晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

楽しい腰痛(49) 6/29

2016-06-29 | 健康

2016.6.29(水)雨 楽しい腰痛(48)は2016.6.17
 痛みのメカニズムについては医学的に既に明らかにされているところである。痛みとは身体に異変が起きたとき、修復の措置をとるよう促すための一種の防御機能といって良いだろう。無事に回復し問題が無くなれば痛みは止まるし、状態が継続したり悪化すると痛みも継続、増強すると考えられる。しかし腰痛の場合、症状が改善しても痛みが止まらず、より増強する謎の痛みがある。これがNHKスペシャルで放送され、センセーションを起こした脳が引き起こす腰痛である。
  痛みに対する恐怖心が脳内のDLPFCという部分の活動を抑え、痛みの回路に「鎮まれ」という指令を出しにくくし、幻の痛みが続くというものである。「鎮まれ」という指令とは科学的な表現ではないが、わたしはセロトニンやドーパミンなどの鎮痛を促す物質の分泌が低下するのではないかと思っている。先に述べた「無事に回復し問題が無くなれば痛みは止まる」ということがDLPFCという部分が正常に活動している状態だろう。

見るだけで腰痛の人の38%が改善したというDVD
 さてこの幻の痛みを感じる部位は一体どうなっているのだろう。NHKでは痛みを感じる部位では何も起こっていないと言っているがサーノ博士は患部は軽い酸素不足を起こしていると言っている。神経内科医の中井先生にこの件を問うと、「NHKの言っているのは幻肢痛のことでしょう」ということだった。幻肢痛とは失った手足等にあたかもまだ存在しているように感じる痛みのことである。なるほどそうかといったんは納得したが、それでは失っていない手足に感じる幻の痛みの場合はどうなんだろう。わたしはサーノ博士が言うように軽い酸素不足が起きていると考えたい。
 酸素不足というのはどういうことなのか、次のように考えてみた。
酸素不足←血流不足←筋肉の緊張・収縮←交感神経の活性化・筋肉に対する負担
 筋肉に対する負担というのは強い運動、長時間の同一姿勢のことである。「腹筋運動をすると腰痛になる」のなかで松尾氏は筋肉の緊張・収縮が続いて戻らなくなった状態を筋肉の拘縮といわれている。この筋肉の拘縮こそ腰痛の原因の大部分を占めるものなのである。
つづく

【今日のじょん】何を見てるのでしょうか?

梅の枝が折られている、熊の仕業と思うけど、実がなっているわけじゃなし、????

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エヴェレスト 神々の山嶺 6/26

2016-06-26 | 文化に触れよう

2016.6.26(日)曇り
 夢枕獏氏の「神々の山嶺 上下巻」は一晩で読んでしまうほど面白かった。2011.2.8に「続・根深さんのこと」の中で紹介している。どこかでこれが映画になるという噂を聞き、また予告編だかコマーシャルフィルムを見ることがあった。一時忘れかけていた頃、丹波の地でも放映される事を知った。福知山と舞鶴の映画館で放映されるのだが、何かと忙しくしている内に終わってしまった。困ったなあと思っていたら中丹文化会館で放映されることとなった。ところが日曜日の放映のみで出かけにくい。それならプレゼントに応募して当たったら見に行って、当たらなかったら諦めようと思っていた。縁があって3名様ご招待というのに当たってしまった。というわけで本日見に行ってきたのだが、思ったより観客が少ないので驚いた。3回の放映があるのでそんなもんだよという声もあるが、山岳映画なんてのが一般受けしないのかなとも思われる。
 
