晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

進化する寿命延ウォーキングー7 2/26

2019-02-26 | 寿命延ウォーキング

2019.2.26(火)快晴

 ふたつめが、「一気に着地しないこと」である。わかりにくいかもしれないが、普段の靴を履いての歩きでは、いかにドスンと着地しているか寿命延ウォーキングをしていると解ってくる。なぜ一気にドスンと着地するかって、それはそうしても靴に護られた平らな舗装道では何も問題ないからだ。石だらけのゴーロや障害物の多い野山の歩きではあっという間に足裏を傷めてしまう。着地は無造作に一気に行うのではなく、踵から順次足裏で地面を確認しながら加重していく。例え石などの障害物を感知しても完全に加重していないから、足を傷めることは無い。また浮き石に乗ってもバランスを崩すことは無いのだ。この歩き方は一般的なウオーキングの正しい歩き方とはかなり違っている。例えば体重移動は着地する足にスムーズに行われるわけではなく、踵着地から安全確認が終了するまで徐々に行われ、体重は軸足に多くが残っている。安全が確認できたときに一気に体重移動が行われ、移動したと同時に蹴り出しが始まる。このように体重移動が強弱を持って行われるので、両足の筋肉の負担は大きくならざるを得ない。また足裏で探りながら体重移動を行うため、着地側の膝は直線的に伸びているというよりは、心持ち曲がっている。これは障害物を探るためと、障害物があった際に思い切り体重がかからないようにするため、またバランスを失ったときにすぐに対応できるためである。このことは一般的なウオーキングの原則とは異なるところである。人類はその大部分をこういった歩きをしていたと考える、つまり裸足で野山を歩いていたわけだから。

左足拇指の血豆は昨年12月素足、地下足袋で山行したときのもの、右足の第四趾(薬指)は材木を落として怪我したもの。地下足袋は靴よりは保護性に欠けるのは当然である。
【今日のじょん】2011年に発行した「じょんとも」に登場するワンコもその多くが亡くなって、残り4匹と1頭(ヤギのメー)のサバイバルとなってきた。上林ではじょんの他ゆきちゃんとメーのみなので気になる存在である。ゆきちゃんは保護犬でもともと年齢不詳なんだがじょんよりは歳いってると思われる。耳は遠くなっていると聞くが、毛づやもよくまだまだ頑張りそうだ。

ゆきちゃんとメー  

 

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進化する寿命延ウォーク-6 2/19

2019-02-19 | 寿命延ウォーキング

2019.2.19(月)雨

 足裏が護られなければならないとすれば、踵着地で足裏の外側を通り母趾のつけ根で蹴り出すというウオーキング基本の足の運びは、足裏を護るということが第一の目的となっているはずだ。60数年歩き続けてきてこの足の運びは出来ていなかった。ウオーキングを始めて習って、意識して始めて出来た歩きなのだ。なぜこの足の運びが出来なかったのかよくよく考えるとそれははっきりしている。靴底のしっかりした靴を履いて、アスファルトの道を歩いている限り、足裏を護る必要は無いわけだ。ひょっとしたら、ゴム草履をはいて野山を駆け巡っていた子供時分は正しい歩き方ができていたのかもしれない。でもこれからも靴を履いてアスファルトの道を歩くのなら、正しく歩かなくても大丈夫と考えられもするだろう。しかし人類はその歴史のほとんどを裸足で野山を歩いてきたのだ。その進化の過程で安全で効率的な歩き方を確立し、そのことによって健康な体と健全な精神を作り上げてきたのではないだろうか。これが現在正しい歩き方をしなければならないという考え方の基本である。裸足に近い地下足袋のゴーロ歩きを数か月続けただけでこの真理を発見することができた。
 地下足袋で里山、ゴーロを歩き始めてからまだ一年もたたないのだが、当初おっかなびっくりでまるで進めない状況から今では道路上と同じスピードで歩くことが出来るようになった。足裏に石を踏みつけて傷み、一週間ほど歩けなかった事など夢のようである。今では足裏を痛めない歩き方が出来ているのだがそれは従来の歩き方とはかなり違ったものになっており、あまたのウオーキングコーチの解かれる説にも出てこないものである。

