晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(38) 鬼伝説 2/27

2011-02-28 | 歴史・民俗

2011.2.27(日)曇、雨

 念道のあたりではすっかり雪も消えて、北向きの山影に少し白く残っている程度となった。お客さまが今日現在の大唐内の映像を持っておられて見せていただいたが、一面真っ白なので驚く。標高も高く気温も低いのでさもありなんと思うが、やはり積雪量そのものが桁違いに多いのだろう。大唐内に行って聖神社のことなど確かめたいと思っているのだが、もう少し春を待ってからにしよう。Img_2202 Img_2433

最盛期(1.19)と最期(2.27)


 さて聖神社の聖(ひじり)についてだが、和泉市の聖神社の広報紙「聖さん」にあるように藤元善右衛門という英雄、貢献者を祀った聖人信仰による「聖」というのが一般的と思われる。ただ、この広報紙でも「この神社の場合は、、、」という書き方がしてあるので、他にも「聖」と呼ばれる神社のいわれはあるようだ。参考までに「聖」のひとつの例を紹介しておこう。
 聖とは修験者のことで、金属資源を探し出す知識や技術を身につけていたということである。なぜ聖(ひじり)と呼ばれたかについては、冶金の火を治す、火治りだからだという説もあるようだ。これらは「日本山岳伝承の謎」(谷有二著)や「真言密教と古代金属文化」(佐藤任他著)などに書かれている。
 また、「日本民俗文化大系、神と仏」(小学館)では、聖=火治リではあるが、それは神聖な火を管理する宗教者であり、火は霊魂のシンボルであるから、火治リは霊魂を統括管理する宗教者である、という風に金属に関わるものという書き方はしていない。
Img_1727 
藤元善右衛門氏を祭神とする聖神社。


 このように深読みをすれば聖神社のいわれはいかようにも考えられるわけだが、やはり藤元善右衛門氏を祭神とするに至って付けられた社名と考えるのが妥当なのだろう。ただ私はそれ以前からこの神社は存在していただろうと予想する。その神社の祭神は、社名はなんて考えもするが実はそのようなものは無いのだろう。つまり大唐内の住民の氏神だったのだろう。氏神というのはいわゆる”うじ”の神で血につながる家の守り神である。氏神とはそういうものだから本来社名も祭神も無いのが当然である。それどころか定まった社殿、社などもなく、毎年稲の収穫が終わると藁で小さな祠をつくる風習が東北地方などに残っている。それが氏神の本来の姿なのだろう。現在は氏神にも祠もあり祭神も決まっている。それは前回書いたような、神社明細の作成や国家神道の成立など諸条件により、適当に社名や祭神を付けたものが多いのではないだろうか。つづく
(大唐内のこと(37)は2011.2.11)

【作業日誌 2/27】
薪割り

今日のじょん:春になるのは良いのだけれど、かみさんなど強度の花粉症で結構恐怖みたいだ。予防線を張ってお医者さんにかかっているが、写真はその時のものである。実はじょんもアレルギー体質みたいで、最近くしゃみが多くなった。涙目にもなってきて、目薬が要るようだ。じょんはこの医院では看てもらえない。Img_2411

 
 

 

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雨読 京都北山を歩く(3) 2/26

2011-02-26 | 雨読

2011.2.26(土)晴、曇

 「京都北山を歩く」(3)(澤潔著)ナカニシヤ出版、1991年10月初版第一刷、定価1,900円である。Img_2432
 今から20年ほど前、私は取り憑かれたように北山の峠を訪れていた。それは総て家からマウンテンバイクで出、帰ってくるものだった。当時京都MTBクラブというのを主宰していたので大勢で出かけることもあったが、ほとんどは一人で出かけるものだった。登山に関しては決して一人では行かなかったのだが、このMTBでの北山通いはなぜか一人が多かった。それも事前に計画するというものでなく、休日の午後などに急に思い立って出かけていた。そんなだから秋冬になると峠ではとっぷり日が暮れることもあり、山道を乗って行くことが出来ず、MTBを担いで下ってきたこともよくあった。怖がりの自分がなぜそんなことを出来たのか未だ持って解らないのだが、それは自転車旅行沖縄編にもあった。おもいきり気味の悪いところへ怖いけれど行ってしまうのだ。こういう現象は外的な要因ではなく、内的な心理的な要因が作用しているのだと思っている。
 さてその北山峠紀行の参考書は金久昌業氏の「北山の峠」三部作である。この書は名著で、ルート案内に良し、歴史や紀行についても抜群、ルート図や写真も多く、なによりも氏の文は名文である。で、本書はというと京都民報の書評を見て、初版から買ったものである。当時はあまり歴史や民俗には興味がなかったので、ざっと読んで倉庫に眠っていたものである。ただ地名考や葬制墓制に関する記事が記憶に残っており、今回新たに出してきて読んだものである。なんで三巻から読んでいるかと言えば、それが大堰川と由良川の源流を対象にしているからだ。
 由良川源流、美山町、芦生などの地域に若狭の文化が如何に流入しているかという点が興味をひく。それは上林と似かよった文化の形態なのだ。
 今研究中の両墓制についても、由良川源流、上林、若狭、大浦といったラインが現れているし、積石墓や積石信仰についての話題も大変参考になる。水梨、虫といった上林と同一地名の地名考も今後の参考になるし、何しろMTBで実際に走り回った地域が舞台となっているので臨場感があるわけだ。Img_0246

