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晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 地名を歩く(2) 2/27 

2013-02-28 | 雨読

2013.2.27(水)晴れ

 沖縄の地名を見ていると、万葉仮名のように漢字そのものに意味が無く、よみを漢字で表しているものが多い。その地名の意味を考えるとき漢字の意味に惑わされることは無い。そういう意味で語源や由来を考えるのが簡単かというと実はそうでない。方言や訛をそのまま漢字にあてるので余計難解になってくる。前回の北をニシというから西という漢字を当てているようなものである。
 珊瑚礁の島である沖縄には川は少ない。生活用水にしても農業用水にしても往古から苦労してきただろうと思う。
 自転車旅行で沖縄に上陸し、中城村を訪ねたとき、大城のチブガー(チブ井泉)とイリヌカー(西井泉)を見つけた。本土でよくある名水のようなものかと思ったが、そうではなく村人にとってはなくてはならない水源であり、とても大切にされていたものである。特にイリヌカーは琉球石灰岩の中に地下水路や貯水池が掘られた本格的なカーである。Img_2417 Img_2420




チブガーとイリヌガー、チブの意味は解らない。


 カー、ガー、ジャーは井泉、つまり泉のことであるが、沖縄中に多くのカーがある。ほとんどが井と表されているが、川と表されているものも多い。
 那覇市牧志の東に繁多川(はんたがわ)というところがある。こういう川があるのではなく、ハンタ(崖、茅打バンタで有名)の本に湧く泉(カー)のことであるそうだ。
 それでは川のことを何というかというとカーラと言う。地図上には川と書かれているが、カーラというそうだ。川のことを◯◯ガーと呼ぶ例もあるそうで、こうなると解らなくなる。
 井泉の水の出口を樋掛にしてあるのを樋川(ヒージャー)という。南城市の垣花樋川(かきのはなヒージャー)は名水百選にも選ばれている。Img_2922 Img_2923
 



垣花樋川(ヒージャー)、女の川、男の川、ンマミシガー(馬浴川)併せてシチャンカー(下の川)と呼ばれている。確かに樋があるのは理解できるが、意味するところは川なのか泉なのか。(2007.3.1)

 沖縄の観光ガイドには大角座(ウフカクジャー)と言うところが載っている。これはジャーでも水には関係なくて、座の訛であろう。座とはところと言うような意味で、多くのかどのあるところと解せば良いようだ。ここは6本の道が行き交っており、那覇でも渋滞のおこる交差点である。
 今帰仁村(なきじんそん)の運天港の北、運天漁港の傍にクンジャーという地名がある。かつて沖の山原船からテンマ船で水汲みに来たという井泉があったという。筆者の宮城氏は汲み井の意味ではないかと書かれている。Img_2569
 つづく



今帰仁村運天港、この北2Km辺りに運天漁港がある。

 【作業日誌 2/27】
ウッドデッキ階段作製
名刺入れペン立て作製

【晴徨雨読】156日目(2007.2.27)瀬嵩~コザ
名護に郵便物を取りに行くため県道18号線の山道を越える。トンネルがほぼ完成しているがまだ開通しておらず苦労する。今日ではもちろん開通しているだろう。ここで地図を眺めていて、本部半島の山々が壊されているのを開発のためと言っていたが、どうも石灰石の採取のようであることが解った。改めて訂正する。
 帰りは329号線を走り、降りたところが辺野古である。キャンプシュワブや弾薬庫があり、その当時はヘリ基地移設の問題が起きていた。
 宜野座村では後の祭りの阪神タイガースキャンプ場を訪ねる。ここの資料館ではすこぶる上等の村史を格安で販売していた。沖縄の歴史や民俗に興味ある方は全巻買われると値打ちがある。Img_2808




宜野座は古い村である、役場の前にも大きな門中墓(ムンチュバカ)がある。

【今日のじょん】:おかーが蕗味噌に凝って今年も連日こしらえている。ところが山側のところでは育ちが悪く、小さいまま花が咲いてしまう。散歩時に探すのだが、ここが一番、了解をもらって戴いている。P1030974 P1030973

 

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雨読 地名を歩く(1) 2/26

2013-02-26 | 雨読

2013.2.26(火)晴れ

 沖縄の地名は難解である。まるで外国語で、その意味するところが解らない。しかし沖縄の方言や転訛のしかたを学ぶと本土の地名を紐解くのと同様に解ってくる。ただし日本の古語であって、本土では消えてしまっている言葉もいくつか見受けられる。常々沖縄方言や地名は日本語のガラパゴス、ロストワールドだと言っているのだが、まさにそのとおりであることが本書にも書かれている。
 そういう意味で地名を研究する場合、沖縄の地名について知識を持っていることが重要だと考えている。
 沖縄地名の入門として本書を選んだのだが、実はかなり難解であった。

 「地名を歩く」南島地名研究センター編著 1991年10月発行 古書P1030969

  沖縄地名で最初に興味を持ったのは東平安名崎である。知らない人に呼んでもらうと”ひがしへいあんなさき”となるかもしれないが、”あがりへんなざき”が正解なようである。地元では”ぴゃうなざき”だそうだ。宮古島の東南にひょろひょろと突き出た岬で、幅は15m、長さは2Kmもあり、島一番の風光明媚なところである。宮古島トライアスロンではこの岬を自転車で往復し、だれの心にも残る風景だろう。
 ではなんで”あがりぴゃうなざき”なんだろう。東西南北は地名の基礎である。沖縄では、あがり、いり、ふぇー、にしとなる。あがり、いりは日が上がる、入るでわかりやすい。南のふぇーは南風のことをはえというのと同様である。北をにしというのはよく解らないが、西と北との混同で混乱しているようである。
 宮古島には北西にもうひとつ平安名崎があり、西平安名崎(にしへんなざき)と呼ばれている。初めて宮古島に行ったときには「東(あがり)平安名崎に対して西(いり)平安名崎ですよ」と説明された。その時はなるほどと思ったのだが、今では西平安名崎は北平安名崎(にしへんなざき)であって、いりへんなざきは西という文字から来た呼び方なのではないかと思っている。
 西平安名崎は決して西に位置するものではなく、北に位置するものである。やはり西は北で西平安名崎は北(にし)平安名崎だという説もあるそうで、その説を信頼したい。北をにしというのでかなり混乱が生じている。
 方角はともかく平安名崎(ぴゃうなざき)はなにかというと、ぴゃう=パウ=蛇ということだ。両平安名崎とも細くてくねくねとうねって海に突き出ている。
 なぜパウが蛇かというと説明が無い。それが本書の辛いところだが、”這う”からだろうかなどと勝手に考えて楽しんでいる。つづく

