晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

別所探訪(28) 菟原中-27 10/29

2012-10-30 | 歴史・民俗

2012.10.29(月)雨、曇

 別所探訪シリーズ菟原中がこれほど続くとは思わなかった。むしろまだまだ謎が拡がり永遠に解明できそうに無い。歴史なんてのはそういうものだろう、これで解明できたろうと思ったら新たな謎が湧いてきたり、とんでもない勘違いだったりするものだ。
 幸い学者でもなく、専門の研究者でもないので紆余曲折しながら取り消したり、訂正したりしながら、少しずつ真実に近づいていると思っている。
 それにしても謎解きというのは心躍るものである。本を読むだけでは謎は解けないし、現地に通うだけでも謎は解けない。それプラス発想力とか想像力とかが必要である。一番大切なのは、謎を謎だと思うこと、謎を解明したいと思うことだろう。
 先に四つ留や間歩の事を書いたときにはたと気づいたことがある。石見銀山を訪れたときに唯一坑道が公開されている間歩を訪れた、それが龍源寺間歩である。Img_4451
 
龍源寺間歩、四つ留。




龍源寺間歩は代官直属の間歩の一つで、規模も大きく産出量も多かったのだろう。
菟原中の龍源寺を訪れていながら、この間歩の事については思いに至らなかった。Img_4460




龍源寺間歩内部、壁は角礫凝灰岩ということだから、案外軟らかいのだろうか。

龍源寺というお寺と石見銀山の間歩とどう関係があるのだろう。他の著名な間歩については概ねその名前の由来がわかるのだが、龍源寺間歩だけは解らない。近隣に龍源寺という寺院も見当たらない。
 石見銀山資料館に電話して聴いてみる。
「龍源寺間歩と龍源寺というお寺はいかなる関係ですか」
「江戸時代からそのように呼ばれているだけで理由は解りません。龍源寺が資金を出したという風にも考えられますが、根拠になるものはなにもありません」
「龍源寺というお寺が近隣にあるのですか」
「近隣にはありませんが、川本町にあります。そのお寺と銀山に係わる資料はありません」
 という事だった。つまり関係は何も解らないということだが、あまりに即座に回答があったのでこのことについての質問が結構あるのではないかと勘ぐっている。
 川本町というのは島根県邑智郡川本町で、銀山の南15Kmあまりの川下というところに龍源寺はある。現在臨済宗東福寺派の寺院である。江の川沿いの町で石見銀山街道のすぐそばにあり、出雲の産鉄地帯である。しかしわかるのはこれだけで、銀山との関係は不明である。
 全国各地の龍源寺を探ってみるが、共通項は禅宗と言うぐらいで、鉱山と関わりがあるというようなことは読み取れない。
「別所地名事典」に「竜源寺(ママ)が金昌山という山号をもっていることも、故無しとはしないのである。」と記しているが山号というものが実質的な意味を持つものなのかも解らない。とにかく石見銀山の龍源寺間歩と龍源寺が如何なる関わりかは謎のままである。P1020738 つづく




菟原中、龍源寺。鉱山との関連はあるのだろうか?。


【晴徨雨読】90日目(2006.10.29)二本松~郡山
 幹線道路4号線のつまらなさに飽きて、阿武隈川沿いの県道を走る。車は少ない、景色も良いそのうえ遺跡や石仏なども揃っていて楽しい。難点は時々道に迷うことだ。Img_1510 Img_1515 Img_1511






高木遺跡敷石住居跡(縄文時代)、馬繋ぎ石、水神など人知れない遺跡が目白押し。


【今日のじょん】:鍋の季節がやってきた。じょんが鍋好きなのはお知らせ済みだが、実は鍋に入れるうどんが好きなのである。どんなに長いのでも上手に食べるので、画像にアップしておけばうどん県のCMに使ってくれんかなあ。

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YouTube: うどん犬


 




 

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別所探訪(27) 菟原中-26 10/28

2012-10-28 | 歴史・民俗

2012.10.28(日)雨

 もうひとつ驚くべき話を西山さんから聞く。
 府道を友渕方面に行くと右手に大師堂があり、その上に金堀谷という谷があり銀が採れたという。竪坑で竹木が生い茂って行けないかもしれないが、坑跡があることは確からしい。伝説とは言え空海を祀る大師堂、金堀谷の地名があり、竪坑跡があるというのは捨て置けない情報である。
 そして村に伝わる伝説として、将来村が衰退して家が七戸になったらあるところを掘れ、というものがあるそうだ。これはよくある話で、高野山の金剛峯寺であったろうかそういう伝説があるそうだ。
 実際に金銀が産出したか否かは別として、この地帯が古代において密教系の山伏による試掘、採掘が行われたものと想像する。
 白蛇伝説の権現堂も含めこれ等の遺跡、坑道跡を訪ねるとともに鉱脈としてのこの地域を調査したいと思っているが、上流の友淵はさらに数多くの金属地名と思われるところがあるので確認してみたい。P1030182
 
 


白蛇伝説の権現様は友渕川左岸の馬船の森の中にあり、こちらからは行けない。
高杉で左岸に渡り、川沿いに下って行くそうだ。権現様の辺りが馬船口というそうだ。


友渕川周辺が鉄、非鉄に係わらず金属地帯であるとすると、馬船はやはり金属関連の意味があるのかも知れない。

馬船=間歩嶺、つまり坑道のある山という考えが再浮上してくる。
 坑道全体を間歩といい、坑道の入口は四つ留(よつどめ)、鋪口(しきぐち)、釜の口といわれる。鳥居形に組まれた栗の木の支柱から四つ留と呼ばれたそうだが、佐渡金山や石見銀山の大きな間歩ではここに四留番所がおかれ、鉱夫や鉱石の管理をした。この四つ留に坑内の安全を願って天照、春日、薬師、大山祇などの神が祀られたという。(鉱山開発から見た秋田の鉱山地名 進藤孝一)
 実はこの四神が別所の周囲に揃っているのである。P1020959 P1020954
 



別所の川向かい、菟原下の梅田神社。右は別所の西の薬師谷にある薬師堂。

 薬師は薬師谷の岩室に、春日、大山祇は梅田神社に祀られている。天照はないなあと思っていたら水無月の森というところがあって、神明の森とも言われ神明社があっただろうと「別所地名事典」にある。この森の位置など未確認だが、これで四つ留の四神が揃うことになる。鉱山の存在をうかがわせる状況ではある。
つづく

【晴徨雨読】89日目(2006.10.28)福島アトマ~二本松どんぐりの畑
 福島市内をチラリと見学し、二本松に向かう。4号線の幹線道路沿いに走ったものだから道中は面白くも何ともないところだ。できるだけ枝道だか旧道だかを通るがそれはそれでルートファインディングが難しくて疲れる。二本松手前からサファリパークの方向に向かうが、この道は古い街道らしくて無数の石碑があり読んでいると楽しい。何でもかんでも記念になる事は石碑に残すようだ。
サファリとサーキットは動物の啼き声とエンジン音で興ざめである。塩沢温泉に行ったら夜になって真っ暗で宿に帰れなくなった。ハブダイナモは走っている間しか灯りが付かないのだ。道標など確かめようがない。Img_1494




