晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

穴虫考(87) 香芝市穴虫-9 6/30

2014-06-30 | 地名・山名考

2014.6.30(月)

 角川日本地名辞典奈良県には小字一覧が載っていない。ところが二上山博物館の資料に「大和国条理復元図」という橿原考古学研究所の編による地図が掲載されていた。どうやら小字が表示されているようで、博物館で聞くと香芝市の図書館にあると言うことだった。
  ようやく探しあてた「大和国条理復元図」で目的の大坂山口神社から谷を遡って、ゴボ山の脇をとおり神社参道の鳥居に至る地域を見て驚いた。そこには何か葬地を表す地名を期待していたのだが、何と「別所ヶ谷」であった。
 マキノ町の穴虫を訪問した際に、穴虫と別所が隣接しており他の穴虫についても近隣に別所地名があるということを書いた矢先であるから驚いたわけだ。
P1020892
 

マキノ町では別所と穴虫が隣接しており、香芝市では穴虫の中に別所ヶ谷が存在している。(写真はマキノ町別所、穴虫は右方向)
 別所とは「別所探訪」の項で書き続けているところだが、柴田弘武氏が蝦夷俘囚の移配地で産鉄の地という説を出しておられる。しかし往生地説も有力な説となっており、この「別所ヶ谷」は葬地、墓地の往生地と見るのが妥当と思われた。
 ところが「大和国条理復元図」で周辺の地域を見た時、別所ヶ谷の東南に金谷、カナヤ、西カナヤ、ヨキノクチなどの小字地名が見える。カナヤは一般的な金属地名であるが、ヨキについてはマキノ町の古代製鉄遺跡の斧研川(ヨキトギガワ)があっただけにインパクトがある。P1020941
 


マキノスキー場の端を知内川に注ぐ斧研川には幾つかの製鉄遺跡が存在する。
 しかもゴボ山周辺から発見されたという威奈真人大村骨蔵器にある墓誌銘に「慶雲二年命兼田太政官 左小弁越後北疆衝接蝦慮柔懐鎮撫允属其人同」の一文があり、蝦夷との接触があった旨読み取れる。P1030219
 


威奈大村骨蔵器には391文字の漢語による墓誌銘が刻まれている。写真は複製のもの。
 別所ヶ谷が単に往生地というだけでなく、産鉄、蝦夷俘囚との係わりも匂わせており、地名というものの奥深さに、ただ驚くばかりである。
 それでは威奈真人大村骨蔵器とは如何なるものか、その発見のいきさつとこの地域の地名を重ねて考察してみよう。つづく

【作業日誌 6/30】
 南京ハゼ8本植え付け

【今日のじょん】じょんの散歩コースになっていた野芝のあぜ道に除草剤が撒かれ、すっかり茶色に変色していたのだが、新たに雑草が生えてきて汚い風景となってしまった。わたしはこの地方の農業をやっている方の美的感覚が解らない。P1030301 P1030302  

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穴虫考(86) 香芝穴虫ー8 6/29

2014-06-29 | 地名・山名考

2014.6.29(日)曇り

 いよいよ穴虫の考察に入るのだが、なにしろ歴史的に大変重要な位置にあるものだから考えねばならないことが沢山ありすぎる。何もかも書くと膨大なものになりそうなのでかいつまんで紹介したい。
 穴虫はどこか?
 香芝市穴虫は広大な地域である。元々小さな地域が穴虫と呼ばれていて、それが大字名になったと予想している。そう考える理由は、穴虫という地名が現れるのは近世になってからのようだからということと今までに見てきた各地の穴虫が、極限られた小さな部分を指しているからだ。
 角川日本地名大辞典で穴虫を見てみると、この地域は古代においては大坂であったようで、穴虫村、穴蒸村、穴蒸越ともに文献に出てくるのは近世以降なのである。古代において重要な街道であり、古墳石材の産地でもあるこの地が穴虫と呼ばれていれば必ず古代の文献に出てくるはずである。
 さりとて穴虫が近世に現れた地名とも思えない。もし近世に現れた地名なら、ある程度意味の解る地名となるはずだ。角川地名辞典には穴虫について、穴に伏す低地という地形に由来すると思われる、と書いている。随分乱暴な地名由来だが、仮にそうだとしてもそういう意味の地名が近世になって現れるとは思えない。つまり古代においては大坂と呼ばれる地域の中に、アナムシと呼ばれる小さな地域が含まれていたのではないかと考える。
 それではその地域はどこか、それを探すのが今回の訪問の最大の目的であった。国土地理院2万五千図に穴虫東、穴虫西の表記がある。穴虫が香芝市の町名に該当するとすれば、これは大字になるのだろうか。大坂山口神社裏山の東西の古い街並みがそれにあたる。そうすれば本来の穴虫とは東西穴虫を含んだ辺りと考えるのが妥当である。
 そしてこの特徴的な山地の中に、いわゆる穴虫パターンを見つけた。穴虫パターンとはわたしの造語で、穴虫と呼ばれる山裾の谷の出口~山の迫った谷筋、街道筋~葬地、墓地という配置のことをいう。各地の穴虫の多くがこのパターンになっている。P1030208
 


