晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続・のびのルーツを探る 3/5

2022-03-05 | Dog

2022.3.5(土)曇り 【今日の”のびちゃん”】NO. 62
 家に帰って気落ちしながらも地図を見返していると、見逃していた谷がある、そこはもう他府県だと勘違いしていたのだが、ちゃんと京都府内ではないか。のびのルーツはこの谷ではないか?矢も盾もたまらず用事を済ませ、やっと出かけられたのが3月4日である。かみさんのかつての職場の方がレストランをやっているというので、寄ってランチをいただく。なにせあの谷にはいったら、店が無くて食料が得られないのだ。

農園大衆食堂 Agri ランチはボリュームたっぷりでリーズナブル
 前回の集落から別の峠を越すんだが、輪をかけて厳しい峠道だ。幸い対向車は無くて、峠を下りて集落に着く。集落ったって見えるのは4、5軒の家のみだ。
立派なお家が急な斜面にへばりつくように建っている。少し道が広くなったところに車を止めて、聞き取りに行く。1軒目、不在。もう一軒をかみさんに任せて、急坂を上っていく。呼び鈴を鳴らすとすぐに奥さんが出てきて、「この辺りに沢山の犬を飼っておられた家を知りませんか?」と質問をする。するとどうだ、「その家なら〇〇さんの家で、、、、」と道も教えていただく。当時の様子もお聞きするが、放し飼いの犬がハイカーを噛んだり、地域の中をうろうろして大変だったそうだ。その家を訪ねたいと言ったが、「耳が遠くてお話はできませんよ」といわれた。一発でのびの生まれ育った家が解ったわけだ。
 車に乗って言われた方へ向かうのだが、なにせ狭くて急な坂だから駐車ができない。とある家のそばに少しスペースがあるので駐車させてもらい、訪問するが不在だったのでかみさんを残し犬小屋のあった家に急ぐ。犬小屋の他に大きなケージがあるがどれも空で、紙くずなどが散らばっている。のびの生まれたのはここだったのでは、、、と戦慄を覚えたが、周囲は草も生えていて荒れている。玄関から声をかけるも返事無し、表札もないので確認のしようがない。そこへ一台の軽自動車が通り、慌てて手を挙げ「〇〇さんのお宅はここですか?」と聴くと、そうだという返事。遂にのびの生家を見つけた。しかしその荒れたケージを見れば、犬たちがどんな生活をしていたかすぐに想像できる。多頭飼いの崩壊なんてどのみち悲惨な生活に違いないが、現実にその現場を見ると不憫に思えて仕方が無い。あのケージに20頭近くがひしめき合って暮らしていたかと思うと惨憺たる
思いになる。車を置いたところまで帰る数分の間、涙が流れて止まらなかった。

のびが数年間暮らしただろうケージ。
 車を置いたところに帰ると、先ほどの方とかみさんが話している。当時の様子を聞いているが、余りの頭数に野放しとなり、食べ物は与えられていただろうがおとなしいのびには充分に当たらなかっただろう。今でも田んぼのカエルやイモリ見つけると食べようとするのはそのせいかもしれない。
 お話をいただいた奥さんは、捕らえられた犬たちはみな殺処分されたと思われていた。「みんな保護されてもらわれていきましたよ」というと本当に安心されたようだ。
 のびは生まれて数年、一番大切な時期を過酷な環境で過ごしてきた。保護センターだってあれだけの犬を保護するのは大変だっただろう。彼らにとっては命からがら逃げ回ったことだろうから、それらの心的ストレスがPTSDとなってもおかしくない。

帰り道、ちょっと広いところでカイカイしてみた。
 わたしたちはこの地に来るべきではなかったのだろうか?複雑な気持ちになったけど、やはり来てよかったと思う。あの地を仲間たちと駆け回り、必死で生きてきただろうのびの姿が目に浮かぶ。人の愛情を受けることも無く、とにかく生きることで精一杯だったろう。
 いまわたし達に出来ることは、思いっきり愛情をかけて、のびのこれからの犬生を幸せに暮らしてもうらうことだ。もうかけがえのないわたし達の娘なんだから。

何事も無かったかのように今朝の散歩

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のびのルーツを探る 3/4

2022-03-04 | Dog

2022.3.4(金)晴れ 【今日の”のびちゃん”】NO. 61

 のびはじょんのびに来て2年6ヶ月となる。大逃走劇があったり、ひとやものに怖がって懐かないなど一体どうなるかと思っていたが、少しずつ慣れてきてすっかり我が家の一員になってきた。それでも子犬の時から一緒に暮らしたじょんと違って、なにかよそよそしく遠慮がちに暮らしているようだ。生まれ育った環境がのびの現在に影響しているのは間違いない。のびはいわゆる多頭飼育の崩壊により、保護センターや保健所によって保護され、10数匹の仲間と共に保護センターにいた。2019年の6月に保護されて、9月に我が家に来たわけだけど、名前もまだ付いていなくて13番という番号が付いていた。毛づやも悪く、体重も7Kg余りで(現在は9Kgを超えているが保護された当時は5Kg余りと聞いている)元気も無く、眼に力が無かった。

初めて逢ったのび、このときは13号だった。(2019.9.3)
 じょんは野犬の子で自然の中で生まれ、保護されてからひとの愛情に包まれて育ったわけだが、のびは最初からひとに飼われているのだが、愛情をかけられていたとは思えない。放ったらかしか下手すれば虐待されていたかもしれない。想像していても不安が募るばかりだし、生まれ育ったところを見に行こうということになった。ところが保護センターではどこのお家なんて事は教えてくれない。それは当然のことなんだけど、それでも大まかな地名は聞いていた。あとは現地に行って一軒一軒尋ねるしかない。まるで雲をつかむような話だけど、幸いなことにそのあたりは随分田舎で、地域のことは地の人なら解ってそうだ。