石碑の内容はよく読むと面白いものがある。


【今日のじょん】:じょんは「おはよう」という挨拶ができる。「おあよ~」という感じだが文字では表せない。動画に録音してみようと思うのだが、いつも必ずというわけでないので難しい。確実に言うようになったらTVものである。今朝は最もはっきりしていた。P1030186   




影像は無いので先日の記事の土器をお見せしよう。

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別所探訪(26) 菟原中-25 10/27

2012-10-28 | 歴史・民俗

2012.10.27(土)晴れ
別所探訪(25)は2012.10.25

 半月振りに菟原を訪ねて疑問に思っていることを確かめてきたのだが、この間に立てた仮説が大きく覆された。もちろん現地を確認しないと言えないことだと断っているのだが、訂正すべきはすぐさま訂正すべきだろう。
 それは馬船(まぶね)地名についての考証である。
 まず馬船の位置であるが、友渕川の土師川合流点から二本目の橋あたりと言っていたのは間違いで、その橋から川沿いに300mほど先の左岸である。そこに顕著な谷があってその谷を馬船谷という。馬船というのはその谷から南、高杉側であって、菟原中の馬船は境目の極細い地域である。馬船という小字が菟原中と高杉に存在するわけがようやく分かった。別々に離れたところに在るわけではなく一つの大きな地域なのだ。しかもそれは友渕川左岸の谷と山を含む地域で、大部分が高杉に含まれている。P1030180
 



馬船谷、この谷から南(写真左手)の山を含む地域が馬船のようだ。
右手の山が別所にあたる。


 従って、菟原中の段丘から見おろす田園地帯は馬船ではないわけで、田んぼが馬船のように見えたからという説は成り立たない。改めて撤回したいと思う。
 それでは一体馬船とは何だろう。
 ここでまさかと思っていた鉱山起源説が浮上してくるのである。
 高杉の府道が右岸から左岸に渡る橋のところで、作業中の地元の西山さんに聞き取りをした。
 
 馬船というのはこの橋の辺りから下流の山を含む大きな地域であるということ。
 白蛇伝説のある権現様があること。
 馬船の田んぼ部分はその橋の辺りだけということ。
 氏が子供時分には少し下流に小さな橋が架かっていて、学校に通ったこと。

 そしてその後驚くべき事を聴くのである。
 「保井谷と言うところはご存じですか?」
 「ああ、この奥やで」
 「保井谷にはマンガン鉱山はありませんでしたか?」
 これは京丹波町の保井谷(ほいだに)にマンガン鉱山があったことを知っていたから、カマをかけたのであるが、、、。
 「ああ、あったで、今から4,50年前やと思うけど、2,3年で止めたらしいけど」
 「その跡は残ってますか?」
 「子供時分は遊びに行ったから残っとるやろで」
 
 保井谷は友淵にもあり、ホイ谷という記載になっている。保井谷の意味は何か解らない、しかし共通して鉱山があるとしたら、それは金属地名と言える。ただ金属が出るから保井谷なのではなくて、鉱山師が保井谷という地名をもとにして鉱脈を見つけたのだと考える。鳥垣の奥にアシ谷のごく小さなマンガン坑があったのも同様のことと思う。足谷という鉱山は全国に数多くあるからだ。それにしても地名というのは面白いものだといまさらながらに思うのである。P1030177 つづく




高杉の橋から友淵方面を望む。府道の坂の辺りに保井谷があるそうだ。
電柱の左に小さく見える白い建物辺りが大師堂か。


【作業日誌 10/27】
芝生広場草引き、刈り込み準備

【晴徨雨読】88日目(2006.10.27)福島アトマYH連泊
 宿泊にユースホステルはよく利用している。年配の方には独特のイメージがあるけれど、現在ではすっかり替わっている。食器洗いもミーティングもないし、飲酒もOKで食事も豪華となっている。特にいくつかのスーパーYHというのは設備も良く、楽しめる行事もありだ。アトマは結局4泊することになる。Img_1474


アトマは高台にあり、吾妻山の麓にある。登って行くと名湯高湯温泉がある。


【今日のじょん】:じょんには霧がよく似合うシリーズ、今朝は霧が深いので良い写真を撮ろうかなと思ったが、リードがよろしくないナ。P1030184 P1030185  

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晴徨 菟原中村-5 10/26

2012-10-27 | 晴徨

2012.10.26(金)晴れ

 10:20   じょんのび村スタート~山家~質山峠~梅原~河内ヶ野
 12:20   菟原下猪ノ倉昼食~菟原下、中、高杉彷徨
 15:30   菟原中出発~往路と同じ~上谷厄神~広域農道
 17:33   じょんのびゴール(70,3Km)

  サイクリング絶好の季節となった。二週間サボったので身体も重いし、出かけるのがおっくうになっている。第一季節が変わって、衣装が分からない。長袖にすべきか、タイツは必要か、ウィンドブレーカーはとか悩んでしまう。
 結局バイクパンツに、膝下のタイツ、半袖ジャージにウィンドブレーカーのいでたちで出発、衣装が増えると動きが悪い。ただ、水だけは真夏の1/3で済む。そして今日はリヤキャリーに取り付けた荷物箱の試運転という意味もある。P1030121
 



ご存じファーストラブ6世号、ツールボックスの荷台を付けたが格好良くない。

 菟原に通い始めて五回目となる、往復70Kmの距離は運動量としては手頃である。ところが往路復路がいつも同じというのは飽きるものである。かといって遠回りするのもしゃくだし、いつもの道ながらちょいと違うルートを走ってみる。
 じょんのび村から山家までの府道1号線は致し方ない。山家からは由良川左岸の府道450号線を走るのだが、なるべく旧道を走るようにしている。山家駅から下原辺りまで、賽神社といっただろうか辺りまで旧道を通るが、西原へ由良川を渡る辺りも旧道がある。新道が面白くないだけ、旧道はなにか期待ができる。果たして古そうな地蔵さまが並んでいた。
P1030118




 この道も綾部からの京街道の一つなのだろう。この旧道もすぐに新道に合流し、国道173号線に出合うまでは迂回路は無い。
 野田町に出ると新綾部大橋の下をぐるぐると回り国道に出るのだが、国道に出ないで旧道を質山峠に向かうことができる。ごみ処理場までは車も通っているし、その先も走れそうに思うのだが国道から覗くと草深くて気味悪そうだ。一度帰路の下りの時に試走してみようと思っているが、いつも急いでいるので実現しない。
 質山峠を越えての下りも単に気持ち良く走るだけで無く、高橋の旧道を走ってみたいと思っている。しかしこの部分は短い距離みたいだ。その後国道9号線まではいつもどおり、菟原に入ってからは新京街道、旧京街道を探りながら進む。これは別稿で御紹介したい。
 さて帰路だが、いつもと違うのは西原から上谷厄神社へ廻り広域農道から旭町に出る。地図で見る限り絶対に近そうなんだが、時間的にも疲労度でも変わりない。距離が短くても坂がある場合は有利ではないようだ。長宮から岼への長宮峠でもそうだ、距離は短いが時間は余り変わらない。急がば回れということか。

