2015.1.31(土)雪
田舎と都会の違いの最たるものは、隣近所の人の動向が判るか否かと言うことである。このことの善し悪しは意見の分かれるところだろうけれど、少なくとも田舎が嫌で都会に出る人の大多数はこのことに起因するのではないかと思う。ところがよく考えると隣近所のことがよく判ろうと判るまいと、隣近所に知られようと知られまいと別段どうって事は無いように思えてくる。自分にやましいことがあったり、虚栄心があったりするとそれは困ることだが、この歳になると他人のことを詮索する気持ちもないし、自らのことを覗かれても別段困ることもない。
隣近所のことがよく見えて思いをめぐらすことは、老齢化のスピードである。田舎では周囲の人の年齢がすべて判る。この地に住まいして7年、多くの方が亡くなられ、多くの方が病に倒れられた。皆7年前には元気で飛び回っておられた方々だ。隣人の名前も歳も分からない都会では絶対に感じることの無い、寂寥感、無常観を感じざるを得ない。
つまり10歳の子が20歳に、20歳の子が30歳になるのと70歳の人が80歳になる、80歳の人が90歳になるのでは同じ10年でも雲泥の差があるのだ。
都会でも同じ時間の流れがあるのだけど、若い人がいっぱい居るから老人の移ろいが意識に入らない。田舎では周囲は老人ばかりだから、否応なく老いることの辛さ哀しさが見えて来る。生老病死、人間の苦しみのあらかたを目にしながら生きていかなければならないのだ。
だからこそ、これから老境に入ろうとする者はしっかりと自らのポリシーを持って毎日の生活を送らないと同じ年数を生きたとしても充実したものになるか、惨めな辛いばかりのものになるか、雲泥の差が出るのである。ではしっかりしたポリシーって一体何だろう?つづく
朝から降り始めた雪が夜まで続き、明日はどうなるだろう。積もったら雪かきが出来て運動になるってぐらいに思ってなきゃあやってらんない。
【今日のじょん】昨日の写真に漏れていたのだけど、イルマンさんとこにいる柴、二ヶ月あまりの雄とかを紹介しよう。名前はまだ無い、とてもなつっこくてやんちゃな感じ、誰か飼ってくれい。
かわいいのでありマス。