晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

JAZZ LIVE 11/28

2016-11-28 | 文化に触れよう

2016.11.28(月)

 ミニコミ誌エフさんのプレゼントでJAZZ LIVEのペア招待券が当たった。、昨日のことだけど生のジャズなんて聴いたことがなかったのでワクワク和久市に行く。遊’Sさんは音楽Liveのできる喫茶店で、アンティークが似合うおしゃれな空間である。

美市川五左衛門善久TRIOてえのはこれで3人なのかと思ったら、ピアニスト一人の名前で、ベイス中嶋明彦、ドラムス岡野正典のトリオだった。「枯れ葉」に始まって「琵琶湖周航の歌」で終わる2時間はたっぷりジャズを聴かせてもらって大満足。いやあ、JAZZってほんとにいいですねえ。欲を言えばコーヒーでなくてコニャック、いやバーボンかな、グラス片手に聴きたいところだが、これはかなわないことである
。美市川さんは北近畿で活躍されているのでまた機会を作って聴きに行きたい。

 続々ライブあるので、店に置いとくね。 
それにしても今年は大津絵、竹人形、フルハーモニー、ジャズライブと初めての体験が続き、なんでこの歳になるまで体験しなかったのかなあと不思議な感がする。すぐそこにいくらでも機会はあるのだが、気がつかないのだろう。積極的に文化に触れようとしたとき初めて身近にあるものだと気づくのかもしれない。

【今日のじょん】これってピンぼけじゃないのヨ、名物丹波霧の朝。25日のことである。


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 笑・外・歩く 寿命延ウォーク(3) 11/27

2016-11-27 | 健康

2016.11.27(日)雨 寿命延ウォーク(2)は2016.11.13

 11月2日に右腰に違和感を感じてから、25日目となる。慢性腰痛の域になろうかというのだがなぜか危機感が無い。何でって?別に何の支障も無いからだ。それって腰痛とは言わないじゃ無いかと思われるだろうが、確かに右腰にこわばりがあり、靴を履くときや車に乗車したとき痛みを感じてはいるのだ。でもすぐに忘れる痛みだし、生活には何の支障も無く、運動も作業もいつも通りこなしている。長年腰痛やってるが、こういうのは初めてだ。これって何だろう?
 寿命延ウォークの効能を書き直す必要がある、「腰痛が起きにくくなり、起きてもすぐに治る」から「腰痛が起きにくくなり、起きても生活に支障の無いものとなる」かな。
 寿命延ウォークのテキストも書き直したいところがあるので、今回の違和感がすっかり無くなった時、つまり完治の時点でで発表したい。

 【今日のじょん】ピアノの練習しているおかーの横でよい子しているので、ビクターの犬みたいやなあっとカメラに収める。ところが音楽聴いてるのではなくて、「はよ昼飯にしよらへんかな」と待ってるわけ。

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老化・加齢・それとも? 11/25

2016-11-25 | 健康

2016.11.25(金)晴れ

 11月23日 小用に起きたら左眼にガラス片の光のような輝く飛蚊が数個。
起床後、散歩にしていると、大きな黒の紐の絡まったような模様がゆらゆらと現れる。その後は一日中黒または泡状の細かな飛蚊が左眼全体に現れる。黒の紐状の飛蚊1、2個、右下に黒丸の飛蚊1個あり。
 11月24日 昨日同様、夕刻左眼疲れあり。

 飛蚊症という聞き慣れた病が起きた経過である。経験のある方には何でも無いだろうが、初体験のものにはかなり衝撃的なデビューである。それにしても事故や発症というのはなぜ病院が休みの日に起こるのだろう。全身打撲、鎖骨骨折の交通事故、頭や顔を何針も縫うMTBの事故、蜂窩織炎、ひょう疽、ノロウィルス、度重なるぎっくり腰、いつも休診日である。休日診療のある場合はまだしも「先生がおられませんので明日来てください」と言われたひょう疽はつらかった。一晩うずく痛みに耐え、翌日行ったら手遅れで、完全に化膿してしまった。
 今回は幸い症状が進むわけじゃ無し、痛くもかゆくも無いので本日の診察となる。昨日はかみさんの中井先生の診察日で店番も必要で行けなかった。その代わり上記の状況をメモして先生に聞いてきてもらった。答えは、たいていの場合は問題ないのだが、重篤な病気の可能性もあるので検査をするようにと言うことだった。
「僕も飛蚊症になりましてねえ、あれって突然来るのですね。眼科にいったら美人の女医さんで、(そうそう、逓信病院にも美人の女医さんいましたなあ、眼科って美人多いんですよね)老化ですかねえって言ったら”老化じゃないですよ、加齢ですよ”って言われました。それから僕も加齢ライスって言うようにしてるんですよ」だって。
 昨日の早川先生の聞き書きの中にもあったのだが、患者に対する言葉遣いってずいぶん大切なことなんだよね。患者は不安いっぱいで診察受けてるわけだから、言葉遣いで救われもし、落ち込みもする。老化と言われたらもう取り返しのつかない奈落のような気分になるが、加齢ライスといわれたら、なんだそういうことか、どうってことないんだなと言う気にもなりそうだ。
 さて今日は佐野眼科さんに行ってみる。加齢ライスの飛蚊症(生理的飛蚊症)と病気の飛蚊症(病的飛蚊症)は機器さえそろっていれば簡単に判断できるそうだ。3,4回機器の前に座って検査を受け、先生の診察も受けて、特に重篤な病(網膜剥離、網膜裂孔など)は無かったそうだ。
 先生が信頼できるか否か、「老化というか加齢というか」で決めようと楽しみにしていた。
 さてその結果は、、、「歳とともに、、」だった。
「う~む 名医だなあ」
そうでしょうとも、眼医ですから、、、。チャンチャン

