晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

磁鉄鉱その後(1) 3/31

2010-03-31 | 歴史・民俗

2010.3.31(水)曇、雨

 相変わらずのぐずついた天気で、薄ら寒い日が続く。京都あたりでは花冷えということなんだろうけど、上林では蕾はまだ硬い。たいした降雪もない冬だったが、春の訪れはすこぶる遅い。さて先日磁鉄鉱を含む石の拾う確率の実験をしようというお約束をしたが、一応の結果が出たのでお知らせしよう。
 磁石に反応する石は三種類ある。一つめは花崗岩状の雲母や石英を含んでいると思われる石、磁鉄鉱はこの石に含まれるのであって、他の二種類は鉄分が沈着しているものだと私は思っている。この石が何という石なのか実は解らない、図鑑を見ても似たような石が並んでおり、特定できない。わたしはごま塩石と呼んでいる。Img_4081
Img_4080 こんな感じで分類する、左の四個が磁石に反応。

 二つ目は赤色のチャートである。この硬い石が放散虫の死骸が海の底で固まったものとは驚きだが、そのものは白い石英となるそうで、赤いのは酸化鉄の混じったものということだ。この酸化鉄の濃い部分が磁石に反応するようで、磁鉄鉱とは別物のようだ。Img_3947 Img_4106_2

本来もっときれいな赤色をしているが、そういうのは磁石に反応しない。左の一個が反応。


 三つ目のものは、チャート同様硬い岩石で、緑色の基調に赤い渦状の線が入っている岩石である。赤い部分が茶色に変色しているものもある。チャートを原石とした赤鉄石英片岩というのが似てるなあと思うのだが、確定は出来ない。一応順にNo.1~No.3と表示しよう。Img_40531
Img_4101

この石は確率が高い、50%。



 実験次の順序で行った。
(1)念道の河原で各種類の石のうち、らしそうな石を10個以上拾う。
(2)その中から候補を10個選出する。
(3)磁石に反応するものの割合を出す。
結果
No.1 一日目 40%  二日目 50%  三日目 60%  四日目 10%
No.2 一日目 10%
No.3 一日目 50%つづく

【作業日誌 3/31】
薪割り

今日のじょん:朝の散歩時にやたら草を食いに行くなあと思っていたら、朝食を摂らず、やがて吐いてしまった。かみさんはこの前のことがあるから異常に心配しているが、わたしはそれほどでもない。今までも何回も吐いていたし、便は異常ないし、心配したところでどうもできない。結局夜になればいつもどおりとなった。ただ、あの草だけはどうしたものか解らない。野生の本能として、治癒効果のある草を食べているとしたら自由に食べさせればよいし、それが害になっているとしたら止めさせるべきだし、意見は様々あるようだ。もちろん草の種類は決まっており、稲科の雑草である。

Img_3973
こういう感じで、いきなり草を食ってしまう。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 続・画文集 炭鉱に生きる

2010-03-30 | 雨読

2010.3.30(火)曇

 本来なら北海道の北あたりの寒気が南下してきて、2月中旬の気温だそうだ。夜の間にも降雪があったようで、朝は雪景色となった。各地では桜に雪という珍しい光景が見られた。上林では桜はまだまだだが、スタッドレスタイヤを履き替えた人もあるようで、困った降雪である。Img_4135

驚きの雪景色。


 実は「炭鉱に生きる」というこの画文集に大きな不満を持っている。わたしが高校二年生の時に出版されたこの本を、安い値段で入手できたことは感謝している。山本作兵衛氏が描いた絵は六百余点ということで、そのうち三百余点が田川市立図書館に保管されているということである。この画文集はその中から数点が採用されているようだが、その作品には絶賛するものである。初めて山本氏の絵を「地の底の笑い話」(上野英信著)で見たときに、これこそが底辺にある者が文化の担い手であるという実感を憶えた。これはわたしのポリシーである。そしてその独特な絵もさることながら、傍らに記してある自筆の短文、それはあるときは絵の補足説明であったり、坑内歌であったり、山本氏自身の思いであったりするのだが、ほとんど総ての絵に書き込んである。最初に見たのは岩波新書だから、その字は大変小さく目を凝らして見ないと読むことが出来ない。必死に読んでみると、それは炭鉱という地獄のような生活と不条理に対する怨念がにじみ出ている。この短文は絵と同様の価値があり、切っても切れないものである。それがこの画文集では短文の部分をカットし、下手な説明書きがしてあるのである。これは山本氏の意図ではなく、講談社の編集上の恣意ではないかと想像する。画文集が画文集でなく、単に炭鉱の生活を説明する資料と化している。Img_4139

