晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

楽しい腰痛(36) 2/28

2016-02-28 | 健康

2016.2.28(日)晴     楽しい腰痛(35)は2016.2.22
 一生寝たきりにならない体は「貧乏ゆすり」でつくる!を読む。

 数年前に「ためしてガッテン」で貧乏ゆすりで軟骨再生というのをやっていた。当時膝の痛みに悩んでいたのでさっそく貧乏ゆすりを始めた。調べてみると2012年2月の放送なので、実に4年前となる。ディスクワークではないので続けて座ることが少ないのだがそれなりにやっていると、2年くらいで膝の痛みは解消した。当初グルコサミンだのコンドロイチンだのサプリメントも利用していたが、すぐに止めてしまった。継続してやって効果が認められたのは、この貧乏ゆすりと五十肩予防の肩のインナーマッスル運動(これは7年続けている)ぐらいだ。
 さて今回は貧乏ゆすりがもっと他のことに有効なのではないかという思いがあって本書を読むことにした。

一生寝たきりにならない体は「貧乏ゆすり」でつくる! 井上明生著 日本文芸社 2012年11月第一刷発行 京都市中央図書館借本
 井上先生は変型性股関節症治療の権威で、柳川リハビリテェーション病院の名誉院長をしておられるドクターである。
 まず驚いたのは、本書で言われている軟骨の再生は股関節のことであることだ。わたしがためしてガッテンで見たときには膝のことも言っておられたように思っているのだが、、、。しかし股関節の軟骨が再生されるのなら、膝関節の軟骨も同様だろうと思っている。わたしの膝関節は貧乏ゆすりで良くなったと考えられる。
 井上先生が貧乏ゆすりを治療法として思いつかれたのはCPMという人工的に関節を動かす治療用の機械だそうだ。貧乏ゆすりが軟骨を再生させる科学的な根拠ははっきりわかってはいないようだが、確実に治療効果を挙げておられ、もちろんMRIなどではっきり確認することも出来るわけだ。
 貧乏ゆすりはどうもきこえが悪いのだが、英語ではジグリング(Jiggling)というそうだ。わたしはジグリングには軟骨再生以外にも効果があるのではないかと模索している。先生も本書の中で抽象的ではあるが次の効果を書いておられる。
・老けない体をつくり
・血行を促進し
・ストレスを解消し
・いつまでも健康になる
なんでそうなるのか、予想でもいいから書いて欲しかったのだが、「血行を促進し」というところは一番気になるところだ。軟骨には血管はないので血行促進が軟骨再生に直接的には関係しないのだろうが、滑液(関節の中にある液体)に栄養や酸素を供給するのは周囲の血管かと思う。いずれにしても貧乏ゆすりが血行促進に有効なことは確かなようだ。
 そしてもっと気になることは、「筋肉トレーニング、水泳、水中歩行は禁止」という事項である。おそらく股関節の悪い人の多くはこれらのトレーニングを良かれと思ってやっておられるのではないだろうか。この理由はやや複雑で専門的なので原文で書いておこう。
「私たちは股関節症の手術(自骨手術、キアリ手術)をした時、股関節を外へ開く筋肉(外転筋)が付着している大転子(だいてんし)の癒合が遅れると、関節症が劇的に改善されるのを何度も経験しています。外転筋の力を弱めることがいかに大切か、がわかります。そのような事実に基づいて、この筋肉などを強める筋トレはお勧めできません。」横臥して片足を上げ下げしている図が掲載されている。この本、随分易しく、初心者でも解るように書かれているのだがこの部分だけなぜこんなに難解なのだろう。つづく

【今日のじょん】
 

これは社員旅行で行った久美浜の「そら」の写真なんだけど、ここで買ったチーズケーキを朝食時にいただいた。ところがだ、仕事に行くと熊谷君が「これ食べてみてよ」ってレアチーズケーキをコーヒー付きで用意してくれていた。

 彼が数ヶ月前からチーズケーキの研究に没頭していることは知っていただけに断るわけにはいかない。しかもただ食うだけでなくそれなりのコメントも必要だ。さすがに午前中には食べられず、3時頃におもむろにいただいた。考えながら食うのは結構疲れる、しかも苦手なケーキ部門だ。5時にやってきた彼に思うところを告げると、思い当たるふしがあったようだ。いやはや面目躍如、「おいしゅういただきました」だけではダメなんだよ。
 


  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなしら上林-17 2/27

2016-02-27 | あなしら上林

2016.2.27(土)曇り あなしら上林ー15は2016.2.16

 上林の盃状穴その五 八幡宮-1(八津合町西屋)

