晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

丹波西国三十三所道中記 三日目-1

2024-01-22 | 徒歩巡礼

2023.8.17(木)曇  
丹波西国三十三所道中記 三日目-1 消えた観音堂

福知山駅発   8:50 
海眼寺   着 9:10  2Km    発 9:25
一盃水観音 着10:30 8.2Km    発10:40
荒木公会堂 着10:50 8.5Km    発11:30 行動食
榎原三叉路 着13:00                府道出合い、稲荷神社あり
大歳神社  着13:15 15.5Km                                      国道429出合い
観興寺   着14:10 20.5Km           発15:10
峠入り口探し
上畑中バス停着16:20 25.13Km 

経費 交通費 1、580円 朱印・賽銭 800円  合計 2、380円

  台風7号の襲来で予定が立たず、前日に公表したが勿論同行者はおらず、ひとりで思い存分歩いてみたいと意気込む。ところが準備が中途半端で、バスの時刻には間に合わない、車を綾部駅前に置いて電車に飛び乗る。台風一過だが空はどんよりとして今にも雨が落ちそうだ。でも風もあり、涼しいのは有り難い。海眼寺へは厚生会館の西の道を北に行けばいいのだが、そのままでは曹洞宗正眼寺の裏門に行き着く。丁度催事の準備をされている方がおられたので、海眼寺の行き先を聞くと「隣になるので、こちらを通って行って下さい」と案内される。正眼寺の手前を右(東)に折れて、お墓の方から回り込んで行かなければならないようだ。臨済宗南禅寺派のお寺だが、こちらも法要があるようで、取り込んでおられる。ご住職はお話し好きと聴いていたので期待していたのだが致し方ない。朱印を所望すると書き置きでよかったら、、ということだった。大黒さんが丁寧に応対して下さったが、お寺の奥さんはどこでも柔和で清楚だなあと気づく。心経をあげてあとにする。
  海眼寺山門と観音堂
 続いて一宮神社目指して街中を歩く。国道9号線の下をくぐって飛び出すと、東向観音堂の下に出た。国道9号線を通るたびに気になっていた観音堂なんだが、観音堂や地蔵堂が北向とか東向とかとりわけ言われるのか不思議に思っている。南向きというのは無くて、本来が南向きだからそうなのかもしれない。もっと気になるのは「天田郡霊場八十六番札所」と書かれていることだ。天田郡西国三十三霊場というのはあるようだが、八十六番とはいったい何だろう。ネットで調べてみると「天田郡四国八十八ヶ所霊場」というのがあった。まあなんと様々な霊場巡りがあることだ。
 東向観音堂、国道からもよく目立つ
 緩い坂を登っていくと右手に陸上自衛隊福知山駐屯地の正門が現れる。この地はかつて歩兵二十連隊が置かれた地で、わたしの父はこの連隊に招集された。中支(華中)や南方(マニラ方面)に進攻したようだが、果たしてどのような気持ちでこの門をくぐったのだろう。
 駐屯地正門の横に二十連隊の祈念碑がある。
 自衛隊の丘を下っていくと一宮神社からの道に合流し、荒木に向かって登っていく。真夏の太陽がジリジリと照りつける中、日陰があるとたまらなく嬉しい。やがて峠に辿り着く、左に行けば荒木、右に行けば正明寺方面だ。旧道と思われる脇道に素晴らしい水場がある。お地蔵さんの下に地下水が湧き出ており、隣に一盃水観音さまも祀ってあり、峠らしい風情がある。水は水筒にたっぷり持っているが、ここは地蔵さまの水をいただくべしだ。
   
三叉路手前に脇道があり、そこに一盃水と観音さまがある。 
 実際の峠はもう少し荒木よりに行ったところで、下っていくと荒木神社へ登っていく道が右にある。すぐのところに公民館があって、たしかここに観音堂があるはずなんだが、それらしきものは見当たらない。もう少し登っていけばあるのかなと思いどんどん登っていくが、らしきものは見つからず、どこかで尋ねようとするが、真っ昼間の暑さの中では誰も戸外に出てこない。人が居そうな家を見つけて訪ねていく。「法光寺の観音堂を探しているのですけど、、」「ああ、観音堂は何年か前に取り壊しましたよ、公民館の前にあったんですけどね。」円淨寺の住職が、「観音様は公民館に祀られていますよ」と言われた訳がわかった。また公民館のところに戻り、縁台に荷を置いて室内に向かってお参りする。観音堂があった跡は砂利が引かれ、石灯籠と石塔が面影を残しているのみだ。
 第三番(廃寺) 神南山 法光寺 曹洞宗 聖観音(荒木公会堂内)
 御詠歌 野をも過ぎ 里をも過ぎて神奈備の 法の光に あうぞうれしき
 「丹波西国と御詠歌」に残る法光寺観音堂の写真
 2023.8.17現 観音堂は跡形も無い

廃寺は覚悟していたが、写真に残る観音堂さえ無くなっているとはなんともさびしい限りだが、今後も同様の場面に出くわすだろう、建物は無くなっても人の人情は残っていて欲しいと思うのみである。縁台に座って握り飯を頬張りながら向かいの山を眺めていると、所々山崩れの痕が見える。そういえば数年前、2014年だったかこの辺り一帯が大水害に見舞われ、弘法川流域など洪水と土砂災害が起きたことがあった。おそらくその際に崩れた山の傷痕なのだろう。先程訪れたお宅、荒木さんと言ったか、その方も水害の話をしておられた。観音堂の取り壊しもその影響があったのだろうか。つづく
  


 

 

 

 

 

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