晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

二人のアイスマン-2 1/31

2019-01-31 | 雨読

2019.1.31(木)雨

 石器時代というと簡単な石器の道具を使い、裸同然でくらしていたものと思いがちだがそうではなかった。エッツイ(エッツ渓谷の雪男の意)は必ずしも大王でもなく、有力者でもなく普通の庶民と考えられるが、その道具や衣類を見ると実に豊富で進んでいる。例えば短剣はフリント製(チャートの一種で石器背負い)だが斧は銅製で見事に加工されたものである。その他弓矢、背負籠、熾き入れや治療器具、薬剤まで様々な優れた加工品が発見されている。衣類については、帽子、マント、上着、ズボン、腰巻き、靴と材料は皮だが今日と変わらない種類が揃っている。そしてヨーロッパでは既に農耕と牧畜が始まっていたということである。おそらく縄文期の日本では農耕は始まっていなかったと思うのだが。
 さて肝心の靴についてだが、それ以前にはヨーロッパ最古の靴は1874年にオランダで発見されたものとされ紀元前2500年とされていたが今回の発見で500年遡ってエッツイの靴が最古となった。
 現在では2008年にアルメニアの洞窟で発見された靴が紀元前3500年のものとわかりこれが世界最古の靴である。靴の起源と言えばエジプトのサンダルが有名だが、それどころじゃなく古い時代に革製の靴があったということは驚きである。ただ、サンダルについては紀元前8000年前のものもあると聞く。
 新石器時代に既に靴があったという事実は驚きである。しかもそれは基本的に現在のものと変わらない形状なのだ。靴底は縫い合わせではなく一体で、足首のところで縛るようになっている。最古のものは靴紐まである。日本では正倉院御物に靴らしきものがあるそうだが、一般に使用されるのは明治以降で、それまでに靴が普及しなかったのはひとえに季候が影響しているものと考える。つづく
 
 

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二人のアイスマン-1 1/29

2019-01-29 | 雨読

2019.1.29(火)曇り

これは本のタイトルではない、偶然に二冊の本を読むことになったがその主人公がアイスマンだったと言うことだ。

 「5000年前の男」解明された凍結ミイラの謎 
  コンラード・シュピンドラー著 文藝春秋社 1994年第一刷 古書
 まずはこの本から紹介しよう。
 1991年オーストリアとイタリアの国境近くのエッツ渓谷で上流のハウスラブヨッホ下方で氷河の中から遺体が発見された。当初は遭難者の遺体と思われたが、調べると5000年前の遺体とわかり世界的センセーショナルな話題となった。20数年前このニュースは知っていたが、特段興味も無くその後の調査結果など追求することもなかった。そして今、歩行や靴について考えをめぐらせることになり、このミイラが靴を履いていたという記事を思い出した。二足歩行を始めた人類がどうして靴を履く様になったのか、調べてみたくなった。
 著者は遺体発見当初からその搬出、調査にかかわった考古学者で、遺体や遺物についても逐一調査されている。その後の調査研究も随分進んでいると考えられるが、本書はほぼ最初の調査報告と考えていいのではないか。遺体発見は1991年9月19日登山者のジーモン夫妻に発見されている。発見から搬出まで事細かに書かれていて、その部分に興味の無い者にとってはつらい読書である。
 驚いたのはラインホルト・メスナーが遺体発見の3日後から登場することである。メスナーはわたしの青春時代の超人的な登攀家である。イタリアの南チロル出身の彼がこの現場に現れたとして何の不思議もないが、メスナーの名が本の中に現れたとき、きっと別人だろうと思った。しかしそれは当の本人で、記録や写真を撮ったりして、搬出や調査に貢献することとなる。
 5000年前といえばヨーロッパでは新石器時代、日本では縄文中期と言うことなのだが、氷に埋もれたという条件が実に見事に人体の状態を保存し、数多くの遺物も状態良く保存されていることに驚くばかりである。氷河といえども移動の少ない岩陰に保存されていたという偶然が幸いしたと言えよう。つづく
 