文庫本だが分厚いぞ
 観に行くに先立って、既に観た人が二人して異口同音に「いまいちだったよ」という感想だったのが気になる。小説がすこぶる面白かったので、映画がつまらないのかななどと思いながら観ていたが、映像もストーリーもすばらしい。角川映画40周年記念事業とかでしっかり現地でロケしているようで、豪快なヒマラヤの風景がすばらしい。クライミングシーンも自分自身が登っているようですこぶる緊張した。ただストーリーは小説とは違ったもののように思えたのだが、本は人に貸し出し中なので確かめようがない。
 先の二人がつまらなかったという理由はすぐにわかった。クライミングのこと、エヴェレスト登攀の歴史がわかってないとこの映画いったい何が言いたいの?ということになるようだ。マロリーとアーヴィンの消息不明事件については少し説明があったが、それでも知らない人にはいったい何のことかわからないと思う。深町が再度エヴェレストに立ち向かい羽生とそしてマロリーの遺体にであうシーンはクライマックスなんだが、実はそれが南東稜であることが重要なのである。南東稜であるからこそ両者はエヴェレストの頂上に立っているということが証明されるわけである。わたしも見落とすほどの短時間であったが、サウスコルと表示された場面があった。それで南東稜を登っているのだなとわかったくらいだ。

中丹文化会館もなかなかやるぜ
 国内のクライムシーンだって、滝沢第三スラブがどうといったところで一般的にはわからないことだし、岸が宙吊りになってロープを切るところも、宙吊りがどのようなものか、どうして脱出するのかなどわかっていないとあのシーンは理解ができないだろう。プル-ジック
という言葉と一部映像が出てきたが知る人ぞ知る行為である。ちなみに岸が宙吊りになった場面は、ロープを切らなければ二人とも死んでしまうという場面ではない。
 とにかく小説なら細かに説明できるところが映画となると難しいので、いったい何が言いたい映画なのかわからなくなるのではないか。なにもかもわかった上で観させていただいたわたしには、すこぶる感動的な映画であった。

11月には関西フィルの「新世界より」があるのだ。

【今日のじょん】なにをにおいでるのでしょうか?

この時期梅が落ちるのよね。

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雨読 この地名が危ない 6/21

2016-06-21 | 雨読

2016.6.21(火)曇り
 本書の著者である楠原祐介氏の「古代地名語源辞典」は絶版のせいかかなり高価で購入するに勇気が要った。ところが開いてみて驚いたことにその大部分がいわゆる崩壊、災害地名となっているのだ。そんななんでもかんでも崩壊、災害地名にしてしまうのは偏った考え方で参考にならないと思い、実際にその辞書を使うことは少なかった。金属関連の地名を研究していたものだから、それらが否定されるのが気にくわなかったということもあったようだ。ところが金属生産地で金属地名が当てはまるのは当然だが、およそ金属と無縁と思われるところにも金属地名が充満しているのに疑問を抱くようになった。金属地名で各地の地名を解いている研究者もいて、日本全国が金属生産地となる奇妙な書物を出しておられる方もいる。
 日本の歴史をふり返ってみるとあらゆる場所であらゆる災害が起きていることが分かる。極一瞬の時間であるわたしの人生の間でも実に多くの災害が起き、わたしの住んでいる場所でも幾多の被害があった。つまり全国各地、いつでもどこでも災害は起きてきたということだ。 
 「この地名が危ない」ー大地震・大津波があなたの町を襲うー
楠原祐介著 幻冬舎新書 2012年1月 第二刷発行 古書

 金属地名などという特別な地域の地名よりも地形地名、災害地名(災害地名も地形地名の一部だと考えるのだが)が一般的であるという考え方に変わってきたこともあるが、楠原氏の地名の考え方はその語源が日本古来のことば、つまり古語であるということが支持する大きな理由である。地名の研究をしているとその語源を外国語に求めたり、アイヌ語などに求めたりする傾向があることを知っている。もちろん朝鮮語やアイヌ語に由来する地名も多く存在するのだが、それがすべてという考え方はおかしい。日本の地名なのだから日本の古語に基本を求めるのは当然のことである。
 さて本書の中で興味深い地名について紹介しておこう。それは妙見という地名で、2004年の中越地震で車で走行中、山崩れに巻き込まれて母子が亡くなられた事があったその場所なのである。男の子だけが奇跡的に救出され、連日報道された現場なので誰もが記憶しているところである。その2年後の夏に自転車日本一周の旅で小千谷を訪れ、崩落事故のあった県道589号線が全面開通するという日に妙見堰を通過したのである。そのとき堰の上から撮った写真に写っている崩壊部分がその現場だったのではないだろうか。

