晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

古代の生活を想像する(3) 1/30

2010-01-31 | 歴史・民俗

2010.1.30(土)晴、曇

 現代の感覚で金属や鉱業を見ていると、莫大な資本をかけて、特殊な設備を設け、大がかりで、一般の者にとっては縁もゆかりもない産業に思える。ところが古代の金属生産加工といえば、少なくとも農具やその生産財としての金属を作る限り、個々の家で、あるいは集落で何人かが自給自足的な生産をしていたのではないだろうか。もちろん時代の発展とともに技術的にも高度なものとなり、分業化して行き、特に鉱脈のあるところや、良質の砂鉄が取れるところなどは金属産業が発展定着して行ったのだろう。中国山地のたたら製鉄などはその良い例である。
 上林メタルバレイ説なんていうと、「そんなもんあるわけが無い」という声が大きいが、わたしが思うのは、自給自足的に金属を生産している、小規模な金属生産施設である。かつての村には必ず鍛冶屋があったように、あちこちの村で野たたら程度の生産や、手堀の鉱山があったのではないだろうか。
 
 「湯ノワク古跡 今ニ湯坪アリト云 蟻通フヨリワキ止ト云 湯ノ薬師迚(とて)三間四方堂 沸ト云。」
 弓削の薬師堂に関する古文書がある。温泉が湧いて、湯気がでているので弓削の語源になったという説もあると聞くが、鉱山や金属の歴史を調べている人なら誰でも気付くと思うが、湯とは温泉ではなくて鉱物だろう。蟻とは有路の語源となっているように今でいうところの鉱山技術者、鉱山労働者と解すると解りやすい。これらのことは後日「弓削のこと」として文章にしようと思うが、今言いたいのは、上林における鉱脈(銅、鉄、水銀かよく解らない)が実はあまり豊富でなかったのでは無いだろうかということである。「鉱物を掘り出す坑道が有るが、鉱山労働者が寄ってきたら、あっという間に涸れてしまったよ」という意味ではないだろうか。Img_3412


弓削の里

 そういうわけで、上林の奥、三国岳に発し養老山、弥仙山、烏ヶ岳、鬼ヶ城、姫髪山から烏帽子山に至る鉱脈の内、大江町周辺、夜久野町周辺、それ以西のように鉱山として発展することは無かったのではないだろうか。しかしながら当時の技術では鉱物の埋蔵量など知るよしもないだろうから、弓削氏や日下部氏、日置氏などの金属関連の氏族やその関係者が入植し、採掘採鉱がなされたのではないだろうか。それが、鉱物の枯渇、あるいは何らかの理由で後世にまで続くほどの産業とはならず、地名や祭神などにのみ痕跡を残すこととなった。しかしながら鉱物の豊富であったところには違いないので、細々と採鉱や冶金、製鉄や鋳造など行われていたのではないだろうか。

今日のじょん:最近じょんのうんPより、放浪犬のうんPが多くて頭に来る。うんPのバイオトイレもオイル缶2缶目になって、低温のため発酵せずに残っている。どこかに穴掘って埋めるしかないようだが、これでは有効活用とは言えない。発酵分解してくれなくては、そこら中うんPだらけとなるわけだ。バイオトイレはうんP、おがくずと糠をサンドイッチにする。
Img_3569

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京都に行く 1/29

2010-01-30 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.29(金)晴

 中京地区労青年部のOB会があり、久々に京都へ行った。長岡京に車を置いて、JR、地下鉄を使って御池まで行ったのだが、二年間の田舎暮らしで、すっかり田舎人間になっている自分に気付いた。
 まづ車の運転だが、狭い道路に歩行者や自転車、不法駐車と走りにくいことこの上ない。かつてはこんな道路を常に走っていたのだが、今思うとよくぞ無事故で来たものかと思う。その上信号がやたらとあり、止まってばかりだ、上林には信号はひとつしか無いのにだ。
 そして電車に乗るのに駅も車内も人、人、人で、人が多いことがこんなにもストレスになるものかと気付く。切符の自販機もどうやって使うのか解らないのがあった、手持ちのJスルーカードも今では使えなくなっており、払い戻しして貰う。そこで暮らしているときはなんとも思わなかったことが、よく解らないのでイライラする。解りやすい表示や案内がなされていないなあと思う。
 懐かしい面々としたたか呑んで、おふくろ宅に泊まった。いやあ都会って疲れるなあ。

