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晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

老いるということ 1/31

2015-01-31 | 日記・エッセイ・コラム

2015.1.31(土)雪

 田舎と都会の違いの最たるものは、隣近所の人の動向が判るか否かと言うことである。このことの善し悪しは意見の分かれるところだろうけれど、少なくとも田舎が嫌で都会に出る人の大多数はこのことに起因するのではないかと思う。ところがよく考えると隣近所のことがよく判ろうと判るまいと、隣近所に知られようと知られまいと別段どうって事は無いように思えてくる。自分にやましいことがあったり、虚栄心があったりするとそれは困ることだが、この歳になると他人のことを詮索する気持ちもないし、自らのことを覗かれても別段困ることもない。
 隣近所のことがよく見えて思いをめぐらすことは、老齢化のスピードである。田舎では周囲の人の年齢がすべて判る。この地に住まいして7年、多くの方が亡くなられ、多くの方が病に倒れられた。皆7年前には元気で飛び回っておられた方々だ。隣人の名前も歳も分からない都会では絶対に感じることの無い、寂寥感、無常観を感じざるを得ない。
 つまり10歳の子が20歳に、20歳の子が30歳になるのと70歳の人が80歳になる、80歳の人が90歳になるのでは同じ10年でも雲泥の差があるのだ。
 都会でも同じ時間の流れがあるのだけど、若い人がいっぱい居るから老人の移ろいが意識に入らない。田舎では周囲は老人ばかりだから、否応なく老いることの辛さ哀しさが見えて来る。生老病死、人間の苦しみのあらかたを目にしながら生きていかなければならないのだ。
 だからこそ、これから老境に入ろうとする者はしっかりと自らのポリシーを持って毎日の生活を送らないと同じ年数を生きたとしても充実したものになるか、惨めな辛いばかりのものになるか、雲泥の差が出るのである。ではしっかりしたポリシーって一体何だろう?つづく

朝から降り始めた雪が夜まで続き、明日はどうなるだろう。積もったら雪かきが出来て運動になるってぐらいに思ってなきゃあやってらんない。

 【今日のじょん】昨日の写真に漏れていたのだけど、イルマンさんとこにいる柴、二ヶ月あまりの雄とかを紹介しよう。名前はまだ無い、とてもなつっこくてやんちゃな感じ、誰か飼ってくれい。

かわいいのでありマス。

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図書館 1/30

2015-01-30 | 雨読

2015.1.30(金)雨

 しょんのシャンプー予定日なんだが、朝からの雨で延期となる。やむなく図書館に行って調べ物でもしてこようと思ったら、かみさんも買い物に行きたいというので一緒に出かける。じょんも連れてプレートタムラに行く予定だったがあんまり雨が強いので留守番させることとなった。
 綾部図書館に締め切りの借本があったので返却することとし、福知山図書館の借本も調べてみたら期限を越えていた。慌てて電話すると予約があって延長できないので返却するよう言われる。てなわけで福知山図書館にも行くこととなった。
 普段は地元の綾部図書館を利用することが多いのだが、圧倒的に他館の借り入れが多い。専門書が多いのでやむを得ないところだが、綾部図書館の蔵書が少ないということだろう。職員さんも親切で、なんとなくローカルでアットホームな雰囲気で気に入っているのだが、調べ物をする環境としてはいただけない。静かにノートを取りながらという環境ではないのだ。テーブルのある所は幼児のスペースの横で賑やかいし、テーブルのサイズが合わない。かといって窓際の椅子ではノートはとれない。

綾部市図書館
 そのてん福知山図書館の閲覧コーナーは各所にあって、照明も座り心地も抜群だ。専門書等は二階なので子供達がにぎやかいと言うことも無い。時間があるときは日長ここで読書したり調べ物したりしたいと思うのだが、問題は駐車場である。無料なのが90分までなので、延長する場合は再度入れ替えるしかない。
 蔵書は北近畿では随一とかで、スペースがあるので倉庫にしまわれているというのが少ないのも利点である。
他には舞鶴東、高浜、南丹胡麻、福知山三和分館など使ったことがあるが、一長一短がある。おおい町、名田庄の図書館も新しくていいと聞いている。一度行ってみたいものだ。それにしても図書館のカードが増えるのもちょっと辛いものがある。

福知山市立図書館
 いずれにしても今日のところはかみさん同行なのでゆっくり本を読むわけにいかないので、返却と借り入れをして失礼した。
 イルマンさんによって光秀と勘兵衛とはなちゃんに挨拶、久しぶりにスシローで食事して帰る。



勘兵衛(真ん中)は看板犬見習い中だって

回転寿司も店によってシステムが異なりとまどう。スシローの注文タッチパネルは文字が小さくて見づらい。商品を選び出すのも時間がかかり、タッチパネルが高いので肩がこってくる。五十肩の者には注文できそうにない。
帰ったらじょんはちょっと怒っていたみたいで、ゴミが少し出してあった。


今日は留守番だったのダ

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草木灰、コーヒー微粉差し上げます  1/29

2015-01-29 | イベント情報

2015.1.29(木)雨

 ストーブを焚くと毎日受け皿に一杯の灰が出る。昨年まではナラやクヌギの良質の薪を焚いていたのでためておいて、水源の里でやっておられる栃のあく抜き用に差し上げていた。ところが今期から薪の質がばらばらになって、もっぱら畑や庭木の肥料用となっている。以前にジャガイモ種芋の植え付け時の消毒用にとか、油落としにとかで使うからといって差し上げたことがある。我が家でもジャガイモの切り面には塗って使っているが、購入すると結構高いもののようだ。
 と言うわけでこれらのように使われる方に無料で提供したい。朝に捨てるので事前に連絡しておいていただければ置いておくことにする。