 【作業日誌 2/26】
ウッドデッキ階段作製

 【晴徨雨読】155日目(2007.2.26)奥~瀬嵩
 山原(やんばる)の東海岸沿いを走りに走る一日だった。道中タナガーグムイなる所に寄る。例によって道路上の看板に誘われてゆくのだが、やんばるの自然の残った、特に植物群落が有名らしい。ところが実に気味悪いところで、ジャングルの中の崖をロープに頼って降りていかなければならない。タナガーとは手長海老のことで、グムイは池、泉、水路などをいうそうだ。Img_2794
 




 写真では明るく見えるが陰気なところで、事故も何度となく起こっているそうで、背筋がぞくぞくする所だった。

【今日のじょん】:今年もイノシシがやってきた。足跡が鹿とはちょっと違う、寸胴で蹄が開いている。谷から上がって隣家に向かっている。被害は無し。P1030962 P1030963  
  

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どうするピロリ菌 2/25

2013-02-26 | 日記・エッセイ・コラム

2013.2.25(月)雪

 サラリーマン時代には毎年人間ドッグに入っていた。「総て正常です、問題ありませんよ」なーんて言われて満足していた。ところがある年、胃カメラの際に、「ピロリ菌の検査をしてみますか」と言われてやってみた。まさかと思っていたのだが結果は陽性で、「除菌しますか?」ということになった。保険がきかないので2万円近くとられて、1週間抗生剤かなんか飲まされて、呼気検査をしたところ、「耐性菌です」。
 「え゛~ン、やっつけようがないのですか」「薬を変えて再度除菌することは出来ますが、様子見られたらいかがですか」てんでそのまま胃の中で菌を培養しているわけだ。
 退職して収入が減り、人間ドッグなど受けられなくなった。病気の心配などない時期に毎年受けて、いざガタが来だして病気の心配も出てきた頃に受けられないというのは大きな矛盾である。
 まあそれはともかく、ピロリ菌を養っているのは気にくわない。P1030968
 



梅肉エキスと梅干しの黒焼きでピロリ菌対策できるかなあ。あかんやろなあ。

 そんなあなたに、、、、朗報朗報。保険適用となるということだ。2万円が6千円ぐらいになるということだ。ただし、検査はしなくてはいけないし、胃炎として診断されないといけないからもう少しかかるだろう。今となってはこのお金がきついのだ。ましてや耐性菌で再度なんてことになるとそれ以上かかるということだ。
 悩ましいですねえ、別段胃が痛いわけでなく、食欲が無いわけでなく、いまさらやるかなあ。6千円でうまいもんでも食った方がいいのかなあ。

【晴徨雨読】:154日目(2007.2.25)奥滞在
 雨のため奥に滞在する。民宿海山木(みやぎ)という宿に逗留しているのだが、この宿が実に趣のある宿で全国からファンの客が集まっている。主も大酒飲みで、宿の宴会も凄いものであった。薪で焚く風呂もいいが、蔵書たっぷりのサロンが最高である。自然満喫の庭には、夜になるとヤンバルクイナがやってくる。Img_2787_3 Img_2788_3 Img_2790_3  P1030958 P1030959

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皮膚科曼荼羅 2/24

2013-02-24 | 日記・エッセイ・コラム

2013.2.24(日)雪

 何をやっても治らないダニの咬傷痕なのだが、わらをもつかむ思いで試してみた竹酢液の蒸留した製品も結局だめだった。逆に余計ひどくなってきた。医者、特に皮膚科の医者に不信感のあるわたしも、遂に市立病院皮膚科にかかることにした。
 皮膚科の医者には苦い思い出がある。
 足の指先皮膚ががぼろぼろと剥がれ、痒くはないがこういう水虫もあるそうだし、医者にかかってみるかとばかりにN京市のT皮膚科にかかった。
「どういたしました?」
「足の指先がぼろぼろと剥がれるのですが、水虫ではないでしょうか?」
先生、いや馬鹿医者は患部を見ることも無く、机に向かって
「そりゃ水虫ですね、ぬり薬出しておきましょう」
「どのくらいつければ良いのですか?」
「2,3年続ければ治りますよ」
「・・・・・」

その医院が満員なのである、「薮はまぬけな患者がつくる」。
あんまり信じられない医者だったので、M日市の別の医者に行く。するとちゃんと皮膚の組織をとって検査をし、「水虫では無いですよ、単なるただれのようなものでしょう」と別の薬をくれた。数日で治り、後者の医者が名医に思えた。
 そんなこんなで皮膚科の医者には不信感が残っているのだが、足のダニ咬傷痕だけは如何ともしがたい。P1030955
 



今年は妙に咬傷痕が残った。

 市立病院も不信感のるつぼで行きたくないのだが、他になすべきことが無いのでイヤイヤながら診療を受ける。
 予想どおり、いい加減な診療だ。患部を見るわけで無く、触るわけで無く、患者に対する質問も無く、薬出しましょうねとなる。
 ついでにと見せた右薬指先のあかぎれも、「なんでこの指だけなんでしょうかねえ」だって。わからないから来てるんだぜ。
 最近は薬に対する説明が丁寧になされる。ところがここでは一切無い。こちらも諦めきっているので聞きもしない。
 薬が効いて治るか治らないか、あてもんのようなものだ。治れば儲けもの、治らなくてもそれだけの医者、それだけの薬だったかと諦めるしか無い。
 ちなみに投薬された薬は、
①ヒルドイドソフト軟膏0、1 100g  保湿効果外用薬
②リンデロンーV軟膏0、12% 20g 湿疹、かぶれの軟膏、副腎皮質ホルモン
③ヒルロイドローション0、3% 50g 保湿効果外用薬P1030957




どう思うこの投薬、③はこれええわとばかりかみさんが使っている。

【晴徨雨読】153日目(2007.2.24)奥滞在、黄金山登山Img_2775
 



黄金山に登る。誰も居ない聖地の山。
 奥は奥が深い。沖縄でも北の端にある小さな集落だけに、歴史的に団結力が強い。むしろ団結しなければ生きて来れなかったのという事かもしれない。
 沖縄を観光旅行していては見つけることが出来ない、自転車で廻って初めてわかる素晴らしい制度、それは共同店である。どんな辺境の地にあっても食糧を始め、生活に必要なものは必ずそろう店である。民間の事業としては絶対に成り立たなくても、村民全体の出資で行われているので成り立っているのだ。それが沖縄のどの集落にも存在し、村人の生活を支えている。この素晴らしい制度の発祥が奥なのである。Img_2707Img_2568 全国の過疎地はこの制度を学ぶべきだ。 