【晴徨雨読】87日目(2006.10.26)小原温泉~福島市
 小原温泉の魅力はお湯もさることながら、渓谷である。到着日には余裕が無かったので本日朝に渓谷を巡る。スケールの大きい渓谷で、京都や丹波の谷など問題にならない。両岸は切り立って墨絵のようだし、水量が多くて恐怖感さえ覚える。随所に温泉が湧き出ていて湯気を立てている。その量も半端じゃない。ただ、壊れた旅館がそのまま建っており、ソファーやテーブルなども見える。一人で歩いているとこれほど気味悪いものもない。Img_1404 Img_1413
 



この左岸に遊歩道があるとは思えない。右に日帰り温泉向こうに滝が見える。
道中自然の温泉が湧いているのは風情があるが、廃墟の旅館はいただけない。


 この日の感動はこれだけではない。小原の材木岩という柱状節理で、スケールが馬鹿でかい。さすがに観光バスなども訪れていたが、実は小原温泉同様存在さえ知らなかった。
 そして七ヶ宿街道と小坂峠である、全線を歩いてみたい街道といえば、六十里街道とここである。Img_1444 Img_1467




小原の材木岩、これが延々続いている。
七ヶ宿街道小坂峠、ここから福島県。


【今日のじょん】:土師器発見、といっても土器の底の部分で直径6cm程度か。ここでは破片ばかりなので、ちょいと満足、場所の写真には必ずじょんが居る。P1030116
  

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別所探訪(25) 菟原中-24

2012-10-27 | 歴史・民俗

2012.10.25(木)晴れ

 別所が産鉄の地であるのかないのか、決定的な証拠は何も出てこない。ましてや俘囚移配の地なんてのは微塵も無い。
 仮に産鉄の地であったとしてそれはどのような形だろう。
 古代の産鉄に必要な条件は、鉄の原料、燃料、風、水が主要なファクターである。
風については二回目の訪問の時地元の人に聞いたが、さほど強い風が吹くところでは無いと言うことだった。地形図を見れば解ることだが、土師川が大きく蛇行し、両岸には急峻な山が張り出している。風は相当弱められるだろう。ただし、北西方面に開けている部分もある、それが別所である。ましてや高台となっているので冬期の北西風は直接にあたるのではないだろうか。
 燃料はどの地域に於いても問題ない。水も尾根上とはいえ、もし龍源寺の元となる寺院があったとしたらいくらかの水はあっただろう。鉄穴流しをするなど近代の製鉄ならともかく古代の製鉄に於いてそう大量の水が必要ではなさそうだ。
 問題は原料である。別所の山で鉄鉱石を掘っていたとは考えにくいし、おそらく砂鉄が原料だろう。わたしは友渕川の川砂鉄に期待している。
 もちろんそれについて調べたわけでは無く、地名や上流の状況から見て想像しているだけのものである。友渕川上流の高杉には、アナゴザコ、保井谷、さらに上流の友淵には、イモガ坂、サイ野々、カヂヤガハタ、ヒノ谷、アケシオ、保井谷など金属地名とおぼしき地名が目白押しである。これらは現地が分かった時点で説明しようかと思うが、保井谷だけは京丹波町の別所を訪問した際に近隣にマンガン鉱山があったということで、それが保井谷というところだったというものである。
 さて友渕川をさらに遡ると、兵庫県篠山市になるのだが、そこには丹波では最も古いだろう草山温泉がある。
 草山という山も無さそうだし、草山という地名も無さそうだと思っていたら、かつて草山郷であったということだ。ここには草山鉱山というマンガン鉱山が操業していた。P1030181
 



友渕川、土師川出合い方面を望む。予想以上に水量があると思ったら、土師川と同じぐらい上流が長いのだ。


 草山という地名は三和町にもあり、クサというのは舞草(もぐさ)刀、草薙の剣など刀に使われており、金属関連の言葉ではないかと思っていたら、砂鉄のことを種(たね)というがこれもくさと読むなどという谷川健一氏の論文を見つけた。三和町の草山には片眼の行者が祀ってあるお堂があるという。片眼が製鉄に関連あるのは知られているところである。P1020763
 



小路というこの谷を遡るとそのお堂があると言う。

 友渕川をさらに遡ると小金ヶ嶽(725m)となる。砂鉄のことを小鉄(こがね)、種子(たね)などという。関連があるやなしや。
 また、南西に遡ると鼓峠にいたる。この鼓峠は以前に金属関連地名ではないかと紹介しところだ。(2010.4.21 遊里のこと)同時に紹介した京丹波町の鼓山にはマンガン鉱山があったことを知って驚いている。
 このように友渕川は金属に関する地名に取り囲まれている。おそらくしっかり砂鉄の採れる川なのではないだろうか。つづく

【作業日誌 10/25】
玉切り、薪割りP1030115


三日かかってワンスパン。



【晴徨雨読】86日目(2006.10.25)仙台~小原温泉(白石市)
 今日ほど行き先を決めていない日も無い。仙台市も雨ばかりで見歩いていないし、通りがかりの郷土資料館に立ち寄る。市博物館よりよっぽどローカルで楽しい。いつもどおりお客は一人。Img_1386
 
どこかで見たでしょ、この資料館で見つけたのだ。





 途中古墳に寄ったりしながら、阿武隈川に着きあたる。どっち行こうかなてんで右に遡る。また二股になり、どっち行こうかな、右の白石川を選ぶ。YHに電話して「満員です」と断られる。この時期満員なわけないだろう。
 白石市の中心部に行くと何となくつまらなそう、電柱看板に小原温泉を見つけて電話する。高いけれど交渉して安く泊まる。隣のおかず見たら同じ、部屋が古いみたいだ。風情たっぷりの温泉だった。

【今日のじょん】:これはいかなるシチュエーションでせうか?P1030114
忘れました。チャンチャン。
 
  

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別所探訪(24) 菟原中-23

2012-10-25 | 歴史・民俗

2012.10.24(水)快晴

 続・馬船のこと
 現地におもむいて、「馬船ってところはなんで馬船って言うのですか?」と聞いたら、「そりゃあ〇〇のことやがな」なんて簡単に解ってしまうかもしれない。辞書を引くと馬を乗せる舟なんてストレートに書いてある。
 ところが地名に関する辞書、書物の類には載っていないのだ。これは絶対数が少ないのだろうか。確かに三和町内、近隣の地名を調べても見当たらない。全国ではどうかなと、ネットの地図で検索してみると、いくつか現れる。しかし多数とは言えないようだ。
 ”まぶね”は方言辞典に無いが、”まぶ”は沢山載っている。それらしいのは、崖、断崖の意味である。沖縄の平和祈念公園のあるところは摩文仁(まぶに)で崖のある辺りという意味である。
 宮城県亘理郡山元町から角田市に越える馬船峠というのがある。ばせんともまぶねとも書いてあって定かで無いのだが、地形的に見て崖の嶺と解していいのではないだろうか。
 これが菟原中の馬船に当てはまれば、最も妥当な答えとなるのだが、別所側の岸も反対側の段丘も崖というほどのものでもないようだ。P1020960
 



