晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

薪割り体験  5/29

2009-05-30 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.29(金)曇、晴れ

 ポチの家の柏の木を切ったということで、頂きに行く。軽トラにチエンソー積んで現地に行くと、その大きさに驚く、防風林としてどんどん伸ばしていたら大木になって、電線や隣家に枝が張っていき今回の枝切りとなったそうだ。幹は一抱えもありそうだが、切った枝も葉っぱと一緒に庭一杯に積んであり、愕然とする。薪を頂くのは大変ありがたいが、枝葉の始末にはヒマラヤ杉で懲りているからだ。ポチのお母さんが出てきて、「良いとこだけもっていんでよ」と言ってくれて一安心、一時間余りチエンソーで奮闘、薪になりそうなところだけ頂いて帰る。
 柏の木はもちろん広葉樹だが、広葉樹だからいいってもんじゃない。例えば椿、油が多くてよく燃えるが、耐熱ガラスは真っ黒けになる。柏の木はクヌギに似ているがクヌギはコナラ科、柏はブナ科である。燃料としてどうかは燃やしてみないと解らない。兎に角玉切りをして、太いものは薪割りをする。Img_2454

全面右半分ぐらいが柏の木、後ろがクヌギでよく似ている。

私は田舎で育ち、小さいころは風呂やおくどさんで薪を焚いていたが薪割りをした記憶がない。自転車旅行でImg_2448

昨日の写真なぜかアップにならないので、別のを紹介する。

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がたろ 5/28

2009-05-29 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.28(木)曇、雨

 桂枝雀の落語に代書屋というのがある。私の好きな演題の一つだが、そこにがたろという職業が出てくる。がたろとは河童の異名で、「河太郎」と記すそうだ。転じて河で働く職のことを言うらしいが、落語では「河川に入りて、廃品などを回収す」などと履歴書に記することとなる。
 先日お客さまが上林山荘近くの上林川で大山椒魚の死骸を見つけたそうである。上林川の支流ならさもありなんと言うところだが、本流でも棲息している可能性があるということだ。先日かみさんが念道橋から茶色い大きな物体を見たと言っていた。軽トラを駐めて川面を眺めている人もよくあるのでひょっとしたら山椒魚かななどと思っているのだが、はたしてどうだろう。
 じょんの散歩のついでに念道橋からしっかり眺めていると、山椒魚はいないようだが、5,60cmはあろうかという鯉が悠々と泳いでいる。なんとも立派な鯉で、どうもみんなが見ているのはこの鯉では無かろうか。川沿いを散歩していると時折バシャッと言う音がして、水の輪が広がっていることがあるのだがこれもあの鯉に違いない。大きな鯉だけでなく2,30cmの鯉も数匹泳いでいて、小魚も群れをなして泳いでいる。特に岸辺には藻かなと思ったら小魚の群れだったりしてもの凄い。
 私の生まれた三和町の川合川は子供時分にはこのような魚や生き物の豊富な川だった。魚釣りもするけれど、夏の楽しみはうろづかみといって、魚の住む穴に素手でを突っ込み直接掴み捕りをするという超原始的な方法で遊んでいた。時にはナマズやウナギなどもいて大捕物となったりしたものだ。ところが河川の改修が進んですっかりこの魚がいなくなった。常に茶色の苔が付いて、昔ながらの渕や瀬が無くなった。葦や草の岸が総てコンクリートの護岸となった。めぐり巡って流れ込んでいた生活用水が直接川に注がれることとなった。魚影と共に魚捕りをする子供達の姿も消えた。
 上林川に清流が残っている理由は、河川の改修が歴史的に古く、護岸をコンクリートで固めるなどの工法がまだ成り立っていないからだと思っている。昭和28年に大水害が起こり、その後に河川改修が始まったようである。そのために土の堤防、葦の岸辺が残ってきたのではないか。流れ込む水は確実に汚染度合いが進んでいるだろうが、岸辺の植生が清流を護ってきたのだろう。
 山椒魚は見つけられなかったが、橋の下に一輪車を見つける。波が立って詳しくは解らないが、我が家のボロ輪号よりはましそうな感じだ。一番深いところに沈んでおり、引き上げにはかなり困難な感もあるが、橋の下流側からアプローチすると何とかなりそうである。それよりも困難なのは念道の家々から丸見えな事だ。「じょんのびの親父一体何しとんじゃ」という噂が流れかねない。しかし川の清掃、廃品の再利用とかなりエコな行動だと思うのだが、、、。うーむ、がたろという職業、これってエコな仕事ではないか。吉右衛もーんまた頼むわ。Img_2441