妙見堰から山古志村方面(2006.8.26)
 妙見については「めげ」(壊)が語源の崩壊地名だと説いている。そしてこの県道がかつては国道17号線で、現在は信濃川の左岸を大きく迂回してバイパスが造られている。信濃川を二度も渡り直し、大きく迂回しているということは、いかに妙見町の通行が危険であったかということだと氏は指摘している。その危険性があったにもかかわらず、何の対策もしないで県道に格下げして供用した行政のあり方を鋭く追求しているのである。
 妙見などという地名からは妙見信仰しかわいてこないのだが、災害、崩壊地名という観点で見ていくと新たな発見も出てくるようだ。

【今日のじょん】19日はじょんの来じょん記念日だ。8年経ったらえらいおっさんになったけど、元気でいてくれてありがとう。
 

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はなれ瞽女おりん 6/18

2016-06-18 | 文化に触れよう

2016.6.18(土)晴れ

 若州一滴文庫くるま椅子劇場で若州人形座竹人形文楽の「はなれ瞽女おりん」の上演があった。毎年6月にある行事なんだが土日の開催とて行くことはかなわなかった。こんな事では一生見られないかと店を休業してかみさんと見に行く。

 「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」はご承知のように水上勉先生の原作なんだが、わたしはあえてこの作品を読まなかった。本で読むより竹人形で見たかったからだ。水上先生の作品はハッピーエンドで終わるものは無く、重くて暗い想いを胸に残すなんともやるせないものなのだが、この作品は少し違った終わり方の感じを受けた。それは活字で読むのではなく、劇として視覚で受け止めるからかもしれない。ラストシーンのおりんが鉄輪車に乗っている情景は、兄さんが銃殺されるという不幸のどん底にありながらも、薄幸の中でごく短期間であったけれど幸せを感じた時間を大切に抱いて、実は幸せだったのではないかと思わせるシーンなのだ。ひょっとしたら鉄輪車に乗ったまま、天に昇ったのかもしれない。周囲ですすり泣く声が聞こえる、わたしも年のせいか涙腺が弱くなっている。ライトが点灯し、会場が明るくなってようやく救われたような気がした。本で読んだらまるで違った思いになるかもしれないので読まないでおこう。

 

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楽しい腰痛(48) 6/17

2016-06-17 | 雨読

2016.6.17(金)晴れ

 てなわけで、大腸、前立腺、膵臓、腰椎など腰痛に関連する内臓、骨格を数ヶ月かけて検査し、直腸のポリープ1個を切除する以外何事もなかった。この間医療費は増大し、初めて医療費控除を受けることとなった。
2,腰痛の原因は何か?
 何十年も腰痛に悩まされながら、いったいどうして腰痛が起こるのだろう、どうしてその事を真剣に考えなかったのだろう。
 そんな中で昨年夏に放送されたNHKスペシャルの「腰痛・治療革命~見えてきた痛みのメカニズム~」は衝撃的だった。実際には秋頃だったろうか再放送を見たものだが、特別番組などで脳と腰痛の関連は気づいていた。だからR病院でレントゲンを撮って、「腰痛の原因は椎間板ヘルニアですね、これは元に戻ることはありません。手術をするほどではないですが、牽引をすれば楽になりますよ。」という間抜けな診断をされても少しも驚かなかった。椎間板が飛び出るほどの症状が背中を引っ張ったぐらいで改善されるとは思えないので牽引の治療は2度ばかしやって放っている。慢性腰痛の原因は脳にあるのだ、こころにあるのだとばかりにあらゆる書物を読みあさった。サーノ博士の「ヒーリングバックペイン」は心因性腰痛の古典的な書物であり、内容的には納得できないことが多くあるが、腰痛に対する考え方に大きなヒントを与えてくれている。

多くは図書館で借りたもので、買ったのはこのくらい。
「腰痛は二足歩行をするようになった人類の宿命と言われているが、二足歩行をするようになって十数万年の間に、腰痛に対する進化があるはずで、それでも起こっているのは心が原因だ」というものだ。前半部分はまさにその通りだと思う。二足歩行によるデメリットに対して人類はあらゆる進化をしている、例えば難産に対して極端な早産や骨盤の解放などその対策として進化してきた。わたしは二足歩行による腰痛の対策として進化してきた事項は、S字状の脊椎、脊椎や骨格を支える数多くの筋肉の発達、筋ポンプと逆止弁の三つが大きいと考える。この項目のどれかを阻害する状態の時、腰痛が発生すると考えられる。つづく