今日のじょん:じょんの解る日本語
「早くしなさい」「こっちおいで」「行くで」「小屋入って寝」「ゆっくり、ゆっくり」「終わり~ん」などなど。
Img_3799


「おかーが帰ってきたで」と言っているじょん
 

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ガンバレ綾部温泉 1/28

2010-01-29 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.28(木)雨、曇

 週に一度は綾部温泉に行っている。じょんのびのお客さまでも、遠くから定期的に綾部温泉に来られる方がおられる。もちろんその道中に沢山日帰り温泉もあるのだろうが、この山奥まで来られるのはなにかあるのだろう。お湯がいい、値段が安い、落ち着くなんてのが主な理由である。近くにじょんのびがある、というのも大変よいお答えである。Img_5938_2
 さて私たちはというと、やっぱりお湯がいい、と疲れが取れる、温まるがおもな理由だが、値段が安いの言うのも嬉しい。回数券11枚で4,000円は300円台で入浴できると言うことだ。イイフロクラブの会員になっておくと何回か無料で入浴できるので、もっと安く入浴できている勘定になる。世間の相場が700円ぐらいだろうから、これはお値打ちだ。
 わたしの入浴法は15分の半身浴、20分のサウナ温冷浴、10分の薬湯風呂、10分の洗髪、洗浄、5分の温まりってところか。サウナでは五十肩治療、予防のマッスル運動を行いながら、3回温冷を繰り返す。おかげで3年前に一年間苦しんだ五十肩は再発しない。
 綾部温泉のもう一つの楽しみは、いろんな方に出合うことだ。従業員さんもお知り合いばかりだが、村の方々とお風呂で合うのは気がうち解けていいものだ。今夜も三人のお知り合いに出合った。特に土井さんのご家族に出合ったのは奇遇であった。奥さんの体調が気になっていただけに、お元気な様子を見て安心というところである。
 綾部ホテルに温泉が掘られているという情報がある。競争相手が出てくるなかで、もっともっと工夫を重ねて、綾部温泉を育てて欲しい。

今日のじょん:昨朝朝の散歩は新しいルートに行った。念道橋を渡って、向かいの堤防から、向こう岸の河原に降りたのだ。河原は茅が生い茂っているので、ルートがとりにくいのだがじょんに先行させると、うまく獣道をたどることが出来る。帰り道が解らなくなり、じょんに「来た道どこや」と聞くと、ちゃんと来た道に誘導する。いやー賢いもんだねー。Img_3555 Img_3554
河原は茅がいっぱい。何か臭いがするとおっかなびっくりで臭いでおりやす。

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市長選終わる 1/27

2010-01-29 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.27(水)晴

 24日は綾部市長選の投票日であった。綾部に来て昨夏の衆院選に続き2回目の選挙である。国政選挙はともかく、地方の選挙、特に市長選となると独特の雰囲気だろうなあと思っていたのだが、意外と淡泊なものだった。まだ選挙権のない子供の頃、田舎の町長選挙など近所の大人達が必死になって、村を分けての選挙戦になっていたのを思い出す。今は選挙期間も短いし、選挙制度も変わってきているので、落ち着いた静かな選挙となっているようだが、有権者としては候補者や政策を知る手だてが少なくなって来ているようだ。
 あやべ市民新聞に、投票動機のアンケートが載っていた。62人に聞いて、縁が17人、政策が15人、人柄15人、政党5人、その他9人という結果だった。なんとも対象者の少ないアンケートで一概に言えないが、縁(地縁血縁のことだろう)がトップというのはいかにも地方という感がして、民主主義の観点からはいささか心配な部分もある。Img_3803

選挙前の新聞報道。


 人柄というのは、都市部でも多い投票動機だが、これほどいい加減なものはないと思う。投票する人の人柄は解っていても、他の候補者総ての人柄について比較検討されている方はいないだろう。やはり候補者は、政策で選ぶのが民主主義の根幹だと思うのだが、この政策というのが実に曖昧である。「住みよい綾部を作ります」「安心安全の綾部を目指します」なんて言われても一体何なのかよく解らない。抽象的なものばかりでつかみようがないなかで、「水道料金を値下げします」という具体的な政策を挙げられた候補に投票することにした。綾部はなにかと素晴らしいこともあるが、水道代が高いことが玉に瑕である。かみさんが苦情の際に水道局に「綾部市は日本一高いと言うじゃないですか」と言ったら「いえ、日本で三番目です」という答えが返ってきた。なんとも市民をバカにした返答だ。水源の里の水道代が高くて払えないので、山水を使ってるなんて皮肉にしては出来すぎている。綾部の水道料金が高い理由は、敷設や設備の維持に経費がかかるからといわれている。しかし、日本中の自治体にはもっともっと経費のかかる自治体があるはずである。日本で3番目に経費のかかる水道ではなくて、水道料を安く、というより正常な価格にしようという努力をしていないのだろう。
 土井さんが最後に来じょんされたとき、「女の市長というのもおもろいなあ」と言っておられた。そして投票することも、選挙結果を知ることもなく逝ってしまわれた。

【作業日誌 1/27】
ドッグランの扉造り(板の塗装)
ドッグランの看板造り

今日のじょん:じょんは言葉が解るか?
かみさんはじょんが言葉を理解していると思っている。わたしは言葉より、飼い主のかけ声、動作、目線などに反応して行動しているのだと思う。一種のじょんけん反射か。ただ、普通の犬と違って一日中一緒にいて、一日中話しかけているという特殊な状態が、会話が理解できているような状況を作り出しているのだろう。Img_3801
 かみさんが留守して、帰ってきたときの喜びよう、こんなに喜んで貰えるのはじょんしかいねえよなあ。

