫刻の作品が少なく、少し残念だが作夏以来の再会には違いない。美術館内の喫茶室で簡単な昼食をとる。遠くに雨の熊本城櫓屏が見え、静かで落ち着いた食事は贅沢な気分となる。長旅をしていると人だけでなく、芸術作品や文化遺産、例えばある博物館から借りて展示している場合、元の博物館で再度出逢うこともある。とても楽しい。
 浜田氏の作品集でインタビュー付の写真集を購入する。私の宝物がまたひとつ増えた。
 近くにある市立博物館に行く。全国でも2例というオオカミの全身骨格と九州独自の甕棺など興味深いものがある。Img_3535 Img_3537

県立美術館と喫茶室からの風景


 走行距離0Km 累計 7、641Km  経費6,049円

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ヒヤヒヤ走行 3/23

2007-03-26 | 旅行記

 2007.3.23(金)快晴 道中20度

 6:40 起床 
 8:40 杖立温泉千代の湯発~県道12号線~R387~兵戸峠~菊池市~R3~
15:30 県青年会館ユースパルYH着~クシサイクル

 起きると再度蒸し湯にゆく。心なしか肩の痛みが少ない気がする。湯船に浸かりながらいつものように飲泉成分表を探す。ところが、どこにも見あたらないのだ。レジオネラ菌の検査合格表とか浴場許可証とか効能書きとか蒸し湯の入り方とか、そういうものはあるのだが、成分がどうの源泉温度がどうのphがどうのと書いてあるやつがないのだ。なんとなく不安な気持ちになるが、実は本当に大切なことを忘れている自分に気がつく。これだけ温泉に入っていれば、それがいい温泉か駄目な温泉か解るだろう。決してあの古びた成分表で判断している訳じゃ無いだろう。それが証拠にあの成分表をこれ見よがしに拡大して額に入れて表示している温泉ほどたいしたところじゃない。宿の隣で24時間吹き上げている源泉を見たら、源泉がどうの、掛け流しがどうのなんて騒いでいること自体が馬鹿馬鹿しくなってくる。例えば内湯に関しては、源泉が95度とか言われているのでほとんど水で薄めないとあの温度にはならない。蒸し湯にしたってその湯気の温度が大切なのであって、ナトリウムが含まれていようがマグネシュームが含まれていようが関係ないのだ。温泉の善し悪しをあの温泉成分表に頼っている限り、本当の良さは解らないのかも知れない。そんな大切なことを杖立温泉が教えてくれた。Img_3501

この湯気ですぞ。

 杖立温泉は熊本県になるが、数百メートル戻ると大分県になり、県道12号線にはいるとまた熊本県、ダムを渡るとまた大分県と県境を右往左往する。その間誰も通行が無く、寂しい山道を一人で走る。松原ダムからの道が合流すると車が増えてくる。ほとんどが大型車で中央線もないような細い山道を凄いスピードで走ってくる。連結したトレーラーなどよくカーブを曲がれるなあと感心する。それでも都市部のような通行量ではなく、自転車の走行には問題ない。トンネル用の三種の神器も使ったのは1回限りであった。中津江村、今は日田市中津江だがサーカーのワールドカップの際に注目された村だ。宿泊して親しめばいいところがいっぱいあるのかも知れないが、国道を走っている限りでは何の変哲もない山国だ。渓谷は綺麗だが、時々見下ろすだけでさしたる興味も沸かない。笹野峡谷の途中に「黄金の瀧」というのがある。棟方志功が訪れて感激し、続西海道棟方版画集に納められているという。周りの木々は伐採され、工事のユンボが入ったりして、たいした滝には見えないが、棟方先生もいろんなところに出かけておられる。Img_3504

黄金の滝、名前の割に寂しい滝だ。

 本日の最大の難関と思った兵戸峠も知らない間に着いてしまった。標高が660mと記されているので覚悟はしていたのだが、海抜0mの宇佐以降、すこしずつ高度を稼いでいたのだろう。兵戸峠からは熊本までほとんど下りで、気持ちいいのだが、景色は最低、いわゆる都市近郊のどこでも同じような景色で、ただ走り続けるだけの道だ。その上いつ車輪が壊れるかとヒヤヒヤしながら漕いでいるので結構疲れる。知らなければそれなりに走っているのだろうが。
 熊本市街にはいると、流石に大都会だ。水前寺の宿を探し当て、荷物を置いて、紹介されたクシサイクルさんに急ぐ。自転車屋さんって大体無愛想なので多少心配だったのだが、とっても気さくで、気持ちの良いショップで良かった。旅先のトラブルということで何かと便宜を図っていただき、地獄に仏とは将にこのことかと感謝する次第である。
 明日は雨の予想なので、ゆっくり市内を歩いてみたい。Img_3506

クシサイクルのご主人、ありがとうございました。

 走行距離88Km 累計 7、641Km  経費18,322円

★ユースピア熊本YH 一泊二食5,355円 水前寺駅近くにある県立青年会館のYH設備は完璧、食事はレストランでおいしい。
★峠列伝(36)兵戸峠 困難度2 景色3 水場有り (熊本県大分県県境国道387号線) 上津江側は困難度低いが、菊地側からは相当きついだろう。

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大トラブル 3/22

2007-03-26 | 旅行記

 2007.3.22(木)快晴 道中13度

 7:00 起床 
10:00 やすらぎの郷やまくに発~県道720号線(日田往還、中津街道)~
12:00 日田おの種苗店着~13:40 おの種苗店発~R212~
15:45 杖立温泉千代の湯着