大森(2006,7)このあたりは屋敷墓が多い。


【作業日誌 2/26】
薪割り

今日のじょん:いくみちゃんが来ているのでもう大変。外から帰ったときも、朝一番もおとーもおかーも知らん顔、いくみちゃんにべったりくっついている。こんな犬も珍しいだろう。一体誰のお陰で飯が食えてんねん。Img_2410

 

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犬が変わる 2/25

2011-02-26 | 日記・エッセイ・コラム

2011.2.25(金)曇、雨

 ”人が変わる”つまり豹変するということはままあるが、犬の場合は”犬が変わる”と言っていいのだろうか。
 先日サチママが、「ユキのところにサチを連れて行ったら相性が合わなかったみたいでえらい剣幕で噛みついて、かみ殺されるかと思った」と言ってたそうだ。
え゛~あのおとなしいユキがまさか~ってんで誰も信用しなかったのだが、事件が起きた。夜中に様子がおかしいのでユキを放すと、台所の辺で大騒ぎとなり、何者か咥えて振り回している、というのである。よく見るとそれはテンで、その後も大立ち回りをして結局逃げられたそうだが、臭いも凄いし夜中中寝られなくて参った。というのがメーパパの言。
 うーむこうなるとサチママの話も信憑性が出てくる。そう、あのおとなしいユキが突然犬が変わるのだ。
 今日はいくみちゃんが来るのでユキを見せてやろうと、じょんを連れてメーパパの家に向かったのだが、内心じょんが噛みつかれるんではと不安であった。ユキがじょんのび村に来るときはメーパパも一緒だし、じょんとも仲良く遊んでいる。でも留守番をしているユキはどうかナーなんて思いながら向かっていると、向こうからメーパパがやってきた。今日は休みやったんやて。
 というわけで仲良く遊んでいたが、ユキの前身は猟犬ちゃうかというのが皆の一致するところ。あんまりおとなしいので、きっと老人に室内で飼われていたのではと言っていたのだが、犬は見かけによらないものだ。Img_2418 Img_2419

こんなに仲良しなのにおかしいなあ。



ところでメーは相変わらず太ってしまって笑っちゃうぜ。Img_4430  Img_2420

使用前(昨年5月)使用後(今日)

【作業日誌 2/25】
ガーデンシェッド、外壁縁取り

今日のじょん:本文中に掲載のためお休み。

 

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両墓制(6) 2/24

2011-02-25 | 歴史・民俗

2011.2.24(木)曇

 現在ではおそらく日本のどこでも大方が火葬となっているのだろうが、ついこの間までは土葬であった。私の父親も座棺で土葬された。ではその前はどのような葬方だったのだろう。ヒマラヤなんかで聞かれる鳥葬や樹上葬、沖縄や奄美で見られるような洞窟などに安置する一種の風葬のような方法があったのではないかと思っている。ただこの方面について不勉強で思っているという根拠は、「北山を歩く」(澤潔著)の衣懸坂の記事である。当時北山の文化や民俗に興味があったわけではないけれど、MTBツーリングで北山の峠を巡っていたのでその参考にと読んでいたものである。この項で樹上葬や風葬といったものが古代葬方としてあったことを知ったのである。沖縄の葬方については既に知るところであったので、やはり火葬土葬以前にそのような葬方があったのだろうと思うようになったわけである。実はこの「北山を歩く」は三巻からなり、北山の歴史や文化、民俗について書かれているのだが、葬制墓制についてかなり高い頻度で書かれているのである。そんな意味で今、再度読み直しているところである。
 古代葬方が本州においても風葬や樹上葬といった形であったとしても、果たしてそれが主流であったかどうかは疑問である。日本中のあちこちでそのような葬方がなされていたとしたら、山は遺骨だらけになりはしないか。私は日本中の山を巡ったが、遺骨になんぞ会ったことがない。こんな単純な疑問がわくのである。
 墓の語源はホウリカといわれる。やはり元々は放るようにして捨て置いたものだろう。これが両墓制の埋墓の起源なのではないか。そして時代が下がって、仏教の影響もあろうし、祖先の霊をうやまうという信仰などから詣墓が作られてきたのではないだろうか。
 綾部市における両墓制の分布は上林と東八田地域とあり(綾部市史上巻)、若狭大飯、舞鶴大浦地域に分布すると言われている。丹波六郡では船井郡28地区、桑田郡13地区、多紀郡7地区、氷上郡8地区、天田郡1地区となっており(磯貝勇)全国的には近畿地区に最も多く分布されるという。
 ニソの杜も両墓制のひとつの形態という説もあり、海人族に関連する習俗という考え方もあるようだが、上記の分布を見る限りではそのようには思えない。
 とにかく上林には顕著な習俗であり、もっと解明したい事柄ではある。

