晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

行き当たりばったり農法 11/30

2010-11-30 | 違いのわからん農学士

2010.11.30(火)晴

 先日K子ちゃんがガーデンシェッドの偵察に来た。いやあこの間山に登ったりでちっとも進んでいない。彼女はと言うと、材料は全て揃ってあと2日もありゃあ完成と豪語している。今日はなんとか取り戻そうと頑張るつもりだが、屋根の勾配を決めるのに実寸で測ってみる。図面が画ければ角度も出るのだが、やっぱりこの辺は行き当たりばったり工法だ。というわけで今日はパネルを作る中途で終わってしまった。詳細は後日パネルが完成した辺りでお知らせしたい。
 DIYも忙しいが、畑も忙しい。というのは、この間ナーオさんが赤玉葱の苗、マスタードレタスの苗、サーキさんがヤーコンの株を持ってきてくれたからだ。大体じょんのびファームは計画的に作るのは、夏野菜のトマト、ナス、キュウリ、ショウガ、冬野菜のダイコン、ハクサイぐらいで、あとは行き当たりばったりである。というのはいろんな野菜名人がおられて、苗や種を戴くからだ。例えばこの一年貰ったものは、ヒスイナス、食用ホオズキ、アスパラガス、タマネギ、ニラなどである。貰うと放っておけない。仕方なく?草だらけの畑を耕し植え付けたり、蒔いたりするわけだ。名付けて行き当たりばったり農法、これで結構楽しんでいる。逆に誰も何もくれなかったら、畑は荒れ放題となる。Img_1859 Img_1860
マスタードレタスを植え付ける。ビニルカバーしなくてもいいのだろうか。ヤーコンは人気の食べ物。

 そんなこんなで今日はヤーコンの植え付けとタマネギらしきものがぶら下がっていたので植えておく。一応連作は無いように気をつけているが、畝に計画性は無い。開いてるところに植え付けるというものだ。
 もう一つ、じょんのび谷のワサビの株がたくさんできている。かつてはワサビが群生していたそうだが、えん堤工事の後すっかり廃れてしまった。かろうじて残った一株と2年前に三和町の谷から移植したものが細々と生えていた。それが少しづつ増えてきたので、そろそろ株分けしてやろうかと思っていたところである。小さな株を水際に分散して植えてゆくが、いつになったら食用となるだろうか。Img_1861 Img_1862
元からあった株と三和町から移植したワサビ。
立派なワサビ谷にするぞ。

今日のじょん:ぽんぽこジャンプがなかなか憶えられない。ぽんぽこぽんとジャンプと別々には簡単にできるのだが、連続してするというのが難しい。ここのところかみさんが連日特訓してるのだが、、、、。Img_1854



 

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じょんのびアラカルト 11/29

2010-11-29 | 日記・エッセイ・コラム

2010.11.29(月) 曇

 むらさきしきぶの苗木、あやめの株無料頒布
舞鶴の山田さんが育てたむらさきしきぶの苗木とあやめの株を無料でお分けします。12月6日(月)の午後にはじょんのびに届きますので、取りに来てください。当日来られない方は予約しておいてください、取っておきます。Img_1844

 12月、年末始の営業について
12月は9日(木)~11日(土)までお休みを頂きます。
年末始は12月28日(火)~1月4日(火)までお休みいただきます。


 というようなわけで、寒いふゆがやってきた。今朝は-1℃で今年2度目の氷が張っていた。Img_1847

今年二回目の氷、その内雪も来るぞ。


 メーパパが軽トラを借りにやってきたら、バッテリーが上がってしまっていた。今年は人間、機械、器具ともに故障の多い年であった。テレビ、カメラ、カーナビ、エコキュート、ファックスなど出費もかさんだが、かみさんの入院が一番参った。そういえばじょんの病気も今年だったっけ、かみさんの3週間の入院とじょんの2日の通院が医療費的にはそう変わりがないのがどうも納得いかない。今年もあと一月あるのだが、軽トラのバッテリーぐらいで終わりにして欲しいものだ。Img_1851_2 Img_1850
 
念道橋早朝。



今日のじょん:朝の散歩が終わって、ぽんぽこぽんも終わって、けーとくちんをするときに怪しげな行動をする。妙にその辺を嗅ぎまわるのだ。本当に何者かが侵入して臭いを残しているときとは違うなと解るのは一緒に住んでいる者だけだ。はは~ん、入りたくないのだナ。じょんのカラ嗅ぎ。
Img_1855

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大唐内のこと(14) 11/28 鬼伝説 

2010-11-29 | 歴史・民俗

2010.11.28(日) 曇

 日子坐王(ひこいますのきみ)と土蜘蛛、玖珂耳之御笠の戦いは、丹後風土記残欠に、舞鶴から由良川周辺に多くの地名を残している。これらはもちろん元々あった地名を伝説に結びつけているものだが、これらの地域に何らかの史実があったものと考えても良いのだろう。戦いは青葉山から由良川流域(かつては大雲川と呼ばれた)そして大江山に移る。河守郷血原で土蜘蛛陸耳匹女を殺すとある。河守も血原(千原)も地名の由来はその戦いにあるのだが、もちろん本来の由来は他のところにあるのだろう。それにしても匹女(ひきめ)とは一体何だろう。御笠が王なら王女だろうか、あるいはシャーマンのような存在だろうか。青葉山の南東に青鄕があり、日置がある。いずれも海人族に所縁のありそうな地名だが、その日置に関連するのだろうかと想像は膨らむ。その後御笠は大江山に逃げ込み、残欠の記述は終わる。Img_3438
 
