晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

芝生物語・猛暑編(4) 8/30

2010-08-30 | 日記・エッセイ・コラム

2010.8.30(月)晴、曇

 芝生物語でスジキリヨトウについて偉そうな説を振りまいて、実はえらく恐縮している。玄関前、南側南京櫨のところの芝生がすっかりやられたのだ。それも充分な予兆があったにもかかわらずヨトウのせいでは無いという誤った判断、妙な先入観で対処を遅らせてしまった。なんともふがいないやら、情けないやら、、、、、。
 どちらの芝も元気が無く、茶色く変色し、芝の数もまばらになって来ていた。玄関前の芝生には芝の葉に例の卵が産み付けられていたし、葉先の斑状の食害も既にあったのだが、箸で掻いてみてもヨトウの姿はなく、日当たりと水不足のせいだと勝手に決めつけていた。それというのも8月の初めに一度発生して、駆除しているからだ。しかし今朝の葉の食害の状況はただごとではない、葉の途中から先が無くなっているのだ。その辺にあった木ぎれで地面を掻いてみるといるわいるわ、やっぱりスジキリヨトウが発生していた。Img_1287

これがスジキリヨトウの卵、数日で孵化するそうだ。


 ネットで調べると年間発生回数は3回から4回となっているそうで、暖かいと多く発生するようだ。ちなみに北海道などでは2回ということだから、気温が関係しているようだ。同様に南側の芝生も掻いてみると出てくる。水不足のせいだけではなかったのだ。こうなったら徹底的に駆除して、立派に蘇生させてやろうと決意する。Img_1288 Img_1291
 
玄関南側のビフォアアフター。


 玄関先南側の芝は刈る必要もない。食害と育ちの悪さからだ。ミニ熊手で掻いて、溜まった刈かすを取り除く、同時に出てくるヨトウをピンセットで摘んでゆくと、あっという間に瓶の底に溜まってゆく。北側はそこそこ伸びているのでバリカンで刈ってから同様に掻いてゆく。瓶に半分ぐらいたまったヨトウをみーにあけてスミチオン1000倍液を振りかけてみる。前回は瓶の中でやったのだが、今回は少しオープンなところで実験してみた。なかなか効き目が現れず、ウジウジと這っている。なんともおぞましい姿だ。そのままだと外に逃げ出すのでみーを立てておく。上に向かって這っていくのだが、薬が効いてくるのか力尽きて底に落ち始める。芥川龍之介もきっとこのような様子を見たに違いない。昼食のため30分もして見てみるとほとんど底に固まって死んでいるが、数匹はピクピクと生きている。これを刈かすのくすぼっているところで火あぶりにする。将に地獄だ。Img_1295 Img_1294
 
エアベンチレーションと蜘蛛の糸。


 その後すっかり坊主になった芝生に水をたっぷりとやる。刈り込みと日照りで弱ってるだろうというのもあるし、エアベンチレーションと根切りを兼ねて行うためだ。やってみると、北側は根がしっかり入っているためかなかなか刃が入らない。ところが南側はブスブスと入るのだ。品種も土壌条件も同一なのにこれだけの差が出るのは何だろう。それは芝の周囲に植えられた花やハーブの種類では無いかと思う。
 南の櫨の芝生も刈り込みとかす掻き、捕虫をして今日の作業は終了、緑の芝を蘇らすぞという強い決意で明日も続けよう。

【作業日誌 8/30】
芝生整備

今日のじょん:夕飯後のお茶碗を洗っていると、台どことの境にじょんがいる。いつも居ないところなのでびっくりするが、ペットゲートを開けているのだから、普通どこでも出てくるわな。Img_1237

今まで開けてても知らん顔してたんだけど、、、。 

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綾部市議選 8/29 

2010-08-29 | 日記・エッセイ・コラム

2010.8.29(日)晴

 本日は綾部市議会議員選挙の投票日である。猛暑の中選挙戦を戦ってこられた候補者の方々は大変なご苦労であったと思う。綾部に来てから衆院選、参院選、府知事選、市長選、市議選と選挙が目白押しであった。今回の市議選は18の議席を23人で競うという熾烈な戦いである。市議選となると私たち有権者にとっては最も身近な選挙であり、生活が直結した選挙だと思うのだが、国政選挙に比べてわかりにくい選挙となっている。
 その第一の理由は、政策が語られないと言うことである。連日街宣車が廻ってくるのだが、政策を語る候補は誰一人無かった。「元気に頑張っています」「ご挨拶に参りました」「最後までよろしくお願いします」なーんて言われても、選びようが無いわけだ。身近であるだけに、何をどうするという具体的な政策が聞きたい。自分の要求に一致する候補者に投票する事が市政に参加するということだ。演説会などに行けば質問も出来るだろうし、具体的な政策も聞けるのだろうが、23ヶ所もの会場を回るわけにも行かない。選挙告示前の訪問や電話もあったけれど、「よろしくお願いします」だけである。Img_1184
 
「このふるさとを守ります」たって、一体何を何からどう守るんだい。


 選挙公報となると、少しは政策が載っている。ところが相変わらず抽象的なお題目の候補者が多い。「市民の要求に応えます」「安心安全のまち作りをします」なんてのが一番怪しい。市民の要求って一体何なのか、どう応えるのかを語らなければ何の意味もなさない。安心安全は東国原知事あたりから言い出したのだろうか、選挙の際の体のいいキャッチフレーズだが、私たちが安心して、安全に暮らすために一体何をしてくれようというのか、これほど怪しげな言葉もない。
 上林の街宣は厳しい、有権者よりイノシシやシカの方が沢山居そうだ。その上この暑さだから誰も表に出ていない。だから表に居ようものなら恰好の餌食となる。目線を合わさないように、いかにも用事をしているように見せかけてもお構いなしだ、「ご声援ありがとうございます」。誰が声援してんねん。みんなこれが嫌なので、街宣車が来たらこそこそと家に入る。有権者がゴキブリのような真似をしなくてはならない。
 候補者の中には崇高なポリシーを持ち、市民のために働こうとしている方がきっとおられると思う。そのことが有権者に解らない、また有権者も解ろうとしないのが現状ではないだろうか。本当の民主主義はほど遠いところにあるなあと感じさせられた市議選であった。