1日にこのくらい出る灰。
 もう一つコーヒーミルの滓なんだが、これも毎日少しずつ出るのをためている。このパウダー肥料にもなるんだが、さび止め剤になることも教えていただいた。コーヒー豆に含まれる油分がサビを防ぐわけだ。大工道具の刃物やビット、ドリルの刃や釘、ボルトの類いまでサビを嫌う金属なら何でもOK。わざわざ挽いたコーヒー豆を使っている方もあるそうだが、勿体ない話だ。これもたまったものがあるので必要な方には差し上げよう。

こうやって保存しておくとサビが来ない。

【作業日誌 1/29】ベランダ出入り口踏み台完成
経費 引き出し取っ手108円 滑り止めマット216円 計324円
引き出しをつけて空間利用したが、とにかくあるもので造ったのでつぎはぎだらけで苦労した。4年前ぐらいから頼まれていたものやっと出来た。

まずまずの出来
【今日のじょん】朝方4cmぐらいの積雪、雪かきが必要な事も無く今年は助かっている。とにかく天気は悪いが、気温が高い。例年の-4、5℃というような気温はまず無い。あと一ヶ月あまりの冬、どうなることやら。

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気になること3題 1/28

2015-01-28 | 日記・エッセイ・コラム

2015.1.28(水)雪

 あやバス西矢田線についてもう一つ気になることがあったのだが、昨日解決したので報告しておこう。それは一昨年もあやバスで西矢田線を利用したのだが、その時も7名ほどで乗り込んで、他のお客さんと合わせて満杯となった。それが今年もちょうど満杯となって、これってもし定員以上になったらどうなるんだろうと気になっていた。都会のバスのように10分おきに来るんなら次のバスを待てばいいのだが、この路線1日4便なわけだ。
 すると親切な運転手さん、聞きもしないのに、「お客さん、団体で乗るときは事前に会社に電話して下さい、予備の車を準備しておきますから」
つまり、定員以上になると会社に電話して、予備の車をよこすそうだ。しかし事前に用意していないと、手配に時間がかかりお客さんを待たすことになるということだ。
なるほどそういうことか、納得。

 お風呂から洗濯機に水をあげるポンプが故障した。といっても驚くほどのことではないのだが、上林に来て3台目なんだぜ。つまり2年に1台故障している勘定になる。しかも今回は半年間ほどしかたっていない。1年間は保証があると思い保証書を探すが見当たらない。実はこういった小型のポンプ、ホース無しで買うと1,000円以下のものなのだ。それに少なくとも1年以上はもってきたから保証書を置いていなかったのかもしれない。だから余計悔しい。
 今回の故障水を吸わなくなった訳でなく、やたらと時間がかかるのだ。だからお風呂上がってすぐに寝ようとしても寝られないわけ。洗濯機一杯になるまで一時間ぐらいかかり、寒いのに待ってなきゃあならない。毎日イライラして、遂に諦めて今度の休みに新品を買おうと決める。
 そこで品番とかメーカーとか見とこうと思って、ポンプや吸い込み口を見ると、イヤイヤ吸い込み口に糸くずなんかがびっしりと詰まっている。過去の例ではこれを掃除してもだめだったのだが、ちょいとやってみるかと掃除したら、俄然調子よくなってぐんぐん吸い込む。いや~もっと早く点検すれば良かった。よーするにゴミが詰まっていただけなのよね。納得。

工進さんたのんまっせ

 上林川の向こう岸の草むらの中に鹿が棲息しているのは近所でも話の種になっている。問題は奴らが川を渡ってこちら岸に来ているかということだ。というのはこちら側にも糞や足跡があるからだ。もちろんこちら側の山にはいくらでもいるので、別段おかしくもないのだが。
 鹿や猪が水泳達者なのは承知している。しかし今は雪解けと雨の影響で水位も高く流れも急である。彼らが橋を渡っていないのは雪のときの足跡で確認出来る。橋には扉がつけられているのだが、おそらくそれがなくても渡らないのではないだろうか。
 そしてじょんと探索していたら、鹿の足跡が水際で途切れている。といっても方向的には川から上がってきた足跡だ。それにしてもこの流れだと、よほど上流から渡らないとこの場所に上陸できないし、道中のコントロールも相当なもので、鹿の泳力には感心する。泳いで渡っていることには納得するが、それ以上何の対策もとれないのが哀しい。

写真では足跡が見にくいが、しっかりついている

【今日のじょん】本文に登場。

今日はちょい雪

 

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じょんのび新年会’15 1/27

2015-01-27 | イベント情報

2015.1.27(火)雨

 イワンの里さんでじょんのび新年会が開催された。今年は送迎をお願いできる方が居なかったので、あやバスを利用して上八田町勢期(せいご)に集合した。みんな綾部に住まいしながらあやバスを利用する機会は極少ないので、いい体験であった。あやバスは綾部市内に9路線が走っているのだが、知らないことが多い。
 例えば京都市バスにあるような乗り継ぎ割引は無いものかと常々思っていたのだが、これに代わるものがあった。それは一日乗車券である。京都市バスの場合は均一区間内であればいくら乗ってもいいのが一日乗車券で多分500円だったと思うが、京都にいるときは結構利用した。車だと渋滞したり、駐車料金が要ったり、もちろんお酒も飲めないのでバスはいい。
 あやバスの一日乗車券はやや形態が変わっている。「運賃のご案内」には次のように書いてある。
 1日乗車券を購入いただくと、同じ片道運賃区間内での乗り継ぎや乗り降りは自由です。ただし、その片道運賃区間を乗り越した場合は、その不足額をお支払い下さい。
 これは解ってみれば単純な事なんだけど、解らないものにとっては何とも不可解な文章である。大町バスターミナルに電話して聞いてみたが、結局解らなくて市役所の市民共同課というところに聞くように言われた。ここでもどういう制度なのか理解できない。具体的に念道(400円区間)から乗って上八田勢期(300円区間)を往復する旨言って、400円区間の1日乗車券(800円)を買えばいいと言われやっと納得。つまり片道200円、300円、400円、500円の1日乗車券があり、値段はその倍額と言うことだ。つまり念道~綾部駅400円、綾部駅~勢期300円、その都度払えば往復Ⅰ,400円かかるところを1日乗車券だと800円で済むということだ。これはなかなかいい制度なんだが、車内で買おうとしたところあまり沢山用意してなかった。つまり利用が少ないと言うことである。田舎にいると車は絶対必要というのが大方の考え方なんだが、上手に公共交通を使うのもいろんな意味でいいことがありそうだ。昨年から京都に行く場合、バスと電車を使っている。ガソリン代、高速代、駐車料代など考えると一人旅の場合は格安になるのだ。