2019.9.16、じょんの生まれたところへ供養に行く前にのびに逢っていった。

じょんの生まれた巣穴、生まれた場所の解る野犬の子も少ないだろう、須田さんのおかげだ。
 2月15日、初めての捜索に行く。地域のことを聞くのは、商店が一番いいのだがそれらしいものがない。地の人らしい農作業のひとに聞いてみる。沢山の犬が居て問題を起こしているとなるとだれでもが知っているはずだ。ところが「聞いたことが無いなあ」という返事、谷毎に集落があって、その谷ではないらしい。道で作業をしているひと、郵便局でも聞いてみるが同様の返事である。この谷ではないなあと思い、隣の谷に移動する。その間は峠道なんだが、その道がものすごい、急で狭くて、曲がりくねっている、「ぽつんと一軒家」のアプローチみたいな道をいやと言うほど走って隣の谷に出る。そこで犬の散歩中の人に出会う。聞けばかつては保護犬を9匹も預かっていたというではないか。こんな犬通のひとなら知っているかもと期待したがやはり聞いたことがないという返事だった。時間も無くなってきたので、この谷もあきらめて
帰路につく。どこか他の地域だったのかなあ、探し出すのは無理なんかなあとあきらめムードになってしまった。つづく
 

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じょんの一回忌 7/28

2020-07-28 | Dog

2020.7.28(火)曇り
 月日のたつのは早いのにこの一年は実に長い一年であった。
わたしはあの日のことを忘れない。祈るような思いで病院に駆けつけ、心の隅には頑張ってやがて退院出来るのではという淡い希望もあった。心臓ばくばくしながら集中治療室に入ると管に繋がれたじょんの姿があった。「じょん」と呼んだとき、かすかに反応があったと思ったのは思い過ごしかもしてない。「じょん君が大好きなお家に連れて帰ってあげて下さい」という先生の言葉に目の前が真っ暗になった。「やっぱりだめなんだ、何が何でも連れて帰ってやるぞ」といいきかせ車の準備をする。管を外され先生に抱かれたじょんを乗せる。「あと二、三時間かもしれませんよ」と言われたが、それから十数分、菅坂の登りで血を吐いて痙攣したと思ったらじょんは逝ってしまった。おそろしく暑い夜をじょんの横で過ごすけれど、それはじょんではなくて冷たい犬の形をした物体なのだ。山で死んだ石島さんや梶川の時もそうだった。突然に人が物体になってしまうのだ。慌ただしく葬儀を済ませ、小さな骨箱に入ってじょんは帰ってきた。遺影を前に毎日手を合わせるが、きれいに整頓されたじょんの居場所は寂しい。黙って二人で摂る食事もなんとも寂しい。かみさんは日に日に弱っていき、「じょんの所へ行きたい」と言い出す。このままでは二人とも参ってしまう、生前に考えていたじょんの生まれ故郷を訪ねることと、じょんの供養のために絵本を作ることそしてじょんと一緒に飼おうとしていたのびを探そうと行動を始める。それらのことに集中することで、一年が長く感じられるのだろう。絵本は咲ちゃんの挿絵の助けもあって、6月の末頃には完売してしまった。予定通り動物愛護団体等に全額を寄付し、じょんの供養になったことと思う。未だ希望される方もいらっしゃるが、区切りとして増刷することはしないことにした。内容はなんの装飾もなく、ただじょんの生涯をありのままに書いたものだが、沢山の方に賞賛の言葉をいただいて恐縮している。読まれた方々のとらえ方感じ方がそれぞれ違って、感想をおっしゃっていただくのがとても嬉しい。わたしたち夫婦はこの本を開くたびに涙するのだが、読者の方に泣いてしまった、涙が流れたと言われるのは驚いた。絵本を出す前から、「ぼくらは泣くけど、それ以外の人が泣くことはないやろなあ」と話し合っていたのである。じょんは亡くなってもみんなの心の中に生きている凄い奴やなあと感心している。

「おきつね山のじょん」は綾部図書館(貸出可)、京都歴彩館にあります。もちろんじょんのびには置いてます。
 じょんのお墓はまだ無いので、遺骨の一部が眠る公誠動物霊園にお参りする。花と線香を供え、この日のために憶えた般若心経を唱える。おそろしく暑かった昨年の今日、なんとも空しく哀しかったことだろう。
かみさんはじょんの最期について、重篤な病に気づかなかったことや、しんどかっただろう事に気づいてやれなかったことを今でも悔やんで引きずっている。わたしだってあの病院での一晩がどれほど寂しくくるしかっただろうと思うといたたまれない。机の前に貼ってあるじょんの写真を見ているとひとりで泣いてしまう。でも悲しい思いをしているわたしたちをじょんは喜ばないと思う。一年たった今、悲しいこと悔しいことは忘れよう、それ以上に11年間の楽しかった、嬉しかった思い出がいっぱいあるじゃないか。そんな時間を与えてくれてありがとう。それでいいんじゃないか。合掌


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幻のじょん誕 3/20

2020-03-20 | Dog

2020.3.20(金)晴れ

 今日はじょんの誕生日、生きていれば12才なんだが死んだ児の歳を数えても致し方ない。それにしても亡くなってからまだ8ヶ月もたっていない、もう何年もたったように思えるのはこの間いろんな事があったからかもしれない。のびが来て、逃亡して、無事生還してそしてようやく慣れてきた。

じょんも大好きだったおおい町の芝生広場、じょん誕にのびも歩く。
 そのことも大きな出来事だが、「おきつね山のじょん」を書き始めて、じょんの生まれ故郷に行ったり童話大賞に応募したり、そしてようやく出版のめどがついた。咲ちゃんに頼んでいた挿絵もタイから郵送されてきた。じょん誕の今日あとがきを書き終え、校正を終えていよいよ編集に回すこととなった。
 身内である私たちには号泣必至の物語なのだが、他の方々にはどう映るだろうかと不安でもあり、楽しみでもある。自費出版なので経費はすべてわたしが支出するつもりだが、料金をいただいて、かわいそうな犬猫の保護に取り組んでおられる個人や団体に一部を寄付してお役に立てたらと考えている。

