晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大栗峠考(38) 5/30

2016-05-30 | 山・峠

2016.5.30(月)雨

 上林の古墳でここまで川に近い古墳は無いようだ。この地は今まで荒れ地のイメージがあったのだが実は安全で地味豊かな快適居住空間だったのだろう。
そうするとこの忠の大栗の本当の意味は何なのだろう。各論併記ということになるが、もう一つの候補は地滑り地帯を含んだ支流が運び出した岩石ではないだろうか。上林川をよく観察するとこの大栗から下流には大きな岩石がごろごろしていることに気づく。上流域の河原が砂や泥に対して下流域では岩盤であるせいかもしれないが、支流の谷底を見ると多くの岩石が流れ出したことは確かだ。須呂橋から下流を見たときさほど大きな岩石は見られないが、大水で流れたとも考えられる。クリが石を示すことは栗石(くりいし・こぶし大の石)という言葉からもわかる。海の暗礁をグリという、大島の赤礁(あかぐり)などはそのとおりだが、これもクリから来ているのかもしれない。とにかく大栗が大きな岩石を示すことは想像できる。

上林川を覗くと大岩がごろごろしている。(佃町)
 さて大栗峠の大栗に戻ろう。道というものは現在のように、何月何日に工事が終了し開通というわけにはいかない。上林から和知に向かう最短の道として(その先は京となるのだが)志古田道は何十年、何百年という歳月をかけて完成されたものだろう。大栗峠という峠名は小字名の大栗からつけられたのは間違いないだろうが、大栗地名が先か峠道が先かはわからない。地名も峠道も自然と出来上がったとするのが妥当だろう。しかし現在見られるあの大崩壊が過去にあったなら、そこに道を作るだろうかという疑問が残る。もっと端的に言えば、大栗が崩壊を表す地名だったとしたら、そこに道を通すかと言うことである。

大栗の大崩壊とその下にある街道沿いの大岩
 大規模な崩壊のすぐ下に大岩がある。志古田道が谷筋を離れて右岸の尾根に取り付こうかというところである。目印にもなるし、これから水の無い急登になる地点でもあるから人々の格好の休憩所となったことだろう。この大岩が大栗地名の由来ではないかという気もする。そうすると志古田道ができあがる過程で崩壊などは無く、京への最短路として活躍したことと想像できる。
 ところがそう話は簡単ではなく、志古田道について二つの疑問がわいてきた。一つは明治24年陸地測量部地形図にある鳥垣との境の尾根を登る道の存在である。

陸地測量部地形図
この道は現在の地形図にも238mの地点から尾根にたどり着く半分までが破線で示されている。陸地測量部の地形図では尾根を登り切りシデ山からの主稜線に出合っている。この道が何を示すかと考えたとき、小栗峠に向かう谷筋の街道が崩壊した際の迂回路なのではないだろうか。効率的な志古田道と比べるとこの道は遠回りで厳しい、しかし尾根道だけに崩壊の危険性は少ないと思われる。谷筋の志古田道から尾根筋の弓削道に主役を奪われた裏には、田辺(舞鶴)からの利便性だけでなく、大栗の崩壊があったのかもしれない。つづく

【今日のじょん】何を見てるのでしょうか?


でした~

 

 

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大栗峠考(37) 5/29

2016-05-29 | 山・峠

2016.5.29(日)曇り、雨 大栗という地名について-2

 上林川が建田三町(忠、佃、武吉)をめぐるところは狭隘になっており、渓谷状になっている。流れが阻害されることは考えられるが、大栗付近でさほど狭くなっているわけではなく、地形だけでみれば、大水の際にこの地点で水がせき止められて逆流するというのは考えにくい。ただ須呂橋を見ると脇に旧の橋脚の基礎が残されており、28水以前にも橋があったことがうかがえる。この橋に流木や廃材などが引っかかり水をせき止めたということは容易に想像できる。大栗という地名が付いた頃に橋が存在しただろうか、おそらく橋は存在しなかったと思う。従って橋によってせき止められ、逆流した水がこの地名の語源となることはないと考えられる。

須呂橋から上流を見る、流域は広い。

 須呂橋を渡って谷や山の様子をうかがっていると農作業をしている方がおられた、数年前に忠に来られた小沼さんだ。そして貴重な情報を聞くことができた。28水の後堤防や橋の改修が行われたのだが、須呂橋の下流左岸は現在よりも川に張り出していて、田んぼ二枚分があったと言うことだ。もちろん小沼さんは後ほど越してこられた方だから、村の人に聞かれた話に違いない。その張り出した部分が28水で荒れてしまったかあるいは水の流れをよくするためにか、その部分の土砂を広げ積み上げ、現在の河岸となっているそうだ。28水までは川幅が狭かったわけで、橋によるせき止めもあっただろうが、地形的にもせき止められる可能性があったと思われる。橋が存在しない時代にもせき止められた水が渦巻いて逆流していたとすれば、それが大栗地名の所以となる可能性も考えられる。