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日常 1/26

2010-01-26 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.26(火)曇

 日常とは、それが続く限り単調で退屈なものであるが、途切れるとなると不安定で悲しいものである。わたしの日常は、じょんの散歩をし、朝食をとってストーブを点け、洗濯物を干して、トイレにゆく。その後開店準備をして、裏の作業場や薪小屋で自分の作業をする。開店早々来客があることは少ない、その時間こそ自分の好きなことを出来る時間だ。そうこうしていると土井さんが綾部から帰ってきて声を掛ける、「なんしとんじゃいな」「薪割っとかなと思いまして、、まあ入ってください」てなわけで着替えをして、手を洗って店に入る。これが朝の日常であった。
 小さな喫茶店だけど、見知らぬ土地に来て開店するのは不安であった。開店当初の忙しさはあっという間に消え、二ヶ月もたつとお客さま皆無の日もあった。売り上げとか経費とかに関わらず、お客さまが一人もないというのは応えた。そんななかで、常連さんもぽつりぽつりと増え、皆無という日は無くなってきたが、連日のように来ていただけるお客さまは上林に移住してこられた方や別荘として上林にお住まいの方がほとんどで、上林で生まれて上林に住んでおられる方は土井さんが唯一だった。そのことがどれほど私たちに勇気を与えてくれたことだろう。
 上林のことはほとんどが土井さんから教えて貰った、28水のこと、郡是華やかかりし頃のこと、大雪で閉ざされていたかつての冬のこと、特に奥上林の情報はほとんどが土井さんのものだった。奥上林のことは昔のことも今のことも実によく知っておられた。コーヒーを差し上げながらそんなお話を聞くのが日常であった。
 土井さんについて是非書いておかなければならないことは、「奥上林村誌」のことである。2009年7月2日、8日のブログで奥上林村誌を戴いたという記事を書いているが、下さったのは土井さんである。「上林の歴史も調べてみたいのです」といったら、「これで勉強し」といって下さったわけだ。Img_2611 これは大変貴重な本で、府資料館にでも無いそうだ。このことが上林の歴史を調べる発端で、日夜勉強しているが、一朝一夕に出来るものでなく、おそらくライフワークとなるだろう。この本はわたしの数ある蔵書のなかでも最も貴重で大切な本だが、この本をいただく際に土井さんの依頼というか注文が二つあった。未だ果たせていないのだが、そのことについては後日書くこととしよう。
 まだまだ書いておきたいことがあるので、それは後日として、今日葬儀がとりおこなわれた。わたしはそっとお別れをしたかったので、昨晩お通夜におうかがいしたのだが、入院されている間も「じょんのびに行こうや、じょんのびに行こうや」とおっしゃっていたと聞いて、涙が止まらなかった。
 じょんのびの日常が土井さんの日常でもあったのだ。そんな日常がぷっつり途切れたとき、茫然と立ちすくんでしまう。
 じょんと行く朝の散歩道は、中上林から奥上林そして若丹国境の山々が幾重にも幾重にも重なって見える。その山襞のひとつが草壁である。その山影から「なんしとんじゃいな」という声が聞こえるのである。 合掌Img_3108


古屋、草壁方面をのぞむ(綾部温泉から)

今日のじょんはお休みとする。元気しているのでご心配なく。

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薪割り上達 1/25

2010-01-25 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.25(月)曇、雨

 三日前から昨年来集めた薪の整理をしている。枯れ木の薪割りと、以前に玉切りしたたが、太すぎると思われる薪を割っている。途中で雨が降ってきたので中止したが、あと一日ぐらいで完了する予定だ。集めに集めてうずたかく積まれていた木々がやっと薪となって小屋に並ぶのは大変嬉しい。作る尻から使っているので、月々の使用量とかワンシーズンの必要量とかがよくつかめない。大体2年半分ぐらいあるだろうと思っていたのだが、どうも1年半分ぐらいの様相である。それともう一つ薪小屋を作るに当たって大きなミスがあった。それは薪を表からも裏からも取れるようにしておくべきだったということである。薪は消費している冬期に補充するからである。特に二列、三列として使う場合、どちらからも取れるようにしておかないと、後入れ先出しが出来ない。Img_3796 Img_3798
 薪割りも何千回と振り下ろしていると上達してくるものである。薪割りの極意は脱力である。力が入ると狙った場所に刃が入らない。これはゴルフのスイングと同様である。しかし薪割りの方がゴルフより簡単である。薪の直径は少なくともゴルフボールより大きいから、、、、。写真左は大きな栗の木を四つに割るものだが、これだけの堅さだと一度や二度の振り下ろしでは刃の跡がつくだけで、割れるものではない。90度づつ木を回転し、中心から十字の歯形を付ける。四度目の振り下ろしで、ケーキのカットの様に1/4の薪がとれる。これは、自分で言うのもなんだが、芸術である。四回中心を違えずに刃を降ろすのは名人の域である。あまりに嬉しくなってカメラを取りだした次第だ。
 薪割りの刃を降ろすところは一般的には薪の中心だが、必ずしもそうでもないのが薪割りのおもしろさである。切り口が必ず水平にカットされているわけでもないし、木が常に真っ直ぐなわけでもないからだ。最も難儀なのが節のある木だ。木目が節の勢力範囲にあるときは、目一杯振り下ろしても、跳ね返されるだけだ。薪割りは字のとおり薪割りで、薪切りではないのだ。ではどうするかというと、節の勢力範囲でないところをそぐように割っていくわけだ。写真右はそぎ落としてどうしようもない部分が残ったところ、これ以上は鋸かチエンソーの出番だ。以前は残る部分が大きかったけれど、今ではそのまま燃やせるだけの細さになっている。うーむ上達するものだ。教えて欲しい人には教えてあげても良いけど、慣れない人は柄を折ってしまうので、薪割りを持参できる人なら教えてあげましょう。

