晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

嗚呼 木住峠-6 3/27

2018-03-27 | 山・峠

2018.3.27(火)快晴 木住峠-5は2017.12.25

 木住峠清水道山行記録

 山行日 2018.3.27(火)快晴
 メンバー 小原英明 工忠照之
 タイム  五泉荘出発    10:25
      清水たたら跡出発 10:40
      地蔵堂着     11:30  発 11:40
      P409の尾根引き返し12:00  昼食
      地蔵堂再出発   12:30
      遊里道に下る支尾根12:50
      木住峠      13:10  発13:20
      岸谷側引き返し  13:30
      木住峠      13:40
      遊里道徒渉点   13:55
      林道出合     14:10
      遊里バス停    14:50
 
 今回の目的は木住峠清水道が特に清水鋳物師を意識した近世の産業道路ではないかということを確かめてみたいことである。そのためには清水道が荷車が通れる広くて緩やかな道であること、木住峠岸谷側も同様であること、遊里道がその逆であることなどが確認できればよい。その上井関家を示す石造物や馬の水場などあればより確かなものになる。そういう目的をもって登ると随分楽しい、上林たんけん隊の真骨頂だ。
 五泉荘に車を置き、工忠君にそれらの思いを話しながら清水まで歩く。井関家のたたら跡によって鋳物滓など見学し、スタートする。たたら跡は井関八左衛門宅で、現在の府道を渡って井関伝兵衛、その向かいに井関辰右衛門そして道場の北に井関伝助といずれも近世の鋳物師であり、この辺りが清水鋳物師村の中心地のようだ。道はその真ん中を貫いている。道があったから鋳物師が住み着いたか、鋳物師がその必要で道を作ったか解らないが、井関家に残る古文書に道に関するものがないものかと思う。

井関家の庭に残された鋳物滓、これは上林川のどこにでも発見される。
 さてその道を辿っていくと各家のお墓が並びやがて獣害ネットに行く手を阻まれる。入り口が解らないので倒木をよじ登ってネット内に入る。左手に小屋が見え、近づくとかつての取水小屋のようだ。小屋のところで道は二つに分かれている。右手谷沿いに行くのが木住峠への道で、左は清水の南方面に降りる道のようだ。

左:かつての鋳物師村の真ん中を道は進む。
中:防獣ネットを越えて中に入る。
右:取水小屋のところで道は二分する。 
 谷沿いの道は倒木倒竹で歩きにくい、すぐに右手に谷を渡る。往時には橋が架けられていたのだろうが現在は倒木で埋もれている。その先も倒竹で歩きにくいが道幅は広く、かつては立派な道だったことが偲ばれる。つづく

右手の尾根に取り付く徒渉点、倒木を伝って渡る。

 

 


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あらしのよるに 3/25

2018-03-25 | 文化に触れよう

2018.3.25(日)快晴

 「あらしのよるに」は木村祐一氏による有名な絵本で、ミュージカル、映画やテレビアニメ、歌舞伎にまで上演されている人気のストーリーである。狼とその餌であるはずの山羊が友達になるというなんとも不思議な物語なんだが、空腹と友情の狭間で葛藤するというのは聞いていたがいったいどのように話が展開するのか大変興味を持っていた。さりとて本を買うほどでも無く、映画を探すほどでもなかった。
 そこへ全労済さんの催しでミュージカルが中丹文化会館に来ることとなった。急いでチケットを購入しワクワクしながら今日まで待っていた。

上演中は撮れないので終了後の舞台
 春休みの親子劇場というということで子供連れのお客さんで館内は満席、300円という入場料の安さも影響しているのかも。劇団俳協のミュージカルで、子供の気持ちになって観ていたんだが、これって子供に解るかなあと言う心の機微を表すところも何カ所かある。なるほどこういうストーリーなのかと感心しながら楽しんでいたが、最後の方は狼のガブと山羊のメイが雪の山を越えるというまるでサウンドミュージックのような話になってきた。これで二人そろって雪の山を越えて新天地に降り立てば、サウンドミュージックとおなじだなあと思っていたら、あに図らんやガブは雪崩に巻き込まれてしまうのである。生死のほどは「あしたのジョー」みたいに解らないのだけど、メイは無事に新天地にたどり着き、これは「大脱走」のような結末だ。単純にハッピーエンドにならないところが、最近の絵本なのだろうか、いずれにしても観たかったものを観ることが出来てハッピーな気持ちだった。

