晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

丹波西国三十三所道中記 六日目ー2

2024-01-15 | 徒歩巡礼

丹波西国三十三所道中記六日目-2 謎のお地蔵さま道標
 第十番 神池寺(じんちじ)
 2023.12.19(火)曇 
 経費:納経朱印代300円、自動車謝礼500円 計800円
 下三井庄の里はこれまで通過してきた塩久や香良、岩戸とよく似た地形で、細い扇状地をなしている、いわゆるシオ地形で、庄はシオではないかと勘ぐってしまう。気持ち良く下っていけるのだが、今回はやたらと寒い。昼時でお腹もすいているのだが寒いところでは食べる気がしない。風をしのげる建物でもないかと下っていくが、らしきところも無い。年配のご婦人に出会い、挨拶をする。「お詣りに行ってこられたんですか?わたしらもあの山登ってお詣りしたもんですよ」お話を聞きながら歩いて行くと左手にベンチのある公園らしきところが見えてきた。「ああそれは個人で造られた公園ですよ」こんもりとした丘に石碑やベンチがあり植樹もされている。後で調べたら「須磨子の里こども公園」というのがそれらしい。写真を撮ろうとしたら事件が起きた。スマホの画面が真っ黒になり作動しない。山を下りながら、「スマホも寿命だし買い換えんなんかなあ」などと話していたので本当に壊れたのかな。ここまでの記録や写真もおシャカとなると暗澹たる気持ちになる。気を取り直しスイッチを入れてみると、瞬間立ち上がろうとしている、こりゃあ電池切れだ。地蔵さまの写真を撮ったときには電池残量が65%だったのだが不思議だなあと思ったが、この低温が影響していることに気づく。そういえば冬山ではカメラがすぐ電池切れになるのでお腹にいれていたなあと思い出した。幸い予備バッテリーを持っていたので再充電すると回復、記録も無事に残っていた。寒い時は腹巻き状のスマホポーチ必携である。やれやれと落ち着いて昼食をとる。寒いのでそこそこにし、南に竹田川を渡り山添いの県道を国領に向かって歩く。先程の公園の所の道でもよかったのだが、次回佐仲峠に向かう道を確認しておきたかったので南側の道とした。夏場なら佐仲峠も越え高蔵寺まで足を伸ばしているだろうが、この時期では無理だ。国領を越え、余裕を持って道の駅に辿り着いた。

 さて前述の神池寺の地蔵さまの道標の件であるが、巡礼が神池寺から下三井庄、あるいは細見(福知山市三和町)に向かう可能性があるのだろうか。
 丹波西国を順番に巡れば十番神池寺→十一番高蔵寺(篠山市)となるから「右 三井庄笹山」は当然である。ただ、「左 細見そのべ」は道の方向としては合っているが巡礼道としては難がある。
「丹波西国三十七所道中記」(嘉永5年・「丹波の古道」(奥谷高史著)に記載)に奇妙な順番を見つけた。
 神池寺御朱印と丹波西国三十七所道中記(丹波の古道 奥谷高史著)
 八番高山寺(氷上町長野、現在は常楽)からいきなり十一番高蔵寺(丹南町高倉)に廻り、十二、十三、十四、十六、十五番東窟寺(篠山町藤岡奥)と廻り、そこから山越で西紀町に出て、高坂から鏡峠を越え下三井庄(しもみのしょう)から神池寺に登っているのだ。神池寺から黒井観音寺まで一里半、そして岩戸寺まで二里としているから、神池寺から観音寺までは国領を経由したようだ。つまり八番高山寺から氷上町、市島町、春日町を飛ばして丹南町、篠山町を回り、戻ってから戸平峠を越え三和町、寺尾から菟原中の新西国百観音堂に廻っているのだ。(町名は分かり易いように旧のものを使用)
 丹波西国三十七所道中記附図(複写)
 「是より同八番(重番)を残す十一番の大山村高蔵寺へ三里此方道順よし又此所は成松の町へ打戻るか又は難所なれば打越に出るかいづれ川向の本郷村へ渡り稲継石負村より但馬街道柏原御城下を通り、鐘坂を越え追入町宮村云々」とある。当時の高山寺は長野(おさの)にあったと言うから現在よりは南に位置していたとしても、どう考えても此の道順が良いとは思えないのだ。成松に戻るのが難所なればと言うのはおそらく川(葛野川)のことだと思うが、いずれにしても川向には渡らなければならないのだ。そして神池寺に打ち戻るまでには三つの峠を越えなければならない。順に廻れば二つで済むわけだし、菟原中の百観音に行くにしても栗柄から鼓峠を越えれば、戸平峠より随分近道である。
 当初細見は新西国百観音堂(三和町菟原、細野峠)に向かう道と思っていたが、地蔵さまが出来た時には百観音堂はまだ無かったのである。わかりやすいように時系列で示すと次のようになる。
 神池寺地蔵さま道標設置    1806年 文化三年
 丹波西国三十六所道中記改版  1807年 文化四年
 百観音堂建立         1845年 弘化二年
 丹波西国三十七所道中記再改版 1852年 嘉永五年
 三十六所というのは重番が3ヶ所あるわけで、三十七所に改版されているのは百観音堂が新たに追加されたためである。いずれにしても神池寺の地蔵さまは百観音堂が出来る39年前に祀られたもので、細見というのが百観音堂を指しているということはあり得ない。ただ神池寺から京丹波町井尻の松ヶ鼻堂へ向かう可能性は無きにしも非ずというところである。おわり
 

 

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