晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読でござる 9/30

2009-09-30 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.30(水)雨

 連日の雨で作業が進まない。こんな時は雨読とばかり読書にいそしんでいる。上林では本屋さんは無いので購入はもっぱら通信販売に頼っているのだが、私が購入するのは古本ばかりなので本屋さんがあったところで売ってないものばかりである。「日本の古本屋」というサイトは全国の古本屋さんの集まりで、希少本など検索して探し出すのに便利である。こことアマゾンと値段を比べて買っているが本によっては凄い値段の差があることがある。その本に対する価値観の相違があるのだろうか、本の傷み具合なども大きく作用しているようだ。こちらは中身が問題であって傷んでいようが破けていようがかまわないので、うまく安いのを買っている。新書版など書店で売っているものなどは1円で販売されていることがあり、送料340円かかっても半額以下で購入できる。オークションも時々覗いているが、とんでもなく安い場合もある。ただし常にあるというものではないので読みたいときに買うわけにはいかない。
 今は知りたいことが多くて、4冊の本を同時に読んでいるが、ススムさんが他に2冊貸してくれたので5冊を同時に読んでいる。この読み方は若いときはいいかもしれないが、今では無理があるようだ。訳が解らんようになって、少しも頭に入らない。
Img_3131  さて読んでいる本の内容は日本の神々と部民についてのものである。日本史は大好きな科目であり、特に古代は超得意な分野であったが、神話は苦手である。とにかく名前が憶えられない、だから読み進んでもちっとも理解できないわけだ。おまけに漢字の長い名前なので読めない、最初の一回だけはルビが打ってあるが後は漢字のママだ。ところが文書も画像もない古代のことを探ろうとすれば神話を理解するしかないのだ。もちろん神話は神話であって事実ではないが、古代の歴史を物語っている。
 もう一つは部民制だ。綾部は漢部、物部、日下部、日置部など関連がありそうなのだが、ヤマト王権の職業集団ぐらいの知識しかないので本当のところを理解できていない。たまたまススムさんが阿波忌部に関する本を貸してくれたのでこれ幸いと読んでいるわけだ。

【作業日誌 9/30】
テーブル造り(天板側板作製)
2×4で作っているが、各ホームセンターで値段がかなり違う。ただし表面の仕上げや木材の質など値段なりの差があるようだ。用途によって使い分けることが肝要である。

今日のじょん:いくみちゃんが来てるのでもうじょんはべったりである。このくらい好かれたら綾部に足を運んだ甲斐もあろうかというものだ。Img_3133

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土井式杭打ち器 9/29

2009-09-29 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.29(火)雨、曇

 掃除をしていたらカメムシが出てきた。いよいよ季節かなと警戒をしている。昨年は殺虫剤をいろいろ研究したりして対策をしたが、結局ガムテが主役となった。ところがガムテにも弱点がある。一発でくっつかないことがある、特に百均のガムテはこうなりやすい。一発でくっつかないと強烈な臭いのお返しが来る。ガラスとかにいる場合、ガムテがくっついてしまってどうしようもなくなる、これって安物ほどいらんとこにくっつくのよね。カメムシをくっつけた後の処理が面倒、まわりを密着させて逃げられないようにする。等々である。
 ペットボトルに油を入れて近づければ勝手に入るで、と言われたが勝手にはいることは無かった。京北の土田さんが来じょんされたとき画期的といわれる方法を教えてくれた。ペットボトルの先にちょっと柔らかい厚紙でロートを作って取り付けるんだって。ボトルの中は洗剤を入れておけば臭いもしないと言うことだ。紙が柔らかいので壁でも、カーテンでもうまく受けられるそうだ。カメムシはこれが近づいてくると警戒して手足の力が緩むそうだ。勝手にロートの中に落ちて来るという。とっても楽しくてカメムシの季節が待ち遠しいというこである。ホントカヨ?とにかく工夫して作ってみよう。
 などと考えていたら、土井さんが工夫の杭打ち器を持ってこられた。田舎暮らしは杭打ちの暮らしである。畑仕事、防獣用、垣根、雪囲い、防風用などなどこの一年で何本の杭を打ったことか。私は鉄のハンマーを使って打っているが、なかなか真っ直ぐに打てない。やっと打てたかと思ったら、杭の頭が割れてしまったりする。これらを解消し、女性でもお年寄りでも真っ直ぐに打てる杭打ち器である。Img_3041 Img_3040
実際に使用してみると、硬い地盤には少しつらいが、畑などでは活躍しそうだ。茶色の鉄の筒を杭に被せて、手で上下するだけのものである。店に置いておくので是非試用してみていただきたい。値段は2,000円でお譲りするということである。

【作業日誌 9/29】
材木片付け
 
今日のじょん:毎日ヘイヘイのところに行きたがるくせに、いざ行くとシラッとしている。相手が子犬なので遠慮しているのだろうか。Img_3126 Img_3128

 

