晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

稲架二十日 9/28

2010-09-29 | 違いのわからん農学士

2010.9.28(火)曇

 タイトルは「はざはつか」とか「はではつか」とか「はせはつか」とか色々言うらしい。要するに刈り取った稲を稲木に掛けて天日干しをするのに20日かかるということだ。この諺を吉右衛門から聞いて初めて知った。いやーさすがに米を作っている人間だ、違いのわからん農学士には初めて聞く言葉だった。私が子供の頃、天日干しが終わって脱穀するのは体育の日あたりだった。20日ほど干すとしたら、9月の20日頃には稲刈りをしていたということだ。そうなると稲刈りの時期というのは今とそう変わっていない。コンバインではすぐにお米になるので何となく収穫が早くなっているように思うのだが、それは錯覚のようだ。
 散々苦労して手刈りをした吉右衛門が家の前に稲木干ししているというので、見学に行く。ちょっと昔ならどこにでも見られる風景だったのだが、今では珍しいことだ。今月のじょんのカレンダー写真が余りにも惨めなので、最撮影も兼ねて訪問する。Img_1442
 
吉右衛門が手刈りしたというありがたーいコシヒカリ。


 南向きの空き地に二段の稲架掛け(はせがけ)された姿は田舎に生まれ育った者のノスタルジアを呼び起こす。傍らに妙に紅い曼珠沙華がちこっと咲いているのも嬉しい。じょんにはノスタルジアは感じられないようで、うまく撮影が出来ない。いい写真は撮れなかったけれど、以前のコンバインによる切り株の写真よりはずっと良いだろう。
 この二段、或いは一段の稲掛け法はこの地の古来の方法ではないようだ。私の田舎でもそうだったように、七段も八段も稲木を組んで竿の先に稲を刺して二人一組で掛けていったのがかつての方法のようだ。まだその方法で干しておられるうちもあり、今のうちに写真にでも残しておかなければと思う。稲干しの方法は地方によって異なっており、百種以上の方法があるそうだ。気象の違い、田んぼの違いなどにより異なるのだろうが、最も芸術的と思われるのは棒掛けである。東北地方はほとんど棒掛けで、朝霧の中に法師のように立っている棒掛けの姿は感動ものだ。吉右衛門に来年は棒掛けやってみてと頼んだが、いざとなるとその構造が解らない。Img_0826 Img_1291
左:棒掛け、鰺ヶ沢(2006.9.24)ほんにょともいう。

右:遠野(2006.10.19)稲架掛けと向こうに見えるのはじんだての一種か。

Img_0895
青森市南部(2006.9.29)汁田に直接立てかけている。じんだて(地立て)という方法。


【作業日誌 9/28】
人参、白菜間引き
白菜防虫ネット掛け
じょんのび水道保守

今日のじょん:本日も本文に登場のためお休み。


 
 

 

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ここ一番役に立たないもの 9/27

2010-09-28 | 日記・エッセイ・コラム

2010.9.27(月)曇、雨

 所用があって、店を臨時休業として京都方面に出かける。初めて無料の高速道路を走行する。さすがに通行量が多い。私たちは有料の時、しかも片道1,000円の時に嫌というほどこの道を使った。2,30万は使っているだろう、一体何だったんだと思う。今一部の高速道路が無料になり、そこの利用者は大変喜んでいる。でも道路を維持保守するお金はおそらく税金から拠出されているのだろう。そうすると高速道路を利用しない人、有料の高速道路を利用する人にとっては大変不公平な制度となる。一般道路と同じ指向で総てを無料にし、総てを税金でまかなうというのもひとつの手だろうが、やはり維持費ぐらいは利用者負担でまかなうのが最も平等な方法だと思う。無料で使いながら手放しで喜べない自分がいる。
 さて知らないところへ行くのに便利なのがカーナビである。故障の季節(2010.9.6)の記事でお知らせの通り壊れている。早く修理すればいいのに、滅多に使わないからいいやと思い放っておいたのだ。
 さて昼間、かみさんと別行動となったとき、「ケータイ持っといてや」と言われ、久々のケータイをとりだしたところ電池が切れてまるで使えない。電池のないケータイほど無駄なものはない。年に数回しか使わないのだが、ここ一番必要かなあと思って所有しているのだが、、、、、。
 土砂降りの中を上林に帰り、じょんの散歩に行く。じょんは留守番もよい子で暴れたり、噛みたおしたりは絶対しない。しかもおしっこうんPもしないので、帰ってきたら必ず散歩してやらないといけない。真っ暗の中を散歩させようと、懐中電灯を探したら、総てが電池切れ、或いは故障となっていた。なんとまあここ一番、あかんたれの阪神のような一日であった。Img_1447

