晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

訃報 江上泰山氏 11/25

2021-11-25 | 日記・エッセイ・コラム

2021.11.25(木)曇り

 22日の讀賣新聞で江上泰山氏の訃報を知る。どっかで聞いた様な気がするが、、、「中学2年で金閣寺(鹿苑寺)に入り、翌年~」という記事を見てやっぱりという感がした。そう昭和25年7月の金閣寺放火事件の目撃者である。水上勉氏の「金閣炎上」でその名を憶えていたのに違いない。早速埃にまみれた「金閣炎上」を取り出してみる。放火の前日いわゆる放火犯の林養賢はその前日三番の碁を打っている。その相手が江上大量といい、泰山氏の父親にあたる。大量氏は大飯郡和田村車持(現高浜町)の正法寺の住職で、その子、順雄(よりお)が養賢の弟弟子である泰山氏である。「金閣炎上」ではほとんどが実名で書かれているので、順雄というのは本名なのだろうが、泰山というはいわゆる僧名なのだろう。
 「金閣炎上」の中では順雄が常に使われているのだが、炎上するその夜、養賢が大量氏と碁を打った夜の様子は「金閣寺は夜をむかえた。雨音だけがしていた。隠寮には住職の慈海氏、庫裏の小僧部屋に山崎承腴、三明承悦、、、、江上泰山、、、」とあるのだ。これは一体どういうことだろう。
 ともかく大量と順雄は炎上する金閣寺の直接の目撃者となるのだが、その後泰山氏は金閣の再建に向けて大変な苦労をされることとなる。
 京都新聞には地元だけに泰山氏の記事がいくつか見られ、その柔和なお姿の写真もある。放火犯としてもちろん僧籍も追われ、医療刑務所で26歳で孤独に息絶えた養賢も、あの事件を起こさず僧として全うしていれば、泰山氏の様な立派な僧になっていたのかもしれないと思うと、切ない気持ちになるのである。

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