西矢田線は定員10数人のマイクロバス、だってこんな細い道走るんだもの。
 さて新年会は都合が合わない方続出でやや少なめだったが、イワンさんの心づくしの料理と各地の銘酒で随分盛り上がった。そしていつもどおり、恵さんのスナックでカラオケでまた盛り上がり、最終バスでご帰還となった。

 参加者の皆さん、イワンさんありがとうございました。来年もこの時期、今度は金曜日に行う予定なので期待して下さい。

【今日のじょん】今日は朝からきらいな雨、そのうえ夜の7時過ぎまでお留守番、帰ってきたら「腹減ったよ~」って顔してすっごく喜んでいた。写真は朝の様子。

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穴虫考(151) 穴虫ファイル-3 1/26 

2015-01-26 | 地名・山名考

2015.1.26(月)雨 穴虫ファイル-3 千代川町北ノ庄穴虫

 最初の穴虫訪問が当地である。2013年8月13日、この後に河原尻穴虫を訪れている。もちろん穴虫のなんたるかは解らず、とにかく現地を見てみたいの一心である。千代川から本梅(ほんめ)に抜ける道はよく知っていたから、穴虫の位置はすぐに解ったが、この穴虫こそ香芝市の穴虫峠、山本光三氏(大和の原像)のいう穴道説にぴったりの地なのである。丹波の国府(候補地)の真西に穴地形の谷があり、春秋分には将にその谷(千々川)の中に夕日が沈むのだ。千々川を遡るとやがて本梅川である。本梅盆地に際立った古墳は見られないが、群集墳が本梅盆地の要所に形成されている。(日本の古代遺跡 京都Ⅰ)そしてその街道こそ古代山陰道の可能性が高いといわれている。山本氏の穴道説にロマンを感じていたので、いきなりこの地を訪れて信奉してしまった。次に行った河原尻穴虫がこれまた、丹波国分寺の真西にあるのだ。その後の穴虫調査ではこのような地形配置は現れず、穴道説は諦める以外無かった。

東からみた北ノ庄穴虫の谷、香芝市の穴虫峠とそっくり。
 しかし穴虫の位置は、谷が山地から村に出てくるあたりにあり、その谷の上流に葬地や葬地地名があるというパターンが多く見られ、穴虫パターンと名付けた。北ノ庄穴虫の場合、上流に青野と言うところがあり、一応葬地地名としたのだが、その証拠はない。なお、捨場という小字は存在している。
 北ノ庄穴虫は谷が平野に出るところの、扇状地の頂点といった感じのところで、岩城神社と薬師堂のみの小さな三角の小字である。火葬に結びつけるのは困難な感がするが、浄土宗と浄土真宗の寺院があり、このあたりから手がかりが無いものか訪ねてみたい。

岩城神社と薬師堂とその奥の林が小字穴虫。


No.3
①住所(旧住所)
  亀岡市千代川町北ノ庄穴虫

②大字小字、川、谷、橋、池等地名
小字、

③地形
穴地形、谷川(千々川谷)が平野に出るところの末端部。
④近隣の地名
鳴滝、千々尾
上流は青野があり、捨谷もある。

⑤寺院、神社等
岩城神社(祭神市杵島比売命)と薬師堂のみが穴虫。
浄土真宗本願寺派光福寺(北ノ庄明谷)
浄土宗嶺松寺(北ノ松東谷)
⑥金属関連、国分寺国府関連、宗教関連、その他
行者山南にはタングステン鉱床の大谷鉱山が在り、神前あたりまで多くの𨫤が在った。黄銅鉱、黄鉄鉱、磁流鉄鉱他の鉱石を含み、行者山周辺には古い縦坑なども残ると聞く。穴虫は同じ岩層上にある。
丹波国府跡候補地西、
旧山陰街道

⑦その他特記事項 

⑧訪問記録
第1回2014.8.13
近所でも穴虫の地名を知らない。両寺院の聞き込み必要か。金属関連の地濃厚。

【作業日誌 1/26】ベッド組み立て、一日仕事

【今日のじょん】数日前からフードにシニア用が混じっている。二月中にはすっかり入れ替わるだろう。だって3月で7歳だもんね。

 写真は記事とはカンケーありまセン

 

