晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 ヒトの足 11/28

2019-11-28 | 雨読

2011.11.28(木)曇り
 ヒトの足 この謎にみちたもの  水野祥太郎著 創元社1984年発行 古書

 水野祥太郎とはどこかで聞いた名前だが、わたしの知る水野祥太郎とは別人だと思っていた。序文は今西錦司氏によって書かれ、その内容を見てわたしの知っている水野氏であることがわかり、感激している。20代30代、岩よ雪よと山登りに打ち込んでいるとき、登山雑誌や書籍で水野先生の文をよく読んだ記憶がある。その先生が整形外科のドクターで足の研究をされていたとは奇遇であり驚きである。1907年(明治40年)の生まれとあるから、随分古い研究者なのだが、コンピューターも近代的な機器も無い時代に実に科学的な研究を重ねておられる。扁平足の問題、アーチの問題など現代の医者でも誤解をしている事柄を実に見事に解明されている。

 亡くなられたのが1984年5月10日なのだが、実はその日は本書の第1版第1刷の日なのである。
 第一部第一章は「恐竜の足」という大変興味深い論文で、陸上を走り回っている恐竜たちの関節はその体重を支えられるものではないというもので、その内容は以外ではあるが納得できるものである。陸上を走り回るのではなく、水中で浮力を使って歩いていたのだろうというのである。先日科学者による最新のCGが放映され、恐竜たちの生活が放映されたが、やはり陸上を闊歩しているのである。水中にいるのは魚竜と言われるもののみで、先生の説は無視されているようだ。しかし彼らの生活域は海辺の近くであり、恐竜たちは水辺で暮らしていたということであれば、先生の説もあながちまんざらでもないようだ。
 切断足のアーチの実験も壮絶である。何が壮絶かって、行路病者(行き倒れ)や戦争で亡くなった人の実際の足を使って実験するのである。刑死の人体を解剖した杉田玄白を思わせる実験だ。
 オルドワイ谷で原人が見つかったとすれば現地に赴くという積極性で次々と斬新な新設を出しておられるのは素晴らしい。近藤四郎先生の「足の話」とともに足に関する古典として貴重な一冊である。

【今日の”のびちゃん”】NO.17
2011.10.9のブログを見ていただきたい。変人と変犬のパオパオさんとキクちゃんのコンビがお別れになるかもしれないと淋しいことを言いながら来じょんした。あの異様に元気だったキクちゃんがすっかり年いって目も耳も弱ってるんだって。当時のじょん友の生き残りもキクちゃんとゆきちゃんとメーだけになってしまった。人間も年いくけどワンコはもっときついもんね。なーんちゃって、あと3年ぐらい頑張っちゃったりして、、、

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血圧の怪-2 11/26

2019-11-26 | 健康

2019.11.26(火)
 最初に断っておくが、これはわたしの経験に基づく独断であって、医学的に立証されたものではない。医療関係者の方の意見が頂ければ幸いである。
1.血圧とは不安定なものである。
 同じ状態で何回か計るといろんな値が出る。同じ状態といえどもそれは刻一刻変化しているものと思われる。人生の中で同じ時間は無いと言うことと同様で、身体の状態も同じ状態はあり得ないということだ。

2.血圧計の最初の値は無視すべきだ。
 血圧は2回計って高い方をとか言われているが、最初の値は無視している。何年も計っていると、時間帯毎のおおよその値が解ってくる。ところが最初の計測値はとんでもない数値が出ることが多い。それが機械のせいなのか身体のせいなのか解らないのだが、2回計って高い方を選ぶとこの最初の値になる事が多く、不正確な気がする。従って3回計って、近い方の二つの内高い方を記録するようにしている。するとほとんどが2回目、3回目の内の高い方となるわけだ。それならば最初から初回の値は無視して、2回目3回目のうち高い方、あるいはその平均を記録すれば正しい血圧値が出るのではないだろうか。

3.精神的に不安定なときは最低血圧が高い。
 必ずとは言えないが、不安があったりイライラしているとき、最高血圧が平常でも最低血圧が妙に高いことが多い。ホルモンの分泌とかが影響しているのだろうか?

