晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大晦 12/31

2013-12-31 | 日記・エッセイ・コラム

2013.12.31(火)快晴
 人類の発明の中で最も安上がりで効果のあるものは新年だろう。元手いらずで、72億の人間の心を一新するのだから凄い。とにかく明日には新しい年が始まり、人心がリセット出来るわけだ。
 大晦(おおつごもり)にはこの一年を振り返る、普段には絶対にしないことで、なかなか趣がある。掃除だってそうだ、なんでこのクソ寒いのに窓開けて今日中に掃除しなきゃいけないんだ、もっと気候のいいときにのんびりやらあいいじゃねえか、と考える。
 と毎年思うのだが、他の季節に掃除が出来た例しがない。年末ならではの行事なんだろう。5年前に新築した我が家のサッシはペアガラスの寒さ知らずで居住性は最高なんだけど、掃除をするには最悪の構造である。おしゃれにしたつもりで様々のタイプが使われており、網戸を外したり窓を開放する方法がみんな違っており、いちいち説明書を見ないと扱えない。さらに工具がないと取り外せないものもいくつかあり、解放できても絶対に手の届かない窓もいくつかある。
 問題はサッシの溝で、機密性がいいものだから水滴が溜まり、不気味な黒いカビの塊がとぐろを巻いている。歯ブラシで擦り、雑巾で拭き取るのだが歯ブラシも入らず綿棒で拭き取るような溝もいくつかある。これって掃除のことは少しも考えていないよね。
 とりあえず掃除を終え、年越しそばで一杯やって一年を振り返り、来年の抱負を思い浮かべる。
 建築物は今年はドッグランどに明け暮れたが、来年は自転車修理小屋、玄関前室、石窯の作製を目指したい。
 来年は京都「ゆラリー」サイクリングロードが整備され、その道中にあるためにサイクルスポット(仮称)を運営しようとしている。そのために自転車を修理したり整備したりするスペースを計画している。P1020087
 


サイクリスト集まれ~
 また、玄関前室は雪の落下対策、手狭の玄関の拡張、じょんの雨天時練習場を兼ねて作りたいと思う。
P1020089
 

この高さから雪が落ちてくる、これは欠陥だよね。

 石窯は今年中古の耐火煉瓦をもらったので作ってみようと思っているのだが、できればメニューも増えるかな。
P1020088

 
ただいま勉強中
 もちろんすべてを来年中に出来るとは思わないが、大晦日にこんな事考えるのは楽しいものだ。

【今日のじょん】冬季限定の雪山遊びも今回の積雪ではチト物足りない。そのうちいやと言うほど降るだろう。
P1020083P1020084

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雨読 探訪 丹後半島の旅(下) 12/30

2013-12-31 | 雨読

2013.12.30(月)晴れ

 大作「探訪丹後半島の旅」上中下巻を読み終えた。澤氏の本は「京都北山を歩く」1~3巻と「西丹波秘境の旅」を所蔵しており、愛読しているところだが、やはり氏の最高傑作はこの「丹後半島の旅」であろう。
「探訪 丹後半島の旅」(下)澤潔著 文理閣 1983年12月初版 綾部図書館借本
P1020086
 サブタイトルは「地名語源とその歴史伝承を尋ねて」であり、その通り地名の語源を探究し、各地の伝承からその歴史を紐解いているものである。
下巻は南方系海人ミミ族、天日槍についての考察と氏の持論である但後王朝(日本海王朝)の展開である。
 だからといって学術論文的なものではないし、タイトルの示すような紀行文でもない。生まれ故郷の丹後に対する思い入れと愛情の本である。
 丹後半島を含む日本海地域に対する歴史的、文化的な評価は「裏日本」と評されるごとく従来低かった。森浩一氏らの提唱で古代の日本海文化が見直されてきて、歴史的には日本海こそ表玄関であることが定着してきた。そのなかで丹後半島は特異でかつ重要な地位を占めている。
 丹後半島にはおびただしい数の古墳や住居跡などの遺跡がある。これらの発掘による歴史の解明は、教育委員会などの公的な機関や大学の研究室などで推し進められているところだが、地名考証や伝承の収集など民俗学的な探究はアマチュアである地元の研究者などに頼られている。そういう意味では、澤氏が専門家であるか否かは別として、本書3巻は丹後についての最高の集大成ではなかろうか。
P1010992


うらにしの丹後半島は奥が深い。

 下巻には参考文献が載せられるのだが、5ページにわたる主要参考文献は100冊に及ぶ。また、あいうえお順に記された索引は読者、研究者にとって大変役に立つことと思う。
 あとがきの中に氏の主張が見える。
 