春休み始まったばかりで子供たちも楽しそう。

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解明マヤゴ-1 3/22

2018-03-22 | 大唐内のこと

2018.3.22(木)雨

 大唐内(おがらち)は歴史的にも民俗学的にも貴重な地域であり、最も早く調査研究に取り組んだところである。老富(おいとみ)の方々の協力も頂き、生守山(いもりやま・地元では丸山)に連れいってもらったり、調査のために皆さんで集まってもらったり、お世話になった。「大唐内は中国と関係あるんかなあ」という土井さんの言葉で上林の地名を調べ始めたのだが、大唐内はインドでも中国でも朝鮮でもなく、大河内(おごうち)と同様の地形地名であることを発表した。(2015.3.1参照)しかし調査の集会の際に出た「マヤゴ」(大唐内の聖神社の周辺)の意味はずっと不明だった。

マヤゴは聖神社とその前に続く居住地の小字名
  かつて大唐内に住まいされていた水田さんが「古い朝鮮語で神聖な場所という意味」とおっしゃっていたと酒井さんから聞いた。神社の在るところだから神聖なところには違いないし、摩耶山なんて山もあるなあと思っていた。しかし、摩耶は釈迦の生母のことで関係なさそうだ。韓国語や古朝鮮語に関する書物を読んでもマヤゴは出てこない。次に考えたのは旅籠(はたご)ならず馬屋籠(まやご)ではないかというものだ。胡麻峠に首無しの地蔵さまがある。愛宕山に向かう首無峠の地蔵さまは、馬喰が博打のまじないに首をとったという話を聞いたことがある。
 ところが籠は馬の飼料を入れる器や旅の荷物や食糧を入れる器で旅館や小屋を言うものではなく、馬屋籠という言葉は成り立たない。ただマヤゴのマヤが馬屋の可能性は無きにしも非ずだ。大唐内や胡麻峠の向こうの与保呂や多門院が牛馬の生産地ではないだろうか?詳しくは調べていないが特に顕著な産地ではなさそうだ。

こういう建物を予想したのだが、、、(小唐内にて)

 もしマヤゴが馬屋に関係しているとしてもそれは近世以降のことと考えられる。地名というのはもっともっと古い時代に付いていると思われるし、仮にマヤが馬屋ならば馬屋と漢字表記されているはずである。口語の地名が漢字表記されるのは地方においては中世から近世だと言われている。地方の役人や僧侶などの知識階級に口伝えの地名が漢字表記されることとなったのだろうが、漢字には意味があるので意味の解っている地名にはそれを意味する漢字が当てられたことだろう。ところが多くの地名が意味不明になっており、その上二字佳名の伝統の制約もあり意味の通った地名を付けられないのが実状だったのではないだろうか。それで適当に漢字を持ってきて付ける、つまりあて字で付けられてしまったので今日地名語源を解明するのに字面を見てはいけないという風になっている。ではマヤゴのようにカタカナ表記になっている地名はどういうことだろう。口伝えの地名が文字になり漢字になろうとするとき、もうそれが何を意味するか解らず当てる漢字がない場合カナで残すというのが考えられる。マヤゴはその地名が付けられたときには意味があったのだが、それが漢字に書き換えられようとするときにはその意味が理解できなかったと考えられる。老富町にはスギヤケ、ノガハナ、ヒシリ、ショウガ谷、フケなどのカタカナ地名がある。単純に考えて、マヤゴは古代に付けられた地名だろう。古代には意味があったのだろうと上代語辞典を紐解いてみる。

上代語とは表記されるようになった頃の言葉、主に奈良時代の言葉だそうだ。

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10歳はめでたい 3/20

2018-03-20 | Dog

2018.3.20(火)雨

 じょん君10歳の誕生日おめでとう
 じょんが信太山で生まれて10年になる、普通のワンコならどうってこと無いのだがじょんは別物だ。兄妹のマーブルとくるみちゃんが同じ病で5歳で亡くなった。自己免疫性貧血という恐ろしい病である。ワクチン接種を契機に発症しているのだが、じょんは幸い発症しなかった。
 ところが赤血球の値は極端に低く、いつ発症してもおかしくない状態で、これは恐怖である。当面の目標を10歳において、かみさんの並々ならぬ努力が始まった。