【今日のじょん】てなわけでじょんはお留守番ばかり、これは朝の散歩時の写真。

どういうわけか堤防の草がユンボでならされてしまった。???


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雨読 「こんなはずじゃなかった2」 11/24

2016-11-24 | 雨読

2016.11.24(木)曇り

 前回「お~い元気かぁ」で少し紹介したが、「こんなはずじゃなかった2」は本ではなくて京都新聞連載の記事である。2016年6月9日~9月15日まで12回に渡って掲載されている。全回を切り抜いたり、図書館でコピーしたりしたつもりなんだがいざ読もうとすると、2回と11回が抜け落ちていた。要するに揃えるだけで読んでいなかったわけだ。今あらためて読んでみると実に考えさせられる内容である。患者を診る立場から看護、介護される立場に変わり、今まで分からなかったことが見えてくるのだろう。あれほど患者さんの立場に立っておられた先生でも、患者の思いや状態など、その身になってみないと分からないことが一杯あるようだ。

 例えば熱中症にならないよう看護師さんや介護士さんは、水分をとるように言われるが、年寄りはのどが渇かないのだそうだ。それに若い人のようにごくごくと水が飲み干せないのだそうだ。お年寄りを訪問した際に、「水分を一杯とってね。ではさようなら」って帰らんといてね、とおっしゃってる。
 先生は多発性骨髄腫というがんを患い、在宅療養を続けておられる。在宅療養で患者に必要なことを、患者と医者、両方の立場から発信したいとこの記事を連載されたそうだ。
「長寿は戦争しなかったから」
「路傍の神のような医者が理想」
「ええやん、物忘れしても」
「手が届かないところがかゆい」
「笑う門にはぼけは来ん」こんなサブタイトル見たら是非読んでみたいやろ。年内じょんのびの「行って来文庫」に置いておくさかい、読みに来てや。おっと関西弁うつってしもた。

 最終回のタイトルは意味深で、「畳の上で養生」は天国なんやろか・・・・

 家で養生できて幸せやとは思っている。でも地獄にいるような気がするときがある。
 世話を受けることが、こんなにつらくて悲しいとは思わんかった。

 「違う。こんなんと違う」そう叫ぶ自分がいる。

 僕が追いかけてきた夢。「畳の上で養生」を「かくのごとく天国だ」と説明しようとしたら、それは煙のように消えていた。
「あっ、浦島太郎の話と同じや」と思った。在宅療養をしてわかった。
ふりだしや。

 「先生、それふりだしと違うで」
 「何やねん」
 「継続ですがな」
そうか。ほならまた、僕の話を聞いてくれるか。

12月から「こんなはずじゃなかった3」が始まるそうである。

【今日のじょん】貞岡さんにカメムシ取りの近代兵器をプレゼントしていただいた。もうだいぶ少なくなってきたのだが、それだけに見つけたら余計にうるさい。それにしてもこれ阪神にプレゼントしたいねえ。



 

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雨読 「お~い元気かぁ~」 11/22

2016-11-22 | 雨読

2011.11.22(火)晴れ

 京都新聞の連載で早川一光先生の「こんなはずじゃなかった2」と言うのがあって、切り抜きにして保存している。大変面白い文なんだけど一体何が「こんなはずじゃなかった」のか不思議に思っていたところ、古本でこの本を見つけた。

