晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

今日のじょん 10/29

2017-10-29 | Dog

2017.10.29(日)雨、台風22号

 台風の後遺症と悪天候で盛り上がりに欠けるじょん君、もう体調は戻ってそうだけどイマイチって感じね。
テナわけで来じょんされた元気なわんこたちを一挙公開。

 10月9日  ライム、小次郎、蒼一郎君にサンちゃんが加わって大騒動。(9
.3も見てね)



10月18日 Qちゃん、親子で来じょん、カーイーですね。 

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最悪の週間 10/27

2017-10-28 | 日記・エッセイ・コラム

2017.10.27(土)雨

 それは先週の土曜日から始まった。仕事で出ている時にかみさんから電話がかかる、「コーヒーミルが壊れたみたいで、すぐ帰ってきて、、、」我が家のコーヒーミルは中古で買ったもので、もう10年近く頑張っている。なんでももう廃番だそうで二度と手に入らない代物だ。なるほどスイッチを入れるとすごい音がして、ミルが回らない。やむなくばらしてみると、4cmほどの針金が挟まっている。いやあ参ったなー、仕入れの豆に入っていたのかなあ。何とか取り除いて元に戻し、おそるおそるスイッチを入れてみる。ブーンといつもの音がして、修理完了。一件落着と思いきや、仕事が納期に納まらない恐れが出てきた。このあと台風は来るし、自分の行事も目白押しなのだ。

これが壊れたら商売あがったり、これが災難の序章だった。

 そしてたいしたことは無いだろうと思っていた台風が大暴れして、あちこちが壊れてしまった。既に報告済みだが綾部側の看板が吹っ飛んでいるのも見つかった。最大のトラブルはじょんで、ストレスが原因で胃腸の調子が崩れ、下痢が止まらず夜中に何度も起こされる始末、その上菅坂が通行止めで病院に行けたのはようやく昨日のことである。
 台風の影響で予定していた26日のウオーキング講習会は延期、28日のBIKEの君尾山林道試走も延期、楽しみにしていた29日の二王門見学会は中止、仕事中にBIKEのトリップメータが故障、どうしても行きたかった国宝展の前期もこの期間に終了してしまった。そしてこの間極めつけの惨事が二件起こったのだが、あまりにも悲惨でおぞましい事件なので公表は差し控えて、心の中に納めておこう。
 いずれにしても、家が倒壊したり、水没したりしたことを思えば些細なことであり、私たちもじょんも元気に生きていることをありがたく思わなければいけない。
 
じょんもなんとか回復。

自慢のウオーキングコースも寸断。

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大荒れの月曜日 10/23

2017-10-23 | 日記・エッセイ・コラム

2017.10.23(月)曇り

 のんきに演奏会などに行ってたら、夜になってえらいことになってきた。実は昼間もホールの中に居たのでわからなかったのだけど、かなり強い雨と風があったらしい。それらが留守番をしているじょんにすごいストレスとなって、夜になっておう吐、下痢が朝まで続いた。雨風も夜通し吹き荒れて、一向に治まらない。かみさんが横について世話していたけれど、都合七回の下痢、おう吐ということだ。 
 朝になっても雨はやまず、外に出てみてびっくり、ポストは倒れて壊れているし、小屋の窓は吹っ飛んでいる、ドッグランどのアーチも倒れ、折れた枝が辺り一面散乱している。こりゃあ、近所も被害が出ているかもかもとばかりに、雨の中を見回りに行く。

 まず、じょんのび入り口の防火水槽に土砂が流れ込みあふれている。この夏、村用で泥を掻き出し清掃したばかりなのに元の木阿弥どころか手の着けようのない被害となっている。流路も一部改良されたのだが、じょんのび側は怪しげな土手で、いずれ決壊しそうだ。

上林川に下りてびっくり、流木が堤防の上まで届いている。水位はかなり下がっているが、一時は堤防の上端まで来ていたようだ。ふと下流をに目をやると、堤防の崩れが見える。堤防が削られたのかと近づくと、首の皮一枚で持っている状態で堤防上の道路は完全に無くなっている。



こりゃ大変とばかりに帰宅して土木事務所に決壊の旨電話すると「上林川、睦合町ですね、伝えておきます」とすげない対応。詳しい場所やこちらの連絡先など聞くべきではないのか。おそらくそこいら中の災害で職員が出払っており、わけのわからん職員が残っているのだろうけど、もう少し職員訓練しとかないといけないんじゃないの?

