晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

宝塚を観る 10/29

2019-10-29 | 文化に触れよう

2019.10.29(火)曇り

 10月21日(月)始めて宝塚歌劇団の公演を観劇する。宝塚ホテルで昼食をいただいて観劇をするというおしゃれなコースである。思い起こせば30数年前、このおしゃれな街並みをなんとも厳ついスタイルで徒党を組んで歩いていたものである。近所の岩場に通っていたのだ。もちろん大劇場に来ようなんてさらさら思ってもいなかった。

開演前から熱気ムンムン
 今年は例年になく文化に触れる機会が少なく、演劇、ミュージカルは6月に劇団風の子を観ただけである。天気の悪いウイークデイに宝塚といえども空席が目立つだろうと思っていたら、なんとなんとB席まで満員の大盛況でさすがに世界の大宝塚と感心する。もっと感心したのはこれだけ多くの観客にもかかわらず、マナーがしっかり守られていることだ。係員さんも各席に配置されており、スマホなんかで撮ってたら本当に取り上げられそうだ。地方の劇場では写真もおしゃべりもやり放題ですこぶる気分が悪いが、宝塚は気持ちが良い。
 劇団四季でも思ったのだが、実に歌がうまい。当たり前と言えば当たり前だが、その辺の流行歌手やアイドルなんか比べものにならない。そして舞台の下には生の楽団が演奏していて感激ものだ。ストーリーは泥臭いものが好きなわたしには美しすぎて、まぶしすぎて合わないが、ひととき浮き世の憂さを忘れて楽しむにはぴったりかもしれない。忘れそうになった恋心が湧いてくるから不思議なものだ。

静かになった劇場入り口

【今日の”のび”】NO.8
初めてのシャンプーに出かける。出かけることに不安があり、預けてシャンプーしてもらうのもどうなることかと思ったが、縁さんが上手にしてくださったのできれいになって帰ってきた。べっぴんさんがよりべっぴんさんになったぞ。

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蕎麦打ち研究会 10/28

2019-10-28 | 食・レシピ

2019.10.28(月)晴れ

 蕎麦打ち研究会も7回目を数える。前回までは水まわしの水加減をテーマに取り組んできたが、各自それなりに要領が解ってきたようだ。今回は切りがテーマとなる。ゆで加減ものどごしの食感もいかにそろえて切るかにかかっている。これが素人には難しい。一枚の生地から素麺からきしめんの蕎麦ができあがるのだからたまらない。お互い褒めたりけなしたり、教えたり教えられたりしながら、意識して切ったらみんなそれなりにうまくいったから不思議だ。

実寛さんが一番細く切れていたようす。
 わたしは今回特別に名田庄のそば粉を打ってみた。いままでずっと越前のそば粉を使っていたので、一体どのように違うものか試してみたかったわけ。粉の感触はきめが細かく感じたが打ち具合は同じ感じで良かった。香りはこちらの方が良かったが味は越前の方が良いように思えた。最も違うのが色で、名田庄のはずいぶん茶色く仕上がった。

名田庄のそば粉は茶色く仕上がった。
 さて次回のテーマは出汁、各自自作の出汁を持ち寄ることとする。同時に芋煮会を一般公募し、食べ比べをしてもらおうという魂胆。芋煮の芋は大野芋という逸品で昨年大好評のもの。日時は後ほど公表するのでお楽しみに、、、。

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ぐるっと綾部サイクリング 10/27

2019-10-27 | 自転車

2019.10.27(日)曇り

 昨年、今年と里山サイクリングが中止となり、原付に乗り出してからMTBも乗らなくなって自転車とは縁遠くなった。ガソリンが高騰して燃料費は月1万3千円となっている。自動車の走行距離を月千Km以下に、燃料費を1万円以下にするには移動手段を原付もしくは自転車にする以外に無い。そのきっかけにしようと来年本格的に再開されようとしている里山サイクリングのプレ走行に参加する。家から会場まで往復16Km、本番60Kmが果たして走れるだろうか。