 今朝はは無い時で元気が無い、じょん桜は2歳の誕生日に買った物。
貧血に対する特効薬は無いようだが、ビタミンCを奨められて飲ませたら、胃腸障害を起こしてしまった。定期的に血液検査をするも赤血球の値は芳しくなく、いつ発症するかという恐怖はなんともつらいもである。
 遊びに来るワンコの赤い舌を見るとじょんの白っぽい舌が実に悲しい。あるときから鶏のレバーをフードに混ぜることにした。人間の貧血には効果があるのだが犬にはどうだか解らない。動物病院の先生たちも奨める様子は見られなかったが本犬は喜ぶので続けている。するとどうだ、心なしか舌も赤くなってきて、血液の数値も上がってきた。

 誕生祝いにいくみちゃんにもらったクッションと首飾り
 ところが治療の過程でどうやら副腎皮質ホルモン低下症ではないかということが解ってきた。ステロイドを投与すると元気に暮らしているのだが、切れるとぐったりしてしまう。このことと貧血が関連があるのかは解らないが、とにかくステロイドを投与し続けなければならない。副作用のことも気になり、どんどんやることも出来ない、出来るだけ少量を間をおいてやってるのだがその間元気になったりぐったりしたりで、ある時無い時現象だ。そのほかサーモンオイルとか色々食べ物にも気を遣い、定期的な検診と併せてじょんゲル係数は相当なものである。それだけに10歳の誕生日は実に嬉しい。次の目標は15歳やで、と言ってるが犬の平均寿命が13歳余りなので病弱なじょんが15歳まで生きるのには強い生命力と愛情が必要かなと思っている。

 


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若水庵に行く 3/13

2018-03-13 | 旅行記

2018.3.13(火)快晴

 骨董の品川さんが大原に日本料理の店を出したというので、じょんも連れて行く。大原たって京都の大原で一流の観光地だぞ。ネットで調べると江文神社に向かう途中で実に懐かしいところだ。30数年前までは金比羅の岩場に毎週のように通っていた道で、トライアスロンに出会ったのもその道中である。京都で初めてと思われるトライアスロンが踏水会で泳ぎ、大原街道を自転車で走り、江文峠辺りを走って行われた。岩登りに行く途中でその光景に出会い、岩登りをやめてボランティアで交通整理していた。その帰りに自転車を予約しトライアスロンを始めることとなった。なんとも思い出の場所である。
 お店の庭からも金比羅の岩場が眺められ、なんとも懐かしい。広い庭にじょんも大喜びだ。いくみちゃんにもらった首の襟飾りがかっこいい。

さて待望の料理は、とってもきれいで食べるのがもったいないくらい。

これ先付け
 でもお腹も空いてるのでぱくぱく食べてかみさんに叱られる。よくぞこれだけ手がかけられるなあと感心するが、実においしい。日本料理ってきれいでおいしいがなんとなく物足らない感がするのだが、次々といろんな物が出てきてついにお腹いっぱい。それでいてリーズナブルで大満足。骨董屋さんだけに器が素晴らしい、聞けばびっくりするような器だそうだ。

季節の物もあってうれしい。
 骨董も色々見せて頂いたが、ご主人のポリシーがひしと伝わってくる。
どうこれ

すっかり長居して、記念写真撮って家路につく。いや~また伺いたいお店デス。 

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シャレコウベが語る-2 3/9

2018-03-09 | 雨読

2018.3.9(金)雨

 本書では縄文人の顔形などが年代的にも地域的にも差異が少ないと書かれているだけで、アイヌの人骨について書かれているわけではないので念のため。
 わたしは沖縄についても原日本人(縄文人)が濃い状態で残ってきたという風に考えていた。それは体長が短く、彫りの深い顔、がっちりした体格が縄文的かなあと言う程度のものだが、アイヌ語的言語が残っているのもその理由である。ところが本書ではそれほど単純な問題ではなかった。