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引地のこと(6) 9/28

2009-09-29 | 歴史・民俗

2009.9.28(月) 曇一時雨


引地(4)福島県伊達郡桑折町成田字引地
2006.10.26、小原温泉、小原の材木岩、七ヶ宿街道、小坂峠など最高のルートをたどって降りてきたところが桑折町の隣の国見町である。その国見町と桑折町に大規模な半田鉱山があり、銀、金などを採掘していた。石見、生野と並んで三大銀山と言われたぐらいだから相当の規模であったようだ。桑折町文化記念館などに各種の展示があり、そのことを知っていたら立ち寄ったと思うが、気付かずに4号線を南下して福島市に向かってしまった。引地は銀山から4Kmほど南西の位置にあるが、県道124号線が走っており、そのまま進むと飯坂温泉に行く。ここは後日有名な鯖湖湯に入っており、二度のチャンスでも銀山は気がつかなかった。阿武隈川からは2Kmほど離れているが、かつての流路がどうだったかは定かでない。近隣の地名には白銀、赤川原、鍛冶屋沢などいかにもという地名がある。地名は付いていないのだが、睦合小学校、睦合幼稚園があり、睦合町の引地としてはドキリとする。Img_1467

 小坂峠から国見、桑折町方面。引地は右手山影となる。

 引地は鉱山に関係するのか?
引地が鉱山に関係する地名というのは目にすることがあり、いまのところ鉱山の近くに存在するのも事実である。しかし、どう鉱山に関係しているのか説明している論文や書物はいまのところ見あたらない。もちろんそれほど沢山のものを見聞きしているわけではないが。
 鉱山に関係する事項とすると、鉱山人夫の生活、鉱山の資材、鉱石の運搬、冶金、金属製品の保管や引き渡し、金属加工、鉱山の管理など様々考えられるが、私が当初予想したのは日置部との関係である。日置部とは戸籍上の戸数を調べる部という説があるが、鉱山あるいは製鉄に使用する木材、薪を取り仕切ると言う説もあるようだ。睦合町引地の少し上には八津合町の日置谷がある。五津合町遊里には日置殿町という小字もあり、日置部が上林に存在したのは充分考えられる。この日置と引は何か因縁があるかなと思ったのが調査のスタートである。例えば日置一族が何か仕事をするところが引地であって、日置と引地はセットで存在するんじゃないかなどと想像したのである。
 このもくろみはすぐに潰えた。セットで存在するようなところは一つも出ていない。ところが大まかな共通点が出てきた。引地は鉱山の近くにあって、河川や谷川に面した場所(鉱山の下流)が多い。あるいは鉱山からは離れた下流だが、上流には大規模な鉱山がある、などである。酒田の引地を調べたときに「水流が土地を削って引き出すところ」などという説があった。川の屈曲点で上林の引地も同様の地形である。しかしこれだけでは鉱山に関係はしない。
 思いを巡らせていると、あることを思い出した。かつて仕事で宝飾貴金属の加工をしている会社に訪問し、社長から聞いた話である。その会社では指輪などの加工をしているのだが、金やプラチナの粉屑が出るわけである。毎日掃除して回収しているのだが、年に一度会社の周りの溝さらえをするそうだ。すると何十グラムという貴金属の粉が回収でき、相当のお金になるという話だ。
 佐渡の金山に行ったときも、海さらえ、川さらえのことは重要な仕事で専門の人夫がいるとか書いてあった。古代の鉱山では銅でも鉄でも大変貴重である。採取出来なかった微量の鉱物でも下流で回収したのではないだろうか。河川の屈曲点の下では削り取った土砂とともに砂州となって沈殿する。これは絶好の回収場所だし、砂鉄を取るのだってこういう場所が効率的なんじゃないだろうか。
 引地とは水流が土地を引きはがす地だけれど、鉱山の下流域や磁鉄鉱の多い地域では鉱物を採取するに適した重要な地なのではないか。
 これが今の時点での私の考える「引地の語源」である。
と書いて、引地地名を調べていたら、この説をひっくり返すとんでもない引地が出てきた。つづく
【作業日誌 9/28】
なし

今日のじょん:今日はいくみちゃんが来て、ひこひこ。

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里山サイクリング’09  9/27

2009-09-28 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.27(日) 晴

 今年は古屋の滝観賞コースという軟弱と言えば軟弱、奥深といえば奥の深いコースに挑む。なんてことはない、昨年水源の里コースで苦労したので、楽をしようというだけのものである。あっぱれ号の荷台にバイクとヘルメットを放り込んで綾部温泉に出かける。軽トラに積んで来る人も増えてきたようで、田舎らしくていい。
 会場に行くと時計屋の小林さんを見つける。本田味噌の本田さんも出場されているのを見つけて探し出す。20年も前になるだろうか京都トライアスロン協会を立ち上げた頃からの会員さんで、いまだ現役でバイクに乗っておられるのには感心する。
 九時半過ぎにスタートし、草壁に着くと田んぼの中で土井さんが写真を撮っている。立ち話をしているとあっという間にどん尻になってしまった。Img_3082 Img_3080 Img_3084




スタート風景、四方市長も応援。小林さん、本田社長も現役。

 ゆっくりと大岩に向かう坂道を登って行く、両脇が杉木立で北山のコースを走っているみたいだ。大岩の滝には地元の岩崎さんがお茶の接待をしておられて、何人かが一服している。お茶を頂きながら、冬の話や昔の話を聴く。大岩の滝は水量が少なくて元気がないが、来月には地元の方が周囲の木を整理するとか、紅葉の季節が楽しみだ。Img_3086 Img_3089