【作業日誌 1/25】
薪割り

今日のじょん:ドッグランを作り始めたのだが、先ずはオープンクローズの看板造りから、、、、。肉球を使って解りやすい看板をつくろうと思うのだが、一体肉球ってドンなんかなあと、じょんが寝ている間に写真を撮る。じょんのびのトレードマークの肉球と随分違うなあ。Img_3793 Img_3794 Img_3795

 

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合掌 1/24

2010-01-24 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.24(日)快晴

 じょんのび開店以来、私たちの心の支えでもあったDさんが亡くなられた。あまりに悲しくて筆をとる気にならないので、今日のブログはお休みとする。申し訳ない。

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古代の生活を想像する(3) 1/23

2010-01-23 | 歴史・民俗

2010.1.23(土)曇

 歴史を研究する人びとは、大学や公立の研究所を中心とした専門家の流れと作家や郷土史家といったアマチュアの流れがあるようだ。特に古代史の分野ではその傾向が強いのではないか。私たちが目にするのはアマチュアの歴史家が本に書かれているものがほとんどで、大学の学術論文や博物館の報告書などを見る機会は少ない。多く目にするアマチュアの書籍類、あるいはネットの論文などを見ていると、日本の古代の文化を扱うとき、農耕文化を基調にしたものと、金属文化を基調にしたものの二つの流れがあるように思える。同じ地域や同じ現象を扱っても、両者で全然見方が違うのだ。
 これは両派の違いとは少し方向が違うのだが、今月の初めにご案内した「大陽の道」と「鉄の道」のようなものである。同じ地域、同じ氏族を扱っても、まるきり見解が相違し、しかも相手を完全に無視をするのである。こういう状況は特にネット上での論文に多く、両派で罵倒合戦となっているケースもよく見かける。
 私は農耕文化と金属文化は車の両輪のようなものと考える。狩猟採種文化から農耕文化に移行する過程には、石器木器から鉄器に変わる農具の発展無しでは考えられない。各地の博物館、資料館を巡って、弥生時代の鍬や鋤を見て思うことは、今とちっとも変わっていないなあということだ。それだけに往時の農具というのは大発明であったろうし、それが木や石から鉄に変わったときには、産業革命どころじゃない程の生産性の爆発的な向上があったと思われる。稲の伝搬が農業の第一次産業革命なら、鉄器の使用は第二次産業革命だろう。鉄器の出現がなかったら、日本は遊牧民族の国になっていたかも知れない。だからコインの表が農耕文化なら、裏が金属文化と言ってもいいだろう。Img_3751

木鍬、里田原民俗資料館

 ただし両文化は歴史的にはまったく違った方向に進むことになる。元来農耕と金属は互いに必要な存在として、同一の村で共存していたが、農耕がその土地に付随するものだから、永遠にその村に残り続けるのに対し、金属文化は分業が可能なため、その地を離れて存在することとなる。農耕は再生産が可能であるが、例えば採鉱はその鉱物を掘り尽くしてしまえばその地を離れることになる。例え掘り尽くされないでも、より生産性の高い鉱山に移ることとなるだろうし、金属加工についても、流通の発展に伴って、その地で自給自足しなくても、より生産性の高い地に移転することが可能となる。つまり金属文化には土地に対する呪縛制が少ないということだ。そのことと、金属特に鉄が腐食に弱く、遺跡として残らないことが、多くの歴史家の錯覚を招いているのではないだろうか。つづく

【作業日誌 1/23】
 コニファー5本植え付け

 今日のじょん:じょん君のファンのAさん親子が来じょんされた。遠くから来ていただいて恐縮する、じょんになりかわって御礼申し上げる次第である。今日のじょんを常時見ていただいているそうで、これまた恐縮し、重い責任を感じるところである。思い起こせばじょんが来たのは2008年の6月19日で、今日のじょんが始まったのは6月26日である。以来欠かさず書いてきたが、たまには「いつもと一緒」なーんて手抜きもあった。今日もいつもと一緒なので、こんなこと書いている。Img_0749
初めて家に来たじょん君(2008.6.19)

 