須呂橋から下流を見る、流域は広いがかつては左の土手が張り出して田んぼになっていたという。
 須呂橋を渡ったところに圃場整備の記念石碑があり、そこに「堂ノ下、フノリ」という地名が刻まれている。堂ノ下はともかくフノリというのは変わった地名である。付近のスロ、ビロク谷などと共にかなり古い地名のようだ。いずれも難解な地名だが、スロのスは洲かな、フノリ=生法=草の生い茂った斜面かななどと考えてみた。しかし本当は何かわからない。

 そろそろ引き上げようかというとき、ネットの囲われた一画に土盛りを見つける、石組みらしきものも見えており、どうやら古墳らしい。古墳時代のものかと思うが、すぐ近所の河牟奈備神社のものは弥生時代というから、古い可能性もある。後日調べてみることとして、上林川の氾濫や支流の土石流など危険地帯かと思ったこの地が実はそうではなかったということが実証される。古墳の周囲にはおそらく人々が生活をしていただろうし、現に古墳は流されもせず埋まることもなく存在しているということだ。つづく

古墳は二基あるようだ。
【作業日誌】芝生広場芝張りの続き。前回購入の野芝は時期的に入荷できず、他の業者から1平米分購入、市販の姫高麗芝と混植する。野芝は程度がよかったが、高麗芝はかなり痛んでおりどうなることやら。残りは高麗芝で埋めようと思うが、時期的に購入が難しく、秋になるかもしれない。

【今日のじょん】先日久しぶりにげんたの妹、こむぎちゃんが来じょん。

 

 

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大栗峠考(36) 5/26

2016-05-26 | 山・峠

2016.5.26(木)曇り  大栗峠考(35)は2012.2.8
 大栗という地名について-1

 実に4年ぶりに大栗峠について記すことになる。先日雨読の記事を書くため忠町の大栗を再度訪問し、新たな情報を入手したので紹介すると共に、栗=崩壊地とした自説に疑問を感じたのでその事についても報告したい。
 大栗峠(おぐりとうげ)の大栗の由来は志古田の小字名大栗による。峠名の多くは現地や麓の地名がそのまま使われる。胡麻峠、猪鼻峠、坪坂峠、長谷坂峠などみんなそうである。大栗を通っているから大栗峠であり、その大栗の由来はというと、「刳(く)る、抉(えぐ)る」の転訛したもので、地滑りや地崩れなどの崩壊地とされている。あの強烈な地滑りの痕を見たとき、なるほどそのとおりと思ったものだが、忠の大栗を観察したとき果たしてそれでよいのかという思いにかられたわけである。つまりあの崩壊は新しいもので大栗の地名が産まれた頃の崩壊では無いこと、崩壊しやすい地形であったなら、なぜその地に主要街道を設定したかという疑問である。

大栗峠にむかう志古田道の崩壊はすさまじい。
 忠町の大栗は忠町の集落から1Kmほど下流の須呂橋から上流左岸の地域である。

上林川左岸の川沿い一帯が大栗、橋は須呂橋という。
 栗地名のもう一つの意味は、曲流(くる)、つまり河川の流域で蛇行して流れが速くなっている地域という意味がある。この意味が当てはまるのかなと考えたが、上林川本流がその地点で大きく蛇行している訳でもない。むしろその前後数キロ内に極端な蛇行が見られる。それは上林断層に沿って直線的に流れてきた本流が中山の強固な岩盤を浸食することができず、南流してU字型に流れているためである。従ってこの大栗を曲流(くる)語源とするには無理がある。

睦合町から見た上林川、正面の中山に遮られ、流れはおおきく南行(画面左へ)する。太古は右に旋回し中山の裾野を流れていたと想像できる。
 ただ、南東に走る支流(谷の名前は確認できていない、地域は深山というが、地名辞典ではビロク谷という地名がある)の上流は地滑り地帯で、大きな崩壊痕が見られる。だからといってその支流の合流する付近を大栗というのは不自然である。崩壊地点と大栗とはずいぶん離れていて、大栗周辺が崩壊しているわけではないからだ。

右の草むらが支流、左に林道が走っており深山と呼ばれている。この奥に大規模な崩壊がある。
 そんなとき忠町出身の温井さんから28水(昭和28年台風13号による大水害を上林ではこう呼んでいる)をはじめとする水害の状況をお聞きすることができた。増水し始めると、須呂橋の付近で流れがせき止められ、渦を巻いて逆流し左岸忠集落の下に当たる家々が浸水するというものだ。つまり濁流が渦を巻く地点が大栗に当たるわけである。この渦が両岸を削り取って崩壊を招いたとしたら大栗の地名はまさに刳る・抉るという意味となるのだが、両岸ともそのように削り取られた様子は見られないのである。この渦巻きそのものがクルと表現されたのではと考えたのだが、思いつくのは「クルクルまわる」という表現があるのみで、渦巻きがクルと表現されるという根拠は見つからない。つづく

【今日のじょん】

チワワのコタロー君9才、テンマル君7才。同じ日こころ君が来じょんし、「さっきのは息子です」だって。

ということは、、、こころ君とはいとこだかはとこだか????