然るに、丹後地方を含めた地方史一般の取扱が、従来、中央偏重の故に、あまりにも今日まで無視され続けてきたことは、まさに歴史的偏見の累積としかいいようがないのである。
 
【今日のじょん】恒例の体重測定、絶対に太っていると思ったのだが、以外や18,4Kg、正常である。なにせここんところ食うわ食うわの上に雪で運動不足なんだから、、、。そういえば今朝も法面によじ登り、崖っぷち犬になっていた。何でって?消化薬の草探してんのやがな。P1020074

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日置のこと(64) 八木町日置-7 12/29

2013-12-30 | 上林地名考

2013.12.29(日)晴れ 八木町日置ー6は2013.12.26
 丹波国の隼人移配地については直接日置に関係するものではなかった。しかしながら薩摩国の日置について考えるとき、班田制を推し進めるべく派遣された日置部というものを強く感じる。つまり日置部の職掌というか役目というのは前述の通りいくつかあって、各地の日置においてそれぞれの仕事をこなしていたと考えるのが最も妥当ではないかと思うようになった。
現在思いつく職掌というのは以下の通りである。
(1)日神祭祀
(2)太陽や天体の観測をし、暦の作製に関わるもの
(3)国衙や国分寺、官道などの建設に伴う測量、設計に携わるもの
(4)新たな支配地に赴き、検地や戸籍の作成に携わるもの
(5)金属生産に携わるもの
(6)新たな支配地において、旧勢力の分断あるいは牽制をするために派遣されたもの

 これらの職掌を単独にあるいは複数こなしながら各地に配置させたのではないだろうか。単独の職掌をすべての日置に当てはめようとするから矛盾が出てきて、水谷、真弓氏の論争のようなことが起こるのである。つまり古代の部民や一般の住民について、あまりにも現代的な専門化された職なり技術を考えすぎなのではないだろうか。例えばマタギであっても年中狩りをしていたわけではないだろうし、田も畑も作っただろうし、木樵も土木作業もしたと思う。近隣に鉱山があれば坑夫もしただろうし、自前で鍛冶もおこなったのではないだろうか。
 日置部にしても上記職掌のほとんどを兼務していたのだろう。ただ主になっている職掌は各日置によって異なると思われる。
 そう考えると八木町の日置については(3)が主な仕事であったのではと考える。国衙まで3Km、国分寺まで7Kmという立地条件はその任にあたるについて最適である。
 八木町東部の川東地区ではほ場整備に伴う発掘調査が調査が行われ、その報告書を南丹市文化博物館で見ていたのだが、なにしろ膨大なもので詳しく見ることが出来なかった。このほど京都府埋文センターのセミナー資料を見つけ、日置周辺の室橋遺跡や野条遺跡などの発掘から、気になる情報を得たので紹介する。
P1060800
 

野条辺りから日置を望む
 池上遺跡は弥生時代中期(紀元前2~1世紀)の方形周溝墓、竪穴建物を含む大規模集落であり、周囲を取り囲む環濠の一部も発見されている。
 野条遺跡では弥生時代後期後葉(2世紀後半)の竪穴建物が発見され、北陸から運ばれた土器や鉄鏃が出土している。
 諸畑遺跡では古墳時代中期(5世紀)初めの渡来系の系譜を持つ板石を用いた竈(かまど)を付設した住居を発見。
 奈良時代~平安初期の開発として、室橋遺跡の新庄用水北側地点で、鉱物滓等が出土した金属器製作に関わる工房跡と推定される竪穴建物が見つかっている。
 
野条遺跡や室橋遺跡は、丹波国府の周辺域にあるとみられることから、その管理下にあり、室橋遺跡の奈良時代の大形掘立建物群も、耕地管理にあたった役所的な機能をもった建物や倉庫となる可能性があります。(京都府埋蔵文化財調査研究センター 高野陽子)

 これらの遺跡は日置の西側の府道に沿った広大な田園地帯で、地図でも解るように条里制の跡と思われる区画が残っている。

【今日のじょん】今朝は積雪10cm、気温が下がり、快晴でまるでスキー場の朝のような景色だ。じょんも大喜びで久々にボール探しを楽しんだ。夕方は地上霧が発生し、これまた幻想的な風景となった。P1020057

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初積雪 12/28

2013-12-28 | 日記・エッセイ・コラム

2013.12.28(土)雪

 いや~ついに積もりました。
 今年は他の所で降っても上林は降らないぞと根拠のない希望を持っていたのだが、やはり甘くはなかった。
 昨日の午後から湿った雪が降り始め、夜にはうっすらと白くなっていた。
 止んでしまえばどうって事無いのだが、天気予報は厳しいこと言っている。
P1020044
P1020047