二王公園から順次スタート。市茅野入り口で、愛車ファーストラブ7世と。

 主催者の福山さんは「ゆっくり走ってくださいよ」と呼びかけられていたが、山の家から府道に出るまでの1Kmの処で置いてけぼりになってしまった。それでもみんな休憩所でしっかり休むので追いつくことが出来、それなりについて行ける。ところがいつもの癖で、知った人に出会ったり、変わったところを見つければ、話し込んだり写真を撮ったりでまたみんなに追い抜かれる。
 於見の上の橋で散歩中のゴンに出逢う。いつもは小屋にいるところを遠くから見ているが、近くで見るのは初めてだ。予想に反して妙に人を怖がっている。猟犬が迷っただけならここまで怖がらないと思うが、虐待されていたとか悲しい過去があるのかも知れない。

ゴンは人怖がり
 旧奥上林小学校のそばを通ると中庭になにやら人影が、、、。彫刻家の松浦さんがアトリエを引き払うことになったと話しておられたので、引っ越しの作業でもしておられるのかと寄ってみる。
「やっぱり松浦さんだ、あれっこのオブジェ松浦さんの作品ですか?工業団地にあったのと違いますか?」
「よく御存じですねえ、交流プラザにあった僕の作品です。移転するのにばらしてるのですよ」
「交流プラザの建物にぴったりマッチしていたのに置いとけなかったのですか」
「あそこに置いとくのが一番なんですが、安藤忠雄さんが合わないからどけろって、、、」
「なんだ安藤忠雄がなんぼのもんじゃい。あの池と壁にぴったりの作品ですのにねえ」
どうやら安藤氏建物よりこのオブジェが目を惹くのが気に入らなかったのだろう。
 ばらす前に記念写真を撮っておきましょう。
Img_3070
右は交流プラザにあったときのもの(2009年9月)随分錆びたね。
 古和木、草壁ではだれにも合わなかったので土井さんちのムクを尋ねる。道路から「ム~ク」と呼ぶとワンって吠えていた。元気元気。

ムクも歳いったぞ。
 中上林はしょっちゅう行ってるところなので変わったことは無いが、清水の井関さんが帰ってこられていたので挨拶による。鋳物師の古文書を見せて頂きたいとお願いする。実現すれば清水鋳物師と大栗峠の謎が解決するかもしれない。
  今回の楽しみは市志の芋煮と老富の栃大福だ。どちらも大変美味しくて大満足、来年も食べられればよいですネ。
 自転車は車と違って道沿いのあらゆる物や変化に気付くことができる。そしてすぐに止まって確かめられる。これがサイクリングの魅力だと思う。良い一日だった。

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メダルはとったけど 10/26

2019-10-26 | 健康

2019.10.26(土)曇り

 2019年9月28日(土)にグリーンランドみずほで開催された京丹波町いきいきシルバーオリンピックに参加する。昨年は生憎の大雨で屋内のため記録会が一部となった。今年はホッケーグランドで全種目が行われ、熱戦が繰り広げられた。
 
ホッケーグランドは素晴らしいコートで、来年は裸足で参加したい。
 記録会と体力測定が一緒になったもので、文科省基準の体力測定が受けられる機会はそうないので昨年から参加している。毎日1時間程度のトレーニングをしているので、それなりの成績を出せるものと高を括っていたら、なんと京丹波町の老人は強い。ウオーキングをいくらやってても、50m走やソフトボール投げはとても勝てない。金メダルを取る人はきっとそれなりの練習をしているに違いない。9秒28という情けないタイムで65-69才部門の銅メダルを頂いたが、70才以上の方がもっと速いので驚いた。それなりの練習をして来年はゴールドラッシュ目指したい。

 2017年全国平均(65~69 男子)右はわたしの記録
                   昨年     今年
握力(Kg)       40.19   50.25       50.0 ↓

長座体前屈(cm)  35.87   43.0   41.0 ↓
上体起こし(回)   15.61   15     18   ↑
開眼片足立ち(秒)  85.76   120    120  -
10m障害物歩行(秒)6.27    5.53   4.84 ↑
6分間歩行(m)   631.34  未実施    605 
 -   