大江連峰、金谷峠から。


 ただ「但馬世継記」という文書に、但馬海岸を転戦し、鎧浦(よろいうら)で誅殺されるとあるそうだ。
 これが玖珂耳之御笠という土蜘蛛退治の概略だが、御笠というのが特定の個人をさすのか、地方のまつろわぬ勢力全体をさすのか解らないが、やがて時代が下ってなされる蝦夷征伐と軌を一にするものではなかろうか。特に舞鶴から大江に向かうこの地帯がいわゆる舞鶴帯という金属の鉱床地帯であることと、海人族が金属の技術をもつ集団であることを考えれば、金属資源争奪の側面を持つことを考えねばならない。
 先日大唐内の甘酒講についてお聞きしたWさんに大唐内の鉱山のことなどを聞き取りしたので書いておこう。なお、Wさんは数名おられるので仮にWTさんとしておこう。

O:「Wさんに大唐内の黄銅鉱坑道について聞いたんですが、そんなものがあるんですか?」
WT:「黄銅鉱については知らんけど、子供時分にマンガン鉱を掘ると言うところがあって見に行ったなあ」
O:「それはどの辺ですか?」
WT:「大唐内の谷の奥の方やったなあ」
O:「どんなものでしたか」
WT:「発動機やらウインチみたいなもんがあったから、まあ近代的なもんやったなあ」
O:「黄銅鉱の話は場所的にも別のようやし、穴も小さいと聞いたんでそれとはべつのようですけど、そのマンガン鉱はどうなったんですか」
WT:「うまく行かなかったようで中途で止めになったようやで。試掘みたいなもんかもしれんあな」
WT:「若い時分に家内と一緒に山仕事しとったら、谷の方に一人でピッケルとハンマー持って何か調べているひとがおったなあ。後にも先にも一回だけ見たんやけど」
O:「それはいわゆる山師ですかねえ」
WT:「多分そうやろなあ、頭巾山から古屋、浅原の方の山やったなあ」
O:「三国岳はサントラ山というて、桟俵に似た玄武岩があるのをご存じですか」
WT:「そうらしいなあ」
O:「老富あたりでは、精霊流しに桟俵を使いますか?」
WT:「本来はそうやったんやが、今では省略して桐の葉を使うなあ」
というようなお話をして、精霊流しのことなどを聞いた。
つづく (大唐内のこと(13)は2010.11.26)

今日のじょん:ぽんぽこぽんのボールが破けてきたので、おニューになった。古いのはおかーのお尻マッサージに使われている。ぽんぽこジャンプは未だ練習中。


 

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新生姜を食べ尽くせ 11/27

2010-11-27 | 食・レシピ

2010.11.27(土)快晴

 新生姜を2Kg余り収穫し、さて保存をどうしようかというところで悩んでいた。従来の失敗に懲りて、今年は発泡スチロールの箱と籾殻を用意し万端整えていたのだが、気温14~16℃、乾燥も湿気も駄目ということでは保管も出来そうにない。紅生姜は間違いが無さそうなので、半分を紅生姜にする。残りの半分は料理に使ったり、お裾分けしたりしてもうほとんど無くなってしまった。まあこれでいいかという気分である。無理矢理新生姜料理のレシピを残しておこう。
1.紅生姜
Img_1742 Img_1743 Img_1745




 これは間違いのない保存法である。1Kg程を漬けることにした。これで2年近くは使えるだろう。
 (1)まず収穫した生姜の根や葉を取ってきれいに土を落とす。谷間の部分は歯ブラシで落とすがそれでも土が残るので、思い切って割ればいい。
 (2)薄皮を包丁でそぎ落とす。新生姜の場合皮付きのままでもいいそうだ。
 (3)生姜重量の約4%の塩を振り、一晩おく、これは味付け、カビ防止、水抜きの効果があるのだと思う。
 (4)翌日溜まった塩水は捨て、一日天日干しする。
 (5)熱湯で消毒した瓶に生姜を入れ、梅酢をひたひたに入れる。今年は梅が不作で梅酢が出来なかったので、購入した梅酢を使った。
 (6)一週間から十日ほど混ぜながら保管し、再度取りだして天日干しする。丁度梅の土用干しのようなものだ。これはカビの防止もあるが、色づきの加減もあるようだ。Img_1841




 (7)本来は前回の梅酢を捨て新しい梅酢に漬けるのだが、今回足りないので、前回のものを濾して再度利用することとした。以後必要なときに使えばいいだろう。

2.牛肉しぐれ煮
  牛肉    200g
  新生姜  1個
  醤油    大さじ3杯
  みりん   大さじ2杯
  酒      大さじ2杯
  砂糖    大さじ1杯
 (1)生姜は皮をむいて千切りにする。
 (2)鍋に油をひいて肉、生姜を入れ、砂糖を振りかけて炒める。
 (3)残りの調味料を入れ、混ぜながら水気が無くなるまで煮る。好みで一味を少々。これは美味くて写真を撮る間に食べてしまった。

3.新生姜の佃煮Img_1842
  生姜   500g
  ちりめんじゃこ 50g
  醤油   100cc
  みりん  150cc
  酒     150cc
  昆布    ひとかけ
  ごま    少々
 (1)生姜は皮をむいて千切りにする。
 (2)酒に昆布を入れて煮きる。醤油、みりん、生姜、じゃこを入れて煮汁が無くなるまで弱火で炊く。好みで一味を少々。
 (3)食べる前にごまを振る。
   500gは多すぎた、ちと塩辛くて喉が渇く。