奥の共同売店は発祥の地だけに立派、右は諸志の共同売店、中規模かな。


【今日のじょん】:夕べは蕗のとうなんか食べちゃって、気分はすっかり春になっているのに連日の積雪がある。と言ってもうっすら程度なんだが、今朝は違った。
7,8cmの積雪だが、降雪が激しく、どんどん積もってゆく。強弱織り交ぜて結局一日中降り続いた。気温が高いので積雪量は増えないが、降雪量は今冬2番目ぐらいだ。気分が緩んでいるだけにつらい雪だ。
 もっともじょんはヒコヒコである。P1030950 P1030954

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殺人マダニ 2/23

2013-02-23 | 日記・エッセイ・コラム

2013.2.23(土)雪、曇

 マダニによるSFTSの支社が4人出て、5人目も出そうだという新聞記事がある。例年咬傷例のあるものにとっては恐怖でもあり、また不可解でもある。
 新聞だけでなく、テレビなどでも盛んに報道されているが、視聴者を納得させるものではない。前回記事(2013.1.31~2.1)でも疑問点を書いたが、改めて紹介してみたい。

 Q1,SFTSは従前からあったのか?
 ウィルスの確認は2011年と言われている。また、2009年の中国での集団発生がその研究の発端のようだが、国内でのこのウィルスによる死者が確認されたのは今年の1月が初である。しかしそれ以前からウィルスも死亡例もあったと思うのだが、そういう調査はなされないのだろうか。

 Q2、死亡率10%~30%とあるが、感染後死に至る者と回復生存する者の違いは何なのだろう?
 今日まで4人の死亡例が出ている。しかしそれらの方々の年齢や状況は公表されていない。感染しても生存している人も多くあるのだが、その差は何なのだろう。例えば年齢がいっていたとか、体力的に弱っていたとかの条件は無いのだろうか。ただ単に運だけのものとは思えないのである。
 現実に昨夏、知り合いの方がダニに咬まれて発熱が続き入院された。病院でどのような治療がなされたか聞いていないが、SFTSだったのではないだろうか。幸い元気に回復されたが、身近に感じられる事件である。

 Q3、予防法はなんなのか?
 報道で「咬まれた自分で処置しないで、すぐに病院にかかる」というふうに言われたいた。これはダニの咬傷に対する処置で、SFTSに対する処置でも予防でも無い。ウィルスを持ったダニに咬まれたら感染するわけだから、その後の処置は別問題である。
 予防としては、ダニに咬まれないことである。報道でも言っていたが、第一は衣類を着けることである。
 野外で作業する場合や山川に行くときにややもすれば短パンやTシャツでやってしまいそうだが、これは厳禁である。服の着方も問題ありで、ズボンの裾を靴下に入れるのは効果ありそうだ。草刈りなどは長靴使用、山に行くときもスパッツを着用するのが理想である。
 黒い物より白い服が良いと言われるが、ダニの発見が容易であると言うことだろうか。
 また表面が毛羽立っている物よりナイロンなどのツルッとしたものが良いと思う。
 そして気休めかもしれないが、ダニ除けスプレーは常に使っている。

 Q4、犬についてきたダニはどうよ?
 犬の場合はフロントラインで100%除去できるという。しかしこれはダニが着かないということではなく、着いたダニが落ちるということである。実際散歩から帰ったら数匹はブラッシングでとれる。これはまだ生きているものだが、やがて死に至るものなのか解らない。
 仮に死に至るとしてもそれまでの間に人に移ったらどうなのだろう。
 いずれにしても、散歩コース、ブラッシングなど工夫する必要がある。P1020087 P1020086

 


散歩コースで一番やばいところ(2012.7)、獣の独壇場だから。今夏は自主的に草刈ろうかナ。

 前回の疑問も合わせて解らないことが沢山あるが、今年は一匹も咬ませないということを目標にしたい。そうでなくても昨年の咬傷痕治療に病院に通っているような事態だから。

 【晴徨雨読】152日目(2007.2.23)伊平屋島~辺戸岬~奥
今帰仁村(なきじんそん)から北は初めての地である。この日は強烈な西風で自転車は遅々として進まない。Img_2678 Img_2706




もの凄い西風(宇嘉)、奥は桃源郷

 冷えて小便がしたくなって自転車を置いて林に入ると、何となく気になる小道がある。引かれるように行くと海岸の断崖に横に走る道となり、やがて道沿いに古い墓が現れた。国道沿いに新しい集合墓らしきものがあったので、打ち捨てられた古い墓跡かなと思ったのだが、新しそうな墓もあり、花が供えてあったりする。ところが世話をする人の居ない墓もいくつかあって、石が崩れ厨子甕が割れて散乱しているものもある。墓が大きいだけに不気味な感がして、それ以上進めなかった。おそらくかつての後生(ぐそー)の地ではないだろうか。写真はひかえるが、オランダ墓を紹介しよう。沖縄にはいくつかオランダ墓があるが、オランダ人が葬られているわけでなく、外国人だとみんなオランダ墓となる。Img_2680

 



【今日のじょん】:周囲は雪だというのに昨晩蚊に刺されてしまった。家の中は暖かいので越冬しているようだ。フロントラインはともかくフィラリア対策はどうだ。P1030675