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石油ストーブを買う 1/22

2010-01-22 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.22(金)曇

 我が家の暖房は薪ストーブとエアコンである。かみさんが、地震など来たときに電気の不要なストーブが必要という理由で、対流式の石油ストーブを買った。地震、停電対策というより朝夕の居間の寒さが原因らしい。彼女が寒がりであることは重々解っているので、快く導入した次第だ。朝夕のエアコンよりも経費的にも安くはなりそうだ。給油の手間はちとかかるが、それ以外は薪ストーブとはえらい違いだ。夕食時に点火してみる。あっという間に部屋中に暖気が広まり、天板のヤカンはあっという間に沸騰している。うーむ、さすが化石燃料だ。二階の暖房については、ドアを開けて薪ストーブの熱を取り込むようにしている。ところが石油ストーブを一時間ほど炊いただけで、居間から熱気の上がる廊下の方がうんと暖かくなっているのだ。Img_3792  最初から薪ストーブを使っていたので、この暖かさが最高だと思っていた。店に来るお客さんも、「薪ストーブは暖かいですねえ」と絶賛なんだが、実は暖かいのは薪ストーブではなくて、家の構造なのだと思う。カロリーはきっと石油ストーブの方が高いのだろう。だから単純に暖房効率だけを考えると、石油ストーブが良いのかも知れない。
 新築をされる方、古民家を改造される方が薪ストーブを導入するケースが多くなっている。私もすすめていることが多いが、手放しでお勧めできることではないようだ。特に燃料の薪を買って使うとなれば、相当高価な燃料となるし、自前で作るとしても相当の手間がかかる。贅沢品と考え、スロウライフの一アイテムと考えるなら、これほど楽しいものもないだろう。効率性や経済性を考えるなら、石油ストーブがよいんでないかい。

今日のじょん:久々に庭のセンサーライトが点灯した。放浪犬くんがうろうろしているらしい。犬の場合はじょんは知らん顔して寝ているからだ。解らないことは、食事時にえらく興奮して三度ばかし吠えたことと、センサライトが点灯しても吠えないことだ。以前、車のライトの都合でセンサライトが点灯したときはきっちり吠えていたんだが、、、。Img_3536

吠える前にはこういう感じで訴えに来るんだが、、、、。

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上林食道楽 1/21

2010-01-22 | 食・レシピ

2010.1.21(木)雨

 京都にいるときは数軒の行き付けの店があり、美味しいものを戴いた。高級な店には行けないが、それでも工夫して美味しいものを食べさせてくれる店であった。上林では、近所にしまだ屋さんがあって、季節の美味しいものが食べられる。徒歩で行けて、お酒を飲んでも大丈夫なので嬉しい。お店で食べる美味しいものも良いが、上林に住んでれば、日常に美味しいものが食べられる。例えばお米、上林産のコシヒカリは美味い。粘土質の土壌と冷たい山水が良いそうだ。30Kgの玄米で買うので、安く手に入るのもありがたいが、少しずつ精米して食べるので、より美味しいのかも知れない。次に美味いなあと感じるのは、自作の野菜などである。今なら大根、蕪、白菜など、昨秋から出始めた椎茸が一段と美味しい。野菜作りは素人なので決していいものはできないのだが、畑で採ってきてすぐに食べるから美味しいのだろうか。千枚漬けや柚子大根を作って食べるのも大変よろしい。
 そしてこの時期は上林ならではの食べ物がある。猪、鹿である。畑を荒らすこれらの動物は困りものなんだが、その肉は美味しい。猪はしまだ屋さんで猪鍋として今季二度いただいたが、地元の猟師さんが捕ったもので、正真正銘の地産地消である。
鹿は結構あちこちで捕れるので、しぐれ煮や薫製など調理加工したものをよく頂く。お客さまみんなで試食したりして楽しんでいる。Img_3603 Img_3791
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左:鹿肉の大和煮
中:鹿肉のそぼろ、醤油味とみそ味、瓶はお手製の福神漬け(いただきもの)
右:鹿肉の薫製

 春になるといろんな山菜が出てくる。フキノトウはもう出ているらしい。昨年は頂き物で賞味したが、今年は蕗味噌に挑戦しよう。コゴミ、タラの芽、コシアブラなどなど楽しみな季節だ。
 梅干しとちりめん山椒は製作に自信がついてきた。梅肉エキスも昨年は大量につくり、毎日飲んでも半年は持つようになった。今年は一年分つくろう。梅干しはそろそろ変わり梅干しに挑戦したいし、ちりめん山椒は口がしびれるほどのを作っている。こんなのは市販していないので、自慢の作である。梅は庭になるし、山椒も二本植えたから今年あたり実が付くんじゃないか。
 そんなこんなで、山や畑で採れたものを上手に調理、加工すればこれほど美味しいものはない。本当の美食は高級料亭やレストランには存在しない。

今日のじょん:Img_3788 Img_3789 縫製工場のお客さんが、以前につくった犬のパンツと言って三枚持ってきてくれた。へー、犬もパンツはくんや、てんでかみさんがじょんに履かせていた。「オシッコは出来るけどうんPできへんなあ」といぶかしがっている。じょんは迷惑ソーな顔をしているが、どーも柄が逆立ちしている。こりゃあ、子犬のシャツやがな~。