橋脚の横にお宝が沈んでいる。

【作業日誌 5/28】
枯れ草の焼却(ちっとも燃えず)
今日のじょん:いくみちゃんと散歩写真集

Img_2437 Img_2439 Img_2440   

左:出~発  中:念道橋手前 右:草食ったりしてImg_2443Img_2446

Img_2449                  




左:念道橋渡る。  中:ぽんぽこぽんも大張り切り。 右:もー寝る。

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ほたる祭出店予定 5/27

2009-05-28 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.27(水)晴れ、曇

  ほたる祭は中上林最大のイベントで4,000人に登る来場があるそうだ。昨年から模擬店出店のお誘いもあったのだが、開店早々でもあったので見送った経緯がある。昨秋のいこいの村祭りへの出店も経験したので今年はほたる祭に出店することとした。夕刻説明会があったので観光センターに行き、なにかと打ち合わせを行った。
 昨年は6月第二土曜日の14日開催だったが今年は第三土曜日の20日となっている。今年で28回目ということだから歴史あるほたる祭である。各地でほたる祭は行われているが、これほど歴史のある祭りも珍しいのではないか。内容は実際に見ていないので何とも言えないが、聞くところによると数千匹の蛍の放虫などがあって感動的だと言うことである。昨年、その翌日に会場を訪れたのだが沢山の蛍が飛んでいて驚いた。帰り道、じょんのびの近くでも沢山飛んでいて、じょんのび谷にも飛んでいるのが解った。知られていない観賞スポットもあり、今夏は実地に見学をして紹介したいと思う。それにしても蛍って都会生活では忘れていたよね。

【作業日誌 5/27】
オクラの苗植え付け
畑草引き

今日のじょん:じょん君も一才を過ぎ落ち着きがでて事件も起きなくなった。何事も無きこそ犬の果報なりけりと言うところだが、今日のじょんの記事を書く方は大変である。先日散歩中にマムシが出た場面に遭遇したそうだ。じょんがどのような対応をしたかは定かでないのだが、草むらが元気元気な今日この頃、顔つっこみまくるの何とかならないのか。それにうんPはどうして草むらの気味悪いところでしたがるのだろう。Img_2444                  

このあたりでマムシの子供が出現したとか。

 

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定休日 5/26

2009-05-27 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.26(火)晴れ

 週に二日の定休日だが、これが結構待ち遠しい。出勤するわけで無し、上役が居るわけじゃなし、ノルマがあるわけじゃなし、忙しいわけじゃなし、難しいわけじゃなし、対人関係で困る訳じゃない仕事だけれども、休みが嬉しいというのはどういう訳だろう。やはり営業日はストレスがあるのだろうか。
 休みと言っても営業日より忙しくて、やることがいっぱいある。前日にあれしてこれしてと考えるのだが、大体その1/4ぐらいしかできない。ましてや今日はじょんのシャンプーの日だ。風呂、トイレ、洗面所などを掃除しているとついつい徹底的に掃除してしまってきりがない。それが終わって昼食をとると2時過ぎとなる。
 例えば今日の予定は、草燃やし、薪切り、ガーデニングの杭作り、カナメの杭作り、予告看板のニス塗りと遠慮気味に予定したのだが、最初の3っつのそれもごく一部ができただけである。こうやってどんどん仕事が溜まってゆくのが結構ストレスになり、休日の方が疲れるという変な現象となっている。Img_2430 Img_2431 Img_2432




左:枯れ草は乾燥が足らずちっとも燃えない、後で聞くとぶすぶすとくすぼらせておけば良いと言うことだ。
中:右手の白い切り口がクヌギ以外の広葉樹。
右:花壇の通路にするから杭を作ってくれと言われているのだが、、、。

【作業日誌 5/26】
草燃やし
薪切り
花壇杭作り
ヒマラヤ杉焼却

今日のじょん:シャンプー日に体重測定して、17,8Kg、よしよしこのくらいならいいぞ。毛抜けの季節なのでシャンプー前にファーミネーターなる優れもののブラシで毛を抜いてゆく。あっという間に袋一杯になって心なしか涼しそうな雰囲気だ。今日はいくみちゃんが来て大喜び、おとうやおかあではちっとも喜ばないが、この尻尾の振りようは一体何なんだ。Img_2428 Img_2429