この谷筋の道が、古代大坂越えの一部である。大坂山口神社の参道にもなっているが山を降っていくという珍しいものだ。
 ゴボ山が古代の火葬墓の跡らしいという二上山博物館の解説シートを読んで大坂山口神社~ゴボ山の谷(別所ヶ谷というらしい)~ゴボ山周辺の火葬墓らしき地域(別所ヶ谷)こそ完璧な穴虫パターンであると確信した。
 そしてこの谷筋が大坂越え、穴蒸越えのルートであることも、橿原考古学研究所「友史会」の例会報告などで解った。P1030206


 参道入口の手前の地域を迎坂という。ムラを出て遠くへ旅する者を送迎する習俗をサカムカエという。そのサカムカエをした所と解すれば、やはりこの道が街道であったことの証左である。つづく


【作業日誌 6/29】草刈り府道のり面

【今日のじょん】天候のせいか来じょん犬が久しかったが、リズム君が来た。ドッグランどの準備もしていたのだが、急に雨が降ってきてベランダでのご対面となった。じょんはチト苦手みたい。おとなしくてよい子だと思ったのだが、普段はそうでもないとか、、、。P1030299 P1030297

カワイイですねえ

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穴虫考(85) 香芝市穴虫-7 6/28

2014-06-28 | 地名・山名考

2014.6.28(土)穴虫考(84)は2014.6.26

 一通り見学をしていつものように博物館の方に質問をする。
「屯鶴峯の凝灰岩の中に黒い石が混じっているのですが、それがサヌカイトでしょうか?」
「違いますね、多分ピッチストーンかなんかでしょう」
 サヌカイトは高松城に行った時その石垣に沢山使われていたし、転がっていた破片を幾つか持ち帰っていたのでよく解っているのだが、この凝灰岩の中の黒い石もそれらしく思えたのである。
Img_5351 P1030292

 

高松城の石垣に使われているサヌカイト(2007.5.11)
右は今回採集した凝灰岩と問題の黒い石。


「箸墓古墳の上から二上山のサヌカイトが発見されていると言いますし、わたしの地元の青野遺跡の古墳からも二上山のサヌカイトが発見されています。そういう風習とか儀礼があったのでしょうか?」
「それはないと思います。偶然に発見されたのでしょう」
「ああそうですか、、、(ユメガナイナア)」と心の中で思いつつ、あとで解ったことだがこのことはわたしの思い違いだった。
 「知られざる古代」(水谷慶一著)には、日本書紀の箸墓の文「この墓は、日は人作り、、、」について、
 「あろうことか、大和では大坂山や二上山しか産しないサヌカイトという石が箸墓の上から実際に発見されているのである。」とある。
 さて綾部市の青野遺跡のサヌカイトについては、青野遺跡から弥生中期の珍しい小刀三点が発見されたもので、それが二上山のサヌカイトであることは確かなのだが古墳と関連するものかは分からない。「西丹波秘境の旅」(沢潔著)
 というようなことで、係の方の答えは当然のようだ。

 「こちらで発行されている展示解説シートの『大和国条理復元図』の原本を閲覧したいのですが、、」
「それはこの建物の3階にある図書館にあります。申し出ていただければ閲覧できます」
P1030293
 

二上山博物館ではこんな資料も買ってきた。
 てなわけで図書館に行くと、親切に見せてくれたのだが、驚きの120枚にも及ぶ地図である。目的は穴虫周辺なのだが、二人で1枚1枚確認して行く。半分ぐらい見た時ようやく目的のものを見つけ、半分以下ならと複写も許してもらう。大切に保存箱に片づけていると地図の位置を示す一覧表が出てきた。それを早く言ってよん。まあ目的を果たせたのでいいか。
 条理復元図には細かい小字が載っていて、角川地名事典は奈良県の小字が記載されていないだけに貴重な資料となっている。そしてそこには驚きの地名が掲載されていた。それは後述の考察のところで紹介したい。
 目的の地図を見ることが出来て短時間ながら満足な訪問ができた。まだこれから京都に帰るばかりか、綾部まで電車で帰り、バスで我が家まで帰らねばならない。
 京都駅で娘史子と別れ、初めて特急に乗る。特急でないと終バスに間に合わないのだ。さすがに疲れて眠りこけてしまった。つづく

P1030231


奈良に行けば必ず買って帰る柿の葉寿司

【作業日誌 6/28】
キューリのキュウちゃん漬け第一日目
沸騰したお湯に胡瓜を入れ、一昼夜おく。
P1030291


胡瓜をお湯に浸しているところとかりかり漬けのシロップを炊いているところ
青梅のかりかり漬け2回目の漬け汁通し
シロップの漬け汁を湧かして、泡の部分を捨てる。熱いうちに梅にかけ、冷まして保管。


【今日のじょん】うんP置いたままじっと見つめている先に、ドンベエの姿がある。こちらに越してきて以来念道の人も減ったが犬も減った。まりい、ポチ、チコが亡くなってじょんとヘイヘイとドンベエだけになってしまった。6年の間に半減してしまった。そんなことじょんは知っているのかなあ。ヘイヘイが交通事故に遭ったと聞いた、そういえば姿が見えない。なんか心配やなあ。P1030238

 

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福知山市立図書館に行く 6/27

2014-06-27 | 雨読

2014.6.27(金)曇り

 福知山市民交流プラザに福知山市立図書館中央館がオープンした。なんでも北近畿最大の蔵書数、規模などと新聞に載っていたので早速行ってみる。ギャラリーで福知山駅周辺の新旧写真展「時代」が開催されているということと、貸し出しの利用券が三たん地方なら発行可能というので行ってみた。
 というのは今まで府内では居住あるいは通勤、通学の実績が無いと貸し出し対象になっていなかったようで、もし福知山市立図書館が広範囲の地域に貸し出しを始めたのなら画期的なことだと思う。実はお隣の福井県では従前から、たとえ府県をまたいでも近隣地域への貸し出しを行っていた。そんなわけで高浜町の貸し出しカードを持っているわけだ。それだけで福井県内の書籍は取り寄せも可能なので大変便利である。今回の福知山市の措置は遠くは亀岡市、豊岡市まで範囲が拡がっているので素晴らしいサービスだと思う。
P1030288
さて駐車場は? 