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イエティ? 1/27

2019-01-27 | 日記・エッセイ・コラム

2019.1.27(日)曇り

 西日本は暖冬とさけばれている今年、初めての積雪となった。26日から近畿地方の多い所で60cmと言われていてビビっていたのだが、幸い少なくて済み今朝の様子で5cm程度か。

じょんの様子を見れば5cmぐらい。
 雪が積もると獣たちの動向がよくわかるのだが、昨日妙な足跡を発見した。朝の9時半ごろである。薪小屋の横からドッグランあたりまで続いているのだが、鹿イノシシではない。歩幅はじょんぐらいだが足跡は犬のものでは無い。よく見ると指が長くて5本あるようだ。まるでイエティ(雪男)の足跡を思わせる。

 用事を済ませてからじっくり観察する。実は何年も前から一種類だけ得体の知れない動物が居ることは気づいているのだ。大きさはじょんぐらい、キツネでも無くアナグマでも無い、ハクビシンでもなければタヌキでも無い。形状は犬とそっくりで尻尾は細くて、色は薄い茶色。先日もかみさんが「キツネをみたで」と言っていたが、聞くと尻尾が細いという。御存じのとおりキツネの尻尾は見事なくらいふさふさとしている。
 この動物、わたしは二度ばかり目撃している。一度は夜中に庭のセンサライトが点いて、窓から覗いてみると複数の犬状の動物がうろうろしている。もう一度は里に極近い山中で1匹のこの動物に出会った。ドキリとしたが、おとなしくすごすごと逃げてしまった。このときははっきりと目撃したのだが、やはり犬に近く、尻尾は細く、薄い茶色。だから怪しげな足跡を見るとこいつかなと思うのだが、今回の足跡は確実に別物だろう。定規をあてて写真を撮り、足跡を追ってみる。

 薪小屋の横をとおりとなりの家の裏山に続いている。しかしその途中で決定的な証拠を見つけた。熟した柚子がこの前まではそのまま地面に落ちていたが、どうやらそれを食べているようだ。

山から出てきて、柚子を食べて我が家に来たらしい。
 以前に柚子が熟したのを待って猿の一団が木に群がっていることがあった。若い実は酸っぱくて食べられないが熟したらどうやら食べられるようだ。つまりあの足跡はニホンザルのものではぐれ猿が早朝にやってきたものらしい。納得。
 
 

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そばを打つ 1/23

2019-01-23 | 食・レシピ

2019.1.23(水)晴れ

 小沼さんが「そばを栽培して自分で打って食べたらおいしいだろうな」と言うもんだからその気になって、そば打ち体験をしてみようと言うことになった。安喰(あじき)さんのそば打ち教室が毎月開催されているので、早速申し込む。
 材料、道具すべて用意されているのであとは習うだけだ。
 粉は越前の上等な粉で、先生によると打ち方が少々下手でも良い粉を使うとおいしいと言うことだ。

講習が終わって片付けているところ。
 まず先生がすべての工程をやられるのだが、ふんふんといいながら見ているだけでちっとも頭に入らない。だからいざ自分でやるとなると妙に緊張する。水回し、まとめ・こね、菊ねり、へそ出し、手地延し、延棒地延し、本延し、切りの行程をやっていくんだが、「あれっどうすんのやったっけ」てんで先生を呼ぶ。そして本延しの行程で失敗をする。長時間力入れすぎで生地が破けてしまった。先生に補修をしてもらうが、厚さに偏りがあり形も随分いびつである。なんとか厚さを揃えて切りに入るが、これは難しい。包丁が真っ直ぐ入っていないためか細く切ると千切れてしまう。厚く切ると今度は不揃いになってしまう。まあ初心者だから仕方が無いか、愛嬌愛嬌とばかりに切り終える。自分の食べる分だけ湯がいてもらって試食、まあこんなもんかなって程度で特別美味いとも思わない。
 帰りにスーパーでニシンの甘露煮を買ってにしん蕎麦を作る。五島列島のあごだしスープの素があったので、かみさんにつゆを作ってもらい試食。これは実に美味しく、蕎麦ってつゆなんかなあと思う。