草壁から古屋、洞峠方面。
大岩でお茶の接待、仲良し岩崎さん


 今は切り通しとなっているが両脇にはかつての京街道の跡が見られて、いにしえの旅人の姿を彷彿とさせる。もう一つ峠を越すと川面が段々近くなって、古屋の集落に到着する。府道を左にとって、おそらくこれが旧街道なんだろうが、公民館に到着する。古風な民家風の公民館でとてもらしい感がする。モルタルにアルミサッシにはなって欲しくない。ここでもお茶と栃のお菓子で接待を受ける。今日は洞峠のイベントもあり、その人達も利用するのだろう。Img_3097
Img_3094
杉林の中の旧街道、公民館では茶菓の接待。


府道に戻って帰路となる。峠から振り返ると頭巾山あたりの景色が素晴らしい。都から帰ってきた人達もこうして振り返ったことだろう。大岩では道をそれて二軒のお家の方へ降りて行く。かつては何軒か家があったのだろう、屋敷跡が残っている。水場の傍らに舞台の付いたお地蔵さんがあり、ひょっとするとかつての旅人が寝泊まりしたんじゃないだろうか。四国の御遍路道にもこのような建物がずいぶんあった。写真には撮らなかったが古屋の集落にもあった。Img_3091 Img_3098 Img_3101




大岩の屋敷跡、舞台のお地蔵様、旧京街道

 府道に戻る谷沿いの道もかつての街道だそうだ。
草壁に帰ってきて、日下部一族ゆかりの地を訪ねようかと思ったが、これは来年の楽しみにして、齋藤さんの家を訪ねる。娘さんご一家が来ておられて、すっかり気に入られているようだ。マリーも元気にしており、自慢の畑も見せて貰う。Img_3103 Img_3105

マリーと自慢の畑。

ゴールしたいつもの栃餅のぜんざいを頂き、参加賞など貰って帰る。このコースだと午後の開店には充分間に合うし、体力的にも余力がありそうだ。Img_3108 Img_3112

振り返る国境の山々、初恋号は今日一日展示する。

【作業日誌 9/27】
なし

今日のじょん:ここんとこ毎日散歩の祭にヘイヘイとこに寄っている。凄く行きたがるくせにいざヘイヘイに出合うとシラッとしている。いずれ写真でお見せしよう。

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大木大作戦 9/26

2009-09-28 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.26(土)曇

  昨年の今頃はじょんのび坂の鋪装で難儀していた。今年の難関は恐怖の材木である。もちろん燃料として親切で頂いた材木なんだけど、結局利用することが出来ず、その処理に8ヶ月を要していまだに片付かないという大変な代物である。画像は既に何度も掲載しているので省略するが、片付いたといっても枝葉の部分で、幹の部分はそのまんま残っている。先日からその材木を片付けているのだが、これがなかなか難しい。とにかく重いものだから、移動させたところで再度移動するとなると重労働だ。使い道と行き先を確定しておかねばならない。中くらいのヒマラヤ杉は薪小屋の床代わりに3本、やや細めは柱に4本、そうすると残るのは超でかいの3本と、切れ端4,5本。なんとか片付きそうだ。Img_3116
 杉の大木は野外のイスとかテーブルとかなんか考えるが結論は出ていない。それでも現状から移動しないと芝生播種が出来ない。とにかくこいつらのせいで今年の作業が大幅に遅れたことは間違いない。あとは如何に有効に利用するかだ。Img_3117

これは薪小屋2になる予定。

 【作業日誌 9/26】
芝生播種準備
芝生広場草引き
自転車清掃整備

今日のじょん:救急車にも吠えだした。隣のチコに教えて貰ったというか、真似をし出したみたいだ。何でも吠えるのは大変困るのだが、この場合はOK、この場合はNOというのはどう教えていいのか悩むところだ。

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秋の園芸 9/25

2009-09-26 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.25(金)曇


 二回目の秋蒔き野菜の播種を行う。一回目から半月遅れである。要するに長い間収穫できるようにと時期をずらしたのだが、果たしてこの方法でいいのか。
一回目と違い今回は畑土を運んで耕して畝を作るというものだから大変、一畝だけだが一日仕事となった。その上播種できたのは白菜だけで、大根と蕪は明日に繰り越しとなった。
 一回目の大根、白菜は順調に育ち、二回目の間引きをしてマルチの穴に三株程度となっている。本葉四,五枚ってところか。例によって根切り虫に二穴ほどやられたが、周囲を掘っても見つからなかった。一穴については一昨日蒔き直した。
人参は芽は出ているが生育は遅いようである。
 昨年の秋蒔き野菜の失敗は、蕪、人参の播種が遅くて育たなかった。なんてったって11月の3日に種蒔きしてんだから遅いわな。今年は9月なので少しは期待している。Img_3113
左が早蒔き、右が遅蒔き、半月の差があり。

 夏野菜の後片付けもやらなければならないのだが、まだ一部収穫できるのでそのままとなっている。ナス、ゴーヤ、オクラ、プッコチは今少しなりそうだ。
 生姜は順調に育ってそうだが、今年は保存に最大の努力をしたい。土に埋めて保存する方法は昨年完敗だったので、今年は籾殻保存する予定で、水嶋さんに既に頂いている。Img_3114

夏野菜はいよいよ終了。

【作業日誌 9/25】
秋蒔き野菜播種(蕪、大根、白菜)