 体力測定は年齢平均はクリアしていて、80才までこのレベルを維持したいと考えているのだが、、

【今日の”のび”】NO.7
のびちゃんが来て1ヶ月が過ぎた。じょんのびの生活も随分慣れてきて朝夕の散歩は喜んで行くようになった。距離も伸びて河牟奈備神社までは平気である。でも道中で出会う人や停車の車など怖そうだ。

ここで「帰るで」というとくるりと向きを変えるのが賢いのだ。

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雨読 名犬チロリ 10/24

2019-10-24 | Dog

2019.10.24(木)雨

 讀賣新聞の連載記事「時代の証言者」に大木トオルさんの「犬とブルース」がこの夏連載された。変なタイトルだなあと思いつつちょい読みをしていたんだが、ブルースマンとしての歌手活動のところは大して面白くない。ところが犬の話になったら俄然気になる話題が出てくる。掲載される日を楽しみに読んでいたら10月14日に最終回となってしまった。捨て犬で雑種のチロリが優秀なセラピードッグになる話で、最終回になって寂しいなあと思っていたら、かみさんがこの本を探してきた。
 「名犬チロリ」 大木トオル著 岩崎書店 

切り抜きも一緒にじょんのびに有り、貸し出し可。
 読みながらぼろぼろ泣いているかみさんを見て、そんなに悲しい本なのかと思って読んでみたら、やっぱり泣いてしまった。でも一般的には泣くべき本ではないのだが、じょんとのびのことがあるから泣けてしまうのだろう。野犬の子であるじょんと飼育出来なくて保健所に保護されたのびも少し以前の時代なら、さっさと殺処分されて人の家で飼われることはなかった。あれほど人の心を癒やしてくれる犬たちが無情にも殺されていったのだ。
 チロリも動物愛護センター(この名称はどう考えても相応しくないのだが)で殺処分寸前までいくのだが、助けられて、日本初のセラピードッグとなるのである。
 チロリの一生を読んで、犬たちにも喜怒哀楽の感情があり、慈しむ心や愛する心があることに確信が持てた。そしてそれは飼い主の心に写し写され、ともに深まっていくものだろう。

じょんは心の中に、のびは手の中に。

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雨読 ひ弱になる日本人の足 10/18  

2019-10-18 | 雨読

2019.10.18(金)曇り、雨

 「ひ弱になる日本人の足」近藤四郎著 草思社1993年11月第1刷発行
「日本人の起源と進化」「足の話」「足のはたらきと子どもの成長」「人間の生と性」とつづく著書を分かり易くまとめたものと思われる。
 「なぜ足が弱くなったのか」という問に、多くは歩く時間が少なくなった、歩数が減ったという答えとなっているが、近藤先生はそうは言わない。