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穴虫考(150) 穴虫ファイル-2 1/25 

2015-01-25 | 地名・山名考

2015.1.25(日)晴れ 穴虫考(149)は2015.1.22

 穴虫ファイル2は高島市マキノ町西浜の穴虫である。過去にあちこちの穴虫を何度も訪問したような気がするが、実は一度ずつしか訪問していないのだ。それなのに何度も訪問したような気になるのは、連日地図を眺め、参考資料を探り、地元の資料館や役所に質問をしたり、知り合いになった方に協力を願ったりで机上の調査が進んでいるからだ。そんな意味で西浜の穴虫については、奥野さんという協力者に出会い、最も調査の進んでいる地域となっている。
 何よりも画期的なのは権水遺跡の骨蔵器の発見である。台風による土砂崩れによって偶然に発見されたものだが、奥野さんに教えてもらわなかったら永遠に知ることのなかった事だろう。思えば始めて西浜を訪れたとき、穴虫については何の考えもなくて、ただ現地はどのようなところか見てみたいだけの訪問だった。それが草津や香芝の穴虫を訪ねる度に火葬に関係するのではないかという思いがわいてきた。権水遺跡の骨蔵器がなぜ画期的かといえば、その地で火葬が行われていたという事実の他に、香芝市の穴虫と多くの事柄で一致点があると言うことである。骨蔵器、別所地名、金属関連、真宗寺院などだが、もちろん偶然に一致しているだけのものもあるが、西浜の穴虫はある程度ピンポイントで穴虫地名を絞ることが出来るので、期待するものも多い。

これは藤波園の最奥から撮った谷である。この地を訪れる前に高島市役所で字配図を確認してきたのだが、手書きで写してきたものでこの谷が穴虫だと思っていた。しかし後々奥野さんからいただいた地籍図の写しなど見ると、ここは別所で穴虫は右手の尾根の更に東側だと解った。(2014.5.13)

No.2 西浜穴虫             
①住所(旧住所)
高島市マキノ町西浜穴虫

②大字小字、川、谷、橋、池等地名
小字、印内川

③地形
山地、山崎山(307m)から南西に下る広い谷(凹部)の平地に至る地域がピンポイントの穴虫と思われる。小字穴虫は尾根と尾根の間の広い地域である。

④近隣の地名
別所、長谷、印内前(印内には江戸期までには陰陽師が居住していたー別所事典)
御墓

⑤寺院、神社等
海津天神社(菅原道真、大鍬神社、小野神社等の境内社有り)
権水寺(真言宗だがもとは天台という説有り、2011年骨蔵器出土)
真宗(斎栄寺、誓行寺、蓮光寺)浄土宗(青行院)
⑥金属関連、国分寺国府関連、宗教関連、その他
マキノ製鉄地帯
権水遺跡の骨蔵器は室町期の壺
海津天神社裏山に鉄滓出土ー別所事典

⑦その他特記事項
権水遺跡の骨蔵器は穴虫から900m、小字別所は西隣、ベッソはすぐ隣、これらは香芝市穴虫に類似。
穴虫の真北尾根上に御墓が有り三基の石塔有り(未確認) 

⑧訪問記録
2014、5,13別所、穴虫を訪問。位置確認のみ。奥野氏に出会い情報を頂く。マキノ製鉄遺跡、澤の古墳等訪問。
次回訪問課題:骨蔵器、五輪塔及び出土地、権水寺と真宗各寺と火葬場確認
海津天神社裏山鉄滓確認、穴虫現地確認、御墓の石塔確認

【作業日誌 1/25】ベランダ踏み台ほぼ完成(あと上部に滑り止めを貼るだけ)

行ってき文庫引き出し完成(経費、取っ手105円、内張化粧紙105円、計210円)


【今日のじょん】今朝は妙にいろんなとこ嗅ぎ廻るなあと思っていたら、ヘイヘイが飛び出してきた。離れて夜中中ウロウロしていたみたい。

こんなところも行きたがるのは?

 

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松庵師の最期 1/24

2015-01-24 | 雨読

2014.1.24(土)曇り

 これは本のタイトルではない、わたしのエッセイのタイトルである、念のため。日記・エッセイのカテゴリーで書けばよいのだが、昨年から沢山読んだ水上勉先生の本に関連することなので、雨読のカテゴリーに入れた。
 松庵師というのは、水上先生が9歳で小僧としてあずけられた相国寺塔頭瑞春院の住職、山盛松庵師のことである。水上作品の根源はこの瑞春院とその後あずけられた等持院の修業時代にあると思う。少なくとも「金閣炎上」「雁の寺」「五番町夕霧楼」などわたしの読んだ作品はそうである。それどころか「ブンナよ木からおりてこい」の椎の木さえもこのお寺にあったようだ。それらのことが自らの手で書かれているのが「わが六道の闇夜」である。
 それらの批評は雨読の中で一端を書いているが、今回はその恨み辛みの根源ともいう松庵師の最期について聞いてきた話を紹介する。
 それは昨年のこと、かみさんが主治医のN先生に聞いたことなんだが、水上先生のおられたお寺の住職は、河原町松原の市電の電停あたりで交通事故に遭われて亡くなられた、というものである。N先生の生家が開業医をしておられて、いつもなら帰りは車で送るようにしていたんだが、その日に限って電車で帰るとおっしゃって、事故に遭われたということだ。生涯独身だったと聞いてきていたので、松庵師ではなくてその後に代わられた住職のことだろうと思い、「わが六道の闇夜」を読んで再度確認して欲しいと言った。
 先日N先生の所に行ったので再度聞いたら、やはり松庵師のことだったそうだ。瑞春院のこともよく知っておられて、伊藤若冲の絵があるとか、藤原定家や足利義政のお墓があるとか教えていただいた。
独身云々ということはうろ覚えかもしれないと言うことだったが、「わが六道の闇夜」には和尚さまは結核で、三日に一度は室町上立売の医者が診察に来ていたと書かれている。どうやらここが松庵師の主治医であり、河原町の医院は他の科であったのかもしれないし、水上先生が寺を出てからのことだから主治医を代えていたのかもしれない。

事実は小説よりも奇なりですナ

【作業日誌 1/24】ベランダ踏み台作り(塗装)

【今日のじょん】なんかもう春が来そうな気がする。正月いきなり大量の雪が降ったので一時はどうなるかと思ったのに。
てなわけで、今期はもう出来ないかもしれない雪山ぽんぽこぽんを楽しむのでありまス。

