晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

西国三十三所徒歩巡礼二日目-2 10/13

2023-11-20 | 徒歩巡礼

2023.10.13(金)曇、晴れ  越すに越されぬ七廻り八峠
 路地を南に下がって、大手川を渡り東に進む、宮津駅の南の踏切を渡り適当に東進すると府道45号線(宮津舞鶴線)に出る。皆原で分岐道となり、府道は左に、右は旧道らしい。右を行くと川沿いの道となり、細くていかにも街道らしい道となる。直線的に登る旧街道を府道はうねうねと曲がりながら頭上を走っている。車を走らすため傾斜を緩くしているのだろう、歩くには旧道が最適。最後には府道に合流するのだが、この辺り大きくて立派な家が並んでいるが、いずれも空き家のようで物寂しい。緩い傾斜の道を歩いて行くと、山中との村境だろう、妙なわらの作り物が電柱にぶら下がっている。
  元々綱にぶら下がっていたのは海老のようだ。右手に綱の残骸が残っている。
 その向の岸(斜面)に藁綱の切れ端が残っている。「こりゃ奈良では勧請縄(かんじょうなわ)というて、村境の魔除けや」と津田さんは言う。村境の道に注連縄(しめなわ)を張渡し、草履や蛇、龍、海老や蛸など海産物の藁人形をつり下げ、村に侵入する疫病や、悪霊を防ぐおまじないで道切りというそうだ。(民俗学辞典)そういえば電柱に下がっているのは海老のように見えるし、岸の綱は蛇のようにも見える。九州だったろうか、村境に巨大な草履があったのもこのたぐいだろうか。いずれにしてもこんな風習が残っているのはとても楽しい。
 しばらく行くと、左手に道標やら六地蔵やらのある辻に着く。右に行くと和泉式部の墓、左に行くと栗田(くんだ)小寺に行く。ここでお昼とする。お地蔵様はきれいに化粧されて地元の信仰の厚さを感じる。
  六地蔵と道しるべ
 道標は一つには「右まつのをへ」とあり、この道が西国巡礼道であることを示している。もう一つは「右大川 左〇〇田」とある。大川とは府道が由良川に出る辺りで、大川神社がある。〇〇田はおそらく「くん田」で、これが今日目指す道である。栗田へはもう一つ先の新宮から脇に出る自動車道があるのだが、遠回りだし面白くなさそうなので、この道を行こうと思っている。
 西国巡礼道は寛政三年の巡礼地図では栗田~七廻り八峠~由良~中山~田辺(西舞鶴)となっているが七廻り八峠が難所のため、山中から板戸峠を越え大川に出る道が使われたのではないか。従って小寺から山中への道は栗田から七廻り八峠を通らずに行くエスケープルートとして使われていたかもしれない。
 西国巡礼に使っているガイドブックは心空さんの「西国札所古道巡礼」「西国三十三所古道徒歩巡礼地図」、加藤淳子さんの「街道を歩く西国三十三所」の三冊なんだが、巡礼地図は大川への道、府道45号線を通っており、徒歩巡礼では奈具の海岸沿い、国道178号線を通り、街道を歩くはわたし達の通った道を試みているが、通行不能として新宮から脇の自動車道を利用し、奈具の海岸沿いを歩いている。そして両人とも七廻り八峠は通行不能としているのだ。
 三冊のガイドブック、どれも徒歩巡礼を旨としていて素晴らしい。
 今回の巡礼コースに参考となるのは、加藤さんの「街道を歩く」なんだが、というよりはそれによって今回のコースを決めたという方が真相である。加藤さんは46歳の時初めて谷汲山の巡礼道をご主人と一緒に歩かれ、ご主人が亡くなられても単独行で64歳で全コースを終了されている。巡礼道、旧街道に従って歩いておられることと、日帰り、一泊程度を単位として歩かれていることが丁度わたし達の巡礼と合致しており、地図や写真もふんだんに取り入れられていることから重宝している。ただ「西国観音めぐりは歩いてこそ!」と言っておられるのだが、車が多いところ歩きにくいところなどバスなど交通機関を利用されたりされているところは残念である。また、古道など見落とされているところや発見できずに断念されているところも多く、女性の一人歩きでやむを得ないところもあるが少し物足りない。
 山中から小寺の山道も加藤さんは途中で道を見失い引き返し、新宮からの舗装道(府道603号)を利用し、脇に出ておられる。彼女は柳田国男氏の「北国紀行」に山中小寺間の道を通ったとあるのでチャレンジされたようだ。
 さてわたしたちは順調に進んだが、加藤さんが迷った送電線の下あたりでやはり道を見失った。
   