いくらでも毛が抜けて、枕でもソファーでもできそうだ。

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上林は化けるか 5/25

2009-05-27 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.25(月)曇

 以前山家のお客さんが「上林は化けるで」と言われたことがある。確かに化け物もいそうだがそういうことではなくて変化する、発展するという意味である。広域農道が綾部I.Cから旭町につながり、やがて丹波縦貫道が全線開通すれば、山家が取り残されるという危機感があるそうだ。もともと取り残された上林は今更どうって事無いようだけど、その方のおっしゃるのは「あやべ吉水」のオープンのことである。東京や京都で有名な旅館が上林にやって来るというのが、上林は大きく変わるでという言につながったようだ。
 実際に吉水さんがオープンして、新聞やテレビでも紹介されている。しかしそのことで上林がどうこうなるとは思えない。それよりも工場の閉鎖などの噂を聞かされると発展どころか衰退の不安の方が大きいのではないか。この村は高度経済成長期やバブル期のような発展の仕方をしても意味がない。田舎は田舎らしく、心豊かに暮らせることが理想である。
  かみさんの努力でじょんのびガーデンがきれいになった。980円で買ってきたバラも見事に咲いた。村の南面はそれなりにきれいになってきたが、北面、西面は手つかずである。何時になったら完成するやら、いや、完成というのは永久にないのかも知れ
ない。Img_2409 Img_2411           

【作業日誌 5/25】
草刈り

今日のじょん:涼しくて食欲が出てきた、明日は体重測定だぞ。大丈夫?マーブルは少しダイエットして体重減ったみたいだぞ。Img_2421

芝生の絨毯だけど、繋がれると固まりやすいのよね。

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竹の秋 5/24

2009-05-26 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.24(日)雨、曇

 「えらいこっちゃ、そこら中の竹が枯れてるで」というのをよく聞く。竹は数十年に一度ぐらい花が咲いて枯れていくというのを聞いたことがある。生物学的に言うと開花周期が長いということだが、真竹だと120年というから、ちょうど人間の脳の命と同じである。この時は世界中、といっても世界中に真竹が在るわけではないが、で開花して枯れ死したそうだ。孟宗竹でも60年以上といわれており、それが今年なんだろうか。
 そんな話をしていたら前田さんが、それは竹の秋と言って毎年今時分に起きることだと教えてくれた。春の季語となっているそうで、なかなかおしゃれな言葉である。さすがに俳句をする人らしい知識である。私は長い間竹を見てきたがそんなことは知らなかった。竹の里である大原野から来られた小林さんも竹の秋というのを知っておられた。この歳になって新しいことを知るというのは、なにか嬉しいものである。Img_2425
 ちょっと風のある日など薄茶色の笹がひらひらと舞っている。要するに葉の入れ替わりなのだろう。竹だけでなく常緑樹の樫の木も葉が入れ替わっている、そういう季節なのだろう。
     Tシャツを 探し出したり 竹の秋     うとく

 昨年は筍の当たり年で、連日嫌というほど筍を食べたが、今年は不作でまともな筍を食べていない。本当に無いのかなと竹藪にはいると、動物がしっかり筍の先だけかじっている。きけば猿の仕業だそうだ。イノシシが掘り起こした形跡は見られない。
筍だけでなく、じょんのびの木も昨年と大違いだ。葉の茂りは昨年同様だが、怖ろしいほど実っていた実が今年はほとんど見られない。 Img_2415
Img_2427
全然実のないじょんのびの木としっかり成っている梅


 梅は昨年同様一杯実が着いているが、どうも小さなうちに落ちているようで、昨年ほど残らないようだ。こういった実の出来不出来が山の動物たちにも影響し、ひょっとしたら今年は熊の出没が多いのではないかと予想する。

【作業日誌 5/24】
ヒマラヤ杉焼却
畑の草引き

今日のじょん:昨年の5月23日、京田辺で初めてじょんに遭った日である。あれから一年、ずいぶん長く一緒に居るような気がするんだが、、、、。
Img_0669
手前からマーブル、アポロ(じょん)、ミント(くるみ)ちゃん。

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芝刈り奮闘記(2) 5/23

2009-05-23 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.23(土)曇

 初回の芝刈りが終わったかと思いきや、じょんのびの木の下と肉球芝がまだ手つかず、玄関と試運転で刈った北半分(A地区)が十日たってもう次の芝刈りが必要となっている。それと白樫の下部分とじょんのび坂の芝刈り機が使えない部分も放置されているので、この際総てすっきりやってしまおう。
 芝刈り機の届かない端や斜面などは大きな専用はさみで切っているが、これは相当に応える。これだけの面積があるとはさみを使う部分もかなりの面積となる。小さな庭なら結構楽しい作業なんだけど、何時間もこれやってると腕も指もパンパンに張ってくる。お金持ちになったら、あの電動のバリカンみたいなやつ買って欲しい。Img_2419