第一作目、温めるのにそば湯を使ったためつゆが濁って失敗。
 実際そういう人もあるそうだ。失敗を活かしてもう少しまともに打ったらもっと美味いかなと、2月にもリベンジすることにした。蕎麦打ちってはまるのよね。

  

 

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進化する寿命延ウォーク-5 1/21

2019-01-21 | 寿命延ウォーキング

2019.1.21(月)曇り

 地下足袋を履いて河原を歩き始めたときは散々な歩行だった。つまずくは石は踏むは浮き石に乗るはで足はボロボロ、目線は足元から離れない。最も悲惨なのは足裏で石を踏んだときで、長いときは一週間ほど痛みが取れない。足裏というのは実は急所なのではないだろうか。
 人類の歩行の歴史はそのほとんどが狩猟生活だと考える。直立二足歩行のリスクを回避すべく進化を続けてきたとすれば、それは狩猟採取生活の間に違いない。例えば石器時代、縄文時代の狩猟における歩行を想像して欲しい。マンモスとまで言わなくてもイノシシや鹿を手製の槍で突いたとして果たしてその場で倒れるだろうか。野尻湖のマンモスは逃げ場の無い湖に追い込んだと言われているが、最初の槍を打ってから何日かかって追い込んだのだろう。イノシシや鹿だって今時の猟銃ではないのだから、何日も追ったに違いない。人類の行動を積算すれば睡眠が一番だろう。次は獲物を追う歩行が来るのではないだろうか。獲物を追う歩行こそが人類の歩行の基本だと考える所以である。

槍を打たれた獣はどんなところでも逃げていく。
 傷ついた動物は退路を選ばない、山であれ谷であれ、藪であれ河原であれどこでも走り続ける。追う人間も目を離してはいけない、数百メートル先を常に見続けていなければならない。足下など見ている隙に獲物を見失ってしまう。慣れとは恐ろしいもので何回も足下を見ることもなく、遠くを見て歩いていると、つまずくことも石を踏むことも、転ぶことも無くなってくる。そしてスピードを上げることも可能になってくるのだ。
 なぜそうなるのか考えながら歩いているといくつかの理由が見えてくる。ひとつは、かかと着地親指つけ根から親指で蹴り出すというウオーキングの基本が自然と出来ることである。

 この足の運びは革靴では無理であり、ウオーキングシューズでも習わないと出来ないものである。底の薄い地下足袋で足下を見ずにゴーロ(石がごろごろしている河原など)を歩くと考えなくてもできる。

ゴーロ歩きはこういった河原を1Kmほど歩く。
 それは足裏で地面の状態を察知し、障害物があると対処できる歩き方なのだ。多くのウオーキングの本にこの足の運び、荷重ラインのことは書かれているが、なぜそうなのかはどこにも書かれていない。今はっきりと解った、それは足底を守るためである。ではなぜ足底は守られなければならないのだろうか。
 裸足で野山を駆け巡る石器人や縄文人の足裏は革靴の底のように分厚く頑丈に出来ていると思っていた。ところがこれは間違いのようで、おそらく現在と似かよった状態だろう。動物たちの足裏を見ても肉球のあるもの、毛に覆われているものなどあるが実に軟らかく薄いようだ。蹄に変化しているものでもその間は軟らかそうだ。どの動物にせよ移動するためには地面の情報を得て筋肉を動かさなければならない。視覚で情報を得ることも出来るがその場合は脳の介在が必要となる。足裏で得た情報は直接筋肉を動かして走行や歩行を行っているのだろう。いちいち脳で考えていたら、たちまち餌食になってしまうしハンターは獲物を逃してしまう。そのためには足裏は繊細で軟らかい状態でなければならない。ゴム長の靴底のように分厚くなったら地面の情報を収集することは出来ない。だからこそ足底は守られなければならないのだ。つづく