一昨年は生姜御飯を炊いたが人気が悪く、今年は取りやめ。スームさんの奥さんが生姜の砂糖漬けのお菓子を作ってくれた。これは懐かしい味である。
今夜は厚揚げに摺り下ろして食べたが、予想外に繊維が少なく、水気も少なく美味しく頂いた。これは収穫後2日ほど干した効果かな。いずれにしてもこれだけ楽しめば新生姜、保存しなくてもいいみたいだ。来年も作ろっと。Img_1845




 今日のじょん:京都銀行のCMに連獅子が出てくる。じょんも得意の連獅子やってるのだが、カメラを向けると止めちゃった。Img_1843_2






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大唐内のこと(13)鬼伝説 11/26

2010-11-27 | 歴史・民俗

2010.11.26(金)曇

 玖珂耳之御笠(くがみみのみかさ)については大和朝廷にまつろわぬ地方の豪族、首長というのが一般的な見方である。また、耳という名は海を越えて渡来した人びと、つまり海人族を表すのだろう。古事記ではその居住地を指定はしていないが、丹後風土記残欠本などでは青葉山と述べている。谷川健一氏は「青銅の神の足跡」のなかで、玖珂耳の地名は三丹にはないという理由で、因幡の陸上(くがみ)をその地ではないかというふうに書かれている。玖珂耳之御笠が精銅の豪族だとして、陸上の近くには荒金銅山などがあるとされている。しかし青葉山とて、海人族が定着したと思われる地は沢山あるし、鉄、銅などの金属が潤沢な地域であることには違いない。つまり玖珂耳之御笠の本拠地が青葉山であっても少しもおかしくないと私は思う。”くが”という地名が無いというだけで、青葉山では無いというのもおかしい。
 先日日置峠に登った際に双耳峰である青葉山を見て、玖珂耳のミミは海人族の名についているミミではなくて動物の耳ではないかという想像をしたわけだが、そうすると「狗ヶ耳」つまり犬の耳はどうだろう。そういうことになると”くが”の地名がこの地方になくてもいいわけだ。更に調べてゆくと、青葉山はかつて馬耳山とも呼ばれていたということがわかった。ク=馬ならもうこれで決まりである。馬をクとは読まないだろうと諦めかけていたのだが、クを変換してゆくと駒という字が出る。果たして古代に馬のことをクと読んだかどうか、いまのところ解らない。Img_1217

若狭側から眺めると、富士のように見える。西面、南面からは双耳峰となる。


 では御笠はどうなんだろう。戦艦三笠は連合艦隊の旗艦として有名だが、これは奈良県の三笠山(御蓋山)にちなんで命名されたそうだが、偶然昨日(11月25日)の讀賣新聞に御蓋山の記事が掲載されていた。その写真を見て、その山容から青葉山=御笠というのは当然のように思える。また舞鶴市はもともと加佐郡であったが、その加佐(かさ)とは関わりないのだろうか。というのは大江山のある大江町も現在は福知山市だが、加佐郡であったのだ。そして玖珂耳之御笠も大江と関わりを持ってくるのである。つづく (大唐内のこと(12)は2010.11.21)

今日のじょん:今日は久々にシャンプーをする。体重が前回より400g増えて17,8Kgとなった。最近運動量も食事の量も増え、ベスト体重が戻ってきた。Img_1840

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土師器 11/25

2010-11-26 | 歴史・民俗

2010.11.25(木) 曇

 19日金曜日のことである、いつものようにじょんと朝の散歩をしていると、念道のゲートボール場のところの土手に土にまみれた土器状のものが半分土に埋まっている。持ち帰って洗ってみると、どっかで見たような生地の土器である。
 直径は9cm、高さ4.5cm、厚み8mm、重さ150gの素焼きの盃状の破片である。色は茶褐色、紋様は無く、轆轤は使われていない。Img_1780
 ここで思い起こされるのが、2008年4月4日作業中に見つけた妙な土器のことである。2009.3.31にじょんのび七不思議として紹介している。この2個の土器については形が不思議なので、なにか祭器なのかと思って保管していたのだが、今回のは確実に生活具としての土器のようだ。実はこれらの材質や造りが同じようなので、同一の窯で作られたものかもしれない。
 いづれは資料館などで調べてもらおうと思うのだが、インターネットで調べると予想通り土師器のようである。土師器は古墳時代から平安時代頃まで使われたそうだ。ここで思い起こすのが、郷土史家の川端先生がおっしゃっていたそうだが、じょんのび村の谷は鎌谷といい、かつては窯があって土器を焼いていたということだ。本当にこのあたりが土器の生産地なら、まだまだ出土する可能性もあるし、夢のあることだ。今回出土のものは皿、壺の底もしくは蓋と考えられるが、2008年のものは一体何だろう。甑の底と取手という風にも考えられるが、埴輪も実は土師器の一種ということで埴輪なのかもしれない。そうすると古墳が存在することになるのだが、出土地は谷の流路なので、その地に古墳があろうとは考えにくい。Img_1838
 
2008年発見のもの。こういう感じで甑かもしれない。


 念道の由来について「念道のこと」で書いてきて色々と考察しているのだが、一顧だにしなかった念道=粘土説が、=練土などとも考えられて浮上してきた。
 その他にもじょんのび村の同一場所から、怪しげな土器が出ている、まるで価値のないガラクタかもしれないが、一応保存しておくので心ある方は鑑定をお願いしたい。Img_1837