例えば「現代の幼い子どもに扁平足が多いのは、われわれの生活が近代化するにつれ、裸足になって傾斜面や泥道などを歩く機会や木登りなどの足ゆびを使う遊びが少なくなっていることに原因があると思われる。つまり足ゆびを使って地面(床面)を踏ん張る場面がないから、足の裏やいろいろの関節にわたる筋肉、靱帯が弱くなって、足のアーチを支えきれずアーチが落ちて底平化してくるのである。」と説かれる。歩きの量よりもその質を重視しておられ、わたしの進化する「寿命延ウォーキング」の考え方にぴったりで嬉しくなってくる。ヒトのヒトたる所以は直立二足歩行であるという考え方も、昨今のウォーキング理論を語る書物には見られず近藤先生の著書が参考になる。ウォーキングの方法や効果を語るとき、進化の過程から考えないと説明しきれないのである。例えば足裏の荷重ライン(踵→土踏まずの外側→小趾球→母趾球)など当然の如くだれもがいうことだけど、なぜそうなるかは言われない。わたしにとっても悩ましい問題だったのだが、先生の言われる「ヒトは外から内にあおって歩く」ということがヒントになりそうだ。先生は街中を歩く関取からそのことに気付いた言われているが、やたらとデータをふりかざして理論立てていく最近の科学者より頼もしい。わたしはあおって歩くと聞いたとき、ガラパゴスのコモドドラゴンの歩みを思いだした。もっと遡れば魚のひれの動きも考えられ、歩行というのも生物の進化の過程の渦中にあるものだと解ってくる。
 現代人の足が弱くなっているのは「足のあおりを利かせることなく歩いているからだ」とまで書かれているが、なぜあおりが無くなっているのか、どうすればあおって歩けるのか、常にあおりを意識して歩かなければならないのかと疑問はいくつも湧いてくる。あおりについては先生が発見され、学位論文にも発表されてウォーキング理論の本などには必ず出てくる行為なのだが、前記の様な疑問がありいまひとつ納得のいかない事柄なのだ。(ちなみに昨今話題となっている自動車のあおり運転は無関係なので、念のため)
 「このように、足を外から内へあおりながら足ゆびで蹴り出すから、反対側の足がスムーズに前に振り出される。したがって、最小のエネルギーで長時間歩くことができるのである。」(P107)一部分の文なのだがこれが理解できるだろうか。わたしは前述のようには虫類があおって歩くのが人類にも残っているのかなと思っていたが、それは間違いである。あおり歩行は足アーチ同様小さな子供にはなく、立って歩くようになって7,8才の頃から出てくるというのである。つまり人類が直立二足歩行を始めてから出てきたものであって両生類、は虫類のあおり歩きとは無縁のものであるらしい。
 足裏の荷重ライン、足のアーチ、あおり歩行など一般には注目されないけれど、人間にとって重要な問題であり、近藤四郎先生が日本におけるこの分野のパイオニアであることは間違いない。おわり
【今日の”のび”】NO.6
 じょんのびに来てもうすぐ1
ヶ月になろうとする。体重も増え毛並みも良くなり、名前も憶え、お座りや待ても出来るようになったが、なぜかおびえる様子が残っている。今までの犬生によほどつらい体験があり、PTSDが残っているのだろう。

散歩も出来るが、人に会うとおびえる。

 


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大栗峠三角道の謎-9 10/13

2019-10-13 | 上林たんけん隊

2019.10.13(日)曇り

 砕かれた石は石室に使われる他、石室の右手に無造作に置かれている。これらの石の体積を足すと元の大岩の大きさが解るのだが、素人のわたしには見当も付かない。しかしそれなりの大岩だと想像できる。
 峠として相応しい地形であっても、そこにそれだけの大岩があれば通行は困難となる。人はよじ登っても、横を捲いて通ってもいいが、荷車や牛馬となるとそうはいかない。現在の峠は大岩があって通れない、従って旧峠が元々の峠として機能していたと考えられる。

これらの岩塊は元々通行を妨げていた大岩だったのではないか。
 ではその大岩はどの辺りにあったのだろう。気になるのは石室だ、お地蔵様の鎮座する石室の窪みはどう見ても自然のものとは思えない。人工的に窪みを造って、石を積み上げ石室にしたようだ。大岩の一端がこの窪みだと考えればわかりやすい。新峠の道をふさぐ大岩を砕いていけばこの窪み部分まで根が張っている。掘り起こすとその跡が大きな窪みとなった、砕いた石を積み上げ、旧峠付近にあったお地蔵を祀り、旧峠の石標を倒せば新峠ができあがる。なぜ新峠を造る必要があったのかは前に述べたとおりである。

左:志古田から登ってきて写真上の旧峠に向かう
中:旧峠から志古田からの道を見る
右:右わち 左志こだの旧峠
 さてもう一つの課題、志古田道が直接旧峠に繋がっていないかという疑問がある。あくまで想像で考えた道なのだが
実際に旧峠に立って眺めてみるとそんな想像は吹っ飛んだ。旧峠からの志古田側は急斜面であり、道の痕跡も見当たらない。むしろ現峠を無視して志古田道側から旧峠を眺めると、随分趣のある良い峠に見えるのである。