別所に鉱坑があるとは思えないし、友渕川岸が断崖になっている訳ではない。

 実際に渡しなどで馬を乗せたという馬船を影像で見ていると、底が平で広く船の縁は低く見える。重心の高い馬を安定させるためにそのような形になるのだろうが、友渕川の蛇行のために土砂の堆積した部分の田はこの馬船のように見える。馬船地名の由来は実は馬船そのものだったのではないだろうか。
 問題は地名が付いた時代にその地が耕されていたかどうかということである。それを確かめる術は無いのだが、河川の椀曲部には肥沃な土砂が堆積する。水利はいいわけだから当然真っ先に耕作地となるのではないだろうか。水害の危険は高い場所だから、現在ほど完璧で無くても堤防らしきものは築かれるだろう。住居するのは段丘の上だろうから、その地を見おろしたとき将に馬船のように映ったのではと想像するのである。
 もしこの想像が当たっていたとすると、それを命名した人々はこの地に生まれ育ったものではないはずだ。馬船という物を知っている人々だろうから。つづく

【作業日誌 10/24】
薪集め、玉切り

【晴徨雨読】85日目(2006,10.24)仙台連泊
 連日の雨で動けない。今日は博物館に行く、大都市の博物館は面白くない。洗練されすぎているのだ、地方の資料館などはまるでガラクタ屋みたいなところがあるが、郷土に根ざしておりその地を理解するにはもってこいである。仙台の博物館では何も印象に残っていない。花巻で見逃した映画を上映しているところがあり見に行く。「蟻と兵隊」という映画だが、雨の功名といったところか。Img_1381


広瀬川も瀬音ゆかしくどうどうと???
二日間嵐は吹き荒れた。


 【今日のじょん】:秋晴れの日の朝は霧が深く、じょん散歩の時間はちょうど霧が晴れようかという時間帯である。一番好きな光景なので毎朝カメラをポケットにしのばせているのだが、霧の晴れ方の時間帯も晴方も千差万別でなかなかシャッターチャンスが巡り来ない。じょんは景色には無関心なので、オニフスベのチェック、随分汚くなってきたそろそろ爆発か。P1030108 P1030113

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別所探訪(23) 菟原中-22 10/23

2012-10-24 | 歴史・民俗

2012.10.23(火)雨

 馬船(まぶね)のこと
 旧京街道は別所~馬船口~宿という順で走っているという。おおよその順路は分かるが、詳しい道はもっと調査をしないと分からない。馬船口も地元で確認したわけではないがおそらく現在の友渕川に架かる橋の辺りだと考えている。従って馬船というのはその南の辺りなのだろう。字限図で見ているのだが、実はよく分からないのだ。地元での確認が必要であるが今のところわたしの理解している位置として話を進めたい。
 馬船という小字は菟原中にあり、高杉にも一箇所ある。また高杉には北上ノ山東馬船(きたうえのやまひがしまぶね)と西馬船という小字もある。実はこの二つの馬船を見れば馬船の意味が分かるのだろうけど、高杉馬船の位置が判らないまま馬船地名の考証をしておきたいと思う。従って将来訂正をするは目になるかもしれないが、先入観の無いところで考証をするのも意味があろうかと思う。
 馬船という地域が菟原中においても高杉においても重要というか中心的な位置にあるのではないかと思っている。それは菟原中においては馬船に対して馬船口という地名があること、高杉においては東馬船、西馬船という地名があることで解る。P1020961
 



馬船はこの中央の森の先の方である。2回目の訪問の際に京街道を探して馬船辺りの写真も撮ったのだが、バンド坂の京街道を発見したがために消去してしまったのである。

 金属地名論者、これはわたしが命名した言葉であるが、地名を何でも金属関連とする人で概ねアマチュアの研究者で、日本中を金属関連地域にしてしまっている。こういう人に言わせれば、馬船(まぶね)は間歩根となるだろう。つまり坑道の有るところの麓という意味だ。別所産鉄論者には魅力的な解釈であるが、別所に坑道が無ければ何の意味もない言葉となる。
 坑道以外に横穴という意味もある。別所が墓所である可能性は高いと思うが、横穴墓があるかどうかとなると可能性は低いだろう。
 馬船の元々の意味は、馬を運ぶための舟という意味である。もちろん大陸から海を渡った大がかりな馬船もあろうし、川の渡しの馬船もある。別所には武士団が居て、馬場もあったという伝説もある。馬の渡渉移動に馬船を使ったのかとも思ったが、土師川にしても友渕川にしても馬を舟に乗せるほどの川幅では無い。むしろこの程度の川を渡れない馬が戦闘には役立たないだろうと思うのである。つづく

【晴徨雨読】84日目(2006.10.23)仙台連泊
 終日の雨で、6年後の今日と一緒だ。長丁場の旅となると衣類や装備も替わってくるし、消耗するものも出てくる。例えばヘルメット、ザック、ウェストポーチ、シューズ、下着、ヤッケなど途中で取り替えた。仙台市のイシイで冬用の下着など購入する。あとはブログの更新などして一日を過ごす。こういうときはビジネスホテルがいい。仙台名物牛タンを食す。美味いまずいというより、関西で食べる牛タンとは異質のものである。そんなわけでこの日の写真は一枚も無い。

【今日のじょん】:鍋好きじょん
鍋の季節がやってきた。どういうわけかじょんは鍋好きなのである。もちろん鍋の具は好物が多いものだが、食べるのは野菜だの麺類だのとヘルシーなものが多いのだが、、、。残った鍋を昼食に温めると必ず出て来て待っている。普段の昼食では絶対に無いことだ。写真は夕食の鍋が炊けるのをあご乗せじょんをして待ってるところ。P1030106  

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別所探訪(22) 菟原中-21

2012-10-23 | 歴史・民俗

2012.10.22(月)晴れ、曇

 春日田バンド(菟原中)
 バンド坂やバンド地蔵の呼称の元となっている地名、小字名だが字限図でみると友渕川の左岸が春日田で右岸がバンドとなっている。春日田とバンドは直接関係なく字地名として合成したもののようだ。P1020961
 