 

 

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大荒れの日曜日 10/22

2017-10-22 | 文化に触れよう

2017.10.22(日)大雨

 衆議院選挙と台風21号とが重なった日曜日、嵐の中を店を休んでかみさんのピアノ発表会、「大人のための未完成の曲を人前で演奏する会」なるものに出かけた。名のとおり音楽教室に通う生徒さんが一年の練習成果を発表するもので習い始めからセミプロ級までピアノ、ギター、声楽などの成果を発表された。プロの演奏を聴く機会が少なかった今年なんだが、アマチュアの方がこの日を目指して頑張っている姿はなかなかの感動ものである。かみさんも相当緊張していたようだが、それなりに演奏することができてホッとして居るみたいだ。
 台風もあることだし早々に失礼しようと思ったのだが、プログラムを見ると陳曼麗さんがゲスト演奏をされるということで、これは聴かなくては、、、と最後まで楽しんだ。陳さんの二胡演奏はU’sさんで初めて聴いてすっかり好きになったもので、特に今回は中島みゆきの糸が演奏されていて嬉しかったのだ。
 

【今日のじょん】17日キャドックさんに定期の検診に行く。本犬はお仲間が一杯いるので嬉しそうだが、こちとら体の具合がどうかと気になる。幸い血液検査の数値はまずまずで安心するが、薬代や治療費も気になるところで、「じょんゲル係数が高いな~」とつぶやくばかりである。

事前に行ったおおいの芝生広場もチマチマと臭いでばっかし。

キャドックさんではこの嬉しそーな顔。

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骨折発生率「西高東低」

2017-10-21 | 健康

2017.10.21(土)雨

 先日京都新聞に骨折発生率「西高東低」、40歳以上の大腿骨近位部、最大2倍差、食生活が影響?という興味深い記事が掲載された。大腿骨近位部とは股関節に接する部分を指し、骨折すると寝たきりになり介護が必要となる原因となることが多い。全国平均を100として各県別の発生率を表すと、見事に西高東低を示す。女性の場合、兵庫120、和歌山118、沖縄118,奈良116,大分116でベストファイブ。
 男性は沖縄144,和歌山126,長崎126,佐賀124,兵庫121,鳥取121といった数字である。


低いのは秋田(男性63,女性65)青森(男性65,女性68)岩手(男性70,女性68)宮城(男性73,女性71)北海道(男性78,女性75)などと極端な分布を示すのである。最も低いのが秋田の男性で63,最も高いのが沖縄の男性で144と2.3倍の発生率となっている。
 極端な発生率の「西高東低」分布も不思議だが、一般に骨の健康に影響する日照時間などは発生率とは逆の状態であると思われる。記事では原因は不明としているが、食生活が影響しているかもとしている。
 しかしこれほどまでに発生率の差の出る食生活の差というのも考えにくい。分布図を見ていて気づいたのだけど、西日本の中でも発生率の低いところがあって、島根県、鹿児島県がそうである。
 北海道に東北、北関東、西では鹿児島県、島根県となるとこれは遺伝子の問題ではないだろうか。縄文人、弥生時代前期までに海を渡ってきた海人族などのいわゆる原日本人の遺伝子のなせる技ではないだろうか。狩猟採取の縄文人となれば定着農耕民と違って足腰は丈夫なはずだ。弥生時代以後大陸、半島から渡ってきた人種と混血を繰り返すわけだが、上記の地域に元来の遺伝子が色濃く残ったとして不思議ではあるまい。問題は沖縄県である。沖縄こそ海人の遺伝子が色濃く残っていると考えられるのだが、ここでは骨折率がだんとつに高いのだ。若い人なら、車に依存した生活や食べ物の欧米化など原因が考えられるが、40歳以上となるとこういうことも考えにくい。沖縄については狩猟採取でもなく、農耕栽培でもなく、漁労が中心に発展してきたと考えればどうだろう。漁民や船乗りは重労働だけど、歩くということは少ないのではないか。魚類のカルシュウム分も日光によるビタミンDも充分である。骨は丈夫なはずだけど、歩くことが少ないことによって大腿骨周辺の強化がなされなかったと考えてみた。どうだろう。
 

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六道の辻界隈ー5 10/15

2017-10-15 | 上林たんけん隊

2017.10.15(日)雨

 地獄や六道に思いを巡らせている際に興味深い催しが開催されている。龍谷ミュージアムで開催されている「地獄絵ワンダーランド」である。巷では衆院選挙が盛り上がっているさなか、ここでは「地獄オールスターズ選抜総選挙」が行われており、閻魔大王や刀葉樹の女など地獄のスターが立候補している。わたしはもちろん奪衣婆に投票するつもりだが、理由は前回書いたように、実在の人物だと思うからだ。しかしこの時代嘘ばかりついている政治家の舌を抜くのが仕事の獄卒Aも捨てがたい。とにかくこの総選挙はワクワクする。


    立候補者一覧表、衆院選よりおもしろいぞ!