【作業日誌 2/24】
南京櫨剪定、昨秋できなかったのだが、今頃良いのかな。
ガーデンシェッド、化粧板張り
薪割り

今日のじょん:隣の裏庭が鹿に襲われた。荒らされるというよりはきれいさっぱり食べられてきれいになっている。雑草だけこんな感じで食ってくれれば良いのにね。じょんもあきれ顔。Img_2406 Img_2407

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修復作業 2/23

2011-02-23 | 日記・エッセイ・コラム

2011.2.23(水)晴、曇、雨

 予報ほどは暖かくならなかったけど、まずまずの春の日和であった。本当に無くなるんだろうかといぶかしく思った雪も残り少なくなり逆に淋しい感じもする。問題は雪解けとともに現れる忌まわしいものの処理である。
 積雪で壊れた椎茸小屋、積雪で折れたり倒れたりした庭木、積雪で地表面に掘られたモグラ跡、雪解けで出てきた犬、獣のウンチ、雪解けとともに元気に伸びている雑草、積雪で壊れた防獣ネット、積雪の中から出てきた未処理の薪などきりがない。
 ガーデンシェッドの完成、店の看板、ドッグランどの建設などこの春の課題があるだけに途方に暮れている。かみさんの体調が思わしくないだけに、ガーデニングについても主体的にやらなければと思っている。
 まず椎茸小屋の補修は先日やり終えた。なんでってバカ猿どもがしっかり狙ってやってきているのだから致し方ない。Img_2389
 

2月19日に応急的にネットを張る。

 芝生のモグラ跡だが、これは想定外の被害であった。積雪が長く続いたため本来地中に掘るべきモグラの穴が地表面に掘られているのだ。畑や庭では問題ないのだが芝生面では大問題である。気味が悪いほど網目状に筋が掘られている。根が空気にさらされることによって枯れでもしたら大変だ。先日の定休日に雑草引きと砂入れを行う。Img_2400 

雪が解けたら芝生の表面にモグラの溝が出てきた。


Img_2394
Img_2393 
玄関前の芝生だけでこれだけの雑草、雪の下でも元気に生き抜いていたスジキリヨトウ。


 傷んだ庭木の修復や薪割りは一気にできるものではないので、朝の一時間を庭木の修復、雑草引きなどガーデニング、夕方の一時間を薪割りに当てている。天気さえ良ければこの二時間を継続することによって、三月中旬には積雪による被害の修復が出来るだろう。

【作業日誌 2/23】
ガーデンシェッド、薬剤・肥料の棚完成、化粧板張りつづき
薪割り
ガーデン補修

今日のじょん:18日に某ショップでシャンプーして毛が抜けないということを書いたがいまだに毛が抜けない。これってどうなっているんだろう。とんでもない薬剤を使ってるのか、それとも今まで我が家で使っていたシャンプーがやばいのか解らない。たまたま毛が抜けない時期なのか、まったくもって不思議な事態だ。Img_2392


毛が抜けないったってこの写真じゃわからないか。

 

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両墓制(5) 2/22

2011-02-22 | 歴史・民俗

2011.2.22(火)晴

 一月には絶対に無いけれど、二月には春の四月頃を思わせる日が必ずある。自転車に乗ってる頃は、バイクパンツに半袖ジャージで周山街道を走ることがよくあった。そういう日が今日明日らしい。いつもどおりの服装で作業していると暑くて堪らない。一枚脱ぎ二枚脱ぎしても汗をかいてしまった。
 民俗習俗の現象には調べれば自分の予想がぴたりと当たり、疑問がどんどん解決し、また新たな発見に感動するものと、その逆で調べれば調べるほど迷路にはまって行き自分の考えとは逆の方向に進み、何が何だか解らなくなるものがある。両墓制は後者である。もちろん調べ方が足りないということはあるのだが、その起源、そのルーツとなると混沌としてくる。
 ここでは今現在の私の両墓制に関する考えを書いておこう。やがて(10)(20)と続いて新たな知識の導入や新たな発見があると思う。
 「墓と葬送の社会史」(森謙二著)では両墓制に対し諸説ある中で、民俗学者原田敏明氏の説に沿ったものが最近の理解だとしている。
 「彼の理論の特徴とするところは、死者を捨てるように埋葬した埋墓と祭祀の対象となる詣墓の創設には一定の時間的ずれがあり、詣墓の創設は近世もよほど後期のことで、仏教思想の浸透による死者尊重の観念の形成、家の観念の発展による祖先祭祀の普及によるとされている点である。」
 本文をそのまま紹介したのだが、埋墓と詣墓が時間的ずれを持って創設されたという点は誠に当を得ていると思う。つまり両墓制という習俗は最初からその形態で普及したわけでなく、当初はどこでも死体を捨てるように埋葬していたということだ。それは埋葬だけでなく、沖縄奄美など南の島では海岸の洞窟における風葬となっていたし、本土では埋葬以外に樹上葬や単に死体を捨てるだけの処理もあったのではないだろうか。つづくImg_2649_2