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3,000mを泳ぐわけ 1/23

2015-01-23 | 日記・エッセイ・コラム

2014.1.23(金)曇り

 一昨年の秋からプールに通い始め、当初は500m程度のスイミングだったが順次距離を伸ばし、今年から3,000mを泳いでいる。
昨年の8月から月2回2,000mを泳いでいたので、1,000m増やしただけであまり影響はない。2,000mのタイムが47分程度で、3,000mが77分程度だから、やはり全体のペースは落ちている。別段タイムを稼ごうと思って泳いでいるわけではないので、こんなもんだろう。実はこの距離、現役のトライアスロン選手だった頃普段の練習で泳いでいた距離である。プールの使用時間もあるが、オープンウオーターのロングタイプトライアスロンの距離3,800mと大体同等の負荷であるのでその距離にしていた。
 かみさんは、「泳ぎすぎやで」と言っているが、わたしには考えがある。それは今年の年賀状にある。昔のトライアスロンの仲間から何通か来るのだが、一人はハワイのアイアンマンにいったというもの、もう一人は「若狭路オープンウオータースイミング」(以下若狭路OWS)を完永したというものである。アイアンマンにはもう行けないけど、若狭のスイミングなら行けるかもと今年のリザルトを見る。するとだ、昔の仲間達の名前が続々と出ているのだ。年齢なら40代から60代、みんな頑張ってるんだって凄く感激したわけ。
 もう競技は肉体的にも精神的にも出来ないけど、楽しみでやれるとしたら遠泳大会だ。マラソンも練習したら出来るかも、、、。
 特に若狭路OWSは2013年1回目に死亡事故を出しているのだ。続けて開催するのにどれだけ苦悩されたか、数多くの大会開催を経験してきたものには痛いほどわかる。そして事故は自己責任という当たり前のことが日本ではなかなか受け入れられない実態も知っている。だからこそ継続開催しているこの大会に敬意と魅力を感じる。
 やってみようかという気持ちがむらむらと盛り上がってきた。そのためには短水路で3,000mは簡単に泳げないと、、、という気持ちで泳ぎ始めたわけだ。
 実際今年開催されるか否かわからないし、日程の都合も予算の都合も関係する。でもいざとなって、泳ぎ切ることが可能な状態にだけはしておかないと。

向こうに見えるのがプール、取り憑かれたように泳いでるオジサン見たら声かけてね。
【今日のじょん】前回おおいのプールに来たとき、のんびり外の芝生広場を眺めているとゴールデンレトリーバなんかを連れた人が来て、さっそうとフリスビーかなんかで遊ばしていたそうだ。「ちゃんと咥えてきて、めっちゃかっこええで」とかみさんが言う。「う~む、じょんは広い芝生に来てもヘコヘコと嗅ぎ廻っているばかりだもんなあ。ナナちゃんもそーやゆうてたなあ」うらやましい気もするが、まっいいか。

嗅ぎ廻るだけなら広くても狭くても一緒。

 

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穴虫考(149) 火葬-19 1/22 

2015-01-22 | 地名・山名考

2015.1.22(木)雨 近世三昧聖と葬送文化を読む-3

 穴ぬりに関して他の文書が出てきた。堺の三昧聖について書かれているところで、堺今市町の山家屋利兵衛家文書に残る葬式帳が紹介されている。(P194)
 中略ーこれも五月一八日付で「向井領三昧聖中」が山家屋利兵衛に差し出した受納書の「掃除穴ぬり料・木藁料」青銅三貫七〇〇文と同一とみていいだろう。

 また、貝塚の西之町に住む吉村家の葬式帳について次のようにある。(P196)
 たとえば、天保六年に亡くなった「たけ」(生後七日で死亡)の葬送では、杉本に対して礼銀一匁五分と「木わらぬり代」(火葬料であろう)二匁五分五厘云々

 上ぬり内の穴、穴ぬり料、ぬり代というように変化しているのだが、先に予想したように既に上塗りされた上等の火葬穴を使用したというより、その都度何かの作用を施したという風に考えられないか。固定の火葬炉を使い回す場合、焼かれた後は収骨、灰のかきすてなどで炉内表面が荒れることが想像される。それを掃除し、表面を粘土等で塗ってきれいに仕上げるということが上等の火葬炉として貸し出せるのではないだろうか。そう考えると「たけ」の葬送の「木わらぬり代」というのは木わら代とぬり代と分かれているのだろうし、前文の「掃除穴ぬり料・木藁料」という文言で納得がいく。
 なぜ穴ぬりにこだわるのかといえば、葬送が華美になってきたという考えも出来るが、火葬技術の向上発展の一例となる可能性もあるという思いである。しかしこれらのことについてはあくまで想像の域を出ないので、より多くの資料を読む必要がある。
 著者の意図とは裏腹に重箱の隅を突くようなことをしているのだが、中世近世の葬送、特に火葬の実態を知るには恰好の本であった。また世間一般には知られていない三昧聖の実態もかくも詳細に記されている本はないだろう。
 穢とか死穢などの民俗学的問題や中世近世に対する考察も実に鋭い視線で展開されている。ただ穴虫考で書くべきは上記の重箱の隅の事柄なので、これらについては省略する。おわり

マキノ町別所穴虫方面、このあたりに火葬場遺跡は見つかっていないかと歴民資料館に問い合わせる。
残念ながら見つかっていないとのこと。

 【今日のじょん】だんだん飼い主に似てくるとはよく言われることだが、じょんは最近随分寝坊になってきた。朝はかみさんが先に降りるのだが、サークルの中で尻尾ぴこぴことするだけ、ちっとも出てこないと言っている。今朝など極めつけで、雨のためレインコート着せたら、またサークル入ってしまったとか、、、。
おとーが降りてきたらしゃーないから出てきたところ。
 