4.同じ状態なら脈が増えると血圧は下がる。 
 同じ状態で計っているとき2回目、3回目のときに脈拍が増えているとき、上下とも血圧が下がっていることが多い。同じ状態で脈が多いということは1回あたりの血液流量が少なくなっていると言うことだろうか。

5.腕に巻くタイプと手首に巻くタイプはそう変わらない。
 手首のタイプは低めの値が出ると言われているようだ。実際に両方でやってみるがさほど差があるようには思えない。

6.運動前でも強烈に上がることがある。運動後は確実に下がる。
 プールでスイムトレに行った際、泳ぐ前には非常に高くなる。140台、150台となる。食事の後だからだろうか、階段を上がってきたからだろうか、裸になって寒いからだろうかとか色々考えたが、それらを改善した場合も同じである。ところが水泳後、入浴して計るのだが、これは極端に低い。90台100台となる。脈は異常に多い。これは風呂上りで体温が暖まって当然かなと思っていたのだが、どうもそうでもないようだ。随分以前に健康番組で、「古代の狩猟採取の人たちは狩りに行く前から血液がドロドロになる。裸足の彼らは野山で怪我をする確率が高く、すぐに血が止まるようになっている」というのを
思い出した。交感神経が昂ぶって戦闘態勢に入ると言うことだ。もちろん血圧も脈も昂ぶっているだろう。プールのスイミングでもこのことが起こっているのだ。泳いでいるときは当然血圧も高く脈も速いだろう。それでは血管が堪らないので、NO(一酸化窒素)が分泌されて血管が軟らかくなるわけだ。スイムの後は極端に血圧が下がる。そしてそれが結構長持ちし、夜まで血圧が低い。こんなこと以前から知ってたのだけど自分の体の中で起こってるとは気がつかなかった。血圧を計り始めてずっと解らなかったことが一挙に解決したのは実に楽しいことだ。

プールはおおい町まで行って月3回2,000mを泳いでいる。

【今日の”のびちゃん”】NO.16
19日のことである。お出かけのたびにしっかりしてくるので、機会ある毎に連れて行ってるのだが、プレートたむらは不安があった。なにしろでかいルークがおるからなあ。ところが以外とすんなり行けたのでよかったよかった。
 

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血圧の怪 11/25

2019-11-25 | 健康

2019.11.25(月)雨

  「もう一度計りましょうか」健康診断で言われたのはもう4年前だろう。なんでもう一度測り直すんだよ、上手く計れなかったのかな?な~んて気楽なことを考えていたのだが、「ちょっと高めですねえ、塩辛い物をひかえて運動をしてください」と言われて愕然とする。
2015.3.26  132/88
2015.6.5  138/98 146/90
2015.12.4 137/84
 それほど血圧には自信があったのだ、むしろ低すぎるくらいだった。何十年もの間診断結果はすべてが正常だったのだが、退職してから血糖値、コレステロール、血圧などの値が徐々に悪くなっていく。塩辛いものも脂っこいものもそう摂らないし、運動だって人一倍している。でも値は少しずつ悪くなっていく。老化ということを自分自身のこととして認めざるを得なくなった。高脂血症など再検査をせよということで病院に行くと一も二もなく、「世界で一番使われている薬ですよ」って薬を渡され、飲むと確かに値は下がってくる。正常値近くまで来たので、「薬止めます」といったら、「これは治療じゃなくてコントロールですから、続けないと意味がありません。」「一生飲み続けるっていうことですか」「そうです」
 こんな白い錠剤にわたしの一生を支配されてたまるか、自分でなんとかしたらあと息巻いて病院を出る。
 生活習慣、食べ物、運動は良く言われることだが、実践して継続することはなかなか難しい。健康雑誌や健康番組など情報はいくらでもある。その情報の中からこれはけるなと言うものを選んで根気よく続けることだ。例えば血圧対策としては、ウオーキング、水泳などの運動、朝食のヨーグルトにシナモンを振りかける、入浴時に手足をマッサージするというのを続けた。もちろん毎日の血圧測定は欠かさない。おかげさまで今では上が120台、下が70台、脈拍60前後というところで正常血圧となっている。もちろん薬は何も使っていない。そしてその間に血圧についていろんなことが解ってきた。それは知識として知ったということではなく、経験の中から気がついたということである。