今日のじょん:ワンちゃんが来ないなあなーんて書いていたら、今日はメイとアミエミと京都からモモまできた。それよりもなによりもじょん目当てのお客さまが多くて、みんなに触られてお疲れモードである。ありがたいことやで、いろんな人に触って貰うのがいいんだって。Img_1286

 モモ姉さんは食いしん坊だと思ったら、それがフツーなんだって。

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芝生物語・猛暑編(3) 8/28

2010-08-28 | 日記・エッセイ・コラム

2010.8.28(土)晴、曇

 本ブログのアクセス解析をすると、検索からのアクセスの項にスジキリヨトウ関連が圧倒的に多い。各地でスジキリヨトウの大発生に困っている人が沢山あるようだ。出来るだけ懇切丁寧に対処法をお知らせしたい。ただ昨年一昨年は極小さな面積の芝生での発生だったので、スミチオン1,000倍液の散布1回のみで解決した。今年は30坪と広い場所での発生でもあり、芝生の土壌も条件が違うので今回の対処法が正解なのかよく解らない。真摯に考えた結果の対処なので参考にはなろうかと思う。
予防と駆除
(1)芝の生育をよくする。
 刈り込み、施肥、灌水、
除草の基本的な世話は勿論、ベンチレーション、砂入れなど季節の作業もしっかりして、丈夫な芝を育てること。特に今夏のような高温小雨の夏にはしっかり灌水が大切。昨年など冷夏だったため、ヨトウの姿はあったが大発生はしなかった。
(2)定期的に刈り込みをする。
 葉に卵を産み付けさせない、発生時の早期発見、薬剤散布の効果を上げると言う意味で刈り込みがしっかり出来ていることが予防となるのではないか。Img_1275

一日で刈り込みを終える。今回の目的は薬剤の効果を上げるため。


(3)いつも注意して見回り、卵が産み付けられていないか、幼虫が発生していないか、食害が出ていないかなど早期発見に努める。
(4)発見したら発生の程度を調べる。割り箸などで土を掻くと幼虫が出てくる。そこそこの幼虫がいると他の場所にも大抵いるものだ。極限られた部分の発生だと、その部分だけの薬剤散布、或いは手で捕虫しても良いだろう。ただしそれで放ってしまうとだめ、継続して観察していないと大発生につながる。
(5)大発生しているときは薬剤全面散布ということになるが、芝丈の伸びているものは刈り込んでしっかり切りくずをとる。食害にあって坊主になっているところも食いカスなどが溜まっているので熊手できれいにする。
(6)薬剤は現在はスミチオン乳剤(MEP乳剤)を使っている。根が発達していない土壌では1,000倍にして使っているが、根がふかふかしているところでは2,000倍にしてしみ込むようにしている。これは根の中に隠れている虫も多く居そうだし、薬剤にかかった虫も根の中に逃げ込むことがあるからだ。殺虫効果については、捕まえた虫で実験しても充分に効果があるようだが、条件が異なるので何とも言えない。Img_1266

捕虫したものに霧吹きで薬剤を掛けると、5分程度で死んでしまう。


(7)散布の方法は、バケツに14リットルの水で2,000倍の薬剤を作り、目の細かい如雨露で直接散布している。地面に撒くのだから噴霧器まで必要ないだろう。
 これらは試行錯誤で進行中の方法なので勿論ベストではない。下手をすると芝を痛めることになるかもしれない。と言うわけで責任は負いかねるので悪しからず。

【作業日誌 8/28】
芝生広場刈り込み3回目

今日のじょん:先日じょんが隣のチコのところへ逃げ出した。いつものように手の込んだ作戦を練って脱走している。せんぞ叱ったので続けてはしないが、最近暑さのせいでワンちゃんが訪ねてこないのでフラストレーションかな?Img_1276

夕方の散歩時は放して貰えない。 

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芝生物語猛暑編(2) 8/27

2010-08-28 | 日記・エッセイ・コラム

2010.8.27(金)曇、夕立

 朝は随分涼しくなったが、陽が上がると相変わらずの暑さとなる。何はともあれスミチオンを買いに走る。こうなるとそこそこの量がいるかなあと大瓶を探すが無いようだ。水和剤粉剤の500g袋というのもあるが稀釈の仕方がやりにくそうなので、液剤乳化剤を買う。目盛り入りのポリバケツと柄杓を買い、スジキリヨトウの駆除もお金がかかる。さっそくバケツで40リットルばかし作って、如雨露で撒く。きゃつらはその間ももそもそと葉によじ登って囓っている、たいした食欲だ。飯食って昼寝して、状況を見に行く。昨日からの殺虫剤攻勢でくたばっているのもいることにはいるが、元気な奴は相変わらず葉によじ登って囓っている。ムムムこれはどうしたことか?玄関先の芝生では圧倒的な効果を現したスミチオンがここでは今ひとつである。やみくもに薬を撒くばかりでなく、なぜ発生するのか、どういうところに発生するのか、なぜスミチオンが効かなかったのか検討してみる必 要がある。
 (1)まず発生が多いのは、西日の当たる最も乾燥するところ。水はけが良いためかその部分は妙に生育がよく、いつも他の部分の2,3倍は伸びている。葉が茂りすぎて刈ったときに茶色に変色している部分がいくつかある。Img_1273
 
