2013.8.19(月)快晴 「西丹波秘境の旅」-2
「太陽の道と上林の日置
(途中略)つまり、空間的には日が昇り、沈むところに位置する山岳などに特別の価値が付加され、神が祀られ、神社が配されてきた。その好例が於成平であり、石原の興の阿比知神社や尼来峠の許波伎神社などである。そこで小川光三氏や水谷慶一氏によりあぶり出された「北緯34度32分線上」の謎が問題になってくる。水谷氏はこの一直線上に点在する太陽信仰とかかわる古代遺跡や寺社、日置などの地名から、「蔭の測量師」日置氏の存在を嗅ぎ出され、この東西線を「太陽の道」と名づけている。(『濃飛古代史の謎』三一書房)。
上林にある次に触れる日置や後述する夜久野の日置は、北緯34度32分の線より少し南にずれるが、丹後の若狭湾西岸にある日置が、この線上ににあるのは不思議な一致といわなければならない」 (P122)
引用が少し長くなったが、これが最も不可解な文章であり、実に何度も読み返したところである。
前段の部分はまずおいて、後段の部分から見てみよう。
上林の日置は北緯35度21分、夜久野の日置は北緯35度19分辺りに位置する。また丹後の日置は北緯35度36分辺りなのである。
太陽の道、北緯34度32分の線は大和から伊勢に至るもので西は淡路島に至るラインだが、中央構造線と一致し金属の鉱脈がおおくあり、それが真弓常忠氏の「鉄の道」であるという説を生んでいる。
いずれにしても上林や夜久野の日置が太陽の道の南にあるはずも無く、丹後宮津の日置がその線上にあるということは絶対に無いわけである。
この部分は印刷のミスとか、原稿の書き損じなどが無い限り、無茶苦茶な文章なのである。
登山のベテランでもあり、各地の山々を巡ってこられた著者が、緯度経度の読み方が判らないはずも無く、水谷氏の著書も当然読んでおられることと思う。
この問題はわたしを大変悩ませた。また、なぜこういう文章になったか想像を膨らませることにもなった。つづく
【作業日誌 8/19】
草刈り(5-6)
梅干し土用干し(土用にはちと遅いが、、、)
【今日のじょん】追悼マーブル写真集
じょんとくるみちゃんは里親さん宅に3ヶ月ほどいた。マーブルは7ヶ月居て上林にやってきた。
里親さん宅の三兄妹、右がマーブル、左がじょん、奥がくるみちゃん、かわいいですね~。
マーブルが来た日(2008.10.5)長岡京からくるみちゃんも来て記念撮影、人間も若いですね~。