「お~いげんきかぁ~」ー医の源流を求めてー 
 わらじ医者 早川一光著 かもがわ出版 2006年3月第3刷発行
 裏表紙に直筆のサインがあり、「いきいきってね 早川一光」とある。
 読み終えて、南丹市となった今もこんな素晴らしい診療所が残っているのだろうかと心配をしていた。
 知井にお住まいの介護士さんに聞いてみた。
「美山診療所は今でもあるんですか?」
「あるある、新しくなって老健みたいな感じになっていますよ」
どうやら入院の床数も増えたようだ。
「この先生知ってますか?」
「早川先生でしょう、どこでも往診してくれて、うちのおじいちゃんもお世話になったのですよ」
 うれしいねえ、美山の人なら誰もが知ってるようだ。美山町は由良川の源流である。サブタイトルの「医の源流を求めて」というのは本来の医療を求めて、この地で住民の健康と命を守ってこられた先生の思いなのだろう。
 先生の診療はもっぱら往診だ。
「もっぱら、私の仕事は、往診・・・・
文字通り”往って診る”医療・・・
ま、分かり易う言えば、
御用聞きの医療・・・
もっと、言いかえれば、
出っ張り医療・・・
きつく言えば、
踏み込み医療・・・です」
これがタイトルの「お~い元気かぁ~」の所以である。
 本書の随所に出てくるのが往生のことである。先生は多くの人の死を見てこられて、送りの医療について真摯に考えておられる。家での往生、畳の上での往生が最も理想的とおっしゃっている。
「いつとは、その人、ひとりひとりが持つ寿命一杯、使い果たしてそのたわわな実を熟させて・・・。
 どことは、できる限り家で・・・。見慣れた天井を眺め、踏み慣れた畳の上で、着慣れた寝間着を着て。
 どのようにとは、みんなに看まもられ、そして、たくさんの人に惜しまれて・・・。」
 現実に先生自身がその立場に近づかれたとき「こんなはずではなかった」と言う風におっしゃっているのは実はこのことではなかったかと思うのだが、、、。

【今日のじょん】おとーと一緒にGoGuideDogs冬バージョンを買いにいるまんさんに行ったのだがサイズが無くて注文して帰る。そのご久々のおおいの芝生に行って遊ぶ、暖かくてご機嫌。

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古地図を見る 11/21

2016-11-21 | 歴史・民俗

2016.11.21(月)曇り

 絵図・古図・古地図・どこの地図? という綾部市資料館の特別展示を見に行く。最近どこの資料館も古地図などの展示が多くて、どこも行きたいのだがそうもいかない。せめて綾部の資料館は行くべしと思っていたら、残り一週間となってしまった。11月27日までなので興味ある方は今すぐ行くべし。

 古地図を見ると面白い発見が必ずある。今では在るや無しやの山道もかつては主要街道であったり、ただの薮山にも集落があったりして楽しい。ただ漫然と目的も無く古地図を見るよりもここぞとばかりに何かを見つけようとする方が断然価値がある。目的があるということは、何かを知りたいと言うことが第一で、わたしの場合上林を巡る峠、上杉の穴虫、井倉新町と味方の石風呂などが古地図でどうなっているかと言う目的がある。
 というわけで、陣屋や社寺の絵図などはさっと見るだけで、古地図を丹念に見てゆく。最も興味深いのは丹波国の古地図で、元禄、天保の丹波国絵図が写真複製で文字が全く読めず残念であった。昔の複製技術で、単に写真に撮ったものを引き伸ばしただけのもので、文字の読めないようなものを展示するのはいかがなものかと思う。丹波国大絵図全(寛政版)は資料館所蔵のものでしっかり読めるのだが、これは複写が出回っており、手持ちもあるので見る必要もなかった。
 綾部市全図・綾部市街図は昭和25年綾部市が誕生した後の図だが、当時の綾部の様子はうかがい知れるも、わたしの目的地はいずれも畑地、田地でめぼしい建物も施設も見当たらなかった。
 丹波国何鹿郡綾部町村及井倉新町全図は非常に細かな地籍図で、井倉新町の石風呂地名を調査中のわたしにはうってつけの地籍図である。付近に神社は無いものか目を皿のようにして見つめるが、残念ながら見当たらない。特に石風呂は田畑一色である。やはり石風呂と関連あるのは宮代町の綾部八幡宮かなあと予想しているのだが。

井倉新町は写真右手の向こうに広がる住宅地だが古地図の中に神社は見当たらない。

【今日のじょん】19日の夕方、ニューモモちゃんがきた。来るたびに元気にはしゃぎ回るので、じょんもこちらもたじたじ、、、。閉店後なので店に入れたら、部屋の中まで走り回っていた。フー、、、。


 


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市志から菅坂峠 11/19

2016-11-19 | 山・峠

2016.11.19(土)雨、曇り

 山行記録 2016.11.18(金)快晴

メンバー:小原英明、工忠照幸
行程   
市志駐車場発 11:45
林道分岐   12:20     出発 12:25
八代峠着   12:40     出発 12:55
舞鶴要塞石柱発見
眺めのよいピーク(510m)13:15
引き返し地点 13:53
八代峠手前昼食14:20~14:40
市志駐車場着 15:20

 今回の目的は八代峠から菅坂峠の尾根道ルートを確定することである。お互い仕事のために出発が遅れる。まあ行けるところまで行って、時間になれば引き返そうと気楽に出発する。いつもの工忠天気は見事に覆され、快晴の秋空、山々の紅葉も最盛期だ。五泉町辻のあたりでこれから向かう稜線の写真を撮る。

正面が今日歩くルート
 観光地の紅葉のように赤い色は無く、黄色と茶色の紅葉だけど、これが自然本来の姿かと嬉しくなる。紅葉では無くて黄葉でいいのだ。市志の銀杏も最盛期で、秋原さん家の銀杏はログハウスと相まって素晴らしい景色だ。手前の畑のワイヤメッシュが無ければ綾部の宣伝ポスターにもなるなあと話し合う。
 さて八代峠へのとりつきなのだが、前回報告では(10.25)二つ目の橋と言っているが、実は三つ目の橋を過ぎたところと言うのが正しい。森林組合の人に一つ目の橋のところで、「二つ目の橋を云々」と聞いたのでそのまま書いてしまったようだ。林道に入って3っつ目の橋を過ぎ、左手に堰堤が見えるところが分岐である。