左:送電線下の踏み跡 中:林道に降りる 右:海が見えるとなにかうれしい。
 どうも西の方に踏み跡を辿ったようで、怪しいと思い元の位置に戻りあらためて踏み跡を探す。ブッシュの中にそれらしきものを見つけえいっとばかり進むと踏み跡が続いている。獣道に毛の生えたような道だがなんとか下っていける。蜘蛛の巣と倒木との戦いで、面白くもなんともないがやがて左下に林道が見え、ほっとする。適当なところで林道に降り、しばらく行くと視界が開け、いつものことながら黄泉国から生還したような気分になる。とここまで言えば、読図も完璧でルートファインディングもバッチリと見えるが、じつは何を隠そう地図アプリに頼りっきりで、これが無ければ加藤さん同様送電線の下で尻尾巻いていただろう。このことは往年のアルピニストとしては情けなくもあり、不安なこともこの上ない。五万図とコンパスは持ってはいるがザックから出したことは無い。
 人里に降りてきて、生協さんのトラックにあう。「ここはなんと言うところですか?」「くんだですよ」「・・・・」
栗田のどこか聞きたかったのだが、、、、。つづく
 
 
 
 
   

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丹波西国道中記・五日目-3

2023-11-10 | 徒歩巡礼

2023.10.31(火)快晴 「納経朱印がもらえない」
補陀洛山観音寺跡~岩戸寺

 《経費》
交通費 バス代490円 電車代240円 車謝礼500円 駐車料100円 計1、330円
賽銭等 朱印代600円 入山協力金300円  計900円  合計2,230円

 第八番(廃)補陀洛山観音寺跡 丹波市春日町黒井
   興禅寺の下の道を市島方面に200m、天満神社隣忠魂碑の広場に寺跡の石碑あり。

 英樹君の横に寺跡の石碑あり 
 補陀洛山観音寺は廃寺となり、昭和41年に倒壊した。江戸時代の中期に三十三所に参入したとあり、高山寺と共に第八番となっている。今日まで九寺を巡り来て、二寺が廃寺となっていたのは淋しい限りである。ガイドブック(丹波国西国と御詠歌・志保美円照著)では以降四ヶ寺が廃寺となっており、無住の寺は数多くある。わたしが子供の頃は何処のお寺にも住職がいて無住寺、廃寺などと言うのは見かけなかった。日本はこの間劇的な経済発展を成したわけだが、お寺に関してこの現状はいったい何なのだろう。過疎化だけがその原因ではないのではないか。とにかく廃寺、荒れた無住寺を訪れたときはなんとも空虚で淋しさを憶えるのである。
 観音寺跡について興禅寺で聞いたところ、「下の道から少し入るので、解りにくく見つけられないでしょうね」と言われ、不安になる。ガイドブックには興禅寺の下の道を200m、山側の広場とあるので簡単に行けそうに思ったのだ。注意深く下の道(陣屋町と呼ぶそうだ)を行く、すると山側に小さな祠があり細い道が斜めに上がっている。祠は神社のもののようだがかまわず進んでみると、忠碑碑のある広場があった。ここに間違いない、後から来る二人を呼んで思い思いにお参りする。
 忠魂碑の隣に「補陀洛山観音寺跡」という石標があり、その裏面に御詠歌「さしてくるおちこち人も世をすてて 同じ黒井の 黒染のそで」と石碑建立の所以が記されている。
 元来た道を戻らずに、真っ直ぐ下に下る道を行く。ここは天満神社の参道であり陣屋町の道に出合うところに「黒井の天満神社」という洒落た看板がある。ここから入れば寺跡は入りやすい。
 
