晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

らっきょう漬け 6/29

2010-06-29 | 食・レシピ

2010.6.29(火)雨

 今年は梅が大の不作で5,6個しか成らなかった。大量の梅肉エキスを作るべく、土鍋や七輪を用意していたが、空振りとなってしまった。梅干しは今年は作る予定をしていないので、この時期の仕込みはらっきょうだけになってしまった。ただらっきょうはカレーの添え物としてお客さまに提供するものだけに気合いを入れて漬けなければならない。
 らっきょうの栽培は2年目だが、昨年色々と反省すべき点があったので改良を加えた。一昨年、初めての栽培の時はホームセンターで苗を買ってきた。昨年は収穫したものの一部を干しネギみたいに干しておいて夏の終わり頃に植え付けた。この方法は本で読んだわけでもなく、インターネットで調べたわけでもなく、苗を買わないで増やせる方法として実験的にやってみたものである。育つかどうか不安だったが、無事に収穫できて喜んでいる。もう一つは、昨年収穫しないで植えっぱなしにして置いていわゆる二
年物のらっきょうを一株だけ作った。作ったと言っても放ったらかしにしていただけだが、ものの本によると一年物よりおいしいと書いてあるが、これは歯触りのことだろう。同時に収穫したが二年物の方が随分粒が小さい。同じ一株でも小さいのがどっさり着いているという感じだ。これらは別々に漬け込んで味の違いを確認したい。ちなみに収穫量は一年物772g、二年物192g、共に下処理済みの重量である。Img_0938
 
下の一束が二年物


 収穫時期も昨年より早くした。最初に調べたところでは、葉が枯れ始めた頃収穫すると書いてあったが、いつまでたっても枯れてこない、昨年も葉が青いうちに収穫したがそれでももう硬くなっていた。少なくとも上林では6月中の収穫が望ましい。
 もう一つの工夫は、盛り土をしっかりしたことだ。ハウツー本では土の深さが、粒の大きさに影響するとあったが、昨年の実験の結果はそうたいした差ではなかった。それよりも生育時の土が浅くて、らっきょう自体が緑色になっているのが多かった。これは大根やネギと同じ作用だが、硬くて見栄えもよろしくなく避けるべきである。今年は生育時の春からあとにしっかり盛り土をしたおかげで、緑色になったものは極希であった。
 栽培の工夫の次に事前処理の工夫である。ハウツー本では粒の上下、根の部分と茎の部分を深く切り込むと漬け汁が内部に入ってシャキシャキ感が無くなると書いてあったが、これも昨年の比較実験の結果、なにも問題なかった。むしろ上下の部分を多く残すと硬い部分や繊維のきつい部分が残り、食後に口中に残って嫌な感じがする。
収穫から漬け込みまでレシピを書いておこう。
(1)収穫は雨の後とか、散水して葉を持って引っこ抜くと簡単に抜ける。スコップでやるよりも傷みが少なくてよい。
(2)水洗いして土を落とす。一本ずつにバラしてヒゲ根の上部と茎の部分を剪定鋏で切り取ってゆく。
(3)再度一個ずつ、硬い表皮を取ったり、残ったヒゲ根を取ったり、薄皮を取ったり、汚れを取ったり丁寧に仕上げる。Img_0940

一年物と二年物を分けて下処理をする。粒の大きさの違いがわかる。


(4)よく洗った瓶容器を熱湯で再度消毒し、キッチンペーパーで拭き取る。天気の良いときなら天日乾燥させる。
(5)きれいに洗ったらっきょうをザルに入れ、熱湯をサッとかける。よく水を切って乾燥させる。
(6)市販のらっきょう酢、私はお多福のらっきょう酢、らっきょう1Kgに対し700ccを入れて漬け込む。
(7)乾燥鷹の爪を好みに合わせて入れる。私は激辛が好きなので1kgに対し10本ぐらい入れる。Img_0941

白いらっきょうに紅い鷹の爪がマッチしている。鷹の爪もじょんのびファームで採れたものだ。


(5)の熱湯をかける理由は、殺菌して漬け汁の発酵を防止する、らっきょうの色を白く保つ、臭いを抑える、えぐみを取るなどの効果があるそうだ。
(6)の市販のらっきょう酢を使う理由は、自作のものより美味しかったからだ。自作のものより確かにこくがあった。(自作のらっきょう酢は2009.7.7参照)
悔しいので今年もう一度挑戦したい。というのは究極のじょんのびファームにまだいくらか未収穫のまま残っているのだ。育ちが悪いものでまだ小さいので、あと1,2週間置いておこうと思っている。
というわけで、一月後が楽しみだ。

【作業日誌6/29】
らっきょう収穫、漬け込み

今日のじょん:巧妙な脱出前編
じょんは村内でおしっこ、うんP、ぽんぽこぽんの時は放し飼いである。柵もないのによく逃げないなあといわれるが、幸い逃げ出すことはないようだ。ところが隣のチコのところにだけは我を忘れて行ってしまうことが数回あった。府道が前に走っているので大変危険である。その都度叱りとばして、滅多に行かなかったが、今日久々に行ってしまった。その行き方というか、逃げ方が非常に巧妙なので驚いている。つづくImg_2479

芝生広場を降りて行って右の細い道を行けば、すぐチコの小屋に行ける。(写真は昨年6月撮影)

 

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要介護な植物たち 6/28

2010-06-29 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.28(月)曇

 昨日からオリーブを移植する穴を掘っている。このオリーブは開店のお祝いに頂いたもので、2年間店先で頑張ってきたものだ。オリーブは2本無いと実が付かないと言われるので、後から買ったものがある。モリイの店の隅っこで半分枯れかけて、処分品となっていたものである。高価なオリーブの中で、1,000円以下で買えるのは珍しい。この値段なら枯れてしまってもいいかと思って買ってきた要介護植物である。じょんのびガーデンは日当たり、排水がよく植物の生育には最適だが、怖ろしく風が吹くのと、冬の寒気、雪が難点である。木や花の種類によってはつらいものがある。ご承知のようにオリーブは地中海性の温暖で乾燥した地域の植物である。上林とは正反対の気候なので気を使ってやらないとやばそうだ。雪の被害が無く、雨露に当たりにくく、風が当たらないところとして店先の軒下に沢山の土を入れて地植えにした。排水管などの都合で苦労したが、この微妙な位置が功を奏して見事に復活、今では数万円しそうなオリーブになっている。Img_0932
 