黄色と緑とログのコントラストがいい(左)、おっと熊の糞(中)、堰堤の見えるところがとりつき(右)

 この分岐からは右の尾根を直接登っていくもので、これは送電線の作業道と思われる。国土地理院地図に載せられた本来の道は谷に沿って登って行き、左手から峠にたどり着くものだが、現在の道は尾根を辿り、444mのピークを右から捲いて、右手から峠に着いているようである。堰堤から谷筋を探してみたが道らしいものは見当たらないようだ。残念だけど歩きやすい尾根道ルートを正式ルートとして道標を作りたい。
 峠で温かいコーヒーを飲む、山で飲むコーヒーは実においしい。
 峠からの道も送電線作業道のようで実に歩きやすい。と、その路上に見慣れた石柱が倒れている。例の舞鶴要塞の石柱だ。「SM3?Z 舞鶴要塞第二地帯標」と書かれている。裏面の表記を確かめようと持ち上げてみるがびくともしない。どこにあったか知らないが、市志の稲荷社の石段に使うべくあの石柱を運んだ市志の人々の苦労が忍ばれる。さてこの位置だが、すぐ横に送電線の鉄塔があるので、峠から最初の小ピーク(480m)の先と思われる。

峠からの道はプロムナード、舞鶴要塞またも発見
 歩きやすい尾根道をどんどん行くとやがて南面が急に開けたピークに出る。512mのピークだろうか、作業用の切り開きとは思われるが、ずいぶん見事な景色だ。君尾山をめぐる稜線、シデ山をめぐる稜線が墨絵のようになって望める。

しばし眺めを楽しむが、先が不安なので出発する。このあたりから送電線が稜線を離れるので、作業道が期待できない。しっかり地図を頭に入れて、北西方向に歩いて行く。稜線上は歩きやすいが、はっきりした道は無い、何度か支尾根に下っては登り返す。この方面に来はじめて初めてテープを取り出す。他にも作業用の目印などが入り乱れている。赤のビニールテープと紫の帯テープがどうやら登山者の目印のようだ。秋の山は木々の間から周囲の景色が見えて位置がわかりやすい。与保呂の水源地や養老山がよく見える。


その後はこんな感じ、灌木で気分はいい

 菅坂峠まで1/3ぐらいのところでタイムアウトとなった。明るい内に菅坂峠に着くのは無理と判断し、引き返すことにする。八代峠のすぐ手前、目途のついたところで遅い昼食をとり、早々に元来た道を辿る。秋の山行は昼頃出発していては難しい。次回は朝に出発して、完走目指したい。

【今日のじょん】夕べは強風が吹き荒れたみたいで、怖がってゴミ箱掘り出していた。桐の落ち葉もこの通り、慌てたら左手がアイタタタ

 

 



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久美浜探訪(3) 11/18

2016-11-18 | 旅行記

2016.11.18(金)晴れ
 旅行二日目(16日)は絶好のよい天気だった。朝の散歩の続き、蛭児神社から東に路地を歩いて行く。ちょうど道が曲がるところに石段と山門が見える。海隣寺という禅宗のお寺だ。盃状穴はないものかと眺めて回る。古い石材が残っているのだがありそうにない。見ると左手奥にもお寺がある。こちらも禅寺で、宝泉寺という。妙心寺派と南禅寺派の違いとはいえ同じ臨済宗だ、こう隣同士じゃ檀家はどうなっているんだろうと余計な心配をしたりする。
 宝泉寺にも盃状穴は無かった。諦めて帰りながら海隣寺の石段を見ると最下段のみに砂が乗っているのが目についた。まさかとは思ったが、一応指で払ってみる。するとだ、どこまでも掘れてゆく、細長い石を拾ってきて掘ってみると大きな盃状穴が現れた。直径は6cmぐらいだろうか、何も持ち物が無いので大きさを比べるものが無い。その右にも砂が乗っており、払ってみると小さな盃状穴が2個現れた。道行く人が何事かと横目で見ながら歩いていく。盃状穴が見つかったのは嬉しいことなんだが、このあり方はどうも不自然である。たくさんの石材の中で最下段の右端の石材にのみ3個の盃状穴というのは変だ。腑に落ちないまま、ふと右手の石垣を見ると、その一番下の部分が飛び出しており、そこにこれまた大きな盃状穴が10個ばかし穿たれているのだ。この石垣をよく観察すると、角の部分は他の石垣と違って、どこかの石材を流用したような形跡があり、石が軟らかそうである。盃状穴が穿たれたのは石垣が組まれた後のことというのはその位置からよくわかる。これ以上の考察は「盃状穴」のコーナーで紹介することにしよう。