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天狗岩から大栗峠-3 1/19

2019-01-19 | 山・峠

2019.1.19(土)晴れ

 見知ったところに出るとなんと心安まるのだろう。それだけ知らないところ、人の歩いた気配の無いところは不安なものである。例えば目印のビニルテープだけでもホッとするのは人恋しさということだろうか。
 小栗峠の頭から小栗峠はすぐのところである。何度も訪れたが雪の小栗峠は初めてだ。雪の中でお地蔵さんも寒そうだ。昼でお腹も空いているのだが、風の無いところまで歩こうと言うことになった。

お地蔵さんも寒そうだぜ
 志古田に下りる志古田道は小栗峠最古の道と考える。峠道としては最もオーソドックスな形態で、上林と和知をむすぶ峠道としては最短の道である。但し谷から尾根に上がるところが大規模な土砂崩れで通行が困難になっている。昔ならすぐに修理されたのだろうが、用の無い現在ではほったらかしである。実はこのコース7年前に歩いたのみで今回で2回目である。

徒渉点遠望、左に上がるかすかな踏み跡が解るだろうか、志古田道の正規ルートである。
近づくと右のようになるが、人が歩かないとこうなるのかと思う。
 峠から尾根を下りすぐのところを隣の尾根に渡るものと考えていたが、かなり下ってから渡るものだった。記憶というのは頼りないものだ。雪のせいもあるが誰も歩かないものだから道も途切れ途切れになっている。徒渉点から崩壊地までの部分はこのコースで唯一広葉樹の気持ちの良い道である。崩壊地の手前で遅い昼食をとる。崩壊地は7年前のままだ。どうしてでも降りられるが、最も安全なルートをこしらえておきたい。
 結局崩階部分の真ん中をトラバースして、大岩の上の谷に降りるルートがよさそうだ。
  
左:雪と樹林の間をトラバースしてゆく。
中:大岩の左の小谷を下りてくる。
右:元々の道、危険きわまりない。
 大岩から先は植林の中をうねうねと歩くのだが、倒木や小枝の堆積で歩きにくい。7年前には残っていた小橋も朽ち果てたようだ。面白くも無い植林の道を昔は気持ちの良い道だっただろうなと想像しながら歩いて行く。

昭和50年代に整備された際の道標が残っている。
 やがて志古田の山の神に出てきて、志古田の村も見えてきた。佐々木さんのお宅でおやつをいただき、車で送ってもらって今回の山行も無事に終わった。心残りは天狗岩である。近いうちにリベンジすることにしよう。おわり
 

 

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天狗岩から大栗峠-2 1/16

2019-01-16 | 山・峠

2019.1.16(水)雨、曇り
 実は今回の山行は失敗だった。ミスコースのため天狗岩も見ていないし、703mピークにも登っていない。浅原谷本谷に入って一つ目の堰堤の先を右に入るべしを見落として二つ目の堰堤の先を右に入ったようだ。天狗岩へ向かうべき本来の道は一応見つけていたのだが、それは余りに細くしっかりした二股ではなかったように思えたのだ。その道をやり過ごし、次の二股は実に立派な二股で道も左右に広い道が続いている。疑うことも無くその道を選んでしまった。その上本来の道にある次の二股が間違った道にも存在して、すっかり信じてしまった。そして右岸に大岩が現れて、それが烏帽子岩かと思ってしまった。
 