ここ一番役に立たない懐中電灯。


 今日のじょん:本文に登場のためお休み。サービスに昨日の写真を一枚。Img_1430

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大唐内のこと(4) 9/26

2010-09-28 | 歴史・民俗

2010.9.26(日)曇

 大唐内のことは実は上林歴史シリーズの最終項に書こうと思っていたところである。それは上林で最も早く文化が根付き、それも上林の特徴的な文化であることだと信じるからである。上林の郷土誌や歴史に憧憬の深い方々のお話を聞くと、必ず上林はどこから開けてきたかということが語られる。30Kmにも及ぶ細長く、川沿いに村が続き、奥中口と三村が存在し、協調もあれば確執もあったことと思われる。「我が村が一番、我が地が一番」という思いはあろうかと思う。しかし人が住み始めるとか、村が開かれようとかいう時代にはそのようなことはまるで関係ない。この地から日本の文化が発祥したわけでは無いので、どこから伝わってきたかということが重要となる。私自身古墳や古代の遺跡に対する知識や情報を持ち得ていないのでいかんともしがたいのだが、大和国家の成立以前には若狭からの文化が奥上林に届いたのではないかと思っている。それは日本海側に伝播してきた海人族の文化である。日本海の文化が山を越えて上林に定着したとしたら、その最初の定着地は大唐内周辺であることは間違いがない。そのことを実証するのはかなり困難かとは思えるが、ヒントがあるとしたら民俗的な伝承や習慣と金属採鉱ではないかと予想している。そのためにはまず若狭の文化を研究する必要がある。Img_1400

この上林谷にどのようにして文化が伝播したのだろう。


今日のじょん:ハナコちゃんが遊びに来た。3才の雌のゴールデンでとってもよいこだ。じょんよりもおとなしいワンちゃんにあったのは初めてだ。Img_14331

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クマったことだ。 9/25

2010-09-26 | 日記・エッセイ・コラム

2010.9.25(土)曇

 2006年の自転車旅行時の今日は、津軽半島の小泊から竜飛岬に至る恐ろしい峠越えをしていた。気の遠くなるような高低差もさることながら、立派な道なのに通行車が無く、見渡す限りの原生林は熊出没の恐怖にさいなまれる処だった。その年は例年に無くブナの実の不作年で、東北では過去の何倍かの出現率ということだった。いたるところでパトカーやTV局の報道車に遭い、その総てが熊出没関連であった。最も恐怖だったのは遠野の続石で、親子の熊が出没しているので行っては駄目と言われている箇所だ。(2006.10.19参照)その次が9月25日の竜飛岬に向かう峠だ。とにかく大きな糞が道路上に落ちていて、心細いことこの上なかった。
Img_0853 
人っ子一人出合わない。(2006.9.25)


 その年と同じような状況で、北近畿でも例年にない熊の出没があり、被害も続出している。上林でも連日のように出没情報が流れているようだが、有線放送に加入していない我が家では新鮮な情報は入って こない。石橋に出た、大町に出た、志古田にも出たというふうに後から情報が入ってくるのだが、やはり時期的に柿の実を狙って出没するケースが多いようだ。Img_1423 Img_1420 Img_1421
 



 柿の木に爪痕を残し実を狙った跡というのは睦志でも佃でも見たことがある。一応隣の柿の木も調べておくかとじょんの散歩のついでに点検に行く。様子がおかしいので近づいてみると、1、5mぐらいのところの皮が剥がされていて小さな爪痕が付いている。そして足下には折られた枝が落ちているのだ。うーむ、熊だろうか、それとも何か他の動物か、、、。糞が落ちていれば確認が出来るんだが、残念ながら糞は見つからなかった。果たして柿の木に登って枝を落とす動物が熊以外にいるのだろうか。いずれにしても要注意だ。

【作業日誌 9/25】
大根間引き完了、白菜、人参間引き

今日のじょん:昨日サーキさんとこの前をじょんを連れて歩いていたら近所の人が、「あれっハナと違うんかいな」と間違われた。Img_1414 Img_1418

どっちがハナコでどっちがじょん? 