左に大きな盃状穴、その横に2個の小さな盃状穴(左)、石段の下端に大きな盃状穴がずらり(中)、海隣寺の石段と石垣の位置関係(右)
気をよくして、朝食会場に戻る。
帰りは道の駅SANKAIKANでお土産買って、ミルク工房そらでコーヒー飲んで、浅茂川温泉で入浴、食事をして帰る。いやはや中身の濃い社員旅行であった。

浅茂川温泉は展望風呂で日本海が見渡せる。
【今日のじょん】ミルク工房そらでは子牛や猫たちと遊べるのよね。
 

 


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久美浜探訪(2) 11/17

2016-11-17 | 旅行記

2016.11.17(木)曇り

 木津温泉近くに網野町郷土資料館がある。元の木津小学校ということで、何ともノスタルジックな建物である。古い道具などが所狭しと並んでいるが、わたしの興味は北丹後地震である。資料部屋にそういった資料があるかもしれないが、人を待たしての入館なので調べている暇が無い。こういうところは一人で訪れるに限る。

 続いて久美浜温泉湯本館に行く。ここは源泉掛け流しで、加水も加温もされていないという。内湯は相当熱いが露天風呂は入りやすい。半身浴でじっと浸かっているとどっと汗が出てくる、よく温まるお湯だ。丹後の温泉はどれも好きなんだが、このお湯が一番でもう5回目となる。

宿泊は「浜や」さんで3月に日帰りで蟹をいただいて気に入り、続いての利用だ。食べきれないほどの蟹のフルコースで、お土産もついて大満足、お風呂も地元の「きららの湯」という温泉でなかなかいいお湯である。

宿泊者にはアワビもついてるのだ。

さて、一夜明けると朝食前にウォーキングを兼ねて小天橋から久美浜の街中へ散歩する。街中に蛭児(ひるこ)神社という立派な神社がある。正面に由緒書きがあり、詳しく書かれているが、嬉しいのは建物や石垣、石段などの改修記録も書かれていることだ。盃状穴を探すものにとってはこの改修記録が大変役に立つ。この神社には盃状穴は見られないと予想する。それでも旧の石材が石垣や境内社に使われていないかぐるぐると見て回る。対面にある駐在所の巡査がうさんくさそうに見ている。やはり盃状穴は見つからなかった。

蛭児神社

【今日のじょん】翌日はよい天気に恵まれ、ダウンは不要。


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久美浜探訪(1) 11/16

2016-11-16 | 旅行記

2016.11.16(水)晴れ
 昨日からじょんのび社員旅行で久美浜へ社員旅行に行く。今年3月に日帰りで蟹食いに行ったところが気に入って一泊二日となったということだ。今回の目標はもちろん蟹が一番だが、先般開通した京都縦貫道延伸部分を走ること、従前から気になっていた郷村断層を見ること、古くからある浅茂川温泉に行くことなどである。京都縦貫道は丹後大宮ICまで延伸され、10分ぐらいは短縮されただろうか。我々閑人にとっては時間短縮より、延伸部分が無料であることの方が嬉しい。我が家から久美浜まで直で行ったら1時間で行けそうである、かつてはとんでもなく遠いところというイメージがきつかったが今では気軽に出かけられるところである。
 まず、郷村断層に向かうべく府道17号線に入るつもりが、663号線に入ってしまい、ままよとばかり進んでいく。ずいぶん遠回りして小池の断層に向かう。北丹後地震は1927年(昭和2年)3月7日午後6時27分にこの地方を襲った大地震(M7.3)で生野内、小池、樋口の3地区に郷村断層が国の天然記念物として保存、展示されている。今回は府道脇の小池、樋口地区の断層を見に行くこととした。
 郷村小学校跡のグランドに車を置き、現場を見に行く。水平に2.60m、垂直に0.60m転位したとされ、その様子が石柱で現されている。直線であった道路が、東に2m半もずれ、アスファルト舗装された今もその様子がうかがえる。ただわたしが知りたいのは、それ以外の断層部分がどうなっているかということである。断層が走っていると思われる南北に目をやるが、田んぼも土手も何の違和感もない。大地震から89年、耕地や宅地に何かが残るものではないようだ。

 となると、現在断層尾根や断層谷、断層崖などと地形的にはっきりわかるものは相当大きな地震だったのだろうか。それとも長年の風化、浸食でそうのような地形的な現象が現れるのだろうか。
 続いて樋口の断層を見に行く。ここは府道からすぐのところで、駐車場も用意されている。案内板によるとここの断層は、花崗岩を切断しており、垂直にずれている。(水平2.75m、垂直0.6m)しかしその硬い岩盤でさえ風化のためになだらかな斜面となっている。花崗岩は風化しやすいといわれているが、建物の中に保存されていながらここまで風化するとは驚きである。崩れた砂の部分を取り除けば垂直面が出てくるのかもしれない。



このあたりに断層が走っているはずなのだが、、、(右)

 後からわかったことなのだが、この樋口地区の東、仲禅寺地区に「引地、引地谷」があり、現在研究中の引地地名について参考になった。(詳細は後日「引地のこと」で紹介)仲禅寺地区は間違って走った府道663号線にもかかっており、偶然とはいえ幸運だった。