 さて新築なった市民交流プラザだが案内が不十分で不満だった。例えば駐車場だが、新聞では200台、1時間半無料という記事があったが行ってみるとさてどこにあるのか解らない。交流プラザは駅北口と聞いていたのだが、ロータリーに入っても駐車場位置の表示はない。やむなく駅前の市営駐車場に置く。ここだと1時間は無料だ。
 わくわくして交流プラザに入るが、エントランスには写真展の案内がない。多くの人がウロウロしているが、どうやら写真展めあてのお客らしい。なにしろ各新聞に掲載されているので来客も多いだろう。案内の係員も居なければ、表示もない。ボタンを押して案内する装置もあるがどれを押しても写真展は出てこない。とにかく案内をする人が居ないので、図書館に入って聞く。「3階です、ここからは行けません」「?」「貸し出しカードの発行はどこですか」「2階です」「ありがとう」
 エントランスに出てエレベータで3階に行く。あったあった、先ほどウロウロしていた人も続々やってくる。
 写真展は駅周辺ばかりのもので物足りなかったが、そういうふれこみなので仕方ない。P1030285
P1030278 
 

昭和33年の駅前、中丹や省営のボンネットバスが懐かしい。
P1030284P1030283 
 

今では見られないヤード、C57、SLで京都に行ったことを憶えている。
 さて2階に降りてカードの手続きをしようとしたら、エレベータは2階に停まらない。やむなく階段を降りると、裏に駐車場が見える。なるほどここか、どっかに書いとけよなあ。
P1030286


東側が駐車場になっているみたいだ。
 ところが階段からも2階には行けない。もうイライラする、ここで構造が解ってきた、2階は図書館の一部だから図書館の入口からしかいけないわけだ。そういうわけで構造的には理にかなっているのかも知れないが、それは一度訪れた人だけが解るわけで、初めての者にはすこぶる不案内だ。
 ただ図書館内部は書架にしても閲覧席にしても職員さんの対応も大変良かった。順次改良される事を望む。

【今日のじょん】じょんのび谷の鹿ネットの効果で、谷からの侵入は無くなった。ところが府道側は無防備なのでお構いなしに暴れ回っている。新たな鹿ネットを購入したが、とにかく侵入径路を突き止めないことには始まらない。P1030262
P1030263


一連の獣道は下から上に足跡がついている。どっから来ているのだ?。
P1030261  

この斜面を走り回っているのは確かなんだが、、。 

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穴虫考(84) 香芝市穴虫-6 6/26

2014-06-27 | 地名・山名考

2014.6.26(木)晴

 大坂山口神社から近鉄二上駅に向かう。狭い道なのだが両脇は何とも立派な家々がつづく。古い街並みが好きな方にはたまらないだろう。ところがその古い街並みに似つかわしくない若いお母さん達が自転車でどんどんやってくる。どうやら幼稚園のお迎え時間らしい。こんな古い家に嫁いだら何かと大変だろうなあと話していたら、どうやら大坂山口神社の西北に開発された巨大な住宅地の方々らしい。二上山駅の方向に市立の幼稚園があり、そこのお迎えのようだ。古代の神社と葬送の地、街道で栄えた古い街並み、そしてすこぶる近代的な住宅地に住まいする若い世代、なんとも奇妙な取り合わせだと思うのはわたしだけだろうか。
 二上駅から一駅の近鉄下田で降りて二上山博物館に急ぐ。駅から10分もかからない距離だけど、この暑さではかなり応える。
 二上山博物館のテーマは3つの石、すなわちサヌカイトと凝灰岩、金剛砂である。つまり旧石器時代から今日まで活躍してきた石材である。詳しく説明してあるのだが時間の関係でゆっくり見ていられない。特に旧石器時代関係は興味も無いので省いてしまう。P1030226
 


刳抜式長持型石棺蓋石、博物館前にあるのだが二上産ではなく、竜山石(兵庫県)製なのである。これらのことは宝殿のところで書く予定。
 もっとも関心のあったのが威奈大村骨蔵器というもので、このことを知ったことが今回の穴虫訪問のきっかけでもあった。
 この骨蔵器は発見の由来が古文書に詳しく書かれている。「明和年間(1770年以前)、和州葛下郡馬場村の農夫が穴虫山で開墾中に大甕を伏せた下から骨蔵器を発見した。云々」と展示解説シートに書かれている。発見場所の詳しい考察は後に譲るとして、この博物館に展示されているものは複製だが、本物は国宝になっており、それほどまでに貴重な遺物なのである。
P1030219
 

よくぞ発見されたものだ。
 また、この展示解説シートに書かれているゴボ山付近の条理図(大坂山口神社の裏山)には細かい地名が書かれているのだが判読が難しいので、原本を閲覧できないかという目的もあった。つづく