こんなもんでやってられない。

肉球の芝を刈っていて、芝の感触の違いに気付く。肉球の芝と芝生広場北東角の10㎡ぐらいはホームセンターで買ってきた姫高麗芝である。その他は三ツ井造園さんの高麗芝のようだ。姫高麗の方が葉が細くて密に生えている。見た目はこちらがいいが芝刈りは葉がしなってやりにくい。葉が密なだけに通気も悪そうだ。面積が広い場合野芝や高麗芝が扱いやすいようだ。
 次に芝生広場の北半分を2回目の芝刈りをする。芝刈り機に慣れたこともあり、芝が短く揃っていることもあって、大変きれいに刈ることができた。やっと芝刈りの楽しさが実感できる。Img_2417

右半分が2回目の刈り込み。


それにしても刈カスはすぐに集草袋に一杯になり、集草袋5杯ほどで一輪車が一杯になる。面倒なので袋を付けずに刈ってみるが、刈カスが見事に散らばりズボンも靴も草だらけになる。この刈カスはしっかり取り除かないとサッチの原因となって芝の生育には大変悪影響をおよぼすらしい。Img_2416

山になった刈カス、窒素が多く含まれいい肥料になるということだ。

 最終的に熊手と竹箒でしっかり掃除し、はげたところに目土を入れて今日の芝刈りを終える。自分の庭の芝を刈るなんてすごい贅沢と思わないかい。

【作業日誌 5/23】
芝刈り(初回終了とA地区2回目)

今日のじょん:刈った後の芝生広場につないでおくと、「ウォン」となにかに吠えている。虫でもいるのかなと思って見に行くと、置いていた芝刈り機に吠えていた。彼ってこういうのに弱いのよね。Img_2420

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芝刈り奮闘記 5/22

2009-05-23 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.22(金)曇、雨

 昨日第一回目の芝刈りが概ね終わる。肉球の芝とじょんのびの木の芝を残すのみだ。芝刈り機を購入してから半月、芝刈りを初めてから9日目である。最初に刈ったところはもう伸びてきて次の刈り込みが待っている。今日は雨で芝の手入れはしていないのだが、この辺で芝刈りについてまとめておこう。
 芝刈り機は定額給付金を目当てにナショナルの家庭用の物を購入、ローンモアではちょっとつらいかなと思い、電動の物を買ったが、実はこれでもちょっとつらい感じだ。Img_2379_2

ナショナルがパナソニックになって旧モデルが安く買えた。

メインの芝生広場は30坪以上ある。京都市なら家一軒充分な広さだ。その他に店の玄関、じょんのびガーデンに2カ所、じょんのびの木の根元に芝を張っている。昨年5月に張って以来、本格的に刈り込むのは今回が初めてである。なぜって、それが必要なことと知らなかったからだ。昨秋橋立さんに刈り込まないと通気が悪くなって枯れたり腐ったりするでと言われて初めて刈り込みの大切さを知ったわけだ。それまでは延ばし放題の方が生育に良いのかと思っていた。気がついたときはもう枯れてくる季節だったから、今のこの時期に初めての刈り込みとなった次第である。長いところでは20cm近く伸びているので電動の芝刈り機ではテコにあわない。2,3m刈り込むと刃の回転が止まってしまう。長い芝が刃にからみつくようだ、ちょうど仮払い機につる草がからむようなあんばいだ。Img_2378_2

最初の挑戦、えらいトラ刈りだ。

 刃の回転で風を起こし、刈った芝の先を集塵袋に集めるようになっているが、葉が長いと風で飛ばないので刃にからみつくわけだ。集塵袋も小さなものだから10mも行かないうちに一杯になる。この広さではこんなちゃちな機械では間尺に合わんなあとイライラしながらやっていたが、だんだん慣れてくるもので、要領よくなってくる。まず刃の回転を落とさない様にして刈ること。これがコツである。回転の速さは音でも目でも見ることができ、落ちそうになると刃を浮かせたり、進むのを止めたりする。また直線に長く刈るのではなく、1m程の距離を巾広く刈ることでスムーズに刈れることが解った。
 一度刈ると次はそう長くない上に総ての背丈が揃っているので、この程度の機械で充分にスムーズに刈れそうである。