梅田神社からバンド、左の森の中を京街道が走っている。クロスするように右斜めに降りている道は新しいもののようだ。

 バンドは番戸の意味で街道の番屋があったのでは無いかと予想したが、宿の方面にあっただろう不寝の森あたりに番屋があっただろうと想像すると、バンドに番屋があったとするのは不自然である。街道筋の極近距離に二つの番屋はありえないだろう。さすればバンドとはなんだろう、
 菟原村史に次の文がある。
 「市川彦兵衛墓 兎原中村 
  バンドウが坂を登る。左に座像石地蔵、座ると雖も三尺余。一間四面の借の堂なり。古甲斐国甲府よりの浪人なり。此村にて田中大隅守代官を勤め、元禄の頃死す、子無し。その像を地蔵に作り移し置くという。田地一反ばかり附置き寺え上げ置くとなり。」
 丹波志から書かれたもののようだが、地蔵像となって残っているということは、この地域に貢献があったか、人々に慕われていたかという風に思える。バンドウと書かれているものはいくつかあり、市川彦兵衛なる者が甲斐国甲府の出身となると、やはりバンドは坂東(ばんどう 関東地方)の意ではあるまいか。P1020799 P1020800 つづく




右手にあるどれかが市川彦兵衛のお墓。バンドの地蔵堂の左下の草むらが京街道だが、右手の急坂は進入角度、傾斜度ともに街道としては違和感が残る。


【晴徨雨読】83日目(2006.10.22)一関~仙台
 一関から仙台までどうして国道4号線を選んだのか分からない。やはり寒くなるまでに東北を終えたいという焦りがあったのだろうか。本来なら登米、石巻、塩竃、多賀城を通って仙台に入るべきだった。旅程が伸びても一日ぐらいだろう。焦って仙台に入ったら嵐となって三日間も籠城することになる。金成町の資料館に寄ったのがせめてもの収穫。Img_1374




金成歴史民俗資料館は明治43年築の旧金成尋常高等小学校。


【作業日誌 10/22】
薪づくり

【今日のじょん】:じょんには念道橋がよく似合うシリーズのシャッターチャンスを狙っているのだが、セイタカアワダチソウと防獣フェンスが思い切り邪魔をする。本当はススキの穂が良い季節なんだが、、、P1030102




 



 

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別所探訪(21) 菟原中⑳ 10/21

2012-10-22 | 歴史・民俗

2012.10.21(日)快晴
別所探訪(20)は2012.10.18

 清水坂(菟原下?)
 菟原村史に旧の京街道について、「細見村小路ヶ端から菟原下小字柏田、猪ノ倉、淵脇、清水坂を通り、菟原中の別所、馬船口に廻り、宿を経て朴野峠を越えて云々」とある。
 確定できないのが清水坂と馬船口だ。馬船口はおおよその位置が予想できるのだが清水坂は今のところ分からない。淵脇を過ぎて別所に至る坂は二つある。
 ひとつは淵脇から福林寺のある尾根に登る坂で、もうひとつは義経から別所に至る坂である。村史の書き方を見ると菟原下にありそうで、そうすると淵脇の裏手の山の斜面ということになるのだが、淵脇の細見さんは清水坂は知らないと言うことだった。別所に向かうのは義経谷と言われていた。P1020934
 

淵脇の裏手の斜面を坂は登っているようだ。

P1020957


 
義経から谷を直接登るのか、養鶏場の街道跡らしきところへ行くには左に斜面を登ることになる。


 坂というと進行方向登坂というイメージだが、下り坂も考えられる。福林寺の尾根から薬師谷に降りるところも考えられる。どういうわけだか薬師谷周辺は細かい地名が表示されており、ミノサコはあったが清水坂というのは気がつかなかった。

 馬船口(まぶねぐち 菟原中)
 馬船という小字がありその入口が馬船口だと思うが、厳密な位置は確定できない。
 字限図によると土師川から友渕川を遡り、別所の東に春日田という小字がある。菟原下の梅田神社は土師川川向かいにあり、春日社も祀っているのでその社領であったのかもしれない。その南に馬船という小字がある。その入口というのだから、友渕川に架かる橋の辺りかと思う。航空写真で見ると友渕川の土師川出合いから二本目の橋である。この橋が馬船口だとすると、菟原村史の「馬船口に廻り」という表現が理解できる。つまり別所から降りてきて(この道も確認は出来ていないが)直接友渕川を渡るのではなく、右手に回り込んで友渕川を渡ったのであろう。
 その先は河岸段丘を大きく回り込んで宿(しゅく)に向かう道が残っている。
実は京街道に関する知識の無いとき、2回目の菟原訪問の際に京街道はこれだろうと辿った道なのである。その時は細野峠、宿方面から辿ったのだが、道の進入角度が最も素直であったので辿ったわけである。ところがその道は友渕川に突き当たり、間違いだと分かった。P1020797




京街道を探しつつ間違いだと分かった道が実は旧の京街道だったようだ。(左)


 京街道が土師川を渡って菟原下に向かっていることぐらいは知っていたからだ。その後バンド坂の京街道を発見することになるのだが、バンド地蔵前の急峻さ、宿に向かう道の角度の不自然さはどうしても理解できないものだった。
 もし馬船口から宿に至る旧京街道がわたしの考える道であったなら、総ての疑問は解消する。大きく迂回する坂道は段丘の急峻さを軽減するためのものだし、総ての道の合流点の角度に違和感が無いのだ。
 そもそも菟原下を通過する京街道には土師川を二度も渡るという大きな疑問点があった。古代の道は坂道はいとわないが、渡渉や崩壊地は極力避けるという原則がある。そういう意味で、今回予想した旧京街道というのは街道の神髄といえるものだと思う。是非とも足で歩いて確認したいものだ。つづく

【作業日誌 10/21】

薪集め

【晴徨雨読】82日目(2006.10.21)花巻~一関
 花巻から北上川沿いに南下するのだが、幹線道路は右岸を走っている。左岸の県道は自動車も少なく、それでいて往古の街道でもあるから地蔵さまや遺物が残されていて最高の道だ。自転車道路は走りやすいが、人の生活というものが感じられなくて面白くない。自転車道が役に立つのは都市部である。何気なく通り過ごしたコースだが、もう一度岩手を訪れることができたらいの一番に行きたいところなのである。特に一関市の舞草(もぐさ)刀の故郷と毛越寺(もうつうじ)は行ってみたい。最も毛越寺は境内まで行っているのだ。これほど重要な寺院でYHをやっておられるところは他に無く、境内まで行ったのだが行事があって泊まれなかった。後ほどYHは止められたとかの噂もあり、残念である。Img_1349




この附近には古代から豊富な金属が産出する。北上の博物館にあった、西和賀鉱山の用具。


 【今日のじょん】:モモちゃん白菜事件
野菜の好きな犬は居るみたいだけど、モモちゃんの食いっぷりには驚いた。あわてて動画に撮ろうとしたらスイッチ忘れて、食い終わってからの影像になってしまった。事件はその後である、吠えるので車に入れられていたモモちゃん、静かになったなあと思っていたら、おみやげの白菜を袋の間から食べてしまったんだって、、。


 