昨日16時頃の様子。

 朝は布団の中で、府道を走る車の音で積雪が解る。積もっていればまったく静かなのだ。ジャージャーと音がしているので、たいしたことは無いぞと二度寝をする。そして定刻に起きてびっくり、しっかり積もってるでねいか。どうやら寝ている間に除雪車が来て、その後の湿った雪の上を車が走っていたのだろう。
 じょんの散歩に出て測って見ると、25cm、こりゃあ雪かきしなくちゃならない。車が入ってくるとコンクリートされてとても手間がかかるわけだ。あせって朝食をとってると、「こんにちわ~」なんて生協さんがトラックでやってきた。そうだ今日は臨時の配達なんだ。
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今朝の様子
 所貧乏で、雪かき用具は雪はね、エンピ(石炭スコップ)、スノウダンプと電動雪かき機がある。電動雪かき機はまるで使い物にならない。あとは雪質によって使い分けるのだが、今回は踏まれたところはエンピ、新雪の所はスノウダンプという案配。雪が重いので雪はねは使えない。
 というわけで午後1時頃まで雪かきくけこ、ついに薪割り終えるまでに降ってしまったなあと気が重くなる。
 

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じょんのびだより ’13.12 12/27

2013-12-28 | 日記・エッセイ・コラム

2013.12.27(金)雨
 
 年末・年始の営業について

 12月28日(土)営業
    29日(日)営業
    30日(月)
年末休業
    31日(火)
年末休業
  1月 1日(水)
年始休業
     2日(木)
年始休業
     3日(金)
定休
     4日(土)営業・以降通常どおり営業

 じょんのび新年会について
 日時:2014年1月28日(火曜日)13:30~
 会費:酒飲み 4,500円
    ノンアル3,500円
  ※ 詳細はお店にあります。   

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日置のこと(63) 八木町日置-6 12/26

2013-12-28 | 上林地名考

2013.12.26(木)曇り、雨

 「康富記」によると中原康富は氷所にあった代官所に何度も出かけており、訪ねた場所の地名として、丹州佐伯庄、丹州佐伯隼人保、桑田郡内佐伯庄大田杜、佐伯内隼人保氷所、丹州隼人保内松本下地、丹波大田隼人司領などが記されている。(畿内隼人の遺跡と伝承、江谷 寛)
 実際に隼人が居住していたのは、丹波国佐伯郷で現在の亀岡市稗田野町太田、佐伯から曽我部町穴太(あのう)、犬養あたりとしている。つまり佐伯内隼人保氷所とあるように、中原康富のいう丹州氷所とは八木町の氷所(桑田郡池辺郷)とはまったく別物で、桑田郡佐伯郷の隼人保内に氷所があったもののようだ。これは実に混乱しているようで、江谷氏も研究者の間でも混同があるので注意されたい旨書いておられる。
 例えば角川日本地名大辞典では「佐伯郷内大田付近には隼人保があった」としながらも、氷所(八木町)の欄に、「保名としては『康富記』嘉吉3年4月16日条に「丹州氷所保」とあるのが初見。」と書かれており、混同されているようだ。氷所の欄を読み進めていくと、泰井山(日置山)に関する紛争なども出てきて、ますます混迷してくる。どちらにも氷所があったとするのが最も妥当だが、そのいずれにも康富が関わっているとは考えにくいのである。
P1060799
 

 
日置から氷所にかけての紅葉山、龍王ヶ岳の山並み。泰井山というのがどの山なのかは解らない。

 佐伯郷に隼人保があったとするのは間違いの無いことで、隼人移配地に共通する地名が随所に見られる。佐伯、穴太(あのう)、犬養、犬養川、宇津根(余部町)、犬甘野(西別院)などだが、氷所(八木町)や氷室のある神吉にはこれらは見当たらない。
 ここまで進んで、康富の記する氷所について混乱している自分に気づく。
 隼人保があったのは桑田郡佐伯郷であり、その隼人保内に氷所が存在した。そして隼人正の中原康富はこの地を何度も訪れている。
 八木町の氷所は隼人とは何ら関係もないのだが、「康富記」には八木の氷所に関する記事が書かれているようなのである。両所に氷所があったと考えるのは妥当だが、そのどちらにも康富が関連していたとなると、これは混乱、混同するのは当然のこととなってくる。
 これ以上真相に近づくとしたら「康富記」を読み解く事が必要となる。しかし日置の探究にとってあまり脈絡はなさそうなのでここまでにしたいが、想像として、中原康富が氷室の運営に関わっていたとしたら謎が解けると思うのである。つづく

