晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(1) 8/13

2013-08-15 | 上林地名考

2013.8.13(火)

 【晴徨雨読】の読者の方に「他所のことばかり書かないで上林地元のことを書いてください」と言われた。記事の内容を見てそのように感じられるのはもっともなことなのだが、実は上林の地名のことを解明するために他所の地域を調べているのである。
 例えば猪鼻(京丹波町)や胡麻(南丹市)は老富町の猪鼻峠や胡麻峠を意識して探究しているわけだし、飯盛山の研究も老富町の丸山(生守ヶ嶽)の探究のためになされていることである。
Img_1816

 


2010.11.23、弥仙山から日置谷に下山してきた。

わたしの最終的な目標は上林の地名と歴史を探ることである。そのために各地の同じ地名や関連する事項を調べるために訪問しているのである。いくつかの上林の地名について考察していたが、どれ一つとして確信出来るものはない。逆に引地(ひきじ)など、混迷に陥ってしまって頓挫しているものもある。
 日置地名は各地にあり、研究者も取り扱っている地名なのですぐに由来がわかると思っていたが、実はなかなか困難である。鏡味完二氏の地名の語源には、 「ヒキ  (1)ヒオキ(2)低い(3)ひきがえる」、とある。
「ヒオキ 日置部の居住地。西南日本に分布。ヒキ・ヘキとも。〔日置〕一説にキ族という低地の南方人<松岡静雄>」とあり、余計なんだかわからない。
 つまり地名なんてのは辞書で簡単に意味がわかるものではないのだ。
(3)のヒキガエルは無関係のようだし、(2)の低いというのは例えば引地(ひきじ)のヒキを言っているのだろう。一般に引地は低いところという風にどこかの学者が言ったのだろうか一般的になっているが、わたしの調べた引地の大部分は山の高いところにあった。結果(1)のヒオキということになり、日置部の居住地となるのだが、この日置部たるや謎の氏族で一筋縄では解明できない。
 上林の日置の解明は相当長くかかりそうだ。
 とっかかりとして南丹市八木町の日置を訪れた。つづくP1060822



筏森山の山稜から八木町日置を望む。


【今日のじょん】カメラが壊れたので休みます。元気しております。
 

コメント
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