今日のじょん:じょんは普段は吠えないのだが、玄関から来た人や夜中の獣類には強烈な声で吠えるようになってきた。とにかく凄いドスの利いた声なのでびっくりする。

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引地のこと(5) 9/24

2009-09-25 | 歴史・民俗

2009.9.24(木) 快晴

 引地(2)山形県酒田市引地
 2006年9月8日最上川沿いに下ってきた。国道47号線が最上川を離れると、川沿いの河川管理道路が酒田まで続いている。左に庄内平野の田園、右に最上川と遠く鳥海山を望み、一般車の通行もなく最高のサイクリングであった。酒田市に入り庄内橋を過ぎた当たりの対岸(右岸)に引地がある。いわゆる大字で、宅地や高田などの小字がある。最上川が西に向きを変える屈曲点の先にあり、規模は違うが上林の引地と同様の地形である。Img_0551

左の尾根の先あたりが引地


 神奈川県大和市に引地川という川があり、相模湾に注いでいる。大和市は大学時代に4年間住んでおり、自転車旅行では並行する境川を下ったので親しみ深い川である。この川の由来を調べていたら、「土地が川の流れによって押し出される」という意味があるということが書いてあった。この文面では意味がよく解らないのだが、川の水流によって河岸が削られている様なところをいうのだろうか。と言うことは川の屈曲点は将にそういう場所で、酒田市のこの地に当てはまる由来と言える。
 近隣には皇大神社が四社あり、熊野神社も一社ある。気になる地名、赤戸、猿田、金谷、宅地、千河原

 引地(3)徳島県三好郡東みよし町西庄字引地
 東みよし町は2007年5月9日に訪れている。吉野川に沿った何の変哲もない町なんだが、大楠の木があるというので訪れた。楠の木は大きく育つのだがここまでのは見たこともない。その年の秋この地で全国俳句大会が開催されるというので後日投句したが落選した。Img_5285 その後町立の郷土資料館を訪れている。
 

加茂の大楠、いやはやでかい。

 さて地図で見る引地は東みよし町役場から加茂谷川を遡り、西庄に至る。平というあたりで右に谷が分かれると引地となる。このあたりは祖谷渓に越える桟敷峠に至る山間部で今まで調べた引地のように低地ではない。災害があるとしたら洪水より山崩れが起きそうだ。ここで自転車旅行で訪れた資料館で木地師の証文の現物を見たことを思い出す。木地師の祖惟喬親王のいわれの書かれた証文は本では読んで知っていたが本物を見るのは初めてであった。何でもこの証文があれば各地の関所を通過できたと聞いているが、封建時代の文化の伝搬はこれら放浪の民によってなされたという思いがする。Img_5298 かつてMTBを駈って北山を駆けめぐっていた頃、雲ヶ畑から祖父谷峠を越えて京北町側へ下ったことがあった。その際に惟喬親王や桟敷岳のいわれが案内看板に書いてあったのを思い出す。この山に桟敷を作って都を懐かしんだという伝説はそのまま受け取れないが、東みよし町の木地師の里(西庄)の上流に桟敷峠があるのも因縁かなあと思う。ただこの桟敷は祭祀の場所という意味かも知れない。この資料館には弥生時代の祭祀に使われた磐座(いわくら)の写真などが展示されていた。Img_5297 Img_5290
たぶん向こうに見える山の奥に引地がある。

 桟敷峠から南東に稜線をたどると風呂塔という山がある。面白い名前だが、ふろは鞴(ふいご)ののことだそうだ。銅の精錬に鞴を使っていたそうである。
 いくら地図を眺めても場所が確定できないので、東みよし町の役場に電話する。ホームページの担当の方がいて親切に教えてくれた。三好鉱山は山口谷川を遡って風呂塔に至る斜面にあったそうだ。滝倉という地名はもう消えているがやはり三好鉱山の一つの坑道のようである。精錬所は風呂塔の麓ということだが、確定はされていないそうだ。いずれにしても引地のある加茂谷川流域ではないのかとがっくりしていると、「尾根を越えて西側の谷にも坑道が有ったんですよ」というお言葉。「西側の谷というと加茂谷川のことですか」「そうです」
やはり引地の周辺には鉱山があったのだ。そういえば風呂塔周辺の山間には山道が交錯しており、かつてあちこちに坑道があったためだろうか。
 加茂谷川を下ると鍛冶屋敷、井関という小字が続いている。井関一族についてはいずれご案内することになるが、鋳物に関係する集団でもある。何か関連があるのだろうか。

【作業日誌 9/24】
材木の切断と移動
芝生広場草引き

今日のじょん:彼岸を過ぎると、逆に夏がぶり返してきたが、陽は斜めになり、じょんが日向ぼっこするようになってきた。秋を感じるねえ。Img_3057

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炎のおかげ展 9/23

2009-09-23 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.23(水)曇

 昨日のことだが、老富町に住み20年間作陶を続けてこられたトレーシーさんの記念の展示会が綾部工業団地交流プラザで行われており行ってきた。上林では最大の有名人だと思うが、そのアトリエは以前にお伺いしたが、作品は見たことが無かったのだ。Img_1307

昨年10月トレーシーさんのアトリエを訪れる。白樺が気に入り、すぐにじょんのび村にも植え付けた。

 釉薬に地元の栗などの木灰を使い、素朴な中に華やかさのある作品が多い。万人に好かれる作風だと思う。特にブルーを使った作品はらしいという感がする。このような酒器で熱燗を、このようなカップでコーヒーを飲んだら極上の気分になれそうだ。Img_3073
ここは入口部分