 いきなり大岩が現れたが、天狗岩でも烏帽子岩でもなかった。
 浅原の温井さんに「天狗岩の下に烏帽子岩というのがあるんやで」と聴いていたのだ。しかしそれから先、道はだんだん怪しくなり、踏み跡やら獣道やら解らなくなってくる。それに左右の植林がいつまでも続いているのだ。703mピークを下から見る限り、植林は途中までで天狗岩付近は灌木帯になっていそうなのだ。こりゃあルートを間違ったぞという思いと、それでもひょっこり天狗岩が現れないかと期待しながら登っていく。もう道は無くなり植林の斜面を無理やり登っていく。意外と簡単に稜線に飛び出す。ところがここが果たして主稜線なのか、支尾根の稜線なのか解らない。時間的には早すぎると思いつつ地図とコンパスを出し、周囲を見渡してみる。支尾根なら周囲は山ばかりだが、南面は開けている。北面は弥仙山がはっきり見えるので上林の谷に間違いないが、南面はどうやら和知の谷のようだ。上林側は風が無かったのだが、稜線に飛び出した途端風が強くて寒くなってきた。天気予報では日本海に低気圧が入って南風が強いと言っていた。やはりここは主稜線だ。すると703mピークはどこに行ったのだ。稜線の背後に盛り上がる山陰が見える。703mピークから北へ100mほど下った稜線上に飛び出したようだ。本谷から703mピークの右側の谷を詰めるつもりが左の谷に入っていたのだ。あらためて地形図を見ると703mピーク付近は広葉樹で、飛び出した辺りは針葉樹になっている。読図力の無さに気づくとともに、読図の勉強や歩測の訓練などやるべきだなあと反省する。

左に弥仙山、右に長老山、見かけなくなった赤松が多く生えている。
 主稜線は10cm程の雪だが実に気持ちの良いルートだ。小さなピークがつづくが真っ直ぐ越えていけば良い。

振り返った703mピーク
 ところどころテープを巻いてきたが、他の目印は見当たらない。右に長老山、左に弥仙山を眺めつつ正面の大栗峠の頭目指して歩く。そしてやっと人の足跡を見つけたと思ったら大栗峠の頭(681m)に到着。

大栗峠の頭(大栗山)雪が降って以来登山者がいるということだ。つづく

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天狗岩から大栗峠-1 1/15

2019-01-15 | 山・峠

2019.1.15(火)曇り

 天狗岩は浅原(あずら・綾部市睦合町)の奥にある大岩で、かつて珪石鉱山があったのだが「日本地方鉱床誌」には記載されていない。地元の五十嵐さんに当時の様子を聞いた聞いたところによるとかなりの規模の鉱山と思えるのだが。「上林風土記」の写真集に桜井さんの撮影された浅原鉱山の様子が載っている。丹波地方の鉱山に興味を持っていたので是非とも訪ねてみたいと思っていたのは5,6年前のことである。今は鉱山としてなく、”あずら”という変わった地名の語源としてこの天狗岩を見てみたいという願望ばかりである。熊が寝静まったこの季節が絶好のチャンスとばかりに工忠くんとでかける。大栗峠に向かう稜線は上林トレイル計画のルートの一部でもあるし、工忠君に志古田ルートも見せてみたいという思いもある。
 山行 2019.1.15(火)曇り
 メンバー 小原英明、工忠照幸

  9:35 五十嵐さん宅出発
  9:54 二股
 10:05 大岩
 10:30 奥の二股
 11:10 稜線着      11:20 出発
 11:30 小ピーク
 12:00 稜線上で休憩   12:10 出発
 12:25 大栗峠の頭(大栗山)
 12:25 大栗峠 5分休憩後志古田道へ
 12:55 徒渉点
 13:05 崩壊部分手前で昼食 13:25出発
 13:45 崩壊部分下の大岩
 14:35 志古田佐々木さん宅