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古代の生活を想像する(2) 1/20

2010-01-20 | 歴史・民俗

2010.1.20(水)晴

 部民(べのたみ)については、歴史の授業で習うのだが、実はよく解らない。五世紀の中頃になると、大和政権は河内平野の大規模な開拓事業や、巨大な前方後円墳の築造、あるいは朝鮮経営をめぐる軍事力拡充などのために、多くの労働力や技術者を支配掌握することが必要となり、そのために部民制をつくったといわれる。中略この部民制が全面的に廃止されるのは大化の改新であるが、手工業者は品部として残され、律令国家の体制に組み入れられるものが多かった。(綾部市史)とある。これでも納得することは不可能だが、とにかく、大和政権の都合によって帰化人などの特殊技術者が集められ、各地に定住したということだろう。日下部氏、弓削氏、日置氏は上林にゆかりの氏族と言えようが、綾部には漢部(あやべ)、八田部、物部、私部(きさいちべ)、唐部、三宅、など多くの部民があり、古代の重要な地域であったと思われる。このような部民について考えるとき、私たちは例えば弓削部は弓矢を作る専門家、日置部は日神祭祀の専門家とかいうふうに、分業的な特殊な技術の専門家という風に考えてしまう。だから上林の3部民についてどのような特殊の技術があったのか調べてきた。ところがだ、様々な書物を紐解くと日下部氏も弓削氏も日置氏もすべて製鉄や冶金、採鉱に関係があるのだ。それどころか物部氏も漢部氏も製鉄などに関連しているのである。これは一体どういうことだろうか、弓削氏は弓を作っているんじゃないのか、漢部は織物の専門家じゃないのか、日置部は大陽の祭祀をしていればいいのではないかと思うのが普通だと思う。今読んでいる忌部(いんべ)についても、忌部氏といえば天皇家の祭祀ばかりをしているのかと思えば、伊勢・筑紫の忌部は製鉄に深く関与しているとかの文章が出てくる。つまり部民とはどの部民も大なり小なり金属の精製に関係しているようだ。Img_3106

睦寄町草壁

 ここで、わたしたち(わたしだけかも知れないが)が陥りやすい、古代の部民の生活について考えてみよう。部民とは渡来の近代的技術(当時の)を持ったエリートで、ヤマト政権から職を託され、居住と生活の保障された集団であり、特殊技能を分業として営んでいたという風に考えがちである。ところが冷静に考えると、各地に点在する部民の生活を保障し得る力が当時の政権にあったとは思えない。彼らが渡来であれば、その居住地ぐらいは与えられたかも知れないが、生活といえば自給自足で、特殊技能によって作り出された製品も、貢物として捧げたのではないだろうか。これはわたしの想像でしかないが、それは部民に関する書物を見ても、彼らの実際の生活というのは未だ見つからないからだ。
 そう考えると、特殊技能集団といえども、根本には農耕があり、農耕をするためには金属、特に鉄の生産が必須だったのではないだろうか。つづく

今日のじょん:写真はじょんの夕食である。量的には私たちの食事よりも多い。よくこれだけ食うなあと思うが、数分で平らげてしまう。その前にはおやつ貰っており、その後には少量のご飯やおかずを食べている。ペットの専門家が目をむきそうだが、じょんの体重はずっと同じだし、肥満の様子も無い。それは朝夕の運動と、野菜の多さのようだ。キャベツ、白菜、人参、びっくりするような量の野菜が入っているんだって。Img_3786

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続々・古本考 1/19

2010-01-19 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.19(火) 快晴

 昨日に続いて春を思わせる日和で、3月中旬の陽気と言うことだ。雪国にとって春は待ち遠しい。陽の光と適度な気温はこれほどまでに、人に活気を与えるものなのか。今日はじょんシャンと家の大掃除日なので、朝から頑張る。洗濯物も布団も洗い物も外に干せることが嬉しい。
 さて、先日書いた探し物の古本だが、注文の確認、在庫の確認、発送の確認と連日のようにメールが入ってくる。面倒だと思われる方も多そうだが、古本愛好者としては、特に探し求めた本の場合、この瞬間、瞬間が実に心地よい。どんな感じの本かなあと、本屋さんとは違ったわくわく感があるのも通販の楽しみかも知れない。
 ネット通販で本が買えるのは田舎に生活するものにとって画期的なことである。最近では絶版本や希少本だけでなく、新刊書もネットで買うことが多くなった。綾部や福知山に大きな書店もあるが、探している本があったことはない、注文すると一週間以上かかる。以前から不思議に思っていたことだが、これだけ流通が発達しても、本の注文だけは長時間かかる。業界の顧客サービスが出来てないってことか。
 某大手のネット通販で新刊書を見ると、同時に古本も数件出てくる。これは各書店や個人がネットに手数料を払って利用しているのだろう。ここで不思議なことが3件ある。ひとつは同じ書店で同じ商品を、自らのサイトで売ってる値段と違う場合があることだ。送料や送金の仕方も違うのでよく見比べて安い方にすることが肝要だ。本体の値段が相違するのは不思議といえば不思議だが、手数料の問題などあってそうなるのかも知れない。
 もう一つは、古本の値段は安い物から並んでいるのだが、よく1円違いで並んでいることがある。考えるにこれは、最安値の価格より1円安くして出品し、自分が最安値になろうという魂胆のようだ。1円でも安く買おうという人が購入するのだろうが、最初に最安値を付けた出品者は良い迷惑だ。私はこういう見え透いた根性は嫌いだから、1円高い方を買うことにしている。

Img_1837  
ハウツー本はネットの新品を買っている。


 3っつめの不思議は、本当に不思議で、いまだに理由が解らない。もしご存じの方があれば教えていただきたい。例えば今、新刊書でいわゆるハウツーものの本を見ているのだが、新品の値段が1,600円で送料は無料なのだ。そこに中古の商品が並ぶ、最安値が1、300円だが送料が340円プラスで、結局新品より高くつく。でもこれは解るのだ、従前は新品でも送料がかかっていたから。ところが中古品で3,200円というのが別に並んでいるのだ。新品が1,600円で手にはいるのに3,540円かけて中古の本を買う者があるんだろうか。この業者(個人かも知れない)は他にも同様の出品をしていて、評価欄を見ると、結構購入している人が居る。そして評価の状況はすこぶるいいのだ。その本が稀少本であったり、絶版ものであったり、初版本であったりするなら解らないことはないが、普通の、しかもハウツー物の本の場合、なんと理解したらいいのだろう。まったく不思議な世界である。