スラやセナで炭(石炭)を運び出している絵、スラでは文の上部がカットされており、セナでは全文がカットされている。


 序文で、上野英信氏は、「唐津下罪人のスラ曳く姿 江戸の絵かきもかきゃきらぬ」
という坑内歌を引き合いに出して、絶賛している。(下罪人とは坑内労働者が自らのことをこう呼んでおり、スラとは掘り出された石炭を炭車まで運ぶ、橇の付いた竹や木の運搬具である、語源は修羅だろう)また、裏表紙には「いま、私たちは、おのれのくぐりぬけてきた暗黒そのものを創造のエネルギーとして、ひそかに無名の民の汗と血の足あとを刻みつづけている人の絶無でないことを、この一冊によってしることができる」と書いている。しかし解説を書いておられる田川市立図書館の館長、永末氏の文からは炭鉱の生活を記録する貴重な作品としての見方しか伝わってこない。これこそがこの本に対する講談社の編集方針なのではないだろうか。そうでなければ、画文集の絵の一部をカットして載せることはしないだろう。誠に残念なことである。
【作業日誌 3/30】
一輪車タイヤ交換
ドッグランど柵用板のペンキ塗り

今日のじょん:じょんのアジリティは杉の丸太である。ところがこれがドッグランどの入場門となってしまって、使えなくなった。毎朝のジャンプポンポコポンが出来なくなったのである。丸太はまだいくらでもあるので、作ってあげたいのだが、結構時間かかるのよね。Img_4134
 
ジャンプ用の丸太(右端)は柱(左端)となってしまった。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 画文集 炭鉱に生きる

2010-03-29 | 雨読

2010.3.29(月)雪

 天気予報では雪ということだったが、ほんまに降るんかいなという気持だった。予想に反し、しっかりと降り、一時は吹雪状態となった。昨冬の最終降雪が23日ということだから、まあこんなもんかという感じだが、思えば2月に、もう春かなあなーんてのうてんきに思っていたわけだから結構応える。Img_4128
もうかんべんしてよの雪。

 さて、今回の雨読だが、画文集でもあり、興味深い本でもあったので一日で読んでしまった。他の雨読が連載中で、完結していないがとりあえずこの本を御紹介する。
画文集 「炭鉱(やま)に生きる」地の底の人生記録 山本作兵衛著 講談社刊 昭和42年初本 420円(古本431円で購入)
Img_4131 Img_4132  




 わたしが鉱山に興味を持つようになったのは、20年ほど前だろうか、岩波新書で「地の底の笑い話」上野英信著を読んでからだ。この書は九州や山口の炭坑を舞台として、かつての炭坑労働の様子を笑い話として収録されたものだが、それは単に笑い話などというものではなく、炭鉱という独特な世界に生きる民衆の生活というか喜怒哀楽が記録されている、歴史資料としても貴重な書である。特に生粋の炭鉱労働者である山本作兵衛さんの挿絵はユーモラスかつ写実的でこの本にぴったりであった。この本を読んだのは、日経新聞の書評がきっかけだと記憶するが、既に第十四刷となっており、本文には山本氏は活躍中とあったが、その時点では亡くなられていたようだ。(1984年没)山本氏は1892年生まれ、七歳で炭鉱に入り、五十余年を炭鉱で過ごされた。その後警備の仕事などをしながら絵筆をとられ、数百点の貴重な記録を残された。その絵は決して芸術的なものでなく、写実的でユーモラスな感がある。しかしその内容は過酷な炭鉱の労働や日常生活を表す貴重な歴史的財産で、三百余点が田川市市立図書館に保存されているそうだ。いつかは訪れて見たいと思うのだが、総てが閲覧できるとは思えないので、書物が市中に出回っている内に手に入れないという思いで購入した。つづく

今日のじょん:昨晩は強烈な雨が降った。雨の夜はイノシシの出る確率が高いそうだ。鹿事件以来、吠えたら確認に行くとじょんに約束したが、いきなり反古になってしまった。こんな雨の中を行く気せんわいと居直っていたら、今朝の散歩時に先日掘り起こしていた現場に行くと、しっかり新しい足跡があった。うーむ。
Img_4104  

おとー、何かきとるで。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿事件その後 3/28

2010-03-29 | 日記・エッセイ・コラム

2010.3.28(日)曇、雨

 昨晩遅く、警察から電話があり、今日の早朝には業者が鹿の遺体の始末に来るということであった。じょんの散歩の準備をしていると東綾さんが取りに来た。明るいところでしっかりと検死する。右の肩あたりから側頭部を強打しているようだ。あまり出血は無いので、頭部打撲が致命傷か。車の破片はヘッドライト部分だけのようだが結構でかい鹿なので、相当傷んでそうだろう。Img_4118 Img_41191

南無阿弥陀仏。



 ユニックでつり上げられ、軽トラで運ばれる鹿を見送って、じょんと散歩に出る。いつもの河原に行くと、何か白い物が落ちている。なんだろうと見に行くと、鹿の角である。先程の鹿のものではないようだが、昨年拾った角と丁度対になっているので拾って帰る。
 帰るとその間に昨晩の事故の当人さんと家族の方がみえていたそうだ。なんでも昨晩は息子さんが夜勤の出勤中にはねてしまったそうだ。出勤途上だったので、急いで帰宅し、家の人に送ってもらったそうだ、道理で現場に誰もいなかったはずだ。仕事が終わって早朝に帰宅すると、鹿の遺体がまだ残っていたので慌てて片付けに来られたそうである。律儀な家族だなあと思うが、人身事故でなくて、本人に怪我が無くて良かったなあと思う。Img_4121