斑に白いのは幼虫による食害。


 (3)薬剤散布が効かないのは、芝が茂っており、薬剤が直接かかったものは死滅するが、根の間に逃げたもの、最初から根の間に居たものは効果がないようだ。
 (4)葉の周りに白い綿状の卵が付着している。数日で孵化するそうだから、これを駆除するのも効果があるようだ。結構手間だが卵ひとつが数十匹にもなりそうだからやるべきか。
Img_1272  
葉に付いた綿状の卵。


 (5)草勢の有る無しは被害の程度に差が出る。弱っているところは見るも無惨に食い荒らされる。元気なところは食害以上に成長があるから、被害が少ないように見える。しかしそこだから虫がいないとか、少ないということではない。同じようにいるわけだから駆除は必要である。
 (6)高麗芝と姫高麗芝の差は虫の数では同じようなものだ。
 (7)スミチオンの効果について、食害が多くて葉がまばらなところ、元々植生が薄いところは効果が高い。ほぼ100%死滅している。逆に良く生えているところは一部は死滅するが、時間がたてば元気な虫が出てくる。
Img_1270
刈り込んだ部分が姫高麗、芝そのものが蜜に生えており根のふかふか部分が恰好のすみかになっているようだ。



結論として、刈り込みをしっかりしている方が、卵を産み付けにくい、薬剤を散布したときに効果があると言う理由でいいみたいだ。今日はとりあえず姫高麗の部分と入口付近の三角部分を刈り込む。つづく

 【作業日誌 8/27】
芝生広場一部刈り込み
薬剤散布

今日のじょん:夕方に強烈な雷が鳴って夕立が来た。じっかんさんにホタテとサザエを貰ったので吉右衛門を呼んでバーベQをすることになった。ベランダで焼いていると、私たちでも恐怖を憶える雷鳴となった。その中で知らん顔しているじょんはえらい。Img_1268
車の音でかみさんの帰りを察知し、玄関に向かって尻尾振ってる様子、凄いねえ。

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芝生物語・猛暑編 8/26

2010-08-27 | 日記・エッセイ・コラム

2010.8.26(木)晴

 植物も猛暑の影響を受けたが、最も悲惨なのは洋芝である。手間と暇を掛けて種を蒔きそれなりに育ったのだが、完全に枯れてしまった。この一年近くの苦労は一体何だったのかと空虚な気持に襲われている。上林は寒冷地、冷涼地という考え方はもう捨てなくてはいけない。温暖地、暖地という思考で植物を育てないとひどい目に合いそうだ。願わくは涼しくなって枯れた葉の間から緑の新芽が出てくることである。駄目なようなら、高麗芝、野芝を植えるっきゃなそそうだ。Img_1262

まだ緑の残っていた谷川の芝もすっかり枯れてしまった。


 さてもっと深刻なのはスジキリヨトウである。玄関前の芝生には毎年大発生し、すっかり食いつくされるのだが、スミチオンで簡単に駆除でき、数週間で芝も回復するのでそれほど気にしていなかった。芝生広場の芝の中にも数匹見つけることがあったが、こちらは芝の勢いが強くて大発生することは無かった。ところが今年はいつもと条件が違う。一ヶ月も続くカンカン照りで芝が弱り切っている。きっと地中の温度も上昇しているに違いない。スプリンクラーで水も撒いているが、追いつかない。面積が広すぎるのだ。そして今朝、妙に茶色くなっている部分があるのでよく見ると、なななんと例の虫が蠢いている。3cmぐらいの大きいのから、まだ緑の1cmに満たない小虫までせっせせっせと芝の葉にたかっている。おぞましい光景だ。Img_1258 Img_1265

この茶色い部分、よーく見るとこのとおり。


 一晩で食い尽くされるので、さっそくスミチオンを撒く。一瓶あれば10年くらい持つだろうと思っていた薬があっという間に空になる。店の合間を縫って買ってこようかと思うが、こんな日に限って多忙な一日となる。お店が繁盛するのはありがたいことだが、あの虫たちが猛威をふるっていると思うと気がきでない。Img_1260

これ一本で10年ぐらい持つかなあと思っていた。


【作業日誌 8/26】
スジキリヨトウ駆除

今日のじょん:Img_1261 昨日22点も入れて大勝ちした阪神が今日は1点しかとれなくて負けている。おとーもおかーも機嫌が悪い。そんなあほみたいに点とらんと、小出しにとって勝ってくれよなあ、こちとらとばっちり受けて困ってるのよね。とじょんの言。

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從是西 8/25

2010-08-26 | 山・峠

2010.8.25(水)曇


 23日に永谷坂峠を紹介した際に道標の石塔に刻まれている文字を「?是西丹波國何鹿郡」と紹介した。?は何かよく読めなかったのだが、村上さんが「從」という字だと教えてくれた。写真をアップにしてみるとなるほど「從」の字で、これは「従」の古い字体のようだ。「これよりにしたんばのくにいかるがぐん」と読むそうだ。調べてみると「従是云々」というのは境にたつ道標などに書かれる常套の文のようだ。つまり「從or従」+「是」+「方角」+「国名、村名など」となるようだ。Img_12282
 