天狗岩は703mピークの北面にある。681mピークが大栗峠の頭
その南東が大栗峠で北に延びる破線が志古田道。

今回の山行は地下足袋を止め、登山靴にした。だってこの雪だもんよ。つづく  

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雨読 「琉球 奪われた骨」 1/9

2019-01-09 | 雨読

2019.1.9(水)雪

 「琉球 奪われた骨」遺骨に刻まれた植民地主義
 松島泰勝著 岩波書店発行 府立図書館借本
 

 「琉球は日本の植民地である。」で始まる本書は京大への百按司(ムムジャナ)墓琉球人遺骨の返還訴訟に関わる問題を提起した本であるが、遺骨返還の問題だけで無く、民族としての琉球人そして日本による植民地支配について述べている内容の深い本である。沢山のポストイットを貼り付けて意味深長に読み続けたのだが、図書館の返還日に間に合わずすべてを読むことが出来なかった事もあるが、完全に理解する事も出来なかった。従って内容についてのコメントは多少錯誤があるかもしれない。
 さて本書読書の動機はというと昨年1月の京都新聞の記事にたどりつく。戦前京大や北大などの帝大が樺太、北海道などでアイヌの遺骨を、また沖縄や台湾、満州、朝鮮などで遺骨を収集し現在も保管されているという記事である。日本人のルーツを探るという学問的な目的でなされているのだが、その実情は領土拡大、戦争遂行の政策に沿った研究であり、その方法も強権的で植民地支配と言わざるを得ないものである。そして現在までその遺骨が大学に保管されているという事実に驚いた。返還運動の高まりに押されて北大などでは変換作業が進んでいるが京大に関してはまるで取り付く島が無いという。

 沖縄では昭和の初期に京都帝国大(現京大)によって今帰仁村(なきじんそん)の「百按司(むむじゃな)墓」から26体の遺骨が盗掘され、今も京大に保管されている。そして昨年12月本書の著者である松島氏や同墓に埋葬されたとする一族の子孫などによって提訴されたという記事を見つけた。
 本書は一連の国と帝大による横暴を公表するとともに、提訴に至る根拠を述べておられる。人種や民族などについても歴代の研究者や論文を網羅し、琉球人は日本民族とは異なる琉球民族であって日琉同祖論を批判されている。人種という議論は実は大変複雑で決定的なことは言えないのだが、特に極東の日本では石器時代以来北西南各方面から様々な人種が渡来し交雑しているので一概に言えないのが実情ではないだろうか。民族と言えば言語、歴史、文化、生活様式などが要素となるので、琉球民族というのはあり得ると思う。アイヌは明らかにアイヌ民族として存在し、先住民族として認められているところである。日本人としてはどうなのかというとこれは複雑な問題であり、わたし個人としては、少なくとも縄文時代には樺太から沖縄まで同一の人種、原日本人が居住していたのではないかと考えている。弥生時代以降半島から膨大な渡来人を迎え、定着型の農耕文化が広まるとともに、文化や言語の差違が各地に生まれたと考えている。そういう意味では松島氏の説には少し違和感を感じるのだが、もう一つ腑に落ちない件がある。
 それは氏が戦前戦中の帝大の遺骨に対する蛮行のみならず、その後の研究者による遺骨調査ににも同様の批判を加えていることである。確かに骨というのは宗教的にも重要な遺物であり、敬意を持って扱うべきは当然だが、古墳や周溝墓などから発掘される骨について計測や年代測定、DNA鑑定などすることにも同様の批判は成り立たないだろうと思うのである。例えば考古学なんてのは墓を暴くのが主な作業でもあるわけだ。人骨、副葬品などの発掘によって古代の様子が解明されてきた。こういう成果を一様に批判することが民意を得るとは思えない。
 琉球の遺骨が一日も早く返還されることを願い、裁判の行方を注視したいが、京大がどこまで先の戦争を総括できるかが重要な問題であると思うのである。
 
 
 