 壱鞍神社で盃状穴を発見し気をよくして、十二社神社、清林寺、葛禮本神社、坂尾呂神社など精査するが残念ながら見つからない。八幡宮もさしたる期待もしないで立ち寄ってみた。
 八津合町西屋の郷社八幡宮は建武2年(1335)といわれる古社である。上林の中心部にあり、氏子も多く「上林風土記」の写真集などを見ても盛大なお祭りが記録されている。鳥居、手水舎、舞殿、本殿も立派なもので観る人の目を楽しませてくれるものがあるのだろうが、わたしの場合は石段や敷石ばかりを観察している。広い境内を順次盃状穴を探して行く。手水舎周辺、灯籠の周辺、舞台の回りは見当たらない。石段は鳥居部分、中間部分、本殿左の境内社部分にあるが、鳥居部分、中間部分は新しい石材で境内社の石段はチャートと思われる硬い石で盃状穴の期待は薄い。
 よく観察すると柔らかい凝灰岩系の石が所々に使われている。最初に見つけたのは中間部石段上った左の灯籠の付近である。一体何のためにこの石板が置かれたのか解らないが、おそらく更改された際に残されたもののようだ。この石板には4個の穴があるのだが、実に悩ましい形状である。最大のものは径が約5cmで真円だが底部の滑らかさが足りないような気もする。残りの3個は形、底部の状況をみても完全な盃状穴とは言えない。盃状穴を彫ろうとして途中で断念したと考えればつじつまはあうが、真相の程は解らない。

 ここでこれから調査を進めるに当たって盃状穴の規準を決めておこうと思う。
A:完全な盃状穴(真円、平滑、その石材周辺に複数個ある)
B:不完全な盃状穴(真円平滑ではないが周囲に完全な盃状穴がある)
C:盃状穴か否か判断できないもの
D:明らかに盃状穴とは言えないもの

 この灯籠付近の石板にある4個はCとしておこう。
 本殿左の境内社の石段は上下2つある。下の段は硬い山石でとても盃状穴など彫れないものだが、最上段は凝灰岩系の石材が残されており、期待できる。果たしてそこには径6cmの完全な盃状穴が2個、周囲に小さいものや不完全ではあるものが9個発見された。この場合2個をA、9個をBとしておこう。 

(左)最上段のみ古い石材が使われている。
(中)(右)これらは間違いなく盃状穴である。

【今日のじょん】なんだこの情けない姿は!飛び乗ること出来なくなり、スロープから乗ることも出来なくなり、無理矢理お尻を押してドタドタと乗っていたのだが急に雨が降ってきたこの日は、抱っこして乗せるしかない。怖がるのもここまで来るとあきれかえってしまう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社員旅行’16 2/26

2016-02-26 | 旅行

2016.2.26(金)晴
 のびのびになっていた2015年度の社員旅行(社員たって私ども夫婦とじょんだけなのだが)が去る23日にとりおこなわれた。行き先は久美浜、もちろんお目当てはカニである。毎年、城崎KKR、宮津ロイヤルなどカニ食い旅行には行ってるのだが、イマイチ美味くない。終いに近所のしまだやさんで冷凍カニを納得の上で食べたりしたが、やはり安い値段で食べようというのがいけないようだ。今回は海沿いの民宿で、それなりの値段を出して美味いカニを賞味したくてかみさんが探した久美浜の浜やさんでお世話になることとした。京都縦貫道が与謝野までつながり久美浜は随分近くなった。我が家から1時間半で到着できるので驚きだ。浜やは小天橋の外海側の新道わきにある。広々とした新しそうな宿で、どうやら昼の食事は我々の貸し切りのようだった。刺身、焼きカニ、カニみそ、ゆでカニ、かにすきと新鮮なカニが次々と現れて、大満足。いやはや久々の本格的なカニに巡り逢った。

 おみやげに一ぱいあるのだが、ゆでカニも食べきれずにパックしてもらった。温泉も引かれていて利用できるのだが、元湯の久美浜温泉がお気に入りで行ってみる。
 
 久美浜温泉は古い温泉だが、温度の違う源泉が二つあり、なんといっても広い露天風呂がいい。実に温まる風呂で、よく汗が出る。おみやげに地酒を買って、自分用のも買って帰る。なんてったって運転手はカニづくしにもノンアルで我慢してるんだから、、、。
 まっすぐ帰るのもなんだからジャージ牛の牧場「そら」に寄って帰る。じょんは牛の臭いに緊張しまくりのようだ。

 帰じょんじてからも地酒でゆでカニ一ぱい食べて、満足満足、来年も行こうかな。

晩ご飯もカニなのだ。カニんしてくれ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しい腰痛(35) 2/22

2016-02-22 | 健康

2016.2.22(月)曇り   楽しい腰痛(34)は2016.2.12

 2月19日 腰痛に対する原病の検査、最終の前立腺の検査が終わる。腫瘍マーカーはすでに終わっており、検尿とエコー検査そして診察を受ける。すべて問題なし、めでたしめでたしと言うことなのだがなぜか釈然としない。なぜなら座骨神経の痛みは相変わらず続いているからだ。痛みの程度はさほど変わりは無いが、従来あまり気付かなかった日中の痛みも感じるようになり四六時中痛いということになる。程度は就寝中、寝返りが辛い程度、起床時から1時間ほどは着替えなどで片足立ちが困難、しゃがんだり座ったりするとき痛みを感じる程度。昼間は動作には支障は無いが下腿、上腿、臀部と痛みが移動する場合がある。痛点は臀部左で指で押さえても痛く、便座に座るときもその部位が痛む。
 原病は無く、がんのおそれも無いとしたら一体何なのだろう、振り出しに戻ってしまった。「そのうちに治るでしょうから、痛み止めを出しておきましょう」という整形の先生の言われることが正しいのかも知れない。