んなの蚊んけいネエ♪

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棧敷ヶ岳 2/22

2013-02-23 | 地名・山名考

2013.2.22(金)曇

 棧敷ヶ岳(さじきがだけ 896m)は京都北山雲ヶ畑の奥に聳える山である。長岡京から雲ヶ畑岩屋橋までは週一回の自転車の練習コースだったし、その奥の山に登ってみたいと思っていた。30年ほど前に遂に登ることになったのだが、どういう機会でどういうメンバーと登ったのかよく憶えていない。憶えているのは尾根道に惟喬親王(これたかしんのう)が山上に棧敷を作り、都を懐かしく眺めた、などという伝説が看板に書かれていたことぐらいである。惟喬親王の皇位継承問題も木地師の祖なる伝説も知らなかった当時であるから特段気にもせず、親王の作らせた棧敷が山名の由来になっていることだけが記憶に残った。
 この山名由来は信頼できないが、「北山を歩く 2」(澤潔)に、明解な答えがあった。”サシ””サス”は焼畑(切畑)を意味する朝鮮古語で”キ”は場所、土地の意味、とある。つまりサシキ→サジキ→棧敷となり、焼畑地を意味するものだろう、ということである。
 まあ、古い頃なら焼畑がなされていても不思議ではないが、意外なところから別の説を見つけることができた。
 沖縄の東南、南城市の中城湾を囲んで佐敷(さしき)町がある。2007年2月にコザ(沖縄市)から久高島に向かうべくこの町を通り過ぎたのだが、特段目を引くような物も無く通り過ぎてしまった。
 佐敷(方言ではサシチとなる)は第一尚氏、尚巴志の出身地で、居城であった佐敷城があったところである。
 「地名の語源」(鏡味完二)によると”サシ・サーシ”は傾斜地を表すとある。もちろん上記の焼畑も表すのだが、古代朝鮮語としてあるのは城をサシとよぶ事のようだ。
澤先生、少しそそっかしいところがあるのではと以前に書いたことがあるが、どうもこの部分も読み損なっているのかも知れない。
 佐敷間切(間切・マジリは沖縄のかつての行政区で、現在の村・ソンにあたる)は実際に傾斜地(サガーラージ)であって、歴史的にも地滑り地帯である。
 佐敷町には今でも崩れ原の小字名が多くて、庫利原、山崩原、崩利下原などの地滑り地名がある。
 とまあ、これらは「地名を歩く」(南島地名研究センター)に記されている事なのだが、桟敷ヶ岳についてももし周辺が地滑り地形であったらこの説が正しいのではないだろうか。
 地すべり地形分布図を見ると岩屋不動西南面と棧敷ヶ岳西南面に周囲に比して随分大規模な地すべり地形が集中している。
 澤先生もこのようなデータがあれば、地すべり、傾斜地説をとったかもしれない。
遠く離れた沖縄でも地名の語源は共通するものが多くある。古代人の移動、文化の流れといったものを感じさせられる。

【作業日誌 2/22】
ウッドデッキ階段作り

【晴徨雨読】151日目(2007.2.22)伊平屋、前泊停滞
しっかり雨で連泊する。女将が分厚い「伊平屋村史」を貸してくれたので一日雨読する。小雨の間に港の資料館に行く。文化財に対する深刻な問題を告発するポスターが貼られていた。拡大して読んで頂きたい。Img_2665




問題の箇所。Img_2585 Img_2619




左:屋蔵墓の村民が知らない間に建てられていた石碑
右:クマヤ洞穴に勝手に作られた日本式の祭壇、天岩戸伝説の影響かもしれないが、沖縄の信仰とは縁もゆかりも無い。
石下墓(いしちゃばか)は訪問していない。


【今日のじょん】:今日の雪はこんなものてんで、じょんシャンを行う。実に昨年末以来のシャンプーである。かみさんの腰の調子とお天気とじょんの体調が合わないと出来ないので延び延びになっていた。シャンプー時に測るよっこらじょん体重測定は18.2Kg、合格。P1030945

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沖縄方言 2/21

2013-02-22 | 歴史・民俗

2013.2.21(木)雪

 パオパオさんちの真樹ちゃんが沖縄の大学に行くってんで、是非とも研究して欲しい事があり今日の記事を書いた。
沖縄北端の黄金山を登ったとき、その登山口、と言っても参詣道、修行道といった方がいいのだが、にあった板書きの看板に書いてあった言葉はまるで外国語だったのである。
「うがんじゅぬ ちゅらさや うちなーんちゅぬ ちむじゅらさ」Img_2770  
 



 訳は考えて頂くことにして、沖縄の言葉、地名などは決して外国語では無い。
例えば、2007年の旅は葬制や墓制を探索しながら旅したので、それらに関する言葉をいくつか紹介すると次のとおりである。
マクワザキー=枕酒(死者の枕元に供える泡盛)
ガン=龕(がん)=龕(がん・棺、輿)
ユーグムイ=夜籠もり=通夜
ユートウジ=夜伽ぎ=通夜
ダーグ=団子
ジーシガーミ=厨子甕(ずしかめ・こつつぼ)Img_2661 Img_2663





ジーシガーミとガン

という風にしっかり日本語なのだ。
 応用編として例えば、「グソーヌイエームン」なんて言葉もある。グソーは後生であの世、ヌは”の”イエームンは解らないのだが、「良いもの」関西弁で「えーもん」でないかと思うがあてずっぽである。意味は副葬品のことだ。
 地名も同様で、ヤンバル=山原、ワジー=湧出、ツンマーセ=積み回す、なんて言葉だけ聞いても解らないが、日本語であることがわかる。Img_2506
 







ワジー(湧出、伊江島)

 伊江島で奇妙なものを見つけたので紹介したい。それは川が無く水が少ない島で雨水を利用するための岩盤を利用したタンクである。「ミンカザントウ」という。
ところがなぜそう呼ばれるかが解らないのだ。資料館にでも寄ったときに聞けば良かったのだが忘れてしまって未だに意味が解らない。ネット検索するとわたしのブログばかり出て来る。やむなく自分で考えてみたのだが、「ミン」=水とすると「カザントウ」はまさか火山島ではあるまいし、、、。Img_2535 Img_2531
 




 全国方言辞典で、かさんどー=カタツムリ(静岡県)、かさどーさい=ヒキガエル(飛騨)などとある。水カタツムリ、ぴったりの命名である。
 本当はどう解するのかわからないのだけれど、このように解らない言葉がほとんどなのである。沖縄の言葉が日本語であって、訛っているのであるとしたら、解らない言葉は実は本土(と言う使い方はいいのだろうか)では消えてしまって沖縄に残っていると考えられる。
 つまり、日本語のガラパゴス、日本語のThe Lost Worldである。
 ところが、大切な文化遺産である方言や地名が消えていく現状がある。
 聞けば真樹ちゃんは観光を学ぶそうだ。観光たってこれからは、きれいな景色見て美味しいもの食ってと言うわけにいかないだろう。その地の歴史や文化を探るには、方言や地名を研究するのが一番だとおじさんは思うのだぞ。


【晴徨雨読】150日目(2007.2.21)伊平屋島彷徨
盛りだくさんいろんなところを廻ったが、なんといってもクマヤ洞穴が最高というか強烈だった。沖縄滞在中最も多くのところを訪問したが、勇気の要るところばかりだった。Img_2584 Img_2612 Img_2640







屋蔵墓、クマヤ洞、腰岳拝所に続くジャングルImg_2589 Img_2593




伊平屋は沖縄本島と違って古く、落ち着いた門中墓(ムンチュバカ)が多い。


【今日のじょん】:ちょっと積雪、7cm程度か。それでも今冬ではベスト5には入りそう。P1030942

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梅干しの黒焼きをつくる 2/20

2013-02-21 | 食・レシピ

2013.2.20(水)雪

 若杉さんの本を片手に梅干しの黒焼きを求めて上林に来られたHさんが、結局購入できなかったので作ってあげることにした。丁度古い梅干しがたくさん残っていて、夏場の自転車行の弁当ぐらいにしか使わないので、この際お役に立てれば良い。
 本のレシピをコピーしてざっと目を通す。
 梅干しは3年物と指定してある。2年物、4年物ではダメなんだろうか。その辺の説明が無いので、どうも怪しい。
 幸い3年物があるのだが、もっと古い物も混じっている。
 土鍋に並べていくのだが、中心から右回りに並べていくとある。その理由も本のどこかに書いてあるのだろうが、コピーでは分からない。どちらにしても中心から並べようが端から並べようが、右回りだろうが左回りだろうが科学的な根拠はなさそうだ。
しかし人のためにしてあげる事だから、作法どおりに並べてみる。P1030928 P1030926 P1030929
 