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死亡事故 9/24

2010-09-25 | 日記・エッセイ・コラム

2010.9.24(金)曇

 昨日は祝日だったが、日中雨が降って残念な一日となった。恒例の里山サイクリングの開催日だったのだが、果たして無事に開催できたのだろうか。会場に向かう車もまばらで、終了時も自転車を積んだ車は極一部だった。当初から努力してこられた主催者スタッフの方々にとっては悔しい雨になったと思う。
 朝方パトカーが数台行き帰りしていたので、サイクリング大会関連かと思っていたら、お客さまから交通事故があったらしいよと聞かされた。なんでも小田のあたりで早朝に交通事故があったそうだが、朝刊を見てびっくり、何と死亡事故なんだ。
 5時40分ごろ、新聞配達中の83才の男性が乗用車運転中の20才の男性にはねられ、病院で死亡したということだ。上林、とりわけ府道1号線沿いでは何度も事故はあったが、上林に住んだこの2年半の間には死亡事故はなかった様に思う。事故の内容が解らないのでなんとも言えないが、亡くなられた被害者の家族はもちろん加害者本人、その家族も大変なことになっているだろう。願わくは加害者の過失がスピードの出し過ぎなどの大きな過失でないことを祈る。当日は結構きつい雨だったので、見通しも悪く、制動力も低いなど悪条件が重なったのだろう。
 こんな大きな事故があったにもかかわらず、通勤時間帯には我が家の前の直線で、いつものように悪質な追い越しや猛スピードの車が走っている。おそらく事故現場を通過してきた人たちだろうが、他人事としか思えないのだろうか。上林では通行の絶対数が少ないので交通事故数は少ないだろうが、起きたときには大きな事故となるのではないだろうか。それは運転マナーの悪さに起因する。他所から来て、この府道一号線を走ったらすぐに実感する。法定速度で走ろうものなら総ての車に追い越されるし、対向車がある場合は長い列が出来る。落語の「へい籠」みたいに人の尻に鼻をくっつけてくる。スピード違反、追い越し違反はお手の物、その上アルコールでも入ってようなら事態は最悪だ。Img_0954
 
上林ハイウェイ、じょんのびから河牟奈備神社までの1Kmの直線は無法地帯。


 事故による不幸な家庭が生まれないよう、交通マナーが良くなって欲しいものだ。

今日のじょん:昼からキャドックさんに行って、爪切りと肛門腺搾りをやってもらう。それぐらい自分でせいよと言われるだろうが、身内だとどうしても甘えがあって嫌がってしまう。あの診察台に上がらないと出来ないようだ。Img_1167


この狼爪(ろうそう)の様に地面に着かない爪が伸びて巻いてくる。

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大唐内のこと(3) 9/23

2010-09-24 | 歴史・民俗

2010.9.23(木)雨

 古代のその地を探ろうと思えば、古い文書の記述、遺跡、神社仏閣などの史学的資料、地名、伝説や習慣、信仰、産業、言語などの民俗学的な資料を集めいくつかの仮説を作る。いわば状況証拠を集めてストーリーを作り、作られたストーリーに沿って客観証拠を探すというのが常套的な方法だと思う。
 大唐内(おがらち)に関する状況証拠と思われるものは以下のとおりである。
(1)大蜘蛛退治伝説(聖大明神)
(2)サントラ山の鬼の岩穴(丹波志)
(3)逆谷(さかさまたに)の存在(太平記)、佐分利村(さぶりむら)
(4)大唐内、小唐内、市茅野、ヒシリ、有安迫、風呂ノ奥、細ノ谷、的場、遊里ノ下、遊里ノ上、本風呂、有安谷、湯屋内、湯屋谷(以上老富の気になる地名)
(5)近隣の鉱山として、おおい町犬見の若狭鉱山がニッケル、鉄を産出している。また佐分利川沿いの父子(ちちし)に硫化鉄の鉱山、同じく野尻の野尻銅山は小浜藩の時代に屈指の生産量を誇る銅山であったということだ。Img_12281_2

石柱は国境を示すものだが、お地蔵さんの下に「右山道 左さぶり小濱」と書いてあるそうだ。峠の川上側には佐分利村に属する集落があった。(永谷坂峠)