 【今日のじょん】今日はおかーは京都に出かけるし、帰ってきたらすぐに忘年会と称してしまだやさんに?みに行くし、雨は降るしオモロナイワ。

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日置のこと(62) 八木町日置-5 12/25

2013-12-27 | 上林地名考

2013.12.25(水)曇り 八木町日置-4は2013.8.17
 「隼人の古代史」中村明蔵著を読んで、律令政府が隼人の地に班田制を導入することに大変苦労している様子が描かれていた。田地を測量し、戸籍を整備することが困難であると言うことは、その地がやはりまつろわぬものの地であるということだろう。薩摩国に日置郷が置かれているのは、新たに征服した地に尖兵として送り込まれたのではないだろうか。出雲国風土記にあるような状況が薩摩でもあったのだと思う。日置氏、日置部には日神の祭祀や太陽観測などの職掌だけで無く、政権の支配を定着させるという使命があったのだろう。
 そういう意味で、薩摩の日置についても研究してみたいと思っている。
 「隼人の古代史」の中に畿内の隼人移配地についての文がある。
 山城国綴喜郡大住郷(京田辺市)、綴喜郡宇治田原郷(宇治田原町)、丹波国桑田郡佐伯郷(亀岡市)が京都府内の移配地である。その他3ヶ所、計6ヶ所が挙げられているが、主要河川、主要道沿いに立地している。氏は移配地の近辺にミヤケ(三宅、屯倉)、イヌカイ(犬飼、犬養)という地名が多いことから、屯倉を守衛する犬養部との関連を示唆されている。オオスミ(大隅国)アタ(薩摩国阿多郡)など直接隼人の地の地名となっている場合も多い。
 室町時代の隼人正(はやひとのかみ)であった、中原康富の日記「康富記」に畿内隼人移配地の詳細が書かれている。
 丹波の隼人移配地は「丹州少所」と書かれているが、少所は氷所の誤りと言われている。(畿内隼人の遺跡と伝承、江谷 寛)
P1040429
 

氷室の郷(八木町)にある案内板。

 氷所(ひどころ)は氷室の郷で有名な八木町氷所で、日置の南の集落である。大送神社(日置)と幡日佐神社(氷所)の間で行われる夫婦神事のこともあり、氷所、隼人、日置が関連してくるのかと期待したのだが、話はそれほど単純なものではなかった。つづく

【今日のじょん】山陰地方はうらにしが続いている。連日のカッパ使用でじょんもうんざりしてそうだ。
P1020043
雨降ってじょん固まる、半落ち、うらにしじょん

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雨読 続・隼人の古代史 12/24

2013-12-25 | 雨読

2013.12.24(火)雨

 日置については薩摩郡にもその名が見える。薩摩郡は川内川の南に展開する地で、日置郡の北となる。この日置がどこなのか調べていないのだが、薩摩国府と想定される地域の近隣であることには違いない。国府建設に関わる日置かも知れない。いずれにしても薩摩という辺境の地の日置は日置部や日置氏の真相を窺うに恰好の資料かも知れない。「日置のこと」で継続して調べてみようと思う。
 次に気になる事項は、隼人移配地の問題である。大住郷(京田辺市)他六カ所が挙げられているが、丹波国では桑田郡佐伯郷(亀岡市)がある。移配の意図、移配地の意味について本書では極簡単に記述されているのみである。蝦夷の移配地に関して「別所」の研究のように深く研究されているものは無いようである。しかし探してみればいくつかの論文など在るようで、これも今後の研究課題としたい。
 そして最後に、日向(ひむか)神話は如何なる意図を持って書かれたかということが、隼人の服属と大きく関わっているということが書かれている。
Img_3277


ニニギ降臨の高千穂の峯は宮崎、鹿児島両県で家元争いになっているが、地名や話の流れから、鹿児島が本家のようだ。写真は宮崎の高千穂町。

 日向神話とは天孫降臨、海幸山幸から神武登場という風に流れていくが、隼人の服属を後の時代に説明したものと言われても、神代まで遡った皇室の祖とされる神々の一人が隼人の阿多姫であるというのは、気になることである。おわり

【今日のじょん】朝、飛び出していったはずのじょんがどこにも居ない。慌てて探すと、じょんのびファームの向こう側に行っていた。行ったことの無い場所なので、鹿でも来たかなとみていると、どうも例の草を喰っているみたいだ。最近美味しいものばかりねだっているので、胃腸の調子を整えて居るみたい。P1020039

 