 この交流プラザは安藤忠雄氏設計の建物で、例によってコンクリートの打ち抜きの建物だが、どうじゃという感じがなくて綾部の丘陵にうまく溶け込んでいる感じだ。Img_3069
Img_3070同時に鉄や書などの展示も行われていた。

【作業日誌 9/23】
材木片付け(じょんのび谷広場の芝蒔きの準備)

今日のじょん:マリーの写真送られてきた。かわいいねえ。兄妹の黒い子犬は「へいへい」と名付けられたそうだ。中国語でクロというのだそーだ。
Sn3j01090002_2  
 

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じょんのび村アラカルト 9/22

2009-09-22 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.22(火)曇

 この間いろんな事を見聞きしたので、アラカルトで御紹介する。
 「すずめのお宿」
 20日の朝、開店準備をしているとかみさんが呼ぶので店の玄関に行ってみると、スズメが弱って落ちている。ハアハア息をしており、近づいても逃げない。先日も路上にスズメの死骸が落ちていたというので、鳥インフルエンザの可能性もある。手袋をして拾い上げ、段ボールの箱に入れて水とお米をやっておく。Img_3054 死んでしまったら焼却でもしなきゃと思っていたら段々元気になって、一時間ぐらいすると飛べるようになった。追うと小屋の奥に入ってしまうのでそのままにしておいたらいつの間にか居なくなった。小屋の奥で死んでいるのか、元気になって帰っていったか定かではない。いづれお礼のために再来し、スズメのお宿に連れて行って貰えるかも知れないが、私はきっと大きな葛籠を選んでしまうだろう。
 「蛇事件」
 一週間ほど前、じょんのび坂で芝播種の準備をしていると、「おとーさん来て」と頼りない声がする。行ってみると「バラの中に蛇が居る」と泣きそうな声がする。バラのアーチをのぞき込むと、青年のシマヘビ君がまいったなあなーんて感じでこちらを見ている。バラの手入れをしていたらその中にいたそうだ。まあこれは彼女ならずともびっくりする状況だ。Img_3058 さっそく箒で追いだしたわけだが、蛇といえどもどうしてあんな痛いイバラの中に居るんだろう。

この中に潜んでいた。

 斉藤さんに聞くと、山椒などのとげを利用して脱皮するということだ。なるほどイバラを利用して皮を脱ぐわけだ。そのことの真偽は別として、蛇の脱皮が盛んなようだ。
 「草刈りの上林」
 先日から草刈りを始めている。大規模なのは今年3回目ということだ。面倒だけど後は気持ちがいい。刈った草を燃やすのもやっつけたという感がしていいものだ。上林では地元の人はもちろん、都会に出ている人も、老若男女こぞって草刈りをする。夏の間は刈払い機のエンジン音と草を燃やす煙が絶えない。「綾部はよう草刈らはるなあ」と話していたら、「そうやねん、ホームセンターのチップソーの販売は綾部店がトップなんやて」「特に上林は、草刈りの上林と言われていて異常なほど草刈らはるんやて」
 「蔦を脱いだじょんのびの木」
 蔦を切ってもう一月ぐらいなるのかな。すっかり枯れて下の方は引きずり下ろして燃やしてしまった。私はなにか呪縛が解かれたようですっきりしていいと思う。かみさんは「なんかパンツ脱いだようで、落ちつかんなあ」といっている。「そういえば、穴が現れたなあ」「・・・・・・・・」Img_3059

【作業日誌 9/22】
じょんのび谷芝生広場準備

今日のじょん:じょんはお留守番していたが、舞鶴から貰われてきたチャコちゃんを山家に見に行く。ずいぶん気丈できりっとした子犬だったが、8ヶ月たってなかなかの器量よしとなっていた。家の人は不在だったのだが、もう人なつっこいというか、興奮気味というかとっても喜んでいた。母親はいわゆる野犬で家で飼われることなく脱走してしまったそうだ。じょんと同じ境遇のチャコちゃんである。Img_3068