【今日のじょん】何を見ているのでしょうか?シリーズ

正面の木をアップにしてみて、十数匹の〇〇がおるのだ。見えるのは数匹だが、、、、

 

 

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楽しい腰痛(47)6/16

2016-06-16 | 健康

2016.6.16(木)雨  
腰痛の治療と予防(1)
 完全に慢性化し、いわゆる座骨神経痛までなってしまい、これは徹底的に治療しなくてはならないという思いに駆られた。これまではとにかく痛みさえ取れればそれでよしとしていたのだが、慢性化すると永遠に痛みが続くわけだからそういうわけにはいかない。治療に当たって治療の方針を立てた。
1、他に原病がないか徹底的に調べる。
2、腰痛の原因はなにか、納得がいくまで調べる。
3、鍼灸、漢方、理学療法、灸、薬剤、民間療法などあらゆる機会を試す。
4、ストレッチや体操など自分でできる方法を編み出す。
5、改善したら次に出ないよう予防法を確立する。
 とまあ、こんなところで順を追って紹介しよう。

腰ひもバンドをして30分のウオーキングを続けている、ここに至るまでの過程がながい。
1、腰痛と同時に軟便、下痢が続き常にお腹がごろごろ鳴っていたので内臓に原因があるのかあるいは関連があるものなのか調べてみることにした。しかしこれにはこのことをわかってくれる医師が絶対必要である。こういうときかかりつけ医があればいいのだが、いきなり病院に行っても期待する方向には進まない。何件かの病院で無駄な検査や意味の無い治療を繰り返した後、西京都病院の中井先生にお世話になることとなった。中井先生は心療内科のオーソリティで、心療内科の本来の医療をされている先生だ。わたしは生まれて初めて問診、聴診、触診などの本来の診察を受けた。先生は腰痛患者の中に膵臓がん、大腸がん、前立腺がんなどの原病を発見されており、わたしの場合も念のためすべてを検査することとなった。つづく

 【今日のじょん】川合のわんこ

今日はかわいどころを紹介、盛市ちゃんとこのトラ君とご近所のことぶきちゃん。ことぶきちゃんは2月にはいなくて4月にはいたからその間に来たのだろう、とにかくかわいい。

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楽しい腰痛(46) 6/14

2016-06-14 | 健康

2016.6.14(火)晴れ 楽しい腰痛(45)は2016.4.6

 2ヶ月あまり記事を書いていないので、「いったいどうなったのか?」という疑問の方もあろうかと思う。実は見事に克服したのである。昨年の春から連続的な腰痛に悩まされ、9月28日からは完全に慢性化し、年末からはいわゆる座骨神経痛が続いていた。それが4月26日、完全に解消したのである。なんでそんなに詳しくわかるのかという疑問もあろうかとお思われるが、それは腰痛に関して痛みの部位や程度、治療の詳細、体操やトレーニングの状況などを日記に記録してきたからだ。それは30数年もの間腰痛を繰り返しながら、行き当たりばったりの治療をし、治れば予防を何もしないという生活をしてきて、もうこの悪循環は断ち切ろうという思いがあったからだ。つまり、今痛みが無くなったからと言って次に再発しないという確証はないし、そのときどう対処するか、いやできればもう二度と起こさないために体作りをするために記録していこうというものである。そしてもう一つは本当にわたしの手法で治ったのなら、多くの腰痛に悩める人のためになるよう知らせていくための資料作りとしたいというものである。

日野原重明先生の「生きかた上手」という3年日記。
 ともかく、永久に続くかと思われた痛みが無くなった。こんな楽しいことはない、「楽しい腰痛」の神髄である。もしこのまま腰痛が出ない、あるいは出たところで自分自身で簡単に治すことができるとしたらこれは画期的なことである。実は4月26日以降も2度ばかし違和感のあることがあった。これは腰痛持ちなら誰でもわかるあのいやな感じで、何事も無いか、腰痛が始まるかの分岐点である。このとき不安に陥ることなく自信を持って対処した結果、何事もなく終わった。ちょっと自信がわいてきているのだけど、ここまでに至ったわたしの腰痛治療法、再発予防法をまとめていきたい。つづく