よく読めないが「從」のようだ。


今まで沢山の道標や石塔を見てきたが、実は書かれている文字をすべてしっかり見てきたわけでないということがよく解った。並べて書かれるとき、古い村には「從」の字を、新しい村には「従」の字を使うということも教えていただいた。このことについては確認出来ていないが、ネットで情報を探っていると、面白い例が出てきた。両面に筑前筑後の別々の国名があり、字体も相違し、筑前は「従」筑後は「從」となっている。「從」「従」の使い方はアトランダムで、残念ながら定まった法則を見つけることは出来なかった。今後こういった石塔などしっかり観察しようと思うところである。
 もう一つ猪鼻峠の猪鼻地名について、井の端の意味かなあと書いていたが、改めて撤回する。確かに峠は両側から谷が上がってきていて「川、谷の端」と言えるが、「川、谷のつめ」「川、谷のつき」ということはあっても、「川、谷の端」ということは無いようだ。猪鼻地名は例が多く調べればその由来は解明できると思う。柳田国男「地名の研究」にも少し記述があり、ハナは塙(はなわ)の意味だと書いている。私は生守村(いもりむら)の「イ」が意味するものの端、あるいは生守村そのものの端、先端を意味するのではないかと想像している。いづれ廃村生守村については一項を設けて発表したいと考えている。

【作業日誌 8/25】
グリースストラップ清掃

今日のじょん:阪神が22点も入れて大勝ちしたのでじょんは寝不足になってしまった。こんな日に限って試合終了まで放映があるのだ。そうでなくても阪神が負けてるとおとーもおかーも怒ってるので、自分が怒られてるのかと恐縮しているのに、、、。
「じょんに怒ってんのとちゃうで」
Img_1192   

阪神の試合は疲れるのよね。 

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若狭の廃村 8/24

2010-08-25 | 山・峠

2010.8.24(火)晴、曇

 若丹国境の峠を調べていたら「Myあやべ」に上林から若狭に降りていく尾根上にいくつかの廃村があることが載っていた。宝尾、生守、大多和、上津である。この記事が従来から載っていたのは知っていたがあまり気にも留めずにいたところだ。ところが今回峠の件で読んでみてびっくり、とんでもない寺院があったりして歴史の重みというか偶然性というか不思議な運命を感じるものである。早いものは室町時代に廃村となっており、遅いものは28年の水害時となっている。最も規模が大きいのは宝尾で川上入口にある看板には「6世紀中頃、宝尾山に摩野尾山一乗寺が建てられたといわれています。一時、七堂伽藍を持つほど云々」と書いてあるそうだ。仏教伝来が538年とか言われているので、誇張があるとしても相当古くて由緒のある寺院のようだ。昭和の初期まで住人がいたそうで、村の跡も残っているようだ。いつかは川上からこの地を通って市茅野まで歩いてみたい。「Myあやべ」ではこれらの廃村について映像付きで詳しく書いておられて、古文書なども綿密に調査されている。
 最も詳しく検討をされているのが、国境上にあったとされる生守村(いもりむら)であって、「胡麻峠から三国岳に廃村生守を探しに行く」というタイトルで(1)~(4)まで、これまた懇切丁寧な映像付きで紹介されている。他の廃村と違ってその位置も村の概要もわかっておらず、わずかな古文書のヒントを頼りに綿密な調査をしておられる。考察についても的確な考察をしておられると思うが、本当はもっと凄い着想をしておられるが、証拠固めが出来なくて発表されていないのではとげすの勘ぐりをしているところである。私も生守村については着想はあるのだが、まず訪れてから書くべきだろうと思っている。いづれにしても国境の向こうに想像を絶する文化が定着している。上林の歴史と文化を語るとき、若狭を抜きにしてはあり得ない。Img_1221

何気なく撮った写真に大島半島(おおい町、高浜町)が写っている。つけ根の湾が青戸であり、戸が海峡を意味して、かつては島であったと思われる。この地にニソの森という森の信仰がある。石見、対馬、薩摩大隅、種子島、沖縄などにも名前を変え同様の信仰がある。社殿を持たず森そのものが聖なるものとして祀られる。ニソの森ではタブの木が主人公である。タブはかつて海洋民俗が丸木船に加工した木だといわれる。私はこの森の信仰の延長に生守ヶ嶽、生守村があるのではないかと秘かに想像しているのだが。Img_2831

沖縄、久高島クボー御嶽(ウタキ)も聖なる信仰の森である。ここの主人公はクバ、つまり蒲葵だそうだ。男子禁制なので確認はしていない。
(2007.2.28)

【作業日誌 8/24】
生姜追肥と土寄せ
秋蒔き野菜準備
藤棚作り柱立て、梁渡し

今日のじょん:じょんシャン日で体重測定をする。2週間毎に量っているが、17.8、17.4、そして今日17.2kgとなっている。夏やせと言っていいのか、一月余りで600gの減がどのようなものなのかよく解らない。ちなみに私の体重に換算すると2.2Kg減となる。別に心配することは無いように思うのだが、、、、。Img_1254 こういう写真だと余計元気無さそうに見える。

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訂正 猪鼻峠 8/23

2010-08-23 | 山・峠

2010.8.23(月)快晴

 昨日小唐内の奥の峠を調べていたら、「上林探訪小唐内他」(2010.8.19)でとんでもない誤りをしていることに気づいた。府道1号線の川上に越す峠は猪鼻峠ではなくて永谷坂峠と言うのが正当であることだ。Img_1228

永谷坂峠、「?是西丹波國何鹿郡」と書いてある。


 以前に寛政十一年丹波國地図を見たときだろうか、猪鼻峠の文字を見つけ、思いこんでしまったようだ。「北山の峠」(金久昌業著)の地図でよく確認すると確かに府道よりは三国岳よりにあり、小唐内から関屋に越える峠が猪鼻峠であることが解った。2万5千分の1地図で見ると三国岳から南東に545mのピークがあり、更に南東にある乗越が猪鼻峠である。更に南東に尾根を辿ると、市茅野から上がってくる道がある。この道もやがては猪鼻峠の道に合流し関屋に下るわけだが、この峠を坪坂峠という。
 