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YouTube: モモの白菜事件

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秋深し 超多忙 10/20

2012-10-21 | 日記・エッセイ・コラム

2012.10.20(土)快晴

 今日はいこいの村30周年記念集会に出店を出すので、朝から大忙し。好天に恵まれて無事に盛大に集会は行われた、参加者も例年の倍はあったようだ。出店も多くアトラクションも盛りだくさんで、楽しい催しとなった。P1030085 P1030082 P1030083
 



メーン会場はイベントがいっぱい、30mの大素麺流しは好天あっての賜、じょんのびはいつものとおり。

 そしてすっかり秋の気配となった今、あれもやらなきゃこれもやらなきゃ、あれもやりたいこれもやりたい、あっちも行きたいこっちも行きたいと超多忙のスケジュールとなった。そしていつも一割から二割の消化で良いシーズンが終わってしまうのだ。
 必ずやらなきゃいけないこと
 看板の修理
 薪づくり
 植木の雪囲い
 野菜の世話
 芝生の世話
 椎茸小屋修理

 出来ればやりたいこと
 ドッグランど
 じょんのび谷周辺整備
 
 必ず行かなきゃいけないところ
 古代の里資料館
 綾部市資料館
 小栗峠
 菟原 

 出来れば行きたいところ
 廃村大田和、上津
 丸山
 胡麻峠
 別所廃鉱跡
 生野銀山
 
上林の良い季節は短い、こんなに多くのことができるかってんだ。でも期待は暖冬である、雪さえ来なければ冬の間も活動できる。カメ虫は確かに少ないがあてにならない。綱さん予報だと暖冬という事だけど、それに期待して玄関前室の建設は予定に入れてないのだけれど、、、、、。

【晴徨雨読】81日目(2006.10.20)花巻滞在
 花巻という町はなにかよそよそしい感がしてならない。宮沢賢治だって、宇宙人のような感じがして身近に感じられない。石灰会社のセールスマンであったとか、薮屋に行くとサイダーと天ぷら蕎麦を注文するなんてのは身近に感じられそうなんだけど、、、。名物のわんこそばが高くて食べられなかったことについて、この旅行が今までの旅行と違っていることに気づく。今までならご当地名物は少々お金が張ってでも食したり買ったりしていたが、この自転車旅行では全然そういうものに執着が無いのだ。旅の本質がそんなもので無いことに気づいてきたのだと思う。


Img_1329 Img_1335



寒さの夏はおろおろ歩いただろう猿が石川沿いの田んぼ。賢治が通った丸にやの字の薮屋もこんなビルになっちゃったんじゃ身も蓋もない。

【今日のじょん】:お嬢ショックからも立ち直ってきたようだ。朝の食事も摂れるようになったし、ぽんぽこジャンプも精悍にこなせるようになった。やれやれ。P1030078

 


 
 

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そろそろドッグラン 10/19

2012-10-20 | 日記・エッセイ・コラム

2012.10.19(金)晴れ

 ドッグランどがいつまで経っても出来ないのでというわけではないのだろうけど、福知山のドッグカフェに行こうという。天気も良さそうだしお嬢も来てるので、行ってみるべかと三人とじょんで出かける。P1030076
 



 ルーシーズカフェというその店は、開店一周年という触れ込みだったが、なんでも以前にカフェをされていたところをそのまま引き継いでなさっているということだ。
 見せ場は広大なウッドデッキだ。こりゃあ守が大変だ、というのが実感、年一回の塗装でもペンキ代が幾らとか下世話な心配をしてしまう。労力だって大変だ、塗装だけでなく修理も必要となってくるからだ。樹木も多く植わっており、その世話も無視できない。P1030071 P1030067 
 



広いウッドデッキ、バッティングしない場合良いこちゃんはノーリードできるかも。

 しかしドッグカフェとしてはウッドデッキは良い環境だ。第一汚れることが無い、そしてダニの心配も軽減できる。じょんのびドッグランども総てをウッドデッキには出来ないけれど、一部をウッドデッキにしたら、おしゃれで快適だ。
 ルノちゃんという可愛いワンちゃんが居て、じょんもヒコヒコ、それにしても随分行儀良く遊べるようになった。年齢を重ねたというより、いろんなところで社会性が身についたのだろう。P1030070
P1030066



一段降りてターフの所もあり。
あっ行ってもたがな。


 昼食を頂いて、コーヒーを賞味する。味は良くて満足して帰る。
 帰りにこれまたウッドデッキを見に村上さん宅による。造りはシンプルだが、良い材料を使っておられる。塗装も念入りにされていて、防腐対策も万全。我が社では高価な材料は使えないし、上等な塗料も使えない。頑張ってメンテナンスするっきゃ無い。ただ犬がうろうろするのならある程度目をつめないととか色々と勉強になった。
 奥さんが、「あの店はケーキがすごっく美味しいのよ」だって、次回はケーキを頂こう。P1030077

なかなかどーして広いデッキだ、ワン。




 【晴徨雨読】80日目(2006.10.19)遠野~花巻
 この年の東北各県は熊の出没が増加し大変であった。例年の6倍の出没件数ということだった。もっとも怖かったのが続石である。遠野YHでは、親子熊の目撃情報が出ているから行っては駄目と言われた。しかしこういった不思議な石組みは見ない法は無いとばかりに、自転車を置いて登っていった。その500mの山道は本当に肝を冷やした。人間のなせる技なのか、自然のものなのか分からないのだが、東北では続石という地名にお目にかかることがある。なんらかの意味があるのだろう。Img_1298


来たかいがあったというものだ。


【今日のじょん】:散歩に行こうと連れ出すと、おしっこしたらさっさとベランダに帰ってしまった。お嬢が出てくるのを待っているのだ。P1030058 P1030059





  出て来たらヒコヒコ散歩して、「写真撮ったろ」と言ったらきちんと並んでお座りしてやがんの。こんなこと無いんだぜ。


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別所探訪(20) 菟原中⑲ 10/18

2012-10-20 | 歴史・民俗

2012.10.18(木)雨、曇    別所探訪(19)は2012.10.13

 天気の都合や所用のため菟原を訪れることが出来ない。居ても立っても居られない思いなのだが、ここは落ち着いて出来ることをしようと決める。なにも現地に赴くことだけが調査ではない。菟原中別所にまつわる気になる地名を調べてみる。ちょうど福知山に出かける用があったので、市役所によって小字の位置を確認する。

 綾部市では字配図(あざはいず)と言われているものが、福知山市では字限図(あざきりず)と言われているようだ。各自治体とも課税の関係でこういった細かい番地の入った地図を用意しておられるのだが、綾部市は実際の地図に即した図面で、小字の位置がよく解るのだが、他のところではその小字の部分だけの地図となっているので一体どこに位置するのか分からない。全体図のあるものはまだまだいいがそうでないものはつらいものがある。しかも福知山市は閲覧が有料なのである。有料であれば遠慮無く閲覧ができるという利点はあるが、お金払っても目的が達せられない、つまり位置が確定できないというのは何とも納得しがたい。しかしこういった目的で閲覧する人も少ないだろうから致し方ないことか。
 いくつかの地名についてその位置や意味について書いておこう。