血圧と体温を毎日計って5年日記に付けている。トレーニングや体調等も併記しているので変化がよくわかる。つづく
【今日の”のびちゃん”】NO. 15
12日のこと、いくみちゃんが来たので二王門にいってきやした。おかあたちがヒーヒーいってる階段も四駆ののびはスイスイ。

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蓮ヶ峰へ-4

2019-11-23 | 山・峠

2019.11.23(土)快晴11/20 考察 仮称念道峠(於与岐から念道に向かう峠)は街道か?
 残念ながら街道ではなさそうだ。念道から第二の分岐点まで街道を思わせる立派な尾根道が走っているのだが、分岐点を過ぎると途端に消えてしまうのだ。分岐から稜線までそして稜線上の道も途切れ途切れの踏み跡でしかない。どうやら下部の豪華な道は肥刈りや炭焼などの作業用の道ではなかろうか。あまりに深く広く掘り下げられた道は近年の仕業と思われる。重機こそ使われていないが、大正、昭和初期の工事ではないか。

ここまで深く掘り下げられているのは、傾斜の調整のためだろうか?
 明治28年陸地測量部の地図を見ても、この峠道は中太の破線で示されていて、幹線道路ではなさそうだ。於与岐から上林に向かう主要な道路は於与岐大又から改心の道を使った日置谷に降りる道となっている。これだと大栗峠山田道を使って京に向かうこともできる。

明治28年大日本帝国陸地測量部二万分の一地形図「東谷田村」から
 建田こんぴら大祭に吉崎家の主が通った道は(仮称)念道峠の可能性は無きにしも非ずだが、吉崎家は於与岐下村にあるそうで、上杉に出て施福寺、黒石峠を越える道が距離的には遠いが、よく整備されていて労力的にも楽なようだ。蓮ヶ峰の連山はさほど高くはないのだが、350mあたりから急傾斜になっており、登り下りとも厳しいものがある。だからこそ修験の山となったのだろう。
 明治の地図を見ていると、施福寺から397mピークの東稜線を越え、於与岐の里で仮称念道峠に合流する道が描かれている。これは現在の地図には現れないが、於与岐から上杉を廻るより早く黒石峠に行けそうだ。しかも稜線は390m程度できつくない。於与岐から建田にいくには最短最速だろう。吉崎家の主はこの道を辿ったのだろうと想像する。
 さて井根の日圓寺から施福寺まで巡礼者の辿った道はというと、西谷からサクラ峠の道が重要な道だったよ八田うだ。現在は林道で旧道は見る影もなくなっているそうだが、以前の峠を知る人には随分いい峠だったと聞いている。これらの道を辿ってみたい気はするが前者の道はおそらく消滅していそうだと思う。終わり

【今日の”のび”】NO.14
好天の朝は霧が深い、熊の出没も気になるところだが、霧とススキの穂が相まっていい景色だ。

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蓮ヶ峰へ-3 11/17

2019-11-17 | 山・峠

2019.11.17(日)晴れ

1:25,000 梅迫から 
 主稜線を乗越して古い峠道がないものか探ってみるが、於与岐側の植林の斜面にはそれらしきものは見当たらない。地図どおり596mピーク目指して稜線上を行く。道ははっきりはしていないが、踏み跡と目印テープがあり、気持ち良く歩ける。注意すべきは小ピークに着いたとき降り口を誤らないことだ。596mピークはこの連山の最高峰で三角点がある。展望はよろしくないが、木枝の間から弥仙山が望まれる。於与岐に向かう峠道はこの先から北西に下っていくのだが、確認をするのを忘れてしまった。
次のピークだったろうか、南に下る尾根にテープがあり下っていくが急激に下っており、間違いだと気付く。この尾根はひょっとすると井根の観音堂に下る尾根ではなかろうか。前回は見つけられなかったが、観音堂から蓮ヶ峯に向かう道があるはずだと思うのだが機会があればチャレンジしてみたい道だ。