轆轤を使ったものもあり、石かもしれないものもある。


【作業日誌 11/25】
イノシシネット設置

今日のじょん:獣の侵入が続いて、クンクン臭いで散歩どころではなくなってきた。じょんのうんPを発酵させる糠がイノシシに荒らされてしまった。じょんのうんPの臭いで来ないだろうと思ったのに、ぬかってしまった。ちゃんちゃん。Img_1829


獣道を探索中。  

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続・弥仙山に登る 11/24

2010-11-24 | 山・峠

2010.11.24(水)曇

 昨日山から帰ってTVを見ていたら「山ガール」ってのが流行ってて、六甲でイベントが行われ、若い女性がおしゃれして大行列をなして山登りをしているニュースがあった。同じ山登りでもえらい違いだなあと思いつつ眺めていたのだが、あの列の中に混じった日にゃあ化粧の臭いがきつくて呼吸困難になりそうだな。
 さて、登頂後だが日置谷への下りも直降で、夕べからの雨でぬかるんでおりかなりつらい。ストックや杖が役に立つ。私の場合登山靴といってもMTB用でグリップが弱いので足の負担が大きい。ところどころ紅葉のきれいなところもあったが、全山一面というようなものではなく、ポイント的なものでカメラに納めるようなものでもない。展望もところどころ開けるが、足下にばかり注意しているのであまり印象に残っていない。嫌というほど下って、小一時間で回遊コースとの分岐に出る。ここからは傾斜は緩く、小さなこぶを越えてゆくプロムナードコースである。熊笹、紅葉、落葉樹の景色は私の最も好きな感じで、落ち葉の上を歩いてゆくのもなおよろしい。 Img_1801
Img_1802 



 分岐から30分ぐらいで元権現跡という小広場に出る。引地あたりから念道までの上林川が見え、和知との境界の稜線、そして幾重にも南西方面の山影が見える。西の方に望めるのが蓮ヶ峰(はちがみね)のようだ。ちょうど昼時なので昼食とする。弁当はスタート会場で買った松茸弁当、300円である。ここで食べないと持って下りることとなる。Img_1805Img_1804 Img_1810 
 



 ここから先は何となく里が近いぞという感がしてくる。途中奇妙なものを見つける。といっても私には見慣れたものだが、キヌガサダケの残骸である。溶けて無くなってしまうキヌガサダケがなぜこの時期にあるのか不思議でしょうがない。我が家に出るものは7月ですっかり姿を消しているのにだ。Img_1811Img_1812   

尾根が左に廻る辺りに、君尾山へという道標に合う。その道が本来の修験の道なんだろうが、荒れていて行けそうにもない。もう少し下ると右に神谷(こうだに)へ下りる道もあった。これはなんとか行けそうだ。そうこうしているうちにぽっかり日置谷の林道に出て、上林小学校の下に飛び出す。
 観光センターで下山確認の届けをして、同日行われている文化祭を見に行く。サーキさんが尺八の演奏をされているというので会場に行くと丁度演奏の真っ最中だった。膝が笑う直前だったので、綾部温泉に浸かって帰る。帰るとサーキさんのおみやげの焼き鳥が待っていた。いやービールと焼き鳥のうまいこと。

今日のじょん:今年は熊出没もさることながら、イノシシの害も例年よりきつい。じょんの散歩ルートの念道橋の手前土手は道が崩壊するほど掘り起こされている。さすがのじょんも呆れかえっている。Img_1823 

 
 

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弥仙山に登る 11/23

2010-11-24 | 山・峠

2010.11.23(火・祝)雨

  弥仙山、改心の道を歩くイベントが例年23日に行われているのだが営業日で参加できなかった。今回火曜日の定休となったのでさっそく申し込んで参加した。「改心の道」遊歩実行委員会が主催されているもので、弥仙山を回遊するコースと日置谷(へきだに)に下山するコースがある。改心の道とはいかにも私にぴったりの命名だが、実は君尾山に由来する天狗の改心という伝説から来ているそうだ。元々君尾山仁王門から弥仙山につながっている道のようで、修験の道だろうと思う。
 中上林の観光センターか上杉の総合運動公園に集合し、於与岐の弥仙山登山口にシャトルバスで送ってもらうこととなる。会場では豚汁やぜんざいなど出発前の食事も充分である。Img_1795

会場で焼かれていたイノシシ。


タイム
弥仙山登山口スタート 9:26
於成神社石段下    9:57~10:05
弥仙山頂        10:40~10:47
日置谷コース分岐   11:37
元権現跡        11:54~12:11 昼食
日置谷着        13:15

於与岐も弥仙山も行ってみたいと思いつつ機会が無かったところなので、きょろきょろと観察する。天気が悪いので陰気に映るが、実は明るい谷だなあという感じだ。会場ではイノシシの丸焼きなんかが焼かれていて、いかにもという感がしたが、出発間際に本物のイノシシが目の前を横切り、なんとも臨場感たっぷりである。すぐに左手に水分神社(みくまり)が現れる、女人禁制の時代には女性はここまでのお詣りとなっていたそうだ。Img_1792