大門垣内(だいもんがいち)菟原中
 京街道が菟原中の宿場に入る辺りにある。生野の次の宿場として郡界も近いこの宿場には関所とまでいかなくても番所ぐらいはあったと予想できる。わたしはその番屋こそ不寝大明神が祀られていた不寝の森付近にあったと考える。大門はその番屋あるいは番屋と宿屋街を含んだ地域の入口にあったのではないだろうか。
丹波志に「京道に大門と云う所あり門の跡なりと云う」とある。P1020979


シュウズバス停あたり、この辺が大門垣内だろうか。



義経(よしつね)菟原中
 別所の西にある、別所にくい込むように入っている谷のあたりである。細見さんの言では義経谷と言われていたので、元々谷の名前かもしれない。
 綾部の谷忠や武吉などの地名は中世にその地を開墾したものが縁起の良い名前を付けたものと書いたことがあるが、義経もその類かなと思っていた。ところが地形が谷筋であるので、荘園とみるのは無理がある。地形地名でも無いようだし、伝説があるふしもない。義経の上に赤穂屋敷というところがある。豪農赤穂五三郎がいたということが菟原村史にあるが、いかなる人物か定かで無い。また別所には打杭氏なる武士の集団が居たという伝説もあるが、これも何時の世の如何なる人物かも分からない。これ等の所縁の人物として義経なる人物が居たのだろうか。謎である。P1020957


義経谷



馬場(ばば)菟原下 
 別所の北の土師川との間の平地のようだ。伝説では別所には射場と馬場があり打杭氏なる武士団の訓練場であったそうだ。河川と尾根に仕切られて馬場としては絶好の場所であるが、馬場があったかどうかは定かでない。もし本当に馬場があったとしたら、別所=産鉄の地という説は濃厚になってくる。牧が産鉄の地であることは既に述べてきたところである。
 ところが馬場という地名は実に沢山あり、その意味するところも多くある。現実に馬場であったところはごく少数ではないだろうか。 
 この地にあう語源としては、広場、前庭、土手あたりだろうか。P1020958

別所の下の馬場。



つづく

【晴徨雨読】79日目(2006.10.18)遠野彷徨
 朝から晩まで遠野を彷徨った。ガイドブックを持たない旅なので、自分の五感で面白いところを探すというまさに彷徨といった旅である。河童淵やデンデラ野は知っていたので場所を探すだけだったが、山崎のコンセイ様は発見であった。性器信仰というのは、一般に生殖に因んで農耕の豊作を祈る信仰といわれているが、金属生産に関わる信仰ではないかと考えている。遠野自体が古代の金属生産の拠点でもあるし、西日本で珍しく金精様を見つけたのは、岡山の吹屋である。もっとも東北から勧請されたと云うが、この地も重要な鉱山地帯で有る。Img_1269


山崎金勢大明神。


【今日のじょん】:いくみちゃんが来たの図。

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YouTube: お出迎え

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続 土器・鉄滓 10/17

2012-10-17 | 歴史・民俗

2012.10.17(水)雨

 鉄滓については収集したものは一応清水の鋳物師の鉄滓が28年の大水などで流れ着いたものと考えている。
 清水の井関氏宅のタタラ場から発見されたものと同様の形状をしている。
 上林川の流域では無く堤防の上部辺りでの発見がほとんどである。
 28水(13号台風水害)では大量の土砂が流れ着き、村田の屈曲点附近に堆積した。堤防などの復旧工事にはこれ等の土砂が使われ、他所から搬入される事は無かったという。
 こういった理由で、念道で発見された鉄滓は清水の鋳物師によるものと考えているが、断定できるものではない。P1020909
 



左が上林川念道附近で最初に見つけた鉄滓、右は清水の井関方で発見された鉄滓、風化が進んでいるのと、錆が出ているのの違いはあるが同一の種類のようだ

 念道の500m程度の範囲内で沢山の鉄滓を採取出来るということは、それが清水のものだとすると元の位置には相当な量の鉄滓があったことになろう。そうであれば、言い伝えや老人の話の中にあっても良さそうなものである。そういった話が無いか調べてみたい。
 また、清水から念道までの間8Kmあまりの川筋にも同様に発見できるはずだと思う。これは近々歩いてみたいと思う。
 もし画期的な発見ができるとしたら、川の流域以外の山地で、あるいは清水から念道に至る以外の流域で鉄滓を見つけることである。さすればそれは清水の鋳物師以外の発生源となるからだ。
 これらが現在の努力目標でもある。
 そんな中、上林川河川敷以外で鉄滓を発見した。(2012.10.6参照)残念ながら河川とは無関係の山中では無く、川の近くの府道の傍という微妙な位置からである。P1020896 P1030046
 



左:上林川以外で採取した鉄滓
右:15日、16日左岸堤防で発見したもの。どちらも磁性が強い。



一応従来の河川敷から発見されたものと同様のものという思いが強い。
 今シーズン、つまり草が枯れ雪が降り積もるまでの期間にはもう既に三個の鉄滓と岩石か見分けのつかないもの一個を採取している。従来と同様堤防付近で発見したものだが、少し様子が違う。
  形状も従来の板状、塊状というのでは無く、流体そのものといった感じで、全体に強い磁性がある。最後に見つかったものは従来のものには必ずあった気泡の跡が見られない。しかし総てに共通しているのはどこかの面に平滑な部分があるということだ。
 結局総てが同一の出所であって、滓の出る部位の違いかということになるのだが、それ以前に鉄滓、非鉄金属滓についていかに無知であるかということに気づく。 
 鉄滓といっても製鉄滓、鍛冶滓、鋳物滓など各種有り、それらの差異はわたしには分からない。数多くの文献で写真を見てもその差異は分からないし、成分分析をできる環境にはない。P1030047
 



これは16日発見の鉄滓の近くで採取したものだが、鉄滓か岩石か区別がつかない。強力な磁性があり、超苦鉄質岩のようでもある。石英状のキラキラした鉱物が混じっている。

 つまり鉄滓、あるいは金属滓について念道で採取していても進展は無い。念道以外で見つけること、それらが一体何であるかを調べることが今後の方向だと思っている。

【作業日誌 10/17】
草刈り(6-3)

【晴徨雨読】78日目(2006.10.17)宮古~大槌~笛吹峠~遠野
 わたしが泊まったところで、今回の津波の被害にあったのはおそらく宮古の末廣館だけでないだろうか。あとは山中であったり高台であったりで大丈夫だろう。末廣館は営業を再開されたという報があったので、浸水はあったが倒壊は免れたということだろうか。再興を祈るばかりである。遠野は必ず行くつもりであったが、元々釜石から仙人峠を越えて行く予定であった。ところが思わぬ向かい風に負けて、大槌、笛吹峠から遠野に行くことに変更した。厳しい峠越えとなったが、この笛吹峠こそ日本の近代製鉄の礎となった橋野高炉や古代の製鉄遺跡や柳田民俗学の宝庫的な存在であった。最も印象に残る峠である。Img_1247