「丹波の上林へゆくには、佐分利の河上、宝尾村をへて上林谷へゆく」と、津田一助『稚狭考』は述べる(『小浜市史資料編第一巻』[1971]175頁)。とMyあやべにある。つまり上林から川上に行くには当初は小唐内、市茅野から国境稜線に取り付き、宝尾峠に到る尾根を下り、宝尾村から川上に向かったのだと思う。府県道1号線のある現在、なぜそんな遠回りでしんどい道を通ったかと思いがちだが、道には発展過程というものがある。道というものは稜線、尾根上に始まり、時代と共に高度を下げて、ついには川筋につくものだそうだ。それは道の作製上の都合と保全上の問題であり、当初は徒歩に限られていたものが牛馬、荷車となり、ついにはモータリゼーションの発現となる使用状況の問題もある。私がこのことを思い知ったのはもう20年ほど前のことだろうか、廃村八丁を訪れたときであった。MTBの会の例会で、コシキ峠を越えトチヤナギ谷の出合いにMTBを置き、トラゴシ峠を廃村八丁に向かった。MTBも置いていかなければ行けないようなこの道はコシキ峠から鴨瀬谷山の尾根を通り、八丁村と上弓削を結ぶ幹線道路であり、八丁大道と呼ばれていた。この尾根伝いの道は今やそう使われていないにもかかわらず、随分しっかりしていて、初心者を連れていた私も何も不安を感じることはなかった。八丁村を巡った後、帰路は八丁川沿いにトチヤナギ谷出合いに向かった。この道はMTBでも荷車でも通行可能な広さであったが、馬場谷の出合いを過ぎたあたりから河川の浸食のためずたずたに崩壊しており、道としての面影はなかった。尾根沿いの道は生活道路として過去から使われており、川沿いの道は多分木材の運搬のためだろう、道作りと管理の技術が進んだ後の時代に出来上がったものと考えられる。
 寛政十一年の丹波國地図では猪鼻峠も永谷坂峠も記されている。ただし川上村に向かうのは永谷坂峠と強木村から越える尼公峠のようだ。というのは地図が写しのため確認できないでいる。上記「稚狭考」の文書がいつの時代のものなのか解らないのだが、宝尾峠に向かう尾根上の道が当初の道だとするならば、その尾根の派生する474mのピークに向かって猪鼻峠或いは坪坂峠から国境稜線を東進するか、永谷坂峠から国境稜線を北進することとなる。Img_1229

国境稜線を三国岳に向かう道。



【作業日誌 8/23】
畑ネット回収
草刈り七回目追加

今日のじょん:朝のぽんぽこぽんが妙に元気だ。温度計を見ると26℃、やっぱり涼しくなっている。暑さに弱い犬だけに気温のちょっとした差で行動がうんと違うもんだ。ところが陽が上がって午後ともなると、いつものバテバテじょんになってしまう。Img_1256
あつ~。

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上林雑感 8/22

2010-08-22 | 日記・エッセイ・コラム

2010.8.22(日)快晴

 昨晩公民館で納涼祭の打ち上げがあった。とりとめのない話をしていたら、納涼祭はいつごろできたんかいなと言う話となった。予想通り盆踊りが無くなって納涼祭になってきたようだ。もう20年ぐらいなるんかなあと言われていたが定かではない。かつての盆踊りは現在ゲートボール場になっているところで行われていたらしく、櫓を組んで福知山音頭が踊られていたそうだ。私の田舎でも福知山音頭が踊られていて、憶えているのは小学校の時代だから、20年どころの話じゃない。太鼓の囃子も踊りも練習するわけで無いのにいきなりよくできるなあと思っていた。私の父親は風采の上がらない人だったが、太鼓だけは上手くて櫓の上でねじりはちまきで得意げに叩いていたのを憶えている。他所から人を集めて楽しませる新しいイベントがどんどん出来ているが、自分たちが楽しめるイベントを作らないと意味がないのじゃないか。Img_0168
 
自転車旅行中は8月8日の芦原温泉湯まつりと14日の木曽福島の花火大会に遭遇した。


 上林の歴史を考えるとき、この細長い地域は上流と下流でかなり文化的に違いがあるのではないだろうか。綾部市史では上林をひとくくりにしてあるので解らないが、奥上林村誌、中上林村誌などを見ているとそういう風に感じる。特に奥上林などは若狭、近江などの影響が強いようだ。言葉なども若狭弁が多く使われている。同様に中上林でも畑口川流域は丹後とのつながりが多いようである。塩や海産物は当然この地方から入ってくるだろうし、大丹生や水嶋などの姓は丹後からの移住者だろう。同じく上林には一軒も残っていない上林姓が舞鶴にあるのも興味深いところではある。Img_1234
 
小唐内の谷(奥から望む)この谷のツメが猪鼻峠らしくて、先日の府道1号の峠は猪鼻峠ではないようだ。このことについては明日。


 中上林の下流域や口上林では、山家、八田そして綾部方面の影響があろうと想像する。ただ通婚圏というのは少なくとも今の世代の人については、上林内というのが圧倒的に多く、若狭から、丹後から、或いは北桑田から嫁に来たというのはそう聞かない。ただしこれは年配の方のはなしで、若い人については通婚圏を云々する意味は無い。
 というわけで、上林を研究するには若狭や丹後の歴史文化も研究しなければならない。最近若狭に行くことがあったので特に気になる地名などもあった。青葉山、青鄕、青、青戸、青井、泊、蒼島などなど、海人族や蝦夷を思わせる地名もある。特に三方周辺は縄文文化の香りもするし、砂鉄浜も良質のものが得られるそうである。上林から山ひとつ越えればそこは大陸、半島につながる海である。山国の印象が強い上林だが実はこれらの海の文化の影響が強いのではと思っている。

