晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

四條畷歴民資料館 10/21

2014-10-21 | 晴徨

2014.10.21(火)曇り

 おそらく一生訪ねることのなかっただろう四條畷市に、かみさんの病院通いの
ために4回目の訪問となった。診察時間の合間に市内を散策するのが楽しみで
昨年の秋には飯盛山にまで足を伸ばした。(2013.10.8参照)
 今年の予定は四條畷神社参道の古本屋、斜陽館である。昨年訪れた時に
柳田國男の全集が一冊200円で販売されていたのである。時間が無かったので
2冊を買ったのだが、残りをゆっくりと見てみたかったのだ。ところが、この
春に訪れた時も今回も店は閉まっていた。というより、この参詣道の店の多くが
シャッターを閉めている。何となく淋しい気持ちで、四条畷駅から歴史民俗資料館
への道を急ぐ。案内では片町線の線路につかず離れずに行くと書いてあったが、
実はその道は一本道ではなくて、ジグザグに歩いて行くのだ。
でも資料館の道案内がしっかりしてあって、見過ごさなければ簡単に行き着ける。
 道中は住宅街の中なんだが、ザクロや柿が鈴なりになっていたり、稲掛けの
田んぼがあったりで、田舎より田舎っぽい風景に出会う。これはなんとも奇妙な
感覚だ。

何となく淋しい参道の商店街、街中に稲木干しを見つける。
 市立歴史民俗資料館は四条畷駅から北へ900m程、東高野街道の脇にある。
明治時代の裁判所出張所の建物とかで風情のある建物で、ちょうど「まじないと人」
という特別展の開催中であった。
 北河内における縄文時代から安土桃山時代の祭祀遺跡というサブタイトルで、
実に興味深い催しだった。

 写真撮影も可能で撮りまくったのだが、立派な冊子をいただきその必要はなかった。
                        つづく
【今日のじょん】いつもより1時間早く起きたら、霧の世界だった。散歩時は視界
500mってところか、山の端に日の出が幻想的である。
 
 

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晴徨 菟原中村-5 10/26

2012-10-27 | 晴徨

2012.10.26(金)晴れ

 10:20   じょんのび村スタート~山家~質山峠~梅原~河内ヶ野
 12:20   菟原下猪ノ倉昼食~菟原下、中、高杉彷徨
 15:30   菟原中出発~往路と同じ~上谷厄神~広域農道
 17:33   じょんのびゴール(70,3Km)

  サイクリング絶好の季節となった。二週間サボったので身体も重いし、出かけるのがおっくうになっている。第一季節が変わって、衣装が分からない。長袖にすべきか、タイツは必要か、ウィンドブレーカーはとか悩んでしまう。
 結局バイクパンツに、膝下のタイツ、半袖ジャージにウィンドブレーカーのいでたちで出発、衣装が増えると動きが悪い。ただ、水だけは真夏の1/3で済む。そして今日はリヤキャリーに取り付けた荷物箱の試運転という意味もある。P1030121
 



ご存じファーストラブ6世号、ツールボックスの荷台を付けたが格好良くない。

 菟原に通い始めて五回目となる、往復70Kmの距離は運動量としては手頃である。ところが往路復路がいつも同じというのは飽きるものである。かといって遠回りするのもしゃくだし、いつもの道ながらちょいと違うルートを走ってみる。
 じょんのび村から山家までの府道1号線は致し方ない。山家からは由良川左岸の府道450号線を走るのだが、なるべく旧道を走るようにしている。山家駅から下原辺りまで、賽神社といっただろうか辺りまで旧道を通るが、西原へ由良川を渡る辺りも旧道がある。新道が面白くないだけ、旧道はなにか期待ができる。果たして古そうな地蔵さまが並んでいた。
P1030118




 この道も綾部からの京街道の一つなのだろう。この旧道もすぐに新道に合流し、国道173号線に出合うまでは迂回路は無い。
 野田町に出ると新綾部大橋の下をぐるぐると回り国道に出るのだが、国道に出ないで旧道を質山峠に向かうことができる。ごみ処理場までは車も通っているし、その先も走れそうに思うのだが国道から覗くと草深くて気味悪そうだ。一度帰路の下りの時に試走してみようと思っているが、いつも急いでいるので実現しない。
 質山峠を越えての下りも単に気持ち良く走るだけで無く、高橋の旧道を走ってみたいと思っている。しかしこの部分は短い距離みたいだ。その後国道9号線まではいつもどおり、菟原に入ってからは新京街道、旧京街道を探りながら進む。これは別稿で御紹介したい。
 さて帰路だが、いつもと違うのは西原から上谷厄神社へ廻り広域農道から旭町に出る。地図で見る限り絶対に近そうなんだが、時間的にも疲労度でも変わりない。距離が短くても坂がある場合は有利ではないようだ。長宮から岼への長宮峠でもそうだ、距離は短いが時間は余り変わらない。急がば回れということか。

【晴徨雨読】87日目(2006.10.26)小原温泉~福島市
 小原温泉の魅力はお湯もさることながら、渓谷である。到着日には余裕が無かったので本日朝に渓谷を巡る。スケールの大きい渓谷で、京都や丹波の谷など問題にならない。両岸は切り立って墨絵のようだし、水量が多くて恐怖感さえ覚える。随所に温泉が湧き出ていて湯気を立てている。その量も半端じゃない。ただ、壊れた旅館がそのまま建っており、ソファーやテーブルなども見える。一人で歩いているとこれほど気味悪いものもない。Img_1404 Img_1413
 



この左岸に遊歩道があるとは思えない。右に日帰り温泉向こうに滝が見える。
道中自然の温泉が湧いているのは風情があるが、廃墟の旅館はいただけない。


 この日の感動はこれだけではない。小原の材木岩という柱状節理で、スケールが馬鹿でかい。さすがに観光バスなども訪れていたが、実は小原温泉同様存在さえ知らなかった。
 そして七ヶ宿街道と小坂峠である、全線を歩いてみたい街道といえば、六十里街道とここである。Img_1444 Img_1467




小原の材木岩、これが延々続いている。
七ヶ宿街道小坂峠、ここから福島県。


【今日のじょん】:土師器発見、といっても土器の底の部分で直径6cm程度か。ここでは破片ばかりなので、ちょいと満足、場所の写真には必ずじょんが居る。P1030116
  

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晴徨 菟原中 10/5 

2012-10-05 | 晴徨

2012.10.5(金)晴れ

 11:14 じょんのびスタート
 12:22 質山峠~下川合~梅原祇園社~
 13:00 辻愛宕社、昼食 
 13:20 スタート~柏田~脇淵~別所~梅田社~龍源寺~宿
 15:40 菟原両橋スタート~同じ経路を帰る
 17:00 山家
 17:40 じょんのび着 71Km