じょんはいつものように「出してくれ~」 
 


 
 

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雨読 災害・崩壊・津波地名解(2) 5/20

2016-05-20 | 雨読

2016.5.20(金)快晴 

 本書を読んで、今までに考証した地名について再確認できたものや、新たな発見が出来たものがあるのでいくつか紹介してみよう。
白垣(しれがき・綾部市五津合町)
  白(シロ)は土砂崩れや地滑りあるいは洪水により運ばれた土砂に埋まった地。 
  垣(カキ) 川の沿岸、川の蛇行する地の近くや急流が曲流している様な崖地に見られる地形。

 かつては崖崩れや地滑り地を色(赤、青、白)で表しており(赤禿、青崩など)垣は崖を表すものとして考えていたが、白が洪水により運ばれた土砂を表すとすれば、白垣とは洪水によって運ばれた土砂が堆積して出来た集落という風にも考えられる。特段目立った崖崩れが無いようならこの方が説得力がある。

畑口川が山裾を流れている、土砂が堆積した段丘上に白垣はある。「丹波負笈録」には白屋垣とある。また違った意味も出てくる。

何鹿郡(いかるがぐん・丹波国の郡、ほぼ現在の綾部市)
 元は如何留鹿、以何留鹿などと表記されていたものが二字佳名 の詔によって何鹿郡となったという説もある。鵤(いかる・鳥の一種)がこの地に多いからという説が一般に流布されているが(綾部市史など)イカルはどこにでもいる鳥で一つの地方に特徴的に多いとは考えにくい。現在の状況を見ても綾部市の鳥として指定されていて、イカル情報などのイベントがなされているが特段この地方に多いということはない。
 本書では、「いかり〈碇、狩、五十嵐、五十里など〉多くは川のそばで見られる地名で、イカルは怒る、あふれるという意味をもち、洪水などによりたびたび被害を受ける地、水はけの悪い地をいう。」とある。郡名などは佳名という意識があり、災害地名などありあえないという考えもあるかもしれないが、由良川の貫流する何鹿郡の状況を見る限り、鳥のイカルよりは信憑性があろうというものだ。

大栗(おぐり・おおぐり)
 大栗峠の栗地名は崩壊地名ということをかつて書いたが、志古田道の崩壊を見てまさにその事が実証されたと思うが、綾部市忠町の大栗はその実感がなかった。

上林川左岸、須呂橋のたもとから上流部分が大栗である。大きな栗の木も見えるが関係はない。

 支流の上流は地滑り地形となっているが(防災科学研究所)上林川沿いの大栗については至って静かなところで、災害、崩壊という感じはしなかった。ところが忠出身の方に伺っていると、「大栗の先は上林川の流れが狭くなっていて、大水の際には濁流が渦巻き忠の集落まで逆流して水害を及ぼした」ということであった。南側の支流からの水と併せて壮絶な光景が現れたのだろう。栗はクレ・クル(崩れる・えぐられる)が訛化されたものといわれるが濁流がクルクル渦巻いている様子も栗と表現されたのかもしれない。おわり

【今日のじょん】先日の続き、プレート田村さんにも寄ったので、マウイちゃんの様子などお見せしよう。

食べ物に対する執着心はじょん以上である。「この根性マケテルナ、、、、」

 

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雨読 災害・崩壊・津波地名解(1) 5/19

2016-05-19 | 雨読

2016.5.19(木)晴れ 

 2011.3.11東日本大震災が起きたためか地震、津波を含む災害地名に関する出版物が増えている。地名の由来を考えるときその語源が地形で解けるものはそれが最優先だと考える。実際に地形を見ることで立証できるからだ。災害地名というのも地形地名の一部だと言える。過去に起きた災害の爪痕が地形となって残り、地名が付いたものだから。ただし災害の爪痕が現在まで残っているものとは限らない、地名だけが残っている場合もある。
「災害・崩壊・津波地名解」(太宰幸子著)彩流社2013.3.11初版 福知山図書館借本

「あぶない地名」も辞書的に使っている。
 地名に関する本は時々とんでもなく怪しげな内容のものがある、特に外国語に由来するとする説は怪しい。アイヌ語だって日本語であり、それに由来する地名は存在する。ただ何でもかんでもアイヌ語に由来するとしている説はまゆつば物だ。例えば神足(こうたり・長岡京市)=コタン・リ(高い所にある居住地)などとのたまっている。語呂合わせの最たるもので、取るに足りない。神足はどちらかというと低いところにあり、小畑川の氾濫原である。