【作業日誌 8/22】
草刈り7回目

今日のじょん:人間はすっかり夏バテしているがじょんもとっくに夏バテ状態だ。昨日は草食べて吐いていた。今朝もちょっと涼しいかなと張り切っていたが、帰ってくるとぐったりしている。なちゃけ無いシリーズ写真も簡単に撮れる。それでも食事はそれなりに摂れているので涼しくなれば元気になるだろう。
Img_1253

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虫の季節 8/21

2010-08-22 | 日記・エッセイ・コラム

2010.8.21(土)晴

 夜ともなると虫の声が騒がしくなってきた。気にしていないからいいようなもんの、真剣に聞いたらぞっとするような騒音である。数にしたら数百万、いや数千万いるかもしれない虫が一斉に鳴くわけだからそりゃあ凄いだろう。虫が多いから鳥が増える。朝は鳥の声に起こされる。特に榎木の実が紅くなってきて鳥たちが騒がしい。アイアンマンに行ったとき、ハワイのホテルの朝はこの騒がしい鳥の声で始まったことを憶えている。とまあ鳥の声、虫の声と風情のありそうな情景なんだが、現実はもっとおぞましいこととなっている。Img_1251

じょんのび谷のこの木には無数のアゲハ蝶がたかっている。


 開店準備の掃除をしようと箒を持って玄関先に行くと、かみさんが大切にしているレモンの木が眼に入った。今年は立派な実もなってよしよしと思ってよーく見ると、なんと葉っぱが食い荒らされているではないか。ちょいと見それらしい虫は居ないのだがしっかり見るといるいる、アゲハの幼虫かなんかで黄色い2本の角があり、大きくなると3cmぐらいになる奴、それがまだ5mmから1cmぐらい小さいのだ。小さいくせによく喰ってるなあと思って摘んでいると、いるわいるわ各葉っぱに一匹ずつ十数匹はいただろう。Img_1250 Img_1249

レモンの木もよーく見ると、、、、。


 いよいよ毛虫の季節が来たかなと各樹木を点検する。オリーブ、白樺、バラ、ボケ、その他色々、なんとか大丈夫そうだと思ってしまいかけたとき、じょんの誕生記念に買った吉野桜を見て愕然とする。数本ある枝は2本を残し、つんつるてんに枝だけとなり、雲の糸状の物に枝の端がぶら下がりゆらゆらと風に揺れている。残った2本の枝のうち一番下の枝は、切るバカと言われてもいいから切ってしまおうかという枝だし、残る一本は見るに堪えない光景が広がっていた。3,4cmあろうか、長い毛で紅い色の毛虫が数十匹、数百匹一本の枝に群がって、将に蚕食している。なんとおぞましい光景か、こちらも頭に血が上ってどうして良いか解らない。今まで通りピンセットで摘んでいてもきりがない、バーナーで焼けば桜本体が焼けてしまう。殺虫剤といっても手元にはベニカなんとかって自然に優しいどうのってヤワな殺虫剤があるだけだ。とりあえず降り撒いてみる。さっきまで葉っぱを喰うに必死となっていた毛虫が、もがきながらお尻から糸を出してぶら下がる。何という光景だ。地獄絵図を描いた人はきっとこのような光景を見て発想したのかなあ、少なくとも芥川龍之介だけはそうだろうなーんて妙な発想をしながら眺めている。命運尽きた虫は糸からはずれてぽとりと落ち、力の残っている虫は更に殺虫剤を振りかけられついには地獄に堕ちてしまう。紅い毛虫がほとんど落ちた頃、よーく見ると幹や枝に似た尺取り虫が一匹、葉っぱに似た緑の虫が数匹、これはピンセットで一匹ずつ処理する。
 すべての虫が退治された跡には丸坊主になった枝と、大量の糞、蜘蛛の糸にゆらゆら揺れる枝屑や葉っぱの屑、空襲の後の都市みたいに空虚さだけが漂っている。Img_1248 Img_1246

見てくれこの無惨な姿、犯人はこの三種類。



今日のじょん:じょん語録(54)代弁おとー
「おとーがじょんの代わりにしゃべるからじょんが無口になんねんで」
「・・・・・・・」

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雨読「東国の古代」 8/20

2010-08-20 | 雨読

2010.8.20(金)快晴

 昨日自転車旅行中の最も暑い日の話題を書いたが、実はその翌日の長野市から安代温泉に向かった20日も暑かった。旅行中二度ばかし体調を崩したことがあったが、この日がその一つであった。中野あたりでふらふらしてきて、渋温泉への登りなどいつ倒れるかの状態であった。安代温泉の超熱い湯に浸かったら治ったのでびっくりである。今年も同様にどうも今日が最高らしい。残暑とは怖ろしいものである。
 猛暑のせいで読書が進む、代わりに野外の作業はストップしたままだ。
「東国の古代」産鉄族オオ氏の軌跡(柴田弘武著)崙書房発行1990年第四刷、定価803円、購入価600円。
 柴田氏は「鉄と俘囚の古代史」の著者で、別所地名の研究者である。綾部市星原町の別所、岼地名を調べていたら、おお野という地名が出てきたので、オオ氏に関係があるかもと思い読んだわけである。大野という地名はあちこちに沢山あり、岐阜県大野郡、福井県大野市など自転車旅行中近隣を通過した。大分県豊後大野市などもあるが、日本地名ルーツ辞典というあまりにお粗末な辞典ではすべて字のとおり大きな野と解している。航空写真で見ても特別大きな野ではないので別の意味があるのではないかと思っている。ただ、元々の大野という地名が出たところがどこか調べないと何とも言えないのだが。星原町のおお野が大きい野原とは解せない。地図で見る限りユリ地形に突き出た小さな尾根の末端部分である。別所の隣にあるので気になった次第である。オオ氏は蝦夷に所縁のある安倍氏のような氏族かなあと思っていたら、逆で蝦夷を討伐した側の氏族のようだ。星原町のおお野がオオ氏と関連あるようには思えない。
 オオ氏が装飾古墳と深い関係があることが解った。自転車旅行の際、宮城県大崎市三本木の山畑装飾古墳を訪れている。ここは装飾古墳の最北端ということだが、資料館は休日で見学できなかった。装飾古墳のなんたるかも知らなかったが、4年後の今、改めて知ることとなった。Img_1376
 山畑装飾古墳、最北端の装飾古墳だ。