咲きちゃんの絵が送られてきた、ほんもののじょんよりじょんらしい。

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のび逃走始末記-付録 1/31

2020-01-31 | Dog

2020.1.31(金)曇り、雨 獣道
 獣道(けものみち)とは野生の動物が山中に造る彼らの生活道である。身体の大小によって、トンネル状の小さなものから地形を変えてしまうほど掘り込まれた立派な道もある。登山技術としては「獣道に迷い込むな」と教えられてきて、注意毛嫌いしてきた。それは人間の造った登山道がある事が前提である。けものみちとはまっとうな人間の歩く道でなく、裏街道的な意味合いがあり、松本清張の小説などにも取り上げられている。
 上林(かんばやし)の山々にもかつては登山道も峠道もあったのだが、人が山に入ることがなくなった今、心ある方々が整備した登山道が一部あるばかりだ。林道、作業道も残っているが、ここ数年の災害で崩壊が激しい。発電施設を背後に抱えるこの地では、送電線の保守道が多く、これは整備保守が行き届いていて歩きやすいが目的が登山ではないので、とんでもないところへ導かれてしまう。
 これらの道が無い大部分の地域では、獣道があるのみである。のびの捜索で歩き回った尾根はすべてが獣道だった。もちろん尾根筋などは作業用の山道があったのだろうが、今はその面影もない。獣が主役になっているわけだ。つまり分け入ってはいけないという獣道を4日間歩き回ったわけだが、そこで意外なことに気づいた。獣道には一定の法則が有り、実に合理的に出来ているということだ。
 のびが山中を走るのを目撃したのは、古気良谷で取り逃がした後の数秒だけである。道路脇の石垣から竹林に登り、竹林の中を疾走したわけだが、わたしから離れようとすると竹林を直上するはずなんだが、実際には竹林に入ったすぐのところをトラバースしたのである。

この竹林に飛び込んで、右方向に水平に獣道を疾走した。
 後で竹林に入ってみるとすぐに解るが、それは獣道だったのだ。非常な興奮状態で緊急の事態でも獣道を走るということは、落ち着いたら余計獣道を歩むのではないかと考えた。以降獣道が捜索の対象となったわけだが、そこで様々な発見があった。獣道は稜線、尾根筋には必ず有り、ほぼ直線的に走っているが、障害物や岩場、崩壊地などは実に上手に避けている。斜面の獣道はほぼ水平にトラバースするものが多く、やや斜めに登り下りするものもあるが、垂直に登っているものはない。絶妙なのは平地から尾根に取り付く方法で、まず谷を詰め水が涸れる辺りから緩やかな傾斜で尾根の末端方向へ登り帰しているのだ。それは尾根に取り付くために実に安全で効率的な方法である。尾根の末端は概して急傾斜となっている、谷から登り帰す方法だと距離は長くなっても少ないエネルギーで上り下りができる。そして水場への最短距離となっている。

①尾根、獣道は谷(水はない)から尾根末端方向へ斜めに登っている。末端は急傾斜。
 この尾根への取り付き方法が、人間の造った峠道によく現れる。最後まで水が得られるように造られたのかと思っていたが、どうも本来の獣道を峠道に作り替えたのではあるまいか。大栗峠志古田道の最後に尾根に取り付く部分や和知側の旧取り付きなど典型的である。野生動物の知恵が人間の世界にも活かされているのかとつくづく感心する。

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のび逃走始末記ー14 1/30

2020-01-30 | Dog

2020.1.30(木)雨
 基本的に谷筋に居たとして、なぜ谷口方面に行かないで奥の方に行ったのだろう。これが飼い犬と野生に近い犬の違いではないかと思う。多くの飼い犬が迷子になっても、自宅に戻ったり、小屋や軒下といったところで見つかっているようだ。もちろんそんなことも想定して自宅には表に餌と水を用意したり、付近の小屋や空き家をしらみつぶしに捜索した。しかしのびは結局、より山奥の谷の最奥の尾根で発見されたのである。これが野生というものではなかろうか。のびにとってはあの地が最も安全と思われたのだろう。山間地方で迷い犬を探すとき、その犬の育ちを考慮して行き先を予測すべきかと思う。

のびが居たのはこの谷の最奥、左俣の倒木の下に餌を置いた。
 発見したときに最初に水をやったが飲まなかった。次にフードをやったら食べたのは、水は足りていたけれど食べ物は摂っていなかったということだろうか。佐々木さんの「水のあるとこに行くで」というアドバイスは正しかった。
 古気良谷③尾根の下と⑥尾根の下にフードとチーズを置いた。一晩だけのことなのだが、どちらも食べられていないのは不思議な気がする。のびが食べなくても、いくらでも小動物は居るはずだ。のびが発見された場所と餌を置いた場所は距離にして30mくらいか。のびにすれば臭いのわかる距離ではないだろうか。ひょっとしたら臭いに誘われて尾根を下ってきたのだろうか。そうだとするとあの箇所に餌を置いたのは大正解だと言うことになるのだが、、、。
 本当のことは永久にわからないのだが、なぜこんな予想をするかというと、同じように山に逃げ込んだ犬を捜索する方に少しでも参考にしていただきたい気持ちと、実際に山を捜索する際に当てもなく歩くことが如何につらいものか、やはり信念を持って探すべきところを歩かないとやりきれないものがある。