拾ってきた鹿の角。


 さて問題は夜中に鹿が我が家の周りをうろついているということである。上林川周辺では糞や食害の跡をよく見るが、今のところじょんのび村内では被害はない。しかし何かの拍子で侵入されたら、防ぐ手段は何もない。周囲はあまりに広く、柵を設ける資力も時間も無い。しかし、東側、北側は何らかの柵をしないといけないと思案している。

【作業日誌 3/28】
ドッグランど柱立て、扉取り付け Img_4126






今日のじょん:じょんの写真は既に店に展示しているが、マーブルの写真もお借りして、当分の間展示する。いずれも子犬の時はカワイイねえ。えっ今は?もちろん今もカワイざんすよ。Img_4125

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緊急ニュース 3/27

2010-03-28 | 日記・エッセイ・コラム

2010.3.27(土)晴のち曇

 じょんの吠える相手判明、しかも遺体となって、、、。
今夜もじょんは吠えている。この間のイノシシの件があるので、そのつど懐中電灯を持って家の周りを警戒する。しかし何者も見つからない。ところが執拗に吠えるので、頭に来て「うっさいわい、だまってぃ」と怒鳴ってしまう。サークルに入ってもWuuと唸っている。とその時、9:50頃府道でパーンという大きな音がする。車のタイヤがバーストしたかなと思い、府道に飛び出す。ところが真暗で、車の影もない。綾部方面から来た車が、スピードを落とし、センターラインよりに迂回している。近寄ると、でかい鹿だ。まだピクピクと動き、目も開けている。車にはねられたようだが、車の姿はない。
 じょんが吠える相手は色々あるようだが、現認したことはないので、これが初めてだ。長い直線道で辺りも暗いので、車が乗り上げても大変だと思い、警察に電話する。遺体の処理は道路管理者ということだが、通行上の問題もあるのでパトカーで駆けつけてくれた。歩道の脇に寄せて、明日早朝片付けると云うことになった。Img_4117
でかいでしょ。

 最近鹿が出て花や野菜をやられてると聞いてはいたが、こんな近くに居ようとは驚きである。以前にじょんが吠えて、道路向かいの竹藪でミシミシ音がすることがあったが、イノシシだと思っていたのが実は鹿だったのかもしれない。というのは、鹿は北側車線に倒れているが、衝突したのは南側で、倒れている場所から20m程手前、つまり綾部方面に向かっている車に当たったようだ。その場所はちょうど竹藪の前なのだ。道を渡ろうとしてはねられたようだが、ひょっとしたら今夜我が家の花木が全部やられるところだったのかもしれない。
 当たった車は、ヘッドライトの破片が落ちているだけなので、左右どちらかの角が当たったのだろう、それにしても気の毒な話だ。相手が鹿だけに仕方がないなんてしゃれてる場合じゃない。それにしてもじょんはえらい、これからも吠えたら見に行ったるぞ。でも気になるのは、じょんが一番吠えたのははねられた瞬間なのだ。大きな音に反応したのか、それともなにか気配を察したのか、永遠に解らない謎である。


【作業日誌 3/27】
ドッグランどの穴掘り
長椅子塗装
Img_4107
おしゃれな白い椅子になったが、椅子代よりペンキ代の方が高くなった。(椅子500円)



今日のじょん:じょんネタのためおやすみ。ジローが遊びに来たので写真だけ見せたげる。鹿が死んでたのはこの下あたり。Img_4112  
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

邪馬台国の東遷 3/26

2010-03-26 | 歴史・民俗

2010.3.26(金)雨、曇、晴、霰、雪

 例によってわけの解らない天気である。作業がちっとも進んでないので、濡れながらドッグランどの穴掘りをする。今日はセリーグの開幕戦なんだが、先発が安藤では期待できないなと思いきや、城島の活躍で快勝してしまった。どこがって、阪神だよ。
 さて、昨日の続きだが邪馬台国について考えるところがあるので書いておきたい。わたしは邪馬台国九州説である。なにしろ松本清張と宮崎康平の世代だから、そのうえ吉野ヶ里遺跡を見て、すっかり九州説に傾いている。というよりは邪馬台国東遷説なのだ。魏志倭人伝にある邪馬台国は九州北部にあり、卑弥呼が死んだ後東に進み、近畿のいわゆる大和で大和政権をうち立てたというのが解りやすいかと思う。
こうするといろんな意味でつじつまが合うのだが、ひとつ気になるのは九州から畿内に移動をしてその勢力は衰えないものかと思うわけである。ましてや井沢氏の説では、邪馬台国は狗奴国に負けて、卑弥呼は殺害されて、その後に東進して大和にたどり着くというものである。一般的に考えられないなあと思っていたのだが、畿内の勢力がそれほど強くなかった、東進中に力をつけたなどの条件があれば可能な事だと考える。畿内にいた勢力は物部氏だという説もあるようだが、まだ読んでいないので何とも言えない。これはわたしの想像だが、東進したコースは佐多岬から松山、西条、そして吉野川沿いに徳島、淡路島を経て難波に上陸したのではないだろうか。佐賀関半島から佐多岬は、関門海峡ほどではないが目と鼻の先である。Img_3352