 研修生の体操の声で目を覚ます。今日はお昼に小埜君と食事の約束があるだけなので、のんびり準備をする。勿論朝風呂は当然である。研修生達は朝風呂なんぞしないから、独り占めでいい気持ち。さて出かけようとすると、気になるポスターが2枚、一枚は昨日走ったサイクリングロードの前身、耶馬溪線の写真集だ。1,000円だが重いので買えない。
廃線時には日本中の鉄路ファンで大賑わいだったそうだ。もう一つは25日に行われる伝統芸能競演会のポスターである。地元の有志による郷土の伝統芸能、ほとんどが神楽であるが、一堂に会しての競演は捨てがたい。25日まで滞在する訳にもいかんが、、、と話していると、店の人が実は宮司さんであっていろいろとお話を聞かせていただく、4日間ぐらい滞在できるような旅をしなきゃいかんね。Img_3454
Img_3455
耶馬溪線の写真集と芸能競演会のポスター




 宮司さんに日田往還の(県道720号)状況をお聞きする。国道は大型車の通行も多く、大石峠のトンネルも自転車はかなりつらいそうだ。並行して走る、日田往還を選ぶ、結果は大正解で、中津から日田まで国道を使わずに走ることが出来るのだ。騒がしい国道を横目に歴史の道をのんびり登って行く、自転車冥利に尽きる。日田往還は天領日田に向かう東西南北数本のルートをいう。県道そのものが日田往還ではなく、所々にらしい道があり、道標が立っている。整備はされていなくて、私有地でもあり歩くことは困難な様子だ。道理で県道上には石碑やお地蔵などがない。所々に5,6件の農家が肩を寄せるように住まいしており、雑草まみれの宅地跡や田畑跡がもの悲しい。伏木の集落はぐっと開け、明るく広い田園地帯が広がる。ハウスや畜産など農家の活力を感じる。一体どこが峠か解らないままに下りが始まり、日田の集落が眼下に見えてくる。そこに白馬の滝入口という案内板が立っている。どのくらいかかるのか解らないが、せっかくだから自転車を置いて見に行く。整備もされていないし、地図の表記もないが中々の名瀑である。観光バスが駐車している滝よりも、こういった人知れない滝が私は好きだ。なぜって一人のものに出来るもの。
 そこから少し下ると石坂がある。これは日田往還、中津街道の真骨頂である。急な石だらけの坂道を、京屋作兵衛なる人物が石畳の道に改修したのだ。その行程は1300mにおよび、まるでお城の通路のように立派な石畳となっている。苔むした石畳が葛籠折れに繋がる様子は感激ものである。Img_3459 Img_3464 Img_3469





左:日田往還の道標  中:白馬の滝 右:石坂

 気持ちよく下ってゆくと、すぐに国道に合流することも出来るが、せっかくの歴史街道だからとことん付き合うと、大分自動車道をくぐり、そこが小埜種苗店である。
 国道沿いに立派な店舗を構え、すっかり種屋のおやじになった小埜君がそこにいる。実に31年ぶりの再会だ。小埜君は種苗会社の一年後輩で、私とは5ヶ月しか一緒に仕事していないが、なぜか年賀状だけは続いていて、実は気になる存在ではあったのだ。種苗会社にいたって種屋をやる奴はいない、一体どうして種屋をやったのか不思議であったのだ。
一緒に食事をしながらその辺の苦労話を聞く、親から継いだわけでなく、人から譲ってもらったわけでなく、自らが新しい商売を始めるということが、サラリーマンにどっぷり浸かった私には眩しくもあり、不可解でもあるのだ。とにかく無事に店を切り盛りし、子供達を育てている小埜君と奥さんにエールを贈りたい。「フレーフレー小埜ちん」Img_3478

小埜君と奥さん


 小埜君に礼を言って、大山への下りを下っているとき、悲劇が起こった。いやもっと前から起こっていたのに気付かなかっただけなのだ。鹿児島から宮崎に行くあたり、下り道で後輪が、コンコンコンと規則的に鳴っていたのだ。ホイールが振れているのかなと思い点検するも大丈夫。気にしつつ今日まで来て、ブレーキの当たる音がだんだん大きくなる。
止まってじっくり見たら、リムに3cmのヒビが入っている。これはホイールを取り替えなければならない、自転車にとってツーリングというのが予想を絶するストレスであることが今更ながら解った。キャファの辻本さんに連絡し、熊本のバイクショップを照会してもらう。熊本まで100Km弱、持ってくれいよ。出来るだけ熊本に近づこうと上津江の宿泊施設に電話する。「宿泊できますか」「できません」何ともあっけない返事だ。
 やむなく途中寄り道をして杖立温泉に行くこととする。事前調査では杖立温泉は各旅館とも高そうなので気が進まなかったのだが、道中の看板では安いところも有るようだ。案内を頼りに探し当てると「今日は休んでるのですよ」と断られる。どうも調子が良くない。旅館組合を案内されて、行ってみると、なるほど高い。なるべく安いところをと言って頼むと、あるもんだね、二食付き6,500円なら納得である。行ってみると源泉の真横で、目の前にはふかし場があり、そこら中湯気もうもうである。これは最高の宿だ。なんとなく塞翁が馬の一日である。Img_3496 Img_3498
宿は源泉のすぐ横、向かいには蒸し場といって温泉の湯気で調理ができるところがある。