 悪かった天気も金曜日には晴れる。菟原中の訪問も4回目となる。今日の目的は龍源寺さんに「菟原村史」をお返しすること、不寝の森の探索であるが、旧京街道の探索や別所、薬師谷の探索に時間を費やし、不寝の森については一部しか探せなかった。別所、薬師谷、旧京街道の探索は「別所探訪」に記事を譲るとして、その他の訪問地点を紹介しよう。
 この一ヶ月の間に随分気温も下がって、疲労の度合いもかなり少ない。峠も楽に登れるが時間は変わらない。
 作日明治29年の陸測部(大日本帝国陸地測量部)地図を見る機会があって、今日のコースを見ていると、下川合の三和ダッシュ村から先の府道59号線部分はまだできていないのだ。梅原に行く府道709号線、土師川左岸の道と、現在の府道59号線の少し山手に道が走っている。この道は子供時代に一度だけ通ったことがある。道理で府道59号線部分には地蔵さまなど無くて、709号線にはあるんだなどと考えながら走る。そのお地蔵の手前に住居跡があり、石垣や棕櫚などが残っている。P1020915
 
川合川左岸の住居跡、自転車でないと見つけられない。



 そして細見梅原も当時は下川合となっている。大正七年(1918)に分村したそうだる
 梅原を走っていると左手に小さな祠があるので昼食でもとろうかと寄って見る。お祭りの準備の方に神社名を聞く。祇園社ということで、隣の稲荷さんは単に稲荷さんということだ。水鉢には天保五年の銘があり、旧いものだと言っておられた。梅原という地名から開拓地だと思われるが、今となれば高台で開放感のある良いところだ。P1020917
 
梅原の祗園神社、祭神は素戔嗚命他、文政年間の創設。




 人の居られるところでの食事も落ち着かないので、辻河内ヶ野(こうじがの)まで足を伸ばす。
街道脇に愛宕さんの祠があり、そこで食事をとる。その後は柏田の道わけ地蔵を右にとり、旧京街道探索をする。これ以降は別稿に譲ることとして、晴徨報告を終わる。
P1020918P1020920
河内ヶ野の愛宕さん。




【晴徨雨読】66日目(2006,10.5)鹿部~長万部
 北海道らしいといえば北海道らしい、何も無いところを99Kmも走った。道沿いに遺跡とか名所とかあれば立ち寄って話題作りも出来るんだが、景色と言っても殺伐としているし、大型トラック、バスがバンバン走り、面白くも何ともない一日だった。Img_0981

あきるぜ。



【今日のじょん】:先日のど根性里芋が大きくなった。草刈りの人もちゃんと残していたようで、そのうちあや新に載るかしら。ど根じょん芋なんちゃって。
P1020912P1020913           

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晴徨 三和町菟原中 9/28

2012-09-28 | 晴徨

2012.9.28(金)快晴

 10:48 じょんのびスタート 下川合で昼食10分程度
 12:55 菟原中着 影清稲荷、龍源寺、宿界隈彷徨
 15:10 菟原中スタート(35Km)
 17:16 じょんのび着(66Km)

 7月から始めた晴徨シリーズも2ヶ月がたって疲れが溜まってきた。ロングライドはこの辺にして短いところでお茶を濁しておこうかと思っていたら、絶好の秋晴れとなってしまった。そのうち雨も降るだろうから走れる間に走っておくかと出かける。
 夏とは違って気持ちが良い、汗もかくがすぐに乾いてしまう。道中立ち寄りたいところもあるのだが、菟原でなにかと行きたい見たい所があるので先を急ぐ。
 下川合の三和ダッシュ村の前で休憩中の人に声を掛けられる。誰かいなと思ったら、いとこの西村さんである。何十年も付き合いが無かったのに最初の菟原訪問時に出合ってから、メールのやりとりしたりしている。それにしてもここで逢えるかという感じで、一緒に昼食をとる。
 影清稲荷の祠の中の写真を撮りたいと言うと、区長をされている滝本さんに電話して照会してくれた。自転車乗りの派手なスタイルで神社の祠をごそごそしているとそれこそ通報ものだと心配していたのだ。
 そう今日の第一目的は、影清稲荷の毘沙門堂の祠の中にある、板に書かれた墨書を写真に撮ってくることなのだ。
 前回同様京街道を通って菟原に急ぐ、菟原下の京街道未踏の部分も通ってみるだけで観察の余裕は無い。早速区長さんに連れてもらって影清稲荷の探検をする。この詳細は別稿別所探訪でお知らせしたい。P1020849
 
影清稲荷の神前ではかつては奉納相撲が行われたそうだ。
力士景清の伝説に由来するのだろうか。


 続いて龍源寺を訪ねる。住職に色々と質問をしていたのだが、不寝の森は細野峠の麓の宿(しゅく)という街道沿いの宿場町の辺りにあったそうだと聞き驚く。不寝の森はてっきり別所にあったものだと思っていたからだ。詳しい方がおられるというので紹介して頂く。また、探していた菟原村史をお借りすることまで出来て、お礼を言って龍源寺を後にする。
 紹介された家は宿のあたらし屋さんというもと宿屋である。訪ねるとご主人がおでかけで、すぐにお帰りと言うことなので、細野峠に向かってみる。不寝の森は街道沿いにあるというので、それらしい候補を探しておいて、聞いたときに解るようにと、観音清水300m手前まで走ってみた。 
 番屋跡でもあるというので、さほど奥でも無さそうだし、家並みが終わった先の切り通し辺りかなと写真に収めて帰ってきた。P1020861
 
観音清水300m手前の分岐、ここまで砕石が敷かれ街道らしくない。


 まだご主人は帰っておられなくて、地元生まれの方がおられる家を紹介して頂く。
そこで聞くと、詳しくは判らないが、府道から入った辺りに谷があり、その谷ではなく山の所らしいということであった。宿の先かと思っていたのが、手前であったことに又しても驚く。
 その辺りを探していると、それらしい広場もある。うろうろしていると植林の中にもぬけの空になった祠を発見、もうこれに違いない。山手と聞いていたのとは少し違うが、移転後の祠があれば間違いない。納得して帰ろうとすると、あたらし屋のご主人が帰ってこられた。P1020870

こりゃあ、祭神移転後の祠と間違うよなあ。



 「不寝の森はここですね、空の祠がありますが、、」
「そんなもんないやろ」
「いや、ありますよ、ほら」
「こりゃあ、ここのもんが楽しみに作りよったんやがな、ほら川合の小原なんとかさんに手伝うてもろて、、、」
「重夫はんですか」
「そうそう」
「道理でなんか新しそうですなあ、でも本当の不寝の森はどこですか」
「あの山の中や、街道はあの山を通っていてなあ、ようけ家もあったんやで。道は三尺ぐらいのもんで、ぐるっと回ってうちの横へ降りてきてたんやがな」
「道は今でも残ってますか」
「残ってるで、宿屋もこの宿に6軒あってさかもと屋と油屋と但馬屋は山の方にあったんや、あたらし屋と藤屋と真粉屋(しんこや)はこの通りにあるやろ」P1020865

一番奥にある真粉屋さん、立派な構えである。



 いやはやこれが一番驚いた。郷土資料館の「京街道をゆく」も細野峠のパンフレットも立て看板も、この道には気づいていないのだ。だからこそ不寝の森跡という表示は無いわけだ。P1020872 P1020874
 