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つちのこ 9/21

2009-09-22 | 歴史・民俗

2009.9.21(月・祝)晴

 先日来地名考の書籍やサイトを見ていると、槌(つち)は蛇のことであるというような記述があった。根拠や能書きはともかく、私の母親がツチノコを目撃した話を聞いたのでこの際書き留めておこうと思う。
 ツチノコとはずいぶん以前に大ブレークし、マスコミでも連日取りあげられ、その生け捕りには賞金がかけられるなど大騒ぎとなったことがあった。ツチノコ捕獲の会や出版物なども何点か有り、確か一冊読んだような気がするが内容については憶えていない。綾部のお隣の瑞穂町でも発見報道が続き、村おこしに利用しようかなんて話もあったようだ。農家のおばさんがテレビに出ていたのを思い出す。
 さてそのツチノコが現れたのは、私の家の下の家のおばあさんが御存命の時だから私が小学生以下の年代である。もちろんツチノコが世間で騒がれる以前のことである。私の生家は三和町上川合上地にあり、山間を登って一番奥にあった。家の下に畑があり、道はその畑を時計回りに沿うように続いていた。その6時の位置にお地蔵さんがあり、勝手に腰折れ地蔵と名付けている。この地蔵についてはいわれがあり「腰折れ地蔵」という童話にして童話コンテストに応募したが落選した。原稿は残ってないがいずれ書き直して御紹介したい。9時の位置には石垣があり、その上は畑となっていた。この石垣にツチノコは現れた。母親はその石垣から道を挟んだ家の下の畑で野良仕事をしていたわけだが、ふと石垣を見ると三角状の見たこともない生物が石の間にいるのだ。多分真正面から見たのでは無いだろうか、形は三角だというのだ。もちろん皮膚は蛇のようだったそうだ。急に怖ろしくなって下の家に逃げていった。そこにはおばあさんがいて、そのいきさつを話すと、「逃げてきて良かった、それはテンコロガシと言ってなあ、ゴロゴロと転がって襲ってくる毒蛇やで」と言われたそうだ。このおばあさんは「丹波の話」に出てくる小原四郎先生の兄嫁さんに当たる。気丈な母親だが、この時ばかりは怖かったと言っている。テンコロガシという名前も、もちろんツチノコという概念も持っていない母親である。ただ、その時以来その生物を見たことはないそうだ。私自身その石垣は毎日通ったが、確かによく蛇が日向ぼっこをしていた。しかしツチノコを見たことはない。
 私はツチノコはマムシが大きなものを呑み込んだもの、あるいは子供を産む前の状態(マムシも卵胎生)ではないかと思っている。古来からツチノコの目撃が有るようだが一向に捕まらない、捕まえて保管していたらただのマムシになっていたなんて話があるんだもの。

【作業日誌 9/21】
草刈り

きょうのじょん:ジローさん宅に子犬が来たので、朝の散歩時に見に行く。真っ黒で可愛い目、顔をしている。マリーと兄妹なのにずいぶん大きい。足も大きくて、きっとでかい犬になるかもよ。ちゃんとこしらえて貰った犬小屋がずいぶんでかいので奥の方にすっこんでしまった。きっと慣れない環境で不安なんだろう。Img_3037  

可愛い子犬ちゃんばかり見ているとじょんがやたらおっさんに見えてくる。

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芝生の管理 9/20 

2009-09-20 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.20(日)快晴

 入口西側に洋芝の播種をする。実験的には小規模にやってきたが、本格的に播種、育成するのは初めての試みで緊張する。昨年芝張りをした芝生広場やその他の芝生についても今までは適当に管理していたが、今後はきっちりと施肥、芝刈り、除草、砂入れ、ベンチレーションなどを管理、記録して今後の参考としたい。
 今回の播種についても面積当たりの種の量を決めマニュアル通りの種蒔きをする。種はタキイのケンタッキーブルーグラス ムーンライトSLT、人気のムーンライトに耐塩性を加味した品種で、1Kg3、300円、約60㎡の播種が出来る。ただし、事前の準備が台本通り出来ないので、必ずしもうまく行くとは限らない。とにかく土壌がひどいのだ。マニュアルでは20cmぐらい耕すとあるが、元々工事のために入れた土だからそんなことをしたら石が出てきてきりがない。表面の石は取り除くが、あとはレーキでかき鳴らす程度にして、あまりに石の多いところは畑の土を4,5cmほど入れる。除草も完璧に出来ないので、少し根などが残っている。元肥として有機肥料を撒く。これは適当である。レーキでならした上に薄く真砂土をひく。全体に水を撒いていよいよ播種だが、㎡あたり16g、今回は187gを容器に取り、1/4ずつ縦横縦横と4回播種をする。その後はレーキなどでならしておけばいいのだが、そうすると石が出てくるので、真砂土を篩にかけて全体に薄く乗せる。水をやって終了、水はけのいいのは絶対条件だがあまりに水はけが良くてすぐに乾いてしまう。生育にはいいが発芽にはちょっとつらい。そんなわけでこまめに水遣りをする。Img_3013 Img_3015 Img_3042 Img_3055
 



次はじょんのび谷のサイドの部分に移るが、一応同様の準備をしたい。それまでに今回播種の結果が出るだろう。

【作業日誌 9/20】
洋芝播種(入口西側)

今日のじょん:ジローさんとこに子犬が来た。マリーの兄妹だ。夕方の散歩の時に見に行ったが疲れて小屋から出てこないんだって、そのうち遊べるよなあ。

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引地のこと(4)  9/19

2009-09-20 | 歴史・民俗

2009.9.19(土)曇

 いよいよ「引地」本体の地名箇所を地図で調べてみたいとヤフー地図で検索したところ、236件が抽出された。上林に来たとき引地って珍しい地名だなあと思ったのだが、調査を進めていくと決して珍しい地名ではなく、普遍的な地名であることが解る。なにか共通項があるのではないかと調べていくつもりだが、この件数では堪らない。ところがよく見ると引地XX番地なんてのが一件に数えられていて、実際の地名として236件あるわけではないようだ。例えば京都市右京区梅ヶ畑引地町は番地付きが11件計12件の表示がされている。逆に上林の引地は検索されずに、バス停として表示されている。従って実際に検索されたのは236件だが、この数字が日本国内の引地地名の実数では無いということだ。私は小字を含めるともっと多い数字になるのではないかと思っている。これは感覚的なもので根拠はない。
 とにかく検索された236件は実際には100件程度の地名となるのだろうが、これを検証するのは大変なことである。そこでいくつかを抽出するわけだが、これが意図的に行われてはいけないことである。アトランダムに選ぶ必要があるのだが、その方法をどうするかだ。各県最初に検索されているものを選ぶのも手だが、私が自転車旅行で通過した地域、その周辺を選んで見ようかと思う。私の旅程はアトランダムだったし、その付近の光景は覚えているので臨場感があるように思う。
(1)鳥取県東伯郡湯梨浜町大字引地
 旧東伯郡東郷町で東郷温泉で有名である。自転車Img_5647 行では羽合温泉に宿泊したが(2007.5.15)かつてトライアスロンの会議で東郷温泉に宿泊した思い出がある。
羽合温泉に向かう道。