佐賀関半島つけ根付近から佐多岬。


 そして四国の中央構造線上の銅、鉄鉱山を支配することによって力を着けていったのではないだろうか。難波の巨大前方後円墳が、いきなり発生した風に言われているが、実はもっとも古い前方後円墳は吉野川流域にある。巨大な古墳が造営された時にも、阿波の石材と技術が使われたそうである。そのへんは「日本の建国と阿波忌部」林博章著にあるのだが、まだ読書中で完全なことが言えない。でもこのルートで東進したとしたら、つじつまの合うことがあるようだ。つづく

【作業日誌 3/26】
ドッグランど穴掘り

今日のじょん:昨晩あんまり吠えるので、「よしよし大丈夫やで」と何度もなぐさめていた。朝起きて散歩に出てびっくり、隣の畑はイノシシが大暴れしていて、じょんのびファームも少し掘られていた。Img_4098_4 Img_4097 雨の後だけに新しい足跡がくっきり、カメムシかなあ、雨風の音かなあ、隣のチコかなあなんて、のーてんきなことを言ってる場合じゃなかった。ちっとも大丈夫じゃなかったわけだ、じょんは偉い。Img_4095  

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読・「逆説の日本史 1」 3/25

2010-03-25 | 雨読

2010.3.25(木)雨

 逆説の日本史ー1 古代黎明編 封印された「倭」の謎、伊沢元彦著、小学館発行をI鼻さんにお借りしてやっと読み終えた。Img_4094 第一章の、日本はどうして「倭」とよばれたのかの章が余りにも理屈っぽくて、何か同じことが繰り返していて、読みにくくて一月ぐらい時間がかかってしまったのだ。なぜ同じことを繰り返すのかは、この本は元来週刊ポストに連載されていたものだからと後から判った。大国主命、卑弥呼、神功皇后、天皇陵と朝鮮半島は興味深く、伊沢氏の書き方にも慣れてきたので、二日間で読了した。逆説というからどんなんかなあと思っていたが、本説?がどれか解らないので特に違和感は感じなかった。大国主命、卑弥呼についてはわたしも同じ考えを持っていたし、天皇陵と朝鮮半島については同感であり、爽快な文章であった。神功皇后に関する説は、大胆で且つ飛躍的な感がするが、わたしが今までに読んだ歴史書では、三韓征伐について当然の事実として書かれており、当惑を禁じえない。
 歴史の見方について、学者や学会がどのような見方をしているのか知らないので何とも言えないが、私自身が逆説的な見方をしているのだろう。枝葉末節なことだが、旧約聖書のノアの箱船の話など、中学校の時の読書感想文に同じことを書いていた。
 出雲大社における神々の配置については、訪れたときに不思議に思っていたが、今回読んで納得出来た。宇佐神宮については神々の配置など気にもしていなかった。Img_4540 Img_3407

左:大国主命は西を向いておられる。写真の方向。
右:宇佐神宮の比売大神とは一体誰か?

本書はあくまで仮説といわれているが、将来いくつかは解明されることもあるだ ろう。歴史のとらえ方について一石を投じたと思うが、そんなもので学者や学会が態度を変えるような柔な世界ではなさそうだ。ましてや宮内官僚をや。

今日のじょん:もう三日も雨がつづいている。じょんの神経性胃腸炎にはレインコートが影響しているのではという意見もあり躊躇していたのだが、そうも言ってられない状況だ。着せるときは固まってるが、着せてしまえばいつもどおり走り回って居るので、少しぐらいならいいか。Img_4090

合羽着て走り回っておりやすワン。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「鉄と俘囚の古代史」 3/24

2010-03-24 | 雨読

2010.3.24(水)雨

 たたら製鉄や金属鉱山、冶金に関する歴史というのはある程度予測もし、こんな風なものかなと想像も出来る、例えば真弓常忠氏の「古代の鉄と神々」で水生の葦などの根に水酸化鉄が沈着し、いわゆる高師小僧が発生し、それが褐鉄鉱として初期の製鉄に使われたと聞いても、初耳だが納得できるものであった。ところがこの「鉄と俘囚の古代史」柴田弘武著の俘囚と別所に関する著述は衝撃的であった。本は彩流社刊で1987年5月に発行されたもの、現在増補版が発行され、新書で購入することが出来る。
 この本を読む動機となったのは、「鉄の生活史」窪田蔵郎著の中の悲しき捕虜工人のという項で、石上神社に残る刀剣類に「常陸国俘囚臣川上部首厳美彦、睦奥国俘囚臣河上首嘉久留、云々」と銘打ってある記事を読んだことである。俘囚とは一体何か?
Img_4087 表紙の奇妙な写真は悪路王と呼ばれる、蝦夷の王はなぜ悪と呼ばれるのだろう。