  七輪に炭をおこす。備長炭を使えとは指定されていないのでマングローブの炭でかんべんしてもらう。
 土鍋の蓋を小麦粉を水で練ったもので密閉する。空気が入ると燃えてしまうということだ。
 火にかけると、最初はゆげがシュウシュウと出、ある程度時間がたつと煙が出て来た。やがてそれも止まるころ、小麦粉が乾いてヒビが入ってくる。ここにまた補修のために塗り込む。これは本には載っていない、わたしの工夫である。だって、空気が入ると燃えて灰になるというのだから、必要なことだろう。
 炭を追加して深夜0時に就寝する。炭が無くなっても仕方が無いと朝8時、起きたときに見てみたらまだ残っていた。炭というのは凄い燃料だ。
 炭の追加と、小麦粉の補修を繰り返し、夕方まで頑張る。
 24時間でどきどきしながら蓋を取ると、なななんと、、、、、
 大成功、それにしても随分小さくなっている。P1030933 P1030936
 




 これから先は、すりつぶして粉にするのだが、やっぱり右回りにすりつぶすそうだ。そこまでやってられないので、姿焼きのままで郵送してあげることにした。
1個だけ残して試食したが、塩味が効いていて食べられないことはないが、お茶にした方がよいかな。
 アマゾンでみるとえらい高い値で売っている。こんなもんであこぎなショーバイすんなよな。じょんのびならいくらでもつくったげるで、あるだけやけど。
もっともコーカのほどはコジンサガアリマス。ナマステ。

【今日のじょん】:今朝は資源ごみの収集日。田舎では誰が何飲んでるか分かるからつらい。なんや山盛りののどごし生は昨晩うちが捨てたものだけやんか。P1030934





【晴徨雨読】149日目(2007.2.20)伊江島~今帰仁村~運天港~伊平屋島
雨の中を伊平屋島に向かう。伊平屋と伊是名は元々同じ村だったのだが分村して別の村になっている。伊是名島にはトライアスロンがあって20年ぐらい前に訪れたことがある。そんなわけで伊平屋島に向かったが、ここに3日も滞在することになる。Img_2570
伊平屋島に向かうフェリー。

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買い物不機(ブギ) 2/19

2013-02-20 | 日記・エッセイ・コラム

2013.2.19(火)雨

  天気も悪いので作業する気もしない。ジョーシンのバーゲンもやってるので、この際パソコンでも買い換えでもするかと出かける。実は数日前に下見をして色々質問していたのだ。新たな疑問も出てきたし相談して気に入れば購入しようと出かけたが、前回担当者が不在だったので、同系列の他の店に行く。別にどこの店で買っても良いのだけど、親切に説明してくれた店員さんのところで買おうと思っている。
 店に入ってパソコンの前に行くとすぐに店員さんが近づいてくる。
「ウィルス対策ソフトは現行で使用しているので、お試し版にシリアル番号を入れて移行できるのですか?」「そうでしょうねえ」
「テレビの入力は可能ですが、BSは入力端子がないのでどうすれば良いのですか」「付いてないので無理ですねえ」
「・・・・・・・」
だめだねこりゃあ、「購入はもう少し見合わせますわ」と言うやいなやもうその店員は居なかった。こんな店員よく雇ってるなと思いつつ、気分悪く店を出る。
 次にかみさんに頼まれた鍋用の豆腐と鬼ころし、そしてパンを買ってくる。
 その次にポイント10倍セールのホームセンターに行く。実はこの店の木材用防腐材はどこの店よりも安いのだ。ここだけは4千円台である、しかもポイント10倍。
ところが商品の前に行って驚く、5、500円、最も高い店となっている。買ってられないやとばかり次のホームセンターに行く。
 ここでバッテリーパックのリサイクルをしようと、店員さんに聞くと「それはやってないですよ」との答え。
確かマニュアルに販売店でリサイクルしているという風に書いてあったと思うのだが、どうも納得いかない。結局無理矢理置いてきたが、迷惑そうだった。
 そしてその店でいくつか買い物をしたのだが、ボルトナットの径12mmのものが少し足りなくて買おうとしたら、その商品は無くなっていた。やむなく径8mmのものを買ったが、そのサイズのドリルが無いので、それも買わされた。ところがどこの店からも姿を消した使い捨てカイロの大箱がここにはあった。これも頼まれていたので買って帰る。
 さて夕飯時となると、「この豆腐柔らかくてまずいなあ、じょんも食べへんで」とかみさんが言う。確かに柔らかいがまずくは無いと思うのだが、買ってきたものとしてはあまりよろしくない気分だ。そうでなくてもスーパーの豆腐は気を使うのだ。はっきり言って如何に高価でも美味い豆腐にはあたらない。鍋用豆腐は二種類あったがイマイチまずそうで、地元産という結構いい値の豆腐を買ってきたのだが、この評価はつらい。一体何を買ってくりゃいいのだ。
 使い捨てカイロだってそうだ、もう売ってないという状況の中、喜んでもらえると思っていたら、「高いカイロ買ってきて、、、」と毒づかれたら嫌になってしまう。
 頼まれ買い物は銘柄指定に限ることに決めた。

【晴徨雨読】148日目(2007.2.19)名護~伊江島
40年前の沖縄と最も変わったところは本部半島かとも思う。海洋博による開発が如何に強烈であったかと思う。40年前の海洋博公園の辺りを歩いたが、亜熱帯のジャングルに細い地道が続くといった感じである。名護市の八重岳などの山岳地帯もそうである。沖縄戦で形が変わったといわれるほど激しい砲撃が行われた山々も開発でそれ以上の採石が行われ、山そのものが無くなりそうである。Img_2486 Img_2513
反面、伊江島には戦争がまだ残っていた。



砲撃で形の変わった山が今度は開発で姿も無くなろうとしている。
右は伊江島団結道場跡。


【今日のじょん】:やっと蕗のとうが出てきた。ここは念道で一番早いところだと思う。畑の柵をここまでされたので許可をもらってからとらなくてはならない。1月の終わり頃から市場で見かける蕗のとうは一体何なのだろう。P1030925
 