本書は骸骨の写真がいっぱい。
 沖縄の縄文人は決して背が低くない、そして鼻が高く彫りが深く顔面は大きい。ところが弥生人はと言うと、極端に背が低く、顔は小さく短頭型(頭が円い)というのである。つまりこの地域では縄文人と弥生人の遺伝的連続性が見られないと言うことだ。そしてこの弥生人と同様の形質を持った人骨を山東省(中国)で発見されている。もっとも興味を引いたのは、ゴホウラやイモ貝の腕輪である。森浩一先生の本などでいやというほど見ることがあったが、何の興味も無くて読み飛ばしていたが、実はこれが渡来系弥生人の顕著な指標と知って驚いた。これらの腕輪は沖縄など南の海で参するわけだが、使うのは北九州の渡来系弥生人だという。中国の古代人は玉を好んだ、玉の無い北九州ではその代用品としてこれらの貝を使ったというのである。沖縄ではこれらを生産輸出したわけだが、それを必要とすることを知っていたのは、沖縄の弥生人も一種の渡来系であることを物語っている。

徳之島面縄でみた弥生人骨(女性144.8~146cm)

 そして福建省、台湾に南九州・南西諸島タイプの弥生人に類似した人骨が無いことで、南西諸島に南方からの人の移動いわゆる北上する海上の道は無かったと結論づけている。
 このように古代史に関して示唆する内容が多々あるのだが、本書の魅力はもう一つあった。それは骨から見た日本人の未来である。顔形は美しくなるが、均一化する、あごが細い、乱ぐい歯、大足などのタイトルでその未来は解るが、このままでは短命化が進むということである。人類は500万年前から飢餓と労働に苦しんできたので人間の体はそういう環境に適用する代謝システムになっている。ところが日本では飽食の時代がやってきて代謝システムが間尺にあわない。飢餓と労働(苦役といったほうがよいかも)に代わる正しい食事(よく噛むこと)や運動を取り入れる必要がある。おわり
 

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シャレコウベが語る-1 3/8

2018-03-08 | 雨読

2018.3.8(木)雨

 「シャレコウベが語る 日本人のルーツと未来」松下孝幸著 長崎新聞新書(2001年7月発行)古書
  久々に楽しく、一気に読んでしまった。余談だがこの本が手元に届くまで随分事件があった。まず、他の本と2冊注文したのだが、他の本だけ送ってきた。問い合わせのメールを入れると、失念していたということですぐに送るという返事があった。ところが待てど暮らせど届かない、親切な本屋さんなので間違いはないと思うのだが、改めて連絡すると、確かに送っているので郵便局に問い合わせるという返事だった。郵便局の調査もあったが一向に埒が開かない。どこかで買ってきて送りましょうか?とまで言ってくれるので、キャンセルの処理でいいですよと答えておいた。その矢先に郵便局から届いた、どうやらどこかの地方に誤送されていたらしい。手に入らないとなると読みたくなるもので、届いたときは嬉しくてすぐに読み始めたのだが、これがまた面白い、一日で読んでしまった。

 日本人のルーツについて、1万3千年もの縄文時代をさしたる変化も無く縄文時代人が暮らしていたところへ大陸や半島から渡来人が押し寄せ混血が進んだと言われている。しかしその客観的な証拠はと言うとなかなかはっきりしたものが無いと思っていたのだが、本書は実に見事にこの問題に応えている。
 著者の松下氏は形質人類学専攻の医学博士で縄文から現代まで1万を超える人骨を見てこられた。日本人の骨の特徴は、縄文人は北海道から沖縄までほぼ同一であり、弥生人は北九州・山口タイプ(渡来系弥生人)、北西九州タイプ(縄文系弥生人)、南九州・南西諸島タイプ(後述)に分けられるという。
 まず、縄文人が日本中に居住しており、その形質が同様であるということは、アイヌは原日本人か?という疑問に大きなヒントを与えている。わたしは全国に居住していた縄文人が、特に西日本では渡来人との混血により和人となり、ガラパゴス的に北海道に残ったのがアイヌであると考えている。つづく
【今日のじょん】6日におおい町の芝生広場に行ってきた。2月27日の写真と比べてくれい、温度差は10度以上か、寒くて堪らない。