  俘囚とは蝦夷征伐による捕虜のことで、それを住まわせたところが別所であり、別所は鉄の産地である、というのがこの本の論旨である。元々菊池山哉著「別所と俘囚」に別所というのは俘囚を移配した地であるという説があり、それを確証した上で、その地が産鉄地であることを論じている。蝦夷征伐の目的は奥州の豊富な金属鉱と優秀な採鉱、冶金技術ではないかということだ。
 東北の古代については野蛮な未開の地というイメージを押しつけられているが、実はそんなことは全然無くて、勝者である征服者の意図であることは言うまでもない。私たちが習った歴史では、蝦夷も熊襲も野蛮で朝廷に従わない制裁すべき民であると習った。蝦夷征伐などというと、悪者を征伐するように感じてしまうが、常套の侵略者のプロパガンダであることは明白である。
 製鉄の技術についても、朝鮮半島経由、南方からの伝播が多く語られているが、北方からの伝播について記してあり、信憑性が高い。釜石の製鉄所などに面々と歴史が生きている。東北を旅していても各地に鉱山跡がある、これは西日本の比ではない。時の権力がこれらを狙って遠征するほど、金属という物が重要であったといえよう。
 さて、刀剣を打って納めるというのは、当時としては最先端の技術者であることは言うまでもない。それが俘囚という銘を打たなければならないとは何と悲しい定めであろうか。つづく

今日のじょん:じょん鳴動して、カメムシ一匹
後から考えると、なーんだこんなことだったのかということがよくある。夕方じょんが吠えて私たちに訴えるのは一体何なんだろうと、ずっと考えていた。かみさんは遠くにでも何か動物が来ているんだろうと考えていたし、わたしは遊んで欲しいから何かが来ていると注意をひいているのかなと考えていた。Img_4093

何かおるでっと訴えているところ。


 室内で、天井などにカメムシがいると凄く吠えて訴える。捕ってやると治まるのだが、これは以前にカメムシを見つけたら褒めてやったのでそのことを憶えているようだ。夕方の吠えは、ベランダに出て辺りを見回して帰ってきたら治まる。この時ベランダの床をやたら覗いているのだ。私たちも何かいるかと見てみるが何も居ない。多分そこにはカメムシがいるのだろう。こんな単純なことになぜ気がつかなかったのだろう。
  

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山羊のメイちゃん 3/23

2010-03-23 | 日記・エッセイ・コラム

2010.3.23(火)雨

 やっとドッグランどの建築にかかりはじめ、昨日は柱用の大きな穴を開けて、さて今日も続きをやろうと張り切っていたのに生憎の雨である。薪取りも午前中を予定していたがこれも駄目。びちびち降り続く雨に、折角の定休日を無駄にされてしまった。屋内でする作業も色々あるし、以前なら屋外でも合羽着て頑張っていたこともある。でも今はとにかくやる気が起きない。そんな雨なのだ。
 今日したことと言えば、綾部に買い物に行ったことと、ハナパパのところにきた山羊のメイちゃんを見に行ったことだけ。山羊のメイちゃんは昨年11月生まれの雌山羊で、2日前に貰われてきたものである。親兄弟から離されて寂しがっていると聞いたので、見に行く、ただし何を食べるのか判らないのでおみやげは無し。ハナパパは仕事中で、メイちゃん一人でいるようだ。車を駐めて、「メイちゃんよ」と声を掛けると、「メ~、メ~」と声が帰ってきた。やっぱり人恋しいみたいだ。カメラを向けると怖がっているようだが、少しすると落ち着いて寄ってくる。4ヶ月といえども思ったより大きくて、見た目よく肥えているように思うのだが、食事を摂ってない様子で、やや心配。
早く元気になってじょんのびの草を食ってくれい。Img_4084 Img_4086
 綾部では恒例の食べ歩きで、大島町のうどんの得兵衛さんにゆく。定食類などもいっぱいあって、確かに安くておいしい。時間も2時頃となっていたが、お客さんも多くて流行ってそうだ。わたしは599円の日替わり定食を頂く。内容は毎日変わるが、今日はチキンとサラダ、うどんとご飯でご飯は色々選べる。白ご飯だと大盛りも可能で、量もたっぷりだ。
 帰っても雨は降り止まず、ビール飲んで一日が終わる。

今日のじょん:今朝の散歩帰りに吐いてしまう。散歩に行くのが遅くて、お腹が空きすぎていたのかもしれない。便は通常どおりなので別状無いと思うが、これでお医者にかかると、もうじょんのびの財布はパンクしてしまう。Img_4082
みかえりじょん。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の話題アラカルト 3/22

2010-03-22 | 日記・エッセイ・コラム

2010.3.22(月・祝)曇

 彼岸の中日ということでお墓詣りのお客さまもちらほら、春を感じさせる一日であった。
 23日は上林に引っ越してきた記念日だ。夕方から冷たい雨が降って、寒いところに来たなあという感じがしたものである。今同じ季節となってもあの時ほど寒く感じない。慣れてきたというよりは、寒さに対する対策が万全ということのようだ。服装が全然違う、ぬくぬく下着に厚手の靴下、セーター、手袋、毛の帽子等々都会生活とはまるで違う。そしてストーブ、湯たんぽ、ヒーターなどの暖房器具、そして最後に慣れがあるのかな。
 
 越してきた日に印象に残ったのは、梅が満開であったことだ。その年は初めて梅干しを作り、翌年は梅干しと梅肉エキスを作る。二年連続豊作だったが昨年は粒が小さかったので、秋に剪定をする。昨年しこたまつくった梅肉エキスだが、五ヶ月しか持たなかったので、今年は一年分作る予定にしている。ところが、花の数がいつもの1/3ってところで、今年の出来が不安材料となっている。購入してまで作るのはしゃくだから、どっかいただけそうな家を探している。Img_0439 Img_4054
 