 杖立温泉の独特の入浴法は蒸し湯である。温泉を使ったウェットサウナと言うところか。
湿度が100%で高温だから効果が抜群と書いてある。この蒸し湯が各旅館、共同浴場に設備されている。
 お風呂の前に温泉街を散策してみる、というより持ち込みのビールを買いに行く。温泉街は杖立川の両岸に並んでおり、いくつかの橋があるが、最も下流にある紅葉橋は木製の屋根が付いており情緒がある。魚の形をした板切れに願い事を書いて吊しておくようで、カランカランと乾いた音が心地よい。私は板切れ代200円が惜しくて吊さなかった。紅葉橋を渡りきると薬師通りというかつての日田往還の小道がある。共同浴場薬師湯(200円)の向かいに「貝原益軒杖植紀行執筆の地」という木柱がある。どういう内容かは知らないが、この地の温泉が相当効果があるように思える。それにしても貝原先生よくぞこの地まで旅されたものだ。石畳を辿ってゆくと白糸の滝に続く急坂となる。白糸の滝は水量が少なく、滝というより大きな岩塊となっているが、その袂に大本教の出口王仁三郎氏のみ手代歌碑なるものがあり、信仰を集めている。ビールはなんてことはない、宿の川向かいの酒屋にあった。Img_3481 Img_3483
Img_3485








 左:紅葉橋 中:紅葉橋から温泉街  右:貝原益軒ゆかりの地

宿に帰ると早速お風呂を頂戴する。まず作法に則って内湯で身体を洗い、にじり戸のような小さな入口から穴蔵のような蒸し湯に入る。今は化繊のマットが敷いてあるが、かつてはムシロだったのだろう、そこから湯気がもうもうと出て、暑いこと。大の字になるのがよいと記してあったが、足も背中も熱くて、皮膚の弱い人などはタオルか何か用意しないとたまらないだろう。そのうち慣れてくるので、気持ちよく寝ていると恐ろしく汗が出てくる。5分ほどでまた湯船に浸かり、蒸し湯を繰り返す。出たあとは冷えたビールが最高で、極楽極楽。しばし自転車のトラブルなど忘れてしまう。Img_3489_1 Img_3492
 この小道も日田往還、白糸の滝は水が枯れている。

 走行距離52Km 累計 7、553Km  経費4,934円

★杖立温泉千代の湯旅館 一泊二食付き6,500円 こぢんまりした通好みの宿。源泉がすぐ横で、お湯は間違いない。
★杖立温泉千代の湯 湯船は二つに分かれているが蒸し湯はひとつなので、ご夫婦でどうぞ。
★峠列伝(35)伏木峠 (大分県県道720号線) 難易度2 景色 4  水場有り
山国から日田に通じる日田往還、中津街道の峠。道中石坂や白馬滝など有り、歴史の道。

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見事 青洞門 3/21

2007-03-26 | 旅行記

 2007.3.21(水、祝)快晴 道中12度

 7:45 起床 
 9:55 かんぽの郷宇佐発~大分県立歴史博物館~県道44号線~桜峠~青洞門~
メイプル耶馬サイクリングロード~
15:30 やすらぎの郷やまくに着~神尾家住宅

 裏妙義だっただろうか、かんぽの宿を予約したら13、000円とのこと、あわててキャンセルしたが今回は祝日前でも7,500円であった。施設によって違うそうだが、ちょっと差があり過ぎではないか。広い敷地に体育館やグランドゴルフ場など様々な設備がある。晴天の祝日前日というのに宿泊客は数組、猪瀬氏がみたらなんと言うだろう。今秋郵政は民営化される、この施設は一体どうなるのだろう。お風呂を掃除しているおばちゃんは2時間1,500円の仕事を6年間続けているという。末端で働いている人々は大変なのに。
 かんぽの郷の隣に県立歴史博物館がある。その周りは宇佐風土記の丘といい、前方後円墳が6基ある。晴天の休日とあって焼き肉パーティを開いたり散歩やジョギングの人々も多い。東京で桜の開花がニュースになっていたようだが、こちらはまだつぼみ状態、咲いたひには大賑わいとなるのだろう。Img_3409 Img_3416
Img_3415




左:広大なかんぽの宿  中:隣にある県立歴史博物館  右:博物館の周りは古墳だらけ

 宇佐神宮や磨崖仏に関する展示、説明もあり納得する。宇佐神宮は日本中の八幡宮の大本締めで石清水、鶴岡の源流ということだ。面白いのは神仏混淆で、そういえば「南無八幡大菩薩」っておかしいよね。結婚式は神前で、お葬式はお寺で、クリスマスにはみんなで祝うという日本人の宗教観は私は大好きである。
 石仏、磨崖仏については臼杵や杵築、豊後高田などもっとじっくり見てみたい気もするのだけど、納得するまで見たら、数ヶ月かかるのではないか。
 特別展で角田司郎氏のコレクション展をやっている。角田氏はフランスにも留学した画家で、55才で逝去されているのだが数十年にわたって旧石器時代から縄文時代まで何万点という石器、土器を収集しておられるのだ。発見するのもさることながら、分類保存についても気の遠くなるような作業だと思う。よくぞ集められたものだ。
 博物館を出るともう昼前となっている。今日はどこまで行けるやら、とりあえず本耶馬溪に向かって県道を走る。道は段々狭くなるが、車の通行はほとんど無く、春らしい陽気の中気分よく走る。桜はまだまだの様子だが、道ばたは菜種の満開でむせかえるような臭いがする。私はこの臭いは嫌いではない。就職して初めて九州に出張したとき、赤いレンゲを敷き詰めた田んぼに黄色の菜種が縁取りをし、華やかなハンカチが何枚も何枚も繋がっているように見えたのだが、今は縁の黄色は有っても赤いレンゲは見あたらない。皆無なのだ。一体どうしたのだろう。
 桜峠は名前は美しいが、投棄ゴミの多い殺風景な峠である。峠のトンネルを出ると、右手に岩峰が現れ、耶馬溪らしくなってくる。宇佐の八幡が全国の八幡様の本家なら、本耶馬溪は全国の耶馬溪の本家ということだ。下る途中にも多くの岩峰と名所がある。阿羽羅堂もそのひとつで、和気清麻呂のゆかりのある観音堂ということである。県道から1Kmということで見に行けないが、その方向には大きな岩峰があるので、きっとそのあたりにあるのだろう。Img_3417
Img_3420桜峠のトンネルと観音堂方面の岩峰