 

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雨読 東海道書遊五十三次 2/18

2013-02-19 | 雨読

2013.2.18(月)雨

 読書家というのはよく本を読まれる方のことをいうのだろうが、読書を生業とする人は何というのだろう。著者の種村季弘(たねむらすえひろ)氏はきっと本を読んでその書評をするというのが生業だったと思うのである。過去形でいうのは2004年に亡くなっておられるからだ。こういった職業こそ読書家といってよいのではないか。

「東海道書遊五十三次」(種村季弘)朝日新聞社2006年3月20日第2刷(2001年12月1日第1刷) 古書P1030932

 



 氏が読書家(プロとしての)だろうと思ったのは、讀賣新聞、本よりうり堂に「書国探検記」という本の案内を見つけたからである。諸国が書国になっているところがらしいところで、書評では「誰もが話題にする本でなく、隠された名書を探したいなら、本書自体が名書であるこの一冊を薦めたい」とある。わたしは今すぐこの本を読んでみたいとは思わないが、ちくま学芸文庫から文庫で1,300円で発行されているのでご希望の方はどうぞ。
 どうやら種村氏はありきたりのものでなく、誰もが知らなかったマニアックな本を探してくるのが得意らしい。
 「東海道書遊五十三次」もそうである。書遊というのは書物漫遊のことだろうか、とにかく五十三次にまつわる珍本、奇本が続々と登場する。
 トップバッターは弥次喜多なんだが、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」ではないのだ。膝栗毛では面白くないのだと氏も書いておられる。ここで登場するのは大泉黒石「弥次郎兵衛喜多八」盛陽堂書店(大正八年)である。内容も面白いのだが、紹介してある五十三の本は現在買って読むことができるというのがミソである。上記大正八年の本は探すのが難しいが、「大泉黒石作品集」(山一書房)で読むことができる、という風に解説してあるのだ。ひとつの項の中に幾つもの本や人物や歴史的事件などが出てきて、それがまた一般的でないものが多いので読む方は大変である。ところが上手くしたもので、頁の下段に注釈欄があって逐一読むことができる。普通は節の終わりなどにまとめられていることが多いが、そうなるとこの本は読めない。
P1030930
 


広重の東海道五十三次、合わせて見ると臨場感がわく。

 この本を読むきっかけはやはり讀賣新聞の書評で、その切り抜きがどこかいってしまって残念なのだが、抱腹絶倒という言葉が使ってあった。(2012.11.27参照)面白いのは確かだが、抱腹絶倒というような面白さではないと感じた。
 とにかく宿場での出来事や人物、そして書物を紹介して東海道を巡るわけだが、何気なく読んでいると退屈になってくる。ところがしっかり読むと、氏のポリシーが浮き出てくるのだ。例えば京都などはみえは張っているが、江戸に文化の流れを持って行かれて退廃的なものが漂っているというように言っているようだ。そういうものまで感じて読むとすこぶる面白い、しかし抱腹絶倒でないことは確かだ。

【今日のじょん】:去年の今日と今年の今日、じょんの居るとこはおなじところ。P1010080 P1030922





【晴徨雨読】147日目(2007.2.18)北谷(ちゃたん)~名護
このコース、40年前にも旅している。おんぼろバスに揺られて、適当なところで降りて、また次のバスで行くという感じだが、今とはえらい変わり様だ。当時の記憶と一致するのは万座毛と名護市役所だ。Img_2465 Img_2469




 オンナのインブ、ドキリとするのだがこれは地名である。恩納村の伊武部というところで、名護市に近いところである。一時期インベと読むようにしたそうだが、村民の反対でインブに戻ったそうである。地名は意識して守らないととんでもないものになってしまう。拍手拍手。
Img_2468

伊武部を過ぎて名護市に入った辺りか。 

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すなおさん 2/17

2013-02-18 | 日記・エッセイ・コラム

2013.2.17(日)曇

 渡辺淳(すなお)さんは画家と言ったら、本人に怒られるかも知れないが、「土を喰う画家」だと思っている。
 川上(おおい町)に生まれ、炭を焼き、郵便配達を請け負って絵を描いてこられた。日展に何度も入賞しながら、地位や名誉や金銭に惑わされることなく、ひたすら川上で活動されてこられた土着の画家である。
 「老富の峠を自転車できてんやで」
 「気に入ったら、ちゃちゃっと描いておくれてんやで」
 「貧乏で紙が買えへんだで空き箱やらセメントの袋に絵~描いてんやで」
 いろんな噂を聞いていて一度お会いしたいと思っていた。

 そんな矢先に桜井(克)さんが、「じょんのびでみんなに見てもろていな」と言って、二枚の絵と二冊の画文集を持ってこられた。
 絵は噂どおり饅頭の箱に描かれたもので、「ごみと間違うて放したらあかんで」と冗談に言われたが、放すどころかわたしの大変気に入っている宝尾のスケッチなのである。P1030921





右の絵が「宝尾を見る」
P1030920

 



画文集は店に置いてある。

 そんなご縁で昨日から店内に展示していたところへ、ひょっこり淳さんが現れた。いろんな方に連れてきたげるでと言われていたが、あまりにタイムリーなのでびっくり仰天。
 淳さんも自分の絵が店に展示されているので驚いておられたが、予想どおりの気さくな方でお話好き、熊と格闘した話や郵便配達の話、宝尾や大田和の話、水上勉さんの話など沢山のお話をしていただいた。P1030917
 




若狭なまりがうれしい淳さん。

 足をくじいて背負われた小学校のおなご先生は、「小豆島の大石先生みたいやなあ」なんて言っている。
 店で同席された方々も、「良い時間を持ちました」と喜んでおられ、儲からない喫茶店だけどやってて良かったと思う一日だった。

【今日のじょん】:朝は連日のうっすら雪、鼻につく雪がカワイイ。P1030914
 




【晴徨雨読】146日目(2007.2.17)フリマ巡り。
早朝は嘉手納基地内のフリマ、夜はハンビーのフリマをひやかす。国際通りなんかにも米軍放出の店はあるが、やたらと高い。嘉手納基地内のフリマは軍の放出品などはなかったように思うが、その外でやっている市はいろんなものがあって楽しい。読谷村の店は品数、値段とも良かった。ハンビーの夜のマーケットは日常のものはともかく、米軍放出品は余りないようだ。Img_2430Img_2434Img_2438