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YouTube: 体重測定

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土器・鉄滓 10/16

2012-10-17 | 歴史・民俗

2012.10.16(火)快晴

 秋本番となって野の草どもも勢いが無くなってきた。雪が積もるまでの間、観察採集の時期である。
 最初に始めた磁性のある岩石も、それが直接に製鉄に関係するわけでは無いとわかって興味が薄れた。心ときめかせた鉄滓も、上流の清水の鋳物師による鋳物滓のようで興味半減である。そういうわけでもっぱら土器の収集に重点を置いている。土器といっても正味破片で小さなものは1cm程度のものもあるが、慣れてくるとすぐに見つけられるので面白い。
 テーマは発見場所である。従来我が家の裏の鎌谷周辺、念道停留所西のゲートボール場附近のみを調べていたが、はたしてその附近だけに散乱しているのだろうかと疑問を持っていた。予想としては上記二箇所には谷があり、製造場所としては可能性がある。念道の谷はもう一本、天王のところにある。このあたりまで調査範囲を広げてみたい。P1030055
 

念道橋から天王辺りまで。素焼きの薄手のものが見つかる。


P1030056

念道橋から鎌谷まで。分厚い土師器から須恵器まで発見。


田舎といっても道路、宅地は地面が出ていないし、田畑は防獣フェンスが張られて進入が出来なくなった。家と道路の間の極狭い部分を観察するのだが、そういった所もコンクリートが張られるケースが増えてきた。
 従って公平な観察が出来ないので、とにかく破片が出るか否かというぐらいしか分からない。
 いづれ分類して公開しようと思っているが、以外な傾向が分かってきた。
 ひとつは、鎌谷以西、この地帯は畑、空き地、元宅地など探しやすいところなのだが、いまだ一個も発見されていない。
それに比べ東側は小林の時計屋さんあたりまで破片が見つかるのだ。もっともそれ以東は調査していない。
 古代の家々において使用する土器はそれほど多くは無いだろうから、今日まで見つかるのはやはり生産に関わるものだと推測する。そうするとかなり広範囲の地帯で生産されていたことになり、念道自体が大きな土器生産拠点であったのかもしれない。つづく

【晴徨雨読】77日目(2006.10.16)岩泉~宮古
 雨の中を宮古に向かう。写真に残していないのでこの日だったか、数日前だったか分からないのでけど、村中が恐ろしく分厚くて、高い防潮堤に囲まれている光景を見た。日差しが遮られて何とも陰気になっているが、これならどんな津波が来ても大丈夫だなと感じた。あの見上げるような防潮堤も越えて津波が来たのである。
田老の辺りかと思うのだが、三陸大津波がここまで来たという看板があった。まるで海とは関係の無い山の中であった。Img_1226

この日の道端発見物は潮吹き穴。国道で看板を見つけ行ってみたが結構遠かった。吹かない日もあり、別名ほら吹き穴だって。



【今日のじょん】:かみさんが、「今年はカメムシが出んなあ」と不足そうに言っている。快晴の今日、初カメムシが現れて、さっそくカメムシバスターを用意したところである。カメムシ探索犬のじょんが騒がしい季節となりそうだ。
近所の人が「何か怖いもんが来とんかい」と聞かれて、「いやーカメムシが、、、」なんてかっこ悪くて言われないぞ。P1030050 P1030051

初カメ虫とカメ虫バスターⅢ。

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盗用ということ 10/15

2012-10-16 | 日記・エッセイ・コラム

2012.10.15(月)晴れ

 森口尚史のiPS細胞の移植手術の虚偽の発表はショッキングというよりあきれた事件である。虚言癖といった類の問題だろうと思うが、他人の論文を盗用しているという指摘もいくつか上がっているようだ。この問題については森口氏本人より、讀賣新聞社の方が痛手が大きいのではないだろうか。わたしなど讀賣新聞に永年購読料を払っているが、「カネカエセ」の心境である。一発狙いの週刊誌やスポーツ紙ではないからだ。
 明大の水野教授の論文盗用問題がタイムリーに出てきた。他人のブログから論文の一部を記載したというものだが、大学側は故意ではないので口頭で厳重注意したということであった。故意で在ろうが無かろうが他人のアイデアを盗用したことには変わりないのだからこの処分には納得できない。この事件については水野教授よりも明治大学が大きな損失を被るのではないだろうか。そうで無くとも馬術部の不祥事など好ましくない事件が出ている矢先である。Img_1841

 
暗雲な~びく 駿~河台




 しかし盗用と参照、参考という事については微妙な問題がある。
 例えば地名に関して最も一般的に利用されているのが鏡味完二・明克氏の「地名の語源」という書である。後半部分は辞書形式になっていてすこぶる便利で信頼を得ているものである。知りたい地名があったらまずこの辞書を見て調べるのだが、これだけでは判断できないのでいくつかの書物を見る。次に見るのが東條操編「全国方言辞典」である。そしてある地名について一言一句まるきり同一の記載があるのを発見した。発行の時期は前者が昭和52年、後者が昭和26年初版なのであきらかにオリジナルは「全国方言辞典」である。辞書であるから同じ意味となることは当然だが、まるきり同じ文章となると首をかしげたくもなる。しかも「地名の語源」では前半で地名の語源の発掘についてその手法やあるべき姿を述べられているのである。どこかの辞書を参考にしなさいとは決して書いてない。
 
 著名な学者が書いた書物の中にも他人のアイデアを盗用したものが見つかることがある。一般的には著者や書物を紹介して、参考にした旨文中に書いてあったり、参考文献として巻末に記載されているものなのだが、そのような記載も無く、あたかも己のアイデアの如く書かれている場合もある。

 結局出所をあきらかにするかしないかで、参考か盗用になるわけでこれは我々素人の物書きであっても留意すべき点だと痛感している。

【晴徨雨読】76日目(2006.10.15)田野畑~岩泉(龍泉洞)
 鉱山もそうだが洞窟というのはなぜこうも魅力があるのか。大学でケービングをするかクライミングをするか迷ったぐらいだ。結局ケービングはやらなかったのだが鍾乳洞というのは魅力がある。本当はヘッドランプ付けて誰も入ったことの無いところに行きたいのだが、今となっては手すりや階段の付いた鍾乳洞を楽しんでいる。面白いのは洞窟の外にある博物館的なもので、観光客は来ないのですもっとよろしい。 でもこの日一番の訪問先は田野畑村の三閉伊一揆の記念館である。一揆の記念館というのは後にも先にも無いもんねえ。Img_1188Img_1198




左:三閉伊一揆記念館は価値ある記念館だ。
右:缺山という読めない山の斜面は石灰岩の壁である。左上の洞穴が気になるのだが、、、。

【今日のじょん】:おにふすべは成長するのか?う~む、どうも変わりないみたいじゃ。気になるワン。P1030042

気にしているのはオトーだけかも。
 

 

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