右の③尾根は仲林さんが同行してくれた。
 もう一つ大切なこと、それは周囲の応援協力である。今回も多くの方が気に掛けてくださり、探して回ってくれた方、情報をいただいた方、遠くから応援に駆けつけてくれた方、捜索に同行していただいた方などのおかげで解決したものだ。一人、一家族では長丁場の捜索は堪えられない。それは肉体的、体力的なものよりも精神的に堪えられないと思う。そんな意味で、山に迷った犬の捜索で協力の申し出があれば、わたしの行ける範囲で協力しようと考えている。おわり

のんびりとサークルで寝ているが、もしリードが外れたら野生に生きたことだろう。
 

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のび逃走始末記-13 1/28

2020-01-28 | Dog

2020.1.28(火)曇り、雨
 お墓下でのびを発見したのは幸運であり、偶然なのだが自分の予想が的中していたことは驚きである。この予想をしないで古気良谷に入っていなかったら、永久に発見できなかったかもしれない。不幸だったのはヘルメットで完全装備しバイクに乗っていたことだろう。驚いたのびは急に走り出し、当然こちらも追いかける。このバイクの追走劇が最悪であったことは、民家の石垣から竹林に逃げることとなり、竹林の中で姿を見失ってしまったことでわかる。
 最後の姿を見失った地点(①尾根)から3日半後(⑥尾根下部)で見つかるまでの間、のびは一体どこで何をしていたのだろう。捜索は古気良谷については①尾根、⓪尾根、②尾根、③尾根とすべての谷筋を行っている。①尾根と谷筋は何度も往復しているが、その間遂に一度も姿を見ることはなかった。
 のびが身につけているものはすべて救出されたときにあり、逃走したときと違うのはダウンが脱げてリードの先にぶら下がっていたことだけだ。リードから抜けずにいたのはカラビナがリードを通す穴よりかなり大きかったためである。
 のびが救出されたときの状況は以下の通りである。
①リードもダウンも泥で汚れているが分厚くこびりついている風でもなく傷みもない。カラビナは塗装面が剥げ、相当の摩耗を受けているようだ。舗装道路を3Km程疾走したためか。

クライミング用の丈夫なカラビナだが、側面は塗装がすべて剥がれてしまった。
②身体は思ったより汚れが少ない。ダウンを着ていた時間が長かったためだろう。なお、傷、怪我は一切無かった。

帰ってきたところ、肉球の泥は気づかなかった
③体重はこの間1Kg減少した。おそらく何も食べていなかったと思われる。救出後の便も通常通りで異物や羽、骨などは見当たらなかった。救出当日の診察では脱水症状は見られず、何らかの方法で水分を得ていたと思われる。
④肉球に泥が分厚くこびりついていたことが後日のシャンプーで発見された。自分では舐めて手入れするだろうから相当強烈な泥かと思われる。
 身につけていたものは救出時にはすべて揃っていたので、途中の道程を示す証拠は何もない。泥のところに足跡は残るが、判別は不可能だ。②尾根と③尾根の間に置かれた獣用の檻の中の糠に小動物の足跡があった。体重が軽いため扉が閉まるというようなことは無かったようだが、ウサギ、ネコ、キツネ、タヌキ、イタチなどなんでもいるのでなんとも言えない。
 当初は①尾根を登り切って⓪尾根、井根口に向かって下った可能性があると考えた。つまり河牟奈備神社からの逃走経路と同様の状況になるからだ。井根口に置いた餌がひと晩で無くなってしまったのと、不確かながら目撃情報があったことにその思いを強くして、井根の捜索にも力を入れた。結局そのコースは辿っておらず、古気良谷周辺で過ごしていたと思われる。

当初はこの尾根を下ったかもと思っていた。
 見失った①尾根末端から発見された⑥尾根途中までどうやって行ったのか、尾根筋を登っていったのか、谷筋に居たのか想像しかないのだが、わたしは谷筋に居て、昼間は尾根に上がっていたのではないかと考える。その理由は、脱水状態になっていないこと、谷筋特有の泥がこびりついていることである。昼間は何度も谷筋を捜索しているが、一度も姿を見られなかったのは、尾根に隠れていたのではないだろうか。つづく
【今日の”のびちゃん”】NO. 23
「保護犬は年単位で考えなあかんで」そう、すぐには慣れないわけ。できる限りいろんな所に連れて行って人や犬に慣れてもらおうとしている。

21日うみんぴあ、24日プレートtamura、ルークと遊べるかな?

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のび逃走始末記ー12 1/26

2020-01-26 | Dog

2020.1.26(日)曇り のびの逃走経路、行動について-2

 
 
 最初に姿を消してからのびは河牟奈備神社の裏山に逃げ込んだと予想したが、他の経路も無視できないので車でまだ回ってないところを回ったり、中山の林道を詰めたりした後裏山に入った。裏山は10分程度で尾根上に着き、東は尾根を登っていき西は尾根を下っていく。どちらも道は無いが歩きやすい尾根である。東に峠まで行き引き返し、西に進むと古気良谷のお墓の丘陵となる。水のある方に行くという原則があるならば、古気良谷に下りている確率が高い。そう決めて古気良谷を捜索する。バイクで林道を詰め奥の二股まで行く。途中白い生き物がいてドキッとする。のびはベージュのダウンを着ていたから遠目には白く見えるのだ。近寄ってみるとそれは猫だった。後でわかったことだがそれは野良猫で、つまりこの谷で動物が生きていくことが出来るということだ。二股を水の涸れるところまで捜索し、林道をもどる。そしてお墓の下で奇跡的と言える再開をする。古気良谷に降りているという予想は見事に当たったのだ。
 河牟奈備神社で見失ってからここで見つけるまでの5,6時間のタイムラグはどういうことだろう。
ここに至る道はa.河牟奈備神社上の尾根、b.仲林さん隣の旧村道、c.府道から古気良谷の三つが考えられるが、どの道を通ってものびの足で30分以内の行程である。逃げるときは全力疾走で走り、逃げ切ったらどこかに潜みそして水を求めて動き出すというのが考えられる行動ではなかろうか。b.c.については追手の軽トラが府道に居たこと、仲林さんの目撃情報は無いこと、府道を真っ直ぐ行ったとして旧村道や古気良谷に入り込む可能性は低いと考えられ、a.が最も有力な行動と思われる。古気良谷を下から捜索し奥の二股まで行って、その帰りに発見したということは、谷に潜んでいたと言うよりは、神社の尾根から降りてきたところをばったり遭遇したと思われてしかたがない。