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正月してます 1/2

2019-01-02 | 日記・エッセイ・コラム

2019.1.2(水)曇り
 いつになく正月らしい正月を過ごしておりヤス。
 12月31日・泳ぎ納め2,000m。第九を聞く。
 1月
1日・初詣をする、歩き始め、ウィーンフィルのニュイヤーコンサートを聴く。
 1月2日・朝風呂を浴びる、お雑煮おせちをいただく。ラグビー明早戦を見る
 1月3日・初泳ぎ予定
  
 それにしても明早戦は明治が昨年末のお返しをして良かったのだが、31-27というスコアが昨年の対抗戦優勝を逃した時と同じというのは因縁を感じざるを得ない。またあの帝京を破った天理は凄いぜよ。早稲田とともに帝京(対抗戦は早稲田と帝京が優勝)にも選手権でお返ししようかというところが伏兵天理が現れた。決勝は12日だそうだが、40年近く前負けるはずはないと思っていた同志社大に敗れたことを思い出す。気を引き締めて頑張ってくれい。

本来は昨年末にすべきことを紹介しておこう。
 2018年じょんのびDIY大賞
 玄関前室
 
 片流れの高い屋根から何百キロという雪塊が落ちてくる、時には数10cmの尖ったつららが落ちてくる。そうでなくてもドアを開けるとベショベショツルツル、我が家の玄関は都会風にデザインされていて雪国では明らかに欠陥品。そこで前室をと永年構想をめぐらせていたのだが、素人で作るのは困難と諦める。てなわけで大工さんにこしらえてもらったわけ。写真は昨年の29日のもの。落雪の恐怖も無く、出入りも楽々、灯油や長靴置き場も確保できる優れもの、チョイスした電灯がまたお気に入りで夜に灯りが点くのが楽しみ。DIY大賞ならダントツの1位なんだが、プロの作品でDIY選考外である。
 てなわけで2018年の大賞はゴミ選別収拾箱に決定!というよりこれしか作っていないのいうのが実情。でもこれって結構役に立っているわけで、収集日前に袋に選別していたのが、カゴ毎車に積んで捨てに行かれるので省力化が著しい。

【今日のじょん】朝の4時頃か、キャンキャンキャンと犬のような鳴き声、続けてじょんもワンワンと大騒ぎ。起きてから雪の中に足跡を探す、するとだ犬科の動物らしき足跡があるんだけど、なにやら奇妙なものが見つかる。

 
畑の中に続いているのだが、轍の跡になると指が5本の足跡となる。

こういったのが数個あるんだけど、やっぱり指は五本。調べてみると動物は基本的に5本指だそうだ。ただ退化したり隠れていたりしているだけなんだって。でもこの足跡はどうやら2本の足で一箇所に着地したみたいだ。なーんだそんなことか。 

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あけおめ2019 1/1

2019-01-01 | 日記・エッセイ・コラム

2019.1.1(火)晴れ
  年末から雪模様のぐずついた天気が一転、正月にふさわしい好天となった。河牟奈備神社にお参りして昨年一年のお礼と今年の願いをお祈りする。


寝坊の我が家では初日の出はとっくに上がっている。じょんも元気にお参り。

 さて、午後は初歩きでいつもの行者コースを歩く。昨年の12月25日以来歩いていないので今日は気合い充分。なにしろ雪の野山を素足、地下足袋で歩くのだから気合いが要る。実は雪上の行者歩きを試してみたかったのだが、こんなに早く機会が来るとは思ってもみなかった。ものの数分で足下はぐしゃぐしゃになり、そりゃあもう冷たいこと。ところが雪が無いところを歩くと足の感覚は戻ってくるし、温かくなってくる。ずっと雪の中を歩くのは大変だろうけど、途切れ途切れでも土が出ていれば平気である。全面雪の場合をどうするかが今後の課題だ。歩きながら昨年出来なかったことややり遂げたことを思い返していたのだが、あれも出来なかったこれも出来なかったと思い悩む必要はなさそうだ。つまりやり遂げたことも結構沢山有るのだから、、、。まっ今年もよろしくっと言うところか。

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