じょんのび腰痛克服法のひとつ、腰紐療法

【今日のじょん】今日はSWIMトレの日で、車中で待っていられるようだったらじょんも連れて行こうということになった。しっかり曇って時々雨も落ちていたので連れて行く。ところが峠を越えておおい町に入った頃、空は晴れて暑くなってきた。やむなく水泳は中止、大島の赤礁(あかぐり)海浜公園で弁当食べようと出かける。営業は夏休みからということでひっそりしていたが、ずいぶんと景色のよいところで、オートキャンプ場も人気のようだ。

あかぐりというのは赤色の岩礁があるわけ。(松の木の間に見える)

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あなしら上林(19) 6/11

2016-06-11 | あなしら上林

2016.6.11(土)晴れ 上林の盃状穴その八 善福寺-2

   三、上林の盃状穴その八 善福寺-(2)
 善福寺の盃状穴はその数と質において一級品の民俗的資料である。いったいどのように記録を残すべきか迷っている。とりあえず写真を撮って、石段ごとの個数と直径、深さなどを記録したが、再度精密に記録し直す必要がある。
 数が多いこともあるが、盃状穴として特徴的なものが多いので紹介しておこう。

・石段以外の石造物に穿たれている。
 一般的に石段以外には敷石、手水鉢、灯籠の台石、鳥居などに穿たれているが石造物に穿たれているのは近隣では珍しい。(前回紹介済み)
・水抜き溝が多い
 水抜き溝とはわたしの造語であって学術的な用語ではない。盃状穴から石材の外縁に向かってあたかも水抜きのように刻まれた溝で盃状穴同様人工的に作られたものである。 水抜き溝とは別に、盃状穴と盃状穴を結ぶ溝がある。これは古代の古墳の石棺の蓋石に穿たれた盃状穴(一義的盃状穴)などにも発見されていて、用語は確立されていないようだが「盃状穴考」(三浦孝一)では連絡溝と書いている。わたしは連結溝と呼びたい。当初の分類記録では厳密にこの二つを分けてはいないし、記録もまちまちなのでこれも再調査の必要がある。

(善福寺-⑤真下と斜め左に溝がある)

・大きく、深い盃状穴が多い。
 今までに調査した盃状穴は手水鉢の縁に穿たれたものは大きいが、石段など一般的なものは直径が3,4cmのものが圧倒的で、深さも1,2cm程度である。ところが善福寺の石段のものは大きく、深いものが数多くある。

(善福寺-⑥石段に穿たれたものでこの大きさは珍しい)

・「小田」のいたずら書きと、いたずらと思われる盃状穴と連結溝
 これは民俗学的資料としては価値があるものではないが、盃状穴の考察には利用できるものと思う。

(善福寺-⑦)

・多くの石段に穿たれているので分布に差が出ている。
 善福寺の石段は108段と聞く。下段94段、上段12段、本殿前2段というところだ。盃状穴は最下段の10段ほどに多くが存在し、その中でも最下段部分に集中している。 
 次にこれらの事についての考察をしてみたい。つづく
                      上林たんけん隊(カフェじょんのび内)


 

 

 

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あなしら上林18  6/9

2016-06-09 | あなしら上林

 2016.6.9(木)雨 あなしら上林17は2016.2.27
  三、上林の盃状穴その七 善福寺-(1)

 睦合町引地(ひきじ)の善福寺は高野山派真言宗の古刹である。川端二三三郎先生に盃状穴の話をしたところ、「善福寺にはいっぱいあるで」と光明寺の住職に紹介いただいた。これまでに発見した盃状穴はいずれも神社で、寺院では発見できていないので期待して調査に行く。(善福寺-①)