昨夏でこの状態、今ではぼろぼろだが裸足が前提だから問題ない。
 そのひとつが、「踵の角で着地しないこと」である。あるウオーキング本に、北朝鮮の軍隊の行進のように歩くこととあったが、これは最悪、地下足袋によるゴーロ歩き(進化する寿命延ウォーキング)では数メーターも歩けない。足裏の最後部の角より足指よりの膨らんだところ、踵丘とでも呼べばいいところで着地すると石を踏まない。そしてドンと一気に下ろさないことである。ゴーロや凸凹のダートではつま先を充分に上げておく必要があるのでこの着地法はそれなりの筋肉とパワーが必要となる。続けているうちに着いてくるものだが、当初は何度もつまずいた。お風呂でグーチョキパー体操をしたり、足指タオルつかみなども効果的である。つづく

【今日のじょん】マウイちゃんが弱ってるってかみさんが言うので見舞いに行く。確かに筋肉は落ちて歩きもままならないが、食いもんはしっかり食べるのでまだまだ頑張りそうだ。

おかげんどうどす、まあまあ痩せちゃって、ごめんやしてgugu、、、

なんしとんじゃい、、まっいいか。

 

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マインドフルネスシンポジウムに行く 2/16

2019-02-16 | 健康

2019.2.16(土)曇り

 人・健康・未来研究財団主催のマインドフルネスシンポジウムに出席した。マインドフルネスはストレス低減の画期的な方法として近年注目されており、会場は予想以上の満員盛況状態だった。いつもお世話になっているの中井先生にご挨拶に上り、前列に陣取る。今回のシンポジウムの特徴は心身医学のドクター以外に脳科学者や禅宗の僧侶をされている方を招き、マインドフルネスの可能性を追求しようかというものである。
 シンポジウムの内容はいずれ機関誌人・健康・未来に掲載されるのでその際に案内する予定だが、じょんのびウオーキングに応用できないか考え中である。禅に座禅と歩行禅があるように歩くマインドフルネスは可能だと考えている。

【今日のじょん】15日のことである。山にしか雪が見えない冬なのに、奥上林老富に行くとこんなに雪があった。例年ならうんざりとするところだが今年は何となく嬉しい気がするから不思議だ。日本海まで出るとすっかり雪はなく、春の海のたりのたりの風景である。

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続・そばを打つ 2/13

2019-02-13 | 食・レシピ

2019.2.13(水)曇り

 1月のそば打ち教室のリベンジとして再度そば打ちをする。先月一緒に申し込んだ二人もすっかりはまったようで再度挑戦ということになった。今回は水回しから本延ばしまで割合スムーズに行った。やはり一度の経験が効いたようだ。隣の初めて参加の女性を見ていると初めての時は大変だなあと感じる。助けてあげたいのだが、はてさてその余裕は無い。

こんな感じでやってるわけ 
 前回失敗の本延ばしは特に注意して進める。おかげさまでそれなりに格好はついたが切りはやはり難しい。均一に切るためにはリズムが必要なんだが、疑心暗鬼でやってるから途中で何度も止まってしまう。そのたびに太いのやら細いのやらで素人っぽい。まあそれでもそばらしいものが打ち上がったのは材料がいいことと、先生の指導よろしくと言うことだろう。先生の教室が今春で終了ということで、問題は今後どうやって練習するかと言うことだ。とりあえず道具は里山ネットで借りられるらしい。