水分神社の右の狛犬は子供を抱いている。これは上林の室尾谷神社と同じだそうだ。


 谷川に沿って紅葉を楽しみながら登って行くが、結構急登で寒い朝でもあっという間に汗ばんでくる。143段の石段下でパーカーを脱ぎ上り詰めると於成神社がある。この神社の祭神は彦火々出見命、木花咲耶媛命の子でいわゆる山幸彦である。山頂の金峰神社には木花咲耶媛命が祀られており、水分、於成、金峰という構図は吉野の山上岳の縮図と言われている。このことは弥仙山が修験の山であることを如実に表している。
 於成神社を過ぎると谷筋から離れるようになり、やがて植林の道から闊葉樹の道に変わる。風も強く気温も下がるが直登の山道は汗をかくほどだ。頂上に近づくとさすがに寒くなり、ふたたびパーカーを着る。頂上には金峰神社があり、展望も良さそうなのだが、生憎の天気でよく見えないし、寒いので早々に後にする。つづくImg_1799 Img_1800

頂上の金峰神社と展望。


今日のじょん:山から帰ってきたら、ワンワンと鳴いている。どうも不審者と勘違いしたらしい。じょんだけが留守番しているときは絶対に鳴かないから、かみさんと二人で留守番の時はそうなるのかなあ。それにしてもあの尻尾の振りようは、本当に嬉しそうだ。
     

 

 

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新米比べ 11/22

2010-11-23 | 食・レシピ

2010.11.22(月)雨

 綾部市立病院の入院患者で御飯に対し文句が多いのは上林の人だという話がある。意味深といえば意味深だが、微笑ましい話でもある。それだけ上林の人は美味い米食ってるということだろう。
 先日都会から上林にUターンしてきた人がおもしろい話をしておられた。自分自身は上林で就職するまでを過ごしたのだが、これほど上林の米が美味いことを知らなかったと言うのだ。つまり上林に帰ってきても都会時代に食べていた米を注文してとっていたということだ。子供時代には米の味がわからないのかもしれない。私自身も子供時代の米が美味しいとは感じなかったように思う。むしろ、石なんかが多くて嫌な感じを持っていた。
 とにかく上林の米は美味い。しかも都会で買うよりもずっと安く買って、玄米で買って摺って食べるから余計美味いのだと思う。上林の米の美味さは粘土質の土壌と山の冷たい水だそうだ。なるほどと納得するのだが、その実何で美味くなるのかは解らない。きっと人間の味覚というのは複雑怪奇なものなのだろう。上林の米でも美味いのとそうでないのとある。もちろん購入した時期にもよるのだが、その地域、その土壌、水の加減もあるのだろう。とりあえず購入可能なところで最も美味しいと感じた米を購入しているが、先日吉右衛門が食べてみて、自分の作った米の方が勝っていると豪語した。そこまで言うなら持ってきてよと言ったら、後日おしゃれな袋に入れて持ってきた。Img_1788 早速食べると、確かに美味い、ねばりがあるのだ。専業農家で米作りのプロが作った米と、今年初めて何も知らない素人が作った米と勝負して、素人に軍配が上がった。田んぼも違えば製法も違うだろう、天日干しとコンバインの違いもあろうかと思う。そんな論議をしているときにひょんなことから魚沼産のコシヒカリが手に入った。魚沼産コシヒカリなんていうと、生産量より流通量がずっと多いそうだ。つまり偽物が横行しているようだが、今回のは現地の人から購入したとかで、本物だそうだ。噂に聞く魚沼産コシヒカリを食するのは生まれて初めてのことである。期せずして三つの新米、品種は同じくコシヒカリを食べ比べる機会が出来たわけだが、まず米の状態を比べてみよう。今年の米は白っぽいところが多いと聞く、確かにどの米も多い。粒の大きさはどれも変わらないようだけど、黒いのが混じっていなくてきれいなのは魚沼産、そうでないのが上林の二種なのだ。Img_1787

 左から、上林引地産、新潟魚沼産、上林小田産


 ところが炊いてみると魚沼産のは妙に粒が小さい、そして食感が悪い。ここで御飯の美味さとは味覚だけでなく、膨らみ方などの炊きあがり具合、つまり食感も大いに影響するものと気づく。よく寿司の美味さはしゃりにいかに多くの空気を含むかなんて言われる。いやあ御飯の味は奥が深い、今回の味比べ、上林産に軍配を上げたい。

【作業日誌 11/22】
畑にセンサライト設置

今日のじょん:朝のぽんぽこぽんにジャンプをプラスして、ぽんぽこジャンプを教えている。ボールを咥えて、丸太越えをして帰ってくるという高等な技だ。人が居て誘導すれば出来るが、勝手にやらすと出来ない。根気よく教えるっきゃないか。Img_1567 この丸太をジャンプして帰ってくれば合格なんだが、、、。

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大唐内のこと(12) 想像の大唐内 11/21

2010-11-22 | 歴史・民俗

2010.11.21(日)快晴

 大唐内(おがらち)という難解地名を解明し、古代の大唐内がどのような地であったかを明らかにすることが私の目標であり、亡くなられた土井さんとの約束を果たすことである。土井さんに奥上林村誌を戴いたのは昨年の夏である。この間様々な本を読み、様々なところへ赴いた。小さな一集落の歴史を調べるということはその地域に関する書物を読むだけでなく、日本の歴史、アジアの歴史、文化、民俗、人類学、言語学、地質学などあらゆる本を読む必要がある。何十冊と読んだけれどまだ未読のものも何十冊とある。地名を探るということは、その地の古代を探らなければならない。古代のことは文書には残っていない。伝承、伝説、神社仏閣、地名、言語などあらゆる状況証拠を集めて仮説を立てる。そしてその仮説に基づいて直接的な証拠を探すというのが常套手段だろうと考えている。そのために、大唐内以外の若狭のことや、鬼の伝説など回りくどく書いているところである。それは大唐内のことが(30)ぐらいまで続く予想である。そしてその後に仮説を発表したいと思っていたのだが、頭の中ではある程度の仮説は既に出来上がっており、それは仮説というより想像といったほうがいいものだ。それは早々に発表すべきものではないと考えていたのだが、ある事由で今ここで恥を忍んで書いておきたい。Img_1732