左:街道は分譲地に行く舗装道路の上の林の中を走っている。
右:街道は二件目のあたらし屋さんの横に出てくるもので、この坂は新道。どの案内もこの坂が街道となっている。

 さっそく歩いてみたいが、時間切れだ。次回の楽しみにして、帰路を急ぐ。
 弁当箱も水筒も空になったけど、いっぱい新しい発見を詰めて帰る道は楽しい。

【晴徨雨読】59日目(2006.9.28)青森~八甲田雪中行軍遭難資料館~雲谷
 八甲田雪中行軍遭難事件については学生時代から本で読んでいたが、現地を訪れるか否かで理解度が全然違う。例え軍隊の行軍で無くて、国家であっても間抜けな指導者に先導されると遭難してしまうぞという教訓である。Img_0890

記念館では遭難の本質がわかりにくい。



 【今日のじょん】:今日朝水口さんの奥さんが「脱穀するんやで~」と言っておられた。帰りにはすっかり終わっていた。天気良かったから5日間の乾燥で良かったそうだ。台風来てるて言うし、絶好のチャンスやったみたい。P1020838 P1020881

ビフォーアフター
 

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晴徨 京街道を走る(2) 9/22

2012-09-23 | 晴徨

2012.9.22(土)快晴

 帰宅後改めて「京街道をゆく」の冊子を眺めていると、菟原下の街並みが京街道でないことがわかる。国道から右に街に入るところを150mほど先で右に入る細い道がある。ちょうど街並みの裏になるような道だ。やがてその道は街並みの道(旧国道か)を斜めに横切って、河原に向かっているようだ。街並みの部分が京街道だと思い込んでしまっていたので、この部分は次回訪問の時に御紹介したい。
 そんなだから土師川を渡るところも見当もつかない。やむなく細野峠方面から逆に辿ることにする。
 両橋を渡ってすぐに右折し、影清稲荷の前を通過し、高杉に向かう府道79号線を横断する地点に出る。そこに「山陰道細野峠越」という立派な看板がある。その斜めの道が街道である。P1020794

右は高杉に向かう府道、左の坂を登って行く。



  丘を越えるまで両側に家があり、かつては宿屋もあったそうだ。弁柄の家があったりして、昔の風情が残っている。丘を越えると下り坂となり、家並みも消えて山中となる。鋪装がなくなったころ峠への案内板が現れてくる。峠越えは今日の目的でないのでここまでとする。P1020796
 
細野峠取り付き、MTBなら越えられそうだ。



 元来た道を引き返し、府道を渡ると影清稲荷の道なんだが、左に入る路地のどれかが京街道の道なのだ。河原に続いていそうな道に入る。ところが段丘を下る部分になると左に旋回し友渕川に突き当たってしまった。
 また元に戻り、次の道を左に入る。今度はより直線的に下っており、まさかと思っていたら右手に地蔵堂が現れた。その下に農作業中の滝本さんとおっしゃる方がおられて、道を訪ねる。
「京街道はどこですか?」
「これが京街道やで」
「この道を下るんですか?」
「いや、そこの草道が京街道や」
「なるほど、川の渡しはどこにあったんですか?」
「あそこにポンプ小屋みたいなのが見えるやろ、そこに以前は木の流れ橋がかかっとったんや。そこから下の町の方へ上がっていく道と、梅田神社の前を通る道があったんや」
 徒渉地点の予想は当たっていたが、この段丘の中に隠れた坂があったとは驚いた。この坂はバンド坂と呼ばれ、地蔵さまはバンドの地蔵と呼ばれているそうだ。なんでも旅の職人が彫ったということである。P1020800 P1020799
 



左:右手の急な坂から道を渡り、左手草むらの中に入って行くバンド坂。
右:バンドの地蔵



これで一応辻から細野峠取り付きまでの京
街道巡りは完了した。一部未確認のところは次回訪問に譲って改めて報告致したい。終わり

【晴徨雨読】53日目(2006.9.22)奥入瀬~八甲田、酸ヶ湯温泉~弘前
 奥入瀬から酸ヶ湯に向かう登りは(傘松峠)一級品だ。峠列伝でも困難度5を付けている。急でカーブが多く狭い、観光バスでも来たひにゃあ最悪だ。
 紅葉が遅く八甲田も少し早い。酸ヶ湯だけ入って早々に下る。一気に弘前まで走る。Img_0799

酸ヶ湯温泉から大岳か、紅葉は全然ないのだが、9日後に再訪したときは最高の紅葉となっていた。




【作業日誌 9/22】
しだれ桜消毒(葉が茶色く枯れ始めた)

【今日のじょん】:夕方にモモ姉さんが来たんだけど、神経を病んで動作がおかしい。斜めに傾いて歩いているようだ。可哀想でカメラを向けられなかった。もっとも写真や動画で分かるほどではないのだが、、、。

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晴徨 京街道を走る(1) 9/21

2012-09-22 | 晴徨

2012.9.21(金)快晴

 秋晴れで絶好のバイクランの機会なのだが、買い物の用事があって車での出発となる。食糧を仕入れ、買い物を済まし三和町支所にある郷土資料館に向かう。資料が無いものかと探すがこれといった物が無く、民具などの展示品も少ない。見れば隣室に資料や民具、農具などが山積みされている。これ等を分類整理して公開すれば随分立派な資料館になろうかと思うが、そういう気概は無いようだ。
 つづいて支所の近くにある図書館に行く。ここは先日訪問済みで、調べたい資料があったので確実に調査できることとなった。
 もう帰ろうかなと思ったとき、書架に「京街道を行く」(三和町郷土資料館)という冊子が目に付いた。地図、写真、案内文がわかりやすく書かれており、早速辻から細野峠までの部分を複写して、実際に走ることにする。
 図書館スタート 14:07 ~細野峠取り付き
 図書館着    16:30 13Kmの晴徨である。P1020770

スタート地点の三和会館(図書館)街道沿いにある。 


千束から国道9号線を下ってくると辻の交差点に出、左は中出方面に行く。国道と中出に行く道の間に京街道サイズの道がある。この道を進むと細見川が渡れないので、一旦梅原方面に迂回する。国道を渡りなおして、少し行くと左手に地蔵さまがある。細見川の徒渉点はここかなと思ったが、もう少し上の民家が並んでいる通りのようだ。細見川に向かって道が続いているが、やがて草道となり河原に向かっている。P1020771 P1020773 P1020772
 



左:辻の交差点、左が国道9号線、右が中出(なかで)に行く府道、真ん中が街道。
中右:細見川を渡る部分は通れないので迂回する。国道を渡って坂を上がってきたところ。下に見えるのが国道、ここに地蔵さまがある。


P1020774P1020775 



左:迂回路の坂を上り詰めると街道がある。細見川の方に戻ったところ。
右:街道を行くと、古い五輪塔などもある。


 道を引き返し、菟原に向かう。このあたりが河内ヶ野(こうじがの)というそうだ。道々に古い地蔵さまや祠がある。
 直進の道が土道となり、左下に舗装道路が有る三叉路となる。道なりが正しそうなので進むが、すぐに薮に阻まれる。冊子の地図では急な曲は無いようなので、この薮道が本来の道のようだが定かでは無い。その先は河岸段丘の気持ちの良い道で、菟原やその先の山々が美しい。P1020778 P1020777
 