 これ以外にもいくつかの情報はあるのだが、情報源が不明確であったり、どうも眉唾ものかなあというものもあり、今のところはこのくらいである。
 さて、この少ない情報だけではいかんともしがたいが、周囲のあらゆる情報を総合して仮説とまでは言えないが推理をしてみた。つづく(大唐内のこと(2)は2010.9.13)

今日のじょん:じょんが吠えるときは、家の周りに人が来たとき、獣が来たとき、部屋の中や網戸に虫がいるときと他の犬が吠えているときである。守備範囲が広いので人間がいつも確認できるとは限らない。半分ぐらいは未確認吠え情報である。先日、何で吠えてるのかなと思ったら、遠くでチコが鳴いていた。ところがチコが鳴き止んでもいつまでも吠えている。おかしいなあと思って耳を澄ますと、向山に自分の鳴き声がこだましているのである。こりゃあきりがないわ。Img_1322

これは網戸の虫に吠えているところ。

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上林川の鮎 9/22

2010-09-23 | 食・レシピ

2010.9.22(水)曇

 鮎を五匹ばかし頂いた。この時期の鮎は落ち鮎といわれるものだが、本来は産卵のために河口に下って行くものを落ち鮎というそうだ。従って養殖物で、この時期だからって落ち鮎と表示して売ってるのはインチキとなる。
 上林川の鮎シーズンも終わったが、今年は川面に紐を張り巡らせて、鳥の害を防いだため魚影も戻ってきたと聞く。それでも釣り客の姿は少なく、寂しいシーズンである。私は釣りをしないのであまり気にもならないのだが、往年の賑わいを知る人は一層寂しいことだろう。Img_1409
 北大路魯山人が和知川の鮎が旨いと絶賛されているが、和知川とは一体どこにあるのだろう。市場から美山に向かって入り、篠原のところを左に入る川は上和知川である。上和知川があって和知川が見つからない。由良川の和知付近を和知川というのだろうか。和知川でなくてもとったところのを地元で食えば旨いとある。当然のことであるが、以前に京北常照皇寺の下の橋のところで、釣りながら焼いて食べるということがあった。この鮎の味は忘れられない。
 塩焼き以外にも鮎の調理は多々あり、あらいなども旨いそうだが魯山人も塩焼きが一番といっている。粗塩を着けすぎて塩辛くなり、たで酢がないのでレモンで食べたのだが、苔の香というか、川の香というか香りがきつくて、養殖ものにはない、地元の鮎という感じがした。そして子持ちが旨いことは言うまでもない。お酒がすすむこと請け合いである。Img_1410




 今日のじょん:先日お約束のきびなごを食う写真をお見せするが、やはり動画でないとそのおもしろさと可愛さが伝わらないみたいだ。Img_1408

 

 

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綾部市立病院 9/21

2010-09-21 | 日記・エッセイ・コラム

2010.9.21(火)晴

 先日健康診断の結果要治療なんてのがあって、市立病院に行ってきた。大体健康診断の結果なんて信じてないのだが、やはりなんか異常が見つかれば早期発見早期治療につながるかなと思って過去にも再検をしてきた。胆管腫瘍の疑い、腎臓何とかの疑い、大腸のポリープの疑いとか入院までして検査したことがある。何れも総て問題なく、腎臓の時なんかタンパクが降りていないので問題なしなんて云われた。たいそうな病名で威かすのは再検を受けさせる手段なのかもしれないが、その病名を出してくる根拠はいつも語られなかった。そうかと思えば腫瘍マーカーが超異常な数値を示しているにもかかわらず、何も指導の無い年もあった。私個人としては健康診断、人間ドッグの結果というのは余り信頼していない。かといって放っておくと健康診断の意味がないので、受けている状況だ。今回は要治療なので相手も相当自信持ってそうだが、こちとらも自信のある部位なので、鼻を明かしてやろうぐらいのつもりで行った。ところが受診券を見てびっくり、恐怖の内科二診なのだ。以前に朝受け付けて夕方帰ってきたことがある。これじゃあ病気にかかりに行ってるようなものだ。ことほど左様に昼を過ぎても半分も進まない。待合室はお年寄りのサロンとなっている。
目の前のナースが、「○○さんやないの、元気?」「元気やで」「・・・・・・」
元気やったらこんなとこ来るなよ。
 というわけで、病気にならないうちにキャンセルして退散。後日違う病院で受け直すことにする。
 病院通いの通に聞くと、朝一番に何か券をもらって帰宅、受付が始まったらその券を持って受け付けて貰って帰宅とまあここまでは元気な家族が行う。そしておもむろに患者が受診券の番号を見て病院に行くそうだ。街中の人はこんな芸当が出来るが上林の人間はそうはいかない、なんでも買い物や用事を作っておいて待ち時間にするそうだ。これって本当の病気の人は不可能なことである。綾部市の病院事業費は21年度1億5800万円の黒字だそうだ。なんとか本当に必要な人が利用できる病院に出来ないものなんだろうか。

