本日で、私の個人サイト『はなバルーン倶楽部』が、開設から25周年を迎えた。
と言っても、正確なサイトの開設日ははっきりと覚えておらず、便宜的にこの日にしたと言うことは、20周年の時に書いたとおりなので、ご了承下さい。
一口に25年と言っても、長いようでもあり、短いようでもある。なんと言っても、四半世紀という呼び方もあるくらいだ。
この25年間、色々なことがあった。このサイトを始めた頃には色々とあった個人運営の藤子ファンサイトの大部分が、現在は消滅してしまっていることを考えると、よく25年も続けられたなと思わざるを得ない。名前を挙げるのもなんなので、ここでは伏せるが、本当に色々なサイトがあったものだ。皆、それぞれに工夫を凝らしていた楽しいサイトだった。先に、私のサイトが消滅しても不思議はなかったのだ。
では、なぜ私は25年もサイト運営を続けられたのだろう。一言でその秘訣を言うと、「無理しないこと」だと思う。要は、マイペースを守ることが大切だと言うことだ。最近は、一年に2,3回しか更新していないが、これくらいが今の生活ではちょうどいいと思っている。
無理に、たとえば「この日は○○記念日だから更新しなくては」、などと自分を追い詰めるのはよくない。
この『はなバルーン倶楽部』のメインコンテンツは、なんと言っても「ドラちゃんのおへや」なのだが、『ドラえもん』という作品を取り巻く環境も、この25年で大きく変わった。
なかでも、藤子・F・不二雄大全集が刊行されて、誰でも『ドラえもん』全話を読めるようになったのが、一番大きいと思う。それ以前は、「ドラえもんカラー作品集」や「ドラえもんプラス」がそれぞれ刊行されることが決まるたびに、大騒ぎになっていたが、大全集と比べるとささやかなものだった。
この25年の間には、テレビアニメ版の代替わりもあった。ここでアニメがリセットされて、1から再スタートとなったのも大きかった。わさドラに関しては、全てを完全に観ているので、自分のできる限りの情報を詰め込んだデータベースの構築が可能だった。これが、ある意味ではサイト運営のモチベーション維持の原動力となったのかもしれない。大山ドラは、今からデータ不明部分を埋めようと思っても、なかなかできないのだ。これが、本放送当時のオープニング・エンディングを使った再放送がほぼないことが原因であるのは、言うまでもない。私が生きているうちに、この問題はなんとかなるのだろうか。
それはともかく、原作・アニメに加えて藤子・F・不二雄ミュージアムやドラえもん未来デパートなどの関連施設もこの25年の間に色々とオープンして、ファンが楽しめる要素はますます増えている。
原作者の藤子・F・不二雄先生がすでに亡くなられていることを考えると、これは驚異的なことだと思う。やはり、テレビアニメが放映中で「現役作品」であると言うことが大きいのだろう。
今後の『はなバルーン倶楽部』がどうなるか、それはわからないが、やはり私のサイトは『ドラえもん』あってのものなのは、間違いない。
今後の『ドラえもん』のますますの隆盛を願って、この文を終わりたい。
と言っても、正確なサイトの開設日ははっきりと覚えておらず、便宜的にこの日にしたと言うことは、20周年の時に書いたとおりなので、ご了承下さい。
一口に25年と言っても、長いようでもあり、短いようでもある。なんと言っても、四半世紀という呼び方もあるくらいだ。
この25年間、色々なことがあった。このサイトを始めた頃には色々とあった個人運営の藤子ファンサイトの大部分が、現在は消滅してしまっていることを考えると、よく25年も続けられたなと思わざるを得ない。名前を挙げるのもなんなので、ここでは伏せるが、本当に色々なサイトがあったものだ。皆、それぞれに工夫を凝らしていた楽しいサイトだった。先に、私のサイトが消滅しても不思議はなかったのだ。
では、なぜ私は25年もサイト運営を続けられたのだろう。一言でその秘訣を言うと、「無理しないこと」だと思う。要は、マイペースを守ることが大切だと言うことだ。最近は、一年に2,3回しか更新していないが、これくらいが今の生活ではちょうどいいと思っている。
無理に、たとえば「この日は○○記念日だから更新しなくては」、などと自分を追い詰めるのはよくない。
この『はなバルーン倶楽部』のメインコンテンツは、なんと言っても「ドラちゃんのおへや」なのだが、『ドラえもん』という作品を取り巻く環境も、この25年で大きく変わった。