乗越には道は見られない。ここで行動食を食べる。

596mピークには三角点があり、木の間から弥仙山が見える。
蓮ヶ峰頂上は看板が有る。

 登りなおして適当に稜線を進むと蓮ヶ峯に着いた。なんてことないピークだけれど、憧れ続けてきたピークである。特に前回果たせなかったので余計嬉しい。遅い昼食を摂って下りにかかる。すぐに反射板の所に出る。この反射板は下からよく目立つものだが一体何に使われているのか解らない。多くの記録ではこの反射板を下方に見て、西に向かう尾根を下るようだが、反射板の下方に明瞭な道とテープがある。これは反射板の維持管理用の道かもしれない、南西に下る尾根道のようだがどちらにしても林道に出ることは間違いなさそうだ。ところがこの道は尾根をダイレクトに下っていて急なことこの上ない。

巨大な反射板から尾根を下っていく、道中に大きな岩塊も有り修験の道かもしれない。
矢田方面の展望が素晴らしい箇所もある。
 ストックのない工忠君はかなり辛そうだ。とことん下って膝がガクガクいいだしたら傾斜が落ちてきて棚田跡の拡がる広いところへ出た。これが施福寺の元となった西照寺の跡だろうか。棚田の跡かと思ったのは坊の跡かとも思ったがあまりに細長く、やはり棚田の跡だろう。少し下ると施福寺からの林道に飛びでる。そこに「蓮ヶ峯」の道案内があったので、この道を登る人もあったのだ、むしろこの道が本来の蓮ヶ峯登山道なのかも知れない。ただこの道を再度登ってみようとは思わない。荒れた林道をだらだらと歩くと、施福寺横の谷に出る。もうそこは施福寺だ。

降りてきたところはトラバース道に出合うようだ。少し下ると林道に出て小さく「蓮ヶ峰へ」とある。
 
施福寺は丹波西国三十三所三十一番で日圓寺に続くお寺である。日圓寺からどの道を辿るのだろうと気になるところである。

本尊は千手観音菩薩、正面石段には立派な盃状穴も

 施福寺からじょんのびまで6Kmあまりの舗装道路を歩くのは忍びないのでかみさんに電話し迎えに来て貰う。てなわけで簡単にじょんのびに着いて解散。おわり

【今日の”のび”】NO.13

最近肥えてきたんちゃうかなんて言われるので、散歩もロングコースに変えたのだが、実によく歩く。頼もしい限りです。

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蓮ヶ峰へ-2 11/11

2019-11-11 | 山・峠

2019.11.11(月)曇り
 立派な道とはいえ何年も歩かれていないようで、倒木に行く手を遮られ、くぐったり高巻きしたりで清水道もそうだったし、整備前の大栗峠の道も同じようなものだった。尾根筋といえども掘り下げられた道は近年の大雨で荒れているかと思いきや何事も無かったかのようだ。コーナー毎にしっかりと水切りがなされており、大きな水流とならないことが功を奏しているようだ。重機で強引に造られた林道がいとも簡単に荒れてしまうのと大きな違いだ。それにしても人力でこれだけの道を造るのは相当なものだ。南面の尾根道は明るく、赤松も多く残っている。松茸の季節はもう終わったのだろうか、香りがすることもない。

この道の造りは重機の無い時代に凄い。それにしても倒木が多い。
 やがて最初の分岐に着く。左の杉林に道が延びているが森林作業用の道のようだ。前回井根の観音堂上のトラバース道を途中まで東進したが、その道はもう少し高度が高いはずだ。少し休憩して先を急ぐ。気持ちの良い尾根道もあるが、相変わらず倒木が続き悪戦苦闘というところ。やがて第二の分岐に着く。左右に道が分かれ、直上する道は無い。地図上では直上しているのだが、どちらかに捲いているのだろうと左に行ってみる。ところがトラばるばかりで隣の谷に着いた。どうやらこれが例のトラバース道のようだ。前回引き替えした谷かなあと目印を探すが、どうやらもっと東の谷のようだ。元の分岐に戻り右の道を歩いてみる。トラバースどころか降り始めて、これも主稜線に続く道ではない。再度分岐点に戻り、尾根の直登を試みる。