これらの本は怪しいなあと思っているのだが、古書では内容がわからないので買ってしまう。 

 このような怪しげな本を何冊か購入してしまって落胆している。そのためにまずは図書館で借りて読み、気に入った物を購入するようにしている。福知山図書館は災害地名に関する書物が充実している。市に水害が続いたせいだろうか。
 さて本書は次のような構成になっている。
Ⅰ 水害地名
Ⅱ 崖崩れなどの地名
Ⅲ 東日本大震災の津波に関わる地名
Ⅳ 東日本大震災の津波被災地の地名

 Ⅲ、Ⅳが主題で実際に5年前に起きた災害だから、緊張感をもって読み解くことが出来る。実際この震災以降、地震や津波に関する地名の本が数多く出版されており、順次紹介する予定だが、何でもかんでも災害地名にする傾向や、こういった地名のところには住むなという風な言い方に対して反論をしている本もあるようだ。
つづく

【今日のじょん】先日イルマンさんに伺った。ハナちゃんもいつまでも若いなあ、ミツヒデもカンベーも相変わらず元気なのだ。

じょんは暑いので車においてきた。

出してくれ~

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芝張り行進曲(2)5/16

2016-05-16 | 違いのわからん農学士

2016.5.16(日)晴れ
 整地したところへ芝の目土を二袋、その上に土嚢袋真砂土を6袋しっかりまく。丁寧にマットを並べ、境目に真砂土を埋める。足りない時に補充しようと高麗芝を1束買っていたのだがうまく収まったのでこちらはドッグランどに張る。


 これら一連の作業をしながら、感じたことは、苔の生えている北側、東側のなんと暗くて陰気なことか。北側が日当たりが悪いことは分かる、東側はどうなんだ。植物にとって重要なのは朝日であって夕日ではない。西日の当たる西側は傾斜があって西日といえども大きな角度で射している。それに比べて東側は一番いい光が当たっているのだが、地面が水平で斜めに光が当たっている。そして白樫の葉は嫌というほど茂っている。この日陰の影響も地面の傾斜によるものが大きいようだ。そんなわけで北側と東側、ちょうど木陰になる部分に円形に苔がはびこっている。芝の張り替えも重要だが、例え新しい芝を張ってもこのままでは同じ状況に陥るのではという恐怖に襲われる。それが証拠に河原からとって来た野芝は跡形もなく消えてしまったではないか。
 生い茂った白樫の枝葉を北側、東側はばっさり落とすこと、枝葉の下端をアップして採光をはかることを実行する。本当は芝を張る前にやるべきなんだが、気がつかなかったのだから仕方が無い。一日がかりでばっさりやる。

剪定のビフォアアフター。 
 朝夕の採光具合を見届けて、東側の張り替え準備を進めている。

【今日のじょん】何をしてるのでしょうか?の答え。嫌いな人は見ないでね。

 

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芝張り行進曲 5/14

2016-05-14 | 違いのわからん農学士

2016.5.14(土)快晴
 今年のタンポポ撲滅作戦は芝生広場に関する限り成功といえる。といっても西洋タンポポは秋まで繁殖を繰り返すのでエンドレスの戦いなのだが。
イタドリ、スギナ、タンポポ、クローバー、ハマスゲ、チドメソウ、その他名前もわからない雑草たちが次から次へと繁殖するのだが、手間さえいとわなければなんとかなる。ところが致命的な敵がいる、苔である。あっという間に広がって、その部分は芝の新芽が出てこなくなる。つまり絶えてしまうということだ。他の雑草は競合しながらもそれなりに生きているのだが、苔だけはどうしようもない。
 苔をはがして、砂を入れ、西洋芝の種を播いてみた。発芽はしたが育ちが悪く、ごく一部分にひょろひょろと残っているぐらい。次に自然の野芝を移植したが、これも成長する前に苔に覆われ全滅、万事休すって事になった。

ビフォア、苔にやられてる部分(4月28日)

 そこでいよいよ最終手段、苔ごとはがして芝の植え替え、しかも野芝を植え付けることにした。なぜって高麗芝より耐陰性が強そうだから。
その前に野芝の種を買って実験的に播いてみる。もう半月にもなろうかというが一向に芽が出てこない。だめだこりゃ、しかも野芝の種は1Kg1万円以上して超高価、実験には小袋入りを1,500円分ほど買ってみたのだけれど。芝の種は洋芝も含めて何度も試したが、成功した例しがない。