 第九番 明燈山 岩戸寺 真言宗 丹波市市島町岩戸 (0795)85-2260
  本尊 千手観音 とこやみの人の心をてらさんと 岩戸の寺に 朝日うつろう
 岩戸寺への道は「丹波の古道」(奥谷高史著)に「是よりかもの庄岩戸寺へ二里小田(多)利村より
北村へ行川あり大水の時は市島へ廻る」とある。北村は喜多で川は鴨庄川であろう。鴨庄川には橋がなくて、市島には竹田川に二本の橋があって鴨庄川の南から北に廻れるってことかなと想像するのは楽しい。わたし達は道なりに下っていき、線路を越えて線路脇を北上多利に出て、小富士山の麓を北東に進み鴨庄川を渡り、岩戸寺に続く西側の道を登っていった。道中は街道の風情は無かったが、観音寺から岩戸寺への巡礼道だろうと思う。岩戸寺への道は小川を挟んで二本走っていて、その間は豊かな田園地帯となっている。細長い扇状地と言ってよいのだろうか、わたしは塩地形と呼んでいる。こういう地形には塩地名が良くあるのだが、地図上では見られない。(株)塩谷牧場というのがマップに載っているので塩谷があるのかもしれない。段々傾斜がきつくなってきて、岩戸寺の石段下にたどり着く。
 山門から本堂まで二百六十有余段という長い石段。
 長い石段の途中にペットのお墓がある。昨今あちこちのお寺で増えてきたが、家族の一員として過ごしてきたペットの安息の地として嬉しいことである。石塔には「一切衆生」とあり、生きとし生けるものすべて、という意味だろう。
  
 さて本堂では作法通りお勤めをし、下の庫裏に急ぐ。お寺に来る手前で、「ご住職はご在宅でしょうか?」と訪ねたところ「先程出られたようです」とのことだったので少し不安でもあったのだ。庫裏は鍵がかかっており、呼び鈴を押しても応えは無い。
   境内に西国三十三所の仏様が祀ってある。
 岩瀧寺の場合は納札所に朱印が用意されており、料金を払って戴けるようになっていたのだが、そのような様子も見受けられない。納経朱印を戴くのが目的ではないけれど、お参りしながらも欠けているのはなんとも寂しい。次回神池寺に行く際に車で来て戴こうと決め、後ろ髪引かれる思いで岩戸寺を後にする。その時間が16時15分、市島駅の電車の時間が17時19分、またしても微妙な時間だ。一人だけなら走ってでも行くのだが三人となるとそうはいかない。
 馬橋、次回はこの橋を起点にしよう。
 その上秋の日はつるべ落とし、歩くほどに暗くなってくる。時計とスマホの地図を見ながら歩くのだが、県道59号線の市島駅の矢印に騙されて大回りしてしまう。道案内は車用のものだったのだ。暗闇の中を市島駅に着いたのは6分遅れの17時25分、次の電車まで一時間余り。「駅前にうどん屋でもあったらなあ」一昔前ならいろんな店があったのだろう、ここでも経済発展っていったい何なのだろうと悲しくなる。
 「今日は遠回りしたおかげで30Kmをクリアしたやろなあ」実はわたし自身巡礼歩きを何回もしつつ、日に30Km以上歩いたことは無いのだ。トレーニングで30Kmを走ることはさほどしんどくもないのだが、30Km歩くことがこんなに大変なことかと感じていたところである。「残念~あと300m、歩いてくるかい」ハンターズムーンというのか大きなお月様が笑っていた。合掌

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丹波西国道中記・五日目-2

2023-11-06 | 徒歩巡礼

2023.10.31(火)快晴 「納経朱印がもらえない」
天王坂~興禅寺
大梅山 興禅寺 第八番(廃)補陀洛山 観音寺跡管理寺 曹洞宗 丹波市黒井町
 興禅寺は丹波西国札所ではないのだが、廃寺となった補陀洛山観音寺の管理をされている。
 春日局(徳川家光の乳母)誕生の地とされている。黒井城の下館として、堀や石垣に面影を残している。

