晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 大和の原像(3) 8/12

2013-08-14 | 雨読

2013.8.12(月) 快晴

 柿本人麿の歌に「大穴道(おおなむち) 少御神(すくなみかみ)の作らしし
 妹勢の山を 見らくもよしも」と言うのがあって、大己貴(おおなむち)命、少彦名(すくなひこな)命の二神が登場するのだが、大己貴命とは出雲の大国主命のことである。日本書紀ではオオアナムチと読まれており、人麿が大穴道と書いても不思議ではないとしている。
 古代の人々の考え方は西海に大穴があり、東から出た太陽は天空を横断して、やがてこの大穴に入り、翌日再び東から昇るというものである。本州の最西端は長門国であるが書紀では「穴門の国」と書かれているそうだ。
 こういった考え方は日本だけで無く、太陽信仰の国では多いようで、エジプトにもそのようなレリーフがあったように記憶している。
 テレビ「不思議発見」を見ていたら、スフインクスは両側のピラミッドの影の間に沈む夕日を表しているという。大和の二上山のコルに沈む夕日とのあまりの一致に驚く。
 大穴道とは太陽の沈む大穴に至る道と解して、穴道が穴虫と呼ばれるようになったというのが小川氏の発想である。
 三輪山の麓、檜原神社からは春分秋分に穴虫峠の落日が見られるのである。
 穴虫という地名は珍しい地名である。綾部市中探しても見当たらなかった。ところが丹波国分寺(亀岡市千歳町)を探していて、河原林町、千代川町に穴虫の小字を見つけた。これは是非訪ねてみたい、どこかから落日が見られるというようなところなのだろうか。そして亀岡は出雲と縁の深いと思われる地域だからなおさらである。おわり
P1060784



代川町穴虫は手前の尾根が両側から下りてきたところだが、この位置からは落日は向こうの山に落ちて、穴虫には落ちない。大穴に至る道と解すれば理屈は合うが。(千歳町千歳付近から)


【今日のじょん】休みます。元気です。

コメント
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