沖縄ではこういった海に面した洞窟で風葬が行われていた。珍しがって訪れる観光客もあろうかと思うが、それは単に葬制墓制の違いというだけのものである。


【作業日誌 2/22】
芝生広場目土入れ
ガーデンシェッド、化粧板張り
薪割り

今日のじょん:雪が解けて将軍様ごっこが出来なくなった。それでもヒマラヤ杉の丸太の下などにボールを投げる。実は今まではそういうところのボールは怖がって取れなかったのだ。雪の中を探しまわったお陰か、かみさんのいわゆる励ましのお陰かなんとか取れるようになった。何でもないことだけど、じょんにとってはとても進歩だし、私たちもなぜか嬉しいことである。Img_2398
Img_2399_2

ガンバレじょん。 

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両墓制(4) 2/21

2011-02-21 | 歴史・民俗

2011.2.21(月)曇

 墓制、葬制については詳しく研究したことはないのだが、歴史民俗文化を探る上で非常に重要な要素を含んでいると考える。日本全国に様々な墓制、葬制が残り、他の祭祀や伝統芸能よりも厳格にその習性が承継されてきたと思う。もちろん社会、生活習慣の変貌によって最近急速に変わりつつあるのだが、ついこの間までその意味は解らなくても昔ながらの儀式的、伝統的な習俗が行われていたのである。
 その一つである両墓制についてもその意味や起源はすぐに判明するものと思っていた。ところが意外にも定まった説は無いようで、各論並記といった状況のようである。
 両墓制(2009.8.11)の記事の中で沖縄の洗骨習俗が一種の両墓制だというふうに述べたが、まさに洗骨習俗が両墓制の起源だという説はあるそうである。洗骨とは一般的に死者の遺骸をまず海岸沿いの崖の横穴などに安置し数年たって白骨化したとき(宜野座村では七年とある)泡盛などで洗骨をし、亀甲墓などの門中墓に納めるという、改葬の一種である。これは確かに遺体を置く墓と祭祀をする墓の二つの墓がある両墓制といえるだろう。説は洗骨習俗のうち、洗骨をして骨を新たな墓に移すという部分が省略されたものという風に考えている。Img_2593
 
古い亀甲墓(沖縄)


 洗骨という習俗は沖縄、奄美、および本土の太平洋岸にもあったようだ。自転車旅行で沖縄に行った際に各地の郷土史を読みあさったが、葬制、墓制に関する記述はボリュームもあるし、詳しく分析されている。また郷土資料館などの展示も葬祭、墓地に関する史料など本土とは比べものにならないくらい多い。例えば龕(がん、葬儀のとき棺桶を運ぶ輿のこと)やガーミ(骨壷)などはどこにでも展示してある。Img_2662 Img_2663
 

ジーシガーミとガン

 以前に沖縄のとある町で講師として出張したことがある。その帰り、タクシーで空港に向かったのだが、タクシーはとんでもない間道に入るのだ。何で国道の広い道を行かないのか聞くと、今日は清明祭(シーミーサイ)だという答だった。なんかのお祭りで道路が混んでいるのかと思ったが、どのようなものかすぐに解った。その間道も随分渋滞していて、道縁のお墓の前ではござをひいて大勢の人が唄ったり踊ったりしているのだ。このように沖縄では、葬送、葬祭とかお墓(ほとんどが門中墓)というのが身近で明るく感じられており、本土のように陰気で忌むべきものというようなとらえられ方をしていないなあと痛感したのである。それはあの亀甲墓のように超大型の墓があちこちにあり、そこには洗骨された先祖の骨が納められており、死穢の場としての忌避すべきものとはならないということではなかろうか。
 これは両墓制の詣り墓と同じような感情をもつものだが、かといって両墓制の起源が沖縄の洗骨習俗だというのは難があるように思える。つづく

【作業日誌 2/21】
店頭芝生の草引き
ガーデンシェッド、大棚完成、小棚作製

今日のじょん:昼ご飯食べようと思ったら、おとーの席にじょんがいる。なんでって、風が怖いから避難してるのだ。思い起こせば昨年春、食事しなくなって衰弱して、あちこちお医者にかかって大騒動となったことがある。連日連夜の大風にストレスを溜めて、神経性胃腸炎になったようだ。犬の病気は人間と違ってお金が大変だから、事前に避難してるんだって。Img_2395
 

 

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両墓制(3) 2/20

2011-02-20 | 歴史・民俗

2011.2.20(日)曇

 雪解けでいろんなものが出てきた。動物のウンコ、無惨に折れてしまった庭木、網の目のようなモグラの溝、雪の下でも青々と元気な雑草、降雪前になくした道具類等々。その中でお隣のお墓が目立っている。実はこのあたりではかつては両墓制の詣墓(まいりばか)が家の近くの山の中腹にあるのが普通なんだが、お詣りが大変だというので家のすぐ近くに移設するのが流行っているのだ。お隣も山の中腹にあったものを昨秋に移設されたのだが、途端に雪が積もって目立たなくなってしまった。そして雪が解けた今、じょんのびのお客さん達が、「あれっあんなところにお墓があったっけ」などと言っているのである。Img_2350 Img_2379