今日のじょん:ファーミネーター&シャンプー&クリーナー
じょんのシャンプー日は月2回、ファーミネーターで抜け毛を取り、シャンプーして乾かした後クリーナーをかけている。これってペットショップでやってもらったら3~5千円はかかるだろうなあ。体重は17,6Kg、ここ数ヶ月測ったように同じ体重だ。Img_3777 Img_3780

よっこらじょん 抱いて飛び乗る 体重計

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古代の生活を想像する(1) 1/18

2010-01-18 | 歴史・民俗

 2010.1.18(月) 
 先日から本ブログの歴史・民俗記事にコメントを頂いて嬉しい思いで一杯である。古代の上林に興味を持って調べはじめ、いろんな書物を読みあさりしているところである。「上林メタルバレイ説」の仮説を書き始めていて、その稚拙な説を少しずつ本ブログで発表しているところだが、誰も賛同も批判もしてくれないとなんともせいの無い状況となっている。必死で考えた仮説にも反応がなければ、言いたい放題で、言ったことになんの責任も持たない最近の政治家のような状況となる。やはりいろんな人が、「そりゃあちがうで」「なんでそうなるねん」と問いかけていただくと、真剣に取り組むこととなるし、なにも反応がないと適当に好き放題言うとこなんて気持になる。それと今ひとつ、絶対に協力者というのは必要だということだ。現地の情報を集める、資料を探す、科学的根拠を探すためその方法を探るなどなど一人では絶対に出来ないことが沢山ある。そして今ひとつ、自分では気付かなかった何かを、気付かせてくれるのは他人である。例えば今回コメントにあるように、出来上がった産物を何に使い、どこへどのように輸送したかなんてのはまるで考えつかなかったし、放っておけばいつまでも気がつかなかっただろう。
 上林の古代を調べ始めて、やはり気になるのは君尾山光明寺と日下部、弓削、日置氏のいわゆる部民である。君尾山光明寺は聖徳太子の開創といわれ、仁王門は府北部唯一の国宝である。都から遠く離れたこの未開の地になぜこの寺院が建てられたか、これは綾部市最大の歴史上の謎でもあり、そのことが上林のルーツを探る最大のキーポイントだと思う。これは想像は出来ても解明することはほとんど不可能だと思う。わたしはもちろん、仮説を持っているが、今のところ仮説というより想像、下手をすると妄想で、公にする勇気は無い。部民についても歴史の教科書にも、各地の史誌にも載っていることだけど、その実体というか本当に知りたいことは解らない。古代というもの自体がそのようなものなんだろうか。つづく

【作業日誌 1/18】
Dog Rund(ドッグランど)のオープン看板造り
薪割り

きょうのじょん:サリーちゃんが来た。興奮して、ドアが壊れるんじゃないかの、上を下への大騒ぎ。ところが当のサリーちゃん、「田舎もんの犬なんか興味ないワン」てんで、ピッピッとオシッコして帰っちゃったんだって。いやー情けないねえ。片想いというのはかくも情けないものなのか。Img_37381いつまでも未練たらしくオシッコ臭いでんじゃねえよ。


後ろ姿が寂しいのであるぞ。

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上林断層 1/17

2010-01-17 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.17(日)晴

 15年前阪神淡路の大震災が起きた。近くでこのような大災害が起きたことは、地震の恐ろしさを如実に感じるところとなったが、果たして対策はというと、大変心許ない。といっても地震の発生を止めることは出来ないから、避難の方法と、被災後の生活に如何に備えるかということだろう。
「災害は忘れた頃来る」というのは名言である。寺田寅彦先生の再建された居宅が高知市にある。自転車旅行の際に訪れて、投句をし、唯一入選した思い出がある。先生は青桐がお好きということで、庭に立派な青桐が植わっていた。
「青桐の 城に負けじと 天を突き」 家を買ったら植えようと思っていたが、未だ果たせていない。Img_5109
 