河牟奈備神社、神社上の植林帯、古気良谷に向かう尾根
 千載一遇のチャンスに出合い、これまでの失敗をすべて挽回できるという嬉しさもここまでで、またしてもバイクで追いかけて取り逃がしてしまうという最悪の事態となる。人間万事塞翁が馬。つづく

偶然発見した尾根の末端、お墓の下。河牟奈備神社はこの尾根の向こうになる。 

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のび逃走始末記-11 1/23

2020-01-23 | Dog

2020.1.23(木)曇り、雨 のびの逃走経路、行動について

 逃走中ののびの行動については確実なことと想像でしかないことがあるが、多くの逃走事故を解決するために参考となるよう公開しておく必要があると思う。できればこのようなデータを多く集めて分析すれば、探索の方法も見えてくるのではないだろうか。
2019.12.11
朝9時前ごろ、じょんのびから逃走→府道1号線福井石油付近で目撃される(情報)→川北鉄工所前三叉路(自動車の方2人とわたしとで捕獲試みるが失敗)→府道1号線温井さん向かい(同様に捕獲試みるが失敗)→河牟奈備神社駐車場付近で見失う(逃げた方向は濃霧のため不明)
a.神社上の尾根 
b.旧村道
c.府道から大末    →午後3時頃、墓地下の草むらで発見→大末最奥の家の石垣に追いかけるも捕獲失敗→石垣上部の竹林に逃走、東方向に走り見失う

d.尾根を登り井根との稜線を登る
e.尾根を下り古気良谷から二股へ →12.15未明、二股の尾根上で発見救出

a~eの行動が不明(青字)であり、黒字は確定している。
捜索する際に当てもなく彷徨うほど不安なことはない。なにか信念とか方針がないとやりきれない。河牟奈備神社から先、わたしは神社上の尾根を調べた。それはのびの育ちが関係する。のびは笠取の山中で放し飼いのところを保護されたと聞く。野生のスイッチが入ったらきっと山に逃げるだろうと予測したからだ。ではなぜじょんのびを出てから府道沿いを逃げ回ったかという疑問も湧いてくる。福井石油から河牟奈備神社まで2Kmの間に山に逃げるチャンスはいくらでもあったはずだ。おそらく3人に追いかけられて走りやすい道を選んだのだろう。午後に発見してバイクで追いかけたときも山に逃げずに林道を逃げたのである。
 河牟奈備神社から次の発見場所までは3つのルートが考えられる。(a~c)わたしはaルートが有力と考えている。それは神社駐車場に逃げ込んだとき、軽トラと軽ワゴンが府道に止まっていたから、山中に逃げ込んだと思うのである。つづく

河牟奈備神社から府道綾部方面、のびはこちらには来ていないと思う。

小屋の左方向が午後の発見場所、河牟奈備神社はその尾根の向こう側、発見場所からはこの林道を逃げた。

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のび逃走始末記-10 1/22

2020-01-22 | Dog

2020.1.22(水)曇り のびの救出は奇跡か?

 のびの捜索についてはチラシ、新聞で広報するとともにかみさんがSNSで広く拡散した。そんな中でいかに多くの犬が逃げているのか知ることとなった。この記事を書いている間にも近隣の町で逃走があり、3日後に保護されたという事象があった。これは誠に喜ばしいことだが、チラシを配っている時に聞いた話では逃走して死んでしまったり、遂に行方知れずの事件もあった。いづれにしても犬は逃げるもの、特に保護犬は高い確率で逃走するものと思い知らされた。

最初に撒いたチラシ
 Sさんに「絶対にあきらめたらあかんよ」と言われたが、それは捜索のことなのかのびの生命のことなのか?。捜索については諦めるつもりはなかったが、生命については捜索3日目には半ば諦めていた。里に下りていれば交通事故以外に生命の危険はなさそうだが、情報が無く山に居るのではと考えたとき、生存の可能性はかなり低いと思った。現地で最初に声をかけた四方さんは、「この山にはキツネの群れが居るので早く見つけてあげないと危ないで」と語っておられた。相手が一尾ならともかく群れとなるとやばい、しかものびはリードをつけたままだ、動けなくなったら完全にやられる。見つかってものびが遺体となっていたらと考えると恐ろしい気分になってくる。実は6年前に大津のある山に行ったときの恐ろしい記憶がある。マンガン坑跡を探して一人で山中に入ったところ、道ばたに鮮血のついた骨片が落ちていた。不思議に思ったが進んでいくと次々と落ちているのだ。気味悪くなってきたとき、前方に段ボール箱が置かれているのを発見、そのときすべてが解った。誰かが犬か猫を捨てたところ、たちまち獣に襲われて食い散らかされたに違いない。恐ろしくてそこから先には進めなかったが、のびのそんな姿を見つけたら果たして正気で居られるだろうか。ザックの中にバスタオルを忍ばせていたのは、その時のためでもある。
 そんな気持ちでいたからこそ、無事に救出できたことは奇跡だとしか思えない。それには多くの幸運が重なっていた。
・四方さんにのびの失踪を話していたこと。(聞いていなかったら、通報はしなかったとおっしゃっていた)
・のびの着ていたダウンが枯れ枝に絡まって動けなくなり、鳴き声をあげたこと。(鳴かない犬も居るらしい)