苔をはがして目土に混ぜて野芝の種を播く。
 やむなくマットにするのだが、これも妙に高価である。しかもどこにでもあるというものではない。ネットで探して一番安いところに注文したが、送料も含んでいるのだろう1束あたり1、250円を4束買う、これって高麗芝の2倍強である。野芝なんて河原の土手にいくらでもあり、少しずつ移植すれば育つのだが、これは時間がかかる。ドッグランどなんて3年かかっているのだから。まあ、高価なのは需要が少ないせいだろう。
 まづ表面の苔を掻き落とす、これがすごい量で4㎡で一輪車に3,4杯ってところか。そのあと古い土を削ってドッグランどに運ぶ。かすかながら高麗芝の根が残っているので、新天地で芽が出ればラッキーなのだ。つづく

【今日のじょん】MIXのホップ君(4ヶ月)が来じょん、じょん君も久々に遊べたのだ。でも年の差は感じられるのよね。


  

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シャガを見る 5/13

2016-05-13 | 上林界隈(AKB)

2016.5.13(金)快晴

 ミツマタの群生は4月末にお知らせしたとおりだが、ミツマタが終わるとシャガが始まる。先日NHKで放送されたとかで多くの来訪者があった。といってもじょんのび周辺では道を聞かれるだけで、そのすべては市茅野に行かれたようだ。もっとも市茅野でなくても老富町のどこでも、五泉町でも見られるものである。じょんのびは定休日で、おおい町のうみんピアに泳ぎに行く予定だったので市茅野に立ち寄ることにした。公民館に車を置き三ツ谷さんに挨拶をして奥に進む。心なしか林道もきれいになっており、杉の穂なども落ちていない。市茅野杉の原木の山の神を過ぎると左右にシャガが見られる。ミツマタの群生を見に来たときにはもちろん花は咲いていなくて、緑の葉があるだけでごく一部のように思われた。ところが辺り一面に咲いているので驚き、さすがにNHKで放送するぐらいだ。逆にあれほど咲き誇っていたミツマタがその枝も葉も見当たらない。
 市茅野のシャガ、とくとご覧あれ


 さてここで気づいたことがある。杉林って暗くて陰気なイメージがあるのだが、ここは陽が差し込んで大変明るい。よく見ると枝打ち、間伐がしっかりされている。ちゃんと管理された植林はこんなに明るいのだ。ということはほとんどの植林は管理されていないということだ。
 シャガはまだつぼみもあり、今少し鑑賞できそうだから、是非上林へおいであれ。じょんのびに寄られたら案内もいたしましょう。

【今日のじょん】気温が高そうなのでじょんは留守番したんだけど、市茅野にかわいい老犬がいた。マックス、柴のミックス、年齢不詳。

老犬だけど元気な様子でなにより、帰ったらじょんが若く見えるから不思議なもんだ。

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雨読 学んでみると自然人類学はおもしろい(4) 5/11

2016-05-11 | 雨読

2016.5.11(水)曇り  学んでみると自然人類学はおもしろい(3)は2016.5.7

 

 直立二足歩行によって実に多くのヒトの特徴が現れる。家族、言語、学習能力などまるで無関係に感じる事柄までが影響しているわけだ。残念ながらわたしの期待している事項、S字状カーブ、筋ポンプ、姿勢筋などは前段で記述した直立二足歩行のデメリットである脱腸、脱肛、脳貧血、下肢のむくみなどの対抗策として進化したミクロな進化としてとられているのだろうか。浜田氏は次のように述べている。
 一方で、胃下垂とか腰痛、さらには座骨神経痛、下肢の静脈瘤などの弊害を人類にもたらしている。これらの弊害が強調される傾向があるが、精神的ストレスを溜めないようにし、偏った姿勢や運動を是正するようにすればかなりの程度、防ぐことができ、本質的な弊害とは言えない。

 いずれにしてもこの二冊の中には腰痛などに関する記述は少なかった。しかし今日重大な問題となっている腰痛に対しては上記の三つは重要な進化であると考えるのである。
 ところで両冊に共通する重要なことがある。直立二足歩行にしても自由になった手の使い方にしてもその進化は不完全であると言うことだ。不完全というと問題ありげに感じるのだが、マルチにあらゆる事をするために、一つのことに特化していないといえば納得がいくだろう。
 たとえばヒトの手足は魚のように上手く泳げるような構造にはなっていない。魚は手足が泳ぐことに特化して進化しているから生まれながらにして上手く泳げるがヒトは練習しなければ泳げない。脳による学習機能や思考力を活かして初めて上手く泳げるようになるわけだ。そのことが脳を発達させてきたのである。
 二足歩行にしても効率的で疲れにくく、故障を起こさない正しい歩き方は自然には身についていない。意識して訓練し身につける必要がある。姿勢にしても呼吸にしても自然に任せていたら正しく効率の良い方法はできないのである。
 実はこのことが腰痛の予防と治療に対して重要なポイントとなるのではないだろうか。
 ともあれヒトの進化を学ぶことで腰痛の原因も予防も治療も見えてくると思った二冊であった。おわり