これらにこね鉢とのし棒がセット 
 そば粉や打ち粉などの材料と場所を確保して月一程度の勉強会を開こうかと小沼さんと相談する。栽培は今夏から始めるべくもくろんでいる。最終目標は自分で作ったそば粉を自分で打って調理して食べることだ。慌てずにぼちぼちやっていこうか。
【今日のじょん】
 さて家では例によってにしんそばを作るんだが、前回よりも細く切れてるなあというかみさんの言、ニシンがおいしいなあなんてトホホな評価もあって、まっいいか。

 麺食いのじょんは大喜び、特に分厚いそばが好きなようで一番喜んでくれるのが彼みたいだ。

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二人のアイスマン-3 2/12

2019-02-12 | 雨読

2019.2.12(火)雨

 ではなぜ靴が発明され使用されたのだろう。少なくとも5000年前のこのアイスマンが使っていた靴は、防寒と防滑である。靴の内部に防寒用の干し草が入っている。また滑り止めの革紐が巻かれていたとの報告もある。
 人間の足は氷雪の上を歩くときいかに滑りに弱いか冬の白骨温泉で経験した。露天風呂に通う通路は橋状になっていたのだがそこは固まった雪が氷となっていた。そこを裸で歩いて、裸足が氷にこれほど弱いものか思い知った。つるつる滑ってとても立っては歩けない、四つん這いになってようやく露天風呂に通った。答えは簡単である温まった足裏が氷を解かし、水の層を作るためである。これを防ぐには足裏に断熱素材を履く必要がある。靴底が毛皮ではなく革製であったことも滑り止めの意味が強かったのだろう。
 それだけの用途ならサンダル、草履でも良かったわけだが、防寒、防護という意味で踵や甲を覆う靴が形成されていったものと想像される。日本では明治に至るまで草鞋、下駄が使用されたわけだが、寒冷地ではわら靴やアイヌのサケ皮の靴が使用されていた。これらはどこかから伝わってきたというより自然発生的に考え出されたものではないだろうか。つまり靴というのは氷雪に覆われる寒冷の地に発明され使用された用具なのではないかということを考えさせられる一冊であった。
 靴に絞って考察してきたが、5000年前の石器時代の人間が如何に多くの道具を使っていたかということに驚かされる。一人の行き倒れの男が持っていただけでも多いのだから、村での文化というものは相当だろう。エジプト文明以前の人間など簡単な石器以外に何も持っていないだろうという思いが一気に吹っ飛んでしまった。まして基本的に現在と変わらない靴が存在していたことも驚きである。つづく
 

 【今日のじょん】昨日少し雪が降った。今季5,6度目の雪なんだが幸いこの程度で済んでいる。気温も零下になることはなく、エルニーニョ現象が顕著に現れている。

 北日本の方には申し訳ないが、暖かい冬を過ごさせてもらっている。ところがじょんは歳のせいかやたら寒がりで、おしっこも大変。飯食ったらストーブの前でマールくなっておるのだ、ワン。

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天狗岩から堀尾峠-3 2/9

2019-02-09 | 山・峠

2019.2.9(土)曇り

 643mピークから浅原に降り始めても道は見つからない。道標も目印テープも無い、ふと脇を見たら荒れてはいるが古い峠道らしき掘り込みがある。
 峠の魅力は人の匂いである。往時の人が慈しみ手を入れてきた道、お地蔵様や小さな祠、道標や古い石垣など人の匂いもするものがとても嬉しい。

立派な峠道
 尾根道に作られた堀尾峠の道は斜面をジグザグに下っていく。倒木や馬酔木の灌木が行く手を遮る。整備前の小栗峠弓削道もこんな感じだった。それにしてもこの峠道やたらと分岐が多い。分岐と言ってもやがて合流する道で、よくあるケースなんだがとにかく数が多い。昔の人がいたずらに沢山の枝道を作ることも考えられないので、なんらかの理由があるのだろう。崩壊が多いのか、荷車の通行量が多くてすれ違いや退避の道を作ったのだろうか。道幅は小栗峠弓削道と同様の立派なものだ。
 倒木や崩壊に苦労しながら歩いて行くと、道の脇に妙な小屋跡を発見。奇妙な金属機器や蓄電池などがうち捨てられている。機器をよく見ると、「積算雪量計、昭和36年、、、」などと書かれたプレートが着いている。少し横に地面に掘られた穴があり、周囲に鉄板が張られている。どうやら気象観測の設備らしい。