ダウンは泥んこになっていたが、破れることもなく今も使っている。
・その場所が声の届くところであり、駆けつけることができる場所であったこと。
・四方さんが夜勤で夜中に帰ってこられたこと。(鳴き声は家の中では聞こえない)
・現場は何度も捜索に訪れているところで土地勘があり、暗闇でも救出に行けたこと。
・四日間、小雨はあったが本格的な降雨も無く比較的暖かかったこと。
山の装備が揃っていたこと、原付のバイクがあったこと。

このバイクが大活躍した。
いろいろとあるが、なんといっても四方さんが夜中に鳴き声を聞きつけて直接通報していただいたことが大きい。のびの命の恩人に改めてお礼を申し上げる。つづく
 

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のび逃走始末記-9 1/20

2020-01-20 | Dog

2020.1.20(月)曇り のび逃走始末記-8は2020.1.10

 のびが来て今日で4ヶ月になる。今もサークルでのんびり寝ているが、こんな時間があるのも奇跡的で大変幸せなことだと思っている。人間は幸せになるために営々と苦労を重ねていくのだが、いとも簡単に瞬間に不幸のどん底に落ちることがある。それは自分に責めがあるとないとにかかわらずだ。神も仏もないものかと思われるが、そこから偶然的に立ち直ったら、神さまって居るのかなあなんて勝手な思いがするものだ。
 さて前回の続きを書くとしよう。
 では「野生のスイッチ」はどこで入ったのだろう。最初のカラビナを落したときはのびもわたしも落ち着いていた。さっとカラビナを拾おうとしたときスッと逃げてしまった。それでも追いかけてはいけないとゆっくり歩いていったのだが、動く度に砂利の上を滑るカラビナがカラカラと音を立てる。実はこの音に以前から脅えていたようすがあったのでやばいなーとは思ったが、走って逃げる様子ではなくトコトコと歩いていく感じで府道に消えていった。ただ「待て」とか「おうち入り」といういつも使っているコマンドは届かなかった。
 一旦霧の中に見失って、次に出逢ったときには軽トラの男性に追いかけられているところだった。

家を飛び出して、最初に見つけたのはこの三叉路。軽トラのおじさんが捕まえようとしてくれていた。
 この時点でのびは犬が変わっていた。目つきは非常に厳しくなっており、行動も見違えるほど敏捷であった。もちろんその男性も親切心でなされたことなんだが、もう既に我々の手で捕獲できる情況では無くなっていたのだと思う。二台の車で追いかけて三人で取り囲んだ2回目のチャンス、バイクで追いかけて石垣に追い詰めた3回目のチャンスも見事に失敗した。きっとセンターに来る前に放し飼いの20頭近い仲間が、追いかけ回されて捕獲されたのだろう。それらの記憶がPTSDとなって野生のスイッチを入れてしまったものと思われる。
 「
絶対に追いかけたら駄目、座って行き先を見守ること」とSさんからの忠告があったが、そのことを事前に知っていてもあの時点で出来たかどうか疑わしい。実はわたしは近所の逃げた犬を捕まえるのが得意だったのだ。チコは何度も、ヘイヘイは二度、佃町から逃げてきたユキはうちに連れ帰って預かったが、いずれものびのような状態にはなっていなかったが、飼い主が捕まえられないような犬を捕まえられたのは彼らに対する責任が無いからかも知れない。別に捕まらなくてもいいやという気持で落ち着いて対処できるので良い結果になったのだろう。のびはそうは行かない。自分の責任で逃したものだから、何が何でも捕まえなくてはならない。捕まえられるか逃してしまうかは、こちらにとっても生きるか死ぬかの情況なのだ。でもその焦りが結局逃してしまうことになったわけだ。つづく

最後に姿が消えた竹藪、藪の中を猛スピードで右方向に逃げていった。
引きずっているカラビナが倒竹に当たってカンカンカンと音を立てていた。
こんなに絶望的な気持ちになったことはそんなにない。 

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のび逃走始末記-8 1/10

2020-01-10 | Dog
 2020.1.10(金)雨、曇り 考察編 のび逃走始末記-7は2020.1.5参照
 さてのびの逃走から保護まで紹介したところであるが、なぜこのような事態になったのか?、どのような経路をたどったのか?今後の対策は?といったところを総括しておかないと今もどこかで起こっている飼い犬の逃走の捜索と予防の役に立てないと思うのである。できればこういった経験の情報を集められて公表できる組織なり機会があれば大変心強く思うのではあるが、、。
 のびはなぜ逃げ出したのか?
 ひとえにわたしの認識不足と言える。動物愛護センターからのびを預かるとき職員さんにくれぐれも脱走に注意するよう言われていた。すでにもらわれた仲間10頭のうち2頭が脱走したと聞いている(どちらも無事に保護されたそうだが、、)リードはちぎられるので鎖にすること、フェンスだけでは不十分なので戸締まりをしっかりすること、ノーリードで放したりは絶対にしないことなど口酸っぱく言われた。「わかりました」と殊勝に応えていたのだが実は解っていなかったのだ。その原因の一つは11年間一緒に暮らしたじょんがあまりにも慣れていて、家でも庭でもノーリードで、家の中では首輪もしないこともあった。一度家を出てトコトコ逃げ出したこともあったが、すぐに追いついて連れ戻すことも出来たし、散歩中に転んでリードが離れたこともあったが、じょんは先に家に帰っていた。それでもじょんは野犬の子であって、そのことが妙な自信になっていたかもしれない。考えてみれば野犬の子といっても生まれて1ヶ月余りで人に育てられたので、成犬になってやっと我が家に来たのびとは違うはずである。