【作業日誌 9/21】
薪割り

今日のじょん:9月のカレンダーを稲刈り風景にしようと思っていたら、あっという間に稲刈りが終わってしまった。慌てて田んぼに行くが、そこは刈り株ばかり、機械刈りなのでなんともみっともない風景だ。Img_1394

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じょんのびファームだより 9/20

2010-09-21 | 違いのわからん農学士

2010.9.20(月・祝)曇

 涼しくなって作業はしやすくなったが、夏の後遺症でちっとも身体が動かない。それでも作物は育ってくるので放っておけない。というわけで大根、白菜の間引きをする。大根は少し前から3本に間引き、白菜は本日3本に間引きする。賞味期限の切れた種でもこんなに完璧に発芽するのなら、最初から一粒ずつ蒔けばいいのではないだろうか。発芽してこなかったら、また蒔いたらいいわけだからその方がよっぽど効率的で経済的な気がするのだが、、、。ヤーダさんはそうしているらしい。
 気になるのは大根のマルチ穴一箇所にピンクのカビが生えていること。以前にも畑に出てきたので驚かないが如何なるものか、また害があるものなのか解らないのがちと不安である。Img_1381 Img_1378
 
白菜は防虫ネットの準備も完了、右は妙なカビ。


 プッコチは遅まきながら今が盛りとなってきた。メーパパにプッコチソースを作ってもらおう。紅いのは飾りに、青いのは種採りにしよう。遅く蒔いた鷹の爪もようやく実がなってきた。Img_1387
 
右から緑のプッコチ、紅いプッコチ、鷹の爪唐辛子。


 生姜は順調に育っている。畝寄せ、追肥、寒冷紗かけが今年の工夫だが、最も効果があったのが稲藁敷きである。雑草は生えないし、水は充分やれるしで、来年の藁も用意しておかないといけない。保管用の籾殻も準備済み。Img_1386
 
今夏は水遣りと寒冷紗掛けが大変。


 ゴーヤは元気よく実を着けているが、そろそろ採種を始めている。大きめの実をもがないでおいておき、割れたら種をとる。忘れていると腐ってくるので注意、葉っぱは今しばらく日除けにしておこう。Img_1240_3 Img_1389 Img_1391
 
水位は減ったが草ぼうぼう、クワイヨー。 

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秋ナスはクマに食わすな 9/19

2010-09-20 | 違いのわからん農学士

2010.9.19(日)曇

 現在のじょんのびファームの主役は秋ナスである。「秋ナスは嫁に食わすな」という諺は諸説あるようだが、美味いと言うことは間違いないようだ。夏になったナスが、秋になってもなり続けているのが秋ナスかと思っていたのだが、そういうナスは硬くて食えない。秋ナスとは夏の収穫が終わる前に、剪定をして根切りをして追肥を行い九月頃に改めてなってくるナスのことである。いやあこれって知らなかったなあということで、違わか農学士の真骨頂ってところか。そこまでやるかというぐらいちんちくりんに剪定し、完璧に根を切り、しこたま肥料をやったら、これって本当になるのかなあと不安になる。炎天下の水遣りを続けていると、花が咲き実が着いていよいよ秋ナスなるものが出来てきた。Img_1358

9月11日の状況、小さいのがひとつなっている。


 もう少し大きくなるまで待って食おうかという瞬間、アライグマが再来した。くそったれ、お前に食わすために作ってんじゃねえよ。よっぽど美味かったんだろう又しても皮だけ残してきれいに食べていた。従前のごとく一個だけの被害であったことは幸いである。もう一つ幸いなことは、もう捕れへんし返そかなと思っていた捕獲カゴがまだ手元にあることだ。真夏のクソ暑いときに、魚肉ソーセージや竹輪など上等の餌をやってたが、かっぱえびせんなどのやすもののお菓子が良いそうだ。それを早く言ってよん。秋ナスはクマにくわすな。Img_1382 Img_1383