なかでも、藤子・F・不二雄大全集が刊行されて、誰でも『ドラえもん』全話を読めるようになったのが、一番大きいと思う。それ以前は、「ドラえもんカラー作品集」や「ドラえもんプラス」がそれぞれ刊行されることが決まるたびに、大騒ぎになっていたが、大全集と比べるとささやかなものだった。
この25年の間には、テレビアニメ版の代替わりもあった。ここでアニメがリセットされて、1から再スタートとなったのも大きかった。わさドラに関しては、全てを完全に観ているので、自分のできる限りの情報を詰め込んだデータベースの構築が可能だった。これが、ある意味ではサイト運営のモチベーション維持の原動力となったのかもしれない。大山ドラは、今からデータ不明部分を埋めようと思っても、なかなかできないのだ。これが、本放送当時のオープニング・エンディングを使った再放送がほぼないことが原因であるのは、言うまでもない。私が生きているうちに、この問題はなんとかなるのだろうか。
それはともかく、原作・アニメに加えて藤子・F・不二雄ミュージアムやドラえもん未来デパートなどの関連施設もこの25年の間に色々とオープンして、ファンが楽しめる要素はますます増えている。
原作者の藤子・F・不二雄先生がすでに亡くなられていることを考えると、これは驚異的なことだと思う。やはり、テレビアニメが放映中で「現役作品」であると言うことが大きいのだろう。
今後の『はなバルーン倶楽部』がどうなるか、それはわからないが、やはり私のサイトは『ドラえもん』あってのものなのは、間違いない。
今後の『ドラえもん』のますますの隆盛を願って、この文を終わりたい。
おおはたさんの「ドラちゃんのおへや」には、私が去年「藤子・F・不二雄大全集」20巻の情報収集をしている際に、偶然出会い、その後コミックスに関わる情報だけでなく、膨大なこれまでのテレビアニメに関する詳細な情報を頂き、非常にお世話になりました。
これほどの規模でドラえもんに関する情報を集積している貴重な情報源は、世界にこれしかないと感じます。
私もプロ野球はやはり中日ドラゴンズです。映画は来年春まで待ち遠しいですが、それまでの時間も大切に過ごしていけたらなと考えます。
それでは失礼します。
私のサイトがお役に立てたようで、これに勝る喜びはありません。やってきた甲斐があるなと感じました。
25年やってきたおかげで、年々サイトの規模は拡大しておりますので、だんだんと管理が大変になってきてはいますが、できるだけ続けていきたいと思っています。
中日が後半戦で巻き返すことも期待したいですね。オリンピック休みを、ぜひ有効に使っていただきたいです。とりあえず、昨年のようにAクラスに入ってほしいと思っています。
そして、来年こそは、映画ドラえもんを楽しめたらと思っています。
私が「ドラちゃんのおへや」に訪問したのは2004年なんですが、サイトに初訪問した時に「ドラえもん」の放送リストや他の資料など凄いわかりやすかったです。
2004年と言えば大山ドラの末期で当時は翌年の映画休止、4週に渡って銀河超特急特別編の放映、声優交代の発表など衝撃のニュースが立て続けにありました。
25年の中では声優交代が一番インパクトが大きかったように思います。
声優交代の当初はドラえもん系のサイトでは色んな意見がありましたが、ドラちゃんのお部屋に訪問するファンは前向きな意見が多かったように思いました。
今となっては「わさドラ」も定着して、レンタルDVDも気がつけば100巻を超えて凄い巻数になっていますね。
やはり、この25年のうち、『ドラえもん』に話を絞れば、声優交代に伴う番組リニューアルがいちばんインパクトが大きかったですね。
今では、「わさドラ」も放送が16年を超えて、単独でも立派に長寿番組となりました。レンタルDVDもいつの間にか、100巻を超えていたんですね。
「わさドラ」に話を限ると、金曜19時から土曜17時への放映枠移動が大きな話題でした。どちらの時間の方が観やすいかというのは人によって違うでしょうが、長年の習慣が変わったのですから、衝撃は大きかったです。
それでも、『ドラえもん』が終わる時が来るというのはちょっと想像が付きませんし、映画ともどもこれからも続いていってほしいと思います。
『ドラえもん』が続く限り、私のサイトもできるだけ続けていきたいと思っていますし。
色々ありましたけど、ドラえもんが続いていることとサイトが続いていることめでたいです。
これからもよろしくお願いいたします。
サイトの方は12月1日にも更新しましたが、今度はこのブログの方が更新が止まってしまっております。特にネタが尽きたわけでもないのですが。
とは言え、更新をやめる気はありませんので、今後ともよろしくお願いします。