 高山寺から興禅寺へは由良峠と天王坂の二つのルートがある。由良峠は山道で魅力なんだが、天王坂は舗装道路だが確実そうだ。朝歩いてきた道を戻り、県道7号線を横切り、南由良に向かう道を進む。この辺り広々とした田園地帯なんだが、周囲の山並みが素晴らしい。トレイルランにはもってこいの感じなのだ。実際に大きな大会が開催されたようで英樹君も走ったという。途中から直角に南に折れ県道285号線を行く。自然と天王坂に導かれ、たどり着いた切り通しの峠で一服する。峠は車道の切り通しとなっているが元々は良い峠だったと思われる。分水界五台の径という縦走路となっていて、最初に越えた塩久峠にも繋がっている。この縦走路もトレイルランに使われたようだ。峠で休憩して下りにかかるとすぐに、大石りくの案内看板がある。どこかで聞いた名前だなあと思っていると、赤穂浪士で有名な大石内蔵助の妻である。彼女が里帰りの際、この峠にさしかかったところ急な腹痛が起き、石清水を飲んだところ、たちどころに治ったという。よくある話だが、後にそのことを感謝し石碑を建て、現存しているというからどうやら実話らしい。
  天王坂と五台山へ続く縦走路

  大石りくの案内、下に降りると石碑が祀られている。
 石碑は下方の谷筋に祀られているそうだが、そこが元々の街道だったのだろう。後で地図を見ると谷筋に破線の径が走っている。しまった降りて行くべきだった。面白くも無い舗装道を下っていくと、下りきったところに舟城神社という大きな神社が現れた。「牛の守護神舟城の天王さん」とあり、地名も天王というのがあるので、天王坂の由来がわかる。
 道からは遠く黒井城跡の城山が望める。この山にも何往復もするレースが開催されていたそうだ。あの山の麓に目指す興禅寺があるのだ。
  真ん中に見えるのが城山、道中の六地蔵で一服。
 小学校が見えると興禅寺はすぐ、隣に惣門と参道がある。この惣門は黒井城の門材を使用したとかで、記念撮影をパチリ。
 
 興禅寺は黒井城の下館であったため堀や石垣が壮観である。観音様はいずこにと訪ねると、本堂脇のお堂に祀られており、揃って参拝する。この観音様は元々観音寺(廃寺)にあったものが能勢の観音寺に移り、現在はここに安置されているという。両脇におられるのが観音様と聞いたが、中央におられるのはどうもお大師さんである。「禅宗のお寺にお大師さんが祀られているのは不思議だなあ」と津田さんがつぶやいていたが、後で聞くと少し下にかつて大師堂があり、廃堂の際に預かったということで納得である。納札朱印を戴き、石垣下の春日局庵という休憩所で昼食をとる。時間によっては黒井城跡に登って黒井駅から帰ろうかと話していたのだが、余裕がありそうで岩戸寺まで行くこととなる。つづく
 

  

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丹波西国道中記・五日目-1

2023-11-03 | 徒歩巡礼

2023.10.31(火)快晴 「納経朱印がもらえない」
 西国三十三所と丹波西国三十三所を同時に回って記事を書いていたら、なんとも複雑になって訳が分からなくなってきたので、タイトルを丹波西国道中記に変えることにした。それと道中の記録だけでなくお寺の情報を入れて、巡礼を志す方のお役に立ちたいと考えている。西国三十三所についてのタイトルは従来通り、「西国三十三所徒歩巡礼」とする。
 