 さて次には南無地蔵の移転先を追うことにする。南無地蔵の三昧(火葬場)は豊国廟(大和大路正面)にその煙がかかるという理由で、建仁寺の西に移転させられ、鶴林と呼ばれることとなる。鶴林(かくりんともつるのはやしともよばれていた)とは火葬場としてはなんともめでたい名前で不思議な感があるが、釈迦入滅の際に沙羅双樹の葉が悲しみの余り鶴の羽のように白く変わってしまったという故事に基づくものだそうだ。豊国神社の創建が1599年と言われるのでその前後のことであろう。その場所は建仁寺の西、京都ゑびす神社の南、旧新道小学校のあたりということである。
 四天の辻子を五条通まで下がり、元来た道を引き返す。珍皇寺、西福寺、愛宕念仏寺跡を西に進み、大和大路を北にとる。ここに姥堂があったのだがその跡も見過ごしてしまった。やがて建仁寺の西門に至り、その向いが廃校となった新道小学校である。田舎でもそうだが都市部においても廃校というのは独特の寂しさがある。その廊下やグランドに走り回る子供たちの姿が浮かんで来る。

 四天の辻五条、建仁寺西の大和大路、旧新道小学校
 恵比寿神社だってかつては雑然とした子供たちの遊び場だったのだろうが、今は誰一人居なくて整然とした境内がかえってむなしい。恵比寿神社だけに、金儲けに血道を上げた名士の寄付金の石柱が並んでいる。大会社や著名な方々も並んでおり、しらけるばかりである。南側にあるはずの鶴林の跡が覗けないかと思ったが、建物が並んでいて展望がきかない。やむなく旧新道小学校を東から南に回り、西側を上っていく。八坂通りから団栗通りまでのこの道が新道らしい。やがて門扉の向こうに小学校のグランドが見えてきた。このあたりが鶴林の火葬場跡のようだ。門扉の間にカメラを突っ込んで、何でもないグランドの土を写す。


    恵比寿神社、旧新道小学校の門扉とグランド

 火葬場と言ったって、当時はたいした建物もなく、野原の中の現場のようなものだろうが、都の数少ない火葬場だけに、昼夜煙の絶えない活気のあるものだったのだろう。鶴林はその臭気と煙がもとで、最勝河原(三条西土居通り)に移転することになるのである。

 
 

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六道の辻界隈ー4 10/9

2017-10-09 | 上林たんけん隊

2017.10.9(月・祝)快晴

 古地図を眺めていると珍皇寺の東に下河原という地名がある。音羽山から流れ出た水が珍皇寺の北を流れ、建仁寺の北から鴨川へ流れ出ている。これが三世川といわれ、いわゆる三途の川(さんずのかわ)の原型なのではないだろうか。また、「六道の辻をあるく」(加納進著)に姥堂跡の記事が見える。元々松原通大和大路東北角(をば坂の起点)にあり、運慶作と伝えられる三尺の奪衣婆(だつえば)座像が知られ、姥堂(うばどう)と呼ばれたそうだ。奪衣婆とは三途の河原で亡者の着物を剥ぐという。「餓鬼草紙」の墓地の絵を見ていると遺棄された屍体が着物を着たものと裸のものとが見られる。中世の遺棄葬では着せた着物が、いきなり何者かに剥がされるということがあったようだ。さすれば三途の河原の奪衣婆は現実の墓地の様子を表していると考えられる。
 こういったことからあの世に行く前の三途の河原の風景は、六道の辻のあたりの墓地の風景をそのまま表したものではないかと考えられる。「日本中世の墓と葬送」の中に、「餓鬼草紙」の場面は珍皇寺門前ではないかという民俗学者高谷重夫氏の説を載せられている。地獄だとか六道という世界がいつの世に生み出されたものかと「地獄の思想」(梅原猛著)を読み返してみるとやはり平安期、「往生要集」源信のあたりではないだろうか。さすれば三途の河原のあの風景が現実の六道の辻あたりの葬地の様子から作り上げられたと考えて良さそうだ。
 それにしても洛外の塚や塔婆が立ち並び、遺骨や遺体が累々としていたこの地に平正盛に始まり忠盛、清盛が邸を構えるようになったのはなぜだろう。怨霊や祟りに怯えていた貴族と違い、武士としての豪気な一面がそうさせたのだろうか。後の六波羅探題にしてもそうである、洛中に居しないのは天皇と侍という一線を画した立場なのであろうか。

珍皇寺門前、西福寺門前

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