嘉手納基地内、基地外、読谷村の店。 
  




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上林の盃状穴(11) 種付け神事 2/16

2013-02-17 | 歴史・民俗

2013.2.16(土)曇

 上林の神社を調査してみたいが、休日になると天気が悪く行けないでいる。従って資料を見たり、本を読んだりしているが実際に動かないとイライラするものである。
 
 2月3日、飛鳥坐神社(あすかにますじんじゃ)の御田祭(おんだまつり)が行われた。ものの本で神社の事も祭のことも知っていたが、テレビのニュースでその映像を見て驚いた。天下の奇祭といわれるとおり、天狗面を着けた猿田彦命とお多福面の鈿女
命(うずめのみこと)が見事な「種付け」(性交所作)をするのだ。これがまた、リアルというか臨場感というか強烈なわけで全国から見物客の集まるゆえんである。
 もちろんこの神事は夫婦和合のおまじないなどというものでなく、古来から続く豊穣を願う農耕神事である。「種付け」神事の前には、五穀を奉納したり、翁が鋤、鍬、牛などを使って苗代を作ったり、種蒔きや、苗の植え付けなどの神事があるのである。
 石棒や石皿などの性的シンボルや性交神事が五穀豊穣を祈るものであることは疑いがないだろうが、東北のみならず西日本でもそういうものが随所にあることに気付く。Img_2336 Img_2331
 




2006年の旅では山田寺跡や飛鳥資料館など訪れ、飛鳥坐神社は知らなかった。


 今から30年ほど前、奈良で職場の研修があった。長期の研修なので野外授業のような形で飛鳥を廻ったことがある。古い街並みに降りて行く坂道の傍らにいくつかの祠が有り、石棒などが奉納されていたのを憶えている。実は飛鳥坐神社境内にも多くの性シンボル状の自然石や人工の石が奉納されている。いつか30年前の記憶を確認に行きたいとは思っているが、東北で見るような光景が飛鳥にあることは確かである。
 御田祭の種付け神事を見て気づいたことなのだけど、「畑に種を蒔いた夜にその畑で夫婦が和合すると作物の出来が良い」という言い伝えのことが、「盃状穴考」に書かれていた。
 飛鳥坐神社に盃状穴がないものかと気になるが、性シンボルとしての盃状穴よりも、棒状の石をもって盃状穴を穿つ行為こそ「種付け神事」と同様の意味があり、祈願、祈祷の行為なのではないかと考えさせられる。
 「種付け神事」の中に気になるシーンがある。二つの飯を盛って山型となったものに天狗が射精するような場面がある。これが一体何を意味するのか分からないのだが、加古川の飯盛山に盃状穴を含む古代祭祀跡があることがどうなのかというのは考えすぎだろうか。
 「古代朝鮮と日本の旅」(朴春日)の中に、「お多福面と天狗面が立って抱擁しあった二人の姿勢そのままが男女石人像の体形と同一フォームであることに気がついた。これは飛鳥のおんだ祭が、非常に古い伝統を踏まえていることを物語っている。」とある。Img_2324
 

レプリカ。





【今日のじょん】:朝、またしてもティッシュを出していたので、「アッ~」と言って指さし注意を引くが、絶対に視線をそこに持って行かない。「アッ~」という度に横を向いてしまうのだ。賢いのかずるいのか、、、。P1030912





【晴徨雨読】145日目(2007.2.16)那覇~北谷(ちゃたん)
久しぶりの走行に緊張する。というより旅行の仕方を忘れているようで戸惑う。
それでも喜友名遺跡、普天間宮洞穴、北中城村中村家、美浜の湯、中日キャンプ場など盛りだくさんの見学をしている。
 地図を見ると宜野湾にも温泉があるぞ。(エナジック天然温泉アロマ)Img_2411




これは沖縄の昔のトイレ、豚が糞便の処理をしたとか。(中村家) 

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じょんサービス 2/15

2013-02-16 | 日記・エッセイ・コラム

2013.2.15(金)雨

 いくみちゃんが来たので、じょんと一緒に出かけることにする。昨日の好天とうってかわって雪、雨もようなんだが、そうきつくはならんだろう。P1030893
 



散歩連れてってもらってひこひこ、なんとなくえらそうな顔してねいかい。

 誰もが美味しいという寿司と味噌汁を食べに小浜のフィッシャーマンズワーフに向かう。昨年の今頃ならとても走れなかった永谷坂峠を越える。奥上林の村々も白くなっているが、積雪と言うほどでは無い。
 フィッシャーマンズワーフ一階の寿司鮮魚売り場で800円のにぎりを買って、テーブル席で頂く。ここで食べると蟹味噌汁とお茶がサービスなわけ。この味噌汁が美味いと人気なんだが、びっくりするほど美味いとは思わなかったし、第一ぬるい味噌汁は頂けない。まあ、800円で寿司の昼食が出来ればまあいいかという感じだ。P1030902
 



これがとれとれ寿司(上)800円と無料のカニ味噌汁。スーパーみたいに夕方になると値引きされるとか、休日はちと高くなるとか。
 
 小浜では行ってみたいところもあるのだが、この天気ではどうも、、ということで高速道路で福知山に向かう。じょんのための外出だからとプレートTAMURAさんにゆく。
 ここは歓楽街にあるドッグカフェである。マック隊長とマウイちゃんはいつものお出迎え、じょん君も慣れたもので上手に遊んでいる。P1030911 P1030907 P1030908

 


浮世小路なるしゃれた通りにあるのだ。マック隊長とマウイちゃんが遊んでくれるのだワン。


ここで昨年も行われたわんわん運動会の情報を得る。

Wan’s Game 2013 inみわ
~わんわん運動会ミニゲーム~
ワンズが『丹波みわ事おこし軽トラ市』にやってきた!

 期日  :2013.3.31(日) ※小雨決行 雨天中止
       ※受け付け開始 9:00 10:00スタート
 場所  :福知山市三和町 井ノ奥公園 
 エントリーフィー:1,500円
 エントリー競技:レトリーブ(持って来い)
           Wan’s コレクション in みわ(ファッションショー)
           ドギーダッシュ(30m走)
 エントリー条件:生後4ヶ月以上で、予防接種(狂犬病、混合ワクチン)が終了して いるワンちゃん。

 申込み書、ルールなどはじょんのびにあります。

てなわけで、じょんもどうしようかなあと思案中である。店休んで行くべきか???