オオ氏も九州の出自で大和に東進し、ついには東国を支配するわけだが、その背景に産鉄の氏族であるということが大きく影響している。そしてその軌跡に多くの”オオ”地名を残している。雨読で紹介はしていないのだが、「日本の地名」谷川健一著でも古代多氏の足跡という項で多氏について記述している。装飾古墳についても北九州に多く存在していることに注目されている。谷川氏の言うところの物部氏、邪馬台国の東遷とオオ氏の東遷とどのように関わりがあるのかと想像が膨らむところである。Img_1245

表紙の装飾古墳の連続三角紋は蛇のウロコを表しているそうだ。

【作業日誌 8/20】
藤棚用材料のペンキ塗り
薪割り

今日のじょん:人間も夏バテだがじょんも最近ボケている。おとーが車で帰ってきたり、外で作業していたりすると吠えることがあるのだ。「こらっおとーやないかい」と言いながら部屋に入って面と合わせてもまだ吠えている。ボケとんかい。Img_1243

写真は散歩を待っているところ。

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上林探訪 小唐内他 8/19

2010-08-20 | 日記・エッセイ・コラム

2010.8.19(木)快晴

 日本一周自転車旅行で8月19日は忘れもしない日である。今年同様猛暑の夏だったが、最も暑かったのがこの日で、長野市内で39℃となっていた。八ヶ岳での休養が終わって別所温泉から長野市に向かったこの2日間、暑いのに加えて信州は人と車が多くてとにかく幹線道路は避け、わけのわからん道ばかり走っていた。未だにどこをどう走ったか解らず、将に晴徨していたわけである。最も暑かったのは千曲川沿いのサイクリングロードで、カンカン照りに日陰が無く、ロードが終わった地点では方向も位置も解らず、行き倒れの恐怖に襲われた。家はあるのだが、あまりの暑さに誰も出てこないのだ。信州だから涼しいなんて幻想だよ。Img_0302

本来なら最高の走りなんだが、炎天下はつらい。


 さて上林探訪だが、これは昨日のことである。まず若丹国境の峠を訪れる。実はこの峠、呼び名が知られていない。老富の人に聞いても、さーなんて言っておられた。北山の峠下巻には猪鼻峠と記されている。Myあやべという綾部の情報サイトに三国岳と猪鼻峠の間に猪ノ森山(生守山)という山があって、廃村生守があったという記事がある。大変興味深い記事であるが、猪鼻峠の名はそこから来ているのだろうか。猪鼻峠と言う名は全国各地にごまんとあり、有名なのは徳島、香川県境国道32号線などで、普通名詞のように使われている。私の故郷の川合でもよく猪鼻の地名を聞いた。加用の奥の瑞穂町に入るところらしい。私の想像では井の端(井は河の意)ではないかと思うが、何れまた調べてみようと思う。峠には若丹国境の石柱と三国岳への登山道があり、らしい峠ある。Img_1228 Img_1230
 峠から綾部方面に少し行くと右手に市茅野に入る谷がある。その先小唐内の谷との間に「遊里のこと」で案内している、遊里の上、遊里の下がある。遊里の下は田んぼになっており、そろそろ穂も色づき始めている。遊里の上は完全に植林の山で、果たして過去には何であったか解らない。ただ遊里というのが何を指すのか大体見当が付く。Img_1232 Img_1237

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海を見に行く 8/18

2010-08-18 | 日記・エッセイ・コラム

2010.8.18(木)快晴

 恒例夏休みの若狭行である。第一の目的はじょんのカレンダー用の写真を撮ること、第二は若狭西街道を走ってみたいこと。海は舞鶴にしても高浜にしても小一時間で行くことが出来る。だけど、なかなか行かないのだ、舞鶴なんかじょんの病院に何度も行ってるが海には行かないものだ。夏の休みには必ず若狭の海に行くことにしている。別に泳ぐわけで無し、海を見ながらおにぎり食べるだけである。じょんと一緒なので、三松海岸に行っている、長井浜など行ってみたいけどペット入場禁止なので致し方ない。
 まず大飯町から広域農道若狭西街道を走ってみる。大飯町県道1号線から小浜国道162号線まで信号無しのノンストップで走れるなんとも贅沢な道だ。国道27号線が混むので今は意味のある道路だが、舞鶴道が貫通して無料化も継続されていたら、何とも無駄な道路となってしまう。複雑な気持ちで小浜まで行き、アヤハディオで鋸の替え刃を買う。多分京都のアヤハディオで買ったものだろうが、替え刃が綾部にも福知山にもなくて、小浜でしか買えないのだ。メーカーによって取り付け方が違うのが頭に来る。
 もときた道を西にとり高浜町に急ぐ、三松海岸は青葉山が傍らにどんとひかえる風光明媚な海岸で、トライアスロンの記録会など何度も通っていたので懐かしい海水浴場だ。昨夏は冷夏で淋しい浜辺だったが、今年は海水浴客も残っていて、らしい光景となっていた。ビール、といってもノンアルコールだが、、とおにぎりで昼食を摂り、適当に写真を撮って後にする。Img_1216 Img_1225