これはシャンプー前。

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猿出没調査 2/19

2011-02-19 | 日記・エッセイ・コラム

2011.2.19(土)曇

 「京都府ニホンザル群れ出没カレンダー調査」というのが行われている。2月一杯が調査期間で、近隣市町村一斉に行われているということだ。猿を見つけたら調査用紙に時間や群れの状態など記入するもので、我が家でも自治会から依頼されて行っている。1月にはちょいちょい出没していたのに調査期間の2月になったら一向に現れないなあと思いきや、立て続けに出てきやがった。Img_2390
 それは昨日午後のことである、トタン屋根のゴトンという音に気づいて木小屋の当たりを見ると、でかい猿が数匹椎茸小屋のあたりにうろついている。実は椎茸小屋は昨年しっかりネットを張ったのだが、この冬の大雪で梁が折れてネットも破れてしまっているのだ。椎茸はけなげにも雪の中で小さな頭を出していたのだ。奴らはそれを逃さない、狡猾でしかも横柄なこの動物に憐れさの微塵もない。用意の竿竹をかざして追いかける。すると遠くで見守っていたいた猿たちもこぞって山の中に逃げてゆく。この地に来た頃は人間の姿を見ただけでこそこそと逃げていたのだが、今は棒を持って追いかけないと逃げることはない。段々人間のなすすべもないことを憶えてきたようだ。そして何度追いかけても山に帰ってしまうことはない。一定の距離を置いて木に登り、毛繕いなどしてこちらの様子を見ている。世の中にこんな腹立たしい者があろうか。Img_2386
 
木の上で親子で毛繕いをしている。


 こちらが家に入るとまたぞろ近寄ってくる。追いかけると木の上に逃げる。こんな作業を何度か繰り返し、陽が落ちた。普通は暗くなると山に帰るのだが、今日は執拗に騒いでいる。遂に夜中の十時過ぎまでギャーギャーと騒いでいた、これは初めてのことだ。
 そして今日の朝が明ける。窓を開けるとじょんのびの裏山に朝から群がっている。小猿も居て一群の群れをなしている。なんとなく絶望的な気分になる。今までは一度追えばそれで終了だったのだ。数週間、数ヶ月来ないこともあった。それが何度追っても山に帰らず、その場で一夜を明かし、二日連続で出没するのはこれも新手だ。
 じょんも猿に対しては敏感で、うなり声を上げて追うが、奴らはそれ以上来ないことを知っている。諦めて散歩に出ると、斥候らしき猿が次の場所で偵察を行っている。薮の中から時々頭を出して左右をきょろきょろ見渡し、また薮に引っ込む。Img_2387
 
次のステージを偵察しているようだ。


 調査報告書には四箇所も記入できたが、その調査がどのように活かされるのかも不明である。壊れたネットを修理する。それしか出来ない自分が情けないやら空しいやら。Img_2388 Img_2389

ビフォアアフター。


【作業日誌 2/19】
椎茸小屋補修
ガーデンシェッド、棚作り

今日のじょん:本文中に出場。Img_2384

猿をポインティングしているところ。

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新燃岳 2/18

2011-02-18 | 日記・エッセイ・コラム

2011.2.18(金) 雨

 新燃岳の噴火が大きな被害を及ぼしている。火山の被害が無いところに住んでいる者にとっては実感としてとらえられないことである。映像では浅間山や桜島、普賢岳などの噴火を見てきたのだがやはり実感はないのが実状だろう。しかし自転車旅行で九州を回って、桜島や普賢岳の現地を見て戦慄を憶えた。特に普賢岳の火砕流現場は、信じられないような景色が網膜の画面いっぱいに映った。普賢岳の噴火についてはテレビ放映が常時あったのでどこの地域がどうなってとか逐一見ていたのだけど、現場を見るともう腰抜かしそうになる。Img_3578
Img_3589
上木場地区とか千本木地区とか常に報道されていた地区が火砕流の下に埋まっている。(普賢岳)

自然の驚異の前に人間の力のなんて小さなことか、そしてそのことがまたしても新燃岳で起きている。
2007年3月15日、秘湯新湯温泉に行く。まあいろいろ温泉入ったけど、濃さは三本の指に入る。ところがこの温泉、新燃岳から直線で4Km程なんだよね。どうなっているか心配なんだけど、おそらく避難されているのだろう。Img_3235

新湯温泉、国民宿舎新燃荘(2007.3.15)


 火山の爆発なんて誰のせいでもなく、いつ終わるとも分からない。近隣の住民のやりどころのない怒りと不安は尋常ではないだろう。政府もわけの解らんどたばたばかりやってないで、真剣に救援策を練っていただきたい。