聖神社横から三国岳、胡麻峠方面を望む。

 「古代の大唐内は銅の産出地である。その技術を持ち込んだのは若狭の海人族であり、三国岳周辺の峠を越えてその文化は移入した。やがて大和朝廷の後押しをされた上林川中流域の金属集団にとってかわられた」というのが私の想像だが、後半部分は状況証拠しか見つからないだろうが、銅の産出地であることはひょっとしたら証拠が見つかるかもしれないと思っていた。そこへ今日ある情報が飛び込んだ。
O:「W辺さん、大唐内に鬼の岩屋というのがあるのをご存じですか」
W:「いや知らんなあ」
O:「なんか岩穴とか洞穴とか無かったですか」
W:「昔、黄銅鉱を掘ったという穴はあるで」
O:「昔ったって大昔ですか」
W:「いやそんな昔じゃなくて、100年ぐらいとか聞いてるけど、、」
O:「そこへ行けますか?」
W:「随分前に行ったのだけど、行けるで。随分小さな穴やったけど」
O:「そういう採掘があったことは古文書などに書いてあるんですか」
W:「いや、無いと思う」
O:「それはどの辺りになるんですか?」
なんて会話があって、熊出没の時期が終わったら連れて行って貰うこととなった。
 黄銅鉱、採掘の年代などは錯誤があるかも知れないが、とりあえずかつての坑道があるようだ。なにか自分の想像した古代の世界に一歩近づいたようで、これほど嬉しいことはない。坑道の位置さえ知っておれば、いつかはそこで何が採掘されていたか確認できる可能性がある。いくら状況証拠を集めても、いくら立派な仮説を立てても、具体的な直接的な証拠が無ければさみしいものである。つづく
(大唐内のこと(11)は2010.11.18)

今日のじょん:日に日に霧が濃くなって、今日は今までで最高に濃いい。そろそろ河原に下りて鉱石探しをしたいのだが、ちょっと気味悪い。Img_1786
とにかく河原は獣の運動場になっている。


 
 
 

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じょんのびファーム’10秋 11/20

2010-11-20 | 違いのわからん農学士

2010.11.20(土)快晴

 じょんのび園芸部長が仕事出来なくて、ガーデンはえらいことになっている。雑草は生えたまま枯れ始め、木枝は伸び放題で剪定されず、もうこの冬はなるようになれという感じだ。来春からカムバックできればまあいいか。先週訪れたお客さまが「自然の中って感じでいいわねえ」とおっしゃっていた。思えばガーデニングとは超人工な訳だ。今日はチューリップを30球あまり植え付ける。やる気はないのだが、おみやげに戴いたのでやるっきゃない。
 ファームの方も手が回らなくて大変だ。それでも勝手に育ってくるので、収穫はしなければならない。

 生姜の収穫:猛暑の間の世話の甲斐あって豊作、半分の1Kgを紅生姜にすべく加工中。残りの半分はおがくずに保存しながら早急に食する予定。一本だけ土中に残し、ビニールでも掛けて保存実験する。多分駄目だろう。また、生きている種生姜も土中に返し、どうなるか試してみたい。来年生えてきたらびっくりだ。Img_1778

収穫後半戦の生姜、隙間の土は歯ブラシで落とす。 


 大根、白菜、人参:秋冬野菜の三種の神器、大根は適宜収穫中、白菜も結球し始め来週ぐらいから食べられそう。問題は人参だ、人参はここ2年間失敗している。播種が遅かったり、間引きしなかったりでまるで育たなかった。今年こそという思いだが、他家の畑より生育が遅いようだ。Img_1772_2
Img_1773
三種の神器、手前の畝は赤玉葱植え付け。



 ネギ類:九条ネギは毎夏干しネギにし、今年で3年目だ。育ちが悪い上に味が悪い。他家の畑を見ていると全然育ちが違う。野菜名人に聞くと、肥料をどんどんやればいいということだったが、やってもあかん。土もしっかり苦土石灰やって改良しているのだが。最も簡単なはずのネギがうまく行かないのは違いのわからん農学士のプライドに関わる。なんとかクリアしたいものだ。その他のラッキョウ、ニンニク、ワケギなどは順調だ。そして初めて赤玉葱を植え付ける。Img_1777

九条ネギ、なちゃけないったらありゃしない。


 採種:オクラ、プッコチの採種する。鷹の爪の播種が遅くて育ちが悪く、採種できないのが残念。

果樹:一年柚子が三年目に成った。諦めていただけに嬉しいものだ。庭木の剪定は出来そうにないが、梅の剪定だけはなんとかしなければならんだろう。

きのこ:昨秋は化け物椎茸が出て大騒ぎだったが、今年は気もない。猛暑で菌が死滅したのだろうか。代わりに諦めていたなめこが出てきた。よく解らん。Img_1774

なめこ汁楽しみ~。


 今日のじょん:ストーブの加減で、夜は暖かくうらめしじょんとなって寝ているが、朝は鍋ネコじょんになっている。Img_1553


これ、鍋ネコじょん(10.16)