第二の分岐、左右にトラバース道がついている。
 もし峠道が通っていたらジグザグに登っているはずだ。どこを登っても主稜線に飛び出るはずと腹をくくって登っていく。急な斜面をゼイゼイいいながら登っていくと踏み跡らしき道になってきた。それにしても分岐点まであれほど立派だった道が、なぜ急に貧相な踏み跡になったのだろうか。広い立派な道があれば、それが江戸時代からの主要な街道だという思いに駆られるが実は大正昭和になってから肥刈りや森林作業のために索道された道かもしれないという不安が湧いてきた。於与岐と念道を繋ぐ峠道が途中でいきなり消えてしまうということは、近年になって念道の側の人びとが必要となって切り開いた道だと考えることも出来るわけだ。あの分岐点から上の急斜面は作業困難、あるいは作業のための道を造る必要の無い地域なのかもしれない。

第二の分岐まではこんなに広い大道である。
 そんな思いをしながら怪しげな踏み跡を辿って登ると遂に主稜線に飛び出た。そこには目印のテープも随所にあって、登ってきた道が正しいことを示している。結局念道から於与岐に抜ける峠道は主要な街道ではなかったということだ。つづく

主稜線出合、向こう側が念道方面。
【今日の”のび”】NO.12
病院やシャンプーなどプレッシャーのかかるところばっかなので、楽しいところへ出かけた。8日のことなんだけどおおい町の芝生広場に出かける。結構喜んでるみたい。

広いとこは気持ちがえーわ。

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蓮ヶ峰へ 11/10

2019-11-10 | 山・峠
 2019.11.10(日)晴れ
 11月5日に登った記事を今になって書いたのは今日が建田のこんぴらさんの大祭だからだ。

 宝永年間に起こった直訴の事件は史実であり、その三義人を祀る建田宝永講は三百年を越えて伝えられている。

宝永講は各家持ち回りで行われていたが、昨年社殿が完成した。
於与岐の吉崎家は今も参列されている。
 その大祭に例年於与岐(およぎ)の吉崎家が招待されている。直訴の旅に資金を提供した於与岐の吉崎家を毎年招待している。なんと律儀なことと感心するが、自動車の発達していない時期にはどこを歩いてきたのだろう。それこそ念道に通じる峠であり、川を渡って折山峠を越え建田に向かったものと思われる。
 
 メンバー:小原英明 工忠照幸

 タイム:2019.11.5(火)晴れ
じょんのびスタート  9:40
薬師横の取り付き   9:50
第一の分岐     10:20   10:30スタート
第二の分岐     11:10   左右の道偵察 20分 
第二の分岐スタート 11:30
稜線        12:00   軽食15分
稜線スタート    12:15
596峰      12:45   南にミスコース10分ロス
蓮ヶ峯       13:20      昼食25分
蓮ヶ峯スタート   13:45  
トラバース道出合  14:20 西照寺跡か? 
 林道出合      14:30 少々探索
施福寺       15:00 車の迎え有
じょんのび解散   15:30

 楽勝に登れると思っていた蓮ヶ峯(はちがみね)に敗退して、なんとも情けない気持ちで数ヶ月をおくってきた。今回は過去の記録なども調べて挽回を期した。ネットで見ると、長靴姿のおじさん(わたしもれっきとしたおじさんなんだが、、)が頂上で写真撮ってたりしてがっくりくる。しかし記録のほとんどが施福寺からのもので、何が何でも別ルートから登ろうと決める。
 念道(ねんどう)から於与岐(およぎ)にぬける峠は596m峰の西の鞍部から於与岐八幡神社の辺りに降りる変則的な峠だ。変則的な峠である故か峠名が定かで無い。ご存じの方は教えて頂きたいが、念道側の取り付きをみると大層立派な街道で、往時には相当の通行があったように見える。
 念道の薬師さんの横にある取り付きは街道の風格たっぷりの道だ。