【今日のじょん】あんまりカイカイやお尻スリスリするのでファーミネーターしてやった。しっかり内側の毛が抜けると色が白くなってくる。「黒いベスト脱いだみたいやろ」P1030259



【作業日誌 6/26】草刈り(ドッグラン、芝生周り)

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穴虫考(83) 香芝市穴虫-5 6/25

2014-06-26 | 地名・山名考

2014.6.25(水)晴 穴虫考(82)は2014.6.23

 いよいよ大坂山口神社に到着、神社にお詣りしたからと言って何がわかるわけでもないのだが、とにかく現物を見れば何か得られるかも知れないという気持ちである。
  境内に祭神や由緒が掲載されているものだがそれらしきものも無い。鳥居や石段を見ても新しそうで、何となく興ざめだ。さてこの神社の祭神は主神が大山祇命で本殿には右に須佐乃男命、左に天津児屋根命が祀られているという。境内社は右が金山彦命を祀る事比羅社、左に市杵島姫命を祀る厳島社がある。P1030213
P1030214 
 

大坂山口神社鳥居と本殿

 「ヒントが出てこないねえ」などといいながら石段を降っていく。鳥居横の境内が妙に広い。何をする場所かなあと思いきや、あとで解ったことだがこれは土俵である。本殿側の石積みが幅のある段になっているのはどうやら観客席らしい。何気なく撮った石碑の写真が実は歴代行司の名が刻んであるらしく、軍配の図が描かれている。
 この地方には日本書紀にある有名な相撲伝説がある。當麻蹶速(たぎまくえはや)と野見宿禰(のみのすくね)の相撲勝負である。結果は當間蹶速が「脇骨(かたはらほね)を蹶折(ふみさ)」かれて惨敗をきっしたというものである。(「二上山」田中比左夫著)野見宿禰は土師氏の祖であり、當麻氏とともに朝廷の葬儀に関わる氏族である。この伝説は多分に何かを意味するものと思われる。
P1030215
 

軍配の図柄とともに、記念 馬場組として初代から14代の行司氏名が書かれている。

 大坂山口神社のは須佐乃男乃命を奉祀するため、牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれていた。秋の大祭には牛頭天王に奉納する宮相撲が行われ、「馬場(東穴虫)のお宮さんの相撲」と言って賑わったそうである。(古代大坂越えの道と大坂の神)
 さて、国道165号線から穴虫の街並みに入るところに「大の松乃墓」というのがある。大きな石碑に隠れて見落とすところだが、どうやら大の松為二郎(1859~1921)という地元出身の力士の墓のようだ。引退後勧進相撲の総元締として活躍したとある。つづく

【今日のじょん】サッカーW杯敗退記念?としてじょん用のサッカーボールを購入した。ぽんぽこぽんのテニスボールが老朽化したので取り替えたものだが、追っていってもどうしても咥えない。いったいどうしたことなのだろう。
P1030253 P1030254 P1030255  

 

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スイムトレーニング 6/24

2014-06-25 | 日記・エッセイ・コラム

2014.6.24(火)晴

 穴虫の話にうんざりされている方も多かろうと思うので、じょんのびの日常をお知らせしましょう。
 おおいのうみんピアのプールは、月2回のトレーニングというよりリラクゼーションとして通っている。広大な芝生広場もじょんのリラクゼーションになるだろうと連れて行っていたのだが、夏場は待っている場所が無いために今回からお留守番とする。
 このプールの利点はリーズナブルなこと、リゾート気分が味わえること、空いていること、じょんも遊べることなどである。
 難点は夏場はじょんが待っている場所が無い事、2時間の時間制限があること、自宅から遠いこと(車で50分)である。
P1030243


もう一つの難点は美味しい店が無い事。今回美味しい店見つけて解消。
 以前にワンコインリゾートとして紹介したが、消費税のアップでワンコインでは利用できなくなった。ところがポイントカード、イベントカード、夫婦の日、風呂の日、誕生月などのサービスがあり、月々にもくじ引きなどのサービスがあり、回数券も利用することによって、500円以下の利用料金で利用することが出来る。
P1030258
 

一つの施設でこんなにポイントカードなんかある所は珍しい。
 プールとお風呂の利用でこの値段は安い。プールは3コースのみだが空いているので問題なし、サウナ3ヶ所の他海水プールが嬉しい。そしてなによりプールや風呂からの海の景色がまるでリゾート地にいるようで気持ちがいい。
P1030244


これは2階ロビーの窓、プールもオーシャンビューだ。
 肝心のトレーニングだが、ストレッチのあと1,500mを泳いで、クールダウンに数百mというかたちにしている。現役時代に1,500mをどのくらいのタイムで泳いでいたのか思い出せないのだが、20数分だったと思う。ところが今30分が切れない。30分を切ることが当面の目標だが、闇雲に泳げばいいってものではなさそうだ。泳いでいると身体が斜めになっている、筋肉が落ちて体幹を真っ直ぐに保てないようだ。
 そこまで判っているのなら、水泳以外の筋トレをすればいいのだが、思うように出来ない。とりあえず目標持ってやってれば少しは効果もあるのかな。
【今日のじょん】前回までは連れてってもらえて芝生広場で大喜びしていたのだが、今回暑くてお留守番。
P1030150
 
これ6月13日

出かける時には大騒ぎして、遂にはふさぎ込んでしまった。
P1030241「連れてってくれい」
「今日は暑いからだめ」
「え”~ん」 P1030242  

 