 国道212号線に出合うとすぐに右手に青洞門がある。3分おきの信号で、自家用車だけでなくダンプも大型トラックも通って行く。三つの岩のトンネルをくぐると対向車が待っている。ちょっと待てよ、いかに禅海和尚が30年を費やしたと言っても、こんなでかいトンネルは必要ない。当時はダンプもトラックも無いのだ。再度洞門を引き返す、あったあった、川側に小さな、といっても人馬には充分すぎる洞門がある。明かり取りの窓や堀違いの地点が残っている。それにしても凄いもんだ。人の意志が岩をも通すのだ。Img_3421 Img_3428 Img_3432





左:青洞門入口  中:明かり取り  右:対岸からの洞門
 ここからは山国まで20Km弱をメイプル耶馬サイクリングロードを走る。このサイクリングロードは中津から山国まで36Km、旧奥耶馬鉄道の廃線跡を走っている。日本一長いサイクリングロードということである。国道は狭くて、通行量が多いのでこのサイクリングロードは値打ちがある。本耶馬溪、奥耶馬溪の奇岩を見ながらのサイクリングは最高の走り心地だ。川は石がゴロゴロしていて、遠野の猿が石川を思い出す。Img_3436 Img_3437

耶馬溪平田駅跡とサイクリングロードから見る酔仙岩


 それでもちょっと飽きてきた頃山国に到着、サイクリングロードは終点となる。日田まで走るか、微妙な時間である。地図を見るともう一つ峠がある。サイクリングロードの終点にある「やすらぎの郷やまくに」で宿泊の有無を聞くと3,800円でOKとのこと、しかも温泉付である。そうなるともう足が動かない。大きな綺麗な部屋で、バストイレ、TV、冷蔵庫、こたつ付で大満足。
 こうなると時間があるので、ビールの買い出しのついでに重要文化財の神尾家住宅を見に行く。東北の曲屋以来すっかり民家おたくになってしまい、あれば必ず見に行くということになっている。民家はその地方独特の工夫があって、歴史と文化を伝える最たるものである。殿様のお屋敷など面白くも何ともないが、百姓家や下級武士の民家は往時の生活がにじみ出ていて奥が深い。さて、この神尾家住宅は江戸時代から続く農家の住宅で、昭和54年の復元工事まで実際に居住しておられたということだ。重文といっても個人の所有で、神尾さんにことわってから見学するよう書いてある。神尾さん宅は不在で、見学を諦めて遠くから写真を撮って帰ろうとしていたときに、年配の女性に出逢った。「神尾さんですか」と聞くと、そのとおりで、再度引き返し見せてもらう。母屋、土間、馬屋部分が少しづつ下がっており、その分かやぶき屋根が3段になっていて珍しい造りである。Img_3443

屋根が三段になっているのが特徴。


帰りがけに神尾さんにいろいろ苦労話など聞かせてもらう。大きな工事などは国から費用が出るそうだが、普段の管理には個人の持ち出しが多いそうで、維持が大変だということである。文化遺産についてはお寒い政治のようだ。後で調べたことだが、神尾家は1771年の建築で九州では最古の民家だそうだ。
 夕食時に朝日新聞で驚きの記事を見つける。小学校の歴史教科書では旧石器時代、縄文時代は抹消され、弥生時代、古墳時代から歴史が始まっているそうである。例の石器捏造事件がらみかと思いきや、そうでもないようである。そのくせ神話や伝説による国家の起源などを教えているようで、これって科学的でないよね。縄文時代って時間的には日本の歴史の大部分なのだがね。

 走行距離62Km 累計 7、501Km  経費10,625円

★やすらぎのやまくに 一泊朝食付き4,500円 研修宿泊施設ということで、設備は抜群。食事はレストランで摂れる。Img_3441写真は宿泊棟

★やすらぎのやまくに 単純泉(弱アルカリ低張泉低温泉) 循環 加温 サウナあり。

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熊野磨崖仏 3/20

2007-03-26 | 旅行記

 2007.3.20(火)快晴 道中10度

 8:00 起床 
 9:50 別府ゲストハウス発~R10~熊野磨崖仏~県道34号線~R213~R10~
17:00 かんぽの郷宇佐着

 寝ぼけ眼でTVの天気予報を見る、20度まで気温が上がり、暖かくなるだって。もうだまされないぞ、昨日よりもっと暖かい長袖を着て、完全装備で表に出る。大正解、一旦送り返したヤッケは毎日役に立っている。30数年前、出張で湯布院、杵築、中津、行橋と廻ったことがある。バスで国東半島を廻ったが、磨崖仏などどこにも見られなかった。磨崖仏は海沿いでなく、10号線方面の山の中にあるのだ。今回は何が何でも見てみたい。
10号線は幹線道路とあって大型トラックなどの通行が多い。流石に歩道上に追いやられてしまう。海岸線沿いのR213号が別れようとする手前、日出というところに享保飢饉の供養塔なるものがある。東北が冷害なのに対し、ここでは雲霞の大量発生という原因だ。
いずれにせよちょっとした自然現象でも、基盤の弱い農業は影響を受けたものらしい。街道に死体が累々としたと言う表現は、北国も南国も同様である。「君 知るや 餓に果てゆく その思い 生き永らえて 飽食の世に」傍らの石碑になんとも身につまされるうたが刻んである。Img_3377
飢饉の供養塔

 赤松峠という小さな峠を越えたあたりに赤松橋という石造りの美しい橋がある。かつての吊り橋などが幾度も流されるので、永代橋として石づくりの橋が明治30年に完成したそうである。今では役目を終えているが、保存されて美しい姿を見せている。Img_3380
赤松橋