にっしーのお弁当のような薬を笑っていたが、こちとらも段々増えてきた。

 例えば五十肩の時、あの強烈な痛みは1年間続いたがそれに対して医者に通うこともなく、薬を使用することもなく痛みに耐えていた。腰の場合はこんなに大騒ぎするのに、一体どうしてだろう。根底に五十肩はいづれ治るだろうという安心感があるためでは無いだろうか。聞けば五十肩だって何年も治らない方、何度もぶり返す方があるそうだ。わたしが一年で治ったのはそのうち治るだろうと気にしなかったからだろうか。腰も座骨神経痛も同じように考えられればいいのだが。

【今日のじょん】今日も情けないじょんのいちまい。かみさんが寝巻きを買ってきた。いやそー。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春画展を観る 2/17

2016-02-17 | 文化に触れよう

2016.2.17(水)雪
 京都新聞で春画展が開催されることを知り、昨日行ってきた。
春画展 左京区岡崎 細見美術館 2月6日~4月10日(日) 当日券1,500円

新聞には直接的な絵画は載っていない、疎水を渡ったところが細見美術館。
 サブタイトル、「世界が、先に驚いた」とは欧米で先に認められたと言うこともあるが、2013年から2014年にかけて開催された大英博物館における「Shunga: Sex and Pleasure in Japanese Art」が大好評だったということが表現されていると思うのだが、日本において同じようにその芸術性が認められるか否か興味のある所だ。というのは大英博物館で展示されたものが日本では公の大規模なミュージアムでは開催されず、(東京では昨年永青文庫美術館で開催)今回も18才未満入館禁止というのに驚いた。芸術として認めるならこのような措置は何とも奇妙であり、「裸のマハ」にぼかしを入れるような行為である。日本ではまだまだ芸術として認められていないのだろう。ポルノ映画と同様に扱われているのが哀しい。
 前回ルーブル美術館展の反省を活かし先に昼食をとる。鑑賞しながら腹が減ってくるのはどうもよろしくない。前と同じ大明神總本舗に行く、前回鰻重を食べたが、ここは鍋焼きが人気らしい。

プーさんは海老天のお重を頼んだが、めしの量に不満そう。
 細見美術館は二条通、疎水縁にある。休日などは大変だそうだが、さほど混雑はしていない。今回の美術展ではかつての日本人の性に対するおおらかさ、ユーモア、しゃれなど見つけよう、そして絵の中に添えられている調度や用具に古の文化を発見してみようと決めていた。ところがいきなり巨大な性器や性行の図を見せつけられると仰天してしまう。平常心を失いドキドキと胸が高鳴る。この辺が温泉場の秘宝館などにある低俗な春画と違うところかなどと感心する。歌麿、北斎、北川春信などのほか谷文晁や円山応挙まであるのだから凄い。

展示作品を網羅した分厚い「SHUNGA」は4,000円もするので、ポストカードやレターファイルで間に合わす。

 もっとも気に入ったのは、子女や一般人向けの道徳的な本が出るとそれに続いて出されるパロディ本である。性が反道徳的なものとは言わないが、四角四面の道徳に対しておおらかな性を表現するのは欧米のブラックジョークに対して日本人もしゃれが効いているなと楽しくなる。
 今回の春画展は女性を対象に力を入れておられるようだ。2月10日には「女性のための春画サロン」なんて講座が開かれて随分盛況だったようだ。会場にも多くの女性が見られ、大変喜ばしいことと思う。市場にあふれるエロ本と違って春画は決して男性のためにだけあるものでないと思うからだ。しかしおおらかさだのしゃれっ気だの享楽、快楽といった陽気な雰囲気の中にわたしは哀愁を感じざるを得ない。それは廓とか売春とかいった具体的な哀しみでなく、性そのものに存する苦しみとか哀しみのような気がする。生老病死は実は性老病死だったのではないかとさえ思うのだ。

新装なったロームシアターでは小澤征爾さんの喜歌劇「こうもり」が18日から、、。

【今日のじょん】かみさんが悩んだあげくに3種類の肉類の入ってないおやつを楽天で買った。なんでも神戸あたりのお上品なワンコが食しているという高級品らしい。人間は一袋80円のつまみでビール飲んでるのに、、、と言いつつも安全なおやつを喜んで食べてくれればいいかとまあ、親心である。