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上林探訪 古和木 11/19

2010-11-20 | 日記・エッセイ・コラム

2010.11.19(金)快晴

 定休日の今日、あれもしようこれもしようと秘かに計画を練っていた。必ずやらなければならない仕事、つまり銀行に行ったり、買い物をしたりが終わるともう正午になっている。朝からもの凄い霧で、好天が予想されていたが、果たしてこの秋一番の快晴で、家の仕事なんかやってられない気分だ。Img_1750

霧の中、走っておりやす。


 と言うわけでかみさんの気分転換も兼ねて紅葉を愛でに行く。じょんのカレンダー用写真を撮る必要もあり、紅葉なら今日が最高で、最後だろう。昨日ヒッキーが「古和木はきれいやで、白山スーパー林道みたいやで」とおっしゃっていたので、白山スーパー林道は行ったことがないのだけど古和木に行ってみることにする。
 昨年7月古和木の地名に関して、古和木=強木説を書いて、自信を持っていたのだけど最近少し疑問を感じている。それは強木説の根拠はくれ屋根、くれ葺きといってかつての上林の家屋の主流であった、くれ(栗板)つまり強木の主産地であったということと、強木谷という谷があるというだけのものだからだ。最近川上のことを調べる機会があり、古和木から川上に抜ける菅の坂を越えたところに小脇谷(こわきだん)というのがあり、その下流に古和清水(こわしょうず)というところもある。そして頭巾山の許波伎権現も若狭の国に関連があるようで、単純に古和木=強木とは言えないような気もしている。ただ、寛政11年の丹波国図には強木村と記述されている。
 それよりなにより、一度も訪れもしないで地名考証をしたのは失礼なことであった。
 八代(やじろ)までは行ったことがあったので、それより奥は初めての体験である。上林の村々の道は相変わらず細い。対向車が来ないかとヒヤヒヤしながら進む。古和木の第一印象は思ったより谷が開けているということだ。古屋や市志の谷に比べ開放感を憶える。そして上林下流域に住まいする者にとってうらやましいことは、川が美しいことだ。これは奥上林、或いは上林川の支流域にとってかけがえのない財産だと思う。
 紅葉は白山スーパー林道には劣るかもしれないが確かに美しい、ただその美しさは全体的なものであって、カレンダーにしようかというポイント的な場所が見つからない。家が途切れたところまで行って、まだ奥に家があるのか聞くと、その場所が最奥だと言われた。このことはとことん奥まで居住している上林の中では意外な感じがした。まだ川幅は広く山は相当深くまでありそうなのだ。ただ、道路は急激に細くなっており、工事のミキサーカーなどが頻繁に行き来しているので、ここまでにしておく。Img_17591
 
ここまで行ってきた。


写真を撮ったり、川に下りて岩石を調べたり、I藤さん宅を見たりして帰路につく。帰りに大岩の滝はいかがなもんかと見に行く。水量もあって紅葉もまずまず、カレンダー候補はこちらかな。Img_1768

大岩の滝

【作業日誌 11/19】
赤玉葱植え付け
生姜残り収穫
紅生姜作り(梅酢漬け)

今日のじょん:本文中につきお休み。

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大唐内のこと(11) 11/18 鬼伝説

2010-11-19 | 歴史・民俗

2010.11.18(木)曇

 丹波の鬼退治といえば大江山の酒呑童子である。大江山には日本の鬼の交流館という博物館があり、鬼に関する様々な研究や催しを行っている。今般「福知山の酒呑童子伝説」という冊子を発行され、来館者に配布されているという。酒呑童子伝説は著名な伝説で、金太郎とともに絵本や親の物語で聞いて周知のところである。ところが、丹波(かつては丹後も丹波であった)には他にも鬼退治伝説が残っている。それは同じく大江山の麻呂子親王伝説や舞鶴青葉山の玖珂耳之御笠(くがみみのみかさ)伝説である。これらは酒呑童子のようないわゆる鬼ではなく、悪鬼とか強賊とか言われている。これらは大唐内における大蜘蛛と同様のものと私は考えている。
 最も古いものと思われる、玖珂耳之御笠から考察してみたい。
玖珂耳之御笠伝説については、たまたま上杉の八坂神社を訪問してその由来などを調べている際に初めて知った伝説である。(2010.5.10,11、ハメ考参照)
古事記、崇神天皇の条に

「日子坐の王をば、旦波(たにはの)国に遣して、玖珂耳之御笠を殺さしめたまひき」とある。
 また、丹後風土記残欠本に

「古老伝曰 当于御間城入彦五十瓊殖天皇(崇神天皇)之御代 当国青葉山中 有土蜘 曰 陸耳御笠 者而其状賊 人民 故日子坐王奉 勅而伐 之」
とあり、陸耳御笠という土蜘(つちぐも)が丹波の青葉山中に住んでいたということである。Img_1699

 
日置峠から青葉山


 
上杉の八坂神社の由来によると、
「崇神天皇の十年秋、丹波国青葉山に玖賀耳という強賊がいて良民を苦しめるので、勅命を受けた日子坐王・丹波道主命が軍をひきいてきたところ、丹波国麻多之東において毒蛇にかまれ進むことができなくなった。時に天より声があったので、素戔鳴尊ほか三神をまつったところ験があって病がなおり、首尾よく賊を平げることができた。帰途、この地に素戔鳴尊と諸神をまつったのに由来するというのである。(飯宮由来記)」
綾部市史上巻
Img_4460  
 