 R10を離れ、鋸山方面に登って行く、一枚、また一枚脱いでゆき、ついには半袖一枚となる。アップダウンを繰り返し、熊野磨崖仏の入口に着く。拝観料200円を支払い、徒歩で登って行く。鬼が一夜で積み上げたという石段を息を切らせて登る。やがて左手の岩壁に大日如来と不動明王の仏が現れる。いやあこの不動様は良い顔をしてござっしゃる。いつもの怖い顔ではなく、頬はふっくらとして微笑んでいるようなのだ。

 「春の陽に 笑みで迎える 不動かな」 うとく
久々の一句が思わず出てきた。石段の途中にも何句か刻んであり、急坂の労をねぎらっている。Img_3385
Img_3387 
熊野磨崖仏、久々の半袖姿



豊後高田の市街に向かって気持ちよく下ると、いくつかの磨崖仏がある。大門坊磨崖仏は県道からすぐのところにあり、熊野磨崖仏のようにははっきりしていないが、当地における信仰の厚さを感じさせる。その他田んぼの畦や道ばたに地蔵さんや石の祠がいくらでもあり、本当はゆっくり楽しみたい地域である。
 県道から広域農道に入ると割掛遺跡という弥生時代から古墳時代の前期と中世の複合遺跡がある。じっくり見たいが、時間が気になり写真を撮って先を急ぐ。宇佐市に入ると和気清麻呂の船繋ぎ石という史跡がある。このあたりは和気というところらしく、何か曰くがあるのだろうがよく解らない。
 宇佐神宮は八幡宮の総本宮ということである。鳥居の前でお参りして失礼する。宇佐には県の歴史博物館があり、今日の内に見たかったのだが時間が無くなった、明日の楽しみとしてかんぽの郷宇佐でゆっくりする。Img_3400Img_3403 Img_3408   




左:割掛遺跡、石棺の跡  中:和気清麻呂船繋ぎ石   右:宇佐八幡宮

 走行距離70Km(コンビニ往復6Km含む) 累計 7、449Km
 経費1,563円

★かんぽの郷宇佐 一泊二食7,500円 広い敷地に様々の施設がある。時期によって料金が異なる。

★かんぽの郷宇佐の温泉 Na,Mg,炭酸水素塩泉 循環、殺菌、加温
 露天風呂、ジェットバス、サウナ、等あり。

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別府湯の町 3/19

2007-03-26 | 旅行記

 2007.3.19(月)曇り

 8:20 起床 
10:12 東横イン大分駅前発~R10~別府市~
14:45 別府ゲストハウス着~明礬温泉泥湯~夕食~竹瓦温泉

 長旅をしていると、ハイなときもあれば落ち込むときもある。落ち込むときは、天気が悪くて動けないときとか、行程が苦しいときなどの様に思うが、実はそうではない。一番落ち込むときは、「一体自分は何やってんだ、何のためにこんな事やってんだ」って疑問に思うときである。そんなときは周りのサラリーマンや運転手、とにかく働いている人がうらやましいようなまぶしいような、自分自身が世間から一人浮いているという強迫観念にとらわれてたまらなくなる。それが今日だ。そんな日はやることが決まらない。別府では近すぎる、国東は遠すぎる、湯布院は行く気がしない、宇佐はもっと行く気がしない、一体どうすればいいのだ。ふらふらと当てもなく10号線を北上する。国道10号線は宮崎県北部とはうって違い片側3車線、4車線の一級国道だ。それをひっきりなしに車が走る。車道はとても恐ろしくて走れない、歩道はしっかり広いのでのんびりと走る。別府湾にビーチが現れる頃、「高崎山方面は左に歩道がありませんので、右側に渡ってください」と親切な案内がある。一般にはこのような案内は無い、いきなり歩道が無くなるのが普通だ。横断陸橋を右側、つまり海側に渡るといままでに増して広い歩道となり、歩行者と自転車が色分けし、分離されている。まさにこれからの歩道の見本である。高崎山付近に来ると工事のおじさんが居て、堤防沿いのコンクリートの歩道に誘導される。幅1m程度で、走るには支障はない。どんどん走っていると、段々狭くなってくるのだ。最後には歩道の左端にタイヤがあって、左バッグと身体半分は車道に出ている。対向車は大型車を含めひっきりなしに来るものだから、恐ろしいことこの上ない。右は車輪の高さぐらいの堤防でその先は海である。遂に自転車を降り、車道を歩くこととなる。こんな道初めてだ。今年度中には拡幅工事が終わるそうだから、今だけかも知れないが、恐怖である。Img_3361 Img_3362

理想的な歩道と恐怖の歩道


 すっかりやる気を無くしてしまい、別府に泊まることとする。宿を探し、荷物を置いて温泉にでも入れば気分も変わるかなと、別府ユースホステルに電話する。ニッポン放浪宿ガイド200にも載っている老舗だ。ところが電源がどうのこうのって電話がつながらない。探しまくって現地に行くと、さっきまで人が住んでいたような雰囲気だが、どうも怪しい、幽霊船のような状況だ。ユースホステルの沈滞に心を痛めているだけに、この状況はつらい、余計鬱になってしまう。田辺のみかん茶屋で照会してもらった別府ゲストハウスを探し、個室をとる、やれやれだ。聞くとユースホステルは昨秋につぶれたらしい、ゲストハウスは満員盛況だそうだ。食事があって岩風呂まであるユースがなぜつぶれるのだろうか、本場ヨーロッパなどではユースホステルが大盛況で、なかなか予約できないそうである。もっと日本の若者にあった運営を考えていかなければ衰退してしまうのではないか。Img_3363 Img_3367