 「この歳になってお寺参りするとは思わなんだなあ」
「僕もそうやねん、お寺に出入りしているからそうなったんやろねえ」英樹君と話しながら岩戸寺の長い石段を登っていく。後ろを歩いている津田さんとの出会いも不思議な縁だったが、英樹君とはもっと不思議な縁がある。彼は小学校、中学校の同級生なんだが、中学卒業後は何のつきあいもなかった。二十数年たって、大阪舞洲のトライアスロン会場で、ばったり会った。わたしは審判長をしておりプログラムに照会されていたので訪ねてきたのだろう。同級生でトライアスロンをやってる人物に会うこと自体が不思議だと思ったが、その場は健闘を祝して別れた。以来また二十数年没交渉だったのだが、三和町岼(福知山市)の山中で出会うこととなる。真夏のくそ暑い中、路上で休憩をしていたとき、向こうから真っ黒な顔つきの人物がランニングスタイルで走ってくるのだ。酔狂な奴がいるなあと声をかけると、それが英樹君だったのだ。なんでもトレイルランをやっていて、その世界のその年代ではトップクラスの活躍をしているという。わたしも勧められたが一向に興味も無く、またしても十年近く没交渉となった。そして昨年上林にてトレイルランが開催されることとなり、参加することとなったのだがなにしろトレイルランについてはまるで素人である。英樹君のことを思い出し、連絡を取る。我が事のように喜んでくれ、上林の山や大江山で一緒にトレイニングすることとなった。再々再度の出会いである。
 八十歳まで走ろうぜと励まし合いながら頑張ったのだが、わたしはレース前日体調を崩しDNS,彼も病でリハビリ中となった。そんな時わたしの始めた徒歩巡礼に、一緒に歩きたいと言ってきた。前回の丹波西国巡礼が同行の始まりだが、二十数キロを歩き通せたことが随分と自信に繋がったようで、誘った甲斐があった。彼は庭仕事で真言宗のお寺に出入りしているので、自然と巡礼に取り付けたのかもしれないが、それまではおそらくわたしと同様お寺にも仏さまにも縁の無い人生だったろう。それが笈摺(おいずる)を着て並んでお寺の石段を登っているのは、なんとも不思議な縁というか、不思議な出会いなのである。

2023.0.31(火)快晴
丹波西国三十三所巡礼五日目
 八番高山寺(丹波市氷上町)~興禅寺(丹波市黒井町)~八番補陀洛山観音寺跡~九番岩戸寺
 ※八番は二カ所あり、興禅寺は観音寺(廃寺)の管理寺 

メンバー:小原、山本、津田
タイム :石生駅西口バス停7:31 (バス)      7:55香良口バス停
     香良口     8:00 (徒歩)      9:00高山寺
     高山寺発    9:30          10:50天王坂峠
     天王坂峠発   11:00         12:10興禅寺・昼食
     興禅寺発    13:00         15:55岩戸寺
     岩戸寺発    16:15         17:25市島駅着

 丹波西国の件は伝えていたのだが、前日に津田さんが是非一緒にということで3人の巡礼となった。英樹君の運転で石生駅に着く、道中の戸平峠は彼のトレーニングコースだそうでしかも夜に走るというから驚きだ。バスで前回の最終地点、香良口まで乗車、学生さんで一杯だ。バス道はこれから歩く予定の道で、狭かったり車がやたら多かったりする。香良口を出発し、狭い歩道を縦になって歩くが、車道はひっきりなしに車が続く。途中分岐した旧道に入るが、すぐに新道に合流する。たまりかねて加古川u右岸の農道を歩く、風情はないが車は通らず歩きやすい。
 「丹波が謎であるのは霧が深いせいだと思う、、、」春木一夫
先程のバス道に出る、これは巡礼道である。
県道109号線に入ると「高山寺」の案内看板も出てくる。右手の石塔がある路地を入ると自動的に高山寺に着く。
 第八番 弘浪山 高山寺 真言宗 十一面観音 丹波市氷上町常楽
 その名も高山寺へめぐり来て 身のおいずるをぬぎてこそおけ
 弘浪山の頂上近くに建っていたが、昭和35年に現在地に移転、参道の紅葉は季節には素晴らしいだろう。唐破風の庫裏は特徴的で、仁王門は彩色鮮やか。
   
石畳の長い参道は両側に灯籠が続き、紅葉のトンネルとなっている。今は青々としているが季節には素晴らしい風景となるだろう。本堂でお参りして庫裏で納経朱印を授かり高山寺を後にする。つづく


 
  

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