しっかりできた秋ナスと被害の残骸。



 今日のじょん:今夜はおとーが晩飯を作った。ドッグフードを2杯半、人参とキャベツを刻んでジャーキーを細かく切って一緒に煮込む。残り汁でフードをふやかし、遊膳という低脂肪のレトルトパックをトッピングする。これって毎晩なんだけど贅沢な感じだなあ。

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擬態 9/18

2010-09-20 | 違いのわからん農学士

2010.9.18(土)晴

 今夏は猛暑のためか強烈に虫が多かった。ゴキブリと蚊は上林では少ないはずなんだが、今年はしっかり発生した。気温の高さが影響したものと思える。気温が上がればその他の環境は充分すぎるほど揃っていそうだから。
 害虫御三家のハエも多く、殺虫剤やはえたたきなどが大活躍した。花木の害虫も例年より多いようで、スジキリヨトウは芝生広場まで大発生したし、桜にも毛虫が大発生した。意外と少なく感じたのは、ムカデで家の中では小さいのが一匹発見のみであった。土を掘り起こす造成時に多いそうで、我が家も落ち着いてきたのかなあと思う。ただ、ゲジやヤスデは大変多かった。
 木に付く虫は大きな木については問題もないようだが、発展途上の木については手で捕虫している。特に値段の高い木ほど虫が多いようだ。最も値段の高い木は白樺である。3本で6,000円の苗木が一番というのも情けない気がするが、こいつをやられると頭に来るのだ。三本ある内で、真ん中の最も育ちの悪い木ほどよく虫が着く。一番小さくて弱いニワトリが虐められるのと同じ理だ。人間社会も同じである、弱いところ弱いところに災いが起こるものだ。だからこそその木を重点的に点検しているのだが、なんとも信じられないような擬態を示す虫がいる。触るまで枝と見分けがつかない、生物の世界とは何とも不思議なものだ。Img_1373 Img_1375

どこが虫かわかるかな。


【作業日誌 9/18】
大根、白菜間引き

今日のじょん:かみさんの大好きなじょんの顔は、きびなごを食っているとき。ごはんやジャーキーなど食べてるときには決して見せない、くちゃくちゃと食べる姿は本当に面白い。いい写真がないので、撮れたときに紹介しょう。

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盗人現行犯 9/17

2010-09-19 | 違いのわからん農学士

2010.9.17(金)晴

  干しネギを植え付けた畑を満足げに見ていた朝のことである。目の前で立派に育ったネギがパタンと倒れるのだ。樹齢数千年の屋久杉が倒れるのと訳が違う。先週植えたばかりのネギがぱったり倒れるのだ。
 念道では車上荒らしがあった。それも夕方五時前の府道一号線の歩道に駐車の軽四輪である。現金の被害は少なかったようだが、被害者としたら免許証やカードなど面倒で手間のかかる被害だ。特に免許証の再発行は綾部署では3週間、羽束師の運転免許試験場なら即日と云うことだ。物理的なことだけ考えれば、受け付けた綾部署から羽束師に送るのに2日、処理に一日、返送に2日、都合五日で出来るはずだろう。警察の事務処理は住民サービスとしてのレベルとしてはかなり低レベルといえる。
 私は警察官ではないが盗人を捕まえた。じょんのび谷横のネギ畑には九条ネギの干しネギがすくすくと育っている。そのそばを通りかかったとき、そのネギの一本がスロウの映像でも見るように、ぱったんと倒れたのだ。あれー、どうしたのかと思ったとき、根元の土がかすかに動いたように見える。これは夜盗(ヨトウ)だ。昼間から図々しいやつだ。お前ら夜に活動するから、夜盗なんじゃないのか。棒きれで周りを掘っていくと、いるいる、でかい夜盗だ。即刻逮捕し、すぐに死刑判決、あっという間に火あぶりの刑になってしまった。それにしても、ネギがやられたのは初めてだ。Img_1370 Img_1371

目前でぱったり倒れたネギと犯人。右のは犯人逮捕ならず。

【作業日誌 9/17】
草刈り8回目(4日目)