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雨読 隼人の古代史 12/23

2013-12-24 | 雨読

2013.12.23(月)曇り、雨

 北の蝦夷とともにヤマト政権に抗いながら歴史の表舞台から消えていった隼人(はやと)と呼ばれる人々が居る。蝦夷については多くの文献もあり、歴史的にも解明されている部分が多いと思われるのだが、隼人については謎が多い。
 そもそもヤマト朝廷と戦ったとされるのは熊襲(くまそ)ではなかったか。熊襲と隼人は同一なのだろうか、魏志倭人伝に出てくる狗奴国が熊襲であるという説も根強くあり、これらがヤマト政権の実権を握ったという説すらある。
 こういった驚くべき説が存在する割にその実態が杳として解らないのが、熊襲であり隼人である。ヤマト政権成立から確立の間の謎に一歩でも迫ろうと思えば隼人の実態を知らねば始まらない。
 「隼人の古代史」中村明蔵著 平凡社新書 2001年12月初版 古書
P1020042
 残念ながら本書だけでハヤトのことが納得できるというものでは無い。中村氏は熊襲、隼人研究の第一人者と目されるが、この分野の著書も10冊を越えている。おそらくこれらをすべて読破しても理解は不可能だと思う。
 本書の中身についてつぶさに紹介するのは雨読の主旨ではないので、わたし自身が気づいた少しのことを紹介してみよう。
 古代薩摩國の郡に日置郡(ひおきぐん・富多、納薩、合良)があり、今日も領域が合致しているかは別として日置市がある。古代としてはすこぶる辺境の地で、「日置が租税徴収のための戸数や面積などを調べる地方の役所」などということは辺境の地である薩摩では考えられない、という風に書いた。(日置部とは、2013,10,10等参照)
 本書では日置部や日置氏についての記述はないが、律令政府が薩摩国について班田制を導入するについて随分苦労し、ついには実施できなかった史実が書かれている。その理由はハヤトの社会が農耕を主とするものではなかったことや、地質的に水田に適さなかったことなどが挙げられている。いずれにしても政府はいわゆる検地を進め、戸籍を作ることに躍起になったようである。となると、日置部というのがハヤト郡の真ん中にあり、戸籍や測量の業務に就いていたとしても不思議ではないと考えられるのだ。つづく
P1020038_2


日置氏といえば、昨日は冬至であった。我が家からの落日、春分には画面に入らないぐらい右だったから、随分南に寄っている。

【作業日誌 12/23】
薪割り、雪が積もるまでに片付けたいが、まだこんなにあるんだぜ、しかも根っこなんかの固いやつばっかり。じょんもでつだえよなあ。
P1020036



【今日のじょん】上記写真の通り。

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'13 じょんのびDIY大賞 12/22

2013-12-22 | DIY

2013.12.22(日)曇り

 今年のDIYはドッグランどに始まりドッグランどに終わった。一昨年の秋ウッドデッキの製作を始め、ドッグランどの使用開始が今年の6月だから実に一年半の製作期間である。
 まだまだ整備しなければならない部分が沢山あるのだけれど、一応の完成ということにして、今年度のDIY大賞はドッグランどに決定。
P1010021 P1010023
 



《経費》
 ウッドデッキ部分 47,000円(ウッドデッキ奮戦記で報告済み)
 その他部分
 2?4 6f、12f  5,000円
 1?4 12f     3,000円
 塗料 防腐剤、ペンキ 10,000円
 金具類         3,000円(ボルトナット、フック、ラッチ、羽子板など)
 金網          2,000円
 植木類         4,000円
 芝生関係
        4,000円  
 日傘・椅子       3,000円
 バラアーチ、ランプ   4,000円
 防獣ネット       5,000円
       小計   43,000円    
       合計   90,000円
 《もらい物、自力調達物》
 防草シート(前川さん)
 階段ケヤキ材(村上さん)
 ドア、フェンス(田中さん紹介)
 植木類(一瀬さん)
 柱類(調達)
 レンガ(調達)
 野芝(調達)
 ラティス(谷村さん)
 ご協力ありがとうございました。
 《今後の整備》
 桐の木下のベンチ
 ケンネル
 用具入れ
 アジリティ
 芝生張り(最終的には全面芝)
Img_0451Img_0453 
 

2008年のドッグランど予定地、誰の手でも無い自分の手で作り上げた喜びはあるんですネ。

 でもね、DIYerにとっては、完成の喜びというより、次の計画に心躍らせているもんなんだよね。

【作業日誌 12/22】地域の餅つき
P1020035


湯気の中で汗まみれ。
【今日のじょん】Xmasが近づいてきた。じょんのびイルミ、佐々木さんに頂いたポインセチア、ドアの飾りなど臨場感が出てきた。明日辺りからスノーマンの人形も出そうかなと言うところだが、実は居間にある2011年のカレンダーに使ったじょんのサンタが一番なのだ。P1020024 Img_1928