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穴虫考(148) 火葬-18 1/21 

2015-01-21 | 地名・山名考

2015.1.21(水)曇り 近世三昧聖と葬送文化を読む-2

 著者の意図に沿うことなく、発見した事はやはり穴のことである。下八田村(現亀岡市)庄屋の杉原家の文政六年葬式帳に次の一文がある。
一拾五匁 西野々火屋ノ穴埋、真中壱ツ新拵候日雇賃、西ノ庄八へ遣
一拾匁  焼斗代

 天保六年葬式帳には
一弐拾目 西のゝ火屋之内、上ぬり内ノ穴、真中壱ツ拵候日雇賃、西ノ庄八ヘ遣ス
一拾匁  焼斗代遣ス

と記されている。「火屋ノ穴埋、真中壱ツ新拵」あるいは「上ぬり内ノ穴、真中壱ツ拵」とは、西野々の火屋内に複数の火葬穴があって、そのうち中央のーおそらく最上等のー火葬穴を用いた状況を示しているのであろう。(P169)

 これで穴というのが火葬穴、つまり火葬の炉、釜を示すものだということがわかる。「中世の葬送・墓制」に登場する「穴等拝見」の穴とは火屋(火葬場)の中にある火葬炉だろう。また、「穴賃」こそ拵候日雇賃のことだろう。
 穴虫仮説を出して以来悩んできた穴の意味がここにきてはっきりしたわけだが、新たな問題も出てきた。
 焼斗代とは、著者木下氏は火葬穴拵料とは別立ての火葬料を指すものと思われる、という風に書かれているがそれが何を意味するかは分からないようだ。他の文献にも焼斗代というものは出てこない、燃料費あるいは一晩火の番をする手数料だろうか。そのうち判明するだろうと思っているのだが、問題は「火屋ノ穴埋、上ぬり内ノ穴」である。
 穴埋は穴と同じ事なのかもしれないが、埋とは解せない言葉である。火葬炉を埋める事はあり得ないからだ。また、上ぬり内ノ穴、上ぬりとは一体何のことだろう。
 もともと火葬は平地に燃料を積んで遺体を燃やしていただけだろうが、やがて浅い穴を掘る、その穴部分を平らな石などをはめ、常設となる、という風に進化し、近代になると屋根があり、石はレンガなどに変わってくる。とまあ遺跡の写真などで想像しているのだが、この石張りの底や壁部分が粘土等で上塗りされているものではないだろうか。これらの進化は燃焼効率、保温性、収骨のしやすさなどの向上が考えられるが、炉の表面をきれいに仕上げるのは喪家により高級な火葬を選んでもらえるという効果もあるのではないだろうか。つづく

【作業日誌 1/21】ベランダ踏み台作り、引き出しまで完成

【今日のじょん】暖かい日が続くともうこれで春が来るのではと錯覚する。雪遊びももう出来なくなるかもと、雪山ぽんぽこをする。そういえば散歩道にはもうふきのとうが出ていた。いやいや節分が済むまでは油断したらあかんで。
 

 

 

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穴虫考(147) 火葬-17 1/20 

2015-01-20 | 地名・山名考

2015.1.20(火)雨 近世三昧聖と葬送文化を読む-1 
              
穴虫考 火葬-17は2015.1.15

 中世の葬送に関する本を軒並み読んで、穴が火葬場を表すらしいことを一番最初に読んだ「中世の葬送・墓制」の中に見つけた。これはどの文献にも出てくるぞとばかりに読み続けても一向に出てこなかった。著者の水藤先生に直接問い合わせてもよく解らない結果だった。中世がだめなら近世の葬送に関する本を読もうと最初に手を取ったのが本書である。そしてその中で、穴が火葬炉を表す事を見つけるのである。このことは既に書いたのだが、もう一度確かめておこう。
 「近世三昧聖と葬送文化」(木下光生著)塙書房 2010年9月5日第一版発行 府立図書館借本

これほどポストイットを使った本もめずらしい。
 本書を読む目的は、穴について書かれていることを探すこと、火葬の技術的なこと、特にその発展の様子を探ることであって、これは著者の意図するところとはまるで関係ない。本をどのような目的で読もうと読者の勝手だといえばそのとおりだが、著者に対してはあまりにも失礼で申し訳ないと思っている。「中世の葬送・墓制」では著者の水藤先生の意図とはまるで関係ないことを質問してご迷惑を掛けた。にもかかわらず丁寧にお手紙を頂き、励ましの言葉までもらって恐縮している。
 そんなことだから、どの本を読むときもまえがき、あとがき、著者略歴は先に目を通して、著者の目的、意図を把握し、それに沿って読んでいくことにしている。だから自分の目的が達せられた後も最後まで読むことにしている。
 本書は序章の中にそのことが書かれているのだが、実に30ページを超える長文で、理路整然と葬送文化の研究分野における課題が書かれている。一読しただけでは難解な部分もあるが、端的に研究に対する著者の見解が示されていて価値のある文章である。といっても何のことかわからないだろうから、最初の文を紹介しておこう。
 「本書は、近世日本の畿内近国社会で埋火葬・墓地管理の専門家として生きた、三昧聖(さんまいひじり・おんぼう)の実態解明を通して、日本近世史研究の中で三昧聖・葬送・死という分析対象を取り扱うことの積極的意義を模索するものである。」