鉄輪温泉の湯煙と泥湯に向かう長い廊下



 荷物を置いて明礬温泉の下にある温泉保養ランドに向かう。入湯料は1,050円と超高いが本格的な泥湯に入るにはここしかない。ところが別府駅前からは遠いのだ。かつて来たときには車だったので、さほど気にしなかったのだが、登りの7Kmはさすがに疲れる。建物も設備も古めかしく怪しげだが、さすがの泥湯である。後生掛温泉以来の泥湯だが規模ではここがダントツである。コロイドの湯と内湯の泥湯、そして露天に3個のそれぞれ濃さの違う泥湯がある。露天は混浴である。いずれにしても底が見えないだけに気味が悪く、田んぼに浸かっているような気分である。ワイルドさは抜群だが、上品さは無いようだ、何度も来たいとは思わない。卒業旅行だろうか若い女性達はキャッキャと喜んでいる。
 夕食は今日も関ものを食べようと勇んで行ったが、2,300円の値段に恐れ入って止めてしまった。昨日食べておいてよかった。食後宿の近所の竹瓦の湯に行く。立派な構えの由緒のある温泉で、しかも100円の入浴料だ。市が委託して経営しているそうだ。砂風呂(1,000円)もあり、町中の温泉場気分の町並みもいい。
 
 走行距離 34Km 累計 7、379Km
 経費14,861円

★別府ゲストハウス 別府駅近く ドミトリー1,500円 シングル 2,500円
 鉄筋4階建てで規模の大きいゲストハウス、フォリナーが多いようだ。場所は抜群。Img_3369

★明礬温泉温泉保養ランド 立ち寄り1,050円  酸性明緑礬泉 硫黄泉 各種の泥湯が5カ所楽しめる。源泉は紺の地獄。

★竹瓦の湯 Na,Mg,水素酸塩塩化物泉 100円 砂湯もありImg_3374

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関サバ 3/18

2007-03-26 | 旅行記

 2007.3.18(日)快晴

 7:00 起床 
 9:12 清風荘発~R217~津久見市~臼杵市~佐賀関~R197~
16:45 東横イン大分駅前着
 
 今日も快晴だが相変わらず風は冷たい。数分でたまらなくなり、ウィンドブレーカーの上にヤッケを重ねる、下はタイツの上に雨合羽だ。このスタイルは昨年の12月以上の重装備だ。鹿児島に上陸以来十日間、冬型が続いている。真冬でもそんなに続かないのに。
佐伯の海岸はリアス式海岸である。三陸ほどではないが、美しい海岸が続く。狩生のあたりだろうか、鯨の墓、鯨魚塔というのが国道から数メートルの山中にある。いきさつは不明だが明治40年の建立で、鯨の為の墓であるから何らかの事件があったに違いない。
 上浦には豊後二見ヶ浦のしめ縄がある。日の出の有名なスポットということだが、もう昼前である。残念。山側には暁嵐公園があり暁嵐の滝がある。岩壁に囲まれた立派な滝で、大きな滝壺が美しい。公園内には瀧三柱神社、六兵衛と河童の伝説像などがあり楽しい公園である。海岸沿いの細い国道を進んでゆくと、津久見湾沿いにセメント工場の大きな煙突が見える。津久見の太平洋セメントだ。津久見の入口に源兵衛翁生誕の地の石碑がある。Img_3334 Img_3337 Img_3342






左:鯨の墓  中:暁嵐の滝  右:豊後二見浦

 椎茸の栽培の創始者だそうだ。菌を植え付けて栽培するあの椎茸栽培を始めた方がこの地の人とは知らなかった。津久見は郵便局の同僚の笹尾ちゃんのふるさとなので電話してみる。実家は夏みかんで大わらわだそうだ。今年もかぼす頼みます。
 新津久見鉱山というセメント山を左にみて、峠を登って行く。少なかった車がやたら増えだして、峠のトンネルは最悪の状態となった。歩道もない2Kmあまりのトンネルだが昨年の12月11日の矢の川トンネル以来の恐怖である。まず上着は白のウィンドブレーカーにし、サングラスは眼鏡に替える、そして右のバッグに点滅ライトを点ける。これがトンネル完全装備である。走行は下手に左端に寄らないこと、左端に寄ると追い越し車両はセンターライン内で追い越しをしようとする。そうすると意識は左の自転車よりセンターラインに行ってしまう。これは高等なテクニックだが経験の中で生み出した方法である。あとはオンマニペメフムとお祈りをするだけだ。Img_3344 Img_3346
Img_3355_1




左:椎茸栽培の元祖源兵衛翁の像  中:新津久見鉱山   右:築山古墳前方部 


 快適な下りを飛ばすと臼杵の街だ。大分に行くには国道502号(西回り)と国道217号(佐賀関回り)ショートカットの県道205号線がある。県道ルートが最も効率よさそうってことで行ってみるが、車は多く、坂は厳しく、おまけにしっかりトンネルがあるので、佐賀関回りを選ぶ。距離は遠いが、安全で楽そうだ。どうも沖縄以来、困難な道を敬遠する癖が出ている。(ナンギー)
 佐賀関半島は海は見えるが退屈な道だ。関サバ、関アジの本場なのだが食べる訳にいかない。大分に着いたら必ず食うぞと思いつつペダルを漕ぐ。東向き、北向きは向かい風だ。 佐賀関漁港を過ぎたあたりからやっと追い風となる。右手に風力発電のある半島がうっすらと見える。きっと佐多岬に違いない。なんと狭い海峡だ。速吸瀬戸というそうだ。こりゃあサバもアジも旨いはずだ。左には国東半島がうっすらと影を映している。古墳の遺跡が出てくるが見ている暇がない。国道沿いの築山古墳のみ写真に納め、先を急ぐ。
 大分市の郊外に入ってからがやたら長い。市街に入っても駅までは相当だ。精も根も尽き果てた頃大分駅に到着、久々の94Kmを踏破した。Img_3352