観測小屋の跡、お釜のようなのが雪量計。
 やがて左下から沢音がしてくる、尾根道から谷道となるわけで谷に降り立ったところに苔に覆われた地蔵様を見つける。この地蔵様は存在を知らなかったので大発見をしたような気持ちになる。そっと苔を剥がすとそのお顔は小栗峠の地蔵様によく似て実に良い顔をしておられ、思わず両手を合わせる。何か銘は無いかと探すと背面に「志主 川北・・・」とある。この峠がかなり重要な位置を占めていたことが解る。

 以降谷道を下ることになるが、なんとも細い田んぼが段々に続いている。昔の人はここまで苦労して米を作ってきたのだろう。それにしても歩きにくいことはこの上ない。先が開けて明るくなってきたら、右の斜面が大きく崩れている。この崩れは里からも見えるもので、渡りきると川北(則)さんのお宅に飛び出た。
 五十嵐さんのお宅で発破小屋と観測小屋の件を尋ねたが、予想通りであった。今回の山行はいろんな発見があって実に楽しかった。おわり

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天狗岩から堀尾峠-2 2/6

2019-02-06 | 山・峠

2019.2.6(水)曇り

 飛び出した稜線は703mピークよりは西であることは解っている。そうすれば東に見えるのが703mピークで西に見えるのが643mピークだ。703mピークはこれだけの山だから名前が付いていそうなものと、地元の人に聞くが解らない。森林組合に行っても解らず、そこで紹介されたかつての森林組合長だった森井さんに尋ねても解らなかった。実はこの山にアス、アシの付く山名を期待していたのだ。アス、アシは岩、岩壁などを表し、浅原(あずら)の語源と考えているからだ。
 飛び出した地点からは天狗岩は見えなかった。703mピークに向かってひとつこぶを越えると途端に天狗岩が現れる。巨大なチャートの塊で赤色チャートの部分も見える。頭に松の木が生えており、天狗岩の名のとおりの山水画に出てくるような岩塊だ。永年追い求めてきた景色だけに感激もひとしお、採石跡には行けなかったが、大満足。

っと見つけた天狗岩
 天狗岩の上部のピークが703mピークと思い、たどり着いて仰天。そのすぐ東に同じくらいの高さのピークがあるではないか。地図では703mピークから先には当面ピークは無い、前回飛び出したコルがあるのみだ。麓から天狗岩を眺めたとき双耳峰になっていたことを思い出す。その東側のピークが703mピークだから、天狗岩は703mピークの西のピークにあるということになる。そんなわけで703mピークも踏んでおこうと先に進む。703mピークから引き返して堀尾峠を目指す。この間の稜線には赤色チャートがそこら中にある。上林では川や谷でよく見かけるが稜線上で見かけるのは珍しい。チャートは放散虫などのプランクトンが堆積化石化したものであるが、赤色のものは酸化鉄に起因する。

チャートは硬くて風化しにくいので山稜を形成しやすい。
この辺り伐採されて遠望だけは良くなっている。長老ヶ岳から和知の山並み、その向こうに何重にも山並みが見える。
 643mピークに近づくと尾根が広くなってきて、適当に登っていくとピークにたどり着く。昼食の残りをたいらげ道を探す。主稜線の南側に示されているが、北側を進む。峠道は次のこぶから北へ浅原に向かって下っている。養立(和知町)に下りる道は643mピークから南に下っていくのだが、確認はしていない。堀尾峠とは二つのピークから南北に下る峠なんだが、一体どこを峠と言えばいいのだろう。中間のコルを呼ぶのも変だし、二つのピークとコルを合わせて堀尾峠と呼べばいいのだろう。