 過去に読んできた葬送に関する書物では、墓地、火葬場、葬送、費用、仏教、寺、遺棄葬に関しての記述が主で、三昧聖については古文書の中に顔を出す程度であった。本書ではそれが主人公であり、三昧聖の実態、三昧聖からみた喪主、喪主からみた三昧聖、行政との絡み、相続や婚姻関係、居住、日常生活、近代への移行、賤視との戦い、灰や煙の公害、葬具業者等々あらゆる方面から三昧聖を見つめて書かれている。
 大坂、堺など都市部の墓所について書かれているものがほとんどなのは、三昧聖が本来火葬の技術職である事を示している。大坂道頓堀墓所の火葬人数が年1万人を超える年があるというのは驚きである。そのうち火葬は90%程度だということだ。則ち都市部では火葬がほとんどで、三昧聖の仕事は大部分火葬の処理と言うことだろう。
 本当は地方のことが知りたいと思っているのだが、第四章は「口丹波地方における隠墓の存在形態」というもので、旧桑田郡(亀岡市周辺)の隠墓(三昧聖のこと)や葬送の様子が詳しく書かれている。近世後半ではあるが、地方においても隠墓や葬具業者が居て、葬送の外注化がなされていたことは意外である。
 河原尻村(かわらじむら)庄屋の遠山家の葬式帳には隠墓や葬具業者までが登場し、土葬で行っているのだが、隠墓が居ることは火葬も行われていたとみるべきで、穴虫との関連も想像可能である。つづく

【作業日誌 1/20】ベランダ踏み台作り、丹州行ってき文庫引き出し作り

本当は薪割りしたかったんだけど、雨のため工作となる。

【今日のじょん】雪が解けてきたら、じょんのうんPがいっぱい出てきた。なんと18回分出てきたぞ。



 

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穴虫考(146) 西浜-13 1/19 

2015-01-19 | 地名・山名考

2015.1.19(月)曇り、雨 穴虫考(71)西浜-12は2014.5.27

 マキノ町西浜の穴虫については他項(別所、火葬)で書いてきたが、新たな発見もあったので改めて整理し、次回訪問の指標としたい。
 昨年五月のマキノ訪問以来、穴虫について穴蒸し仮説を発表した。穴虫とは火葬場に関連する地名であるというものだが、西浜には火葬は存在しないとおっしゃっていた奥野さんから海津天神社近くから偏壺(ママ)と地蔵が発見され、中には火葬による人灰(ママ)が入っていたそうだという情報が寄せられた。発見された壺等は調査のため滋賀県に移転されているということだった。それでかつて行ったことのある高島市民俗資料館に問い合わせたところ、その件については簡単な報告書があるので送ってあげましょうということになった。
 その壺がどのようなものかわからないのだが、おそらく中世から近世の骨蔵器であって、僧や武士など地位の高い人物のものだろうと想像した。いずれにしてもその地で火葬がなされていたという証拠になると考えた。その内容について報告しよう。

送っていただいた資料、壺見えるかな。
 発見場所 マキノ町西浜字権水(ごんずい)
 発見届  平成24年(2012年)1月31日     
 2011年秋の台風12号による土砂崩れによって発見されたそうだ。場所は海津天神社と権水寺の中間の丘陵上で、JR湖西線トンネル付近の高架線鉄塔下ということだ。
 
 遺物 14世紀後半室町時代の古瀬戸後期Ⅰ灰釉瓶子、器高24.1cm・最大腹
径15.5cm・口径4.6cm・底径9.4cm
    尚、この瓶子内には若干の火葬骨片が認められ、蔵骨器(ママ)に再利用されていた。他に小型の石造五輪塔部材が現地に点在する。

 予想通り骨蔵器であった。この報告書では蔵骨器と書かれているが、どちらでもいいのだろう。壺は室町期のものとあるが、火葬骨が果たしていつのものかはわからない。火葬骨から年代も判明できないものだろうか。
 報告書の所見では権水寺の開基が中世に遡れ、中世海津地域における有力者及び有力者集団の庇護の下、寺院・墳墓群が形成された一旦の証が今回の発見に繋がると書かれている。
 まさに今後の詳しい調査が期待されるが、わたしとしては火葬地としての穴虫の可能性に期待感が湧く。この骨蔵器発見地と穴虫と想像するポイントは直線距離900m、その間に一つ尾根があるのは宮津の国分寺と男山穴虫と同様の地理的環境でもあるわけだ。
 遺物の壺はマキノ資料館に、五輪塔などは現地に祠を建てて祀られているということだ。これらの遺物や穴虫、御墓、権水寺、海津天神を実際に見ること、火葬地遺跡が無いか調べること、真宗寺院などで聞き取れないかなど早くマキノに行ってみたい気持ちでいっぱいである。

【作業日誌 1/19】行ってき文庫引き出し作り、ベランダ踏み台作り

【今日のじょん】雪が解けてきたら、庭木や設備の悲惨な状態が見えてきた。まだ降るだろうしどうしたものか思案六法。とりあえずじょんのびアルペンルート開通。
 
オリーブの木もえらいことになってるぞ。      
 

 

 

 

 

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飛鳥 最大級の方墳 1/18

2015-01-18 | 歴史・民俗

2015.1.18(日)曇り

 テレビや新聞で大騒ぎになっている。タイトルは16日付の讀賣新聞1面の見出である。とりあえず切り抜きを保管しておこうと思うが、何とも興味が湧かないのだ。少し前のわたしならありとあらゆる資料をかき集め、近くで講演会でもあろうものならかこつけるというような勢いだった。今日は現地説明会の予定となっていたが、さぞかし多くの研究者や考古学ファンが集まっているだろう。舒明天皇だか蘇我氏だかどうでもいいという思いなのだ。それは歴史の上で庶民の生活に目を向け始めたからである。もちろん古代の庶民の生活には興味がある。出土する諸道具や木簡などから想像するのは楽しい。古墳だってそうだ、舒明天皇や蘇我氏がどうのってのはあまり興味がわかないが、あの濠をどのようして掘ったのだろうとかどのように測量したのだろうとかは気になるのである。つまりどんなに優れた建造物であっても、美術品であってもそれを作り出しているのは名も無い底辺の民衆であることを思えば、天皇がどうの豪族がどうのってのは単なる知識ぐらいでいいのじゃないかと思うのである。