四国がすぐそこに見える。

 佐賀関を通りながら、関サバ、アジを食していないので、なんとしても味合うため、フロントで照会してもらう。郷土料理のこつこつ庵は美味しい料理で予算をオーバーしてしまった。関サバ刺身1、500円、名物だんご汁のだんごは団子でなくひもなのだ。団子をひもにして食べる、これが妙らしい。
 
 走行距離 94Km 累計 7、345Km  経費14,861円

★東横イン大分駅前 日曜サービス4,095円 東横インでは最も感じよかった。

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佐伯天空の城 3/17

2007-03-25 | 旅行記

 2007.3.17(土)快晴、風強

 8:00 起床 
 9:45 延岡グリーンホテル発~延岡郵便局~R10~R217~
15:30 佐伯市清風荘着~佐伯市平和記念館やわらぎ~国木田独歩記念館~佐伯城跡
18:10 清風荘着
 
 すっかり晴れた朝が来た。自転車の生活がまた始まる。駐車場で空気を入れたり、ホイールをはめたり、またこいつと二人の旅となる。宜野座村から持ってきた村史を郵送する。勿論読んではいないがとにかく重すぎる。延岡の街は、駅の周辺は野暮ったい感じだが、郵便局のあたりはすっきりしている。昔なら駅周辺が主になっていたのだろうが、また歴史は繰り返されるので、いつかは賑やかな街となるだろう。
 国道は日豊本線と並行して北上する。土曜日というのに通行量が多い。日向街道と呼ばれるこの道は昔から重要な街道で、あちらこちらに石塔、石碑が並んでいる。また、西南の役の激戦地であり、西郷隆盛敗走の街道でもある。Img_3299 Img_3302
Img_3303
道ばたの石碑、水神様と田の神様は宮崎の特徴だが、田の神様は見つけられなかった。

 北川で国道326号線が分岐すると、10号線の交通量は格段に減る、皆無といってもいいくらいだ。鎧川に沿って鉄道と道路が交差しながら進む。景色は山と川ばかりで寂しいことこの上ない。たまに工事の車などが止まっているとほっとする。こんな静かな二桁国道も珍しい。よく見ると旧の国道が使われることなく、交差したり、川向こうに並行して走っている。所々に橋も残っているが、どれも使われてはいない。草ぼうぼうになり、朽ちはてている道がなんとも愛おしい。鹿児島錦江湾沿いで見た廃線路もそうだが、なぜこんなに心引かれるのだろう。大原の手前でやがて自然の中に消えてしまうだろう橋を写真に納める。Img_3305 Img_3307

川向こうの廃道と廃橋

 大原を過ぎると人家が現れ、ほっとするが交通量は以前少ない。直川には村営のゴルフ場がある。数年前訪れて、休業日だったことを思い出す。やむなく小半鍾乳洞(おながら)に行ったら、水没で入洞出来なかった。まんの悪い日というものはあるものだ。懐かしく思い出す。やがて国道10号線と別れ、佐伯に向かう。番匠川の堤防を通ってゆくと5Km程で佐伯の市街に着く。佐伯は城山を中心とした城下町だ。武家屋敷や町並みが保存されており落ち着いた雰囲気がある。港側は造船やセメント工場で工業地帯となっている。
 その一角に佐伯市平和記念館やわらぎというのがある。なんでもこの地は真珠湾攻撃の出撃基地であったそうで、それらの関係で戦争関連の資料館が有るようだ。訪ねてゆくと残念ながら改装中で数日間休館だそうだ。一期一会の旅人としては残念だ。やむなくこの地にゆかりの国木田独歩の記念館に行く。閉館の時間となっており、丁度しまっておられるところである。直川のゴルフ場と同じような状況だ。城山は休みも、閉館時間もないので行ってみる。Img_3312 Img_3314

番匠川沿いの道と平和記念碑


 本丸跡は山頂にあり、三の丸櫓門から700mもあるのだ。自転車でも登れるが、所々押し歩く。散歩というよりトレーニングの市民が多くいて、親しまれているようだ。這々の体で山頂に着くと、いやはや絶景で往時の殿様の気分となる。特に暮れなずむ番匠川の景色は素晴らしい。山頂は本丸、二の丸、西の出丸、北の出丸などの跡があり、石垣だけとなっているが、奈良の高取城を思い出す。山が人の心を引きつけるように、山城も魅力がある。平地の城には何も感じないのだが、、、。
 下りは自転車でさっさと降り三の丸櫓門など写真に納めていると、その前に佐伯小学校がある。武家屋敷をそのまま学校にしたらしく、屏や門が残っている、素晴らしい小学校だ。Img_3320 Img_3323

