2013.8.20(火)晴れ 「西丹波秘境の旅」-3
太陽の道が宮津の日置を通る東西の線だと勘違いされていれば、前期の文章はつじつまが合う。水谷慶一氏の「知られざる古代」を当然読んでおられるだろうと書いたが、巻末の主な参考文献一覧を見ると、その名前が出てこない。それどころか「大和の原像」も出てこないのだ。どうやら先生この2冊については読んでおられないようだ。太陽の道に関する情報は「濃飛古代史の謎」(尾関章)を参考にしておられるようだ。
太陽の道に関する主要な文献を読んでおられないのでは?
「西丹波秘境の旅」の文中に括弧書きで「濃飛古代史の謎」(三一書房)と出てくるのは、そこから直接に文を引用されているからだとわかった。では「濃飛古代史の謎」には丹後宮津の日置を通るレイラインが書かれているのかというとそうでも無い、簡単に太陽の道の説明があるだけである。
それでは宮津の日置を通るラインは一体何処に書かれているのだろう。
水谷慶一氏の「知られざる古代」には続編がある。「続 知られざる古代」のサブタイトルは「竜王のきた道」であり、なんでも朝鮮半島にも太陽の道があるなどというふれ込みである。ひょっとしたら丹後の日置を通るラインのヒントがこの本の中に書かれているのではないだろうかと必死に読んでみたのだが、その内容はまるで違った話で期待外れとなる。
結局宮津の日置の上を通るラインについては一体何なのか不明のままで、わたしの勘ぐりでは、澤氏は北緯34度32分の線が宮津の日置を通り、それが太陽の道だととんでもない勘違いをされているとしか考えられないのだ。
日置、あるいは太陽観測に関する奇妙な文章はさらにつづく、前述の「太陽の道と上林の日置」の項は「太陽信仰と計測のメッカ 丹波弥仙山の於成平(おなるだいら)」という節に含まれる。弥仙山というのは上林の日置(日置谷と日置殿からなる)の北北西にある三角錐の秀麗な山で、664mの山頂には金峯神社が祀られており、改心の道という君尾山光明寺に至る修験道道がある。例年11月に改心の道を巡る登山会が催されているが、君尾山までの道は荒れており、日置谷に下りコースとなっている。つづく
小畑町の金谷峠を下りてきた時の弥仙山(2009.11.14)北近畿で最も分かりやすい山容だ。
【作業日誌 8/20】
草刈り(5-7)
土用干し
【今日のじょん】追悼マーブル写真集
マーブルママは仕事のため、マーブルは留守番が多かった。淋しかろうと夕方の散歩時はマーブルを訪ねて、プロレスごっこをするのが日課となった。じょんもマーブルもこれが随分楽しみで、マーブルが嬉ションするのでタオルを用意してもらったぐらいだ。
ドッスンバッスンびっくりするほどのプロレスごっこ。マーブルは手に持ってるジャーキーが気になってるみたい。