【晴徨雨読】144日目(2007.2.15)快晴、寒い

 一日船上
 
 30数年前、沖縄返還のよく年春に沖縄航路に乗った。それまでパスポートが必要だった沖縄に、簡単に行けるというので船は満員、二等船室は踏み場もないほどの盛況だった。この時海が荒れて波が高く、長距離の船なんぞ乗ったことがなかったの船酔いで大変、寝ていると大丈夫なんだが、半身でも起きたらもう頭くらくら、むかむかゲイゲイと参った。といってもわたしだけではなく、周りの客も同様でトイレなんざヘドだらけで悲惨なものだった。船内放送で「当船はスタビライザーを装着しています」なんてやたら宣伝していたが、あまり効果はなかったようである。それでもレストランでは豪華な食事もあり、甲板では船長主催の赤道祭なんてあったりして、楽しい催しが用意されていた。
 今回も出発時から荒天が予想され、あの時の船酔いの辛さを思いだして高い酔い止めの薬を買う。しかしさほどの揺れはなく薬も使うことも無かった。問題は食事である。楽しみにしていたレストランなんてどこにもなくて、自販機だけなのだ。麺類の他カレーやハヤシなどのご飯ものもあるが、五食を船内でとらなければならない身にはこれはつらい。慣れている人は、充分な弁当と飲み物を用意しておられる。うーむ様変わりだなあ。
Img_2369 Img_2373 Img_2387_2 




船の旅は退屈である。船中2冊の本を読んだ。甲板に出ると寒くていけない。
九州の東海岸からは、左手に開聞岳の影が見える。右の写真ははトカラ列島か。数少ない陸地の景色が嬉しい。


【今日のじょん】:もちろんお休み。

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晴徨雨読 独立編 2/14

2013-02-16 | 旅行記

2013.2.14(木)晴れ

 今日は日本一周自転車旅行後半戦の出発記念日である。どんなんやったかなとバックナンバーを覗いてみたら、沖縄上陸後の2月16日からの記録となっていた。その間船の旅なんだが、あらためて書いておこう。もっともその後にどこかで書いているかもしれないが、、、。

【晴徨雨読】143日目(2007.2.14)雨
 京都~池田市アトリエドウキャファまで阪急電車
 池田~ポートアイランド~沖縄航路

 
 愛車ファーストラブ6世号はキャファにペダルを換えたり整備をしてもらって置いてある。阪急電車で池田に向かい、準備をし、お茶を飲んだりしている間に空模様が怪しくなり、さあスタートという時に降ってきた。バイクヘルメットはスカスカで頭が濡れるので奥様のシャンプーハットを戴く。これが水玉模様で気恥ずかしいのだが、優れものでいまだに使っている。
 ポートアイランドまでの道のりは正味街中を走るのだが、ロードマップというのは自動車用に出来ているものであって自転車には合わない。散々迷ったりしてようやくポートアイランドの道路案内板を見つける。大体スタートからの雨で気分が滅入っているのに、街中走りでイライラしている。
 ポートアイランドの取り付け道路も方向がよく解らない。渡る橋も歩道が途切れたり、進入禁止になったり、車用にしか出来ていない。
 アイランドにはコンビニがあって、そこで長旅用の食糧や酒を買い付ける予定をしていたが、実は出航時間が迫っていてそんな暇が無かったのだ。しかも沖縄航路は一番遠くにある。車ならすぐでも自転車では悲惨だ。
 実はもうこの時点では乗船を諦めていた。雨の中、京都に帰る気にはならないし、神戸に滞在して次の便を待とうかと考えていた。
 それでも出港5分前ぐらいかに到着し、乗船手続きに向かった。周りには誰も居ないし、もちろん乗船も最終であった。
Img_2361
 

  
 
さよなら神戸、慌てて乗ったのに一向に出港しない。

【今日のじょん】:昨年は大雪の寒中見舞いを送ったが、今年は来ないなあという声を聞く。今年は雪が少ないので、なごり雪で作製しようと撮ってみるが、どうも締まらない。却下。P1030891

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別所探訪(49) 加古川-3 2/13

2013-02-15 | 歴史・民俗

2013.2.13(水)曇、雨

 高御位山周辺の地形や地名などを調べていると、山陽電鉄の踏切事故の報が飛び込んできた。事故の起きた荒井町も気になる地名のひとつだったので驚いている。荒井というのも金属関連地名の候補ではあるが、果たしてこのあたりが古代において陸地であったかどうかも分からない。一応参考というだけだ。もちろんここまでに紹介してきた地名もその一つひとつについて考証したわけでなく、あくまで一般的に金属関連地名と言われているものや私自身で金属関連地に多くある地名などを参考としてあげたもので、必ずしも金属に関係するとは限らないことを了承頂きたい。P1030896 
 



 さて本来の別所に話を戻すが、別所は高御位山の馬蹄形の山並みの西側の広い地域で、姫路市の区域内になる山陽本線ひめじ別所の周辺である。
 姫路市別所町は高砂市境から天川まで、小林、北宿、別所、佐土、家具町、佐土新などの小字を持つ広い地域であり、別所町別所が最も広く中心的な位置にある。高砂市域には金ヶ田町、また天川上流には飾東町志吹、飾東町大釜、大釜新などという地名もある。
 しかし最も気になるのは天川を越えた西に播磨国国分寺跡があることだ。
気になるのは、大津市富士見台の別所山、別所池を探しているときに、国分尼寺の跡近くにそれらが存在し、「鉄と銅の生産の歴史」(佐々木稔編)に、「国分寺・国分尼寺跡からは、鍛冶工房の遺構や鉄関連遺物が検出されることがあって、工房では寺院の建立・改修時に鋼製の建築資材(釘や鎹のような)を製作したのではないかと考えられている。さらに銅に関係した炉跡が見つかった例もある。」と書かれていたことである。(1012.12.10参照)
 国分寺などの大工事になると、その周囲の一定の所に建材、建築用具、仏具などを作製する鍛冶師、鋳物師などが住まいし、工房を設けて作業するというのは理解できることであり、当然のことと考えられる。
 小浜市の飯盛山を調べていて偶然見つけたのだが、若狭国分寺跡の南には金屋というところがあって、近世の鋳物師集落となっている。国分寺の造営に直接関係があったかどうかは不明だが、単なる偶然ではないようにも思える。
 では国分寺と別所ということになると、柴田弘武氏も言及していない様に思える。少し時代が合わないようにも思えるが、国分寺が造営される時代には鍛冶師の俘囚というのは居たようだ。それらの職人が国分寺の建築に関わったということは考えられるが、柴田氏の「別所=俘囚移配地」説とは別のものであると考えたい。
 今回の一連の考察は盃状穴にはじまり、飯盛山、別所など別々に考えていたものが時代を超えながらも細い線で繋がっているような気がしてきた。次はやはり現地視察だ。

【今日のじょん】:朝うっすらと雪が降った。P1030886 デッキの上もシャーベット状の雪が乗っている。



 すると昨日まで飛び乗れていたのが途端に上がれなくなってしまった。
見て、このへっぴり腰。P1030888P1030889 P1030890

 

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