上杉の八坂神社


 これらの伝説はどういうことかというと、「丹波の青葉山中に玖珂耳之御笠という大和朝廷に服従しない首長がいて、朝廷の遣わした将軍に滅ぼされた」ということであろう。では玖珂耳之御笠とはどのような人物なのだろうか。つづく
(大唐内のこと(10)は2010.11.15)

今日のじょん:今日もじょんはうらめしじょんとなっている。どうもストーブを炊きはじめて室温が上がっていることが関係してそうだ。

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初火入れ2010 11/17

2010-11-18 | 日記・エッセイ・コラム

2010.11.17(水)曇

 本日初めてストーブを炊く。2008年が22日、2009年は18日が初火入れなので、年々歳々早くなっている。気温が下がっているというより、歳とって寒がりになっているという方が合ってるみたい。ちなみに今朝の外気は3℃、室温は14℃である。
 焚き付けや炎の調節など長い間やってないので要領が悪い、少しずつ思い出しながらやっていくが、最も心配なのは薪が今年伐採した新しい薪なので果たしてうまく燃えるか否かということである。昨年の薪が一月分ぐらいはあるのだが、木小屋に積んだ際に下になってしまい、当分出てこないのだ。そんなこともあって通常より細く割ってはいるんだが、いかんせん乾燥時間が足りないようだ。Img_1748
 そんな心配をよそに実によく燃える。伐採、運搬、薪割りの苦労が実ったというものだ。遠赤効果だとか何とか言うが、薪ストーブには理屈では言い表せない暖かさがある。石油ストーブや電気ストーブでは決して得られない、全体的な温さがあるのだ。火が消えた後も家中が暖かい、沸いた湯で温める湯たんぽも寒い上林の夜を和らげてくれる。薪ストーブは高価なものだし、メンテナンスも大変で、なによりも薪の調達が大仕事である。しかしそれ以上の効果があればいいわけだ。今日から5ヶ月余り頼りにしている。

  今日のじょん:寒くなってきたら人間どもは弱ってくるが、じょんは元気になってくる。特に朝の疾走は素晴らしく、じょんのび村だからこそ出来ることだと思う。しっかり運動してしっかり食べてくれい。Img_1738

飛んでるみたいでしょ。

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どうする?生姜 11/16

2010-11-17 | 食・レシピ

2010.11.16(火)曇

 生姜の葉が枯れてきた、そろそろ収穫時かな。とりあえず一番成長の悪いところをざっくりと掘ってみる。いやいや立派に育っている、この調子だと全部OKだなと思い、半分を収穫する。予想通り大漁大漁と喜んでいる反面、収穫後のことは何も考えていないので手放しでは喜べない。我が家で最も生姜を使うのは夏期の素麺の薬味である。秋に収穫した生姜が翌年の夏に食べられるよう保管方法があるものと思っていた。
 一昨年のこと、殊の外豊作で大漁に収穫できた生姜をインターネットで調べた方法で保管した。某県の農協がいちおしで勧めている方法で、気候的にも同様と思われる農協なので採用した。発泡スチロールの箱に砂を入れ、その中に生姜を入れて土中に埋めるというものである。念のために収穫をせずに雨除けをかけるという方法もやってみた。上等な部分はそうして保存し、端に残った部分や育ちの良くない部分を紅生姜として漬けた。翌春、おもむろに土を掘り返してワクワクしながら箱を取り出すと、なんともかんとも、全ての生姜が腐っていた。直接土に残したものも同様である。半年の栽培の苦労が徒労に終わった瞬間である。Img_2308

情けないったらありゃしない(2009.4.28)


 残ったのは屑生姜で作った紅生姜だけで、これは風味よろしく一年間ほど味あわせてくれた。
 この反省を活かして、昨年は籾殻保管法を実行しようと、お向かいから怖ろしいほどの籾殻を戴き収穫に備えた。ところが昨夏は冷夏で作柄はさっぱり、保管するほど収穫できず、小さな瓶に紅生姜を作るだけだった。
 今年こそと籾殻を用意し、今日の日が来た。ところがこれまでに生姜の保存法について詳しく調べると、どうも絶望的な様子である。保管温度は14~16℃、湿気ても駄目、乾燥しても駄目だって。低温多湿の上林では到底不可能である。スライスして冷凍とか摺り下ろして冷凍、パウダーにするなんてのもあるが、そこまでするなら買ってきて食べた方がよっぽど美味そうだ。
 というわけで半分は紅生姜にして、残りの半分どうすべえかという難問にぶつかっている。腐らしてしまうくらいなら、それまでに食ってしまおう。夏の素麺時には買えばいいやという結果になった。Img_1742
Img_1745
水洗いして皮をむき、塩をして一晩おく。


 で、さっそく八宝菜に入れたりしたが、なかなか美味い。メニューも検討してみると、しぐれ煮や醤油炊きなど結構美味そうなものがある。
 今日のところは940gの新生姜を紅生姜にすべく下ごしらえを行った。漬け上がったところでレシピを紹介しよう。

【作業日誌 11/16】
生姜収穫半分、紅生姜作り
ガーデンシェッド、床板切り

今日のじょん:散歩や食事など、かみさんがじょんの世話を少しずつ出来るようになって助かっている。何から何までやっていると、一日の行動の二割近くをじょんに費やすこととなりそうだ。最初から一人で飼っている人や多頭飼いの人たちはいかばかりかと思う次第である。
Img_1734
枕あそび。


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