Img_2412 Img_2414



左:右半分は十日たったもの、こんなに伸びてくる。
右:オーガスタのゴルフ場のような芝にするつもりだったのだが、、、。
【作業日誌 5/22】
ヒマラヤ杉焼却

きょうのじょん:雨で涼しくなると食欲が出てきた。昨日なんか息もハァハァとしていたが今日は普通だ。温度差がこんなにも影響するんだろうか。これからもっともっと暑くなるのに、でえじょうぶかなあ。

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日本一周達成記念日 5/21

2009-05-22 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.21(木)曇 

 今日は自転車日本一周達成記念日である。2年前の今日、絶好の日和の中を二日酔いとはいえ気持ちよく福知山から京都まで味わいながら走った。その時2年後に今のような生活になっているとは夢にも思わなかった。この2年の間に土地を探し、家を建て、店を開き、じょんのび村を開拓してきた。予定どおりには全然進んでいないけど、兎に角頑張ってきた。夢があるから頑張れる、都会には物はあるけど夢はない。Img_5886

2007.5.21最終日、生家(家屋は無い)を訪ねお墓参りをする。


 私はテレビは野球とニュースぐらいしか見ないのだが、昨晩パソコンを入力していて何気なくテレビを点けていたら、明治大学の博物館が出ている。おやっと思って見ていると秋田の尾去沢鉱山が出てくる、そして佐賀城、、、、、江藤新平のドキュメントをやっていたのだ。(旅行記2006.11.23、同9.20、2007.4.5参照)江藤新平については明治維新において法や裁判、警察などの創設、整備に尽力するも政敵に敗れ斬首されるという数奇な運命の人物である。明大の博物館に行ったときに磔やさらし首などの刑罰が明治数年まで存在したとあったが、これらの非人道的な刑罰を廃止し、各地に裁判所を設け、ある程度民主的な手法で司法を整備していったようである。驚くべきことは今で言う国家賠償法のように、公権力の不正や民間に対する侵害などを訴えられる制度も作ったと言うことである。そこで尾去沢銅山汚職事件が紹介されるのだが、政府高官の井上馨が尾去沢銅山を乗っ取ったという事件である。井上馨については三井の大番頭といわれ、汚職や利権にまみれた政治家という見方もあるようだ。このことが後々江藤新平を排除しようという画策となるわけだが、大久保利通などによって佐賀城で斬首さらし首という刑を受けることとなるのである。自らが廃止した極刑で処刑されるとはこれほど無念なことはあるまい。佐賀を訪れた際に大隈重信の像が在ることは知っていたが、江藤新平の像が私の宿泊してしていたすぐ近くに在ったことは知らなかった。しかし上記三カ所の見聞があるおかげで今回江藤新平について知ることができた。
 日本一周はそれまでの集大成でもあり、その後の生き方の指針でもある。

【作業日誌 5/21】
芝刈り3日目

今日のじょん:じょんサルを見つける。昨日の夕方の散歩の際にじょんがサルを見つけたそうだ。見つけるだけじゃなくて追って欲しいのだが、、、、。

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熊情報 5/20

2009-05-20 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.20(水)晴れ

 熊出没の際はオフトークという有線放送で即時に放送される。ところがじょんのび村では有線放送を契約していなくて、お客さまの情報に頼っているので少し遅れる。
どうやら忠町と佃町の間の山で目撃があったそうだ。すぐ近くなので恐怖といえば恐怖だが、彼らの行動範囲は数十キロとも言われるので近いから遠いからといってどうこうという事でもないのかなあ。要するに上林には熊が居るよってことか。注意するったってどうすりゃいいんだ。熊と言えば自転車旅行で東北を回った年は出没の大発生年で、秋田青森を回っているときは日常茶飯事であった。さっきそこに出たよってパトカーが来ている風景もあったし、新聞には連日記事が載っていた。なんでも山のブナの実が不作であったそうだ。遠野の続石は親子の熊出没が続いているから行ってはいけないよと言われていた。そう言われると行ってみたいのが人情で、熊除けの鈴を鳴らしながら恐る恐る登っていったが、これほど肝を冷やしたことは無かった。(2006.10.19参照)Img_1299

親子の熊が出没しているという500m程の山道。




ひょっとしたら熊より怖い交通事故が起こった。じょんのび村から50m程上の府道で、午前中のことである。どういう状況かは解らないが、乗用車がガードレールに突っ込み前方部が大破していた。救急車、パトカーなどが到着し一時間ほど事故処理をしていた。命に別条無ければと願うが、車の方は全損の模様であった。車が突っ込んだところが、じょんの散歩道でもあるので、もしかその時間に遭遇していたらとぞっとする。
【作業日誌 5/20】
芝の刈り込み(2日目)