 

 

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その名はカメジロー 3/4

2018-03-04 | 文化に触れよう

2018.3.4(日)快晴
 観たかった映画の招待券が当たった。「米軍が最も恐れた男・その名はカメジロー」アメリカ占領下の沖縄で米軍に挑んだ故瀬長亀次郎氏のドキュメンタリーである。米占領下の沖縄が如何に理不尽で悲惨であったかが影像から伝わってくるが、返還後の今日でも米軍の横暴が続いていることからも推して知るべしというところだ。    

綾部市中央公民館で上映された。 
 国会議員として活躍されている時分も憶えているが、なんと凄い人物だという思いをしていた。映画はその不屈の精神を余すところなく見せてくれたが、彼は孤軍奮闘したわけでなく、常に沖縄県民が着いていた。大衆の中で大衆の言葉で語り、大衆とともに戦いその生涯を沖縄県民のために尽くしたと言えよう。
 カメジローがいたからこそ今日の沖縄の基地反対闘争があるといわれている。カメジローの戦いは脈々と受け継がれているのだ。名護市長選に負けて、気弱な翁長知事の発言が気に掛かる。カメジローが苦笑いしてるぞ、不屈の精神で基地がなくなるまで、米軍が居なくなるまで頑張ってくれ。熱いエールを贈りたい。
 なんとも感動的な映画だった。

 追記 3月5日付け京都新聞に奇しくも瀬長亀次郎氏と美濃部東京都知事が蜷川氏の応援に駆けつけている写真が掲載された。府政半世紀という記事なのだが、内容については後日コメントするとして、なんともタイムリーな記事であった。

蜷川虎三氏と瀬長亀次郎氏は最も尊敬する政治家である。

【今日のじょん】ドッグランどの芝張り予定地をじょんと視察、砂は昨年台風で谷から押し出した廃物利用しているが、野芝の値段が4割近く値上がりしているのがつらい。輸送費の関係らしい。

4束で6千円あまり、、、うーむ

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10周年記念事業 3/3

2018-03-03 | イベント情報

2018.3.3(土)曇り

 今年の6月でじょんのびは10周年を迎える。我ながらよく頑張ってきたなあと思うが、やはり来ていただいたお客様あってのカフェじょんのびである。お礼をこめたイベントをしたいと考えている。
 それにしても開拓精神旺盛で来る日も来る日も施設の整備に明け暮れていた頃は何もかもが新しく新鮮で活気にあふれていた。ところが今や人も物もくたびれてきて傷みが目立つのに、手当が追いつかない。10周年を機に心機一転、初心に返って、じょんのびを再興したい。テーマは「どっこい、じょんのびは生きている!」
 てなわけで昨日から、ドッグランどの整備に取り組んでいる。上林川沿いの野芝がうまく着いたと喜んだ矢先に苔がはびこり始めた。芝にとっての最終の敵はやはり苔である。イタドリ、スギナ、タンポポ、カタバミ、スズメノカタビラなど手強い奴らが順次出てきたけれど、苔とススキは両横綱である。基本的に張り替えるしかないようだ。といってもそのすべてを張り替えるわけにもいかないので、今回は苔に覆われて絶滅寸前の部分を張り替えることにする。目標は10㎡。
 次に各種ペンキ塗り、店側の柱の蔦を剥がし塗り替えがメイン、ドッグランどの支柱、ベランダ周りも腐りが目立つ。昨年の台風の被害、看板や園芸倉庫の窓や樋の補修、イーゼルも郵便受けもセンサーライトも壊れている。そして今年のグランフォンドの準備、特にエイドステイションを道路から駐車場に上げるため駐輪施設をパーマネントにして作り上げたい。長年放置された長いすの設置もチャンスは今しかない。焼却炉だってもう2年もほったらかしだ。う~む、つらいなあ、できるかなあ?でもやるっきゃないか。

苔が蔓延、台風で窓が吹っ飛んだ、進まない焼却場・たまる枝葉、柱の蔦をなんとかしなくては、、、

看板も壊れたまま、イーゼルも吹っ飛んだ、この場所にエイドステイションを、、、。

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