 【今日のじょん】丹後は寒いよ~てんで服の上にダウンも着てるのだ。

 
 
 



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 笑・外・歩く 寿命延ウォーク(2) 11/13

2016-11-13 | 健康

2016.11.13(日)快晴 寿命延ウォーク(1)は2016.10.18

 辛く長い腰痛を寿命延(じょんのび)ウォーキングで克服してから、それでも4回目の腰痛が起きた。理論的に腰痛は再発するものであるが寿命延ウォーキングで腰痛に強いからだとこころを作っていれば、起きても軽症、早期治癒がなされるはずである。1,2回目の腰痛は腰に違和感があるものの翌日には問題なしとなっており、3回目は痛み、辛度3が1週間ほど続いたが解消した経緯がある。もちろん生活は普段通りウォーキングも水泳も日常の作業もいつもどおりこなしている。ところが今回、症状がいつもと違うのだ。昨年の長期腰痛も全快の腰痛も左腰だったが、今回は右腰だ。初日右腰に違和感を感じる、いつもの違和感で翌日に消えるかひどくなるかの分かれ目と言うところだ。ところが今回いつまでも違和感が続いている。ただ痛みはというと前回よりも少なく、朝靴下をはくときなどに右腰や臀部にこわばりを感じる程度である。昼間は普通どおりに生活でき、ウォーキングやスイムなどのトレーニングも日々の作業も問題なし。これは本来なら痛みが増してくるのが寿命延ウォーキングの効果でこの程度に収まっているのかとこれまた楽観的に考えていた。ところが9日目あたりから、違和感が常時つきまとうようになってきた、今もそうである。湿布やロキソニンゲルを使ってみる。もちろんこれ等が心理的作用以上の効果を現すとは思えない。(辛度2)
 もしこのまま治癒しないで長引くとなると寿命延ウォーキングの意味は何だったのかということになる。自分を信じてウォーキングを続けたい。笑・外・歩く・寿命延ウォーキングだ。

【今日のじょん】隣の柚はでっかいぞ!じょんがこのスタイルになるとゆずの季節である。


ところがこれは隣の柚で我が家に大柚は無かった。ところが8年目にして大柚?がなったのだ。植えたとたんに大雪にやられ折れてしまった、それでも根元から頑張って伸びてきた枝が見事に茂ったのだが、いつまでたっても実はならない。もう諦めてもう一本苗を植えたのだが、古い木に初めて実がついた。数は6個と少ないが、気になるのはその大きさだ、接ぎ木の台木に実がついたのだろうか、やたら小さい。


【作業日誌】薪割り3日目

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雨読 「古代人の伝言」 11/11

2016-11-11 | 雨読

2016.11.11(金)晴れ

 森浩一氏の著書で手に入る物はすべて読むことにしている。わたしの蔵書を著者別に見ると森先生のが最も多い。考古学に関する書物は何ともお堅い文章で、面白くも何ともなくてちっとも頭に入らない。ところが森先生の著書は実に分かり易くて、ユニークな発想があり、面白いことこの上ない。これは先生の文才もあろうかと思うが、考古学を一般人にも分かり易くして広めようというポリシーがあるためだろう。残念ながら2013年に他界されたが、会えるものなら是非とも会ってみたい先生である。先生なら素人のわたしのヘンテコリンな説でも耳を傾けて頂けるだろうし、疑問にも答えてくれるだろうと思うからだ。
「古代人の伝言」考古学講義 森浩一+陳舜臣 朝日出版社 1980年2月発行 古書
 
病院の待合でほとんど読んでしまった。
 さて本書は森先生の講義を作家の陳舜臣氏が受講するという形式で書かれている。「第一講 遺物から遺跡へ」から「第五講 日本海文化」まで興味深い講義が続く。そのなかから極一部、わたしの興味ある部分を紹介しよう。
 「第四講 古墳時代」のなかで火葬についての部分である
 一般的には土葬と火葬は別な物であって、特に火葬は仏教とともに入ってきたという風に考えられているが、先生は横穴式石室における白骨化の扱いから自然の作用で白骨化を待たなくても、火で焼けば早くてきれいであると、土葬に於ける白骨化が火葬であるという風に説いておられる。  
 「仏教的な火葬でないと火葬と呼ばないと言う人もいますが、人間の死骸を焼けば火葬なので、仏教的な火葬かどうかというのは第二の問題です。要するに、人間が意識的に火の力をかりて死者の軟部をとってしまうというのは、七世紀の段階からあるのは事実です。」 いやはや何ともユニークで合理的な考えだと思う。
 ここに出てくるかまど塚(窯形木芯粘土槨)は大阪府には多いのだけど、福知山にもあるそうで、是非見てみたいものと思う。
 そして本書の中に個人的に大発見をした文章がある。
「しかし、最近、奈良県の宇陀地方では室町時代の火葬用の穴をともなう墓地が見つかっています。」わたしが追い求めた火葬用の穴、火葬用の穴をともなう墓地とは如何なるものなのか。大体どんなものか予想は付くのだけど、果たしてどうなのか見てみたいものだ。宇陀に行けば見られるのだろうか。
 最も感動したのは講義の最後にある文である。
「変な言い方ですが、よい文学を読み、よい音楽を聴き、よい絵画を観ることも、歴史をみる力を豊かにし、結局、それが学問の基礎の一つということになりますね。」
 そう、文化のあらゆるジャンルに触れることが、創造力、発想力の根源になることはわたしのポリシーでもあるからだ。おわり