北の実線は12月に登ったルート、南が今回のルート。赤丸が天狗岩。

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天狗岩から堀尾峠 2/5

2019-02-05 | 山・峠

2019.2.5(火)快晴

 前回天狗岩を目指しながらも随分北の稜線に飛び出し、天狗岩の姿の一部も見ることなく終わってしまった。読図力の無さに落胆しながらもリベンジを期して再度アタックする。正しい取り付きは解っているので、間違いなくその谷に入り、天狗岩の直下から稜線を目指すことにする。問題は天狗岩がどこにあるか知らないことだ。天狗岩で珪石の採掘を行っていたので少なくともその時には人が登っている。毎日のように通った道が踏み跡として残っているはずだ。
 2019.2.5(火)快晴
 メンバー 小原英明 工忠照幸
 タイム  五十嵐さん宅出発 10:35
      本谷分岐     10:45 右登山道へ
      発破小屋     10:55
      二股       11:00 左へ
      右岸に渡る    11:15 ミツマタ多し
      奥の二股     11:30 右へ
      最奥の二股    11:40 左へ
      稜線       12:25 12:40出発
      天狗岩のピーク  13:00
      703mピーク  13:20 13:25出発
      643mピーク  14:00 14:15出発
      川北さん宅到着  15:45  

 昨日までの雨もすっかりやみ、朝から絶好の登山日和になった。10時過ぎにじょんのびを出て浅原に向かう。五十嵐さん宅に挨拶し、車を置かせてもらう。

五十嵐さん宅から見える天狗岩。
  天狗岩取り付きの道は前回反省を活かし、第一堰堤の先を右に入る。思ったより広い道で、当時は珪石を馬車で運んだそうだ。しばらく進むと左手の樹林の中に怪しげな建物が現れる。コンクリートの小さな小屋で、屋根は無く、正面は壊れているが周囲には小さな窓がある。

怪しげな小屋 
沖縄に復帰時まで残っていたという監置所のことを思い出してドキリとしたが、まさかこの地にそのようなものがあるはずもなく、鉱山関係者の便所 かなあ、、いやいやそんなものわざわざコンクリートで作るはずも無い。よくよく考えれば鉱山で使っていた発破(ダイナマイト)の保管庫に違いない。だとすればこの道が天狗岩に向かう道だということがはっきりする。
 今回は天狗岩の採石場から703ピークを目指そうというものだ。天狗岩までは採掘の関係者が毎日通っていただろうし、年月がたっていても道が残っているはずだ。地図上には途中までしか道の破線は示されていない。それはかつて馬車が往復した道であり、天狗岩からはその道まではケーブルが張ってあったそうだ。つまりケーブルと馬車の中継場所があるはずだ。三和町川合(現福知山市)には多くの珪石鉱山跡があり、ズリ(鉱滓)やケーブルの痕跡があちこちに残っている。この谷にも痕跡が残っているだろうと目をこらして登っていくが、人工のものは何もなく、ズリらしきものも見当たらない。天狗岩は703mピークの直下にあるものとしてその部分を目指して谷を詰めていく。ところが地図上に現れない分岐が次々現れ、判断を鈍らせる。道がはっきりしている間は問題ないが、踏み跡程度になってくるとなかなか困難だ。分岐毎にタイムと記録を書いていく。後でどこを通ったか解るように。

 谷は植林の部分を除いて原生林の様相を見せ、ブナやカツラの巨木が立ち並び、近年上林で人気を集めているミツマタの群生地も見られる。谷筋のゴーロは苔に覆われ、それなりに素晴らしい景色となっている。
 天狗岩は姿を見せないまま、踏み跡は消えてしまった。水流は消え、なだらかな斜面のツメの様相となってきた。また天狗岩へは行けなかったかとがっくりくるが、一体どこへ飛び出すのだろうかと期待感が沸いてくる。
つづく

 

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