春に下見する。薬師堂の左が取り付き、進むと立派な古道となる。
 ただこの辺りは念道の古い墓地であり、墓参のための立派な道なのかも知れないと少しの不安もあった。予想以上に広大な墓域を過ぎても道は広くて立派だ。斜面を掘り進んでいる様子は小栗峠弓削道以上で、田辺(西舞鶴)から於与岐、念道から和知にぬける歴史の表に出てこない街道があったのではないかという希望さえわいてくる。つづく
【今日の”のび”】NO.11
のびはこんぴら詣りはできなかったがよく歩くようになった。でもロングコースの日はぐっすり寝込んでるので、かみさんが心配している。
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ライトなジャズライブ 11/4

2019-11-08 | 文化に触れよう

2019.11.4(月・祝)
 今年はジャズに触れていないなと思っていたら、山家のふれあいの駅で美市川善久さんのライブがあるってんで早速出かける。

 ライトなジャズを奏でるライブの夕べ 山家ふれあいの駅 18:30~
 会費千円で気軽にライブが楽しめるのはありがたい。ヴァイパーバイオリンという初めて見る楽器の大城敦博さんとのコラボで秋らしいポピュラーな曲と沖縄民謡で楽しい時間をいただいた。あの狭いホールでどうすんだろうと思っていたが、立ち席で演奏者が間近に見られて良かった。空調機の雑音が気になったが、時折走る電車の線路音が風情があって、その音に合わせた曲目があったらおしゃれだったのに、、、。

 あのバイオリンなら情熱大陸がぴったりだなあと思っていたらアンコールで出て来たり、G線上のアリアなんかもやってくれて大満足の2時間だった。

【今日の”のび”】NO.10

 舞鶴からはなちゃん来じょん、柴の10ヶ月だって。いやあよく遊ぶこと、のびも引きこもってねえで遊んでくれよなあ。

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裸足で歩く 11/2

2019-11-02 | 寿命延ウォーキング

2019.11.2(土)快晴

 裸足で歩くことは「進化する寿命延ウォーキング」の最終目標である。順番としては地下足袋→草鞋→裸足と進化するべく考えていたのだが、「BORN TO RUN」「裸足ランニング」を読んで試してみようかという気になった。それまではどのようなウォーキングをしていたかというと、地下足袋ウォーキングの応用編というところである。

まず速歩、時速7Kmを目指す。2Km余りを堤防沿いの砂利道を歩く。
その後閉眼で砂地での四股30回、ゴーロでの閉眼歩きを500m行う。

復路、速歩の後ゴーロに下り、500mのゴーロラン、500mの閉眼歩をする。
ここで石を拾い、握力腕力トレとする。

次に水中歩きを300m程度、冷却トレと足裏のレセプターによるバランスの鍛錬。
 このような応用トレーニングをしているが、肝心の里山歩きは割愛している。それはやたらとマムシが居るからだ。12枚コハゼの地下足袋ではマムシに噛まれても問題ないが、マムシが居ないかと気を遣って歩くのは大変なストレスであり、じょんのびウォーキングの趣旨に反するので夏場は里山は歩かないことにしている。11月中旬頃から里山も歩けるかなと考えている。
 さて裸足ウォーキングだが、砕石の道は悲惨である。地獄の針山を歩いているようで、とてもウォーキングをしている状態ではない。800歩で断念、地下足袋を取りに帰る。ウオーキングシューズから地下足袋に換えたときも相当痛かったが、裸足の比ではない。地下足袋で轍の間に草の生えているところまで行き、2Kmほど草の上を歩く。これは何とか耐えられる。まずは草の生えたところを歩いて慣れさせようと思う。考えてみれば人類はその歴史のほとんどを裸足で歩いてきたわけだ。獣を追って道なき道を歩き走り、荷を背負ってきたのだ。現代人はなんと弱く、脆くなったのだろう。たった数百年の靴の使用でここまで弱くなったのは、これは退化としか言い様がない。
【今日の”のび”】NO.9
朝の散歩はおとうの役、すべてが上手に出来るようになったが、時々怖いモードに入ると、自分でもコントロールが利かないようだ。意識はあっても体が動かないという感じがしている。時間をかけて解きほぐしてやろうと思う。


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