左:鋪装道は左に曲り、直進は土道
右:土道は100m余りで薮で行き止まりとなる。しかしこれが本街道ではないかと思うのだが。
P1020779P1020716 



気分の良い道を走ると柏田の道わけ地蔵に出合う。ここを左にとる。

 やがて菟原下の柏田というところに至り、「右 ささ山道 左 京」の道わけ地蔵に着く。前回はここを右にとったが、今回は京街道を辿るのが目的だから左にとる。
やがておそろしく急な下り坂となり不安になってくる。案内の文を読んでいると問題ないのだが、いきなりでは不安だ。
 不安なまま進むと右手に供養塔のある地蔵さまが現れ、すぐに柳瀬橋が現れる。P1020780 P1020781




道わけ地蔵の先はえらい下り坂がある、写真はふり返っているところ。右が街道。
そのまま進むと右手に柳瀬橋の供養塔が現れる。

 橋を越えると集落の中を登って行き、国道に近づいていく。
畑仕事のおじいさんに、「京街道はこれですか?」と尋ねると、そうだと言う返事。
「国道に出てしまうんですか?」「出てもすぐに右手に街道があるよ」と教えてくれた。
なるほどすぐに街道に戻り、菟原下の宿場町に入ってきた。つづく
P1020784P1020785P1020787   



左:蛇行する土師川を渡る柳瀬橋。
中:街道は国道に出てしまう。写真はふり返って撮ったところ。
右:国道を少し走ると、菟原下の宿場街に入って行く。

 【晴徨雨読】52日目(2006.9.21)大湯~十和田湖
大湯から発荷峠まで、なんとも寂しい国道だった。胡桃や団栗が道中に落ちていて、熊が出ないかおそろしくなる。この年は通常の6倍だったか、熊の出現の多い年で、十和田でもパトカー出動騒ぎがあった。景色は十和田、奥入瀬と最高。Img_0776

発荷峠から十和田湖。



【今日のじょん】:土師器、須恵器発見現場の写真。右手辺りが土師器、電柱の向こうが須恵器。じょんはかんけーネエけど写ってるだけ。P1020760  

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晴徨 三和町菟原中(3) 9/16

2012-09-16 | 晴徨

2012.9.16(日)晴れ

 菟原中は中学校名ではなく、かつては菟原中村(うばらなかむら)、現在は大字名である。菟原には中、下があって上がない。あえていえば高杉が上に当たるのだろう。P1020732
 



八幡神社からの眺望、菟原中、菟原下方面。鳥居の真下の森が景清稲荷(ゴウドの森)、左上に見える白い鶏舎の所が別所。


 綾部から三和町岼に抜ける長宮峠の話に戻るが、三和町史(上巻)を見ていると道しるべの写真を見つけた。「右 たの あやべ たなべ 左 やすば 大しま たんご」とある。切り通しの附近にあるのだろうが、次回探してみたいと思う。
 「丹波志」に「右ヘ下レバ何鹿郡田野村ナリ、牛馬道、左ニ下ルモ同郡大嶋村ノ内安場ニ至ル、、、」とあるので府道部分が以前から牛馬道としてあったのかとも思われる。もしそうだとすれば長宮不動から谷沿いに直登しているのかと想像する。いずれにしても府道沿いにはかつての往来の雰囲気はない。
 さて、菟原に戻って、八幡、天神社だが、いつものように摂社を覗いて回る。摂社の方がその地に元々祀られていた可能性が高いからだ。
 外に一社、本殿の中に二社あるのだが、確認できるのは丸に金の紋で金比羅宮ぐらいだ。古い木造の神像があり、朝鮮風の衣装のものが気になるところである。P1020735
P1020727P1020730 
 


左:八幡宮、天神宮の扁額
中:本殿左の摂社、木像に注意
右:社殿内の摂社、金刀比羅宮か。


 もうひとつ不思議な鉄の板を発見した。社の建築材料か、装飾品か解らないのだが、15cmぐらいで三枚ある。古代の輸入鉄材料の鉄ていの形をしているのだが、それにしては形がしっかりしている。いずれまた調べてみよう。P1020728
 




 龍源寺に降りて行くとちょうど住職がおられたのでお話を聞く。
きれいに整備された庭に宝篋印塔は立っている。三和町の指定有形文化財の第一号ということで、傍らに金属の案内板も立っている。
 「龍源寺も宝篋印塔も別所にあったそうですね」と聞くと住職はいぶかしそうな顔をしておられた。全国別所地名事典の写しを持っていたので、差し上げてきた。
 龍源寺や宝篋印塔のことは同事典に記してあり、福林寺で聞いた話となっている。柴田氏は龍源寺には取材していないのだろうか。果たして三和町史で見た限りでは、龍源寺、宝篋印塔が別所にあったとは一言も書いていない。P1020737 P1020736




 同地域にわたしのいとこが居るので寄って見る、今後の調査の助太刀をしてもらおうと思っている。なにしろ自転車乗りの服装で地域内をうろうろするのは大変なことだ。怪しげな者が居ると通報でもされかねない。
 空模様も怪しくなってきたし、今日のところは帰ることにする。別所自体には行けなかったが中身の濃い菟原中訪問だった。おわりP1020738

龍源寺、お世話になりました。 



 【晴徨雨読】47日目(2006.9.16)秋田駒登山、黒湯温泉行
 生保内(おぼない)あたりから、魅力的な山容が見えていた。登ってみたいと思わせる山だ。バスで八合目まで行けたので、簡単に登れた。そして下山後自転車で乳頭温泉郷、黒湯に行く。お湯もさながら、なんとも濃い一日だった。ミズの醤油煮といった超珍味も体験する。Img_0670

山上から田沢湖、明日は一周予定。



【今日のじょん】:なぜ一粒だけ残すのか?P1020743

15日夕食。


 作日は一粒、一昨日は二粒、一昨昨日は一粒、今日は大量の残量。
当初はフードがボールにくっついて食べられないのかなあなーんて思っていたのだが、実はこれには深~い訳があったのだ。つづく

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晴徨 三和町菟原中(2) 9/15

2012-09-15 | 晴徨

2012.9.15(土)晴れ、曇

 岼から府道59号線を下川合まで下り、三和ダッシュ村のところを左に入る。この道は実は府道709号線で、長宮峠の道も府道709号線なのだ。綾部中山線というそうだ。川合から千束(せんぞく)、菟原(うばら)に行くには絶対に近そうだ。中学校時代は自転車通学だったので、月に一度ぐらいはこの道を通っていた。なぜいつも通らないかというと、新しく開鑿された道は地道で、おそろしく尖った岩が道に埋まっていたのだ。パンクでもした日には大変なのでそうそう走れなかったのだ。もちろん府道も地道だったが、車が走るため表面はきれいにならされていた。それでも景色は良かったし、アケビなど採ることも出来たのでたまに通っていたわけだ。そんな道だから今では荒れて走れないのじゃないかと不安になったが、入ってみてびっくり、鋪装はされていて、車の通行もある。
 少し行くとそう古くは無さそうだが二体の地蔵さんがある。やはり古の通行はあったわけだ。P1020714
 