【作業日誌 2/18】
玄関すのこ作り
ガーデンシェッド、棚作り

今日のじょん:かみさんの腰痛が思わしくないので、じょんのシャンプーを初めて業者にやってもらう。まあいざというときに家以外でも出来るようにとやったのだが、帰ってきたら雨の後で泥んことなっている。散歩させるのももったいないようだ。Img_2383
Img_2385

いつもいるはずのじょんが居ないとなんか寂しい。帰ってきたら猿が出没して、大変。 

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せっけんクラブ 2/17 

2011-02-18 | 日記・エッセイ・コラム

2011.2.17(木)晴

 向日市にちょと風変わりなお家があった。おしゃれな建物なんだけど玄関に面白いステッカーが貼ってあったのだ。「私の家は貧乏なのでなにも買えません」らしきことが書いてあったのだ。普通「勧誘・押し売りお断り」なーんてステッカーがよくあるのだが、手書きの貧乏ステッカーは気に入った。家は立派な家で貧乏らしくもない。気になるので訪ねていったら、ご主人がおられお話ししていると嵯峨芸大の先生だった。「せっけんクラブというのをやってんねん」
「えっ洗剤にせっけんを使うあれですか?」
「いや、節約倹約を縮めて節倹倶楽部なんだ」
てな調子で、節約倹約といえば目をつり上げて必死になってするもんだと思いがちだが、先生ずいぶんひょうひょうと節倹生活をしておられるようだ。本も出しておられ二冊の本を買って帰ったのだが、倉庫にしまったままになっている。Img_2382

一冊は出てきたが、これは単なる節約のハウツー本ではない。


 お金を無駄にしない、時間を無駄にしない、自分を無駄にしない。というコンセプトが実に気に入っている。
 そして退職し貧乏になった今、節約倹約を真剣に取り組まなければやってけない状況に突入した。年金生活となると現役時代の1/3の収入となる。ほとんどの人が再就職やアルバイトで不足分を取り戻そうと必死になるのだが、そうすることでお金と時間と自分を無駄にしていてはなにもならない。節約倹約は必要だがこれも楽しくやらないといかんなあと思う。
 昨年、活動していない会の退会や年賀状の廃止、使わないカードの整理をしたが、まだまだ無駄なものがある。まず、携帯電話だ。昨年使わないiモードを解約したが、通話も月に一回程度なのでこれは無駄だろう。そして保険、これは難しい。がん保険の終身タイプに加入しているのだが、途中で新しい特約を付けた。一時金が増えたり、どのようなタイプのガンにも対応できるというようなものだけど、月2,000円の負担は厳しい。入院保険金は変わりないのでやっぱりこれも解約するか。
 そして大きな負担は自動車である。普通車は維持費が堪らない。税金や保険料、ガソリン代も考えたら軽に変えるかなあ。といま思案中である。
 その他、ゆうちょクラブ、ヤフーの会費など月にしたらしれた額だけど無駄としか思えないもの、この際止めちゃおうね。

【作業日誌 2/17】
ガーデンシェッド、内装

今日のじょん:、やっと春めいた日がでてきた。じょんの居場所は我が家で一番いいところなのだ。Img_2381


ぬくぬくじょん

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ガーデンシェッド(16) 2/16

2011-02-16 | DIY

2011.2.16(水)晴

 朝の気温-3℃、寒いけれど良い天気だ。移動性の天気となってきて春の近づきを思わせるのだが、ゆめゆめ油断する事なかれ。
 さて昨日待望のドアの取り付けと相成った。上塗り塗装や、取っ手の取り付けなど全て終わってから取り付けたかったのだが、置くところがないのだ。作業台の上に置いておくと他の作業が出来なくなるわけで、とりあえず取り付けてしまおうという感じだ。ここまでサイズについては注意を払って作業してきたので、いきなりビシッと合う。いろんなものを作ってきたが、ぴったりサイズが合うなんてのは初めてのことだ。妙に感激する。ところが問題が発生する。左右のサイズは余裕を10mm取ったのだが、丁番側がぴったり決まって、取っ手側が9mmほど開いてしまったことだ。そのためラッチの効きが悪くて気持ちよく閉まらない。上下は6mm余裕を設けたのだが、これはぴったり。Img_2369 Img_2370
 
ドアと通気口を取り付ける。取っ手は自然木を使用。


ゲートラッチを付けたり取っ手を付けたりして一段落、ドアのストッパーや上塗り塗装、取っ手側の隙間対策など残っているが先に内装など進めてゆく。
 ドアと並行してやってきたのが、空気取り入れ窓である。部屋を密閉型にしたため換気扇と反対側に空気取り入れ窓を作る。といっても単なるアクリル板の窓で、動物除けに金網を張っただけのものである。これも本日取り付け完成。
  もう一つは換気扇、これは太陽光発電で作動するパソコン用のファンを取り付ける。要するに日光が当たっているときは作動するわけだ。窓枠は完成したが、取り付けは配線が終わってからだ。
 内部の棚やフックの取り付けを始める。狭い内部に多くのガーデニング用品を納めるには機能的な配置が必要である。置くべき物を実際に持ってきてサイズを決めてゆく。今日は鍬やレーキを吊すフック、小物を吊すネットなどを配置する。つづく