今朝の雪、何ともしつこい冬だこと。
 
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなしら上林-15 2/16

2016-02-16 | あなしら上林

2016.2.16(火)曇り
三、上林の盃状穴 その四 壱鞍神社(十倉志茂町)
 2013年1月11日、上林で初めて盃状穴を見つけた日である。上林の古社、河牟奈備神社でらしい穴を1個見つけていたのだが、果たしてそれが盃状穴であるか当時は解らなかった。結局その穴は自然のもので盃状穴ではなかったのだが、そのことは後述したいと思う。そして十二社神社(佃)、葛禮本神社(くずれもと・浅原)等を調べても盃状穴は見つからず、盃状穴というのは播磨などの地域にのみあって上林には存在しないのではないかと思うようになっていた。盃状穴についての唯一の研究書「盃状穴考」が府立総合資料館にあって借りることが出来た。ただし館内閲覧の資料だったので、綾部市図書館で半日かかって読み終えた帰りのことである。壱鞍神社(いちくら)の前を通りかかり、ふと立ち寄ってみようかという気になった。参道を進み、石段の下に駐車し調査に取りかかる。 
 拝殿前の石段は上下二つあり、右手に緩傾斜の石段がある。下段と右の石段は新しく敷かれた様子で盃状穴はありそうにない。上段の上半分の石段は古い凝灰岩系の石材でかなりの凸凹が見受けられる。

壱鞍神社拝殿、この石段は上部に古い石材が残っている。
 雨のあとなのですべてに泥が詰まっており判断のしようがない。この当時は調査用の道具も持ち合わせていなかったので、その辺の小枝で泥をかいてみる。自然の穴もあるが、やがて真円の盃状穴が現れる。こうなるともう夢中で泥をかいていく。結局7個ほどの盃状穴が見つかる。

古い石材部分に盃状穴発見
 上林にも盃状穴は存在するのだ、この時初めて盃状穴について真剣に研究してみようという気持になった。
 予想どおり下段、右手の石段には盃状穴はなく、手水鉢や灯籠、鳥居の台石などの石造物にも盃状穴は見つからなかった。ただ拝殿から社務所に降りていく左手の通路に敷かれた石板にいくつかの盃状穴が見られる。どうやらこれは元々石段であったものを再利用したものらしい。

すでに盃状穴が穿たれた石材がここに再利用されたのではないか。
 この通路の上になにやら妙なものが落ちている。陶器の破片のようなものや得体の知れない木製品などだ。
 後日川端二三三郎先生に盃状穴のことをお知らせした。そこで善福寺(引地)の情報を頂いたり、例の得体の知れない破片等が人形などの廃棄物であることも聞いた。 
 上林中の盃状穴を調べようということになったのだが、ただあった無かっただけでは意味が無い。一体誰が、何のために穿ったものか考察を深めながら調査していこう、そのためには上林だけでなく広く調べてみようという気になった。つづく
 上林たんけん隊(カフェ じょんのび内)

【今日のじょん】じょんのおやつはフィッシュ&ポテトとフィッシュ&ほうれん草orかぼちゃジャーキーである。前者は森乳の低アレルゲン食品で主食と同じものである。後者はイルマンさんで購入していたおやつで、前者に比べてとても喜ぶ。カボチャは好きなので判るのだがほうれん草をそんなに喜ぶのは不思議だな-と思っていた。ところが先日かみさんが「あれ~これ鶏肉が入ってるで~」と気付いた。鶏肉アレルギー対策で買っているのに鶏肉が入ってたんじゃ逆効果だ。道理で喜ぶはずだ、でもこのタイトル、勘違いするよな~、食品は原材料、成分見なきゃいかんよね。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなしら上林-14 2/15

2016-02-15 | あなしら上林

2016.2.15(月)雪 あなしら上林-13は2015.11.29

   三、上林の盃状穴 その三
 ここでお断りしておくが、タイトルが「上林の、、、」となっているのだが一向に上林が出てこないという思いをされている方がいらっしゃるだろう。上林の盃状穴を網羅するつもりで書き始めたのだが、まだ一部しか調査は進んでいない。むしろ「ここにもあるで、あそこにもあるで」という情報をいただきたいと言う思いもあり書いている次第である。ただ、盃状穴とは何だろう、盃状穴は何のために誰が掘ったのかという謎を解決するためには上林の盃状穴だけを調べていては埒があかないというのも事実である。だからといって全国の盃状穴を調べるのは困難なことだけど、せめて行動範囲内の地域は調べて見たいと思っている。
 さて園部町内林町の八幡宮だが、園部インターを少し園部市街に向かって走ると、府道19号線沿いに鳥居と石段、玉垣が見えるが相当新しい様子で、盃状穴はありそうにない。
 八幡社と厄神社が敷地内に並んでいるが、この地は垣内古墳(かいちこふん)の後円部にあたり、昭和47年道路拡幅工事の際に発掘された。古墳については本稿の目的ではないので省するが、神社設備の更改はこの道路拡幅のためになされたものだと近所の聴き取りで聞いた。盃状穴には縁が無いかと諦めつつ周囲を観察するが、ふと本殿前の古い鳥居に目をやると、その台石にぐるりと盃状穴が穿たれているのだ。