下川合から少し入ったところにあるお地蔵。



 寛政十一年の丹波大絵図には先程の長宮峠の道もこの道も掲載されていない。街道としては国道173号線、府道59号線が主要だったようだ。
 やがて土師川を渡って辻に出る。そのまま国道を渡って脇道に入ることもできるが、少し国道を走って、府道710号線を走る。国道9号線の喧噪が嘘のような静かな良い道だ。この道も丹波大絵図には載っていないが、主要な道だったのだろう。随分趣のある道標が柏田というところに大切に保存されていた。P1020716
 
「右 
さ々山道 左 市」とある。市は小字市場のことだろうか。
(これは後日「左 京」と判明、失礼) 



 菟原下に入ると鶏糞の臭いがしてきた。目的の別所はこの養鶏場のあるところだそうだ。
 解るところから見ようと、影清稲荷に行く。鳥居や水鉢に入った銘を探しながら進んで行くが、草が茂っていて気味悪い。本殿はともかく摂社で思わぬ発見をする。三つある摂社の内、小〇稲荷と不寝(ねず)大明神は知っていたのだが、右の一社が毘沙門天を祀っていることだ。これらのついての考察は別稿に譲るとして、山の上部に見えている龍源寺に行くことにする。P1020717
 
菟原の郵便局の前を南に入ったところに景清稲荷はある。



P1020720 Img_0660_2

出来上がった観光地は何の魅力も無い。



【今日のじょん】:先日ご案内のダイコーの長布団、じょんは気に入らないようなので一晩おとーが使ったが、翌日から何事も無かったように使っている。一体何やったんや。P1020742

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晴徨 三和町菟原中(1) 9/14

2012-09-15 | 晴徨

2012.9.14(金)曇

 10:35  じょんのびスタート~山家~田野町
 11:37  田野町長宮(長宮峠下19,3Km)、府道709号線
 12:11  三和町岼長宮(22,7Km)
 12:22  岼渋谷神社昼食
 12:35  渋谷神社スタート~下川合から梅原に向かう府道709号線~R9~         府道710号線
 13:15  菟原中影清稲荷着(34,2Km) 龍源寺等訪問
 14:32  菟原小学校スタート(35Km)質山峠経由
 16:43  じょんのび着(67Km)

 丹波の数ある別所のうち、予想外の位置にあった菟原中(うばらなか)の別所を調べてみたいと企画する。上記コースタイム表を見て貰えば分かるとおり、いわゆる間道を走るコース設定になっている。幹線道路の国道などが整備され、もっぱら通行は幹線道路に偏り、これ等の間道、脇道は忘れ去られ、苔むした道となってくる。しかしながら近世はもちろん、モータリゼーションが発達するまではこれ等の道が主役であり、距離的には絶対に有利であると思うのだ。
 綾部に行くのは山家に出て、由良川左岸の道を走っている。国道27号線ができるまではこの道が主役であったし、とにかく車が少なくて走りやすい。もちろん信号は一つも無い。
 長宮峠越えは軽トラで走ったことがあるが自転車ではお初なので少々不安。昨年グランファンド京都でコースになったのだが、今年はコース変更の噂も聞いている。植林の中で、苔も生え滑りやすいということもあるが、長宮不動までの道は直登でMTBでもギヤが足りない。ロードレーサーではかなりつらいと思う。長宮への下りも急坂で帰路に走ろうとは思えなかった。この道は綾部藩の役人が通った道でもあるという。川合は元より三和町の多くの地域が綾部藩領であったということだ。わたしは小学校のとき遠足でこの峠を越えている。

P1020703 P1020704
 



左:田野町から長宮峠方面  右:長宮不動尊、本来の峠道は右手の尾根を登っているようだ。

P1020705P1020706P1020707_2 




左:一箇所だけ綾部方面の展望が開ける。
中:林道の長宮峠、本来の峠もこの附近にあるはずだけど。
右:岼の長宮集落、本来の峠道はこの集落を抜けて行く。

広く快適な道を岼に向かって下って行くと左に上川合稲葉(いなば)への道を分ける。稲葉へは2007年に空き家見学に行ったが、なんとも山奥で驚いた。その家も今では入居者がおられ、小学生も居られるそうだ。稲葉というのは「地名の語源」(鏡味完二他)によると「稲架の普及前に、稲干場とした所で、平素は芝草地になっていた」とある。イナバという所もあるので、そこが日当たりの良い、それらしい場所ならば、そう言えるかもしれない。
 イナバは鋳場の意味で金属地名とされる研究者もある。
 稲葉口から岼(ゆり)の間、家々の庭石や石垣を見ていると大きなチャートが目立つ。特に赤色チャートがふんだんで、本場の上林をしのいでいる。この道の東側の山に廃鉱跡があった。小学生の時に探検に行ってコウモリを捕ってきたのを憶えている。おそらく珪石鉱山だったのだろう。P1020708 P1020709
 



常楽寺、渋谷神社の石垣には赤色チャートが多く使われている。


 チャートと金属鉱脈との関係は如何なるものか解らないのだが、何かあるのではないかと想像している。Img_0652

大盛館、荒川鉱山跡はここから2キロ余り、行けば良かった。


松田解子のおりん口伝は荒川鉱山が舞台だとか、まだ読んでいない。

【今日のじょん】:お出迎えじょん。お帰りなさいと喜んだが、車庫入れのため又出て行かれて白けている。

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YouTube: お帰りのはずが

 
 

 

 
  

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晴徨 別所訪問(2) 9/8

2012-09-09 | 晴徨

2012.9.8(土)曇

 上八田のイワンの里は稲刈り準備でおおわらわ、喫茶はお休みと言うことだったが
店を開けてくれて、冷たいものを頂く。ひとしきり世間話をして3時に店をあとにし、そのまま帰る予定だったが、本来の予定の別所町訪問をすることにした。別所町は星原町同様府道から谷に入っていく地形だが、入口がすぼまっていて、中が拡がっている地形だ。別所町の地理は事前に調べているわけで無いので、拡がった二つの谷の左から入っていく。
 道が二股になっているところに、神社がある。社名も祭神も解らない。近所の家で聞くと日吉神社ということである。P1020654_3 P1020652

日吉神社と境内にある石塔、何の銘も記されていない。


 神社の下を西に進むと大坂峠と看板が立っている。この峠は内久井(うちぐい)に向かうものである。いろいろと尋ねていたら、詳しいことは自治会長さんがよくご存じとのことで紹介される。そちらに向かうが農繁期とてやはりお留守だった。その途中にあったお堂が自然で、特に大事に祀られているような気配も無いのだが、安物のガラス瓶に枯れた花のお供え物を見ると、その仏像が木造だけに妙に古代のこの地の人々の信仰を思い起こすような気がするのだ。
P1020653 P1020656