 府道から善福寺参道を見ると急な石段が天を突いている。石段の下に行くとあるわあるわ、大きくてはっきりした盃状穴が無数に穿たれている。
 はやる心を抑えて参道入り口から観察を始める。参道入り口右手には愛宕山の石灯籠があり、その前面に「国廿九番」と刻んだ石碑がある。丹波西国三十三所観音霊場二十九番の意味だろう。どちらも自然石で年代などはわからず、盃状穴は見られない。左の石灯籠は秋葉山のもので、表面に「文政九年戌年六月日」と書かれているそうだ。(上林風土記)問題はその基礎の部分で、周囲に完全なもの5個、不完全なもの5個の盃状穴が見られる。なお裏面の一部はコンクリートで補修されており、その中にも盃状穴があるものと予想される。
 その灯籠の前に石柱と用途不明の石造物があり、石柱の頭部に7個、石造物に4個と不完全なもの2個が発見される。

(善福寺-②)(善福寺-③)(善福寺-④)
 なお、石柱には「郡〇十三番」と書かれているように見えるのだが、何鹿郡三十三ヶ所札所が室町時代以降にあったそうで、郡(こおり)〇〇番と書かれているようだ。
 石段、手水鉢の縁、灯籠の基礎にこれまで発見してきたが、石柱、石碑の頭部に穿たれた盃状穴は初めてである。
                                       上林たんけん隊(カフェじょんのび内)

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雨読 「地名の楽しみ」 6/8

2016-06-08 | 雨読

2016.6.8(水)晴れ

  災害地名について読み進めているところだが、それらに先だって紹介するのは図書館からの借本だからだ。新聞の書評で、「地名の文字だけを切り取って「土地の安全性」に結びつける風潮は実に危ういものがあり、くれぐれも騙されてはいけないと思っている」という本書のあとがきの一部が記されていた。将にそのとおりとばかり、借りてきて読んだ次第だ。
「地名の楽しみ」今尾恵介著 ちくまプリマー新書2016年1月初版福知山図書館借本

 地名に関する本は多いがほとんどがその由来を紐解くいわゆる地名学に関わるものである。本書はそうではなくて、近代に入って、地名がどう扱われてきたかとか地名の構造等について書かれたものである。アトランダムではあるが、興味深くポストイットを付けた部分を紹介しよう。

 互ニ優劣ナキ数町村ヲ合併スルトキハ各町村ノ旧名称ヲ参互折衷スル等適宜斟酌シ勉メテ民情ニ背カザルコトヲ要ス
 明治時代の町村合併にあたっての地名の付け方を勧める「訓令第三五二号」なるものである。
 上林の老富町(大唐内、市茅野、栃、光野)故屋岡町(古和木、矢代、小中、川原)五泉町(市志、一ノ瀬、辻、水梨)等もこの訓令によったものか。
 北海道の幸福駅(帯広市幸福町)の切符は人気を博したが、元々は幸震(こうしん・アイヌ語サツ・ナイ=乾いた川)でナイは地震の古語だという。当地は福井県からの入植者が多かったので、幸震+福井で幸福となったそうだ。嘘のようなほんとの話らしい。
 このようにおもしろい話が満載で、うんちくを語るには最適の本だ。 ところが私の求める、地名と土地の安全性に関する問題は一向に現れない。終わりかけになってようやく◆地名の「安全性」を考えるという項目が出てきた。東日本大震災以降災害地名の本が数多く出版され、いくつかを読んでいるが、その多くは現地を取材し、過去の災害事例なども検証して地名の考証をしているが、おしなべてこの地名は危険だという表現も見られる。例えば浜、津、浦などは津波の危険性のある地名だという言い方をされるわけだ。本書では週刊誌に掲載された「軟弱地盤地名」として窪、谷、沢、下、江、海、塩、池等々多数について批判している。地名から地質や地形を判断するのは無謀な事と書いている。
 「窪地には窪のつく地名が発生する」という説明は妥当だとしても、順番を逆にして「窪のつく地名は窪地である」といったら間違いだ。
 まさにその通りである。
 剱岳の西面に池の谷(いけのたん)という谷がある。何度も通いながらどこかに池があるのだろうと思っていた。実はそうで無くて「行けぬ谷」の意で、入り口のところの強烈なゴルジュ(喉の意味で両岸に岩壁の迫った峡谷)がその意味を表している。このように単に地名の漢字だけで地形や地質を判断するのは無謀だということだ。