旧峠から志古田側斜面を覗く、急斜面で道があったとは思えない。

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大栗峠三角道の謎-8 10/11

2019-10-12 | 上林たんけん隊

2019.10.11(金)曇り 大栗峠三角道の謎-7は2019.8.15

 大栗峠の石室の石が現在の峠にあった大岩であること、旧峠に直接到達する志古田道がなかったかどうかを目で確認したいものと思っていたが、所用が多くて出かけられなかった。ようやく実現したが、台風19号の前日と言うことと同行の工忠君の都合で13時からの山行となった。工忠君がまだ行ったことが無いというのでシデ山経由で大栗峠を目指したが、日没と台風の影響で峠まで行けるか心配だった。
かみおりと 13:05出発
三の滝   13:17
やすみと  13:42 15分休憩
みと    14:05
シデ山   14:45
大栗峠   15:10 13分休憩
尾根分岐  15:43
やすみと  16:10
かみおりと 16:32着
全行程 3:27 休憩除くと 2:59

おりとの滝、みと、シデ山山頂 

空模様を気にしながら全速力で歩いたが、みとでポツリと降ってきた。合羽を着るがたいした降りにはならなくてガスが濃くなってきた。シデ山山頂の景色もまるで視界が効かなくて、足下しか見えない。大栗峠もガスの中で幻想的な雰囲気たっぷりだ。
 焦る気持ちを抑えて、石室をじっくり観察する。チャートの白い岩塊なのだが、明らかに人の手で砕かれた感がする。ただ花崗岩のように溝を切ってくさびで割るという方法ではなく、大きな槌で叩いて割ったもののようだ。チャートは溝や穴がきれるような岩質ではない。層に沿ってきれいに割れるようで、表面はきれいな平面になっている。シデ山頂上の写真を見てもわかるように、チャートの岩塊は稜線上にいくつも見られるが、自然の状態で大栗峠の石室のように小さな岩塊となっているものは見当たらない。従ってこの石室の石は人工的に割られた石と判断して良いだろう。つづく
  

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雨読 BORN TO RUN 10/8  

2019-10-08 | 雨読

2019.10.8(火)雨
 BORN TO RUN(走るために生まれた)
Chrisopher McDougall著
NHK出版2010年2月25日第1刷発行 府立図書館借本

 分厚い本だが多くの人に読まれた形跡がある。
 わたしの提唱する寿命延ウォーキングは「裸足で歩くことが人類のホメオスタシスを高める」というコンセプトで、靴、靴下を捨て地下足袋とサンダルで歩いている。そんなことを言ってる者はいないだろうと思っていたら、なんとランニングの世界にとっくにいたのである。それもウルトラランニングの世界に。
 裸足で(厳密には素足の地下足袋歩行)野山やゴーロ(河原)を歩くと、膝はいつも曲がっているし、スピードを増すとつま先着地となる。これはウオーキングの原則とは正反対の行為なのだ。実践でそのことに気付いたのだが、そのことを裏付ける理論とか研究がないか探していた。本書は将にぴったりの理論で、「靴が人間の歩行を歪めてしまった」というわたしの考えと同様に、「ランニングシューズは、人間の足を襲う史上最大の破壊勢力かもしれない」と言っている。

このゴーロがわたしのランニングコース、裸足に近い形で走るのは熟練が要る。
そして人類がその進化の大部分をやってきた行為が狩りであるとして、人類は走り続けてきた(持久狩猟)としている。それがタイトルのボーンツーランなのだが、わたしは同様に狩猟採集の時代を想像したが生活の主は歩行で走行は従であると考えている。ボーンツーウオーキングである。
 
さて裸足で走る人がこれだけこき下ろす靴というものが、なぜ一般的なのか?これは大きな課題である。ローマオリンピックで裸足で走って金を獲ったアベベが東京でなぜ靴を履いたか。傾斜も凸凹も無いアスファルト道路こそが謎を解くキーかなと思っている。
 
本書について、これらの説明では何のことか解らないかもしれないが、人類の進化に興味ある方は一読されてもよろしいかと思う。

【今日の”のび”】NO.5
 「じょん」の童話の推敲に時間がかかり、ブログの更新が出来なかった。のびの記事も書けなくて申し訳ない。昨日完成し応募したので、今日から頑張って投稿しようかと思う。
 さてのびも今日で18日目、少しずつ慣れてきてはいるが、まだまだ借りてきた犬状態。時々固まっているがじょんもよく固まってたなあ。

どちらも固まり状態、左は病院だからしゃーないか。


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