寺田寅彦宅の青桐、立派なもんだ。

 先生の言葉どおりに、地震への備えも忘れられてそうである。阪神淡路の地震から三年ほどはどこの家にもリュックに入った避難用具が玄関などに置いてあったが、今では見ることもない。
 わたしの地震対策は田舎に住むことである。都市部での被災後の生活は大変である。飲食、燃料、居住、トイレや風呂など自前でできそうだなあと思う。同様な考えの方もいらっしゃって、神戸の震災後の様子を見て上林に家を買ったと言う方も現れた。田舎に住んでも、被災後の生活を想定して、装備などをチェックし整理しておくことは必要だろう。残念ながらそれは出来ていない。災害は忘れた頃来る、
である。
 ことほど左様に我が上林には立派な?上林断層が走っている。京都にいるときは活断層である西山断層や樫原断層付近に住まいし、そしてまた上林断層の上に住まいしている。別に断層が好きなわけではないけど、それだけ日本には断層が多いってことか。上林断層は上林川に沿って走っており、我が家の少し上手に見られるところがあるらしい。また、境の峠付近でも表面に出ているということなので、いつか見に行きたいと思っている。調べてみると活断層とは言えないようだが、活動する可能性はあるということで、被害予測などの資料が府から出ている。地震が起こるとしても上林そのものよりも西南部つまり綾部の市街地方面が大きい予想となっている。しかし実際にはどうなるか解らないので、やっぱり備えは必要と言うことだ。
 今日嬉しいことがあった。昨年から探し続けて買いたかった本が買えることとなった。それは「真言密教と古代金属文化」という本で、19年前に発行された本だが、どこを探しても見つからなかった本である。古本屋の本棚を探すことが出来ない今、方法は古本屋さんのサイトを検索するしかない。数多くの古本屋さんのサイトを調べたが一向に現れない、在庫無し、お取り扱いできませんの回答が続く。ほぼ2ヶ月余り連日連夜探しまくる。オークションに出ているかも、、、とオークションものぞいてみる。宗教にからむ本だから、教団が買い占めたのかなあなどと邪推までしたりしていた。遂に購入を諦め、図書館を探す。近隣の図書館には無いようで、下京区の京都市図書館に見つける。もうこうなったら京都まで行って読むかなあと思っていたところである。諦めつつも連夜検索していたところ、古本ドットコムで在庫を見つける、半信半疑で詳細をみると、送料を足しても定価程度である。早速注文するが、在庫の確定は当該本屋さんの返事がないと解らない。これまで何度、見つけた本を断られたことか。注文から一日、在庫確定の返事があった。いやー、諦めずに検索するもんだなあ。

今日のじょん:というわけで、得体の知れない何者かには反応するが、鹿などはっきりした鳴き声には反応しない。家の周りに来た犬には絶対に反応しない。隣の家や向かいの家に来た人には反応する。畑の木にとまった小鳥には反応する。一体どうしたらいいのだ、ここ一番に反応してくれる?Img_3776
最近、大好きだったきびなごを食べなくなった。贅沢になったのか、商品の味や質が変わったのか?写真はむりやり食べさしているところ。

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雪かきくけこ 1/16

2010-01-16 | 日記・エッセイ・コラム

2010.1.16(土)雪

 冬型も緩んでどうのと天気予報が言い出したら、雪景色となってしまった。朝の積雪は10cmってとこか。先日修理した除雪機の試運転にはもってこいだ。おもむろに引っ張りだしてきて、倉庫の前のたたきを除雪する。除雪ったって2,3cmの粉雪だから、普通は箒で充分なところだ。ブーンといううなり声とともに粉雪が散る。このくらいなら機能発揮というところだが、このくらいなら雪かきの必要は無い。
 次に本格的に駐車場に持ち出す。下がバラスなので巻き込んで駄目かなと思っていたが、馬力が無くて下まで掻かないので問題なし???。問題はしっかり掻かないので前に進むのがやたら重いこと、吹き飛ばす勢いが無くて遠くまで飛ばないことである。最大25cmまで可能とうたっているが、10cmでこれでは期待できない。
 というわけで、予想通り上林の雪にはテコに合わない、まあ遊び道具と思えばなかなか面白い機械だ。荒木さんありがとう。Img_3760 
 
右が除雪機往復の軌跡、左がスノウダンプ片道の軌跡。手間はダンプの勝ち。


 我が家のようにバラスの広いところを除雪するのはスノウダンプが最有力である。昨冬はスノウダンプがフル稼働した。これもアルミやプラスチックの軽いものも売っているが、スチール製のしっかりしたものが良いようである。今冬はまだ出番が無く、もっぱらプラスチックのスコップで間に合っている。かみさんが買ってきて、「そんなおもちゃみたいなもん、どうしようもないで」とか言っていたら、これがなかなか優れもので、20cm以下の積雪では充分である。雪かきの後の植木のレスキューや屋根の雪落としにも効果的である。Img_3761
 

修理なった電動除雪機とその他の除雪道具。

 雪かきは最高に腹が減り、相当な運動量になっているのだなと思う。運動不足解消には効果があるが、出来るならやらないで済ましたいと願っている次第だ。

今日のじょん:昨晩のことである、いつものようにじょんが唸って外を見ている。そして私たちの方へ来て訴えるような目をするのだ。わたしは、また狼少年かいなと無視をしていたら、かみさんとじょんがベランダに出て、「おとーさん来てっ」と呼ぶので仕方なく出てみる。何か啼いてるというので耳を澄ますが、車の音や水の音でよく聞き取れない。車がきれて静かになったとき、向山の遠くで「ピギャー」というなんとも言い表しようのない鳴き声がかすかに聞こえた。鹿でもゴイサギでもない初めて聞いた異様な鳴き声である。かみさんは以前にもじょんが吠えたとき聞いたそうだ。ひょっとしたらキツネかも、、、。わたしは初めてだが、きっとこれに反応していたのだろう。狼じょん改め賢いじょんとなった。つづくImg_3772


遊んでるときのじょんはとっても無邪気。

コメント (2)
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