佐伯市海側と光る番匠川


Img_3322Img_3330_1Img_3332_2   




左:本丸跡  中:三の丸櫓門  右:佐伯小学校
 走行距離 87Km(城山等10Km含む) 累計 7、251Km
 経費1,322円

★ホテル清風荘 佐伯市駅前 1泊2食6,300円 古いがサービス良く、気持ちよく泊まれた。

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駅舎温泉 3/16

2007-03-25 | 旅行記

 2007.3.16(金)曇り

 8:00 起床 
 9:00 高千穂民宿春芽発~高千穂峡~民俗資料館~国見岳~天の岩戸神社~日之影温泉~
17:00 延岡グリーンホテル着

 高千穂峡は行けそうで行けなかった所で、今回行かなかったら一生行けないという気持で、気合いを入れて訪れる。あの切り立った渓谷の中を(廊下という)船に乗って見てみたいものだ。船乗り場駐車場と言うところに駐車するが、あの写真で見たモーターボートは今はない。総て手漕ぎのボートに代わっているのだ。寒い上に五十肩ではボートは難しい。やむなく渓谷沿いの遊歩道を歩くこととする。船から見るほどの臨場感はないが、景色は充分堪能できる。ポスターやカレンダーで有名なあの景色もしっかりある。玄武岩の柱状節理の両岸に滝の水が注ぎ、幻想的な景色となっている。上流に行くと両岸はもっと狭くなり、うまくすれば飛び越えられるかというところがある。ここが槍飛びで、戦国時代の追われた武士が槍の柄を着いて飛び移ったと言われるところだ。なんとか飛べそうにも思えるが、底の深さを見ると躊躇せざるを得ないようだ。少し上流に行くと「神硯の岩」
というのがある。三条大橋に鎮座する高山彦九郎がここを訪れているのだ。高山彦九郎は一体何をした人かよく解らないのだが、寛政の三奇人と言われたそうだから普通じゃ無いようだ。江戸時代の旅人として名を馳せているようである。細い水流と切り立った岩壁、
高千穂峡は裏切ることは無かった。Img_3254 Img_3257 Img_3267
 
左:高千穂峡おなじみの真名井の滝

中:槍飛周辺

右:仙人の屏風岩


 民俗資料館は宮崎県特有の横穴墓や神楽の展示が豊富で、職員さんの説明も丁寧である。
自転車では絶対に行かない国見岳に行ってみる。神話の舞台となる山であるが、なるほど見晴らしはよい。神話の像などもあるが、傍らにあるひっそりとした祠の方が臨場感がある。Img_3277
 高千穂温泉は源湯を天の岩戸温泉から引いているという。ではそちらへ行こうと、向かうが、設備の点検で休業とのこと、がっかりである。天の岩戸神社の上流に天の安河原と仰慕ヶ窟(あまのやすがわら、ぎょうぼがいわや)という神秘的な場所がある。天照大神が天の岩戸に籠もった際に八百万の神々が相談を下のが天の安河原である。天の岩戸神社は中々幻想的な神社である、帰りがけにさざれ石を見つけた。伊勢にもあったあれである。
そういえば伊勢にも天の岩戸があった。どちらかと言えばこちらが正統派の感があるが、神話なんて所詮征服者の都合のいいように造れれているものだから、深刻に考えるものではない。Img_3288
Img_3295
仰慕ヶ窟とご存じさざれ石


 高千穂鉄道は延岡から高千穂まで旧国鉄の高千穂線を引き継いだ会社で、トロッコ列車など走らせたりして頑張っていたのだが、2005年の台風による橋梁の流失等で運行再開が難しくなり、現在は廃線状態になっている。地形的にはもの凄いV字渓谷地帯で、この地帯の鉄路の維持を一民間会社で行うのは絶対に無理である。当たり前のような国鉄民営化が、実は大きな矛盾であることが明白である。ほぼ廃線状態となっている高千穂線、日之影温泉駅に駅舎の温泉がある。高千穂線のせめてもの思い出に入ってみようと思う。入浴料は500円、駅舎の二階にあり、のんびりとしている。お湯自身はたいしたこと無いが、駅舎の温泉、応援したい。Img_3296 Img_3298_1

列車の通らないプラットホーム
二階の部分が温泉となっている



 走行距離 0Km    累計 7、164Km   経費8,400円

★日之影温泉 単純泉 循環 加温 無色無臭500円 高千穂線の日之影温泉駅の2階にあるユニークな温泉

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秘湯新湯 3/15

2007-03-25 | 旅行記

 2007.3.15(木)雨

 8:00 起床 
 9:00 えびの高原荘発~新燃岳新湯~
17:00 高千穂民宿春芽着~高千穂温泉~高千穂神社夜神楽

 少し期待はずれのえびの高原であったが、昨日見つけた秘湯新湯は期待ができる。ガスで10m程の視界の中を鹿児島側に回り込む。小さな地獄があり、すれ違いも困難な道をそろりそろりと下ってゆく。やがて右手、谷の向こうに木造の宿が見えてきて、硫黄の臭いと湯気が見えてくる。ご主人が個人で開発し運営されてきた、硫化水素を多量に含んだ硫黄泉で特に皮膚病には絶大な効果があると言うことである。内湯は男女別になっており、露天風呂は混浴となっている。内湯は大きな岩から源泉があふれ出ており、硫黄の湯の花で真っ黄色になっている。久々の濃い温泉で大満足。秘湯といえども観光バスが横付けするような温泉もあるが、ここは秘湯そのもので、めっけものと言うところだ。Img_3235_1
 お風呂を出てからはひたすら高千穂に向かって走る。結構遠くて、夕方の到着となる。
民宿の向かいに高千穂温泉という大きな設備があり、食事後に行く。新湯の立派なお湯に入っただけに何とも寂しいお湯である。ビールを飲んでしまったのでタクシーで高千穂神社の夜神楽に行く。毎晩各地区の順番で開催されている。本来の高千穂神楽は11月から2月にかけて各地域で行われているもので、国の重要指定文化財となっており、夜を徹して行われるもので、その他の季節の夜神楽は入門編あるいはさわりと言ったところか。それでも「ほしゃどん」と言われる村人達によって舞われる神楽は大変興味深いものである。
いつの日か本物を全編みたいものだ。Img_3241 Img_3250

高千穂温泉と夜神楽



 走行距離 0Km    累計 7、164Km   経費9,000円

★新湯 硫黄泉 源泉掛け流し 露天風呂あり(混浴)。硫化水素臭の白色の湯
皮膚病に効果が高く、治療湯や湯治棟もあり、人気が高い。秘湯西の大関ということである。宿の主人が自力で掘り当てた温泉で、苦労話が自費出版されている。500円
(80)  

★高千穂温泉 単純泉 循環 加温 無色無臭で源泉は天の岩戸温泉だとか。プールも併設の巨大な設備。500円(宿で割引券もらい400円)

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