じょんは敷地内ではノーリードも可能
 ただわたしがセンターの忠告を無視していたわけではない。鎖のリードにはしなかったが、家にいるときは戸締まりに気をつけていたし、外に行くときはもちろんリードで繋いでいた。今回の逃走の直接の原因はリードの端につけたカラビナを落としてしまったことである。しっかり握っていなかったということだが、こういうことが起こることを予想しなかったわけではない。予備のリードを腰に付けることとハーネスの他に首輪にも繋ぐことを考え、細引きやカラビナを準備していたのだ。ただそれをすぐに実行しなかったのが甘さであった。それを実行していれば今回の事件は起きなかったのだ。

現在はリードの先をハーネスに付け、予備の細引きを首輪に付けている。
そしてリードの手前にピッケルバンドをつけて胴に回している。完璧。
 もうひとつの原因はのびの運動能力を見くびっていたことである。センターにいた5頭の中では最もか弱そうなのびだったし、へたり癖があって立ち上がるのも大変、散歩するのも苦労する情況だったのだ。日がたつにつれて歩くのは速くなってきたが、一緒に走ろうとすると立ち止まってしまう。つまり逃走するまでのびの走るところは見たこともなかったのだ。最初のリードが離れた時点を除き、三度も捕獲のチャンスがあったのだが、その時はもう既に人の手に負えるのびではなかった。敏捷性といい、ジャンプ力といい走るスピードといいまるで別犬となっていた。じょんには入らなかった「野生のスイッチ」、これこそがのびの逃走の原因である。つづく

【今日の”のびちゃん”】NO. 21
 人怖がり、犬怖がりを慣れさせるのはやはりお出かけかと思う。車の乗り降りも随分慣れてきたので、今日は上杉町のwanカフェさんに出かける。先客さんが居て随分ビビっていたが、あの山での勇姿はいったい何なんだ?

オシャレに改装してオープン、隅っこで尻尾まいていじけていたが、帰りには楽しそうにしてるのだ。

 

 

 

 

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のび逃走始末記-7 1/5

2020-01-05 | Dog

2020.1.5(日)曇り

 ②尾根は末端が急なので、谷を遡ってから取り付いたが、③尾根はさほどでもないので末端から取り付く。灌木の中をハアハアいいながら登っていくのはこれが捜索でなかったら結構楽しい登山だ。尾根の右と左を手分けして捜索する。「のび~」「のびちゃ~ん」と呼ぶ声が頼もしくもあり、虚しくもある。昨日同様時々立ち止まって鳴き声や物音がしないか耳を澄ます。森の中は気味が悪いほど静まりかえっていた。やがて稜線に出合い一服する。一人だと絶対にしない休憩だ。山のことや犬のことなどとりとめのないことを話し、随分気が紛らわせた。二人で来た甲斐があったと言うものだ。稜線を左にとり、昨日の②尾根のジャンクションを過ぎる。やがて①尾根のアンテナ残骸に着く。ここから①尾根を下り、尾根の西側斜面を仲林さんに、わたしは東側斜面を重点的に見ながら下っていく。最終的にのびが姿を消した竹林に出て午前中の捜索を終える。
  
①尾根、②尾根、③尾根

 次に井根の空き家や倉庫、小屋などをしらみつぶしに捜索する。時々人が来られる家も縁の下など覗いて廻る。そして発泡スチロールの容器に餌を入れて、了解の得られるところに置いていく。篠塚さんの小屋に置かせてもらったら、「捕獲檻を使ったらどうや」と勧められる。なるほどのびの大きさなら小型の檻に入りそうだ。帰ったら檻を持ってる人に借りようと決める。
 続いて古気良谷周辺の空き家や小屋を捜索、こちらは数が少ない。それよりも谷筋に餌を置いてはと考えたが、天気は悪くなりそうで濡れないところを探す。今から思えば濡れたっていいのだけど、その時は濡れないところを探し回った。そして唯一、最奥の二股の左股入口辺りの倒木の下にいい場所を見つけて置いてきた。これが偶然なのか必然なのか解らないのだけど、のびを保護した斜面の下になるのだ。

古気良谷左俣の倒木の下に餌を置く。
 帰宅して捕獲器の籠を借りるべく電話をかけ始めたが、とある理由でこの取り組みは止めることにする。捕獲したウサギがカラスにつつかれて死んでしまったという情報があったからだ。のびが動けなくなった場合一番恐れるのはキツネだが、カラスはその次に恐れる存在だ。つまり捕獲器は常に目の届くところでないと使うのは難しい。
 のびが失踪して4日目、その間情報は1件だけ、それも不確かな情報で確信はない。このことをどうとらえたらいいのだろう。
 生死はともかく山の中に居るか里に降りてもとんでもない遠いところに行っているということではないだろうか。前者の場合今まで通り山中を捜索するしかない。後者の場合は、チラシの範囲を拡げて南は京丹波町、北は舞鶴の手前まで配布すべきと考えた。明日は印刷屋に頼んで大量のチラシをつくって配布しようと考えて床につく。何かをやってないとたまらない、疲れているのですぐに眠れるが一旦目が覚めるともう寝られない。うなされてのたうち回る長い夜が続いているとき、「こんばんは」といってドアを叩く音に飛び起きたのだった。そして奇跡的な救出劇が始まる。

【今日の”のびちゃん”】NO.20
 年も明けた3日のこと、じょんのお墓参りと初泳ぎのためうみんぴあに行く。舞鶴の霊園はのびは初めてなので落ち着かない様子だったが、うみんぴあ芝生広場は2回目なのでのびのびと散歩していた。そしてもうひとつ、車の乗り降りがスムーズに出来るようになったことも嬉しい。
  