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雨読 天橋立をめぐる謎 12/21

2013-12-22 | 雨読

2013.12.21(土)雨

 「天橋立をめぐる謎 古代丹後半島のロマン」(今澤美喜雄著)著者発行昭和56年9月 宮津市図書館借本

P1020032
 


 澤潔著「探訪 丹後半島の旅」(上中下巻)に参考文献として登場するので是非読んでみたいと思う本であった。B5版の冊子状、73ページの本で、おそらく自費出版と思われる。京都資料館、福知山市の他には丹後の図書館にしか在庫がなかった。先ほど読了の「日本三景の謎」(雨読2013.11.26~27参照)が期待外れだったので余計期待したのだが、実感としてなんとも不可解な内容であった。
 第一話 「猿頬貝」は何を語る
 第二話 万葉雑歌「能登の国歌」の謎
 第三話 メソポタミヤエジプト文明の伝搬か「異説猿御殿」
 第四話 雪舟筆国宝「天橋立図」が語る謎
 第五話 「鶏」への追憶
 第六話 神々の国「栗田半島」から由良へ
というふうに魅力的な内容なのだが、逆を返せばなんとも怪しげな内容を思わせるタイトルでもある。
 私の読解力が無いといえばそれまでなんだが、一体何を言いたいのか解らない文章であった。
 しかし相当の文献を調べられていることが読み取れるし、地名の研究についても、当時の水準としてはハイレベルなものと思える。
 神話や説話が史実とどう関連するかと云うところが不満で、この辺が混同されているように思えて残念だ。
 ただ丹後に到来した海人が産鉄の技術、木地師の技術などをもってこの地に定住しただろうという発想は当時の地方の歴史研究者としては先進的な着眼だろうと思う。現在でこそ本書の内容にあれこれ批判は出来るだろうが、当時にこれだけの発想を持った人は少ないだろう。
 総満艦飾的な文章の中で、第六話を中心的に調べる。栗田半島の小田宿野(おだしゅくの・すくのともよむ)が宮津地方の木地師のふる里だというのだ。丹後半島の山中なら分かるが、この小さな半島の小さな入り江が木地師のふる里というのはなんとも不思議な感じだ。
 氏が小田宿野を木地師のふる里と呼んだ根拠は、小田宿野にある成願寺に「医王殿」があって白鹿背薬師が祀られているということと、木地師地名の分布ということである。
P1010984
 

小田宿野から鏡ヶ浦方面。
 宮津市内木地師の足跡ということで各地域の木地師地名(ロクロ谷、キジヶ谷、キジガ尾など)が数字で表になっているのだが、氏が言われるように、丹後半島側より栗田半島の方が足跡が深く刻まれているとは思えない数字なのである。また肝心の小田宿野には箕ノワキというのが一カ所しかなく、木地師のふる里とどうして言えるのか解らない。
 小田宿野は小田と宿野の合成地名だそうだが、スク、スキは古代朝鮮語の村という意味だという説の方が興味深い。
 栗田半島、また訪問させたくなる一冊である。

【作業日誌 12/21】薪割り

【今日のじょん】雨の切れ間に散歩させようとしたら、岸(崖、斜面のこと)に上がってしまった。夕べ吠えていたのはどうやらここに来た鹿らしい。P1020031

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今年最後のワンコインリゾート 12/20

2013-12-20 | 日記・エッセイ・コラム

2013.12.20(金)曇り、雨

 今年最後のワンコインリゾートに行く。いつものようにおおい町のうみんピアで食事とスイムを楽しむのだが、本日は特に道の駅で刺身定食を楽しんだ。というのは道の駅の魚屋で刺身(250円)を購入し、食堂でライスとあら汁(350円)を注文して定食にするわけである。あら汁というのは九州ではクエの汁物となるのだが、こちらでは魚のあらの汁で、まあ普通の味である。ライスは名田庄産のお米ということだが、上林のコシヒカリには随分劣る。刺身は大島漁港のもので美味しかった。まあ、600円の食事だから文句は言えまい。
 じょんは例の大芝生広場でご満悦、冬は休航なんだが、700円で青戸クルーズというのがあり、来春にはクルーズしてみたい。
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これがプール棟、芝生広場の向こうにクルーズ船が見える