小出吉親公寄進の鳥居とその台石の盃状穴
 この鳥居は周りのものが新調されているにもかかわらず残されているもので、なにやら銘がうたれている。後ほど調べてみると、この鳥居は元々府道に面してあったものでわざわざ本殿前に移築されたものだ。銘文には園部藩主小出吉親公の寄進になるものと記されている。そういう由緒あるものだから残されたのだろう。この藩主の名前どこかで聞いたことがあるぞと思いきや、上林に園部藩領があったためである。
 鳥居の盃状穴に気をよくして、他の石造物、特に古い物が残されているものに注意を向ける。神事に使う古い石の竈には見当たらなかったが、大きな手水鉢の周縁に実に見事な盃状穴が穿たれているではないか。この手水鉢は花崗岩製で規模も大きく手水舎(ちょうずや)のついた立派なものである。側面になにやら銘が打ってあるがこれは風化が激しく読み取れない。肝心の盃状穴だが、周辺にぐるりと穿たれており、大きなものは10cm近くあり迫力がある。
                
手水鉢の盃状穴は鳥羽八幡(八木町)に続いて2件目
上林たんけん隊(カフェじょんのび内)小原英明

【今日のじょん】朝から雪降り、昨日春の気候だっただけにこたえる。じょんはと言えば一日中眠っている。めしの時だけのそっと起きるだけ。
そんなもんでしょ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「嫌老社会を超えて」後編 2/14

2016-02-14 | 雨読

2016.2.14(日)雨

 亡くなった恩師や友人の残した本がいくつかあるのだが、彼らには悪いのだが完読したものは一つもない。大作過ぎて手に負えないものやつまらなくて途中で放り出したものなど、これでもしわたしが死んだら古本屋に量りなんぼで持って行かれるか、PTAの古紙回収に出されるかの運命である。人生を賭して、渾身の力で書き上げてもそんな状態だ、虎の皮のほうがよっぽど後世に継がれるだろう。
 そういった意味で後世に何を残すかというより、残った人生をどのように生きるかの方がよほど意味があり値打ちがあるかというものだ。
「嫌老」ならぬ「賢老」社会を目指すことである。
 十分収入のある人は年金を返上すること、選挙権を後の世代に譲ることなど斬新なアイデアが出てくるのだが、高齢者が自立することが主眼である。氏の提唱する「高齢者が稼ぐ」経済再生プランとは若者の仕事を奪うことでは無くて、高齢者のことは高齢者で取り組むということだ。本書では補聴器の例が出ているが、みんなが満足できる補聴器が無いといういうところから、開発や製造に当たっている人たちが「老人の感じる本当の不便さ」が分かっていないからだろうと書かれている。老眼鏡、入れ歯、高齢者専用自動車など高齢者のものは高齢者で賄おうという発想である。「よりよい生き方」の最たるものは「社会貢献」だと説いている。これから老人世代となるわたしたちに勇気と指標を与えてくれる。
 腰痛の本ばかり読んでいて気が滅入ってくるので気分転換に読んだ本なのだが、腰痛に関する事が出てきて驚いた。
 
 心の持ちようで、飼い慣らした症状もあります。例えば腰痛そうです。最初はなんとか治らないものか、といろいろ手を尽くしたのですが、これも年の功というべきか、「腰痛は生涯の友。完治しなくてもいいじゃないか」と考え方を変えるようになってきたのです。そう発想を転換すると、痛みもそんなに気にならなくなるから、不思議です。 
 結果的に、私がやってきたのは、身体の不具合を「治す(なおす)」のではなく、「治める(おさめる)」ことでした。治療というより「養生」です。

【今日のじょん】今日じゃなくて雪のある日のこと、スロープが登れないのよネ。

うっすら雪をかいてやれば、ほれこのとおり。

なんて神経質なんだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「嫌老社会を超えて」前編 2/13

2016-02-13 | 雨読

2016.2013(土)雨
 Eテレの団塊スタイル(再放送)という番組に五木寛之氏が出演されていた。若い時分に「青春の門」を読んだことがあるが、九州の炭坑の街だったかなぐらいで何も憶えていない。最近では「風の王国」を読んで既に雨読で紹介したところだ。(2015.7.24)番組はなかなか面白い内容だったのだが、その中で紹介されていたのが本書である。
「嫌老社会を超えて」五木寛之著 中央公論社2015年9月初版
 綾部図書館借本

 弱肉老食、若者奴隷、嫌老社会と新語が造られる現在について、老人に対する新たなヘイトスピーチが起きるのではという驚くべき予想から始まる。貧しく夢の持てない若者世代と年金もらって元気で楽しく人生を謳歌している老人世代のギャップが若者の逆襲を呼び起こすのではないかという予想である。もちろん杞憂であろうと書いてはいるが、老人世代がいなくなれば若者の生活と将来はもっともっと明るいと考えるのは至極当然なことである。今の老人が背負うことは無かった老人世代の負担を今の若者はずしりと背負っているのだ。
 老人世代に言わせれば戦後復興や高度成長経済を支え、モーレツ社員などと言われて働いてきたのに何を言うかということになる。
 しかし、一人の若者が何人もの老人を支えなければならない時代が来るし、経済成長なんて望むべくもない時代が来るのも事実だ。
 そんな時に老人はどのように生きていけばいいかという話である。
 わたし自身今年から基礎年金を戴く歳になった。老人世代への入口と言うところか。これからどう生きるか、人生をどう終わらせるか考える時である。10年前に退職したのだが、その時は自分のやりたいことを好きなだけやれるぞっと思った。それなりにやりたいことをやって次にはどう始末を付けようか、後世に何を残そうかなどと考えるようになった。つづく