【今日のじょん】川合(福知山市三和町)のわんこを紹介しよう。過疎化が進み老人と共に暮らしているこれまた老犬がなぜか愛おしい。

小原さんちのあいちゃん、片山さんちの??ちゃん

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芝の三色弁当 6/7

2016-06-07 | 違いのわからん農学士

2016.6.7(火)雨
 8年前に張った芝生がくたびれてきた。特に真ん中の白樫がよく育って日陰になり、苔が発生し蔓延し始めた。洋芝の播種、自然の野芝の移植など試行錯誤を繰り返したが結局うまくいくことはなかった。

4月16日の様子、日陰の部分が緑なのは苔や雑草の緑であって、この時期芝は茶色く枯れている。
こうなると張り替えしかないということになり、白樫の北側、東側の円形状の部分の約10㎡あまりを張り替えることにした。白樫は枝を剪定し、ヒップアップして日当たりを良くしたが、真昼には円形状に日陰となる。そのために耐陰性が強いと思われる野芝を導入することとした。ところがこの野芝、河原などにはいくらでも生えているのにマットで購入しようとすると高麗芝の2,3倍の値段となっている。仕方なくエリアを三つに分け、全面野芝、野芝と高麗芝の混植、全面高麗芝という風に芝を張った。

5月14日最初の全面野芝を張る。この陰は強烈だ。

5月29日野芝高麗芝混植部分を張る。白樫もヒップアップされる。

6月4日姫高麗芝部分完成、三色弁当状態となる。

 質も色も全然違うので三色弁当のようになった。着き具合、張り具合、耐陰性など比較して来年以降の参考にしたい。経費は下記のとおりである。
高麗芝 6束 2,868円
野芝  6束 8,300円
真砂土 15袋 3,900円
目土  10袋 2、980円
合計 18,048円
 今後の肥料代や目土の費用なども含めて年間予算は2万円というところか。

【今日のじょん】久々におおい町の芝生に行く。一時はどうなるかと思われた雑草も機械で刈り取られ、次の成長が始まっている。芝は緑が濃くなって案じたもんでもないようだ。この芝、高麗芝では無いようでティフトンかなんかだろう、違いのわからん農学士ではワカラナイ。

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大栗峠考(39) 6/6

2016-06-06 | 山・峠

2016.6.6(月)晴れ 大栗という地名について-4 大栗峠考(38)は2016.5.30

 もう一つの疑問は志古田道の崩壊現場から少し行ったところに石垣の跡があることだ。斜面をトラバースする地点で見落とすほどの小さな石垣だ。そして谷を渡ったところの急登にも石垣跡は残っている。

志古田道崩壊地の先のトラバース地点、峠直下の谷に下りるジグザグ地点、いずれも石垣の跡が見える。
石垣は他のルート(山田道、弓削道、上粟野に下る道)には記憶が無いのでずいぶん珍しいものと思える。志古田道が重要視され地元の住人によって丁寧に補修されていたとも考えられるが、地滑り、土砂崩れのあとの補修なのかもしれない。もしそうだとすると古くから志古田道は崩壊を繰り返してきたこととなる。そう考えると大栗はやはり崩壊地名なのかということになるが、崩壊があるからこそ谷はガレで埋まり、谷筋には大岩が転がっているという風にも考えられる。集落の奥、かつての取水地のあたりの林の中にも大きな岩が転がっているのが見える。これらの大岩が大栗の語源となっているという考え方も無視できない。やはりこの地の大栗も崩壊地と大岩の両論併記とすべきだろう。終わり

【今日のじょん】先日シャンプーの際にサン君に会いに行ってきた。留守番しているところだったのだが、ずいぶんと大人っぽくなってきた。じょんとうまくやれるかなと不安だったが、それなりに仲良しできそーだ。

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訃報 小川光三さん

2016-06-05 | 地名・山名考

2016.6.5(日)穴虫考(155)穴虫考(154)は2915.11.27

 穴虫考を読んでおられる方はご存じかと思うが、写真家の小川光三(おがわこうぞう)氏が亡くなられた。穴虫という奇妙な地名に取り付かれ154回もの記事を書いてきた。その出発点が小川光三氏の「大和の原像」なのである。小川氏は古文化財の撮影を専門的にしてこられ、父の写真家・小川晴暘氏の創業された「飛鳥園」の社長会長を務められた。