今日のじょん:隣のチコは救急車が走ると「ゥオ~ゥオ~ゥオ~」と歌い出す。大変ユーモラスで思わず笑ってしまうのだが、じょん君は何が通っても黙っている。今日も事故処理で救急車が往復したが黙ったままだ。ところが後からパトカーがサイレンを鳴らしてやってきたら「ゥオ~~」と初めて鳴いた。なんか安心したような気分となる。

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じょんのびビヤガーデン 5/19

2009-05-20 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.19(火)晴れ

 天気は良いがそう暑くない、年中で一番いい季節だ。まだブヨが出てこないのが嬉しい。今日は色々やりたいことがあるんだけど、ビールの空き缶が溜まりに溜まって飽和状態となっている。空き缶などの回収は資源ゴミと燃えないゴミの収集があり、月に2回は集めて貰えるんだが、この日時が二週間毎とかであれば適度に処理できるのだけど、これが翌日同士になっているのだ。例えば四月は資源ゴミが21日、燃やさないゴミが22日となっている。これって意味無いじゃないか。こんな状態が数ヶ月続き頭に来ていたら、5月は資源ゴミが26日、燃やさないゴミはなんと6月3日となっている。5月の収集が6月にあるわけだぜ。なんちゅう行政だ。そうでなくてもビールの消費量が増えている。もうゴミ箱が満杯なんだ。
 てなわけで、質山峠のクリーンセンターに持ち込んで捨てに行く。この道は国道173号線の新道が開通する以前、川合と綾部を結ぶ峠道で子供時分おふくろと二人で歩いて越えたものだ。中丹バスも日に二往復ほど走っていたが、この細い峠道をよくぞ走っていたものかと思う。どこの峠にもあるように大蛇伝説があり、丸太に腰掛けて休憩していたら、大蛇の胴だったという話をよく聞いた。
 親父がキツネにだまされたという事件もあった。大晦日の買い物に綾部に行った親父が夜になっても帰ってこない。翌日、道に迷って炭焼き小屋で一夜を明かしたと言って帰ってきたそうだ。単に道に迷っただけのことだが、キツネのせいになっている。確かに妙見さんのあるあたりはだまされてもおかしくないようなところだ。
 買い物などして帰ってきたらもう三時となっている。先日の続きのゴーヤの床造りをする。かみさんは花壇造りに励んでいる。暗くなるまでにゴーヤを植え替えて完成、育ってくればネットを張って緑のカーテンとなる。Img_2408

これで少しは水遣りの手間が省けそうだ。


かみさんの花壇も目途が付き、じょんの散歩も終わったので、久々にじょんのびビヤガーデンを開催する。といってものどごし生と柿の種ぐらいのものなんだが、緑の濃くなった山々やきれいになった花壇を眺めながら飲むビールは堪らない。
「提灯があったら気分出るのになあ」「お客さんが入ってきたら困るで」
じょんもおやつをもらいながら楽しそうだ。虫がわんさか出てくるまでの少しの間の楽しみだ。Img_2406


じょんも一緒にかんぺー。

【作業日誌 5/19】
ゴーヤの床造り(完成)

今日のじょん:じょんもビヤガーデン楽しんでいる。おやつが貰えるのが嬉しいというよりとにかくお腹すいてそーだ。ビールもチロっと舐めさせて貰って、結構いけるくちみたいだ。

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木陰の駐車場 5/18

2009-05-19 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.18(月)晴れ

 月曜日は暇なはずなんだけど、天気がよいせいか忙しくて、さすがに疲れてしまった。今日の作業予定はゴーヤの床を作ってやることだった。ゴーヤは昨夏2本の苗を買ってベランダに緑のカーテンを作った。立派に成長し、実も食卓を賑わし、種も沢山採れた。ところが欠点が一つ、プランターで栽培したので水遣りが大変。野菜用の大きなプランターなんだが真夏の日差しには勝てず、朝夕はもちろん日中にも萎れてきて数回水遣りをしなければならなかった。沖縄の炎天下で育つのだから少々の日照りには強いかと思うのだが、やはり地中に水分がないことには駄目なようだ。
というわけで、今年は露地に降ろすことにする。ところがベランダの下の部分は砕石がしっかり乗っており、その下には基礎のコンクリートと雨水の下水管が走っている。これらを割らないようにそーろと砕石をどけ、土を掘ってゆく。それでも20cmぐらい掘れただろうか、そこへ石灰と堆肥を混ぜた畑土を入れて、丸太で枠を作ることにする。Img_2403