大坂峠に向かう道といかにもという木造の仏像。


 東の谷に向かう、先程の方に鍛冶屋谷はこちらの方だと聞いていた。もうひとつ気になる地名の釜輪、かまのわと呼ぶのだろう、こちらは村の下手、入口の方らしい。
 別所川は町内で東西に分かれるが、中央の道路が左の谷を渡った辺りが鍛冶屋谷ということだ。鍛冶屋谷をさらに東に行くと山手に熊野神社が現れる。地名辞典によると藤原期の熊野十二所権現を蔵するとある。
 その少し東に高野山真言宗那智山成願寺がある。ここの入口には仁王門跡というのがあり、その上手に五輪塔や石仏が無造作に置かれている。こういう光景は結構見られるのだが、何ともすさまじい感がする。その脇に石碑が倒れており、「〇〇〇霊寺」と書かれているようなのだが一体何を表すのだろう。P1020667 P1020666
 
仁王門跡の石仏群。


 ここには藤原期作の蔵王権現像、十一面観音像が安置されているという。いずれにしても古くから開けた地であることには違いない。何かと気になることを発見したのだが、別稿に譲ることとして、別所を後にする。
 少し南の交差点のところにお堂と道標があった。「右たなべみち 左むらみち」とある。ここがかつての街道なのだろう。たなべ道は登尾峠に向かうものだろうか。
沢山宿題を残しつつ、上杉から黒石峠を越えて帰宅する。P1020673_2

右 たなべみち


【晴徨雨読】39日目(2006.9.8)新庄~酒田
 雨上がりで憂鬱な走行だったのだが、雨後の最上川は濁流と流れの速さで見ものであった。五月雨ではないが、俳句のとおりである。最上川下りの客も美しい流れでなく不満かもしれないが、実はラッキーだったと思うだろう。こんな流れはそう滅多に見られないだろう。
 しかしさすがに大河である、河口近くになると随分澄んでくるのだ。信濃川、阿賀野川など大河の河口付近を通ってきたが、大きな川というのはなぜか恐怖感が沸いてくるのだ。海は恐くはないのにだ。Img_0536 Img_0559

濁流の最上川と河口付近。



今日のじょん:今夜は恒例のじょんのびバーベQ、すっげー良い匂いがするので出してくれいって騒いだら出してくれた。でもみんな食べるの必死でなんももらえなかった。P1020683


  

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晴徨 別所訪問 9/7

2012-09-07 | 晴徨

2012.9.7(金)晴れ

 11:08 じょんのび村スタート~山家~阪鶴道路~綾部
 12:03 綾部市図書館着(16.48Km)
 12:30 図書館スタート~府道77号線
 12:55 星原、星宮神社着 昼食
 13:20 星宮神社スタート~星原彷徨
 14:00 上八田イワンの里着
 15:00 イワンの里スタート~別所町彷徨
 16:13 別所町スタート~上杉~黒石峠
 17:12 じょんのび村着(53Km)

 図書館の本の返却と館内閲覧があるので、図書館経由で星原町、別所町の訪問を計画する。阪鶴道路といっても通用するのか知らないが、何となく気に入ってるので使っている。今日は山家から綾部までを走る。車は少ない、信号は無い、アップダウンは少なく、景色は良いと四拍子揃ったバイク道だ。綾部のサイクリストは結構使ってると聞くがこのコースでサイクリストに出合ったことは無い。やがて和木橋横の和木への道を通り過ぎる。大原からBIKE、WALK、BIKEで綾高に通ったという強者を思いだす。由良川沿いの伏見屋や現張の料亭の有る辺りは、古き良き綾部の風情があって好きだ。
 図書館で閲覧などしてスタートする。星原に入って、星宮神社の石段で昼食とする。吉美街道(きみかいどう)というのだろうか白瀬橋から小呂峠(おろとうげ)に向かう道(昔の吉美街道とは違うだろうが)を通るといつも思いだす。
 昔の吉美の子供の喧嘩言葉に「小呂小呂ドスイ 多田多田ハッタイ 食わぬは星原ひだるかろ」というのがあったそうだ。ドスイと言うのは雑炊のことで、ハッタイというのははったい粉のことで大麦を炒ってひいたものだろう。子供の囃子詞や童謡などは随分残酷なことを言うもので、星原の子供達にとっては辛いことだろうが、だれもが貧しい時代があったということを言いたいのだろう。
 この喧嘩言葉は実は奥上林村誌に載っていて、何となく解せないものがある。関西漫才風に言うと、「お前が言うか?」という感じである。
 いずれにしても大昔のことで、今は裕福な村の様子が見受けられる。ちょうど稲刈りの季節であちこちの田んぼで稲刈り機の音が聞こえる。星原(ほしばら)町というのはおそらく綾部市の中で最も美しい地名であろう。地名辞典を見ると星宮神社に由来すると書かれているが、星宮神社の事は書かれていない。末社は三社あり、一つは稲荷社のようだがあとは解らない。P1020643
 
星宮神社


 川向かいに立派なお寺があり、高野山真言宗 金福山 栄宝寺という。P1020646





 そのお寺の側が岼蔭(ゆりかげ)で向かい側が岼﨑(ゆりさき)という小字らしい。ちょうど日後日向(ひしろひなた)のような使い分けがなされているのだろうか。P1020642

左手が岼蔭、右手が岼﨑、一番奥鞍部の下が別所。


 岼蔭の道を辿り、お堂のところに出る。ここから奥に向かえば別所で、二軒の家がある。訪ねてみたが作業中で不在のようだ。たんぼで稲刈り中の人に尋ねたが他所から来ている方なのか、ここのことがよく解らないと言うことだった。
 舗装道路が終わり、草道を詰めていくが変わりばえしないので引き返す。この道を詰めると峠を越え白道路(はそうじ)に出る。
 皆忙しそうにしておられるので、写真を撮って星原を後にする。
小呂峠を越えて府道485号線を右に行き、イワンの里さんに寄る。つづく

【晴徨雨読】38日目(2006.9.7)新庄停滞
 雨のため新庄市内見物となる。おそろしく展示物の多い郷土資料館やお城跡など見物するが、妙に記憶に薄い。街全体の記憶が薄いのだ。天気のせいだろうか。Img_0523





【今日のじょん】:今日は晴徨で自転車ツーリングの日、家の作業は出来ないが、それにしても雑草の成長は早いなあ。対数日前に刈った草がこれだもんなあP1020638

じょんもボールを探している。

 
  

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晴徨 多門院(3) 9/2

2012-09-02 | 晴徨

2012.9.2(日)曇

 胡麻峠への道も解ったので、胡麻というところもおそらくその辺だろうが、とにかく誰も歩いていないので聞くことが出来ない。地名由来の詮索は別稿に譲るとして、気になる箇所があったので紹介しよう。P1020585

看板のあるこの道が胡麻峠への道らしい。


   多門院と黒部の中間辺り、祖母谷川の右岸に石仏、石塔で出来た塔がある。無縁塔というのだが、どこかで見たような気がするのだが意識を持って見たのは初めてのような気もする。要するに近隣の無縁仏を一箇所に集めたものと理解して良いのだろうが、この地にこれだけの無縁仏が有るというのも不思議な気もする。つまり都市部なら人の移動が激しいのであり得ると思うのだが、この地でしかも昭和五年の塔の設立となると、この土地の過去の住人が無縁仏になっただけでは済まない数である。無縁塔の設立は、飢饉や災害で多くの人が一時に亡くなったりした場合になされている。この地で過去に何があったのか、それとも行き倒れの旅人などの霊を弔うものなのか解らない。P1020583
 