【作業日誌 2/16】
ガーデンシェッド内装

今日のじょん:好天の日の寒い朝は上林川から湯気が上がり幻想的な景色となる。そういう日はポケットにカメラを放り込んでじょんの散歩に出る。今朝は湯気が少なくていまいちだったが、朝の太陽はもう春の太陽だ。じょんはそんなの関係ねえって感じでクンクン臭いで廻っている。Img_2374 Img_2372

折山朝日。 
 

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雨読 村の神々 2/15

2011-02-15 | 雨読

2011.2.15(火)雪、晴

 膳所の古本屋さんで見つけた本である。「村の神々」(岩崎敏夫著)岩崎美術社発行、1979年5月第八刷、定価1,300円、購入価600円
 購入の動機は、はやま信仰についての記述があることと、貴重な写真が沢山載っていることである。
  はやまとは葉山、羽山、端山などと呼ばれる、里から見られる身近な山である。ピラミダルな山や均整のとれた山がはやまと呼ばれている。はやま信仰とは人が死ぬと魂ははやまに行き、そこに三十三年留まって、更に高くそびえる深山に上がってゆくと言われる。山形県村山市の葉山はその西に深山としての月山をひかえている。Img_0500

霊気漂う月山山頂付近。(2006,9,5)
ガスの中で風車が回っているのには参った。


 私ははやまはこの村山葉山のことを呼んでそういうのかと思っていた。そうではなくてはやまは東北にはいくつかの村にひとつといったふうにあちこちにあるのだ。はやま信仰は東北地方固有のものだと思われているためか文献はなかなか見つからなかった。先日「根深さんのこと」(2011.2.8)で紹介した「ブナの山々」の中にも原敬一氏の「葉山の精気に包まれて」という一文がある。村山葉山に関する文だ。
 人が死ぬとはやまの麓に葬られて、魂は山頂に登ると信じられているが、はやま信仰は東北だけのものでなく全国的に古来からある、葬送に源を発する信仰或いは文化ではないかと考えている。発想だけで確固たる根拠も無いのだが、だからこそはやま信仰に関する書籍を読んでいるわけだ。死ぬことをヤマに行くということがある。「ヤマ」を方言辞典でみると、墓場(壱岐)、やまおけ 死者を納める桶(壱岐)、やまござ 納棺のとき敷くござ(壱岐)、やまさげ お墓詣り用の水桶(愛媛県大三島)などとある。「京都北山を歩く(2)」(澤潔著)にも葬地としてエーヤマ(隠岐)、クサヤマ(愛知県)、グショヤマ(奄美大島)、ヤマバカ(青森県)などと書いている。
 本書でははやまの神祭りについて詳しく述べられており、貴重な写真もいくつか掲載されている。文中、九州南部のはやまについて小野重朗氏が明らかにされつつあると書いているが、具体的なことは書かれていないのだが、九州南部にはやま信仰と同様のものがあるとしたら、その中間地点にもあってしかるべきと思うのだが。Img_3036
 
浜下りの行われると聞いた浜、中央の丘の上は墓地である。(徳之島)


 驚いたのははやまの祭りの中に、浜下り(ハマオリ)神事があることだ。自転車旅行中、沖縄、奄美にこの神事、習慣があることを知ったが、東北のはやまで行われているのは本書で初めて知ったものだ。南海の島々と山深い東北の地とどのような接点があるのだろう。興味深い本である。

【作業日誌 2/15】
ガーデンシェッド、ドア取り付け

今日のじょん:雪の中でボールを探すのがうまくなった。励ましてやることと褒めてやることが大切なんだって。人間の子供と一緒だね。Img_2362


 

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ガーデンシェッド(15) 2/14

2011-02-14 | DIY

2011.2.14(月) 雪

 本日は自転車日本一周後半戦の出発記念日である。その時はメンテナンスのため池田の自転車屋さんキャファに愛車初恋号は預けてあるため阪急電車でスタートした。神戸のフェリーターミナルまで冷たい雨で参ったが、今年なら雪になっていたのかも知れない。沖縄滞在中は暖かく、3月に入ってから九州に上陸し別府で雪を観ることとなった。概ね自転車旅行の年、2006年から2007年は暖かく幸いだったと思う。昨夏、今冬のような状況だったらちょっと辛かったかもしれない。Img_2365
 