かつては要介護なオリーブ。


 最初に貰ったオリーブは鉢植えで、夏冬ところを変えてそれなりに育っていたがここにきて妙に新芽が枯れてきた。水、肥料、気温などいろいろ原因があるのかも知れないが、本当のことは解らない。前回要介護オリーブで成功したように、地に下ろしてやることとする。といっても雪、風の被害のない軒の部分はバラスが30cmほど入っていて大変な作業である。バラスの下は工事の際に出た粘土質の山土で、あまりよろしい環境ではない。なるべく深く掘って、じょんのうんPと糠、芝のサッチ、おがくずで作った堆肥を底に埋める。続いて畑の土に少しバーク堆肥を混ぜて入れ、鉢土ごと地に下ろす。杉丸太を細工した枠を取り付け、じゃかじゃか水をやる。凶と出るか吉と出るか解らないが、まあやるだけやったという感じだ。Img_0931Img_0935 
 
ビフォアアフター。


 もう一つ気になっているというか、もう諦めている木がある。昨年ジュンテンドーで買ったカボスである。千円近くしていて手が出なかったのが、売れ残って600円ぐらいになってきた。すかさず買ってしまったが、これも上林とは正反対の温暖な地域の植物である。しかも長い間店頭にあってかなり弱っている。強風を避けると書いてあったので、特別にじょんのびファームの作業小屋の隣に植え付ける。昨夏は8個の実を着け、順調に育っていた。冬は雪囲いをし、防寒暴風のためビニールをかけて大切にしていたのだが、今年に入ってどうも葉っぱの数が少ないなあと思っていた。それでも6個ばかし花が咲いて期待していた。ところが10日ほど前から2本の枝の葉が萎れて黄色くなり、やがて枯れてしまった。もう一本残っているので頑張れよと思っていたらこれも同様に黄色く変色してきた。Img_0897
 これも原因はわからないのだが、それだけに手の施しようのないのが情けない。やっぱし気候の合ってないものは作るべきでないのかなあ。

【作業日誌 6/28】
オリーブ移植

今日のじょん:暑さのためにぐったりじょんになっている。それでもメーが来たり、ジローのおとうおかあが来たら飛び出してくるので感心する。Img_0905

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獣害というハンデ 6/27

2010-06-28 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.27(日)曇、雨

 北近畿は梅雨の中休み状態だが、猛烈な湿気には参っている。湿度計では80%を越えている。この地方、暑さはしれているが湿気は一級品だ。京都や大阪方面から移住してきた人はまずこの湿気に驚く。服、靴、特に皮革製品をはじめ家具調度、台所、風呂場、洗面所、ありとあらゆるところやものが黴びる。食品もそうだ、冬の間に充分乾燥したもの、たとえば唐辛子や大根の切り干しなんかも放っておくと湿気を吸って黴びてしまう。対処法は色々あろうかと思うが、まず一度被害に合ってみないと人間対処できないものだ。サーキさんが「かびばやし」なんて言っておられて、大笑い。
 ところが解っていても対処できないこともある。それが獣害である。といっても我が家の畑などちょちょいと食べるだけの家庭菜園だが、それでもこれだけ腹が立つのだから、専業の農家の怒りはいかばかりかと思う。広域農道を福知山に向かうと道の両脇に広大な畑が映る、好きな野菜を好きなように作っているのだ。品種を選び、柵や電柵をし、夜には夜回りや花火までし、それでも獣害にあって収穫がふいになる。上林の農業のいかにハンデの多いこと。
 我が家の過去の獣害は、夏野菜がアナグマに、大根と椎茸がサルに、自然薯が多分アナグマにやられた程度である。そのすべては無防備であった。イノシシはすぐ隣まで来ているが、好物の餌がないためか、犬の臭いがするためか畑には入ってこない。鹿も境界までは来ているが、領土内には入ってきていない。
 頭の中では、これらに対する防御をしなければならんと考えているのだが、なかなか身体が動かない。さすがに椎茸だけは頭に来て、立派な椎茸小屋を作った。今のところナイロンのネットだが、これでも破られたらスチールのネットにしようと思っている。
 今の問題は夏野菜である。昨夏もトマト、ナス、キュウリがアナグマにやられた。応急的にネットを張ったが、もともと気合いの入ってない野菜作りだったからそう気にならなかった。ところが今年は違う、真面目に世話をしたら、味も収穫も雲泥の差だ。それだけにやられたら頭に来る。と言いつつ、全然気にしていなかったわけだ。そして今朝のことである、美味しいキュウリが成ってるかなあなんてノーてんきに収穫していると、畑の隅にキュウリの食いカスが落ちているではないか。よーく見るとツメの痕か牙の痕か筋状についている。くそーアナグマのヤローだ。しかしよく見ると被害は一本だけで、しかもきれいに食べている。昨夏の被害といい、サルの被害といい妙に食い散らかして行儀の悪いこと、というか食べ物を大切にしない者に対する怒りがひとしおであった。Img_0930 なかなか感心な奴だなあ、こんな調子なら食わしてやろーかなーんて甘いところを見せたら駄目。昨年の例では、果実を採るときに茎を折ってしまっていたのだ。胡瓜の一本や二本くれてやってもいいのだが、茎毎やられたんじゃ堪らない。というわけで、重い腰を上げて畑中ネットを張ることにする。ネットも杭も用意してあるのだが、杭はまだ皮むきと塗装が必要だ。こうなると一週間近くかかる、なんで今までにやっとかなかったのか、悔やんでみてもしょうがない。とりあえず実が成っている部分に応急的にネットを張る。そうこうしているうちに雨が降りだし、ずぶ濡れになる。こうなったら意地だ、ここで止めて今夜に襲撃されたら元も子もない。Img_0936

とりあえずネットを張ったがおしゃれじゃない。


 暗くなってようやく仕上げて、満足満足。 しかしお金かけて労力かけて、それで収量が増えるわけで無し、味が旨くなるわけで無し、なんともハンデの多い野菜作りだ。
 「野菜を作りたいんです」とのたまう田舎暮らし希望者には、上林は止めときなはれと言っている。

【作業日誌 6/27】
オリーブ移植準備(穴掘り、土運び)Img_0933
坊獣ネット張り




今日のじょん:夜の12時前後に毎日吠えている。それもおとなしく寝ていたのが急に飛び起きて吠えるのだから、仰天びっくり、どーもこれがアナグマのせいだったようだ。

 

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念道のこと(4-6) 6/26

2010-06-28 | 歴史・民俗

2010.6.26(土)雨

 本格的な梅雨の季節となった。各地から水害の報道が入っている。水害といえば2004年10月の台風23号が記憶に新しく、北近畿では舞鶴市の国道175号線でのバス孤立の事件が印象に深いが、本当に大きな被害があったのは兵庫県北部の豊岡、出石、但東方面であった。被害から3年後の2007年の5月に自転車旅行でそれらの地域を通過することとなった。出石川沿いの村々ではまだまだ復旧の工事が続いていた。遠望する山肌には崩壊の痕が無惨に残り、地元の人は「未だかつて経験したことのない雨と災害だった」とおっしゃっていた。降雨、それに伴う災害がかつてのものと少し違った形で現れていることは間違いない。Img_5828
 
台風から3年、出石川、国道426号は復旧工事中。(2007.5.20)


 地名を考証する際に各種の辞書や読み物を参考にするわけだが、とりわけ気に入っている本がある。「とちぎの地名を探る」という本だが、自然災害と地名を関連づけて栃木県内の地名を研究されている本で、自然災害に対抗するための地名の附定というのは実は本筋かもしれない。また各地名が索引で並んでいるので使いやすいという利点もある。その他にも優れた点はあるのだが、読了後に雨読欄で御紹介したい。Img_0903_2
 
いろんな辞書等を参考にしている。


 さてこの本で「念道」を見るのだがもちろん載っていない。昨日栃木県野木町に根渡神社があることをお知らせしたが、根渡についても記載はない。ただ「根」はほとんどの場合丘陵や岡の麓を表すと書かれている。なんとなく心強く思う次第だ。しかし「土、渡、戸」については直接は無いが組み合わせた地名としていくつか挙げられる。たとえば船渡(ふなと)となって渡し場、渡船場というのがある。川を渡るところが「ワタシ、ワタリ」ではなく「ト」と呼ばれていたら、これは最有力となる。念道は忠、武吉方面に行く重要な徒渉地点である。念道(ねんど)=根渡(ねのと)=蓮ヶ峯の麓の川を渡るところとなればこれほど解りやすい地名もない。Img_4690

上林川を渡って忠に向かう道、折山峠。


 「ド」には川幅の狭いところ、水門、堰という意味がある。念道橋下流は地形的にゆったりとした流れで、おそらく沼地、湿地帯ではなかったかと思える。そして両側の山が迫ってくるのは念道と小山のあたりで、航空写真で見るとそれから上流は畑口川出合いまで広大な川筋となっている。この部分は上林川中流域でのいわば喉のようなところであり、この地形を持って「ド」といったかもしれない。Img_2344
 
右の山が出ているところが最も狭いところ。


 他には処(ト)といって場所を表す意味もあり、平地を表す意味もある。
 単純に道を表すことは無いように思うのだが、それは特定の地域を表すには不適切だからだ。仮に念道=麓の道としたら上林中念道となってしまう。
 土はあるかもしれない。昨日書いたように根に腐ったという意味があったとしたら、腐った土とは沼地の肥沃な土をさすかもしれない。つづく

今日のじょん:雨の一日なのでカレンダー用の写真を撮る。合羽着てアジサイの前でパチリ。らしーでしょ。Img_0927


 

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念道のこと(4の5) 6/25

2010-06-27 | 歴史・民俗

2010.6.25(金)曇

 ここで重要なことに気付く。根渡は「ねど」と読んで念道と同義の地名かもしれないと予想したのだが、本当に「ねど」と読むのだろうか。これって結構調べるのが困難なことである。市町村名や大字なら郵便番号検索で読みも解るのだが、小字については調べようがない。図書館に行った際に全国地名よみがな辞典などという辞典があった。中身はよく見ていないが果たして全国の小字のよみまで網羅されているだろうか。後はインターネットの検索でよみの載っている文章など探すほかには現地の役場などに問い合わせるしかない。これってなにか良い方法はないものだろうか。各社地図など充実されているが、よみが解らないのはちょっと疑問である。
 とりあえずあるブログで南相馬市の根渡は「ねわたり」ということが解った。どうも東北地方の根渡は「ねわたり」のようだ。そうなると念道とは関連はなさそうだ。他の東北や北関東には根渡神社という神社が多くある。これらはほとんど「ねわたりじんじゃ」で由来を調べてみると、ニワトリ、白鳥などに関連があるようで、これはひょっとすると「白鳥伝説」ともリンクするのかもしれない。私の予想した岩礁という意味はどうも当たっていなかったようだ。根渡についてはいろんなことを調べたが、念道との関連は薄そうなのでここでは述べないでおこう。いづれアイヌ地名、蝦夷に関することでお目にかけたいと思う。Img_1742_2
 
栃木県下都賀郡野木町の野木神社、この神社の東北4Kmあまりに根渡神社がある。野木神社が坂上田村麻呂にゆかりがあるというのはなんとなく意味深という感があるのだが、。(2006.11.15)


 さて念道の念は「ね」で麓を表すのではないかと書いたが、もちろん他にもいろんな意味があって、そば、脇という意味もある。他に有力なのは腐ったという意味である。これは念道から大宮に到る広い低地部分がかつては沼地であったと想定し、そこに溜まった土が腐植している様子を言っているかもしれない。(じょんのびロマン、2010.3.7参照)堆肥のことをねせごえという地方もあるようだ。(全国方言辞典)Img_1715

念道の下、村田といわれる辺りはかつては広大な沼地ではなかったか。


 では念道の道は如何なるものか。道はドウでなくてドである。古文書などでは念道と漢字書きが多くてよみは解らないが、「ねんど」「子ント」などもあり、日本地名大辞典にも「ねんど村」とあるので、これが正しいのだろう。「ド」「ト」はこれまた多くの意味がある。塔などと書いて山の頂上を表すかと思えば峠、谷、平地など何でも表す言葉である。最も著名な意味は河川の合流点という意味である。~渡という地名は枚挙にいとまがない。(沢渡、奈川渡、土合、土樽など)
 以前に渡は徒渉点ということを書いたが、これは大変根拠の薄い用例ではないかと疑問を持ってきた。つまり渡には河川の流れが狭くなっているところという意味があり、そこを徒渉点とするから渡という言い方をする場合があるようだが、それほど一般的では無い上にもともと渡(わたし、わたり)から来ている言葉とするのが普通で、東北の根渡が「ねわたり」とよまれるように、念道の「ど」に当てはめるのは無理があるような気がする。つづく

【作業日誌 6/25】
芝刈完了、施肥
ドッグランど柱の穴掘り

今日のじょん:そういえば最近あごのせじょんをしなくなったなあ。ずっとやってたのがしなくなって、また始めていたのにだ。とまあ随分気まぐれなところがある。フェンスにはいつでもあご乗せじょんしている。Img_0925


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芝生作戦始まる 6/24

2010-06-26 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.24(木)晴

 芝生広場の芝が限界まで伸びてきた。雑草の草刈りはもう四回目にならんとしているのに芝についてはまだ一度も刈っていない。芝生の雑草も手で抜くことが一番と聞き、春頃に一度やったが、夏になるともうテコに合わない。草刈りの際についでに刈払い機で草の部分を刈っているが、凸凹になってみっともないことこの上ない。手で抜くには他になにもしないで専任でやらなければ無理である。やっと芝刈り機で刈ることとなったのだが、天気も不安定なので一気にやっつけてしまいたい。といっても30坪以上ある広場でしかも傾斜地が多いのでやっかいだ。ここに住むまでは、休日の爽やかな日に芝刈り機で芝を刈るなんて最高の贅沢と思っていた。いざやってみると暑いわ、重いわ、痒いわ、ちっとも進まないわでめちゃ憂鬱。思うようには行かないものだ。大体電動式の家庭用芝刈り機ではこの広さには間尺に合わない。エンジン式の強力な機械が欲しいが、予算がない。「福知山東ゴルフで借りたら」なんてかみさんは言ってるが、借りたところであののり面に続く斜面では事故が起きそうだ。
 今の機械が最も合ってそうだが、馬力が無い上に刈巾が短く、1m程の長さを何度も往復させながら横に刈って行く。その後サッチを取り除き、刈り残し部分を再度仕上げて行く。気の遠くなるような作業を4時間もすれば八割方が終わって、今日はこのくらいにしといたらあ。もう右手が挙がらない。Img_0921 Img_0922
 
入口側の三角部分が残った。茶色い部分はよく茂っていたところ。


 よく伸びて青々としている部分は刈ると茶色になる。通気が悪いためだ。芝はなんと言っても通気が大切、サッチが残っていたり、他の植物が茂っていたらすぐに枯れてしまう。最盛期には月2回ぐらいは刈ってやらなければと思うのだが、自信がない。
 昨秋に蒔いた洋芝は予想以上によく育っているが、何しろ雑草の処理がしてないので、草刈りの時に一緒に刈るばかりだ。Img_0898 Img_0899
 
昨秋蒔いたムーンライトSLT


 明日は刈を終えて、施肥を行いたい。1㎡当たり年間に窒素を12~15gが目安と言うことだから、㎡3gを4,5回というところか。8-8-8なら㎡に37,5gという勘定になる。芝生広場全体では、1回当たり4700g必要だ。
 刈り込み、施肥以外に砂入れ、ベンチレーション、草取り、夏場の散水と結構手のかかる道楽ではある。

【作業日誌 6/24】
芝生広場刈り込み

今日のじょん:芝生はじょんも大好きだ。特に刈り込んだ後はブラシみたいで気持ちいいみたい。にしくりまわっている。Img_0920

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じょんのびファーム報告 6/23

2010-06-25 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.23(水)曇

 今年は夏野菜を真面目に取り組んでいるおかげでキュウリ、ナスは既に収穫している。昨年は7月の中頃になっても実が成らないとか、ぼけナスだとか言っていたようでえらい違いだ。思えば昨年は植え付け後は伸ばし放題で、ジャングル状態になっていた。今年のこのスッキリとした野菜達とは雲泥の差である。その差は剪定と仕立てである。この後キュウリは背丈ぐらいで先を止める予定、トマトもわき芽かきをしっかりして、摘果も行い、美味しい実を成らせたい。ナスは秋ナスの作り方も勉強したので試してみたい。やっぱりしっかり世話をすることが大切である。
 その他の野菜は、オクラ、ゴーヤ、食用ほおずきも順調である。昨年苦労した根切り虫の被害も少なくて、オクラ、ゴーヤ各一本、食用ほおずきが2本やられた程度である。これは気温の関係もあるかもしれない。Img_0895_2
 
左の畝は二年物のらっきょう、次の畝は手前からスナックエンドウ、トマト、白ナス、右の畝はキュウリ、ナス、オクラ


そろそろ収穫しなければならないのがニンニクとらっきょうである。ニンニクはともかくらっきょうはカレーの添え物として一年分を作らなければならないのでちょっと力が入る。昨年は少し育ちすぎで大きいけれど硬いという難点があった。これは茎や根の切り方にも関係ありそうだ。漬ける甘酢は市販のものが自作のものよりうんと旨かった。今年は随分前から買ってあるようだ。らっきょうは二年物というか二年間で収穫するものがより美味しいということだ。実験的に少し残してあるので、これも楽しみ。
 今夏は生姜に力を入れようと思っている。例年生姜の芽出しだけはハラハラする。ちっとも芽が出てこなくて忘れたころにやっと出てくる。解っていても不安なものだ。今年もやっと2本出てきた。これがまた100%は出てこないので不安なものだ。芽さえ出りゃああとの育て方は慣れたもので自信ありで、今年は特に稲藁を用意して入れ込んでいる。Img_0896
 
これだけやったら怒るで。一昨年は80%、昨年は60%の発芽率。


 驚いたのはカボスが急に枯れたことだ。ある日突然葉が黄色くなり、一枝を残して枯れてしまった。どうしたものか解らないので、最後の一枝に期待したが、それも萎れてきている。やっぱりカボスは上林には合わないかな、でもレモンがしっかり実を着けているのだから何とかなりそうに思うのだが。Img_0897

カボスはもう諦め状態。


 今年初めての試みはネギの播種である。大体何時蒔くのかどのように撒くのか調べないまま、6月中旬に条蒔きする。やたら細い芽がいくらか生えてきているが、果たしてどうなる事やら。

【作業日誌 6/23】
イチゴ植え付け

今日のじょん:Img_0913ジローは大のお友だち。メーとも仲良しになってるが、やっぱりジローが一番気が合うみたい。

じょんとジローが遊んでいるとこ、メーがなんじゃって感じで見ている。

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うまく行かない日 6/22

2010-06-25 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.22(火)曇

 朝、食事を摂っていると妙にカラスが騒がしい。かみさんの「カラスが鳴く日はなんとかいうなあ」なーんて言葉が変に気に掛かる。今日は定休日であれもしよう、これもしようと盛りだくさんなのだ。まず軽トラで観光センターにほたる祭のお礼に行く。本来ならば売り上げのなにがしかを寄付という形で出すのだが赤字じゃあそうは出せない。なんとなく沈んだ気持で、運転に気をつける。きっとバイオリズムが最悪なんだろう。
 なんとか無事に済ませて、市の図書館に行く。観光センターで「上林風土記」について聞いていたら、図書館にあるから借りられるようにと親切に手配して頂いた。図書館に着いて受け付けカウンターで「済みません、小原と申しますけど、観光センターで手配して頂いた件であがりました」などと丁寧に申し出たら、二人いる職員が知らん顔している。これですっかり切れてしまって、怒鳴ってしまう。いつもならもう少し冷静なのだが、今日はどうも不安定である。気の毒なのは職員さんでオロオロしている。
 こんなにイライラしていたら事故でも起こしかねない。頼まれものの買い物を済ませ、コメリに資材を買いに行く。ボルトが必要なのだが、欲しい長さが170mm程度なのだ。ところが150mmの次は210mmでその間が無い。どちらもサイズが合わないのだ。これは仕方がないなと思い、ツーバイフォーの12フィートを3本買う。やっとこさ運んで、軽トラに積み込むとその内の一本がえらいひび割れている。新しいのと取り替えるのだが、12フィートとなると結構面倒である。やっぱり今日はどうもついていないようだ。ところが本日最大の不幸がこの後に起こる。
 広域農道の下八田から旭町に到る峠に廃車の
中丹バスが置いてある。買い取って倉庫代わりにでもされているのだろうが、好きな人には懐かしいもののようだ。じょんのびのお客さまで古いバスが好きで、このブログを見て来られた方があった。次また来られるか解らないが、写真でもあれば喜んでもらえるかと思ってカメラを用意してきたのだ。数枚写真を撮っていると、途中から妙に露出オーバーとなる。とにかく真っ白でどうしようもない。修理可能な故障とは思うが、実は既に修理不可能なカメラが2台あるのだ。どれもキャノンの製品でPowerShotとIXYである。今回のはPowerShotS2ISという高価な商品である。いずれもたいして使ってないのに、Canonなんてサイテー。Img_4780 Img_4790
 
写真が急に露出オーバーとなる。



 帰宅後天気が良い内に木材にペンキ塗る。ところが夕立が来て、このペンキが剥がれてしまった。何か知らんが散々な一日だった。 

【作業日誌6/22】
草刈り4回目半分
2×4ペンキ塗り
夏野菜剪定、誘引

今日のじょん:じょんの理解できる日本語がいくつかある。その中で強烈なのが「雨」である。散歩の準備をいそいそとしているのだが、かみさんが何気なく「雨」という言葉を発してしまった。もちろん雨など降ってないのだが、それだけでさっさとサークの中に引っ込んでしまった。

Img_0893  雨なんざ降ってないのにすっこんでしまった。

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念道のこと(4の4) 6/21

2010-06-24 | 歴史・民俗

2010.6.21(月)曇

 似た地名ということで根渡のことを書いたら、これが実に奥が深くて筆が進まなくなった。「引地のこと」が淡路市長澤の引地から進まなくなったのと同様である。淡路島における大規模鍛冶遺跡から、大和の建国、ついには邪馬台国の東遷説まで話が拡がり収拾がつかなくなってきたわけだ。
 さて、根渡については果たして念道と関連があるものか無いものかわからないのに時間をかけて調べていくわけにいかない。さりとて関連があるか否かを判定するためには調べなければならないという矛盾となる。
 福島県の二つの根渡には共通点がある南相馬市の根渡は海岸から2Kmあまり、浪江町の根渡は海岸から6Km程度か、これはひょっとしたら古代には海岸線であったかもしれない。それは三内丸山遺跡に行ったときに初めて知ったのだが、縄文時代には随分温暖化の時代があって、海岸線がかなり内陸にあったということだ。三内丸山遺跡は海岸から4Kmほど入った地点だが、縄文時代には海岸線であったということだ。これを縄文海進という。なぜ海岸べりという想像をしたか、それは根という言葉に海中の岩、暗礁という意味があるからだ。このことについては「念道のこと(1)」(2009.7.9)にも書いている。もちろん根には沢山の意味があり、嶺、麓、子、音、木の根などきりがない。地名に使われやすいのは、暗礁、嶺、麓が有力だろう。私の前説、子(方角の北)説を撤回した理由は、方角を示すにはその元となる強力な施設や建造物、行政上の区画などがなければ存在しない。例えば京都市に多くある乾町(いぬいちょう)とか艮町(うしとらちょう)などは本願寺寺領内の方角や平安京の城域内での方角を示しており、時代も新しいものである。もちろん念道の南、あるいは地域にそういった著名な施設等は無く、念=子=北という説は成り立たないと考えたわけである。
 そういった意味では念道の念は麓というのが妥当ではなかろうか。信州に駒ヶ根という市がある。中央アルプス駒ヶ岳の麓という意味だろう、日本離れした、明るくて牧歌的な街である。念道は宗教的に隆盛を極めた施福寺の蓮ヶ峯の麓である。Img_4753
正面の尾根は井根の源頭を経て蓮ヶ峯に到る。

 それではなぜ根渡の根について、海中の暗礁というものにこだわったのか。それは根=海中の岩、暗礁というのを全国方言辞典で見つけ、青森県上北郡、岩手県釜石、宮城県亘理郡、千葉県夷隅郡、静岡県安倍郡と書いてあるのだ。前述の根渡の地域が一致する上に、これって蝦夷に関係する地域ばかりじゃないかという思いが湧いてきた。ひょっとしたらアイヌ語かなと思い調べてみるが、どうも見あたらない。もっともアイヌ語辞典に関しては地名に関する小辞典しか持ち合わせがないので詳しくは調べられないのだが。つづく

【作業日誌 6/21】Img_4778
木小屋増築完成




今日のじょん:じょん語録(51)おしっこうんこじょんじょんじょん
何かをしようかというときにリズムのよいかけ声で言ってやると理解しやすいようだ。毛をとくときは「けーとくちん、けーとくちん」とかけ声をかけて歩いていくとちゃんと用意する。同様に朝一は「おしっこうんこじょんじょんじょん」といって扉を開けると、だーっとオシッコしに行く。Img_4571

 
かけ声と共に飛び出してくるのだ。

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来じょん記念日2 6/20

2010-06-22 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.20(日)曇、雨

 昨日はほたる祭一色で書けなかったのだが、実は6月19日はじょんの来じょん記念日である。2年前生まれて3ヶ月のじょんが来て、まあどうしたものかと大騒ぎしたのを思い出す。病気して弱ってるのが一番つらいことだけど、首輪を着けると固まって座り込んでしまうのがなぜか凄く不安に感じたものだ。もう一生首輪が着けられなくて、家の中で引きこもりになるんかなあなんて、妙な心配をしたものだ。Img_0618 Img_0621
 
ハーネスは全然駄目、首輪でもこの有様(2008.7.10)


 そんなこともなかったかのように、元気に育ってくれて賢い、しよいじょんになってくて助かっている。人間にとっていいだろうと思う環境が果たして犬にとってもいいとは限らないかもしれないが、じょんがじょんのび村で過ごすことが最高に幸せであると思って、これからも一緒に暮らしていきたい。
 さて、今朝はいくみちゃんの帰る時である。いつもの通り念道のバス停までじょんと一緒に送っていくのだが、あやバスに乗って姿が見えなくなると、「あれっ、何で?」というような顔をするのが痛々しい。でも今までより、切り替えが早いようで、大人になったんだなあという思いがする。Img_4775 Img_4777

別れの朝、帰ってきたらこんななって寝ていた。


【作業日誌 6/20】
キュウリ、ナス、トマト剪定

今日のじょん:今日はじょんネタなのでお休み。

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サッカー VS 蛍 6/19

2010-06-21 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.19(土)曇

 上林のほたる祭は今年で29回を数えるとか、随分古くからのイベントだ。ほたる祭の元祖みたいなものだ。私たちが上林に来てからもう3回目となるのだが、昨年から模擬店を出店して協力参加しているところである。昨年はコーヒーメーカーのトラブルで大騒動となったものだが、なんとか完売してまずまずの初参加であった。昨年の反省を活かし、アイスコーヒーを多めに用意し、いくみちゃんの応援もあって、完璧の準備をして臨んだ。
 もっと凄いのは金曜日の夜にしまだ屋さんで先に打ち上げを行ったことだ。前日はしっかりした雨で、当日の天気が気になったが、雨は降ることなく、気温湿度ともどんどん上がり、蛍が飛ぶには最高の日和となった。Img_4760

準備万端、入れ込んだらあかんなー。


 どこの店より早く現地入りをして、準備万端この上ない状態で開店をする。暑い日中からプログラムは進み、ぱらぱらと人出が出てくる。アイスコーヒーを沢山用意しておいてよかった。「これから夜にかけてどっと人出がして、超忙しくなるで」なんて言っていたのだが、いつまでたっても人出は芳しくなく、メインエベントの放虫になってもスカスカ状態、去年とえらい違いだ。というわけで、出店は大赤字、骨折り損のくたびれもうけとなった。どうもWCの対オランダ戦にやられたみたいだ。Img_4771

後の祭りに来た誰か。


 重い心と疲れた身体で片付けをして家路につくと、念道橋下流に沢山の蛍が飛び、また家に帰るとじょんのび谷にも蛍が飛び交い、ちょっぴり心が和んだ夜だった。

今日のじょん:今日は一日忙しくしていて、留守番させて、じょんと遊ぶ時間もなかった。もっとも当のじょんはいくみちゃんばっかしで、「あっ、おとーもおったんかいな」なーんてもんだけど、、、。

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念道のこと(4-3) 6/18

2010-06-21 | 歴史・民俗

2010.6.18(金)雨

 今のところ唯一の同名の小字、和束町杣田の念道とはどんなところだろう。角川日本地名大辞典には杣田の念道は記載がない。杣田については記載があり、湯谷山は杣山ともいわれ、大嘗会に良材を出したという山林の地である。和束町の中心部から木津川沿いの木屋(こや)にぬける府道宇治木屋線(府道62号線)が大きく方向を変え、杣田川を渡り南西に向かい始めて少し行ったところが、役場の職員さんに聞いた念道の地である。上林の念道との共通点といえば、川の徒渉点が近くにあること、河岸段丘状と思われる地域であることぐらいか。いずれにしてもこの地を訪れてみたいと思うが、同じ府内にあるこの地を訪れる余裕も見いだせない自分が哀しいという思いもする。
 さて我が町、上林の念道の地形上の特徴といえば、やはり河岸段丘上の集落と言うことか。そして上林川の大きな屈曲点の間にできた平地の上端に位置する。私はこの平地はかつて沼、あるいは低湿地であったと想像しているのだが、その証拠というものはない。伝説のようなものはあるそうだが、記載されたものは見たことがない。そして今ひとつ、念道橋附近は古代の道が上林川を越える徒渉点であったと思われることだ。
 黒石峠の施福寺を訪れた際に、当寺の由緒が本堂に掲げられていたが、奈良時代の行基上人による開山で、最盛期には東照寺、西照寺はじめ十二寺院が八葉ヶ峰(蓮ヶ峯)の周囲に建立されていたということである。西照寺は施福寺、東照寺は井根の日円寺といわれており、あとの十ヶ寺も蓮ヶ峯の周囲中腹にあり栄えていたということだ。Img_4451
 
施福寺由緒


 今日八田から上林にぬける道は黒石峠を越える府道481号線であるが、施福寺までの道は古来からの道だが、それから先十倉に到る道はかなり新しい道だと聞いている。古来の道は施福寺から井根、東照寺を通り、井根の谷を詰めて、313mのピークから支尾根を下り、末端附近で念道の村に降りてくるものが最有力だ。この道は国土地理院2万5千分の1地図にははっきり載っているが、現実には倒木等で使用不可能だと思われる。地図で見ると八田から上林街道まで直線的で無駄が無く、途中に重要な神社、仏閣があるので古代の重要な道だろうと予測したわけである。Img_4752

正面の支尾根の末端近くから急激に谷に降り、念道の村に出る。左に行けば山家へ、右は若狭、手前の上林川を渡って忠村に行く。

もう一つは念道から奥上林にいたり、古屋、洞峠を越える京街道や若狭に越える道に繋がると同様に、忠、武吉に向かい和知に越える道との分岐であることだ。忠、武吉が古い荘園として存在していたことは「雨読 地名の研究(2)」(2010.6.3)で述べたところだ。
 忠、武吉方面に行く道は、念道で上林川を渡り、折山の峠を越えて上忠に降りる街道である。この道は現存の人でも、自動車が発達していないころには使用していたということである。峠には神社の祠跡もあり、古来の街道であったことが覗える。
つづく

【作業日誌 6/18】
木小屋増築、根太張りImg_4757





今日のじょん:いくみちゃんと散歩行けるのが嬉しくてしょうがないという感じ。この道を真っ直ぐ行くと折山道だ。Img_4754  



 

 

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念道のこと(4の2) 6/17

2010-06-18 | 歴史・民俗

2010.6.17(木)快晴

 地名の由来を探る最も有効な手段は、同じ地名を集めてその地の共通項を探し出すことだ。地形に由来するものは大体これで判明する。ところが同じ地名が無いもの、あっても数少ないものは比較検討のしようがない。念道は今のところ二ヶ所しか見つかっていない。しかし字は違ってもよみが同じもの、似かよったものは調べてみる必要がある。古い地名は音だけあって、文字は後から付け加えられたものである。従って漢字の意味を追って地名の由来を探ってもとんでもない結果となることがある。「遊里のこと」でいっている遊里が遊郭のこととすると、奥上林の山間にいくつも遊郭があったこととなる。
 念道(ねんどう)を他の文字で表すのは難しい。年渡、年道、稔道、根道などいろいろ検索してみる。ありそうで無くて、次の地名が出てきた。
(1)青森県三戸郡田子町相米根渡  川沿いの段丘地形
(2)福島県南相馬市原町区泉根渡  川沿いの段丘地形
(3)福島県双葉郡浪江町立野根渡  川から少し離れている山の斜面の段丘
(4)愛知県設楽郡設楽町東納庫根道  山間部

これだけでは何とも共通項と言うわけにいかない。ただ根渡については東北地方に限られていることが気になる程度である。
(1)は秋田県大館市と青森県八戸市の中間、秋田街道といわれる国道104号線の沿いの支流にある集落だが、地形図で見る限り川と街道の間のなんの変哲もない集落といえよう。川はかなり蛇行しているので、かつてこの地で徒渉をしている可能性はある。
(2)は南相馬市中心部から東に向かった、新田川の支流沿いにある集落だが、川によって広げられた平地が山にかかる、いわゆる段丘地のようだ。新田川の河口平野の北端といった感じか。気になるのは西北に荷渡、東南に牛渡前という地名が隣接してあることだ。渡というのが何を意味するのか興味あるところだ。
(3)は(2)から20Km程南に下ったところにある。諸戸川の支流沿いにあり、地形的には(2)と似かよっている。
(4)は前期三ヶ所とは違った地形である。山間部であって、河岸段丘とは言えない。「引地のこと」でよく出てくる足助街道の延長線の近くにある集落である。といっても写真では家屋が確認できない、山間地の小字かもしれない。隣に高根という、これまた山間地の小字があるので、関連しているのかもしれない。

本当に調べる気なら現地を訪れて自らの目で確認し、地元の人に地名のいわれなど聞いてまわるフットワークが必要なのだが、プロでない私にはとてもかなわないことである。少なくとも東北の三つの根渡には共通項があり、共通の由来があるようだが、果たしてそれが念道と関連があるものか、それは解らない。つづく

【作業日誌 6/17】Img_4749 Img_4748
ドッグランど柵作り
木小屋増築波板張り



今日のじょん:Img_4751 ついにいくみちゃんが来てもうヒコヒコ。散歩も二人がかり。

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念道のこと(4の1) 6/16

2010-06-17 | 歴史・民俗

2010.6.16(水)雨、曇

 引地のこと、遊里のことが一向に筆が進まない。それは府内の小字、おそらく何万とあるだろう地名を拾っているからだ。引地についてはインターネットの地図で検索される以上に各地にあるようで、少なくとも府内のどこに存在するかを調べている。府内ならば現地を訪ねることも可能だし、地域、地形の比較をするのも容易な気がするからだ。遊里については「ユリ」地名が丹波特有の地名と言われているが、果たしてそうなのか調べてみたいからだ。これは相当骨が折れるし、時間もかかる。というわけで続きが書けていないという事態である。むしろ私の一生を掛けて、果たして完結するか否かというような問題だと思う。先日、七五三掛(山形県)の地名についてかつて述べていた仮説がどうも違うようだと新説を書いた。そのように調べが進むほどかつての説は変わってくるものである。念道についても、念道のこと(1)~(3)(2009年7月9日、8月10日、8月27日)で述べているが、どうもこれは怪しいなと思い始めているところである。
 明治の文書に「子ント村」の記述があり、子は十二支の子で北の方角を指すという 私の従来の説はどうもあやしい。というのはカタカナ書きの古文書を見ていると、「ネ」を「子」と表しているのは極一般的である。例えば「コネダス」という動詞は「コ子ダス」と表記されるのだ。「子ント村」と表記してあってもそれは「ネント村」ということであって、決して十二支の子では無いわけだ。北の渡し、北の領地、北の門などといった私の従来の説は脆くも瓦解してしまった。
 それでは「念道」とは一体何を表すのだろう。
「念道」が文書に出てくるのは川北家文書といって室町期ののものである。(文明二年、綾部市史)角川日本地名大辞典では「ねんどむら」と読んでいる。そして同じ地名は今のところ和束町杣田の念道一ヶ所しか見あたらない。小さな小字らしく、インターネットの地図では見あたらない。やむなく和束町の役場に電話する。役場の職員もすぐにどこか解らないほどマイナーな小字らしい。色々聞いてもらって、大体の位置を教えて貰う。和束町の中心部から府道62号線を南東に進むと、下杣田、中杣田、杣ノ根、上杣田、奥杣田と解りやすい地名が続く、奥杣田で道は南西に曲がり、川を渡って杣の谷にいたる。この中間に念道があるということだが、何でも「タテイワ池」の附近とも言われた。地図で見ると奥杣田から右に道が出ており、その途中に池が見える。これが「タテイワ池」だろうか、これ以上は現地に行かないと解らない。いつかは訪れて見たいものだ。つづく
Img_2926
念道橋から念道をのぞむ。


【作業日誌 6/16】
木小屋増築(桟作り)
食用ほおずき植え付け
ラッキョウ試し堀り

今日のじょん:
おかー「言うたらあかんで」
おとー「あした誰かきはるそうやで」
じょん「・・・・・・」


 
  

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山椒の醤油炊き 6/15

2010-06-15 | 食・レシピ

2010.6.15(火)雨

 昨日から木小屋の増築とドッグランどの柵作りが乗ってきたので、きょうは一日作業にあて、少なくとも木小屋は完成させようと意気込んでいた。近畿南部は雨模様だが北部は曇でなんとか持ちこたえそうな天気予報だったが、思い切り激しく降ってきて意気消沈、やむなく山椒の残りで醤油炊きでもすることにした。
 実はこの醤油炊き、私の大好物で亀岡の加舎の里カントリーに行ったときは瓶詰めを買ってきて食べていた。家族の誰も食べないで、一人で食べていたので、それほど万人受けするような食べ物でもないらしい。夏の食欲のない時にこれでお茶漬けすると最高、暑さも吹っ飛ぶ辛さである。
 さて、先日ご案内の冷凍による山椒のへた取りであるが、これが成功したら画期的な方法である。ワクワクしながら冷凍庫から取り出す。しっかりと凍っていて、これを手でもんだらあのへたがぱらぱらと取れるはずである。冷たいのを我慢してもみ始める、ん、手のひらにゴミや葉っぱはくっつくのだが、肝心のへたというか茎というかあの細いのは一向に取れない。何度やっても同じなので、遂に諦めていつもどおりぷちんぷちんと手で取ってゆく。そりゃあそうだわなー、山椒関連のブログを見たら、みんな夜っぴきで娘と一緒に取ったとか丸二日こればっかしやったとか、へた取りの苦労話でもちきりだ。簡単に取れる方法があったら、とっくにみんなやってるはずだ。
 二個の実がくっついてるのは許容範囲、だんだん甘くなる規準に苦笑しながら取ってゆく。約二時間ようやくとれたと思い、先日のちりめん山椒の残り、これは冷蔵庫に保管していたのだが、100gほどあったので一緒に混ぜる。するとだ、冷蔵のものは鮮やかな緑色で、冷凍のものは黒く変色している。醤油炊きなので色は関係ないと思うが味の方はやや心配、やっぱ冷凍はよろしくないように思う。Img_4740
Img_4742
左はカチンカチンに凍った山椒。
右は冷凍、冷蔵を混ぜたところ。右端の緑の鮮やかなのが冷蔵もの。


美味しいか否か解らないが、来年の参考のためレシピを残しておこう。
材料
山椒の実 220g
酒      大さじ2杯
濃口醤油 大さじ2杯
三温糖  大さじ1杯
みりん   少々

(1)蓋付き鍋に酒を入れ、煮立たせる。
(2)火を止めて山椒を入れる。Img_4743




(3)醤油を入れて、弱火で一時間ことこと炊く、このとき蓋をしたままにしておく。
(4)炊けたなと思ったら三温糖を入れて、ひと煮立ちする。
(5)ちょっとみりんを加えてひと煮立ち。Img_4744

炊きあがったら、冷まして保管。すぐには美味しくない。


(6)冷まして、熱湯で消毒した瓶に入れ冷蔵保管する。ある程度日にちがたったものほどおいしい。

 先日も書いたが山椒の炊き方ほど、千差万別のレシピもない。どうにでもなるという簡単な調理なのだろう。上記の分量も随分適当にやってみた。これで美味しい醤油炊きが出来上がると保証するものではないので、念のため。

【作業日誌 6/15】
木小屋増築工事(ちょっとだけ)
山椒醤油炊き

今日のじょん:かみさんが出かけたので、おとーと二人で留守番となった。しょぼんとして気の毒なぐらい。帰ってきて車の音がしたら、もう有頂天で尻尾ちぎれんばかり、二人で出かけてじょんだけ留守番しているときはどーなっているんだろう。「あっおかーが帰ってきよった」     Img_4747


 

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