 次に興禅寺を訪ねる、天正元年以前の創立というから古刹である。臨済宗天竜寺派とあるから、元々は天台宗や真言宗の寺院だったと思う。なぜなら毘沙門天立像が平安時代とあるので、その時代に臨済宗は存在しないからである。また毘沙門天といえば多聞院という寺号が一般的なので、かつては多聞院だったのだろう。P1020594
P1020593
山門の脇を登って行くと毘沙門堂らしい。
なぜか柵がしてあった。


 その辺のところを聞きたくて訪ねてみたが、住職は不在だった。代わりに笑い顔の柴犬がいて、「何ともお寺らしい犬だなあ」と思いつつ後にする。
 帰りは西舞鶴から上杉、黒石峠を越えて帰ろうと思っていたが、夕立の様相となってきたので、元来た道を辿って帰ることにした。
 同じ道を帰るとは思っていなかったので、清水で採取した鉄滓や地金はバッグの中で菅坂峠を往き帰りすることになった。重た。おわりP1020613

鋳物滓と地金と思われる鉄板。厚さ4mm。



【晴徨雨読】33日目(2006.9.2)村上~鶴岡
 東北は通過したことはあるが、訪問したことは無かったのですごく感動した。村上市は村上トライアスロンで知っていたが、瀬波のスイムコース、笹川流れのバイクコース、村上市内のランコースというのは全体的に景色の素晴らしいトライアスロンだと思う。今年も9月16日に開催されるとか、参加選手は幸せだなあと思う。特に笹川流れの海岸線は、自転車旅行中でもベスト10に入る絶好のコースである。Img_0447 Img_0454





 今日のじょん:8月28日高浜町難波江海水浴場最終日。

YouTube: 行く夏じょん

 

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晴徨 多門院(2) 9/1

2012-09-01 | 晴徨

2012.9.1(土)曇、雨

 昼食を終え、祖母谷川に沿って登って行く、右岸に地蔵さまや神社などが続いている。道が左岸に移り、若狭道の三国岳トンネルが近づいた頃右上に「蛇切岩伝説」の看板がある。蛇切岩伝説とは黒部と与保呂にまたがるいわゆる蛇伝説だが、この看板の地図に翻弄されることになる。P1020574_3
 
蛇切岩伝説の立て看板。


 とりあえず最奥まで行って見るべく登ってみる。トンネルがすぐそばに見えるところまで登る。道は若狭道をくぐって、祖母谷川の源流に続いているが、黒部川に向かう坪峠(黒部峠)に向かう道は手前の沢を詰めるようだ。しかし防獣柵に囲われていて、峠道らしきものも見当たらない。若狭道の手前にしっかりした道があり、これが峠に向かう道なのか単なる作業道なのか解らない。
P1020576 P1020579

黒部の最奥、若狭道はすぐそばにある。
手前に山道があるのだが、果たして峠への道だろうか。


 胡麻峠から下りてくる道の周辺が小字胡麻であろうと思い探しに行く。先程の地図からみると、胡麻峠取り付きは随分下になる。どんどん下って行き、出会った人に道を訪ねる。
「胡麻というところを探しているのですが」
「そんなところは無い」
「多分山の小字なんでしょうねえ、胡麻峠に行く道ぶちにあると思うんですが」
「それならあの道やけど、えらいで」
「行けるとこまでいってみますわ」

というような会話をして、言われた道を登って行く。高速のガードをくぐり、封鎖されているフェンスを開け進む。この辺で地図を広げてびっくり、看板の地図だとこのあたりなんだが、国土地理院の地図だと随分下になる。多門院のお寺の対岸にあるはっきりした道を辿っており、このままだと舞鶴PAの下に続いている。これは違うと気づき元の道に戻る。地元の年配の方にも解らなくなるほど、胡麻峠への道が現在いかに使われていないかと言うことだ。
 今度は地図を見比べながら、祖母谷沿いの道を登って行く。舞鶴PAの建物も見え地形も確かめながら、胡麻峠取り付きを探すが、どう考えても先程の看板のある道となってしまうのだ。しかしこの地図の示す現在地は全然違う。
 これは後ほど解ったことだが、この地図は伝説を説明するためのもので道案内、地理案内としてはすこぶる不親切なものである。一般に地図が載っていれば、それはその地域の地理を示すものだという概念がある。少なくともこの地図はこの地をよく知っている人、伝説の地理的状況を知っている人にしか理解できない。案内看板としては非常に不適切なものである。
 そんなわけで随分彷徨したが、この地を知るということでは意味があった。つづく

【晴徨雨読】32日目(2006.9.1)新発田市~村上市
 この日の最大の出来事はゆうちょカードが期限切れで現金を引き出すことが出来なかったことである。内容はブログバックナンバーを読んで頂ければ良いのだが
考えてみればクレジットカードと共用になっていたことがいけなかった。貯金のカードなら有効期限なんてないからだ。
 日常生活では何でも無いことが旅先だと大問題になるのである。
Img_0445
電信為替で現金を送ってもらって、瀬波温泉に泊まる。
ここは夕日百選の地で、本当に素晴らしい夕日に出合った。



 今日のじょん:先日の「えーこえ」がアップロードできたぞ。どうもYouTubeにアップロードしてから時間がかかるようだ。とくとご覧あれ。



YouTube: えーこえ

 

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晴徨 高浜、舞鶴(2) 8/18 

2012-08-18 | 晴徨

2012.8.18(土)曇

 「三国岳」という道標につられて鋪装された林道を登って行く、途中林道の分岐などあるが道標に従って谷沿いの道をどんどん行く。やがて工事現場のプレハブの事務所のようなようなものがあって、真っ直ぐの不気味な林道と、左に川を渡って登って行くこぎれいな林道に分かれる。道標はどちらも三国岳と書いているが左の方が矢印が太い。迷わず左の道を登って行くが頭上に舞鶴若狭自動車道が見え、どうやら黒部谷に入っているようだ。P1020486

右に行くと黒部谷沿いの道。左は新しい道のようだ。


 今回の目的は関屋川なのでがっかりしたが、三国岳などがしっかり見えるところまで登るべく辿っていくと、自動車道のすぐねきまで来た。三国岳から北の稜線がよく見える。P1020483_2

三国岳から北の稜線が見える。


  小休止をして元の道を下り、先程の出合いに戻る。ここで関屋川に気づく、鋪装はされているが通行が無いためか荒れている。関屋川もこのあたりでは清流が流れていて、大きなきれいな石がゴロゴロしている。鏨の跡もあり、かつては切り出しされていたようである。安山岩性凝灰岩というふうに書いてあり、猪森ヶ嶽から流れ出たのものだろう。P1020489 P1020491
 