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のび逃走始末記-6 1/4

2020-01-04 | Dog

2020.1.4(土)曇り のび逃走始末記-5は2019.12.30

 迷うも迷わないも元々道など無いのだが、登ってきたルートとは違うと言うだけだ。どうやったって下れることは間違いないので気にせず進む。すると林の中に強烈に養鶏のにおいがする。養鶏場は井根谷を挟んだ向こうのはずだし変だなと思いつつ進むと、これまた強烈な獣道があって、養鶏場跡らしき広場に飛び出る。このにおいだもの獣たちだってよってくるに違いない。のびもこの尾根を下っていたらこのにおいには惹かれるだろう。しかも壊れかけた小屋がある。期待半分でのぞき込むが、生き物の気配はなかった。この旧養鶏場の端を下るとKさん宅にたどり着いた。小屋があってここも覗くが気配はなし。心身ともに疲れ切って家に帰ると情報が入った。井根口のあたりで白っぽい小動物を見たというものだ。のびは茶色だが、ベージュのダウンを着ており、車のライトでは白に見える。もうすでに真っ暗になっているが、かみさんと車で現地に向かう。Kさん宅の方に上がっていったという情報だ。懐中電灯を頼りに旧養鶏場の下まで捜索するが残念ながら何も見つからない。情報は確かではないが、当たりをつけた付近での情報なので放っておけない。発泡スチロールの容器に餌を入れておいておく。

⓪尾根の末端
 その後車で井根谷を捜索する。すぐのところでのびと同じぐらいの狐を発見、ライトの加減で白っぽく見えてもおかしくない。バスの旋回場まで行って折り返す。公民館の床下など覗き餌を置く。帰りは建田三町を回る、くたくただけど何かしていないと恐怖に襲われる。Kさんに餌の件などことわりの連絡をするが、拒否されたので明日引き上げることにする。また長く苦しい夜を過ごす。

井根の集落
12月14日(土)晴れ 逃走4日目
 Kさん宅のえさを回収に行く。見事に一粒もなくなっていた。ただネズミが食べたものか、獣が食べたものかわからない。可能性はありそうだが、敷地内での捜索は断られたので断念するしかない。その他の場所に置いた餌はすべて残っていた。
 この間幾人かの方が捜索の協力を申し出てくだっさていたようだが、かみさんが丁重に断っていた。なにしろ獣道だらけの山中のこととて怪我でもされたら申し訳ないという気持ちだった。ただ今日同行の申し出があった仲林さんは別だ。当初から協力していただき、山の中から彼が一人で捜索されている姿も見えていた。そしてわたし自身一人で山の中を、あてもなく彷徨するのに精神的に疲れ果てていた。他愛もないことをしゃべりながら③尾根を登る。ここらの尾根は取り付きが急峻で、尾根に上がってしまえば緩やかになる。古気良谷を巡る山稜をすべて踏査しようと1番から6番まで番号を振って今日は3番目の尾根となる。もちろん河牟奈備神社を巡る尾根と井根口に降りる0番尾根は連日歩いている。

③尾根末端、下部に獣の檻がある。

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のび逃走始末記-5 12/30

2019-12-30 | Dog

2019.12.30(月)曇り

12月12日(木)曇、小雨 逃走2日目 
 かみさんと手分けしてチラシを配布する。予想として古気良谷、井根にいるとして、両地区に全戸配布する。里に出て来たら府道沿いが農耕なので、店舗や工場、施設、公民館などに周知、掲示を依頼する。

最初のチラシは100枚程度を印刷
 警察、保健所、新聞社などは昨日から連絡、依頼している。府道沿いの民家にも配布して、建田三町を車で廻る。午後は再び、河牟奈備神社から古気良谷へ、そして最後に姿を消した尾根を稜線まで登る。(尾根①)尾根の両側を見ながら行くのは当然だが、時々立ち止まって物音を探るのだが静寂があるばかりで手がかりはつかめない。稜線の向こうは井根の集落で、急な崖になっているので、稜線まで登っておれば、右に稜線を登っていくか左に降っていくしかない。水のあるところに向かうという原則から言えば左の尾根を降っているはずだ。行ってみたいが時間が無い、古気良谷に戻ってお墓下の小屋を確認する。戸締まりがしっかりしていて入り込む隙は無い。その時、河牟奈備神社側の尾根でカラスが騒ぐのが聞こえた。嫌な予感がして夢中で林の中を駆け上る。鳴いていた辺りに着くとカラスは飛び去って、向こうで鳴いている。ほっとして帰路につく。
 また眠れない永い夜を過ごす。

のびが姿を消した尾根①
12月13日(金)晴れ  逃走3日目
 13日の金曜日って何か嫌な予感がするのだけど、そんなこと言ってられない。午前中は古気良谷の草むらを捜索しながら、すべての支流の谷を水が枯れるところまで捜索する。草むらはもともと田圃だったところで、腰ぐらいまでの草が密生している。その中に獣道が縦横に走っているのだが、砂漠の中でコインを探すようなもので気が遠くなりそうだ。支流の谷は五本あり、案外すぐに水が枯れていた。 
続いて姿を消した尾根(①)の東隣の尾根に取り付く(尾根②)尾根に上がってしまうまでは急峻だが、上がってしまうとなだらかな尾根道が稜線まで続く。里の情報が無い現在、山で潜んでいるか、リードが引っかかって動けなくなっているかのどちらかと考えられる。前者だと発見できても捕まえるのは困難と思われるが、生存が確認できればいいと思っていた。後者の場合は生きていれば最良の結果となるが、逆だと最悪の結果となる。この山にはキツネの群れがいるという情報があり、動けなくなるとおそわれる可能性は高い。実は昨日からザックにはバスタオルを携行していた。もしかのときにはのびをくるむためだ。確率は五分五分と考えていた。
 稜線を左にとって、尾根①を降る。アンテナの残骸があるので分岐はすぐに解った。昼食を済ませて稜線が府道に降りるところ、井根口から登り返す。Kさん宅の横から竹林を登っていくとやがて灌木の尾根となり、どんどんいくと例のアンテナ残骸にぶつかる。もしのびが①尾根を登っていたら、この尾根を降った確率は高い。再度来た道を下る。途中井根に降る谷も覗いてみる。だいぶ降ったころ道に迷ってしまった。

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