【今日のじょん】先日テレビでやってた百均特集で人気の餃子つつみを買ってきた。簡単にきれいに出来上がるのだが、我が家の餃子は具が多いので却下。端の部分を伸ばしながら水でつける、腹切り寸前の高度なテクニックが必要となる。一般的な餃子ならこの餃子つつみ器はなかなかの優れもののようだ。何っ!じょんとはかんケーねえってか?じょんも餃子の皮の端を喜んで食ってたぞ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しい腰痛(34) 2/12

2016-02-12 | 健康

2016.2.12(金)晴 人類はなぜ腰痛になるか?-4

 ここでサーノ博士の本に「痛みを感じている部位は軽い酸素不足を起こしている」というのがあったことを思いだす。組織の酸素不足とは血流の滞りと考えられ、筋肉の緊張、凝りと考えられる。痛みというのは組織の異常を脳に伝える信号なのだが、神経が切断、破壊、圧迫などなされた際に伝達されるものである。腰痛は脊柱管の中で神経が圧迫されるものもあるし、筋肉の凝りによって圧迫されるものもあるわけだ。
 長時間椅子に座る事は筋ポンプ作用の停止と臀部の圧迫によって血流を滞らせ、それによる筋肉の凝りが神経を圧迫すると考えてよいのではないか。
 人類の腰痛の原因が椅子に座る事だとしたら、その解消法は椅子に座る事を止めて歩くことである。それとも数万年後には椅子に座る事に対応した骨格や筋肉、体形の進化が進み腰痛は解消するかもしれない。もっともそれまでに人間を宙に浮かすような椅子が発明されるかもしれない。わたしは、筋ポンプ作用を停止することなく、また臀部の圧迫を最小限にする腰痛防止椅子を発明した。まだ理論付けと実験を繰り返さないといけないので製品化は遠いが、数万年待てない人には朗報になるだろう。
 座るということに関心を持つようになると、テレビでの映像などを見ても人が椅子に座っているのが随分気になる。Eテレで「心と脳の白熱教室」という番組の再放送を見ていたのだが、オックスフォード大学での講座でサイコパスに関する興味深い講座なのだが、実は聴講の人たちの座っている様子ばかりが気になっていた。一列10人ほどの椅子がけで座っている様子は最前列しか見えないのだが、8人が足を組んでいるのだ。一人はくるぶしのところで交差していて、足をそろえているのは端の一人だけだった。座っていて人はなぜ足を組むのだろう?
 ネットで見てみると実に多くの意見があるようだ。一番多いのは重心をとるためというものだが、足をそろえている方が重心はとれると思う。次は骨盤がゆがんでいるためという意見が多い。この二つは実は同じ答えで、骨盤がゆがんでいるから重心をとるために足を組む、という考え方だろう。そして最後には「骨盤のゆがみは当院へ、、、」というPRになっている。テレビ番組の講座受講者の8,9割は足を組んでいたが、彼らみんな骨盤がゆがんでいるということなのだろうか。なんとなく納得のいかないのだけれど、、、。
 ひょっとしたら長時間座っていることで起こる足腰の不具合に対する拒否反応、あるいは改善しようという動作なのかもしれないぞ。つづく

【今日のじょん】またしてもうみんぴあにやってきた。前回の雪の写真と大違い、春ですなー。ところでじょんの向こうの山影で原電が発電を始めているのですぞ。


 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しい腰痛(33) 2/10

2016-02-10 | 健康

2016.2.10(水)雪、曇り 人類はなぜ腰痛になるか?-3
 日本における椅子の普及というのはどのような形だったのだろうか。想像するに学校、官吏の職場などが考えられる。明治期の学校の写真を探すと、袴姿で椅子に座っているのが写っている。工場などではどうかと紡績工場の写真を探すが、やはり袴姿の女工さんが並んでいるが、ここでは全員立っている。棒状の横木にお尻を掛けているものもある。
 椅子の普及に一役買ったのが学校ではないかと思うのだが、成長期にあの画一的な椅子に何時間も座らされていることがどういう影響を及ぼしているかと考えてしまう。
 なぜ長時間椅子に座ることが悪いと考えるのか、最大の理由は血液の循環を妨げると言うことだろう。お尻の筋肉によって血管が圧迫されるということもあるが、下肢の運動が無くて筋ポンプ作用が妨げられるということが大きな要因ではないだろうか。
 筋ポンプ作用とは筋肉の動きによって静脈血が心臓に戻るという作用である。動脈には心臓という専用のポンプがあるが、静脈は筋肉によってポンピングされないと血液は心臓に戻れない。特に下肢から心臓までは重力に逆らって血液を運ばなければならないので筋肉の動きは大変重要になる。下腿のヒラメ筋などがその役目を担っているのだが、ポンピングの作用は歩行によって行われる。この作用こそが人類の二足歩行のリスクを補うための進化であると考えていいのだろう。人類は歩いている限り静脈血を心臓に戻すことができるのだが、歩かないでいるとその作用が極端に低下する訳である。特に椅子に座るという動作はお尻の筋肉の圧迫という不利も重なって鬱血状態となりやすいのではないだろうか。ディスクワークをしていると、部屋の温度は十分にあっても腰から下が極端に冷えてくる。これは下層の温度が低いという点もあるだろうが、血流が滞っているという理由が最も大きいのではないだろうか。つづく