若狭道下の関屋川、良い石が転がっており、鏨の痕もある。

 気味悪い林道を進んでいくと、熊除けの鈴を忘れたことに気づく、やむなく自転車のベルをチンチン鳴らしながら行く。幸い熊は出なかったが、やたらと鹿に遭う。突然の闖入者に驚いた鹿が山の斜面を逃げ回るもんだからガラガラと落石が起き、いつまでも音がしている。尾根が回り込んだところまで行かないと猪森ヶ嶽の展望は開けない。やがて孟宗竹の林が出て来て棕櫚も生えており、かつて人が居住していたような所に出る。その先でようやく懐かしいスロープの山容が現れる、猪森ヶ嶽だ。思ったより間近に見え、予想以上に奥深くまで来ていたのかなと思う。一応目的を達成したので下りにかかる。P1020493
P1020494



 元人家らしき気配がしたらその先に猪森ヶ嶽らしきスロープが見えた。
 正面の鞍部こそ猪鼻峠だろう。

 この道は若狭の人と文化が上林に入った最初のルートだと考えている。その後は若狭から丹波への塩の道でもあったようだし、上林の子供達が遠足や海水浴などで通った道でもあるのだ。ところが道沿いに街道としての証でもある地蔵さまや道標は見つからない。人が往来した証をいつか見つけてみたいと思う。P1020497 P1020488
 



 黒部谷、関屋川の出合い、左岸に地蔵さまがある。往古からここには橋なり渡しがあったと思われる。

 実は黒部谷で水を飲み干していたし、予定の時間も過ぎていた、出合い附近の家で話も聞きたかったし、関屋の集落もじっくり見たかったのだが、帰りを急ぐことにする。同じ道を還るのもしゃくだから、青葉トンネルを越えて、吉坂、鹿原、小倉、堂奥、金屋、行永と走る。青葉山、三国岳をいろんな方面から観ることができた。
 金剛院も多門院も与保呂も晴徨したいところだから下見も兼ねて納得の走行だった。

 【晴徨雨読】18日目 八ヶ岳八千穂村~小諸~別所温泉
今、地図を辿ればすこぶる単純なルートなんだけど、実際に走っているときはルートファインディングに苦労しているのである。どこに居るのか解らなくなって駐在所に飛び込んだこともある。最もお巡りさんは不在だったが。
 幹線道路の国道を走るのはミスは無いが、喧噪が嫌になって脇道の県道を走ることになる。山間部や田舎の県道は間違いないが、ある程度開けたところだと、出合う道がほとんど同じ広さなので迷いやすい。これが難点である。特に自分が今どこに居るか解らなくなると最悪である。Img_0292

小諸郷土博物館の屋上で今日の行き先を決める。さすがに山のある方はもうこりごりで、西に進むこととなる。



【今日のじょん】:今日はぽんぽこじゃんぷのどーがをお見せしよう。
YouTube: ぽんぽこジャンプ

 

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晴徨 高浜、舞鶴 8/17

2012-08-17 | 晴徨

2012.8.17(金)快晴

 じょんのび村スタート 10:02
 市茅野          11:10~11:17(18.9Km) 行動食
 佐伎治神社       12:00~12:27(32.0Km) 昼食
 高浜図書館、黒部谷、関屋川彷徨
 R27関屋交差点スタート14:41(47.7Km)
 R27青葉トンネル~府道28号線小倉~金谷
 行永公会堂前     15:37(60.0Km)行動食
 菅坂峠          16:32(67.0Km)
 じょんのび着       17:07(79.2Km)

 前回市茅野まで1時間で到着しているので、今回はもっと早く着くだろうと思ったら、8分遅れだった。晴徨トレーニングも4回目なのでペースも上がっているかと思ったのだが、向かい風のせいかもしれない。前回寄ってみたいと思っていた佐伎治神社に向かう。式内社で旧県社と言うから古くて大きな神社である。P1020480 祭神は素戔嗚尊、稲田姫命、大己貴命というから出雲の系統といえよう。大体高浜は、和田(綿津見)、青、安土、横津海、中津海、青戸など海人族らしき地名が目白押しで、海人族の上陸、居住地であろうと思う。そしてその先鋒隊は森林資源、鉱物資源を求めて、黒部谷、関屋川を遡ったのではと考えるのである。
 わたしは若丹国境の山や峠を丹波の側からばかり見てきた。しかし文化の流れ、人の流れは若狭から流れているのだから、若狭から見つめないといけないと思ってきた。そして機が熟して、初めて関屋の谷に足を踏み入れようというものだ。まずは猪森ヶ嶽、上林側では丸山と言われる山を若狭側から見えるところまで行こうと決めていたのだ。Img_2714
 
丹波側からは特徴的な猪森ヶ嶽(丸山)(2011.4、小唐内から)



 頼んでいた図書が届いてていたので高浜図書館に寄っていく。その後図書館前の道を日置まで走り、R27国道に出る。国道を少し行くと青鄕駅、横津海(よこつみ)の道標があり、小道に入る。そのまま行くと横津海の谷に入ってしまうので、関屋川まで田んぼの中をトラバースする。
 関屋川は夏の日照りですっかり干上がっている、横津海の谷もそうだが、上流に行けばしっかり流れている。関屋の集落は予想以上に小さく、すぐに家が途切れてしまう。国土地理院の地形図で想像しているのとは随分違う、もっとも昭和47年改測の地図だから家のマークも今より多いのだろう。黒部谷との出合いあたりも随分家マークがあるが、現実には三軒だった。P1020482
 



 黒部谷出合いの橋、電柱の奥の尾根が三国岳に続く尾根、右の谷の奥に見える小さなピークは若丹国境三国岳北の409mのピークか。

実はここで地図を確認すれば良かったのだが、「三国岳」という立派な道標があり、矢印に従って右の谷に入ってしまった。というより左の谷には気がつかなかったのだ。つづく

【晴徨雨読】17日目 (2006.8.17)八ヶ岳八千穂町閑人舎で休養。
 雨のため休養を決め込むが、実はこの場所以外は晴れていたようだ。どうもこの高所のペンションは天気が悪いようだ、大体いつもガスって居て、湿気がきつい。
しかし世間の暑さを思えば極楽である。食事が凄いボリュームなのと主が大の酒好きなんでいくらでも長逗留できる。Img_0282


夜な夜な宴会の閑人舎、四泊。


 【今日のじょん】:我が家の愛用の豆腐は藤井豆腐である。木曜日に西舞鶴から配達してくれるんだけど、これが実に美味くて、安い。美味しいので有名な店のも買ったけどやっぱりこれが一番。当初やたらでかくて驚いたが、きょうびの家庭事情に合わせて少し小さくなった。といっても市販のものより大きいが、、。ところが値段も130円から110円になり、良心的である。そしてできたての豆腐の方が美味いこともわかった。今週はお盆で休みだったので、スーパーで一番上等のを買ってきた。スーパーの安い豆腐はとても食べられない。
 豆腐にはめがないじょんに試食させたら、食べないのである。藤井豆腐ならあんなに喜んで食べるのに、、、。つーやなあ。P1020432

写真と記事は関係ありません。 

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