 プールとお風呂で500円は安い。その上ポイントがあったりお楽しみくじがあったりで実質それ以下の値段になる。回数券を買えば更にお得で、300円台で楽しめそうだ。貧乏所帯にはもってこいのリゾートである。
 今年最後のスイムを楽しみ、お風呂でさっぱりして舞鶴に向かう。物価の高い舞鶴で唯一庶民の味方のダイコーで冬物衣料を買い込む。この店のメインは靴下である。どのシーズンも一足99円が定番だ。厚手の冬用の5本指ソックスを買う。この店の靴下は安いだけでなく丈夫でゴムが緩まない。特に畑仕事、山仕事する身には最適である。今日の買い得はスポーツタイプのタイツ、自転車用のをもう一本欲しいと思っていたのだが、1万円前後の値段には手が出ない。バッタもんでもパッチもんでもなんでもいいと思っていたら、1,400円で見つける。いやはやこれでそこそこの機能と耐久性があったなら、これはお宝ですぞ。
 プーさんに手相を見てもらって、超財政運があるそうだ。帰りに今日でおしまいの年末ジャンボを購入する。連番10枚買って7億目指すのもいいが、単勝狙いで3枚買う。当たるときゃあ一枚でも当たるわけだ。
「ねえのねえのねえの365番」なーんちゃってね。
 今年は米さんやヒロミちゃんが亡くなって、マーブルやくるみちゃんも亡くなった。大変な年だったんだけど、「差引けば 仕合はせ残る 年の暮れ」という沢木耕太郎さんの句が新聞に載っていた。そういう年だったのかも知れない。

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'13 じょんのび流行語大賞 12/19

2013-12-19 | 日記・エッセイ・コラム

2013.12.19(木)曇り

 十二月に入ってうらにし気候が続いている。特に雨犬のじょんが散歩に出るとうらにしの雨が降り、かみさんが、うらにしじょんのあだ名を付けた。
 水上勉先生が泣いて喜びそうなあだ名なんだけど、先生が生きておられて果たしてこのしゃれが解るかなあなんて勝手なことを言っている。解るわけがないだろう、うらにしじょんの裏には一昨年の流行語大賞「うらめしじょん」のことが在ることを何人の方が知っているだろう。
 うらにしじょんも奥が深いけれど、やはり今年の大賞は、「宿儺カボチャじょん」なのである。
 宿儺カボチャ事件というのがこの夏にあって、この不思議なカボチャのことを知ることとなったのだが、忘れていらっしゃる方もあろうかと思うので、再度ご案内しよう。
 それはこの夏のことである。いつものように中尾種苗さんから夏野菜の苗を頂き、村上さんと分けて栽培しているのだが、中尾さんの畑が猿の害に遭ってカボチャが収穫することが出来なくなった。そこで苗の頒布者の所に少しずつ恵んでくださいと中尾さんが訪ねてきた。カボチャなんていくらでも出来るから、どうぞどうぞと差し上げたのだが、バターピーナッツという品種があるはずだと言うことだった。我が家には出来てないので、村上さんが作っているはずと連絡したところ、こころよく持ってきてくれたのだが、バターピーナッツとは縁もゆかりもない奇妙なカボチャを持ってこられたのだ。
P1010182



「これはバターピーナッツじゃないわよ」
「でももらった苗から出来たんやで」
「こんな品種の苗を作った憶えは無いんだけど、、、」
「でもこれが出来たんやで、持って帰って、おいしいで」
「・・・・・」
なーんてやりとりがあったのだが、後日中尾さんから電話があって、
「あのカボチャね、スーパーで見つけたら宿儺(すくな)カボチャといって、2,000円もするのよ。」「え~ん」
スープにしていただいたら確かに美味い。それにしてもこんな上等の品種の苗がなんで混じっていたのだろう。
 宿儺カボチャというのはブランド名で、どうも飛騨カボチャの仲間のようである。宿儺カボチャは2,000円近くするが、飛騨カボチャは数百円であるそうだ。中尾さんは真相を究明すべく、種の仕入れ先のタキイ種苗にまで連絡し、種が混じることがあるのか聞いたそうだ。もちろんそういうことはあり得ないという回答だったが、やがて真相が分かることになる。
 今回のカボチャが宿儺カボチャなのか飛騨カボチャなのかは解らないが、村上さんが中尾産の苗の他に夏野菜の苗を適当に買っており、その中に例のカボチャの苗が混じっていたようである。
 とにかく高級なカボチャとあって大切に保管していたら、その横でじょんが昼寝しており、上から見るとどてんとした感じがそっくりなのである。
P1010186