二年前と今年、えらい違いだ。

 上林の春は天気がめちゃくちゃだ。天気予報も晴、曇、雨、雷、雪と勢揃いで、その時にならないと判らない。晴れたかなと思いきや雨が降ることしばしで、虹の出ることが多い。虹ったってそんじゃそこらのちゃちなもんでなく、幅が広くてはっきりくっきりだ。こりゃあ素晴らしいと、写真に撮るとそーでもない。やっぱ現場で観ていただくに越したことはない。Img_4069
 
3月21日の虹

 先日ジローの家におじゃました。お雛はさっさと片付けないと娘が縁遠くなるなんて言うが、このうちに娘はいない、ジローもりっぱな男の子だ。安心して飾っておいて欲しい。周りの景色とも調和して、春を感じさせる風景だ。Img_4037
Img_4038
ジローとお雛



 春が来るのは嬉しいが、憂鬱なのは雑草と虫である。カメムシはもう既に元気になって、日に5,6匹は捕獲するようになった。暖かい冬のせいか、冬の間中もカメムシは出没していた。ストーブの薪がその温床で、ストーブの暖かさで活動を始めるという悪循環を繰り返している。雑草に関しては、今年はお湯による除草を実験すること、ハナパパが飼い始めたヤギのメイちゃんに期待するところが大である。

【作業日誌 3/22】
ドッグランど門の柱穴掘りImg_4068

先日完成した木小屋の仕切り、表からしか取り出せないので、仕切りを設けて先後処理をできるようにしたもの。

 今日のじょん:前里親さんのH利さんから誕生日のプレゼントが届いた。ご主人に作っていただいた、じょんの子供の時の写真集である。じょんのび村に来てからの写真は嫌というほどあるが、それ以前のは超レアもので、大喜び。しかもきれいに編集されていて、額入りだから大変、さっそくお店に飾ってある。Img_4079 Img_4076 じょんはシラッとしているが、おまけの奥さん手作りの、なんちゃって砂肝ジャーキーは喜ぶだろーとあげるが、初物に弱いじょんはすぐには食べられない。悪戦苦闘の末、夕方には食べてしまって、後はばくばく食べていた。H利さんありがとうございます、じょんになりかわってお礼申し上げます。それにしてもおっさんになっとるなあ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・磁鉄鉱 3/21

2010-03-21 | 歴史・民俗

2010.3.21(日)曇、雨

 上林川で磁鉄鉱というか磁石に反応する岩石は三種類ある。最も著名なのは花崗岩性の岩石で、図鑑で写真を見る限りでは閃雲花崗岩というのに似ているが、本当は何というものか解らない。その成分となる結晶などを分析しないと見た目だけでは判断できないのだ。もう一つは赤色のチャート、これは綾部市の資料館でも展示されていたので間違いないと思う。もうひとつは堆積岩のようだが、実際なんだか解らない岩石である。緑色の石の間に赤い成分がちょうど筆で線を書いたように流れている、美しい、神秘的な岩石である。Img_4045
 右から、花崗岩状石、赤色チャート、緑色の石、すべて磁石がくっつく。

 実に頼りない話であるが、どの岩石にしてもその名前も解らない、図鑑なんてのも役に立たない。石って奥が深い物なんだと今更ながらに思う。わたしのつたない知識ではどうしようもないのだが、一番目の岩石が磁鉄鉱を含む鉱石で、これが砂鉄のもととなっており、二番目、三番目の石は堆積している間に鉄分が沈着して、磁石に反応しているだけのものではないかと予測している。河原には一番目の岩石が最も多く存在しており、鉄の原料としてはこの岩石が最も確率が高い。ただし磁石に反応する確率は、三番目の緑色の石が最も高い。毎日石を拾いながら歩いていると、段々どのような石が磁石に反応するか判ってくる。一番目の石では、石英部分が少ない、つまり緑の部分が多くて、黒っぽい物が確率が高い。二番目の赤色チャートでは、比較的赤色が薄くて、白色部分が少なく、茶色っぽい層が走っている物がよろしい。三番目の石は比較のしようがないが、もともと確率的に高いようだ。5日間三種類の石のうち確率の高そうな石を10個選び、どの程度の確率で磁石に反応するか調べてみた。
第一日目10%
第二日目20%
第三日目40%
第四日目50%
第五日目50%Img_4048 Img_4049
Img_4053



写真は初日(右上の一個)、二日目(右側の二個)、五日目(右の五個)の様子である。段々選択する眼力が高まっているということだろうか。ただ何も考えないでその種類の石を拾っていたら、大体10%の確率で、下手をすると一個もないと云うときもある。今回の実験は三種類の石をアトランダムに選んでいるということで、弱点がある。次に種類毎の選択石拾い実験をやってみたい。乞うご期待。

【作業日誌 3/21】
薪割り

今日のじょん:夜中の吠えが激しくなってきた、最初はウーといううなり声なんだが、こちらが反応すると途端にワンワン大声になる。堪らないので無視していると、ウニューグリュリュと変な声を出して、やたら不満そうだ。一体何が起きているのか、まったくもって不明である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じょん誕 3/20

