晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

丹波西国三十三所道中記 二日目ー2

2024-01-16 | 徒歩巡礼

丹波西国三十三所道中記 二日目ー2 初めての同行者
 2023.7.21(金)快晴 一番観音寺~円浄寺(三番法光寺管理)
 お寺は心と身体のオアシスである。われながらいい言葉だと気に入っている。心はイライラで身体は暑さでくたくた、、、それがお寺の山門にたどり着くとすっかり癒やされて、さわやかで活力が湧いてくるから不思議だ。
 円浄寺山門にて、お寺は心と身体のオアシスである。 法光寺朱印
 円浄寺は福知山市堀にある曹洞宗のお寺で、第三番 法光寺(廃寺)の管理をされている。一宮神社の東にあり、禅宗らしいたたずまいの立派なお寺である。観音堂は無さそうだがご住職にお願いして本堂にてお参りし、法光寺の御朱印をいただく。法光寺の観音さまは荒木の公民館内におまつりされているということだ。本来なら今日お参りするところだったのだが、Kさんの状況を見ると危険な感じだ。歩いて三十三所を巡礼すると言うと、ガイドブックがあると言って「丹波西国と御詠歌」という写真入りの冊子をくだされた。志保美円照さんの作られた本で、一番観音寺で聞いた女性のことのようだ。この本が実によくできていて、お寺の場所やアクセス連絡先、宗派や観音さまの様子、地図や写真、御詠歌や朱印まで必要な事柄は総て網羅されている。以後この本と一緒に旅することとなる。
 円浄寺で法光寺朱印とこの本を戴いた。
 さて、わたしには歳の離れた姉がいるのだが、若いときに何回もお見合いをして断ったり、断られたりでようやく公務員の義兄と一緒になったわけだが、「堀の大きなお寺でお見合いをしたことがある」と聞いていた。住職にそのようなことを聞いてみたが解るはずも無く、「もしそうだったら、下川合の住職の紹介かも、、」という話であった。するとお寺が発行しておられるたよりがあり、先代の住職が昨年に亡くなられたという記事が載っていた。遷化(せんげ)と言うそうだが、実に優しい、柔和な感の方で、生年が昭和七年という。姉が十一年生まれなので年齢的には相当かなと思う。
 そんなこともあって厚くお礼申し上げて円浄寺を後にする。
 堀から福知山駅に向かうのだが、列車の時刻は16:52である。車なら10分も掛からないだろうが歩くとなると予想も付かない。Kさんも休憩の甲斐あって順調そうだ。他愛もないことをしゃべりながら線路が見えるあたりまできた。ところがKさんが段々遅れ始める。此の電車を逃すとあと一時間無いのだ。Kさんを待つことなくどんどん歩く、一人で間に合って帰ろうというのではない、なんとか奮起して着いてきて欲しい思いからだ。わたしは間に合ったが、Kさんが着いたときには電車は既に出たところだった。一時間あれば四番の海眼寺にも参れるかなあと誘ってみる。「ここで待ってるから行ってきてください」なんとも情けない声で返事があり、どうやら相当疲れているみたいだ。結局海眼寺にはたどり着けず、やよいちゃんのやってる喫茶キューピッドでアイスコーヒー飲んで帰ってきた。本当はビール飲みたかったんだけど置いてなかったから、つまりそれほどやるせない想いでいたのだろう。
 貴重な休みの日、あわよくば二寺の札所と管理のお寺を廻ろうと計画していたのだけど、札所は一つも参れずに、管理されているお寺一ヶ所のみの参詣で終わってしまった。同行者があるためにやむを得ないのだが、その同行者にどうもやる気が感じられない。服装や作法、巡礼の用具や歩き方など色々教えてあげようと準備していたのだが、どうも関心が無いみたい。思えば今日まで綾部三十三ヶ所に始まって以来、常に一人で行動してきた。時間も行動も自分の思うとおり、好きなようにやってきた。他人と一緒に廻ることがこんなにもストレスかと思わせる一日だった。
 後日談 「西国札所古道巡礼」(松尾心空著)の中に、菅笠に記す偈文(けつぶん)を見つけた。
何処有南北 本来無東西 迷故三界城 悟故十方空(何処にか南北あらん 本来東西なし 迷う故に三界の城 悟る故に十万空)
 この際、東西南北は、「分別」の謂であり、財の有無、能力の優劣、地位の上下を意味する。なべての人は、仏の前に佇む時、全く裸身の人間として平等に他ならぬ。しかし、分別や差別はこのことを否定している。それ故に、東西南北もなし、とうたったのである。南極に立てば、全ての方角は北となり、北極に立てば、あらゆる方角は南となって、東西南北の区別は消え果てる。或る極点に立って人生を観る時、そこに分別は消えるのである。その極点とは、仏の世界であり、その住人となる限り、地位、財産、能力の区別は消え失せるのであろう。死を見すえた白装束も、裸形の人間像を象徴しているのである。そして、ひたすら歩み、たえ間なく歩み、歩み続けて懺悔の汗を流し、疲労の極点に達した時、はじめて見開ける世界こそ巡礼の心であり、これこそ原点といわなければならぬ。
 巡礼の原点について、このように書かれている。そして心空さんは多いときには二十名を超える老若男女を連れて西国三十三所を歩いて、何度も廻られておられるのだ。たった一人の同行者に思うようにいかないからと悪態をついて、二度と誘わないと思うわたしが、如何に傲慢で不遜であったかと、この
偈文を読んで懺悔するのである。人より遠く早く歩けること、経のひとつも詠めること、それが尊いことでも偉いことでも何でも無い。仏の前では東西南北もないのだ。謙虚な気持ちで巡礼を続けたい。
                                  おわり

 

 

 

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2 コメント

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巡礼 (島の医者になって)
2024-01-20 07:53:59
 続きがやっと読めて安心しました。結末もよかって嬉しいです。
私も東西南北ないのだと思って生きていきたいです。
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Unknown (じょんのびマスター)
2024-01-22 21:29:27
やっと二日目の記事が書き終わりました。今三日目に取り組んでいます。暑さの夏を歩いた時の記事を書くのは、臨場感が薄れるかもしれませんね。
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