今日のじょん:涼しくなって、朝の散歩が完全復活してきた。やっぱり散歩はうれぴーみたい。Img_13721

 帰ってきて飲む水がうまいのよね。

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雨読 続々「日本山岳伝承の謎」 9/16

2010-09-17 | 雨読

2010.9.16(木)曇

 まず「虚空蔵」だが、奥上林村誌、綾部市史には記載がない。上林風土記に山田村に堂があったことが記されている。虚空蔵菩薩については現在は公会堂に安置とされている。
 「逆川」というのが如何なるものか諸説があるが、それが金属に関わる地域に多くあることは確かなようである。奥上林村誌に太平記(室町時代)の文をまじえて以下の記述がある。
 「
正平六年(慶安元年)十月 仁木三郎山陰道の軍兵を従え上林谷を通り、逆谷を出て若狭に打入りけり。」逆谷というのは老富市茅野より、福井県大飯郡佐分利村に出たところにありて城趾がある。谷水が河の流れと逆(反対)に流れているので、さかさま谷という名がついたといわれている。Img_1230
 この位置や意味については別項で書いてみたいと思っているが、とにかく老富(おいとみ)の近くに逆谷があることは確かである。

この先左手にあると予想しているのだが。

 「熊野神社」大きな神社はなさそうだ。小さな祠などは結構あるようで、浅原(あずら)の雨乞山に熊野権現がある。睦志(むし)の若宮神社には境内社として熊野神社がある。熊野権現と関わりのある十二社神社は佃や水梨(十二社権現)等に存在する。Img_1367
 
佃の十二社神社


 「金山彦」は浅原の葛禮本神社(くずれもと)の祭神で、「浅原のこと」で詳しく紹介している。
 「大同元年」は金属伝承の大本命は「大同二年」で、神牟奈備神社(かんなび)が昨年1,300年祭を行ったので、これかなっと思ってよく調べたら、実はもう100年遡っていて、和銅二年であった。では大同二年開基(807年)は無いものかと調べたら、上林ではないが物部町の須波伎部神社(すはきべ)がそうであった。
 「鎌倉権五郎」は睦志の若宮神社の祭神である。Img_1212
 

若宮神社

 「吉野」については小字名など調べても見あたらない。ただ、市ノ瀬に吉野権現社があり、「
古キ掛物壱軸有 諸仏ヲ織付ルト云是ヲ神体トス 往古ニ吉野鋳掛ノ写シト云伝フ」(丹波志)とある。吉野鋳掛とは如何なるものだろう。

【作業日誌 9/16】
草刈り8回目(3日目)

今日のじょん:朝、洗濯物を干していたら庭に犬影が、、、、チコが放れている。リードを持って捕まえに行ったらサッサと逃げてしまった。リード見せたのがまずかったかなと思っていたら、10分もすると帰ってきた。今度はすんなりと捕まって家に連れて行くとお留守のようだ。夜は温泉から帰ってきたらセンサライトが点いている。今度は鎖のリード付きだ。どうやったらこれがはずれるのか、逃走の天才である。

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雨読 続・「日本山岳伝承の謎」 9/15

2010-09-15 | 雨読

2010.9.15(水)

 後半の「金属地名の謎を追う」は私の期待しているところである。山名、峠名、沢名などと金属関連の言葉との関係を自分の足で確かめながら編集しておられる。もの凄い数の例が出てくるので、こちらの読解力、記憶力のキャパを越えてしまう。それは総満艦飾と言っていいほどの量が出てくるのだが、こちらの能力不足故にちっとも頭に残らない。確かに謎を追っているが謎を解いている訳ではない。勿論謎解きの努力はされているが、通り一遍の推理で終わっている感がする。そのところが不満が残るのだが、あとがきに、「私は言語学や地名学にはまったくの素人である。ただただ不思議に思ったことを自分なりの手法で追ったまでである。そんなことだから、フィクションではもちろんないが、学術的記述ではない。読みもの風に気軽に読んでもらえれば望外の幸いである。」とあった。これで不満解消、一本とられた感じだ。
 第二部金属地名の謎を追うでは、今まで多くの書物を読んで既知の事柄が多かったが例として出てくる山や土地の数は他の書物を圧倒していた。その中で大変興味深い例があったので紹介しておく。
 それは、7項の逆川、大同二年、虚空蔵の秘密という箇所である。伝承のモデル地区として山形県南部の白鷹山(994m)から南流し、南陽市に至る吉野川流域をあげている。白鷹山には虚空蔵堂があり、別名「虚空蔵山」とも呼ばれている。そこから28Km南流している「吉野川」は一名を「逆川」と呼ばれている。その理由は米沢盆地では珍しく南流しているからだろうと氏は書いているが、地図で見てみると吉野川の支流の多くが南、及び南東方面から合していることも解る。吉野川が南陽市街に入ろうとする宮内には「熊野神社」があり、祭神は埴山姫と「金山彦」で、「大同元年」とされ、「鎌倉権五郎」が銀杏の木を寄進したという伝説がある。
 この吉野川流域は古代からの金属地帯で、神明鉱山の開坑口碑が平安後期ということだ。また吉野鉱山は近年まで操業しており、昭和38年で年産5億円とか書かれている。鉱山リストなどで調べると南陽市(旧東置賜郡吉野村)で11箇所の鉱山が見られる。
 さてこういった金属鉱山地帯に付きものの伝承が「 」書きしてある部分だ。白鷹山を水源とする吉野川は、三国岳を水源とする上林川と同じぐらいの長さの川である。そしてその吉野川流域と同じ伝承が上林に存在しているのだ。無いのは「吉野川」と鉱山事業所だけである。つづくImg_1317