チエンソーで細工をするが日没サスペンデッド。


さて、その畑土だが昨年4月(2008.4.1参照)に上延の建設現場からダンプ8台分の畑土を搬入して畑や花壇に大活躍したものだ。八つあった山も残り三つとなり、それぞれ一輪車ボロ輪号で運んだものだから、数百回往復していると思う。残り少なくなったが、実はこの場所はドッグラン建設地となっているので、いずれ運ばなければならない。それと今夏、真夏がくるまでにやりたいのは「木陰の駐車場」だ。
 じょんのびのお客さまは午後が多い、夏となれば一番暑いときだ。いかに涼しい上林でも日中の午後は堪らない。特に駐車されていると車内はサハラの様になってしまう。建物の影に駐車されるケースが多いが、日中は影もかからなくなる。そこで、西側にある桐の木の下を真夏用の木陰の駐車場にできないかと考えている。桐の葉は大きく、枝振りもいいので三台ぐらいのスペースはとれそうだ。Img_2404




そのためには畑土をどけ、谷側にフェンスをし、整地とバラス敷きをしなければならない。気候の良いときはドッグランにしておけばいいので兼用でできないかと考えている。

じょんのびUSO放送
阪神連敗
「メンチに喝だ。」
    ー親分ー

【作業日誌 5/18】
ゴーヤの床造り(継続)

今日のじょん:フロントラインをする。効いているのかいないのか、よく解らないが兎に角この山の中だから必要だろう。じょんのび村に遊びに来るワンちゃん達もこれだけはしとかないと、、、、大変な事になりますよ。
 

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綾部移住 5/17

2009-05-17 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.17(日)雨

 一日中雨でしっかりヒマラヤ杉を燃やせるかなと思いきや、次々とお客さまが続き、本業に専念する。今日のお客さまはなぜか綾部に大昔から移住している人、最近移住した人、もうすぐ移住しようという人、移住先を探している人がほとんどで妙な一日であった。こんなに沢山綾部に移住しようという人が居るのかと感心すると共に結構若い人が多いのに驚く。確かに行政にとっても、地域にとっても若い所帯が入居されるのは歓迎されることだが、就職の問題や居住環境の問題など乗り越えねばならない課題が沢山あると思う。
 聞くところによると、行政側としては退職後の悠々自適の人よりも働き盛りの子供さんの小さい家族を優先しているきらいがある。これって気持は解るけど、ハードルは結構高くなるのではないか。限界集落で無くても、見渡せば70代、80代の家庭が増え、空き家が目立ってきている今日この頃である。50代でも60代でも、子供連れでなくても来て貰っていいじゃないか。市の税収にはつながらないかも知れないが、年金受給者となれば少しは税金払う訳だし、、、、、。移住定住希望者にそう高飛車になるよりも、移住環境、定住環境の整備に力を注ぐべきではあるまいか、と考えさせられる一日であった。 Img_2399
Img_2390
草刈りの終わったのり面と、モンスター、これって一体どうするの?枯れたら燃やすということだが、、、、、

【作業日誌 5/17】
なーんにも無し

今日のじょん:昨日のじょんとなるが、例のうなり声に外に飛び出してあたりを見渡すが何もない。水島さんが畑仕事しているが、これに対しては吠えることはないはずだ。あきらめかけた頃、網戸に小さな蛾を見つける。ああこれに唸っていたのか。なんだかあほらしくなってきた。

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おもしろ動物写真 5/16

2009-05-17 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.16(土)曇、雨

 やたら寒い日が続き、衣替えをしなくて良かったなどと感心している。北海道では真夏日の後に雪が降ったりして、強烈だねえ。
 上林で聞いた言葉で面白いなあと思ったのは「三獣士」と「カーテン街」だ。三獣士とはイノシシ、シカ、サルのことでみんな困っているわけだ。カーテン街とはシャッター街ではなくて、カーテンが掛かっているのでそう言うそうだ。上林を走れば納得の言葉である。
 いかる騒動以来鳥が来るたびにカメラを向けているが、いかるはあれっきりとなった。しょっちゅう居たら値打ちがないので、コレデイイノダ。
 その代わり面白い写真が撮れたので御紹介する。
Img_2381

12日の夜、雨が降ってきて、夕ご飯を食べていたらカエルが2匹窓にへばりついて覗いていた。大小2匹で大きいのと小さいのとちょうどマーブルとじょんみたいで笑ってしまった。ご飯を覗いているのではなく、灯りに寄ってくる虫を待ってるようだ。
Img_2397