この赤ちゃんはまだ歩いてはいない、脊椎のS字状カーブも形成されていないように見える。右の表紙は光って見にくいが人類の二足歩行の進化が描かれている。脊椎はアーチ状からS字状に変わっているのがよくわかる。

【今日のじょん】
何をしてるのでしょうか?先日いたのである。季節ですな-。

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美馬温泉保養センター 5/10

2016-05-10 | 日記・エッセイ・コラム

2016.5.10(火)曇り

 美馬市の市長さんが交通事故を起こされて2名の死者が出たという報道が数日前にあった。事故内容は明らかではないが、市長を辞任する意向だと聞く。何でも高松市からの帰りで、国道438号線三頭トンネル内での事故と言うことだったが、美馬-高松間なら10年前に自転車で越えた道ではないだろうか。「ずいぶん狭い曲がりくねった道路だったが、400番台ならあり得るなあ、それにしてもトンネルなんてあったかな-」と確かめてみる。自転車旅行の記録をたどるとなんと10年前の今日、5月10日なのだ(2007.5.10参照)やっぱり道路は違った、わたしの通ったのは県道7号線で438号線より一本東の道路である。日本中走り回った中でも最高に狭い道路で、つづら折りで延々と続きなんとも心細い道だった。

それでも四国特有の高地集落の家が峠まであり、「どうしてここに住むかなあ」と考えさせられる土地だった。峠はトンネルなどなく相栗峠という風情のある峠だった。
 事故のあった国道438号線も過去にはこのような道だったのだろうがずいぶん整備され、トンネルがいくつも掘られ、快適そうな道路である。わたしはなぜ厳しく、さびしい道を選んだのだろうか?よーく思い出してみると、トンネルが嫌だったのだ。荷物を持って自転車を走るものにとってトンネルほど嫌なものは無い。二本の道が並んでいれば、いかに長くてつらい道中でも、トンネルの無い方を選んでしまうのだ。
 地図や航空写真で探っていると、9日の夜に泊まった美馬温泉が気にかかる。あの日も泊まり客はわたし一人だった。ストリートビューで県道7号線をたどる。車の旅と違って10年前の旅でも、あちこちの景色を憶えているものだ。ところがいくらたどっても美馬温泉の建物が出てこないのだ。鉄筋の三階建てだったからよく目立つ建物である。たまらず検索してみると、閉鎖したという記事は無く案内があり、航空写真の地図にもしっかり写っている。その位置をしっかり憶えていて、グーグルで見るとそこにはコンクリートブロックの側壁に急な階段が残っており、周囲は草ぼうぼうになっている。10年前の写真を撮りだしよく見ると、屋根を取り外した階段はどうもあの側壁の階段みたいだ。長くて急な階段で自転車を担ぎ上げるのに苦労したあの階段である。

イヤー淋しいねえ。おいしい夕食をいただき、温泉に何度も入って疲れを癒やしたあの宿、向かいの谷には何十匹の鯉のぼりが踊っていた。10年もたてばここだけじゃなく、多くの宿が閉鎖してしまった。どんぐり畑さんもやめちゃったし、断られた毛越寺YHも営業しなくなったと聞く。生きている間にもう一度訪ねたい宿がいくつかある。でも美馬温泉のように原野に戻っちゃったらどうしようもない。同じ5月10日に記事にした偶然に驚いている。

【今日のじょん】雨の季節にはまだ早いのだが、じょんのびでは色やいだ花が終わり、白い花が咲いてきた、オオデマリ、ヤマボウシ、白花タニウツギ。

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グランフォンド京都2016  5/8

2016-05-08 | 自転車

2016.5.8(日)快晴

 イベントは天気しだいというが、これほどうまく雨と雨の間に開催されたのも珍しい。今年もエイドステイションを担当したが、470人分の飲み物と食料を仕入れて供給するのは結構大変だ。

先頭集団は1時間40分で到着。
 不足するのも余らすのもいけないのでちょうどに合わすのが難しい。昨年のデータによって適当に仕入れたが実に見事にはけた。特にバナナは3本がのこり、飴は隠れていた一袋が残り、アクエリアスも1リッター分が残ったがこれは薄めたためである。

ヘンなのがいるぞ、常連なのだ。
 
予算も500円あまりが残り、実に見事に消化したのが驚きである。ただし人数は470人のところ、実質410人だったそうで参考にしなければならない。

この子も常連、最後の食料。
 精神的にも身体的にも疲れるが、参加者の方に喜ばれるのがうれしくて、次回はもっと改善しようと夢がわいてくる。

【今日のじょん】エイドステーション開催中は外に出られないのだが、鳥取から選手に随行してきたさくらちゃん、ジャックラッセル4才が来じょん。いやはや元気なこと、これが本当のドッグランだ。