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穴虫考(82) 香芝市穴虫-4 6/23

2014-06-24 | 地名・山名考

2014.6.23(月)曇り

 穴虫交差点から、国道165号線に沿って歩く。バイパスと違って歩道も無くなり歩きにくいが、五月が丘の看板の所から穴虫の旧街道に入ると俄然様相が変わる。殺伐とした国道の風景から打って変わってしっとりとした古い町並みとなる。とにかく家屋が大きい、古い街道の雰囲気充分だ。中に研磨工場が3軒ほどあった。二上山から産する金剛砂を使った地場産業である。
 ちょっと遠回りしたが、やがて大坂山口神社の参道、鳥居にたどり着く。カンカン照りのもとで娘も疲れてそうなので、小休止、水分を補給する。
 神社の参道というのは大体登っていくものだが、この参道は小さな峠を越えて下っていくのだ。しかも植林と溜池で妙に陰気くさい谷だ。
P1030206P1030207 
 

 
大坂山口神社参道と書かれた石柱や鳥居は新しいものである。すぐに小さな峠となる。

 実はこの参道の谷こそ今回の訪問の目的なのだ。
 香芝市穴虫は各地で見つけた穴虫の中でも最大の面積を誇る。香芝市の南西の一画、市の五,六分の一近い面積となっている。古い町並みと圧倒的な新興住宅地の中で穴虫交差点付近から東に飛び出た緑の地域は不思議な感がする。この緑の地域が残ったのは、大坂山口神社、安遊寺、真善寺の存在のためなのか、あるいは旧来の地であって新興住宅地となるのを拒んだためなのか判らない。地理院地形図でみると、大坂山口神社の裏山である宮山、ゴボ山の西が穴虫西、東が穴虫東となっている。さすればこの辺りこそ元々の穴虫ではないかと思うのは当然である。
 そして「二上山」(田中日佐夫著)の中に威奈大村の蔵骨器なるものが1770年に発見されたという記事を見つけたのは、今回の穴虫訪問の数日前であった。急いで資料を調べると、蔵骨器が発見されたのは大坂山口神社の参道脇のゴボ山周辺らしくて、707年に威奈大村が没したということで、当時の役人の火葬墓がこの周辺にあったというものである。
 となると、この谷(あとで別所ヶ谷と判明)こそ祭祀場所~穴地形~葬地・墓地という穴虫パターンに合致するものと思ったわけだ。
P1030208 P1030209
 


所ヶ谷を降っていく。振り返ってゴボ山方面。

 そう思って歩くためかすこぶる気味が悪い。特に植林の中は薄暗くていけない、その上カラスが飛び回ったりして臨場感たっぷりだ。やがて左手に弁財池が見えてくる。たもとに廃屋らしきプレハブの家が見える。よくぞここに住んだものだと感心する。
 やがて空が明るくなって、民家も見え始める。右手にお堂があり、「弘法大師」の額があるので大師堂かと思うのだが表示はない。隣に水くみ場があり、その裏に石碑がある。いったいどのようなものか判らないので、写真におさめて次を急ぐ。つづく
P1030211 P1030210



には「檀特山」とあるのだがさて?
【今日のじょん】隣家の裏山の様子である。ここは顕著な獣道があった場所なのだが、それは消えている。鹿達が来なくなったのかというとそうではない、道が変わっただけなのだろう。周囲の笹や茗荷、庭木の新芽がすっかりやられている。P1030232
 
 

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穴虫考(81) 香芝市穴虫-3 6/22

2014-06-23 | 地名・山名考

2014.6.22(日)雨

 殺風景なバイパスを下っていくとオアシスのようなデイリーヤマザキのコンビニがある。その店の前の歩道に道しるべのお地蔵が立っている。周囲はアスファルトとコンクリートで何とも興ざめではあるが、逆にほっとする感もある。「右大坂道 左さかい道」とあるようだ。この位置にあったものとすると、田尻峠方面が大坂道ということになりやや疑問も感じるが、穴虫峠~畑~磯壁~狐井~瓦口~伊勢街道というルートが堺道と呼ばれていたこともあるそうで、間違いは無さそうだが時代はかなり下がる道しるべだろう。P1030189
P1030204 
 

昔と今の道しるべ(穴虫交差点)

 コンビニで昼食をとって、県道703号線を穴虫峠方面に行く。土砂石材運搬のダンプが走るほこりっぽい道を登っていく。やがて右手の山裾に安山岩の磨崖仏が見える。聖徳太子葬送の道であり、太子信仰の現れである。1548年のものというので、戦国の世である。P1030191
P1030190
 


 更に進むと左手に新しく出来た駐車場とトイレが見えてくる。トイレはすこぶる清潔で有り難い施設である。そして右手に屯鶴峯の看板があり、整備された階段が山中へ続いている。やっと木陰になって気持ちがいい、すぐにぱっと景色が開け、真っ白い凝灰岩の層が目に入る。
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 緑の山腹に拡がる真っ白の岩層を見ていると、屯鶴峯(どんづるぼう)という奇妙な呼び名も納得がいく。観光地にありがちな無理な命名でなく、そのままの姿だ。
P1030198P1030194P1030196   
 