15日の朝、これまた二羽の鳥が庭でなにか拾っている。髭の生えた変な鳥だなあと思ってよく見ると、じょんの毛を拾って咥えているのだ。そういえば先日ファーミネーターという優れもののブラシで梳いてやっていた。じょんの冬毛ならきっと暖かい巣ができるだろう。
Img_2391_2

これは面白くも何ともない、我が家に侵入した第一号のムカデである。
足のないのも気味悪いが、足が沢山あるのも気持ちの悪いものである。
ムカデで思い出したのだが、佐渡の金山に行ったときに、立派なムカデの絵の扉が展示してあった。珍しいなあと思ったがその理由とか調べるまもなく旅を終えたので改めて調べてみた。
Img_0392

相川郷土博物館にある、小川の多聞院の土蔵の扉


ムカデは毘沙門天の使いとされ、鉱山や冶金に携わる人々に信仰されていた。その形が坑道に似ていたからという説が多いようである。

「唐櫃村の上方にあり。山脈六甲山へ続きて、山中に水晶多し。特に佳品なり」、百足窟の項に「同山(六甲山)にあり。窟中百足に似たり。倶に銀取坑なり」
これは西宮郷土資料館にある摂津名所図会の一文である。ムカデと鉱山は縁の深いもののようだ。

【作業日誌 5/16】
赤紫蘇種蒔き
青紫蘇用畝造り
ガーデンラティス張り手伝い

今日のじょん:この写真何しているところでしょうか?Img_2400 Img_2402




答え 雨降ってじょん固まるの諺どおり、合羽着るのが嫌で、いじけているところ。いよいよ着なきゃならんとなったときのこの情けない顔ったらありゃしない。

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深溝松平家 5/15

2009-05-16 | 日記・エッセイ・コラム

2009.5.15(金)晴れ

 讀賣新聞朝刊の一面に「殿の墓 小判ざくざく」という記事が載っていた。愛知県幸田町の本光寺の松平忠雄の墓所から副葬品として小判がざくざく出てきたというものである。深溝(ふこうず)松平家といえば十八松平家の一つで、福知山藩から島原藩に移封(領地替え)され、その後変遷あるも島原で維新を迎えた殿様である。島原の本光寺を訪れた際(2007.3.28参照)御廟の葵の御紋を見て、「福知山さん葵の御紋~」という福知山音頭の意味はすっかりこれだと思ったのだが、実はそうでなかった、深溝松平家の家紋は葵ではなかったのだ。島原本光寺では先祖である徳川家の霊廟もあり、そこに葵の御紋があったわけだ。ではなぜ福知山藩が葵の御紋なのか、朽木の殿様がいかに譜代大名といえども葵の家紋のはずがない。福知山音頭の「葵の御紋」の由緒はその2ヶ月後解決することとなる。興味のある方はじょんのびに来ていただければお話ししましょう。Img_3646
 
福知山藩領地図、これが島原にあったのには驚いた。


 さて、紙面の記事に不思議と思ったのは、なぜ島原藩二代目の殿様の墓が三河にあるかだ。島原本光寺を訪れた際、「国替えと共に家臣も菩提寺も移転するのですよ」と聞いた。元々は三河にあった菩提寺本光寺が、移転して今は島原にあるということだ。当然菩提寺であるから、島原藩の歴代の藩主の墓もあり、忠雄の立派な石塔もここに在るわけだ。では記事の三河の墓所というのは一体何なんだ。
 色々と調べてみると墓所というのは三河の本光寺で、島原のは霊廟のようだ。ちなみに福知山藩主であった際には福知山に菩提寺本光寺が在ったそうだが、今そういう名の寺院は旧市内には無い。夜久野町(現福知山市)には同名の寺院があるが、松平家と関わりがあるかどうかは定かで無い。
 松平忠房が島原藩に移封された際に家臣や菩提寺の他に福知山城にあった文化的な物品も総て持っていったそうである。本光寺にある丹波の古地図や福知山城下の地図、亀山や宮津などの地図や絵図などを見ると丹波地方の歴史関係者には垂涎の的となるだろう。

【作業日誌】
鷹の爪植え付け
草刈り(3日目)

今日のじょん:例のうなり声が時々聞こえる。寝ている時が多いのだが、いつもの寝言とは明らかに違うので不気味である。というより、吠え方にしてもドスが利いていて迫力満点なので、その理由が知りたいものである。ウーと唸ったときに起きていって確認するしかないのだが、その勇気が起きない。

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