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雨読 学んでみると自然人類学はおもしろい(3) 5/7

2016-05-07 | 雨読

2016.5.7(土)曇り

 同様にロバの足は野山を歩くために特化して蹄をつくり、野山を歩くには大変能力を発揮するが、ゴルフをしたり岩登りをしたりはできないのである。このようにヒトは手足の使い方が一つのことをすることに特化しなかった、そのかわりに脳の学習機能や思考能力と相談しながらあらゆる事をできるようになったのだ。手は握る、つまむ、乗せる、押さえる、ひねる、押す、引く、引っ張るなどの基本動作の他に字を書いたり、箸を使ったり、ピアノを弾いたり、手話で話したり、無限にいろんな事ができるわけだ。これは特化されていない手と脳の連携に他ならない。ヒトがヒトたる特徴を持つようになったのは直立二足歩行と脳の発達が相互に作用して発展し今日に至っているのである。
 しかし四足歩行に比べ直立二足歩行は大胆な変革であり、身体的にも大きな負担を強いることになる。例えば内臓は横向きの脊柱が垂直にぶら下がっていたのが直立した脊柱に平行にぶら下がることとなり、内臓下重が常態化し、脱腸、脱肛、脳貧血、下肢のむくみやうっ血が生じてきた。内臓、体液が重力方向へ移動するためである。内臓の重さの受け皿である骨盤は出産口や肛門があるため骨盤底を閉じることができない。そこで上半分の腸骨上部を広げて内臓の重さを受け止め、下部は下方にすぼまる形に変形したのである。そのため骨盤の底にある筋肉(会陰横筋など)は常に収縮していなければならなくなり、毛細血管網を発達させた。座るときはここに全体重がかかるわけだから血行は悪くなり、痔などの症状が出てきた。このことは腰痛に大いに関連があるとわたしは考える。
 直立二足歩行によるデメリットで大きなものは難産と言われているが、いったいどういうことか理解できなかった。
 ・骨盤の変形により横方向にまっすぐ開いていた産道は上から押しつぶされることとなり、曲がりくねった形になった。
 ・出産口は座骨で狭められた。
 ・脳の容積が大きくなると、より難産の度合いは高くなる。
 これらのことが難産の原因と書かれているが、人類の進化はこの難産という問題を二つの方法で解決するのである。
 ・出産時に骨盤を構成する骨の関節をはずして、出産口を広げる。
 ・胎児が大きくならないうちに出産する。(生理的早産)
 産後、骨が元に戻るまで休養をとらす(産褥)こととか、歩き出すまでに1年以上かかることなどがよく理解できる。ゼロ歳児の段階は子宮外胎児といわれる所以だ。
 他の論文で、産まれたての子供の臀部は細く、脊髄のS字状カーブは形成されていないことを知った。ヒトは胎児の間に生物として発生してからの進化をたどるというが、生理的早産のために人類最後の進化を生後にたどっていると考えられる。ゼロ歳児は子宮外胎児として進化をしているのではないだろうか。つまりわたしの提唱する直立二足歩行に対する三つの進化のうちS字状カーブ、姿勢筋の発達はヒトの進化の最終的段階として生まれてから行っている進化なのではないだろうか。難産というデメリットを補完する生理的早産によって進化の過程を実際に目にすることが出来るのである。つづく

 同時に借りた図鑑では人類以外の骨格を調べたが、S字状カーブをえがいている動物はいない。

ヒトのように臀部が大きい動物はいない。

 

 

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雨読 学んでみると自然人類学はおもしろい(2)5/6

2016-05-06 | 雨読

2016.5.6(金)雨

 直立二足歩行というヒトに特有の動作は単に立って二足で歩くというだけでなく、他の動物には無いヒトとしての特徴を持つことになる。ヒトがなぜ二足歩行になったかは諸説あるのだが、アフリカの西部の雨林帯から東部のサバンナに生活の拠点を移した事による。なぜそうしたかはやはり諸説あるのだが、わたしはより広い範囲で食物を得られることと、居住環境を変えることによって天敵から逃れられる事ではないかと思う。
 もちろんある日突然雨林帯からサバンナに移動したわけではなく、何万年もかけて行きつ戻りつして移動したのだろう。サバンナには新たな天敵も現れたであろうし、環境も雨林帯よりは厳しいものだと思われる。しかしヒトは直立二足歩行をすることで発達した脳による知恵や学習でこれらの困難を克服して、テリトリーを無限に増やしたのだろう。
 ではなぜ直立二足歩行が脳の発達を促したのだろう。直立によって脳の重力を支えることができるということがよく言われる。恐竜だって、鳥だって二足歩行だけど脳は発達していない。それは直立していないからで、尻尾とのバランスで脳が維持されている。直立することで骨や筋肉に負担かけることなく脳の重量が支えられることは事実だ。だからといって脳が発達した理由にはならない。
 直立二足歩行することによって手が移動手段から解放されて、あらゆる作業が可能になったこと、テリトリーが拡大されて様々な環境に適応する必要がでてきたことが脳の発達の理由ではないか。そして二冊の本に共通することは、手足の進化は不完全で特化していないことが脳の発達に関係しているということだ。つまり足は単に歩くだけに特化せず、手も握る事だけに特化していないということだ。
 例えば鳥の手は羽として進化し、すばらしい飛行能力を発揮するがそれ以外のことはできない。脳は本能的に飛ぶことだけを制御すればいいわけだ。つづく