 二上山が古墳の石室や石棺材料としての石材の産地であることはよく知られているところである。
 
この墓は、日(ひる)は人作り、夜は神作る。故(かれ)、大坂山の石を運びて造る。則ち山より墓に至るまでに、人民(おおみたから)、相踵(あいつ)ぎて、手ごしにして運ぶ。云々
 と日本書紀に箸墓の古墳が二上山の石材を使った旨書かれている。
 ところが箸墓古墳の石室材は柏原市芝山産のものであるらしい。そうだとすると運搬は大和川を利用したものと考えられ、日本書紀の話は怪しくなってくる。想像をたくましくすれば、書紀が書かれたとき、古墳の石材といえば二上山産と考えられていたのではないだろうか。
 それほどまで二上山の石材がシェアを占めていたのだろう。つづく

【作業日誌 6/22】
 青梅のかりかり漬け、砂糖が溶けたので付け汁を取り出して煮る。浮き出た泡の部分を捨てて、熱いうちに梅にかけ、冷まして保存する。これを繰り返すらしい。P1030236

 


【今日のじょん】朝から雨だが今日は上林川鮎の解禁日。往年の盛況ぶりは無くさびしい限りだがそれでもぽつりぽつりと釣り人が見えた。P1030233 P1030235   

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穴虫考(80) 香芝市穴虫-2 6/21

2014-06-22 | 地名・山名考

2014.6.21(土)曇り

 綾部から香芝は遠い、時間にして3時間40分、交通費は特急を使わなくても4,000円あまり。何度も行けないので、できる限りの下調べと調査計画を練って行く必要がある。別所や穴虫の現地調査を何度もしているので要領も良くなっている。
 古墳石棺の主要産地である二上山の象徴たる屯鶴峯を訪れること。
 古代主要街道である大坂越、穴虫峠を見ること。
 行政区穴虫の中に本来の穴虫を探すこと。
 大坂山口神社(穴虫)から谷筋を詰める道を歩くこと。
 二上山博物館を訪れること。
 などを主要目的としたが、もちろん橿原神宮付近から穴虫峠にいたる景色を見て、古代の重要な街道の雰囲気を体験したいという気持ちは大である。

 京都から橿原神宮前までは近鉄特急を利用する。実は学校を出てから京都丹波橋駅から天理線前栽駅まで1年半近く通勤していたのだ。毎日眺めた景色なんだけどまるで憶えがない、平端駅なんて乗り換えていた駅なんだけど記憶にない。もちろん40年前のことだから周囲の光景は変わっているんだろうけど、思うのは奈良盆地がこんなに広かったかということだ。平安の地京都盆地の閉塞感と違う開放感を感じるのはわたしだけだろうか。
 農場で作業することもあった当時の感覚として、奈良盆地は最悪の環境だと思った。つまり夏は暑いし冬は寒い、そして何より水はけが悪くて湿気が強烈だ。何でこんな所に日本で最初の文化が花開いたのだろうと思ったものだ。
 いまではそのことについて納得している。少なくとも大和の政権にとっての脅威は近くは吉備であり出雲であり、遠くは半島であり大陸であったのだろう。国内勢力に対しては生駒の山々が、海外勢力に対しては中国山地、瀬戸内海が自然の要衝として存在する。そういう意味で奈良盆地はすこぶる安全な地だったのではないだろうか。水はけの悪い湿気の多い、現代人には嫌われる地形も、灌漑設備の発達を見ない初期の稲作にとっては有効なものであったに違いない。大和に作物の原種が多いのも人の手による農耕が早くから定着したものと考えられる。こんなことをつらつら考えながら電車の風景を見るのは楽しい。

 近鉄南大阪線二上山駅を降りたって、食堂でも喫茶店でもとにかく食べるところが無いか探す。予想通り何も無くて、穴虫交差点まで歩くことにする。道標がありコースはすぐに解る。暑くてしかも殺風景な165号線バイパスをとぼとぼと歩く。
 あこがれの穴虫峠への道が見えてきた。いわゆる穴地形で、これこそが穴虫地名の原点だと当初は思っていた。P1030187 P1030188
 


谷間の向こうが穴虫峠、山は遠くから見るもんだ。
 問題は二上山だ。近鉄の笠縫駅辺りからその姿が見え始め、古代人があの世とこの世の境として見てきたことが納得できる独特の風貌だ。大和高田あたりでその姿が顕著に見えていたが、近づいてしまうとただの山並みとなってしまう。

【今日のじょん】プロ仕様の強力へび忌避剤を例の所に置いたのはもう10日も前だったろうか。P1030130 P1030124



置いた翌日これだもんね
 その翌日にちょこっと顔を出していたが、今日はしっかり全体を出して日向ぼっこしていた。プロっていったいなんやねん。
P1030230
 


【作業日誌 6/21】
ドッグランど草刈り 

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穴虫考(79) 香芝市穴虫-1 6/20

2014-06-21 | 地名・山名考

2014.6.20(金)晴

 「お父さん、今回の穴虫はどう決着つけるん?」
 「う~ん」
 帰りの電車の中で同行してくれた娘に聞かれて、困ってしまった。
 香芝市穴虫は穴虫探求の原点である。昨年8月、「大和の原像」(小川光三著)を読んでその中に穴虫のことが書かれているのに大変興味を持った。太陽の沈む大穴に至る道、という説は大胆かつ新鮮であった。(2013.8.11参照)
 穴虫がここ一ヶ所だったらこの説は認められることだったろう。あちらこちらに穴虫地名が見つかり、実地訪問したり地形図で調べていくとこの説が間尺に合わないことが分かってきた。この説が成り立つためには穴虫は東に向いて開けている必要があるし、その東に落日を見る事の出来る重要な施設や集落がなければならないが、多くの穴虫がそんなこととは無関係に存在している。
 しかし香芝市の穴虫は穴虫探求の原点でもあるし、古代の重要な街道でもあり、なにより二上山を越え河内にいたる地域が古代の重要な墳墓であり、二上山が古墳石棺の最大の産地であることを考慮すれば、穴虫の元祖、大元であるとも思えるのだ。
 穴虫地名に関して多くの予備知識や調査のポイントも分かってきた。ある意味で満を持しての訪問となり、今回の訪問で穴虫の謎がすべて氷塊するのではないかと興奮のあまりあまり眠れなかった。
P1030186