2010-03-20 | 日記・エッセイ・コラム

2010.3.20(土)曇

 今日はじょんの2才の誕生日だ。来年のカレンダー用の写真も兼ねて、ケーキに蝋燭2本を立てて祝う。
 ケーキはおとうがありがたく頂き、じょんは山田さんにいただいた砂肝を2つも食べていた。じょんの2才は人間にすると28才に相当するそうだ。人生いや、犬生の最も盛んな時期のようだ。ちょうど子供から大人に変わる時期のようで、急に性格が変わったりすることがあるそうだ。幸か不幸かじょんは特に変わりはないようだが、病気の後の誕生日だからめでたしめでたしという感じである。Img_4065
ハッピーバースディじょん君。 



 今日は気温が20℃を上回り、GWあたりの気温らしい、あちこちで夏日となっている。そろそろベランダのオープンをしなくてはいけないので、塗料塗りをする。建築2年目だが、南向きで日当たりが良いのと、結構雨が降り込むので塗料の剥げが気になっていたところである。防腐剤のクレオトップでは臭いがきついので、カンペの水性木部保護塗料を使う。1.6リットルで2、400円程度、一階部分の全部と二階部分の側を塗ってちょうど使い切る。二階部分ははしごの上で作業するのだが、結構危険なので、岩登り用のハーネスを着けて、ザイルで確保して塗装する。ちょっと大げさだが、ペール缶をぶら下げられるのがいい。Img_4056 Img_4061
 
ベランダったって家の一部だから腐らすわけにゃいかない、岩登りの用具が役に立つ。


 塗装ついでに長いすの塗装をする。これはリサイクルショップで500円で購入した室内用のイスだが、屋外で使用していたらニスが剥げてきたものである。全部が剥げれば都合が良いのだが、座る部分だけ剥げてきて、腐りかけてきたのでやむなく塗装したものである。ニスが取れた部分はきれいに塗れるが、残っているところは塗料がうまく乗らない。それを逆手にとってアンティーク風に仕上げてみようかと思っている。Img_4058
 磁鉄鉱の話、明日以降に延期、申し訳ない。



【作業日誌 3/20】
ベランダ塗装完了
長いす塗装2回目
薪小屋の仕切り造り
薪割り

今日のじょん:じょんネタのためお休み。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続々・図鑑 3/19

2010-03-19 | 歴史・民俗

2010.3.19(金)快晴

 老富に古い坑道が有ると聞く、いつか尋ねてみたいと思っているのだが、果たして穴だけ見てもどれだけの意味があるのだろう。例えば昨年小畑町の長谷で古い坑道跡を見せて貰った。地元の人に聞くと、昔この穴に入ってずっしりと重い鉱石のような石を持ち帰った、ということだ。やはりそこで何が掘られていたかを知りたいものだ。そのためには図鑑は大活躍するだろう。
 上林では丹生、つまり水銀に関するだろう地名がいくつかある。鉄以外にも水銀も産していたのかと期待している。以前に木小屋の工事で朱色の砂や小石が出てきたことをお知らせしたが、3月2日の記事で紹介したように、八津合町の山でも朱色の石を採取した。ひょっとしたら水銀の原料である辰砂(しんしゃ)かなと期待したが、およそそのようなものではなかった。Img_4019_2Img_4046_2 



山では写真のように泥の中に埋まっていた。写真右の上部3個が八津合町で採取したもの、下のカゴの中は薪小屋周辺で採取したもの、右上の黒いのはいかにも鉄分を含んでいそうな石。

 図鑑で調べると紅土(ラテライト)というのがまさにそのもので、酸化鉄、アルミナが凝縮すると書いてある。酸化鉄なら赤色を呈しても間違いないと思うが、熱帯地方に産するとあり、少し不安になる。結局図鑑があっても、確定できるものではない。粘土質の土壌に酸化鉄が凝縮し圧縮されて石化したものではないかと勝手に解釈している。興味ある人には現物を見て判断していただきたい。
 そういえば自転車旅行で出石に行った際に美しい赤壁を見つけた。ベンガラかと思い聞いてみたら、ベンガラではなく、もともと赤い土が取れるそうである。今から思えばその現場も見ておけば良かった。Img_5772
出石資料館の赤壁



昨日の答えは、右上の小さなチャートのみである。詳細は明日の記事で。

【作業日誌 3/19】
イスのペンキ塗り
薪小屋改良

今日のじょん:体力も回復してきたようだからシャンプーする、ちょうど一ヶ月ぶりだ。シャンプー前に体重を測る、一ヶ月前は18Kgだった。よっこらじょんと抱き上げて体重計に乗るが、妙に軽い、嵩も小さいようだ。体重は16,2Kg、やっぱりかなり減っている。たかだか1,8Kgというものだが、一割減だからかなりのものだ。Img_4055シャンプーが済んでくつろいでいるところ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・図鑑 3/18