木陰で昼ご飯、青葉山が美しい海水浴場。


 10数年以上前だろうか、綾部温泉も上林もこの海岸に通っているときに知ったのだ。当時京都からは名田庄村経由で高浜に通っていたが、上林を教えて貰ってからは、必ず綾部温泉に入って27号線経由で帰るようになった。怖ろしく狭い川上の道と、怖ろしく長い上林街道が印象的だった。上林街道の交通マナーの悪さはその当時から悪く、ちっとも進歩していないなーと思いながら帰途につくのだった。帰りに小唐内や古井に寄って帰る。これは明日報告しよう。

今日のじょん:本文に登場のためお休み。

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夏休み初日 8/17

2010-08-17 | 日記・エッセイ・コラム

2010.8.17(火)快晴

 今日から4日間の夏休み、といってもやるべきことは盛りだくさんでちっとも休みにはならない。例えば今日、午前中は家の掃除、午後はカナメの剪定、白樫の剪定、草刈り、ニンニクの植え付けで一日が終了、結構くたくたになる。従前ならあれもしようこれもしようと意気込んで、結局なにもできなくて自己嫌悪に陥るばかりであった。さすがにスロウライフも3年目に入ると覚悟が出来て、人間一日で出来ることはたかがしれていると達観している。最低限この休み中にやることは、薪割りのめどを付けること。やってしまうといわないところが味噌。
 それよりもくそ暑い中で一仕事し、シャワーを浴びてビール飲んで昼寝をすることが何と幸せなことかと思う。勤め人の時は12時から急いで食事して、20分から昼寝、一分もかからず熟睡する。いつも隣で昼寝する職員がいて、彼は必ず55分に起きる。その気配でこちらも眼を醒ますのだが、その辛いこと、時間に追われず寝ていたいなあといつも思っていた。やっとその時がやってきたのだ、好きなだけ寝てて良いのだぜ。いやーシアワセ、これに慣れっこになるのではなく、このシアワセをいつまでも感じていたい。
 さて、白樫の剪定だが、実は検索で当ブログに到達する人が多い項目である。きっと白樫の剪定について詳しく知りたい人が検索しているのだろうが、当ブログを見てがっかりしてるだろうなあと恐縮している。とにかく知識も技術もないのだから、とりあえず枝切ってるだけというものだ。それならちったあ勉強せいよということだが、どうもその気にならない。まっいっかというところである。Img_1211_2 Img_1213

白樫とカナメの剪定、素人はだしってか。


 今日のじょん:今年は暑さのせいもあるがやたら蚊が多い。携帯用の蚊取り線香を持って作業していたら、その線香の上を群れなして飛んでいる。なんなんだこいつらは、、、、じょんも被害者でのべつ幕無しカイカイしている。散歩も電気蚊取りぶら下Img_1214 げているのだが、どーだか。

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雨読 九州の先住民はアイヌ(2) 8/16 

2010-08-17 | 歴史・民俗

2010.8.16(月)曇

 各地から猛烈な暑さが伝えられている。上林ではさほどという感じだが、夜が暑いのが堪らない。といってもクーラーを点けずに暑いといってるのだからたいしたことは無さそうだ。一日中クーラーを点けている京都の暑さには比べられない。
 さて、「九州の先住民はアイヌ」にはサブタイトルが付いていて、「新地名学による探究」となっている。新地名学とは、従来の文献主体の歴史ではなくて、地質や遺跡など科学的な分析を行って歴史を解明しようという姿勢である。氏は仕事柄地質等には専門家だし、各地の遺跡等も調査できる立場にあるようだ。昨日案内した地名考証においても、現在は内陸であっても縄文海進時には汀線であったろう地形を、海辺の地名として解明している。これはまさにコロンブスの卵であって、当たり前のことだけど気がつかなければとんでもない誤解をするというものだ。先日紹介した「古地名の謎」の五十村がそうだ。その地名が付いた時代には海辺であったところが、現在では内陸なので、そこは山地だと誤解してしまう。地名というものを文献だけでなく科学的に見ればそういう誤解はあり得ない。Img_1208
 アイヌ地名で顕著な”牛”地名に関しても、入江、湾に対応する”牛”地名はかつての汀線上に存在することを証明されている。
 科学的な地名考証を通して九州地域にアイヌが存在していて、やがて北へ移動したという説を展開されるのだが、どうも本書の編集に問題を感じる。歴史を扱う者はポリシーを持つべきであるとは思うのだが、著書の中にどのように表すかは別問題である。本書の著者は強烈なポリシーをもっておられ、読み始めから17ページそれを読まされて、うんざりされた方もいよう。私自身も賛意を持つ内容なのだがそれは別問題であって、本書を買って読もうという意識はそれとは別なところにあるのだ。彼のポリシーは本書の随所に表れ、読者は疲れてしまう。そして最も困ったことは、本論がどこかに行ってしまうことだ。これはひとえに私の読解力、集中力の無さに起因するのかもしれないが、一回読んだだけでは「あれ一体何が書いてあったんだろう」と思ってしまう。折角素晴らしい着想と論旨で書かれているのに、読者に素直に受け入れられなければもったいないような気がするのである。おわり

【作業日誌 8/16】
草刈り7回目

今日のじょん:いくみちゃんが帰ってしまってふぬけになっているのか、人間同様夏バテをしているのか、とにかく元気がない。じょんが元気がないとこちらも滅入ってしまって元気が無くなる。悪循環だ。
Img_1209

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