今回もあやバス、JR、近鉄線とすべて公共交通機関を使っての旅である。本は読めるしビールは飲めるしいやはや最高だ。車がなければ生きていけないなどと考えている方も少し見直したら、新しい世界が拡がるかも、、。
写真は山家駅、普通園部行、家を7:40に出たら、京都駅に9:38に着く。

 2014年6月20日
 二上山駅出発11:25   R165バイパス徒歩
 穴虫交差点着12:00   昼食   
 穴虫交差点発12:20   県道703号線徒歩
 屯鶴峯入口着12:35   
 屯鶴峯発  13:00   R165徒歩
 大坂山口神社参道着13:30 休憩
 大坂山口神社着 13:45  
 近鉄二上駅着  14:00
 香芝市二上博物館着 14:15

 晴天の暑い日の行動で、レンタサイクルが欲しかったがこの付近には無く、徒歩で行動した。気候のいい季節なら適度なコースである。つづく
P1030216


屯鶴峯、二上山へは道標もしっかりしている。二上駅前で。

【今日のじょん】鹿ネットを張って数日、確かに鹿の侵入は無くなった。しかし隣家との間の林道にはしっかりとした獣道が出来ていて、新しい足跡も見られる。この位置からは無防備なのでいかんともしがたい。P1030184
P1030185 
   
  
じょんの右手のところ、そしてそのまま真っ直ぐあがった斜面は、鹿ハイウエイとなっている。
  

 

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続・鹿うつ 6/19

2014-06-21 | 日記・エッセイ・コラム

2014.6.19(木)晴、曇り

  獣害が精神的に悪いのは、じわじわとやられることと、どうしようもないという虚無感である。せめて目の前の被害を防ごうと、鹿ネットなるものを張り巡らすのだが、普通張り終えたら満足感が湧くものなんだが、なんだこの屈辱感は。
P1030175P1030180P1030182   
 

6月18日とりあえず仮に張っていたら、夜の間に外れてしまった。そして遂に完成。

 何年か前に中国を旅行した友人が万里の長城を見て、「素晴らしい、漢民族の偉大さを実感した」と宣ったが、果たしてそうだろうか。延々と続く万里の長城を前にして彼らは、匈奴の見えぬ影に底知れない恐怖を感じ、耐えがたい屈辱感を憶えていたのではないだろうか。
 鹿ネットもしかりである。もう100mにも及ぶ白い牙城を眺めつつ、「よくやったなあ、これで獣害も安心だ」なんて満足感はこれっぽっちも起きてこない。畑もガーデンもネットだらけになっている屈辱感と他の場所から侵入しないか、飛び越えて侵入しないか、はたまた破られはしないかという不安感ばかりである。

【今日のじょん】畑だって防獣ネット、防鳥ネット、水糸であきれかえるのだ、ワン。P1030181

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鹿うつ 6/18

2014-06-20 | 日記・エッセイ・コラム

2014.6.18(水)曇り、雨

 「ちょっとこれ見てよ」ドッグランどにあるガーデニングパーティションのプランタを見てびっくり、確か夕べペチュニアかなんか植え付けたよなあ。
 花はすっかり食べられて、土と根だけが地面に落ちている。

P1030177


一晩でやられてしまった
「やられた、鹿の口の高さやなあ」何とも言えない虚脱感に襲われる。
連日連夜来ていることは、被害の状況、足跡、糞などで解っているのだが、最終的な解決策がないことが解っているだけに空しい。
 周囲で聞くほどの被害は出ていない。ミョウガの新芽、ユスラウメの葉、タニウツギの新芽、クチナシの花の蕾み、レンギョウの新芽、青木の葉、玉龍、蔦、ジャガイモの葉などだが青木、うすら梅を除いて分かるか分からないかの程度の被害である。


P1030178P1030170 
 

クチナシなんかちょっと分からない。ジャガイモは網を破っての食害。
 しかし奴らの恐怖は、ちょっとずつ知らない間に奴らの領域を拡げていることだ。まるでどこかの国の領土政策と同じである。そしてどこかの国と完全に違うことは、奴らに悪意が無いことである。
 「鹿は馬鹿だから余計やりにくい」というのは今日までの評価である。昼間に現れていた鹿が、追われる度に夕刻になり、早朝になっている。食べるものだって最初のうちは解らぬぐらいに試食して、数日後に一気に食べてしまう。馬鹿な動物のやることではない、充分に知恵を使っているということだ。
  わたしを悩ましている鹿は山の鹿で、中高生ぐらいの♀1頭である。
P1030093
 