 東郷池に面し羽衣石川(うえしがわ)などの河川に囲まれ、低地と言えば低地である。羽衣石には羽衣伝説がある。
 なお湯梨浜の地名には興味があったのだが、2004年に羽合町、東郷町、泊村が合併し、公募によって付けられた新しい地名と知ってすこしがっかりする。温泉の湯、二十世紀梨の梨、白浜の浜からとった地名だそうだ。なお、あるサイトで次のような文章を見つけた。
鳥取県では多数,製鉄関連の小字名あり 「山根」「引地」「(中)曽根」も多数存在」これらが製鉄関連の名である確証は今のところ持っていないし、この地が製鉄の地であった確証もない。ただ近代の鉱山でウラン鉱を産出していたことはあるようだ。

【作業日誌 9/19】
じょんのび坂芝生播種準備(真砂土入れ)

今日のじょん:斉藤さん宅の子犬が遂に貰われてきた。雄なので「ケンシロー」と名付けていたら、実際は雌だったので「え゛~」という事件になっていた。生後二ヶ月、お母さんのランちゃんに似ていて可愛いことこの上ない。結局マリーという名に落ち着いたようだ。じょんと合わせると、あまりの体格の違いにとまどっているようだ。じょんがえらいおっさんに見えてきた。Img_3047

Img_3052     
じょんもとまどい気味、おにんぎょさんみたいでしょ。

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マーフィーの水道(3) 9/18

2009-09-18 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.18(金)曇

 いよいよ新取水口の取り付け日だ。ワクワクするんじゃなくてぞっとしている。あの草むらの谷に入らなければならない。ところが井上さんがレンガをあげるでと言われたので早速頂きに上がる。ガーデニングやじょんのび坂の境にレンガを使いたいと思っていたのだが、数が張ると予算的につらいので諦めていたところだ。200枚あるというので、じょんのび坂やじょんのびガーデンに有効に使わせていただく。うまくすればバーベキューの釜も出来るかな。Img_3036
 セメントレンガ、有効に使いましょう。

その上ジュンテンドーのバーゲンなんかがあって、恒例のホームセンターめぐりをする。てなわけで帰ったらもう3時、なんとか水道を開通しなければ。勇気を出して水源地に行く。ヘビは居ないけど蚊が怖ろしい。ここぞとばかりに寄ってくる。合羽とゴム長で完全装備をしているのだが、出ている顔をめがけて無数の蚊が寄ってくる。さっさと取水口の設置作業を終え、いよいよじょんのび谷の草刈りだ。ジャングルのような谷を刈って行く、ここでも大敵は蚊である。無事にヘビにもマムシにも合うことなく堰堤に行き着く。Img_3039_3

はしごを下ろして谷に入る。


その後ホースに水を満たし、両口をクランプで閉めて谷に入る。蚊に刺されてお岩さん状態で取水口に接続して工事は完了。ホース先端のクランプを祈るような思いで開く、おー出る出る。清水がほとばしる、当たり前だホース内は水道の水だもの。その後泥水がごぼっと出て、澄んだ水が出始めた。これって感激なのよね、北の国からのあの山水水道の出た瞬間を思い起こす。都会暮らしでは解らない感激である。Img_3038

清水がほとばしる。うれぴい。

 とりあえず取水口2号はうまく行ったが、何時止まってしまうかは解らない。泥抜き穴の大きさや、ペットボトルの角度など試行錯誤でやってくしかない。1号の改良もしておいて、次のトラブルに備える必要もある。

【作業日誌 9/18】
じょんのび水道開通(取水口2号)
大根白菜第一回間引き
じょんのび坂芝播種準備
レンガ運搬

今日のじょん:あっと驚く大ナメクジ。以前にお知らせした大ナメクジが今朝の散歩時に出現。これは見て見ぬ振りというわけにはいかぬ。積極的にかまいに行ったが気持ち悪いので制止する。家に帰って急いでカメラを持って戻る。じっくり見てくれい。Img_3035