2010-03-19 | 歴史・民俗

2010.3.18(木)曇、雨

 図鑑で石を調べて、ジュラ紀だの先カンブリア紀のことを知りたいというのではない。上林の磁鉄鉱がどうやって出来たのか、どこに鉱脈があるのか、古代人はどうやってそれを探したのか、どうやって採鉱したのかを知りたいのである。製鉄や鉱山跡を地名や伝承で探っても、確たる証拠が欲しい。それはたたら跡であったり、鉄滓であったり、鞴の羽口であったり、坑道口であったりするのだが、そういう物の発見は確率的に薄いものであろうし、土木工事や開発の工事などに遭遇するという幸運もなければならない。そんな大発見を期待するより、自分自身で鉱脈を探したり、実際に採鉱し、野たたらで鉄を作ってみたらどうだろうか。インターネットを覗いたら、学校の理科の授業やサークル活動でたたら実験をしている例が結構ある。ところが原料の砂鉄はどこか豊富な浜から取ってきたり、バーナーや送風機を使ったり、太古の様子とは随分違っている。それでは、砂鉄から鉄が出来るということは証明されるが、かつてその地でたたら製鉄が行われただろうという実験とはならない。わたしがやってみたいのは、上林の鉱石、あるいは砂鉄を原料に、上林の地で、上林の薪を焚き、古代人がやったように鉄を造ることである。もしそれが出来たなら、過去にこの地で製鉄が行われていた可能性はあり得るということになるんじゃないか。古代の遺跡や遺物が発見できない時、ひとつの証拠となるのではないだろうか。必要充分条件ではないが、必要条件にはなりそうである。Img_4048

この中で磁石に反応する石はどれ?答えは明日。



 今調べているのは、上林川で採取できる、磁石に反応する三種類の岩石がいかなるものかということである。いくら図鑑を繰っても、ネットで調べても、これだっと確定できない。写真で色々見比べても解りっこない、似たようなのがいくらでもあるわけだ。結局その地域にあるだろう岩石を調べ、物理的、化学的な分析法を駆使して初めてその岩石がなんたるか確定できるようである。つづく

【作業日誌 3/18】
薪小屋整理
昨冬のクヌギを整理していたら、怖ろしく虫に食われている木がある。硬いクヌギの幹にきれいに穴を開けている。正体は分からないのだが、その穴にカメムシが入って冬眠している。まさかカメムシが穴を開けているとは思えないのだが、、、。
Img_4051

この穴の中にカメムシがどっさり。


 今日のじょん:今年もじょんの誕生日(3月20日)を祝って島田やさんで祝杯を挙げる。当のじょんは家で留守番をしている、何か変だなあ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

図鑑 3/17

2010-03-17 | 歴史・民俗

2010.3.17(水)曇

 小学生の時図鑑というものに憧れた。男の子ならきっとおぼえがあるだろう、昆虫図鑑や恐竜図鑑。学校の図書館には必ず用意されているものなんだが、自分自身の手元に置きたいのだ。大体図鑑なんて、読み物じゃないから、借りてきて見たって意味がないのだ。だけど図鑑を買って貰えるほど裕福な家庭はそう無かった。我が家も貧乏だったから、図鑑どころか小学何年生なんて雑誌も買って貰えなかった。そしてその子供達はおじいちゃんおばあちゃんに図鑑の全集を買って貰っていた。時代の相違といえども我が子に嫉妬するような状態である。私たち自身が図鑑を買える年代になると、今度はそういうことにちっとも興味が無くなった。そして今、興味が蘇って、あるいはその他の事由で図鑑が欲しいなあと云うことになったが、今度は収入が無くてそんな物買えなくなった。なんとも世の中うまく行かないもんである。
 ところがネット販売という救世主が現れる、ちょうどわたしが小中学校生の時分の図鑑なら、500円から1,000円までで売ってるのだ。さっそく鉱石図鑑と岩石図鑑を1500円で買う。子供時代の夢が数十年の時を経て叶う、素晴らしい時代だ。Img_4047
 上林では皆が寝静まった深夜12時までの時間を図鑑を繰る。とりあえず、上林川で拾った磁鉄鉱を含む石は一体何なのか、じょんのびの庭から出てくる朱色の砂は一体何なのか、地学って最高に得意な科目だったのに、そこに転がっている石の素性も解らない。
 実は2月24日の記事に、磁鉄鉱を含む緑色片岩かというのを書いたのだが、これは誤りである、おそらく花崗岩と思われるのだが、今少し調べてみないといけない。(2月24日の記事は訂正済み)石の素性が解れば、その地の歴史が解る、歴史ったって人間の歴史じゃなくて、地球の歴史だから何万年、何十万年前と気の遠くなるような過去のことだ。Img_4045

磁鉄鉱を含む石は三種類、右からごま塩状の花崗岩、赤いチャート、緑に赤い紋の多分これもチャートだと思う。


 例えばチャート、これは沢山拾ってきている赤い石なんだが、深海で生物が堆積して出来たという。ということは上林もかつては海の底だったわけだ。そういえば菅坂峠に鍾乳洞があると聞く、これもかつて海の底だったということだ。つづく

【作業日誌 3/17】
薪割

今日のじょん:じょんの誕生日が近づいている。昨日買った吉野桜をじょん2才の記念樹とする。かみさんがプレートを作ってぶら下げていた。病気治ったのがよほど嬉しかったようだ。Img_4043
 
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする