晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続・歯痛の不思議 2/28

2018-02-28 | 引地考

2018.2.28(水)曇り

 ここまでの治療、数年前と同じなわけ。あのときはそれでも治らないので南丹病院に転医したのである。石膏状の滲み止めのおかげで滲みるのは穏やかになったが、3日もすればぽろっと取れて元の強烈な滲みが襲ってきた。それでも冷たいものの飲み方食べ方が上手くなったせいか、あまり滲みなくなってきた。3回目の治療、「少しずつ良くなっているようには感じるのですが、、」「そうですか、隣の歯を少し調整して滲み止めを塗っておきます。これで治療は終わります、どうしても痛くなったら来て下さい」
 えっなんか突き放されたような気がして不安なんだけど、まあいいか。それから5日、今日は一度も滲みていない。試しに冷たい水でうがいをしてみる。大丈夫だ。これで冷たいビールも一気に飲めるというもんだ、嬉しいねえ。でもこれって一体何なのだろう?噛み合わせ調整だけであの痛みが治るものなんだろうか?正月から徐々に進んできた歯痛だぜ、でもひょっとすると腰痛同様心理的要素が関係するのだろうか。腰痛に心理的要素が関係するのは、腰痛に対する不安や恐怖が大きいからである。そういう意味では歯痛だって充分に恐怖だし不安である。心理的要素があることを知って、簡単な治療で安心を与えてくださったとしたら、しまむら先生、こりゃあ名医だぜ。
【今日のじょん】ユキちゃんどーしてるかなーなんてかみさんが言うものだから写真撮ってきてあげた。相当な歳だと思うのだが、なんとも若くて元気だ。メーは相変わらずのんきな顔をしているぞ。

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歯痛の不思議 2/27

2018-02-27 | 健康

2018.2.27(火)快晴

 正月頃から右下の歯が不調となっていた。当初冷たいものがちょいと滲みる程度だったのが、段々滲み方がきつくなってきてついには夜中に疼き出した。それは神経を抜いて被せものがしてある歯で、数年前南丹病院で治療した左下奥の歯と症状が同じである。今回も同じ様な処置となるだろうと、かかりつけのしまむら歯科にいく。ところがどうも様子が違うのだ。痛むのは右下の奥歯とばかり思っていたのが、そうではなくて右上の一番奥の歯が原因のようだ。物を挟んで噛むとその歯が痛いむ。「神経は繋がってますからねえ」と言われてもどうも合点がいかない。それでも痛むのは確かに上の歯のようだ。これって腰痛と同じじゃないか、右の腰が痛いとばっかり思っていたら、日記を読み返すと左の腰が痛かったりするのだ。人間の記憶っていい加減なものだなと思うが、痛みってものはそういうものらしい。
 レントゲンの結果虫歯ではなさそうだ。噛み合わせの調整をして初日は終了、滲みや痛みは変わらないが、痛む歯は右上の歯となっている???。 2回目の診療、「痛みはなくなりましたが、強烈に滲みます」というと滲み止めといって石膏のようなものを塗布して様子を見ようというもの。「細い筋が入ってますので、ヒビがあるのかも知れませんね、良くならないようなら神経のお掃除をしましょう」神経のお掃除って、神経取っちゃうこと??  つづく

 【今日のじょん】2月といえどこんな日は必ずあるものだ。じょんも春バージョンの服に着替えて、颯爽とお散歩と言いたいのだが、相変わらず臭いでばかり、、、バックは雪の残る青葉山。

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今年の雪は参ったぜ 2/20

2018-02-20 | 日記・エッセイ・コラム

2018.2.20(火)晴れ

 今年の雪は参ったぜ!なんて言うと北陸や東北の日本海側の人には笑われてしまうが、参ったのは降雪ではなくて水道の検針である。実は水道の量水器は雪の多い所はちゃんと家の軒下などに設置されていて問題は少ないのだが、担当する地域の多くはまるで雪のことは考えずに設置されているもんだから雪が積もるととんでもないことになる。特に屋根からの雪が集中するところに設置されている場合は、1m以上の雪を取り除く必要があるのだが、落下時の圧縮でカチンカチンな上に降雪後の寒波で氷山状態になっている。事前に往年のピッケルとショベルで秘密兵器を作る。

我が家の例、こういう感じで量水器を掘り起こす。古民家ではこんなもんじゃ無い。
昔のピッケルが役に立つとは思わなかった。

 ところがこんなもんじゃ追いつかない、でどーするかって?備中鍬ってやつを借りてきてガンガン山をつぶしていく。普段なら数分で終了する検針が20分、30分とかかる。この時期検針単価は10円近く上がるのだがそういう感覚ではやってられない。ボランティア精神にのっとって掘り進むのだが、時間はどんどん進んでいく。どうしようも無いところは飛ばして最終地点まで進む。普通3日のところが5日かかっている。6日目にやり残した8軒を雪スコップ持参でやっつける。もうこうなったら意地の世界だ。
こういう家はすべて常時不在の家である。住んでる家はそれなりに対応をされているのだが、住んでいない家は雪が降ったそのまんまだからつらい。

これは水道を引いておられない家だが、不在の家はこんな感じ。
 もう一つ困ったことは漏水の処理である。今期の冷えは強烈で、マイナス8℃、9℃が数日続いた。普段の数十倍の漏水があり、一つ一つ対処するとこれまた膨大な時間となる。しかしこの仕事は人のためになる仕事だ。手を抜くこと無く丁寧に対応する。いやあ、今年ほど充実感のあふれる検針もなかったものだ。

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四塚-7 2/13

2018-02-13 | 上林たんけん隊

2018.2.13(火)晴れ 四塚-6は2018.1.6

 前回平安京の朱雀大路について書いていたのだが、櫛笥小路(くしげこうじ)について面白い新聞記事を見つけたので紹介しよう。櫛笥小路(通)は大宮通と壬生通りの間にある南北の通りである。記事は2月2日の京都新聞「みやこ今昔 大路小路から」という歴史の記事だ。

 実はその櫛笥小路は東寺のど真ん中を通っているのだ。八条通の北総門から北大門までの間が平安京当時のままの幅で残っているというものである。平安時代の定めのまま12mの幅で残っているというのだ。ちなみに大路は24m以上と言われている。なーんだそれだけのことかと思われそうだが、平安時代の大路小路はその後蚕食されつくされ、(耕地や宅地とされた道路は巷所・こうしょと呼ばれる)当時の幅が残っているのはおそらくここだけじゃないかと思うのだ。
 四塚を訪問した際に偶然にこの通りに入り込んだことが不思議に思える。もちろんその時には平安時代の道巾が残っているなんて知らなかったことである。旅に出たり、歴史の調査に出かけたときに、何気なく訪れたところが後から重要な場所だったりすることがよくある。
 櫛笥小路は北総門から自由に入れるので、平安時代の小路を体験して頂きたい。なお、石畳となっているがこれは明治になって寄進されたものだそうだ。櫛笥通りは八条通北にも続いているが、見事に巷所化しておりその差を見るのも楽しいものだ。
【今日のじょん】長く続いた寒気がようやく治まるそうだ。この間のじょん写真を公開しておこう。

これは雪の中で頑張ってるゴンちゃんとぬくぬく車の中から覗いているじょん。(2月2日)

まだ雪の残ってるおおいの芝生広場。(2月2日) 

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究極のAAウオーキング-7 2/5

2018-02-05 | 寿命延ウォーキング

2018.2.5(月)曇り
 折山峠は標高わずか150mの低い峠である。峠から尾根伝いに山城跡が在り、曲輪(くるわ)も二カ所に残っている。城のあったところは稲荷神社があり、コースはそこを廻ってくるものとする。

曲輪跡を過ぎると稲荷神社が見えてくる。
 峠に戻るところが木で作られた階段となっており、その向かいに巡礼の記念碑が建てられている。少し忠よりのところにももうひとつあり、小栗峠など立派な峠ならともかく、こんな小さな峠にあるのは不思議な感もするが嬉しいものである。

峠の階段、その向かいにある石碑文化年間の銘がある。右は忠側の石碑。
 建田三町から念道、城下に向かう重要な峠道であると同時に巡礼の道としても大切な道だったのだろう。2009年に念道と忠の有志が峠道を整備し、人を呼ぼうとしたのだが、その後獣害よけの柵が張り巡らされ誰も入らなくなって元の様に荒れてしまっている。といっても歩けないほどでもなく、少しの倒木を避けて登れば問題ない。
 この峠道を歩いてみると、自然とインターバルになる事がわかる。また筋肉にあらゆる方向から刺激が与えられ、全身運動となるとともにバランスを養成することにもつながる。平坦な道をインターバル速歩するよりも、運動効果は抜群にいいはずだ。そして森の中の歴史の道を歩くことが精神的なリラクゼーションに貢献することも大である。大峯奥駈や比叡山千日回峰の超々々ミニチュア版と思って歩けばいいのではないだろうか。魂の浄化と言うとちょっと気恥ずかしい。
 じょんのびを出て、堤防沿いのダート道、河原のゴーロ歩き、折山峠の里山歩き、堤防沿いのダートを廻って、1時間、6400歩のコース、究極のウオーキングコースがこんな身近にあった事に驚きを感じている。
2009年整備記念に建てられた鳥居風案内板。(念道側)

 

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