14cmの大ナメクジ。 


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マーフィーの水道(2) 9/17

2009-09-18 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.17(木)快晴

 重しの石を取り除いて取水口を取り出そうとしたらびくともしない。バールを持ってきてこぜると少し動く。ごそごそ動かしてようやく取り出すと箱の中は泥がびっしりつまって、カニが這いずり回っている。予想はしていたものの、一年でここまで詰まるかという感じだ。この谷の最大の欠点は泥が多いことだ。その理由は堰堤工事により多量の土砂が入れられていることだろう。両岸はコンクリートで固められているが、底は土砂が入れられているのだ。それが微小の泥となって流れ出してくる。風呂桶に溜めているとあっという間に泥だらけになる。将来的にはこの泥を沈殿させ、清水だけを取り出す方法を考えているが、その前に試作を繰り返さなければならない。まずは取水時に少しでも泥を少なくする方法だ。この取水には矛盾した条件をクリアする必要がある。サイフォンとならなければならないので空気が入ってはいけないことと、泥を如何に減少させるか、あるいは取水口付近から泥を如何に流すかというところである。第一号の取水口では空気が入らないように、ある程度枡形にし、泥を抜くため下流側に小さな泥抜きを設けた。最初のうちは良かったかも知れないが、やがてこの泥抜きが詰まると箱が満杯になるまで泥が溜まってしまったようである。また上流側はゴミを入れないようにネットを張っていたが、泥の中の蟹などを狙った猪の牙で破られていたようだ。Img_3030
 
この泥抜きでは詰まってしまう。


  ネットを頑丈にする、泥抜き穴を大きくするなどの改良点が考えられるが、取水口第二号ではまったく違った考えで、取水口にペットボトルを被せ、上部に空気抜き穴、下部に泥抜き穴を設け、上流下流側にネット(焼き肉の網)を張った箱に45度ぐらいの角度で設置し、廻りを小石で囲む構造とした。取水口の角度や泥抜き穴の大きさなど確定できない要素が多く、期待はできないのだが、試作として作ってみた。
明日は実際に設置して試してみよう。Img_3032 Img_3033
ペットボトルの肩の部分に開けられた穴から泥が抜ける。このあと、小石を詰める。


【作業日誌 9/17】
取水口2号作製(完成)

今日のじょん:朝の散歩時はぽかぽかと暖かく、南向きの石垣はヘビの社交場と化している。今日は3匹目撃、あまりに近くなのでじょんが見るまで根気よく待つ。最初はいつものように知らん顔しているが、さすがに相手が動きだすと「なんじゃ」という感じで驚いていた。どーも見て見ぬ振りではないようだ。

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マーフィーの水道 9/16

2009-09-17 | 日記・エッセイ・コラム

2009.9.16(水) 晴

 朝夕がすっかり涼しく、いや寒くなってきて毛布や湯たんぽがそろそろという感じになってきた。京都にいるときは九月一杯は真夏、10月から残暑なんて雰囲気だったがもうすっかり秋本番という感じだ。今日は朝から山田さんにいただいた南京ハゼを植え付ける。14本頂いて必要な方に差し上げ6本が残っていた。じょんのび谷の境に並べて植える。Img_3028

草を刈って百日紅と南京ハゼを植え付ける。


  今回芝の播種をする予定だが、なんとも殺風景な場所なので植樹でもしていこうと先日も百日紅を植えたところである。6本目のハゼを植え終わったとき、ふと谷の水道を見るとなんと水流が止まっているではないか。昨年8月、第一号の取水口を作って以来一年余り、ノンメンテナンスで谷の水を送り続けてきた自慢の水道が止まっている。先日の大雨の際に水流が細くなって、気にはなっていたところであるが、止まってしまうとは思わなかった。真夏の暑さも過ぎ、花や木の給水もそう頻繁には要らなくなっているが、さりとて不要というわけではない。とにかく上水道代の高い綾部市においては、自然の水を利用することは必須である。もちろん目の前にざわざわと流れている谷水をポンプで汲み上げれば簡単に済むことである。かみさんの言うように井戸を掘ってもらい、ポンプで汲み上げれば清浄な水を得ることができるかも知れない。しかし私はお金を使わないで水を得たいのだ。お金を使って得るぐらいなら市の上水道を使えばいいことである。従ってホースは岡村さんの倉庫に放ってあったものをいただき、取水口は廃材を使って自作、タンクの風呂桶は立て替えの家から貰ってきたものという塩梅で、使ったお金はジョイントの数十円である。
  能書きはともかく、一刻も早く復旧しなければならない。ところがだ、今は芝の播種準備と秋野菜の播種で大忙しなのだ。その上パラソルなんか買うもんだから、パラソル立てようのテーブルを早急に作らなければならない。冬になったら役に立たないのだ。
 「何かをしようとすれば、他のやらなければならない何かが発生する」というようなマーフィーの法則があった。将にその通りになった。
 その上じょんのび谷は、昨年はホースの設置や補修のために草を刈っていたが今年は順調に水が来ていたためまるで草刈りをしていない。怖ろしいほどのジャングル状態になっているのだ。今朝も対岸に蛇を見つけ、石を投げたらしっかり谷に逃げ込んだ。そう、じょんのび谷は蛇の巣なのだ。弱り目に祟り目だ。
 それでも取水口を調べないとと周辺の草を刈って、取水口へ行って驚いた。Img_3029つづく

引き上げられた第一号取水口


【作業日誌 9/16】
取水口搬出、ホース洗浄
新取水口作製(材料切断、塗装)
南京ハゼ6本植え付け
ゴーヤ採種

今日のじょん:今日はサチが軽トラに乗ってきた。サチもジローも軽トラが大好きなのにどーしてじょんは駄目なんだろう。きっと乗せる機会が少ないからだろうが、秋は少し軽トラで上林探訪でもしてみるか。Img_3021       

サチは軽トラが大好き。

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