写真家だけに使われている写真もすばらしい。箸墓の夕景と訃報記事
 実は「大和の原像」を読んで穴虫を調べ始めたわけではない。当初は日置氏、上林の日置谷(へきだに)について調べるため、「知られざる古代」水谷慶一著を読んで水谷氏のいう「太陽の道」なるものの原点が「大和の原像」にあるというのが出発点である。「知られざる古代」の冒頭にO氏、M氏という諾名の人物が出てくる、O氏は小川光三氏、M氏は松本清張氏である。太陽の道とは奈良から伊勢に続く重要な古代遺跡を直線でつなぐと北緯34度32分の一直線になるというなんとも不思議な話なのだが、このことの最初の提唱者が小川光三氏なのだ。「謎の北緯34度32分をゆくー知られざる古代」は昭和55年2月11日にNHKで放映されたもので、わたしは見ていないのだが反響の大きな番組だったようだ。思い起こせばこれらの本を読むに至った原因はもっと違ったところにあった。歴史を金属で解こうという意識があり、最初に読んだ本が「古代の鉄と神々」真弓常忠著である。その中に小川氏、水谷氏のいう「太陽の道」は実は「鉄の道」いわゆる中央構造線だという強烈な批判文が載っていたのだ。

古代の鉄と神々、金属関連で最初に読んだ本。
真弓氏の批判に対し小川氏、水谷氏の反論は目にしたことはないのだけど、わたしは日神祭祀も古代測量も産鉄をはじめとした古代の金属採取も矛盾するものではないと考えている。日置氏は測量もしたし日神祭祀もしたし、金属の採掘もした部民であると考える。特に測量ということを考えると、器具も機械も無い古代に古墳や大規模な建造物、ついには都の建設までなすという影には正確な測量技術、それをなしうる専門的技術者がいたはずで、日置氏もその一員ではないかと思われる。

次々と読みあさった本
 「大和の現像」を読むに至った経緯はこのようなものだが、なぜ穴虫なのかということになる。太陽の道は奈良県に入ると幾つかの遺跡を通り、桧原神社からやがては穴虫峠を通過することになる。つまり春分秋分には桧原神社から見ると夕日は穴虫峠に落ちることになる。小川氏はこの穴虫の地名について次のように書いている。
 古代の人の考えていた宇宙観では、西海に大穴があり、東から出た太陽は天空を横断してこの穴に入り、翌日ふたたび東より現れると信じられていたという。本州の西端、山口県は長門の国だが書紀には穴門(あなと)の国とある。穴門とは西海にあるこの大穴の入口、最も近い場所を意味している。とすれば大穴道とは太陽の落ちる大穴に至る道の意と考えられる。この穴道(あなみち)がアナムチと発音され、やがてアナムシと変化したのが穴虫の語源ではないだろうか。
 穴虫という奇妙な地名についてはじめて語源を語る文章を見つけた。そしてなんともロマンに満ちた発想と文章である。穴虫峠の大阪側には多くの古墳があり、竹内街道と共に葬送の道となっている。吉備の古代を調べると半島に囲まれた内海は穴と呼ばれその陸地側にやはり多くの古墳が存在する。穴虫が穴道であったなら、そこは黄泉の国への入り口と言うことになる。
 ところが穴虫は各地に存在し、一般的な地名なのである。取り憑かれたように各地をめぐり、現地を見て、様々な文献も目にした。穴虫考をさかのぼって読んでいただければその様子がわかると思うが、小川氏の穴道説は残念ながら賛同できない。もちろん結論に達した訳ではないのだが、小川氏に穴虫研究のきっかけをいただいたことは確かだし、こんな事をお話したかったと思うのである。合掌

【今日のじょん】先日くうちゃんが来じょん、ドッグランどができた頃に来られたそうだ。よい写真が撮れましたぞ。

コーヒー飲んでるみたいでしょ

じょんは必死に覗いてるのだ。

 

コメント
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