 もう一つ歴史ファンにとって人気だろう催しは東京国立博物館の「みちのくの仏像」特別展である。黒石寺の重文「薬師如来坐像」ほか多様の仏像が集まるそうだ。京都ぐらいなら見に行きたいが、東京まではちょっと、、。
 讀賣新聞に国立博物館の研究員Mさんのことばが載っている。「坐像の表情がきついのは、朝廷が東北の人びとを威圧する意味を持つのかも。あるいは逆に、東北の人々の朝廷に対する抵抗の意志が込められているからかもしれません」この像がアテルイの降伏の60年後、東北支配を受け継いだ人々によって造られたとあるので、Mさんのことばには重みがある。今回展示はされないが黒石寺の円仁像についても書かれていて、「こちらはだいぶ、表情が柔らかい。中央に反発しながらも、仏教が年月を経るうちに浸透し、東北の人々に安らぎをあたえるものになっていったことが実感されたのである。」と書かれている。確かにそのとおりかもしれないが、円仁が征服後の東北を慰撫して廻ったというのはどうもきれい事過ぎる。二度と抵抗のないように、仏教という新しい宗教に代えることによって彼らの祀る神々を抹殺するという、朝廷の意図があったのではないだろうか。


【今日のじょん】夕べは前半雨、朝方雪となっていたようだ。こういう日は獣はやってこないのだが、何度かじょんが吠えかけていた。起きてみると足跡があるある、少なくとも小動物が二匹、そしてドッグランどに始めて鹿が侵入していた。これはショック。

嗅ぎまくり

ドッグランどに鹿登場

小動物は川からと山からと

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あなしら上林-3 1/17

2015-01-17 | あなしら上林

2015.1.17(土)雪 二、生守山その二

 かんばやし里山新聞第4号が発行されたので、記載の「あなしら上林」二 生守山その二を公開する。

あなしら上林
二、生守山 その二
 生守山(丸山)へ行くには、大唐内(おがらち)から丸山の尾根、小唐内(こがらち)から鼻峠、市茅野(いちかや)から坪坂峠経由の道がある。ただし、大唐内コースは上部から降りてきたが、尾根取り付き位置が不明だった。小唐内コースはかつて児童の遠足コースで最も利用された道かと思う。ただし2012年の大雪による倒木で歩行困難になっている。市茅野コースは歩いたことがないのだが、峠から見下ろした感じでは踏まれていない様子だ。

(写真1 鼻峠、写真2 豪雪後の坪坂峠のお地蔵様)
 結局生守山に行くには現在の処、府道一号線がおおい町に入った永谷坂峠先の左手(永谷(ながたん)の廃村のところ)の林道を詰めて分岐の広場を左にゆくとすぐに坪坂峠に出る。後は尾根上をたどると生守山に着く。府道から頂上まで一時間半から二時間ぐらいか。
(写真3 小唐内谷から生守山) 
 さてこの生守山、廃村生守村が産鉄の村ではと突拍子もない予想をしたのは幾つかの理由がある。
 おおい町に野尻銅山(銅、黄鉄鉱)若狭鉱山(犬見、鉄鉱石、ニッケル)大島鉱山(クロム鉄鉱)舞鶴市に舞鉱山(含銅硫化鉄鉱)がかつて稼働していた。
 老富町周辺の岩石の多くに磁性があり、蛇紋岩の路頭もある。
 大唐内にはマンガン坑跡がある。
 生守山北のコルには水、燃料、風がある。
 光野町で金鉱試掘がなされている。(綾部市史資料編)
 鬼の岩穴、鬼のナベ滝、大蜘蛛伝説あり
 永谷坂峠を下りた、馬こかしの所に逆しま谷がある。(日本山岳伝承の謎)

 とまあ参考になる事項は沢山あるのだが、産鉄の証拠というのは鉄滓でも出てこない限りつかめない。アマチュアに出来ることは、周囲の地名を調べることだ。
 生守(いもり)鼻(いのはな)地名は鉱山の臭いがする。日本地方鉱床誌近畿版で調べると、飯盛鉱山(和歌山県、銅、亜鉛、鉄鉱石)鼻鉱山(京都府、マンガン)の二ヶ所が示されている。しかし全国の鉱山名を調べてもこれらの名前は出てこない。
 鼻の地名語源を探るため京丹波町の鼻を訪ねる。地元の方にお話を聞いて廻っていると、府道二十六号線沿いに鼻の地名由来となる岩があるという。その地に行ってみて思わずニヤリとしてしまった。二つの穴があって、猪の顔そっくりなのだ。穴に入ってみてまたびっくり、これはどうもマンガン鉱を掘った跡のようだ。三宮から冠石峠を越え産廃処理場を越えて初めて民家が出てくるところの左にこの岩はあり、すぐに目につく、火打石と言うところだ。
 鼻(いのはな)の由来が猪の顔に似た岩だとすると話は大変面白いのだが、残念ながらこれは時代が合わない。あの岩の穴は人工的に掘られたもので、昭和か古くても大正期のものだろう。地名はもっともっと古いものである。つづく

(写真4鼻岩(ししばないわ))
※あなしら上林は「あなたの知らない上林」の意

【今日のじょん】夕べはギャーコンが鳴いた。ギャーギャーギャーと鳴きながら府道を歩いて行くのだが、時々コンともワンとも言えないような鳴き声がつく。ギャーコンと呼んでいるのだが、おそらくキツネだろうと思っている。朝になってクンクン嗅いで廻っているので、足跡を探すが、この残雪ではいかんともしがたい。そのうちうんP始めたので、なんやそんだけのもんかいなということになる。

アップして左の木の陰を見ると、、、、。

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