【今日のじょん】昨日イワンの里で吉例じょんのび新年会が開催された。おとー、おかーはたまの息抜きでカラオケなんぞ盛り上がって面白かったが、じょんは留守番で不安だったようだ。久々にゴミ箱からゴミ出してたもんね。

 さて今日はまたしても雪が降った。でも3cmぐらいかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しい腰痛(32) 2/7

2016-02-07 | 健康

2016.2.7(日)雪 人類はなぜ腰痛になるか?-2

 50年前わたしが子供の頃、我が家には椅子は1脚だけだった。今我が家の椅子を数えると生活に使っているだけで7脚、商売用遊び用など入れると30脚ぐらいになる。トイレや車も座るのだから凄い数になる。それだけ座るということが急速に広まったと考えられる。
 座るという所作は人類が直立二足歩行を始める以前からあったと思う。それは動物達、犬でも猿でも見ていると座る動作があるし、牛などでも寝そべっているようなスタイルは座っていると考えてもいいのでは無いだろうか。だから座ること自体が腰痛の原因とは考えられない。腰痛が無いと言われるアフリカ原住民の様子をテレビ番組やコマーシャルで注意してみていると、やはり座っている景色はよく見られる。それは胡座(あぐら)である。椅子に座っている様子は見た憶えがない。しかも彼らが座っている時間は食事や休息のごく短時間であって、起きている間のほとんどの時間は立って動いているのではないだろうか。つまり短時間の胡座は腰痛にとってさして問題ないだろう、問題なのは長時間の椅子座りだと考える。
 椅子の起源はといえばエジプトだろうか。壁画やなんかで椅子に座っている姿を見ることが出来る。地面や石など自然物に座ることはもっと以前からあるだろうが、椅子という人工物を作り出すにはそれなりの文化の発達が必要だろう。もしエジプトが椅子の発祥だとすると紀元前3000年ぐらい前には存在したのかもしれない。しかしそれは王族、貴族など限られた人にのみ使われたもので、ほとんどの人に使われることは無かったであろう。椅子の発達はヨーロッパが主流と思われるのだが、一般人が長時間椅子に座るとしたらそれは産業革命あたりではないだろうか。
 日本では椅子が登場するのは明治以降である。ただし一般的という意味であって、椅子そのものは古いお坊さんの絵などに出てくる。葬式などで導師が椅子に座るのは足が悪いのではなくて仏教の儀式なのだろう。つづく

【今日のじょん】ゆきがふったど~ 雪が降ったからってめずらしくもないのだが、勝手にもう今年の雪は終わりなんて思ってるものだから驚きだ。湿った雪だけど16cmの積雪。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しい腰痛(31) 2/6

2016-02-06 | 健康

2016.2.6(土)曇り  人類はなぜ腰痛になるか?-1
 人類の腰痛の原因はなんなのだろう。たくさん腰痛の本を読んだけれど答えは示されていなかった。二日ほど真剣に考えて出した結論は、座ること、特に椅子に座る習慣である。実は密かに大発見かと思っている。
 つまり直立二足歩行を始めてから今日までの99.999%以上の期間を人類は立つこと、歩くこと、眠ることの動作で過ごしてきた。その動作に対しては身体の組織は充分に進化し、異常も故障も起こらないようになってきたのだろう。ところがここ数百年、座るという動作が一日の動作の1/3をも占めるような環境になってきた。学校の授業をみてもデスクワークの仕事をみても家庭での時間も入れると連日8時間以上は座っていることになるだろう。これは過去の人類にはなかった事で、座ったとしても休憩や食事の時間だけであり、座り方も両足の介在した座り方であろう。つまり人類が二足歩行を始めて以来、寝ること以外には二足歩行と立つことを主体に行ってきたが、つい数百年は座ることがこれに加わり、時間的に立つこと、二足歩行を上回るようにさえなってきたということである。人間の身体は環境に上手に順応し、進化を繰り返してきたが、この数百年間の新しい環境つまり座ることに対しては筋肉も骨格も血液や体液の循環など身体のあらゆる機能は対応出来ていないのではないだろうか。座ることに対してはあまりに歴史が浅すぎるのだ。直立二足歩行に対応して進化してきた器質や機能も座るということ(特に椅子に)の時間が長くなり相対的に直立二足歩行の時間が短くなれば当然退化してくる。
 座ることへの進化の未熟性と直立二足歩行に対する成熟した進化の後退(退化)こそが人類の腰痛の原因だと考えられる。サーノ博士も井尻先生もどちらも人類の新しい行動、座ることに気付いていない。つづく