こいつが諸悪の根源
 悩んでいても仕方が無い、ネット張るか。つづく

【今日のじょん】
南側ののり面にある足跡は川の鹿か山の鹿か?こちらにネット張るのは不可能なので、絶望的。P1030158

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土喰庵6月のレシピ(5) 6/17

2014-06-18 | 食・レシピ

2014.6.17(火)曇り 青梅のかりかり漬け-2
 水上バージョン

   青梅 700g(種取後)
 粗塩 適宜
 氷砂糖 700g

 水上先生のレシピ通りにやりたいのだが、あく抜きの水つけは4,5時間とある。わたしは15時間つけたがこういうのはまあいいだろう。一般的にはへたをとるという風に書いてあるのだが、水上先生は書いてない。これもどちらでもいいだろう。だいたい梅のへたというのはよく解らない。木の枝が残っているものは論外だが、その跡の黒い部分はへたというより汚れのようなものだ。これは爪楊枝の先で擦ればとれるもので、ぽろりととれるものではない。
 梅肉エキス用に種取機を作製したが、今回量が少ないので宮島名産のしゃもじで種取をする。水を切った梅に粗塩をなすりつけ、まな板の上でしゃもじに体重をかけて転がす。こうするといとも簡単に種がとれる。
 ものの本によると、包丁で切れ目を入れておくというのがあるが、これは切れ目が人工的で風情がない。料理は見た目も大切なので、なるべく自然がいい。
P1030166


プラスチックのしゃもじは滑っていけない。やっぱしゃもじは宮島だ。

 問題はこの後で、水上先生のレシピだと「よく水を切って」とあるのだが、まぶした塩を洗い流すのか、そのまま残すのか解らない。ネット上のレシピだと洗い流しているのが多い。しかし、何のために塩をまぶしたか考えれば、残す方が妥当だと思われる。それに砂糖の甘みを引き立たせるのは塩味であることも考慮し、そのまま漬けることにする。
 氷砂糖と先ほどの青梅をサンドイッチ状に漬けてフタをする。本の写真と同じようなのが出来て、ニヤリとする。
P1030167
  


 塩漬けバージョン

 青梅(小さめのもの)700g
 粗塩         70g
 焼酎         適宜

 どちらも信州の方から教えてもらったというものである。信州は漬け物の王国である。こちらはより簡単、あく抜きをし、へた掃除をした梅をキッチンペーパーでよく拭いて、焼酎を絡め塩もみをする。
 これをそのまま瓶に漬けて2週間ぐらいで完成。梅酢に浸かるまではよく混ぜること、出来上がったら梅酢と分けておくらしい。P1030168
P1030169  どっちが美味いか楽しみなのだ。


【作業日誌 6/17】ジャガイモ、タマネギ収穫どうも出来具合にアンバラがある。P1030171  
 



【今日のじょん】鹿に対してじょんは無反応だ。猿、猪には敏感に反応するのだが、、、。侵入のあとがあっても糞が落ちていても知らん顔だ。匂いが淡泊なんだろうか。いずれにしてもこちとら鹿うつ状態である。P1030163


クンクン、わからんなあ  

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土喰庵6月のレシピ(4) 6/16

2014-06-17 | 食・レシピ

2014.6.16(月)晴、曇り

 青梅のかりかり漬け-1 
 「土を喰ふ日々」(水上勉著)には白黒写真で水上氏の調理の様子や出来上がった料理が載せられている。青梅のかりかり漬けという、ガラス瓶に入った梅の写真がどういうわけか印象に残った。古い、昔ながらのガラス瓶が気に入ったのだろうか、かりかり漬けについての十行ばかりの文が気に入ったのか解らないのだけど、とにかく印象に残っていたのである。梅の季節になって気になってしょうがない、「土を喰ふ日々」を繰ってみるのだがその頁がなかなか見つからない。それほどにちょっとした文章なのだ。
P1010964 P1030173
 


わたしの料理のバイブル「土を喰ふ日々」とかりかり漬けの写真

 実はわたしは青梅のかりかり漬けなるものを食したことがない。
「砂糖がとけて液汁になる。これを煮る。うきあがった泡をとりはらって、汁をあついうちに梅にかけて、冷ましてから涼しい所に貯蔵する。これをくりかえすといいのだそうだが、一どぐらいの時に、売れてしまって殆どなくなってしまう。ウィスキーのつまみ、日本酒のサカナ、お茶請けの菓子がわり。チョコに二つぐらい入れ、ツマ楊枝をつけて出すと、客はかならず、お代りをいう。」
 こんなに美味いものなのか。これを作らないほうはない。
今年は我が家の梅の不作年で見たところ数個しかない。ところが近づいてみるとそれなりに実が着いているのだ。バケツ片手によじ登ると、1.4Kg収穫できた。梅肉エキスは無理だけど、かりかり漬けならできそうだ。
 かりかり漬けというのは一般的なもので、製法はいくらでもあるようだ。水上流は砂糖漬け、他にも塩漬け、梅酢漬け、卵の殻を使ったものなど様々だ。もちろん水上先生のレシピ通りに作るのと、半分は塩漬けをしてみようと思う。なぜって単純だから。いずれにしても一晩水につけてあく抜きをする。

【今日のじょん】連夜の鹿の侵入が続いている。いまのところ顕著な被害が無いのだが、やがて野菜や植樹に影響が出そうなのでここで手を打たないといけない。P1030161 P1030163
 


侵入路はこれか、、、クンクンクン

 タマムシも連日這い出してくる。こちらは何か嬉しい気持ちになる。夜の蛍だってそうだ。今年は少ないだけに愛おしい気持ちになる。P1030164

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