晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(15) 8/29

2013-08-30 | 上林地名考

2013.8.29(木)晴れ 「西丹波秘境の旅」-9
 「丹波文庫」に連載の斉藤氏の「青い花」は創作となっている。一般的に創作となっている作品を参考文献とするのは考えられないことである。創作とは作り話と言うことだからである。
 しかし、「青い花」の場合、話の展開の場面は創作であるが、地名考証や歴史民俗研究の部分は決して創作されたものでは無く、膨大な資料に基づく練り上げられた仮説と考えられる。従って澤先生が「青い花」を参考文献として採用されることはなんら問題はないのだが、その説の一部を無批判に、自らが検証することなく文中に使われていることである。「青い花」の文中には澤先生も登場し、両人は気心の知れた懇意の仲なのかも知れない。もしそうであっても読者には無関係なことである。
 なぜここまで「西丹波秘境の旅」に批判を加えるかというと、本書が上林の日置について書かれているおそらく唯一の単行本だからである。
 もしこの本が信頼あるものだとしたら、次の文をもってわたしの日置に対する研究は終了する。
「なお、上林川の中流にある日置谷という集落は、日の吉凶を占う祭祀者にかかわりのある集落である。冬至のころ、太陽が日置谷の東南の長老ヶ岳からさし昇って、弥仙山を赫々と照らすその通過線上にあるのは間違いないことである。古代、日置谷の重要性を考えないわけにはいかない。いま日置谷には、古代太陽観測信仰の人々の子孫はいないのであろうか。一度その小字名や苗字を調査したいものである。」

 この本に信頼が置けないから調査探訪を続けるということではないけれども、日置という地名は実に謎の多い地名だ。様々な文献に日置だの日置氏だの出てくるのだけれど、果たしてどのような地であったのか、どのような氏族であったのかよく見えてこない。というより証拠が得られないのだ。例えば鉄の生産に関する地であったり氏族であったりすると、製鉄遺跡が発見されたりするので、一応の証拠となるが、太陽の観測、祭祀などと言っても物的な証拠はもちろん、情況証拠も見つけにくい。とりあえず周囲にあるいくつかの日置から、共通点を探し出してみようと思う。P1010038


 



 
京都地名研究会会報「地名探究」第三号に澤氏の追悼文を見つける。


澤潔氏は2005年1月に亡くなられている。93才で亡くなられたということだから、「西丹波秘境の旅」が出版されたときは83才のご高齢である。つまり「北山を歩く」などでは豊富なフィールドワークで斬新な地名解を書いておられたのが、山に登ることもままならず、各地を丹念に訪問することも難くなったのだろう。にもかかわらず随分失礼なことを書いてしまった。「西丹波秘境の旅」は澤先生の最後の出版物と思われ、先生にすればどうしても書いておかなければいけないことがあったのではないだろうか。それが何かは本を読まれたら見つかることとして、わたしが何かと難癖を付けた部分は枝葉末節の部分だろう。なんとも赤面の思いである。
この項終わり

【作業日誌 8/29】
ネギ、ラッキョウ植え付け

【今日のじょん】猫だけでなく犬も涼しいところをうまく探す。階段の下が最も涼しいようでいつもここで寝ている。天窓を開けているので冷気が下りてくるのだろうか。もっともカイダンは涼しいものであるが、、、
 写真は昼間のものだが、夜は恐怖である。真っ暗だから踏んづけてしまいそうになる。これの方が涼しいカモネ。P1010025

 
 

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日置のこと(14) 8/28

2013-08-30 | 上林地名考

2013.8.28(水)晴れ 「西丹波秘境の旅」-8

 「丹波文庫」第15号の中に「創作 青い花 第三章 表口の沈黙(其弐)」という文がある。その中に頭巾山や許波伎神社、日置や土、興などが登場する。実は澤先生この創作文にぞっこんの信頼を置かれているようである。
 例えば「「丹波文庫」(15号)に、若狭から丹波へ移った許波伎神社が尼来峠にあり、同社のまたの名を云々」(P117)と言う文章がある。このまま読むと尼来峠に許波伎神社があるということになるが、実際には存在しない。許波伎神社があるのは頭巾山である。
 「青い花」をよく読むと、伴信友(江戸時代の国学者、小浜の生まれで「若狭旧事考」は著書の一つ)が書いている許波伎神社について、「寛文の図にあまぎ峠とあるあたりに山の神なりとて権現という小社ありこれぞこの許波伎神社なるべき云々」という風に書かれているとある。つまり古文書に尼来峠に許波伎神社がかつて存在したとあるのをあたかも現在も存在するかのごとき表現をされているのである。これは澤先生特有の言葉足らずの表現なのかも知れないが、読者に誤解を与える事には違いない。
 弥仙山の於成平を観測点として、春分秋分の日に尼来峠から日が昇るとか、夏至の日の太陽が興の阿比知神社に沈むとかいう無理のある文章の根底には、「青い花」に書かれた、許波伎神社=トキ権現=日の出、興(おき)=日置という仮説が存在するためであろう。
 「青い花」の作者斉藤喜一氏はそのようなことは一言も書いておられない。前述の仮説を書いておられるだけである。つまり、澤先生は斉藤氏の仮説を信頼するあまりに、その地を自らの想像する太陽の軌跡に使用されたものではないだろうか。
P1010027

 


丹波文庫14号も借りてきた。

  ここで断っておくが、斉藤氏は某サイトを主宰され、その中で丹後を中心とした丹波、若狭なども含む地域の地名考証や歴史民俗調査をされており、その資料たるや膨大なもので、氏の努力や真摯な態度には頭の下がる思いである。
 柔軟かつ大胆な発想で次々と出される仮説には従来のいわゆる学者からは得られないものがあり、歴史の真実により近いのではないかと思っている。
つづく

【作業日誌 8/28】
ドッグランど草刈り
ネギ類植え込み準備
P1010020



あや新さんが取材にくるってんで慌てて草刈りをする。
【今日のじょん】イルマン棒
先日紹介の「米粉とお魚のガム」は実は肉類と小麦粉を使わない低アレルギー食品で、おやつの食べられなかったじょんにも食べられるものなのだ。本犬も喜んでおり、我が家ではイルマン棒と呼んでいる。P1010017

 

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