【今日のじょん】今日はじょんのシャンプー日、待ち時間の間にサン君の新しい小屋を見に行く。

いやはやおしゃれなんだけど、もうあちこちかじっているぞ。

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雨読 「葬儀の民俗学」-(2)  11/8 

2016-11-08 | 雨読

2016.11.8(火)曇り~雨

 筒井氏の「日本の地名」に一、市地名について書かれていたことは既に紹介した。八日市、廿日市など間違いなく市が立ったのだろうが、氏は市が立つような場所では無いところにも多く、一についても山中の寂しいところがあり、二、三とつづく地名も見当たらないと従来の市場説に疑問を呈しておられる。上林地区にも市茅野(いちかや)、市志(いちし)、市野瀬(いちのせ)などあるが、いづれも山間部である。氏はイチは神と人を繋ぐ人、つまりシャーマン、巫女のことではないかと説いておられ、その居住地が市、一地名になったのではないかということである。本書では佾(いち)について詳しく述べられていて、イチと呼ばれる巫女的な人物が存在したことは明らかである。氏は多くの一、市地名について、佾の居住した場所というふうに説いている。 
 ところがわたしはこのイチ地名佾居住説は素直に受け入れられない気持でいる。
 氏は「長宗我部地検帳」から佾の居住を証明しているが、その地にイチ地名は付いていない。須崎市大谷、野見大谷、戸波郷乙丸村、高岡郡高岡村、波介村、宇佐浜、南国市岡豊など佾が居住していたと思われる地名が挙げられているが、その地の小字にイチ地名があれば氏は記述されるであろう。氏の論文では佾の存在は証明できるが、その居住地がイチ地名になったことは証明していないのである。
 市場についても氏は山奥の市場など開かれそうに無いところに市場地名があるのはおかしいと言われているが、果たしてそうだろうか。氏は市場は都市部(もちろん昔のだが)で店が並んで人々が集まっているものを考えておられるようだ。しかし縄文時代でさえあらゆるものの流通があったことを考えると中世、近世には相当の物の流通、取引があったと考えられる。それは物々交換であったり貨幣による売買もあっただろう。山奥というのはそこが行き止まりではなく、そのむこうには違った世界があるものだ。例えば山村の峠の向こうには海につながる村があるという風に。そういう所で物を交換したり売買したりしてその場が市場だったのではないだろうか。
 上林にも市場がある。それは上林街道と洞峠を越える京街道の交点に存在する。

睦寄町の市場、右に曲がると洞峠を通る京街道。重要な分岐点である。
和知町にある市場も重要な街道の交点にある。そして上林の市野瀬も市志も田辺(舞鶴)に向かう峠(前者は菅坂峠、後者は八代峠)の麓にある。老富町の市茅野(いちかや)は若狭に向かう坪坂峠、永谷坂峠の麓に存在する。そういうわけでわたしはイチ地名市場説を採るものである。

五泉町市志の集落、この奥に八代峠がある、この先は丹後(与保呂)である。
 さて本日、おおい町の帰り、舞鶴を走っていると市街に入ったあたりに市場の道標を見つける。帰宅後調べてみると「八幡大神市姫神社」という大社がある、これは筒井氏の佾居住説もありかなと詳しく調べてみる。するとこの地にはかつて4と6の日に六斎市が開かれていたという(角川日本地名辞典)。やはり市場説が正しいようだ。
 ここで「風呂と日本人」「葬儀の民俗学」における筒井氏の編集態度にやや疑問がわいてきた。自説を押すあまりに本来比較検討すべき事項を無視するきらいがあるようだ。地名由来のように決定的に証明することが不可能な分野においては大切なことと思う。
 イチ地名については常々考えていたのだが、皆目見当もつかなかった。本書のお蔭でわたしなりに結論が出せて有り難いことと思っている。おわり 

【今日のじょん】天気も持ちそうなので、うみんピアの芝生広場(先端広場と言うらしい)に連れて行く。いつものように嗅ぎ回っていたが、先客の毛をすいたのが放ってあって気分悪くする。せっかくみんなに喜ばれている広場なのに、そのうち入場制限なんてされたらどーしてくれるんだ。こんなやつにワンコ飼う資格はないぞ。