【今日のじょん】ちょっと前の事だけど、おおい町のうみんぴあに行ったとき芝生広場が一面の雪だったので紹介するワン。20日に降った雪なんだけど誰も歩いていなくて新雪状態だったのだワン。
 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しい腰痛(30) 2/5

2016-02-04 | 健康

2016.2.5(金)  腰痛はガンでなければ怖くない-4

 本書では「腰痛が人間に起こりやすいワケ」という項で二足歩行をしたことをあげている。これまでに通ったほとんどの整形外科でも「腰痛は二足歩行を始めた人間の宿命」「腰痛の原因は二足歩行」と言われ続け、わたし自身もそう思い込んで人にも語ってきた。サーノ博士は350万年前から(アウストラルピテクスは400万年前といわれる)二足歩行をしているのだから二足歩行を前提とした進化があるはず、と言っている。あらゆる部位の進化があるのに、腰だけが四足歩行の時のままということはあり得ないという考えだ。これはわたしも同感である。「腰痛の原因が二足歩行」というのはわたしたちの思い込みであって、医師や学者によるすり込みである。わたしも30年あまりだまされていたようだ。二足歩行のための進化とはやはり、腰回りの筋肉と腱が主流だろう。わたしは臀部に痛みを感じ、その筋肉を調べて驚いた。あのまるくて単純なおしりに実に多くの筋肉がいろいろな役目を持って存在しているかだ。その役目とは二足歩行、直立が主で、人類は手を歩行から開放したことで大きく進化したことだろう。我が家には四足歩行の愛犬がいるが、そのおしりのスマートなこと、犬だけではない四足歩行の動物たちのおしりはなんとスマートなことか。人類だけが豊かで巨大な臀部を持っているのである。人類は直立二足歩行をするために必要な筋肉などの増強という進化をしてきたのである。はなしが本書とかけ離れてきたので一応このタイトルではおわりとしておこう。

【今日のじょん】三和町のワンコ紹介

盛市ちゃんとこの〇〇ちゃん、名前忘れた。

O槻さんとこの〇〇ちゃん、小屋にはうめこと書いてあるのだけど、かわいいですねエ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しい腰痛(29) 2/4

2016-02-04 | 健康

2016.2.4(木)快晴 腰痛はガンでなければ怖くない-3

 この本を選んだ理由のひとつに神経痛に関して書かれていることだ。最終章第8章に「神経痛がある場合の診断と治療と考え方」というのがある。
腰痛と神経痛を分けて診断と治療をした方が治りやすいという内容である。昨秋から続いた腰痛は姿を消し、左脚の坐骨神経痛が続いている今、大変興味ある事項だ。心因性の腰痛だとばかり決めかかっていたのが、この坐骨神経痛で訳がわからなくなってきた。症状だけで見ると根性坐骨神経痛のように思えるのだが、先日の診察でどうもそうではないような様子だ。本書の内容から、根性坐骨神経痛ではなくて、お尻の筋肉などに原因がある坐骨神経痛のような気がする。おしりから太ももあたりで坐骨神経が筋肉や圧迫で神経痛を生じる「梨状筋症候群」という病気があるそうだ。これは深層にある梨状筋が坐骨神経を圧迫して痛みやしびれを発生させるというものだ。わたしの場合腰椎に問題があるのではなく、おしりの筋肉が何らかの理由で緊張して、神経を圧迫しているのではないかと思うのである。
 おしりに冷感を感じ始めたのは、もう一昨年も前のことである。それまで胃腸以外に冷えなんて感じたことはなかったので最初は何かわからなかった。ふとんの隙間から冷気が入ってきてるのかと思ったがそうではなかった。冷感があるだけで痛みもしびれも起きなかったのだが、やがて歩いているときなどに太ももの後ろなどに痛みを感じるようになった。それでかかったのが明治鍼灸でのMRIだが腰部に特段異常はなくロキソニンゲルもらっておしまい。臀部の冷えや太ももの痛みなどは伝えていたのだが、、、。
 おしりの筋肉の圧迫による坐骨神経痛であっても、心因性というのはあるそうだ(本書には書いていないが)。いま服用している消炎鎮痛剤、セレコックスの効き目が無いのはそのせいかもしれない。サーノ博士は自律神経が通っているところにはどこにでも痛みを生じるといっている。本書では心因性の坐骨神経痛については書いていない。
 「ヒーリング・バックペイン」と本書を読んであることに気付いた。つづく

【今日のじょん】歳がいくほどに体力的には衰えていくものだが、頭脳の方は段々賢くなっている。例えば朝などかつては早くから起きてクンクン催促していたが、今は違う。かみさんが起きてストーブなど点けていても知らん顔して寝ている。

やがておとーが起きていっておしっこしたり服など着ていてもチラッと横目で見ていてサークルから出てこない。すっかり準備が整ったらおもむろに起きてくる、いやはや体力温存しているんだな。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする