晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 地獄の思想 7/30

2010-07-31 | 雨読

2010.7.30(金)曇

 歴史の本ばかり読んでいたので、今回は毛色の変わった本を読んでみた。というより、随分昔に買った本を見つけて読んだということだ。
「地獄の思想」梅原猛著中公新書680円、なんとも強烈な内容の本である。その前に断っておくが、私はこのブログであまりスピリチュアルな話はしたくないと思っている。本来は心の奥にしまっておくものだと思うし、読者にとってはそれほどつまらないものは無いだろうからだ。しかしこの本を紹介するに当たっては、私自身の精神的なというか宗教的な側面を書かざるを得ない。
 この本は私自身が地獄で喘いでいる時に、そこから脱出する何かを得ようと買ったものである。新興宗教の講演会などに行かないところが私らしくていいが、パソコンのマニュアルのように、解っている人にしか解らないという、そういうものである。もちろん坊さんの説教でも、座禅でも、写経でも地獄からの脱出には何の役にも立たない。自分で考えることで、私は解脱した。「え~、あんたみたいに怒ってばかり居る人が解脱した??」とかみさんは言うが、「決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル」のが解脱ではない。解脱とはあらゆる欲、煩悩から解き放たれることである。これは人間が苦の世界に生きていることを認識し、苦によって地獄に堕ちることを認識することである。すなわち地獄は生の世界にあるものであって、地獄から脱出する方法は二つ、死ぬことと解脱することである。地獄に堕ちた私が生きているのは解脱した証左である。
 解脱すると世の中のことがよく見えるようになり、特に地獄で喘いでいる人はすぐ解る。「大地の母」の中で、人の顔が狐に見えたり狸に見えたりという場面があったが、地獄に堕ちた人間をはたから見れば、獣に憑依されたと表現することが解りやすいのかもしれない。
 新興宗教の教団に財産をそっくり持ってかれるという奇妙な現象もよく解るようになった。教祖様は当初は真に信者を救うために財産を手放すという対処療法をしたのかもしれない。ところがその財産を教団の運営とかの理由で私物化した途端に教祖教団自身が金銭欲の地獄に陥り、際限のない求不得苦の苦しみを味わうこととなる。これじゃあ信者も救われないという結果になるのだが、何とも奇怪なこの現象が簡単に理解できることとなる。
 こうなって初めてこの本の中身が理解できるようになるのではないだろうか。
 地獄が、特に仏教の思想としていかに日本の文化と民衆の間に浸透したか、なんともロジカルに述べられている。地獄とはなにか、地獄はどこにあるのか、なぜ仏教では地獄はあの世にあるのかといった疑問の答を読み取れる人は、ひょっとしたら地獄を生き抜いた人かもしれない。Img_1130

地獄は観念の中にあるもので写真はお見せできない。


【作業日誌 7/30】
芝生仕上げ刈
草刈り6回目完了
夏野菜施肥、草抜き

今日のじょん:今日も本格的に無駄吠え無くし訓練をする。特に夕食前の無駄吠え、虫に対する吠えを無くそうとしているのだが、夕立時にカゲロウが大量に飛散し、キリが無く吠えることとなった。Img_1129

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芝生物語(芝生広場) 7/29

2010-07-30 | 日記・エッセイ・コラム

2010.7.29(木)雨、曇

 やっと雨が降った、夕べから今日の午前中風も伴ってそこそこの雨量があったと思う。あまりにカラカラに乾いていたので植物たちには充分とは言えないかもしれないが、まずは恵みの雨というところか。実は今朝の雨を予想して、昨夕腹ぺこの身体にむち打って芝生広場の芝刈りを完了した。今年2回目の芝刈りである。この面積ではとても無理で、月一が限界である。ところが芝を美しくするにはもっと頻繁に刈り込むことが必要である。刈ったときに芝が褐色になるのは、茎の部分を刈ってしまうからで、葉の緑の部分で刈り込むことがいいそうだ。7,8cmで刈り込むとなると、この時期なら10日に一回程度になるのではないか。芝生広場を全部刈るには三日間かかっているから、三日に一度は刈ることになる。これは現実的には無理で、その代わりと言ってはなんだが、芝刈り後の施肥や砂入れ、ベンチレーションなどの手入れをしっかり手を抜かずにやることとした。やりたくてやれていないのが、草引きである。春や初夏のやわな草には対応できたが、夏の雑草をひくとしたら連日1,2時間の時間を費やす必要がある。当初猛威をふるったイタドリはさすがに少なくなったが、スギナは増える一方で、蔓性の雑草、クローバーの様な雑草、イネ科の雑草も増殖気味である。一年生の雑草に対して除草剤もあるが、芝に対する影響もあるみたいで有効でない。結局手でひくのが一番ということになるのだが、これは実現不可能な問題である。Img_1118

手前は荒刈りが終わったら雨が降ってきて仕上げ刈りが出来てない。


 施肥は昨年まで適当だったが、今年から計画的にやっている。現在は8-8-8の肥料を刈り込み後に1㎡当たりN,P,K各3gとなるように施肥している。年に4,5回施肥するとして、1㎡当たり12~15gとなる。晴天の続く夏期は施肥の時期が難しく、今朝は雨の中で肥料を撒いた。
結論、まともに世話しようと思えば、かかりっきりにならなければならない。人は芝のみに生くるにあらず。つづく

【作業日誌 7/29】
芝生広場施肥
野菜、花木のレスキュー

今日のじょん:吠えることが多くなってきたので、無駄吠えを無くする訓練をすることとなった。その方法はよくわかるのだが、吠えているときにやらなくてはならないので難しいことがある。どれが無駄吠えでどれが本気吠えなのかわからないケースが多いからだ。人だって吠える人と吠えない人がいる、その理由は勝手に考えているが、本当のことはわからない。動物の言葉が解るという女性がTVに出ている。あれはインチキだと思う。Img_0923

夜はこんな感じで吠えながら訴える。

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雨読 アイヌは原日本人か(2) 7/28

2010-07-29 | 雨読

2010.7.28(水)曇

 梅雨明け十日が過ぎたら、夏の太陽が姿を消した。夕べなんかは虫の声も聞こえ始めて、暑さの中にも秋の気配があるのだと気づいてしまう。
 興味のない方にアイヌだの縄文人だのたいくつなことかと思うが、こと上林、あるいは何鹿の地にかつてアイヌならぬ原日本人の縄文人が居住していたことを証明できたら、たいくつだなんて言ってられないと思うのだが。
 念道、引地、遊里の地名について現在調査執筆中だが念道は例が少なすぎて比較検討が出来ずに困っている。引地は例が多すぎて収束してこない、遊里は英断を持って自説を展開したところだが、調べていくに連れて実は「ユリ」「ユラ」というのは専門家の間でも難解地名として各種の説がある事が解り、もちろん私の説と同一の学者は存在しないようだ。根拠もフィールドワークも希薄で、誠に恥じ入るばかりである。これらの難解な地名がアイヌ語の原型である縄文語(原日本語)で解けるとしたら画期的であり、おそらくそれは地域も限定されるだろうし、符合する確率もかなりアンバランスになるのでは無いかと思う。Img_4651
 
鍛治屋町岼ヶ上、「古地名の謎」ではユリはIwori(その猟場)といことだが、私は納得いかない。


 話がそれたが、本書にはもちろん私の知らなかったことも沢山出てきて、その中で最も印象に残ったことを紹介しよう。アイヌも和人もモンゴロイドであるというのは誰でも考えつくことと思うが、実は従前はアイヌ白人説が主流であったり、オーストラリア原住民に近いとかガラパゴス島のように人種孤島説もあったそうだ。
 モンゴロイドにも古と新があり、日本列島に入ってきて各地に定着したのが古モンゴロイド、大きな特徴のひとつが頭が長いことだ。その後時代が進んで主に朝鮮半島などから移入してきたのが新モンゴロイド、これは頭が丸いそうだ。時代で言えば新モンゴロイドが弥生時代以降、古モンゴロイドはそれより以前ということとなる。
 頭の形だけでいうと、長型は東北、関東、山陰、九州の一部、四国の一部で、丸形は近畿を中心とした西日本ということだ。古モンゴロイドは日本人の基調で、そこへ弥生時代に北九州、瀬戸内、近畿と新モンゴロイドが進入してきたということは、神武東遷伝説、邪馬台国の東遷説などを裏付ける現象として考えることもできよう。
一重瞼で扁平な顔、いわゆるお公家さんタイプの顔が新モンゴロイドで、逆に目鼻立ちがはっきりしているのが古モンゴロイドの特徴である。古モンゴロイドが寒冷地適用したのが新モンゴロイドということだが、鼻の低いのも、一重瞼も寒冷地適用の結果と言うことだ。
 歴史的には主流のように思われがちな、近畿を中心とした新モンゴロイドが実は少数派であることが読み取れるのである。おわり

【作業日誌 7/28】
芝刈完了

今日のじょん:なちゃけ無い顔シリーズ。じょんは風に揺れるものが苦手、風でカーテンが揺れたらおっかなびっくり。Img_1113

くわいヨ~。

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雨読 アイヌは原日本人か(1) 7/27

2010-07-28 | 雨読

2010.7.27 快晴

 雨が降らないのになんで雨読なのかというと、晴れすぎて暑くて読書の時間が多くなっているからだ、店が超ヒマということも影響していて、あまり良い傾向ではない。
 「アイヌは原日本人か」梅原猛、埴原和郎著、小学館創造選書、1982年10月15日発行、初版第1刷、定価880円、購入価340円という本で、内容は両氏の対談をまとめたものである。7月3日以来5回にわたって書いてきた「蝦夷・アイヌ・縄文人」は私の古代民、古代語に関する仮説、ならぬ想像である。古代民、古代語に思いを馳せることとなった原因は「鉄と俘囚の古代史」「白鳥伝説」の二つの書物である。歴史の教科書や授業では決して出てこない被征服者の実態を確かめてみたいという欲求である。そしてそれは北九州や奈良盆地、そして東北の地だけにあるのではなく、この丹波の地にもあったのではないかという思いである。
  この私の想像を確かめるべく数冊の本を買いあさった。「蝦夷・アイヌ・縄文人」を書き終えるまでは中身を見ないようにしていた。書き終えて2冊目が本書である。梅原氏が自然人類学の第一人者の埴原氏に、解りやすく人類学、日本人、アイヌについて聞き出そうというのが趣旨である。その狙いはズバリ的中し、本当に解りやすく、誰にでも理解できるように、人類の誕生から今日までを説明して頂いている。そしてもっと驚いたことは、私の「蝦夷・アイヌ・縄文人」の内容が見事に的中していることである。Img_1115_2
梅原 そうするとわかりやすくいうと、日本には原住民として古モンゴロイド的性質をもった縄文人がいた。それが独自な小進化を遂げて現在のアイヌになった。ところが和人の方は外来人であろうと思われる農耕民が入ってきてそれと混血する。それが小進化を遂げて現在の和人になった、、、、、。(本書の中の一文)
 同様にアイヌ語についても、縄文言語が小進化したものという結論を出されている。
何の根拠も持たない私の想像と、科学的な最先端の調査研究機能を持たれている両氏の説が同一であったことは私自身驚いているところだが、もっと驚くべきことはその説は過去からの常識ではなくて、過去の常識を覆す新説だということだ。アイヌやアイヌ語に関する研究は明治になって本格的になったようだが、アイヌ人は日本人とは別の人種であるとか、アイヌ語と日本語とは全然別の形態の言語であるというのが過去の常識であったようである。科学的調査研究が進んでいなかったという事由もあるが、アイヌ民族に対する偏見があっただろうと言うことにも言及されており、科学者として素晴らしい態度で研究されているという思いが強く残った。つづく

【作業日誌 7/27】
プッコチ植え付けImg_1114

メーパパがバーク堆肥のみで作っていたというしろもの。


 今日のじょん:日照りが続く毎日、植物たちは青色吐息となっている。特に刈り込み後の芝はストレスがきつそうだ。倉庫に転がっていた、バーゲン商品のスプリンクラーがここで活躍することとなったが、芝よりもじょんが喜んでくれているようで、芝の守もやりでがあるようだ。Img_1109 

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じょんのびアラカルト 7/26

2010-07-27 | 日記・エッセイ・コラム

2010.7.26(月) 快晴

 梅雨明け十日というが、今日が十日目らしい。とにかく真夏日が続き、諺どおりのカンカン照りである。雨読がだらだらと続いたのでじょんのび情報がたまっている、このあたりで一気に御紹介しよう。
(1)カンカン照り続く
 一昨年を思い出す夏である。でもこれが本当の夏なのだろう。頭を切り換えて、暑さを楽しんでやれという気持にならなければやってらんねえ。野菜、芝、花木に水遣りをすることが楽しみとならなければ本物でない。ということで野菜や花木には朝夕の水遣りを行っている。例えば胡瓜が真っ直ぐになってきた。これは水が原因なのか解らないのだが、少なくともやらないときはブーメラン胡瓜となっていた。
 問題は芝である、山の水を引いている現状ではその水圧は低く、泥混じりの水となっている。従って四六時中水はあるのだが芝生に有効に散水することが出来ない。散水ホースが最も有効なんだが、穴がすぐに詰まってしまう、ホースから直接散水するのが効率は良さそうだが、水量が少ないので全部に行き渡るには2時間は必要となる。というわけでその中間のスプリンクラーを作動させている。水量が少ないので、なんとも情けない散水だが、24時間放っておけるのでまあいいかというところだ。Img_1102_2




(2)夏野菜万歳
 胡瓜はスイッチョンの鳴き声になるくらい食べている。最初の頃はもぎたての味がたまらなかったが、朝な夕なに三食とも食べていたら、さすがに青臭さが鼻につく感じとなってきた。ナスは日照りの加減か妙に硬くなってきた。頑張って水遣りをしてるのと追肥もしてみよう。新しく出来てきたのが、トマト、オクラ、そしてN尾さんにいただいた一本の苗を大切に育てたヒスイナスである。気合いを入れて作った野菜は確かに美味い。しかもドアを開ければそこにあるというのはなんとも嬉しいことである。Img_1095Img_1094 

ナスの葉にいた巨大青虫、アゲハの幼虫らしい。


(3)アライグマその後
 環境省に内緒でネズミ取りを仕掛けた途端、来なくなった。一向に捕れないので餌のせいかなあと思って尋ねてみると、かっぱえびせん、魚肉ソーセージ、竹輪、ケンタッキーフライドチキンなどが候補に挙がっていた。ケンタッキーなど綾部には店舗が無く、福知山まで行かなければならないそうで却下、ソーセージや竹輪を試しているがこの暑さで、一晩に腐るので堪らない。来なくなればそれでいいかなと思っていたら、茂った葉の蔭にナスの食いカスを発見、茫然と立ちつくす。それにしても沢山成っている中でたった一つのナスをきれいにへたまでくり抜いて食べている様子はなんとも行儀の良い獣だと変に感心する。バカ猿などちっとは見習えよと思うと共にこのくらいなら勘弁してやろうかと気にもなる。しかしかみさんが買ってきたラスカルのマグネット板には少しむかっと来る。Img_1067 Img_1104




(4)生姜夏対策
 生姜というのは茗荷同様日陰の陰気くさいところを好むようだ。昨夏は日照も少なく、低温だったので何の世話もなく育てたが、収穫は最低だった。一昨年は日覆いもし、水遣りも欠かさず世話をし豊作だったので、今年もしっかり世話をしよう。とにかくじょんのびファームは南、東向きで一日中日当たりが良く、生姜にとっては決して良い環境ではないようだ。畝には敷き藁をし、よしずを掛けて、朝夕の散水をしている。それでもこの暑さには参っているようで、生育はよろしくない。Img_1096




(5)スズメの恩返し
 昨年玄関先で弱っていたスズメに水と餌をやって返してやった。恩返しを期待し、出来たら大きな葛籠をもらおうと待っていたら、つがいのスズメがやってきて屋根や玄関のところでちゅんちゅん鳴いている。やっと恩返しに来たかと辺りを見回すが何もない、くそーだましやがったなと思っていたら、超ヒマな店がやたら混んできた。それより葛籠持って来いよとよくばりじーさんは思うのだった。Img_1071

恩知らずめ。

今日のじょん:久しぶりにメーが来た。メーパパがじょんを見て、「じょんはおっさんがくつろいでいるみたいやなあ」と言っていた。随分失礼な話だが、うまいこといいよるなあと納得する。じょんはとってもかわいいのだが、時々おっさん顔になることがある。Img_1091    
おっさんじょーん。

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雨読 古地名の謎(4) 7/25

2010-07-25 | 雨読

2010.7.25(日)晴

 みちくさが多すぎて長く書きすぎたようだ。この項は本日で終わりにしたい。
解読不能な古地名がアイヌ語で解読できるというのは根拠があることなのか、はたまた単なる偶然なのか私は判断できる資料を持っていない。ただ、確実にいくつかあるということは確かである。しかし本書はあまりに沢山の地名についてアイヌ語との読みの同一性だけをもってアイヌ地名としている様に思う。アイヌ地名は「川の岸」とか「露岩の山」とか「沼の脇」とかどこにでも通用しそうな地名がほとんどである。それだけに読みさえ合えば附定出来る地名がいくらでもある。それだからこそ数多くの検証、比較をして納得できるものだけを発表して欲しかった。Img_0989
 アイヌの地、北海道

金属地名は古語である金(kani)、と多々羅が出てくるが、アイヌ語でkaniというのは無さそうだし、多々羅もTattarkei-i(水中に岩盤があって川波の立ち騒ぐところ)あるいはTatar(ダッタン人)と並記されている。佐備、寒川などもSap(群れをなして山から浜へ出る意)などと鉄を表すサビは無視されている。私はアイヌ語にない用語も無理矢理直結させているように思うのだが。
 「蝦夷・アイヌ・縄文人」で述べているように、アイヌ語以前の原日本語(縄文人語)で古地名が成立したと考えれば、時代が下がって入ってくる金属古語の地名を無理にアイヌ語で説明しなくても済むのではないだろうか。
 本書のように近畿に存在するアイヌ地名としてしまうから、近畿にはアイヌ文化の遺跡はないとかアイヌ文化は近畿には及んでいないとかの批判が出てくるのである。アイヌ語にも和語(日本語)にも発展する原日本語による地名とすれば、あらゆる矛盾は一応解決できるように思うのである。おわり

【作業日誌 7/25】
芝刈、1/4

今日のじょん:カイカイじょんが日増しにきつくなる。Img_1069 今や寝てるか、カイカイしてるか、その間に飯食ってるかという状態だ。

いつでもどこでもカイカイじょん。

 虫が多いのも解る、神経質なのも解る、アレルギー体質なのも解る、でも一日中カイカイされたらちょっと気になる。痒みというのは第二の痛みというぐらいで始末が悪い。ダニやノミ、蚊の対策もしつくして一体どうすれば良いのかと言うことになる。かみさんがファーミネーターで毛を梳いていた。もう脱毛は終わったかと思われるのにまだまだ抜けている。これが原因の痒みなら解決の糸口がありそうだ。

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薪売ります。 7/24

2010-07-24 | 日記・エッセイ・コラム

2010.7.24(土)晴れ

 薪ストーブを導入する人が増えてきたが、問題は薪の調達である。二回の冬を過ごしたが、薪の調達のため費やした労力は全労力の1/3は使っている。今年だって木の切り出しはなんとかやっつけたものの、薪割りが進んでないので憂鬱になっている。蕎麦の花さんが、「全部調達しようと思ったらプレッシャーやけど、ある程度買ったら気が楽になるで」とおっしゃっていた。確かに解るんだけど一旦買ってしまったら、二度と調達する気にならないんじゃないかという不安と、それよりまず先立つ予算がないので頑張って調達しよーと考えている。Img_1090
 
これを早く割って乾燥させないと、、、。


 ところが世間には薪を調達する時間も道具も無い方は沢山おられる。そういう方はとりあえず購入するしかないのだが、薪というのは結構高価なものである。こればっかしは工場で量産というのも出来ないし、手間も時間もかかることだからやむを得ないと思う。大体相場が一束400円ぐらいかなと思うが、安ければ350円、高いのは800円ぐらいで売られているようだ。我が家だと一日3束は焚くので、一日1、200円、月36、000円、ワンシーズン15万円の勘定になる。こりゃとても無理だ。
 薪を購入してる方にとっては、その値段は気になるところだろうが、お安く買える薪があるので、じょんのびで紹介しようと思う。Img_1066
 
左は350円、中と右は250円


 この冬切り出したもので、長さが35cm、クヌギで一束350円、立ち枯れクヌギ250円、杉・檜で250円とお買い得だ。沢山買われた方には木っ端のおまけ付きで、搬入は要相談ということだ。欲しい人はじょんのびで下見されるとよろしい。
なお、じょんのび特製だと一束1,000円は頂きたいと思っている。それぐらい手間かかるもんですぜ。

【作業日誌 7/24】
芝生広場刈り取り1/4


今日のじょん:七月のカレンダーは何するかナーと考えている内に残りが少なくなった。花火は8月にするとして、7月は昼寝かなと思い昼寝の写真を撮る。よー考えたら年がら年中昼寝してるもんなあ。Img_1086

 

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ふれあい牧場 7/23

2010-07-24 | 日記・エッセイ・コラム

2010.7.23(金)晴

 雨読「古地名の謎」が連続しているので、興味のない方は退屈しておられるだろう。と言うわけで今日の定休日はふれあい牧場を訪ねてご報告をしよう。
 事の発端はホノホノさんが来じょんされて、「ふれあい牧場に焼き肉屋さんとドッグランがオープンするで」という情報が入ったためである。ふれあい牧場は綾部市の肝いりで出来上がったらしく、当初は動物たちも沢山いて人気だったらしいが、飽きっぽいというか物見高い綾部では運営が難しく、最近では動物もおらへんでという噂まである。昨年レストランにUターンした方が入られたかとかで一時噂になっていたが、半年もたたずに撤退されて、綾部での商売の難しさを思わせる。Img_1073
 
あぢ~。


 焼き肉はともかく、ドッグランは見ておかないととじょんを連れて、暑さの中を出かける。日本一のドッグランなーんて看板が挙がっているがまだ工事中で、周囲のネットが出来ている段階、この秋に芝生にして、とか話しておられた。使っていいですよと言われたが、日陰は無く、とてもランしようーって状況じゃない。やむなく近くの木陰に繋いでレストランでソフトクリームを頂く。冷たいうどんとかあれば昼食とするつもりだったが、焼き肉のみということで、これまた焼き肉を食する陽気ではなかった。
 乗馬クラブがあり、好きな人はこの暑さでも乗っておられた。動物はブタ、山羊が2頭居るようだが、なんとも淋しいふれあい牧場である。良い季節になれば焼き肉で一杯やるのもいいかもね。Img_1075 Img_1078 Img_1077




 とにかく犬連れで食事をしようと、プレートタムラに行く。懸賞のペットゲートのお礼もしなくてはと思っていたら、丁度ホノホノdogの8月号が出来上がっていたので、頂いて帰る。ペットゲートが当たったじょんの記事も載っているので、見たい人はじょんのびで見て頂戴。マックもマウイもこの暑さにはかなワンみたい。Img_1088

じょんのびに置いてあるのだ、無料だワン。



【作業日誌 7/23】
畑の豌豆片付け

今日のじょん:じょんネタのためお休み。
 

 

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雨読 古地名の謎(3) 7/22 

2010-07-23 | 雨読

2010.7.22(木)快晴

 とにかく暑くて雨読じゃなくて晴読になってしまった。炎天下の中で仕事をしておられる方を見ていると、コンクリートジャングルの中をネクタイして走り回っていた頃を思い出す。暑いときは短パンTシャツでゴロゴロしていられることがどんなに幸せなことか、貧乏でもいいこの生活がいいと思うのである。
 神足のついでに古市についても書いておこう。昨日神足大字古市という風に書いたが、明治9年までは古市村として存在した。現在は学区名として残り、小畑川を境として古市町(まち)と古市在(ざい)の自治会がある。古市の地名については長岡京の下町的な地域であって、東市があった附近だそうだ。私もその地に住み始めてから、往時の長岡京の市場なんだなあと考えていたのだが、神足校百年誌に、「地内東端の棚次・典薬にも示されるように往時の長岡京東市にかかわるものという」とある。本書「古地名の謎」にはこの地ではないが、河内、伊勢、摂津の古市について、Hur-chi(丘の多いところ)という風に解している。神足のriは高いところを表すというのなら、古(Hur)が丘を表しているとして理解できなくもない。一般的に古市だから古い市場という風に漢字の字面通りに解しているものは、附会が多いと思われるがどうだろう。Img_0163
 小畑川の右(左岸)が古市在、左が古市町

本書の中に日本人の起源と思われる民族についていくつか紹介してある。その中にから族のことがあるが、これは朝鮮の古代の民族で安羅加羅(あらから)、小迦那(こから)、大迦那(おおから)など六加羅の民族からなるそうだ。上林老富町の大唐内(おがらち)、小唐内(こがらち)に関連があるのではないかと、ワクワクさせるものがある。
 また、雨読白鳥伝説(2010.6.10)で書いた蝦夷の王ナガスネヒコ(長髄彦)について、中州(大和)根(川)彦(男、英雄)の意ではないかと記している。谷川健一氏は長脛としてその体型にこだわっておられるように読み取ったが、私は長曽根、中曽根などの地名に由来するものと思っている。私のところに来る年賀状の中に長曽根地名のものがある。その地を地図で調べてみると、川の河口付近で州となっており、砂州がその語源となっているようである。周囲に比べて特別蝦夷に関するような地名は無いが、白山神社がやたら目に付いた。「鉄と俘囚の古代史」にあるように、白山信仰は蝦夷と関連がある。ひょっとしたらナガスネヒコと関係があるかも知れない。ともかくナガスネの名が体型ではなく地名に関係あるだろうという共通の発想が嬉しかった。つづく

今日のじょん:今朝は丹波霧が発生した。昼夜の気温差が大きいと発生するようで幻想的で好きな風景である。格好良くじょんの写真を撮ってやろうと思ったが、いつもカイカイをしていてどっチラケだ。Img_1068
 

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雨読 古地名の謎(2) 7/21

2010-07-21 | 雨読

2010.7.21(水)快晴

 数カ所気になる内容があるので御紹介しよう。それは神足(こうたり)という地名である。乙訓にある(現長岡京市)古い地名であり、私はあちこち転居したが、この地に一番長いこと住んだ。最初住んだ時は神足城の上という住所だったが、すぐに東神足となった。城というのは勝竜寺城のことかと思っていたが神足城かもしれない。大字は古市といったかと思うが、そんな名前はとっくに忘れられ、JR神足駅も長岡京駅と変わった。歴史的にも由緒ある地域だが、簡単に意味のない住所とするのは、文化的に水準の低い行政と言わざるを得ない。さて、この変わった神足の地名について不思議に思っていたのだが、本書にアイヌ語で解読されていた。伝説では雲の合間から光が射し込み、神様の足が現れた云々というのがあるが、もちろんこれは神足という地名があっての話だろう。さてこの神足、アイヌ語でKotan-ri(村の高いところ)となるそうだ。神足神社のある辺りは特別山になっているわけではないが、少しこんもりしている。大体現在の小畑川の西は台地状に高くなっており、神足神社の南側がやや低くなっているので高いところといえなくもない。神足がコタンリなら上林の神谷(こうだに)も同じだなあと感じていたのだが、角川の日本地名大辞典で神足を見ると驚く内容が見つかった。Img_0173
 
勝竜寺城公園は1992年整備された。神足神社はこの東北200mほどのところにある。


 
神足の訓は「こうたり」とも「こうだに」ともされ、土地の人は地名を「こうだに」、神社名を「こうたり」と区別していたともいう。神足神社鎮座地は、東に小畑川を臨む一段高い地で、背後の谷を神谷(こうだに)と称し、それが神足(こうたり)に転訛したものか。
 
土地の人が「こうだに」とよんでおられた記憶はないが、神足と神谷が語源的に同一だとしたら神谷もKotan-ri(村の高いところ)的な場所なのだろうか。Img_4766
 
古城山から引地、西屋、神谷方面。画面中央右、林の奥が神谷。


 神谷は八津合町、上林川右岸にあり、寛政11年の丹波国地図では西屋神谷村となっている。西屋側に八幡神社があり、小高いと言えば小高い。神社の隣の谷が神谷なのか確認は出来ていないが、神足と状況的には同じである。つづく

今日のじょん:おとーは芝生の伸びが気になって仕方がないのだけど、じょんは気持が良いみたいで盛んににしくりじょんしている。今週中には刈り取るぞ。
Img_1065 

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雨読 古地名の謎(1) 7/20

2010-07-21 | 雨読

2010.7.20(火)快晴

 古地名の謎(近畿アイヌ地名の研究)畑中友次著、大阪市立大学新聞会発行、昭和32年8月定価300円、購入価1,000円
 アイヌ地名に関する初めての書で、著者に関する知識も何もないところで、とにかく興味深く読めそうという感じで入門書を読むつもりで読んだ。大阪市大関係の出版なので、著者は市大の教授かなんかで学者なのかなあと予想したが、アマチュアであり、市大卒の実業家であった。氏はアイヌ地名に関して10年間調査研究されたということだ。参考資料を見ても膨大な資料で、これらの資料を解読するとともに現地調査など、なされた苦労が偲ばれる。アイヌ語地名が注目され始めたのがいつ頃のことか解らないのだが、おそらくこの本が出版された頃なのではないだろうか。私はこのころ小学生だったのだが、アイヌの人が数名で学校を回り民族芸能やお話などをされる催しがあった。民族衣装や入れ墨等が記憶に残っていた。アイヌというものに初めて出合った瞬間だった。
 さてそのアイヌ語で地名が解読できるというのが言われた時期もあった。特に解読不能の古地名がアイヌ語で解読できるので画期的という時期があったように思う。その頃は地名なんぞに興味も無かったから、あまり気にもしなかった。そのような時代のはしりの本なのでは無いだろうか。そういう意味で、入門書あるいはきっかけを作るための書と思えばこんなもんかなあと思うが、研究書としては物足りない感を受ける。本書では近畿の主な地名500についてアイヌ語による語源の説明がなされている。その中には一般に語られている語源とは明らかに異なるもののあるし、読みと地勢が一致したとして、多くのサンプルで比較検討されているようには見受けられない。もちろん文章には現れなくてもそれらの努力はされており、結果だけが文章に現れているのかもしれないが、それでは説得力に欠けることとなる。Img_1061
 氏の地名考証の基本はバチェラー博士、知里真志保博士のアイヌ語語彙と近畿の地名の読みを比較し、地勢などを調べられたようである。例えば壬生(ミブ)、丹生(ニュウ、ニブ)など八ヶ所挙げられているが、Ni-pu(林倉ー山中の食物庫)と説明されている。どこかひとつはそれであっていて、そこが壬生氏の発祥の地かもしれない。しかし地名考の説明としてはあまりにも稚拙ではなかろうか。
 アイヌ語地名の特色なのかもしれないが、(楡の木のあるところ)、(米あるところ)(カラス貝いつもとれるところ)などの動植物の存在を表したり、(河口の露岩のあるところ)(崖上に森があるところ)(小石ある浜)などとどこでも比定できる地勢を表したり、(われわれが通るところ)(われわれの村)とか比較検討のしようのない地名を表したりしている。これは地名の付け方としては不自然と思うのだが、実はそういった単純な発想から出来るのかもしれない。つづく

【作業日誌 7/20】
草刈り6回目

今日のじょん:今日はじょんのシャンプー日。いままでは「よっこらじょ~ん」と抱き上げてフェンスを出ていたのだが、今回ゲートが完成したのでスッと出られるようになった。ただし、体重測定では抱き上げなければならないので結局一緒だ。体重は17,8Kg前回と同じ。夏になって食が減ってきても、一緒というのは喜ぶべきことなのか?シャンプーはまあまあ好きってところか。Img_1060 乾かして貰ってるところ。

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じょん部屋リフォーム 7/19

2010-07-19 | 日記・エッセイ・コラム

2010.7.19(月)快晴

 朝の気温27℃、日中はもちろん30℃を超えクーラーが大活躍。昨夏はほとんど使うことが無かっただけに、いっぱしの夏が来たなあと言う実感である。藤棚作りが喫緊の課題だが、さすがにその気にならない。やむなく室内でじょん部屋のリフォームを行う。リフォームで思い出したが、先日リフォームの業者が来じょんした。
「こんにちは○○という建築の会社です」
「はいなんですか」
「リフォームのご案内なんですけど、お宅は新築ですねえ」
「はい、2年前に建てました」
「何かリフォームのご用命はありませんか?」
あるわけねえだろう、あったら欠陥住宅だ。
というわけで、クイズで当たったペットゲートを使用すべく、じょん部屋のリフォームを始めた。コンパネを半割にしたフェンスが段々越えられなくなってきたのだ。えっじょんと違うで、おかー、おとーがやで。それと来年のびを迎えるために、少しでも広く使おうという魂胆である。といってもペットゲートは組み込み式だし、要は部屋の空間に柱を立ててゲートを設置し、斜めのフェンスを角形に変えるだけである。かかった費用は2×4、8f、398円、リジットタイ、88円、計486円で済んだ。もっともペットゲートが賞品で当たったからであるが。Img_0986 Img_1058

ビフォアアフター。


 2×4材を塗装し、梁から床に降ろす。床にリジットタイで固定しゲートを設置する。従来のコンパネフェンスを途中で切り、90度になるよう固定する。後は敷き詰めるコルク材を柱の部分だけ加工してお終い。ついでに周りのテレビ掛けなんぞも加工して、スッキリする。まあ、こんなリフォームなら自分でも出来るだろう。
じょんは様子が変わった部屋で落ち着きが無く、嗅ぎまわっている。Img_1057

気になるワン。


 【作業日誌 7/19】
じょんの部屋リフォーム完成

今日のじょん:じょんネタのためお休み。

 

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夏が来れば思い出す 7/18

2010-07-19 | 日記・エッセイ・コラム

2010.7.18(日)快晴

 4年前の7月14日にプレ日本一周で試走を兼ねて京都を旅立った。炎天地獄のような嵐山から周山街道、そして大森のキャンプ場が記念すべき第一泊目。夕立があり、倉庫のようなところに天張ったが、翌日も雨が降ったり止んだり、雷もあったりして美山のキャンプ場でも悲惨な夜を過ごした。その後も綾部、福知山と知り合いの家に泊めて貰うが、雨は降り続き、ついには避難準備勧告まで出るに到った。要するに梅雨末期の集中豪雨ということだが、各地消防団が出動し、物々しい警戒の中逃げるように京都に急いだ。その途中チエンが切れるトラブルもあり、散々な試走であった。雨は7月中降り続き、いつになったら再出発できるのかと不安な毎日を送っていたが、7月末に完璧に梅雨が明け8月1日にスタートすることができた。ところが今度は猛暑で、暑いの暑くないのって、、、こんな夏は知らない。朝からカンカン照りで、頭の保護のためタオルを水浸しにしてヘルメットの下に被るのだが、これが20分ほどでカラカラに乾くわけである。連日快晴で北陸、信州、そして佐渡島に渡る月末まで雨らしい雨は無かった。Img_0302

2006.8.19、長野駅前38℃が最高だったか。ここ千曲川沿いのサイクリングロードは日陰もなく、行き倒れ状態となった。


 暑さの思い出は他にもある、今日開催されている皆生トライアスロンだ。3回出場したがいずれも7月下旬の梅雨明けの時期で最高の天気と気温であった。各地のトライアスロンに数多く参加したが、暑さではこの大会が一級品である。私は夏男だったので、暑い方が好きで、この大会は最も好きで、また、最も成績の良い大会だった。特に午後の一番暑いときに弓ヶ浜を走るフルマラソンはマゾスチックなドラマでもある。のべつ幕無しに頭から水を被り、朝から飲み続けている水は胃腸の消化吸収能力を超え、走るたんびにちゃぽんちゃぽんと音を出している。名物の西瓜も最初の2,3きれが限度で、後は鼻について食べられない。ただ亡者のようにぺたんぺたんと歩を進めるだけである。40代の私にとって24位が最高であり、限界だった。
 これらの暑さは好きでやってることで辛抱も出来ようというものだが、仕事上の暑さには参った。簡保セールスマンの時は、ヘルメット、ネクタイ、革靴でバイクに乗って営業にまわっていた。革靴とヘルメットの中はきっと40℃を超えていただろう。当時国会議員は冷房の効いた部屋で、クールビズと称してノーネクタイだった。そして末端の公務員は真夏の炎天下をネクタイしてまわっているのだ。これって矛盾やなあと思いつつも、長岡京や向日市の郊外はまだ良かった。下京区、南区のビル街ともなると40~50℃はゆうにあっただろう。昼の2時頃となると車以外には郵便局員しか見あたらない状況だった。
 そんなこんなで上林の夏なんてめじゃあねえ。

【作業日誌 7/18】
じょんのペットゲート造り

今日のじょん:Img_1050 たいしたことのない上林の夏もじょんにとっては大変な季節、朝の散歩は日も高く、庭でぽんぽこぽんぐらいでお茶を濁している。影の部分は大丈夫そうだが、日に当たるところではぼうーだめ状態。やわなんだから、、、。朝7時半でこの状態、タマリマセブン。 

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木工 7/17

2010-07-18 | 日記・エッセイ・コラム

2010.7.17(土) 晴

 山鉾巡行の今日梅雨が明けた。各地で水害の被害が起きていたが、ここ京都北部は割合雨がおとなしかったようだ。やはり例年地域によって差があるようだ。スッキリ晴れたのでじょんのびの木の写真をお目に掛けよう。この木陰が最高によくて、将来はハンモックを作ったり、芝を植えてのんびり出来るスペースを作りたいなあと秘かに考えている。Img_1045
 さて、先日じっかん屋さんが手作りの行灯を持ってこられた。上林には木工をやってる人も多いが、こちらに来てやろうとしている方も沢山いらっしゃる。都会では騒音や埃、スペースなど木工をやって行く条件が整わない。私の知り合いでも、大変良い仕事をされるのだが、何しろ街の真ん中なので騒音、埃対策のためガレージにブルーシートで小さな小屋を造り、真夏でも汗びっしょりでこもっておられたのを憶えている。田舎の広いところで音も埃も気にしないで思い切り製作に打ち込めたらと語っておられた。そんな方が沢山おられるようで、じっかん屋さんもその一人である。もう200個以上作られたという行灯は、細かい仕事で丁寧にこしらえられており、同じものはひとつと無い一品ものである。じょんのびに置いてあるので興味ある方は見ていただきたい。定価は6,000円である。Img_0965
 



近所にアトリエのあるM井さんは先生について木工を勉強されており、花器や看板など頼まれて作っておられるようだ。先日おしゃれな黒板と卓上の小物入れを頂いた。前者はタモ、後者はケヤキの良い材料を使っておられ、販売もされたらと誘ってみたがそういう気は無いみたいだ。
Img_1053 Img_1054  さて、当の私だが細かい仕事は苦手で、もっぱらは土木作業に近いことばかりやっている。作らねばならないものが出来上がったら、ガーデニング用品などそう細かくなくて、アイデアで勝負できるものを作って、販売できたらなあと思っているところである。木工って楽しいなあと思うときは、ああしようこうしようとアイデアを繰っているときが一番である。もちろん出来上がって、思い通りになったときも楽しいものだが、納得のいかないものは蹴飛ばしたくなるものである。

【作業日誌 7/17】
じょんのペットゲート取り付け工事

今日のじょん:じょんが一番喜ぶお客さんは舞鶴のヤーダさん夫妻である。というより一緒に来るジローかもしれない。一番仲良しのジロー君とは一緒に繋いで放っておいても大丈夫。オトーはおみやげに果実酒を貰ってご満悦。Img_1046 Img_1049

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蝦夷・アイヌ・縄文人(5) 7/16

2010-07-18 | 日記・エッセイ・コラム

2010.7.16(金)曇

  7月14日讀賣新聞の文化欄に「蝦夷を阻止 東北に防衛線」という記事が載った。ヤマト王権の侵略を甘んじて受けていた蝦夷が反乱を起こし、そのために強固な防衛線を張ったという土塁等が発見されたと言うことだ。現地の歴史関係者が色々と語っているが、タイトルにある様な感じで、いかにも蝦夷が侵略者のような書き方をされている。私たちも教科書には無くても、親や先生から、悪い蝦夷や熊襲を朝廷が征伐したという風に教えられている。もちろん事実はまったく逆で、侵略者は大和王権である。勝てば官軍式の歴史認識は根強いと思うが、学問の先頭に立っている者がそうであってはならない。歴史は常に権力者の私物であった。しかし歴史と文化の本来の持ち主は民衆である。私が歴史を研究する際のポリシーは、「歴史を民衆の手に取り戻す」ということである。
 この項の最後に言語について、私の想像を語っておきたい。
 地名を研究しているとアイヌ語地名というのに出くわす。地名に何の興味も無かった学生時代から、新聞や週刊誌に東京にもアイヌ地名が残っているとかいう記事を見かけた。麻布が入っていたと思うが、果たして麻布がアイヌ地名かどうかは定かでない。しかし東京にもアイヌ文化の影響が及んでいるのかという驚きを憶えたのは確かである。北海道の一部に住んでいると思っていたアイヌ人が実は本州の遠いところまで住んでいたんだという驚きである。いまではアイヌ文化圏というのは静岡県当たりまであるというのがひとつの説らしい。ところがアイヌ地名というのは近畿でも、九州でもあるらしい。これはどういうことだろうか。「地名の研究」柳田国男著にもアイヌ語地名について記述があり、トマム、トマン、ニト、ヤチなどの湿地についての地名について考察しておられる。バチェラー氏語彙を基礎にした考察で、実際の地名は東北、関東に多いが近畿にも九州にも見受けられる。山に登る方なら比良山系の堂満岳はご存じだろうし、岩登りをされる方なら六甲の堂満の岩場は知っておられるだろう。ニタ、ニト、ヌタ、谷地なんて小字も近畿でいくらでも見られる。
 近畿から西におけるアイヌ地名に関する書物は沢山出ている。まだ読んでいないので何とも言えないが、アイヌがそういう地域に居住したということは、歴史や言語の専門家からは認められてはいないのじゃないだろうか。それにもかかわらずアイヌ語地名が存在するとしたら、それはアイヌ民族のルーツと考える縄文人、あるいは蝦夷の使っていた言葉、これは原日本語とでも言うべき言語が各地で使用されており、その文化を忠実に継承してきたアイヌ人の言葉、アイヌ語が最も類似しているということなのではないか。これがわたしの想像する歴史である。
 上林の地においても原日本人が居住していたと思われる。葛禮本神社の石棒、大唐内の大蜘蛛退治伝説などわずかではあるが痕跡らしきものが存在する。地名においてもアイヌ語で理解できるものもいくつかある。Img_4752 Img_4176

念道と志古田


無理矢理アイヌ語で考えると、念道はnay to(川の沼)、志古田はsi-kot(大きい窪地)などとなるのだが、さて?

  それらを研究する前に、人類学、言語学、そして原日本人と考える縄文人に関する研究の旅をしてみたいと期待にあふれているのである。終わり(蝦夷・アイヌ・縄文人(4)は2010.7.13)

今日のじょん:蚊やブヨの季節となってきた。ダニ、ノミはフロントラインでどうにかというものだが、蚊、ブヨは困ったものがある。フェラリアは予防接種で大丈夫だが、刺された後の痒みで、一日中カイカイじょんとなっている。虫除けスプレーや電気蚊取りなどのヤワなもんじゃ上林の蚊には太刀打ちできない。極めつけはやっぱり蚊取り線香である。ところが一日中焚いてもお腹のあちこちをやられている。特に皮膚の柔らかいところは気の毒だ。かみさんが気づいたのだが、ウッドデッキに寝そべっているとき、ウッドの隙間から、床下の蚊に刺されているようだ。こりゃあデッキの上でいくら焚いても効かないわな。Img_1030
 
 

 

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