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雨読 「葬儀の民俗学」  11/7 

2016-11-07 | 雨読

2016.11.7(月)曇り

「葬儀の民俗学」古代人の霊魂信仰
   筒井 功著 河出書房新社2010年3月初版 府立図書館借本筒井氏の著書3冊目である。

 同じ著者の本を続けて読むのは、ベースになる思想が一緒なので理解しやすい。サンカに関する著作もあるので次に読んでみたい。  
 本書は最終章の「「イチ」の今昔」を読みたくて借りたものである。タイトルは葬儀の民俗学だが葬儀というより葬送だろうと思う。この分野についてはかなり研究したので新たな発見はないだろうと予想したのだが、さすがに筒井氏は目の付け所が違っていて、興味ある記事が多分にあった。例えば青島に関する記事では、内陸部の青地名に注目している点である。奥武島、青島、大島などが海辺の葬送地であるとして葬送を行った人物は海人族と言えよう。彼らがやがて内陸に入っていったときやはり、池であったり河川などに同様の葬方で葬ったのでないだろうか。そしてその地が青であったり大であったりするのは不思議では無い。 例えば古代の綾部市では由良川は青野の辺りを斜めに横切っていたとそうだ。そうすると青野の一部は由良川の対岸か中州になっているはずだ。その地に遺体を置いて水葬としていたのではないかと想像している。

青野の由良川屈曲部分あたりはかつての水葬の地ではなかったかと想像しているのだが、、。
  墓のない村の話は鳥取県湯梨浜町浅津(あそうづ)の話で浄土真宗香宝寺でのことである。

YH香宝寺
そこでの葬送の場は寺の東に300mの小川のそばである。そこがいわゆる荼毘の場所で、焼かれた遺骨は砕かれて小川に流されるという。これこそわたしが今探究中の穴虫である。実は9年前自転車日本一周旅行中にそのお寺に泊まっている。もちろん当時は地名にも葬送にも、民俗学にも興味が無く、それらのことを知るよしも無かった。住職はその小川の名前も知らなかったと書かれている。もしそれが穴虫川であったなら、わたしの穴虫研究は完結する。もちろんその可能性はほとんど無いと思われるが、浅津に穴以後という地名を見つけた。以後(いご)というのは溝という意味があり、もしその小川が穴以後であったらと確かめたくていてもたってもいられない心境である。つづく

【今日のじょん】ニューモモちゃんが遊びに来た。ノーリードで走り回れるのがうれしいみたい。


元気なモモにじょんもたじたじ

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関フィルを聴く 11/5

2016-11-05 | 文化に触れよう

2016.11.5(土)快晴

 今年の文化に触れようシリーズは実に充実したシーズンであった。美術、狂言、竹人形、映画、講演などなど、そして究極が関西フィルのコンサートである。グンゼ創立120周年記念事業として取り組まれたため実に1,000円の入場料で実現したものである。クラシック音楽は結構好きで、かつてはレコードもいくつか買っていたし、N響アワーも時々見ることにしている。だけど生で聞きに行こうという気はさらさら無くて、今回も1,000円という値段につられての参加かもしれない。もちろんグンゼさんが多額の補助をされているからの値段なんだろうが、それにしてもクラシックの入場料って高いんじゃないのって意識はある訳よね。

 数ヶ月前に予約を取ったんだけどすでに完売寸前ってことで、お勧めした方がすでに購入できなかったということもありの大人気。それはそれで心配事がある、小椋佳のコンサートでいやな思いをしたように、マナーの悪い観客がいるんじゃないかということ。べちゃべちゃお話したり、ずっとスマホしたり、携帯電話が鳴って話し続けたり、ボリボリばりばりお菓子食ったり、中丹こういう輩多いのよね。クラシックなんて何の興味も無いけれど、安いから行ってみようなんて軽いやついるんじゃないかととにかく不安だったのである。他人のこういう態度が雰囲気ぶちこわしになることはママあることだ。ルーブル美術館展でもダリ展でもバチバチ写真撮ってる馬鹿がいたんだけど、これって本人は誰にも迷惑掛けていないと思ってるのだろうけど、ちゃんと規則守ってるものにとってはすこぶる気分の悪い事象なわけ。
 ところが今日のコンサート、マナーの悪いやつ誰もいなくてすこぶる気分よく進行した。これはひとえに関西フィルの迫力によるものと思う。

 工忠夫妻も来場、おしゃれデスネ

演目はブラームスのハンガリー舞曲第1番、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、ドボルザークの交響曲第9番「新世界より」で、いかにも一般向けというか大衆向けというものだったのだが、ピアノ協奏曲第1番には参った。実はピアノ協奏曲というのはあまり好きでなかったのだが、萩原麻未さんのピアノには驚いた。とにかく涙が流れて止まらない、感動の涙なんだけど、よくぞマスクをしていたかと思う。指だけでなく体全体で、椅子の上で踊るように演奏しておられたのだが、こちらの体もついつい踊ってしまう。いやーピアノっていいですねー。である。彼女の動きが目に入る席につけたこともラッキーだった。
 「新世界より」もレコード買って聴いてた曲なんだけど、オーケストラを生で聴くのはダンチである。クラシック、はまってしまいそう。


【今日のじょん】午前中は仕事していたので、和知からおいでのヨーキーのともぞう君、2歳、紹介するネ。
とにかくかわいいのだ、服もとってもオシャレ。

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