4年前の今日、嵐の旅立ちだった。


 昨日書いたドア枠の面取りの失敗は文に書くと何のことか解らないと思うので、写真でお見せしよう。Img_2366
 
端まで面取りをしたので切り欠き部分に隙間ができたもの。


 ドアの板は杉の化粧板が余るので使おうかと思ったが、少しでも丈夫なように12mmの野地板を森井工房(近所にある木工工房)で鉋がけして貰い、10mm厚になったものを使うこととした。ドア下部は縦に張り桟を付ける、上部は横に張り飾り窓を付けることにした。この飾り窓だけで丸三日ぐらい時間を使っているが、装飾性がぐんと上がることと明かり取り効果を期待してのことである。桐板をジョウゴの図柄でくり抜いて、薄いブルーのアクリル板を当てることにした。飾り窓の枠は上林の藁葺き屋根の破風の井桁マークを意識し、ジョウゴの先には百均で見つけた本物のポットを取り付けるようにした。ここまで凝るとドアノブなど市販のものでは似合わない。三ツ井の植木屋さんにもらった椿の枝を使ってそれなりに仕上げる。Img_2347 Img_2368
 丁番、ラッチなどカントリー風なおしゃれなものも市販しているが、これ以上予算をオーバーしたくないので市販の一般的なものにする。こういうパーツの取り付けも結構気を使うし、時間もかかる。
 塗装はありあまりの塗料を使っているのだが、天気が悪くて作業がしにくい。本当はもう少し塗装について勉強したいのだが、面倒なので適当にやっている。あまりうまくは塗れない。つづく

【作業日誌 2/14】
ガーデンシェッドドア作製、ラッチの穴掘り、ドアノブ作製、コーキングImg_2365_2 Img_2363

釘穴はダボで隠し、ラッチの穴は彫刻刀が活躍する。



 今日のじょん:またしても新雪の朝、2cmってとこか、連日降ってるので何回目か解らない。今年20回目ぐらいかな。さて今日も怪しげな足跡を発見、芝生広場のところを凄い跳躍力で走っている。踏切が強いので足跡も潰れて何者か分からない。
 こんなのは鹿しかない。遂に芝生広場まで鹿に入られるようになったかとガックリくる。後でよーく考えたら、昨夕じょんを走らせた跡だった。それにしても凄い跳躍力だワン。Img_2358_2
 
鹿なみの跳躍力。

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ガーデンシェッド(14) 2/13

2011-02-13 | DIY

2011.2.13(日) 雪、曇、晴

 朝の積雪4cm、きついところでは1mなにがしというニュースも入っている。上林は雪が少ないんだ?

 さてガーデンシェッドだが、メインは屋根葺きとドアの作製だ。どちらも初めての経験で、マニュアルを片手に奮闘している。ドアは正確な工作が要求される。今までのような行き当たりばったりのテキトー工法ではとんでもないことになる。小窓の失敗を活かして正確な計測と工作を心がける。そういうよーなわけで、出来上がったドアが枠にビシッと一発で合ったときには感激ものである。今までは何をやっても合うことが無く、はつったり削ったり、いつまでたっても合うことはなく途方に暮れるのが常であった。
 ドアは1月29日に作り始めて、今日で16日目だ。もちろん毎日取り組んでいたわけではないが、その手間と苦労が偲ばれる。ドアの作業は板をはめ込む溝切りから始まった。採寸が済んでないうちから2×4材に溝切りをする。ドア板はあり合わせの杉の野地板を鉋かけして10mmぐらいになっているのがある。12mmのストレートビットを買ってきて溝を掘る。溝切りの作業も慣れてきたが、なにせ馬力の少ないトリマーの仕事ゆえ二度に分けて掘ったが、それでも苦しそうだった。Img_2262_2
 3本半の溝を切ったらトリマーは悲鳴を上げていた。

まずはドアの外枠を決めてしまわないと寸法が決まらない。外枠ったって柱はすでに決まっているので打ち付けるだけだが、その柱が真っ直ぐでないのでたちが悪い。左端の柱は測りに測って立てたので問題ないが、正面の中間に立っている柱がこれまたテキトーで困ってしまう。手前が広く、上部が広いのだ。と言っても最大5mmの誤差なんだが、これを修正するのに怖ろしく苦労する。結局削ったりはつったりで誤差を1mmぐらいにしてよしとする。柱を立てるときに外枠で調整すればいいやとざっといったのが間違い、これは反省事項である。手を抜いて良いところと絶対に手抜きが出来ないところを見極めることが肝要である。Img_2266

2×4材でドアと外枠の隙間は10mmは必要、実験してみる。


Img_2259
窓の左の柱が真っ直ぐじゃないので参ってしまう。


 次にドア枠の内側の面取りである。ヒョウタンビットで簡単に面取りできるのだが、問題は四隅の接合部である。切り欠きの部分は面取りしてあると接合部が密着しないので、接合部は面取りしてはいけないのだろう。材の途中で面取りを中断する方法が解らなくて、一本丸ごと面取りをしてしまう。結果この接合部はみっともない結果となり、補修をするのにえらい苦労した。つづく

【作業日誌 2/13】
ガーデンシェッドドア作製、組み立て

今日のじょん:毎朝新雪なのでじょんの顔に雪のついた写真を撮りたいと狙っているのだが、安もんの故障中のカメラなのでシャッターチャンスがつかめない。雪に顔突っ込んで臭いでいるのでチャンスはいくらでもあるが、シャッターが遅いのだ。結果こうなるわけ。Img_2354 Img_2357
 

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