【今日のじょん】こないだから気になっていることだけど、この芝生広場見てくれる広くてきれいに整備されていて誰もいなくて本当に気持ちのよい芝生だったんだけど、雑草がはびこってきた。そのうち整備しはるかなと思っていたが一向になされない。ついにこんなになってしまった。もう少しほったらかしていたら取り返しの付かない状態になりそー。大飯原発動かないので資金が出ないのか、それとも関電の嫌がらせか、、?

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雨読 学んでみると自然人類学はおもしろい(1)5/5

2016-05-05 | 雨読

2016.5.5(木・祝)晴れ
 腰痛で整形外科にかかるとだれもがドクターに言われる言葉がある。「腰痛は人類が二足歩行をするようになっての宿命だ」というものだ。わたし自身も行く先々の先生に聞かされてすっかりその気になり、周囲の人にも知ったふうにしゃべっていた。ところがサーノ博士の「ヒーリングバックペイン」を読んでその説に疑問を持つようになった。博士は人類は何百万年もの間進化し続けている、直立二足歩行は四足歩行に比べ腰部への負担は大きいが、それを補完する進化がなされているはずだと言っておられる。つまり人類のあらゆる部位は進化を遂げているのに直立二足歩行に関する進化だけがなされず、四足歩行の当時のままということはあり得ない、ということだ。
 これは随分説得力のある話で、腰痛の原因が直立二足歩行であるというのは疑問ということになる。ただ、サーノ博士は腰痛の原因は心(脳)であるという風に説いている。もちろんすべての腰痛がそうだということではないのだが、直立二足歩行を始めたことにより腰痛が宿命となったという整形外科医の言は明らかに誤解であり錯覚のようだ。
 直立二足歩行を始めた事による人類の進化で腰痛に関するものは、脊椎のS字状カーブ、下肢による筋ポンプ作用、腰周辺及び臀部などの姿勢筋の発達であるとわたしは考えている。
 現実にどのような進化をしたのか確かめるべく二冊の本を読んだ。ただし直立二足歩行に関する部分以外は流し読み程度に終わった。
「学んでみると自然人類学はおもしろい」富田守著 ベレ出版 福知山図書館
「なぜヒトの脳だけが大きくなったのか」濱田穣著 ブルーバックス 京都府立図書館

 つづく

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前期高齢者 5/2

2016-05-02 | 日記・エッセイ・コラム

2016.5.2(月)晴れ

 誕生日などうっとうしい年頃なんだけど、今年だけは待ち遠しくもあり、うれしい誕生日である。それにしてもなんともよい季節に生まれたものだと思う。暑くもなし寒くもなし、山々は新緑で実にすがすがしい。例年この日は八十八夜となるのだが今年は八十九夜となった。
 子供時分は貧しい田舎のこととて誕生日だからって何かしてもらうこともなかった。ところがその朝に限って庭の白アヤメがぽんと咲くのである。雨戸を開けるのが楽しみだった。上林では全然咲きかけもしないのでやはり気温差が相当あるのだろうか。

上林じゃ咲きかけもしない。
 アヤメは咲かないけど今年がうれしいのは年金の受給年齢になったことだ。月にしたら6万円程度なんだけど、今6万円稼ごうと思ったら大変なことなので、ありがたいというしかない。しかも働かなくても生きている限りもらい続けられるなんていい制度なんだな。
 それにしても請求手続きとか通知が来ないのかなあと思っていたら、今日届いた。なにも誕生日に合わせて送らなくてもと思ったが、どうやら偶然らしい。中には受給を遅らせますか?なんて盛んに書いてある。じょじょーだんぢゃない、誰が先延ばしなんかするかい、待ってる間に死んでもたらどーすんねん。即刻すぐもらえるようにして返信する。

こーゆーのが来るのよね
 ところがこの年金、手元に入るのは8月15日なんだよね。それも6月分からだって、5月1日生まれなら5月分からもらえるそうだ。一日違いで大違いってところだが、これって最終が5月になるとは限らないから、やっぱ損だよなー。5月分日割りでくれよな-と思う今日この頃である。
 まあとにかく前期高齢者、この特権を最大限に活かして有意義な老中老後をおくろうじゃないか。

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