若丹国境まで一直線に見渡せる上林谷にも金属伝承がしっかり残っている。 


【作業日誌 9/15】
草刈り今年8回目(2日目)、今回ラス前ぐらいになりそうだからいつもより丁寧に刈っている。手間もガソリン代も従前の3倍弱かかっている。
Img_1359
ビフォアアフター



 今日のじょん:朝の運動が終わって、けーとくちんをして家に入ろうという段階でよく固まることがある。どうももっと遊んでいたい、家に入るのは嫌という意志を表現しているように思える。呼んでも反応しないし、放っておいたらいつまでも固まっている。写真は固まっているところ。Img_1361  

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雨読 「日本山岳伝承の謎」 9/14

2010-09-14 | 雨読

2010.9.14(火)曇、雨

 朝から雨の音、こんな嬉しいものは無い。水撒きと虫取りに朝の一時間は費やしていたのでなにか得したような気分だ。野菜や芝も生き返ったように青々としている。高温と水のおかげか大根、白菜が4日目にして芽を出している。余り早く育つと虫の心配もしなくてはいけない。
 さて今回の「日本山岳伝承の謎」は山名のオーソリティ谷有二氏の著で、「富士山はなぜフジサンか」「山の名前の謎解き事典」と私の持っている三冊のひとつである。未来社刊、1983年8月第3刷、定価1,300円、購入価800円である。
 氏は雑誌やスポーツ新聞などに山の名前や由来について掲載されており、気軽に読めるように書かれていた。本書は少し学術的に書かれているので読みごたえがあった。副題に「山名にさぐる朝鮮ルーツと金属文化」とあるように、「マル」地名の謎と金属地名の謎を探究されている。氏は登山家なのでフィールドワークはしっかりなされている。よくぞこれだけの山や地域を廻られたと感心する。行ってないところは「行ってないので、、、」と必ず注釈がしてある。Img_1307_2

真ん中のが今回の雨読


 山の名前は近畿では~山、~岳、~峯というのがほとんどで他の呼び方は少ないが、私が学生時代に通っていた丹沢などでは~丸、~
塔なんてのがごまんとあった。その他にドッケとかコウゲとかいろんな呼び方があって、この辺のところを朝鮮語との関わりで書いてあるのが前半だ。興味があったのが森(モリ)で、四国には瓶ヶ森や堂ヶ森などと言う山が並んでいる。森が今研究している杜の信仰いわゆるニソの杜やモイドン等と関連があり朝鮮語で墓を意味する。死者の魂は一旦低い山に行き、やがて高い山に行くという、葉山信仰、例えば月山の例など、にも山は関係がある。死ぬことを「山に行く」というのはこの辺にあるらしい。映画楢山節考でも「お山に行く」という表現がなされていた。つづく

【作業日誌 9/14】
薪割り
白菜防虫ネット準備

今日のじょん:今朝はその辺臭ぎ倒して何か様子が変だなあと思ったら、昨日サチが来ていたんだ。サチは妊娠が待たれているところなんだけど、どうもその気配が無さそうとサチママも話しておられた。犬の妊娠期間は2ヶ月ということだから、まだ解らないのかもしれない。Img_1360

サチ、おかあさんになってればいいのだが、、、。

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