以来、「宿儺カボチャじょん」とか「宿儺カボチャになっとるがな」なんていうことしきり。

【作業日誌 12/19】
薪割り
柚大根、カクテキ作製

【今日のじょん】本文に登場のためお休み
 

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雨読 土を喰ふ日々 12/18

2013-12-18 | 雨読

2013.12.18(水)雨

 わたしの残りの人生を左右する一冊と言ったら大袈裟だろうか。
悟りというのは煩悩を無くすことであるという風に考え、煩悩に関わるものから自らを遠ざけることによって悟りの境地に至れるだろうというのが私の従来の考えであった。ところがどうもそれほど柔な代物では無くて、煩悩というものは大脳のなせる技であるから、大脳を切り取らなければ無くならないように思う。
 人間死んでしまえばもちろん大脳の機能も無くなるわけで、「死ねばみんな仏になる」という言葉はそのことを表しているのかも知れない。仏教などで求められる悟りとは、生きながらにして煩悩を無くすることのようだ。
 これはどだい無理な話なんだが、精進することによって悟りの境地に近づこうとすることが人間にとって一番大切なことなのではと思う。
 荒行を積んだり、托鉢をしたり、瞑想をしたりと様々な精進があるわけだが、人間の根源的な食にそれを求めた禅の教えは崇高である。
 「土を喰ふ日々 わが精進十二ヶ月」水上勉著 文化出版局 古書
P1010964
 一月の章、二月の章、、と十二月まで続くわけだが、いわゆるレシピ本ではない。あとがきの中に、
「約一ヶ年、軽井沢の山荘にこもって、畑をつくり、そこで穫れたものを中心に、私が少年時代から、禅寺でおぼえた精進料理をつくってみて、それでいわでものことを云いまぶして、料理読本というには不調法で、文化論というにしては非文化的で、人間論というにしては、いかにも浅底の、とにかく体をなさない妙な文章になりつつあるのを承知しながら、おだてるままに書きつないできたものである。」とあり、まさにそういった本である。
 本書の中から紹介したいことはいくらでもあるのだが、連載中の「上林土喰庵」で順次紹介していきたい。
 若狭での貧乏な子供時代の話の中で、父親の弁当には飯と味噌と塩しか入っていなかったことが出てくる。山でタラの芽などを採って焼いて食うのである。他の職人はへしこなどの馳走が入っているのに、恥ずかしい思いがした、と書いている。
 「ぼくら貧乏人の子らには、土の幸山菜を蔑んで、都会化された人工的な喰いものへの憧憬が芽生えていたとみる。」
 貧しい父親が実は一番美味いものを喰っていたのだろう。
 最近の食材偽装にぴったりの文がある。
 「近ごろは、野菜も魚も、?み物も、誰もが頭で喰い、頭で?みしているところが見えるのでわざわざ口で喰えと、いってみたにすぎない。」
座右の銘となる一冊だ。

【今日のじょん】じょんはおでんが好きなんだナ。特に今年のおとーの大根は逸品である。なーんてぱくぱく喰ってたら、いきなり吐いてしまった。
吐くまで喰うなよなあ。P1020019  

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上林土喰庵(5) 柚大根-2 12/17

2013-12-18 | 食・レシピ

2013.12.17(火)曇り

 わたしの畑のように狭くてのべつ幕無し野菜を作っている様なところは何らかの形で施肥が要りようだと思う。ストーブから出る灰とコーヒーの点て滓は日常的に施しているが、コーヒーフィルター、たき火の灰や野菜くず、雑草などは畝の下に埋めている。この他畝を起てるときには元肥として市販のバーク堆肥、有機肥料を施肥、追肥には液肥や粒状の肥料を使っている。
 実はどのように施肥をしたらいいのかは解っていない。しかし今年のタマネギ、大根の生育の良かったのはしっかり元肥、追肥をしたからだと思っている。本当は桐と榎の落ち葉が沢山でるので、堆肥を作ればいちばんいいのだろう。一度挑戦したが面倒なので止めてしまった。施肥については試行錯誤も含めて研究していきたい。
 さて柚大根だが、この時期だけの調理なので分量を忘れてしまう。以前のメモを見て次の通りで行う。
大根一本、約1Kg
塩    大さじ1.5杯
砂糖   80g
酢    60cc
柚    適当(今回一年柚6個)
鷹の爪  3本
P1010969 P1010970



柚皮の内側をよくそぐのがミソ。

 大根は皮付きのまま短冊に切って、上記調味料の混ぜ合わせたものに入れるだけ。タッパウェアに入れてよく振ってかき混ぜる。柚は半分に切って汁を搾り入れる。種は捨てる。
 大切なのは柚の皮の白いスポンジ状の部分をスプーンなどで掻き落とすことである。これが残っているとえぐみが出る。皮を千切りにして混ぜる。鷹の爪ははさみで適当に切って入れる。涼しいところにおいて1日たったら食べられる。P1010971


P10200013日目ぐらいが一番美味しい。




【作業日誌 12/17】一日中薪割り、雪が降るまでに割らなきゃ。

【今日のじょん】新しいハーネスで散歩する。同じイージーウオークハーネスなんだけど、何となくつくりがヤワになっている。実質値上げか。P1020018

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